風のあと partI

 

 

 

 

 

 

 

 

昔から、私は本を読むのが好きだ。

趣味が読書なんて、安直すぎる気がして、鉦や太鼓で宣伝して廻りたいとは思わないけれど、好きなものはしょうがない。

ジャンルはバラバラ。大抵は文庫本で、小説なんかを読む。

もちろん、本そのものにもそれなりの敬意を持ち、大事にする。

本屋のレジで、「カバー、おかけしますか?」と言われたら、必ず「お願いします」と言う。

雨の日に鞄の中に入れて持ち歩く時には、台所用の小さいビニール袋に入れる。

栞代わりにページを折ったりするなんて考えられない。

読み終わった本も基本的に捨てたりしない。どうしても邪魔になったら古本屋に持っていく。

 (おかけで、実家には私が小学生の時に読んだ本が、今でもダンボールに入って残されているはずだ)

 

そんな私が一度だけ、新品のページを破って、読みもせずにコンビニのゴミ箱に放り込んだことがある。

 

夜の公園の日から、10日後ぐらいのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

   エピローグ【epilogue】〈名詞〉

     @詩歌・小説・演劇などの文芸作品の終結部

     Aソナタ形式の楽曲で、第二主題に基づいた小終結部

     B全体の締めくくりになっている部分 物事の結末

     ギリシャ語の「結び」の意による。

     対義語:プロローグ【prologue

 

 

 

 

 

 

 

 

公園から家に帰ってからのことはよく憶えていない。

たぶん、私を待っていた母親に会い(父親の帰宅はいつも遅かった)、晩御飯を食べ、お風呂に入って、着替えたはずだ。

けれど、そういったことは全然憶えていない。

消しゴムできれいさっぱり消してしまったみたいに、記憶に無い。

 

気が付いたら、パジャマを着て自分のベッドの中にいたような気がする。

 

いつもの枕に顔を埋めて、なんとかしてその日に起こったことをまとめようとしてみた。

クリスタルガラスの林檎をポケットに入れたグエン・ラーゲルレイヴが言ったように、物事には全て始まりがあって、終わりがあるなら、どんなことだってちゃんと繋げることができるはずだった。

けれど、どうしても私にはそれができなかった。

 

全部が一本の糸に繋がれていたようにも思えるし、バラバラの出来事にも思える。

 

私は、眠った。

 

“蜂”たちの羽音が、聴こえなくなっていることに、気が付かないままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

          その夜

          ジャングルジムから飛び降りる少年の夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私はあの3人と“友達”になった。

 

次の日の朝、学校に向かう途中の道で、彼女たちは私に挨拶した。

惣流さんは屈託の無い軽やかさで。

綾波さんは声に出さず視線だけで。

碇君はありふれた優しさを込めて。

この私に、声をかけてくれた。

 

そうやって、なんとなく友達になった。

 

休み時間にちょっとおしゃべりしたり、学校からあの曲がり角まで一緒に帰ったりした。

そのままどこかに寄り道することもあったし、日曜日に遊びにいったりもするようになった。

それからしばらくしてからのことだけれど、私は彼女たちのことを『アスカさん』『レイさん』と呼ぶようにもなった。

 (碇君は『碇君』のままだったけれど)

初めてそう呼びかけた時、惣流さん(もしくはアスカさん)は、ちょっと不満そうに2mmぐらい眉を上げた。

綾波さん(もしくはレイさん)は、ためらうように10分の1秒だけいつもより長く私を見つめた。

それでも、間違いなく、2人は嬉しそうに見えた。

そんな2人と私を見て、碇君は少し微笑んでいた。

 

 

たぶん、“友達”になったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女たちを名前で呼ぶようようになったのには“理由”がある。

 

 

ある日、私とあの3人は買い物に出かけた。

それは夜の公園の日からそれなりの時間が経ってからのことで、私たちはかなり親しくなっていたけれど、休日に一緒に出かけたのはその時が始めてだった。

こういうことは、結構、重要な意味を持っている。

私には気軽に話のできる人が、それなりにたくさんいたけれど、休日、つまり学校の外で、行動を共にする人というのは意外に少ない。

これはたぶん他のクラスメートたちも同じだったと思う。

休日の関係というのは、学校という枠から外れた、完全に“プライベート”な関係だからだ。

誰だって、多かれ少なかれ、意識しているかどうかは関係なく、枠の外と内とでいくつかの顔を使い分けている。

中学生だってその程度の“小細工”は使える。 そういうことだ。

 

そんな日の午後、コーヒースタンドで話し込んでいると、惣流さんが突然、自分たちのことは名前で呼ぶように、と言い出したのだ。

 

「その『惣流さん』ってのなんか馴染まないのよね?」

 

彼女はそう言って、汗を浮かべたグラスにストローを放り込んだ。

 

「アタシのことは『アスカ』でいいわよ。

 それから、こっちは『レイ』。

 こいつのことは『シンジ』。それで十分よ」

 

碇君は、あいかわらずだなあ、というように苦笑した。

綾波さんはあまり関心がなさそうに見えた。

けれど、2人とも反対するつもりはないらしかった。

 

それは本当に突然だったから、びっくりして曖昧に言葉を濁した。

誰かに呼び方を“指定”されるなんて、初めてだった。

とりあえず、『シンジ』は問題外だ。

中学生の女の子にとって、男の子を呼び捨てにするというのは、明らかなある種の意思表示に他ならない。

それが“ルール”だ。

 

なにより、あだ名、呼び名、なんてものは、いつの間にか決まっていくものだ。

ごく自然に、特別な理由もきっかけも無く、ただそうなった、というだけのものなのだ。

いきなり、こう呼べ、と言われたんじゃ、逆に意識してしまう。

うん、わかった。じゃこれからそう呼ぶわね、などとにっこり笑うわけにはいかない。

 

この人たちは、そういうことをなにもわかっていない。

たぶん、考えたこともないんだろうな、と思った。

 

それが、彼女たちの“限界”を示しているようで、どこか哀しい。

私はその時、微かな“反発”を感じていたのだと思う。

 

 

 

それでも、それからの私は結局、『アスカさん』、『レイさん』と呼びかけるよう心がけることにした。

それが私にとってギリギリの“妥協”だった。

 

正直に告白するなら、嬉しかった。

他でもない私にそう言ってくれたことが、嬉しかった。

彼女たちに選ばれたというか、認められたような気がしていたのかもしれない。

とにかく、それは間違いなく好意の表れだと信じることができた。

なにより私は、本当にあの3人が好きだったのだ。

 

そして、それと同じくらい、“怖かった”のも本当のことだ。

フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェが『深淵を覗き込む者』に捧げた警句。

その有名すぎる格言は、あまりにも多くの場所で引用されていて、すっかり陳腐になってしまっている。

ケレン味たっぷり、回りくどくもったいぶっていて、アイロニーとアレゴリーに満ちているから、ちょっとシリアスでインテリっぽいムードを演出するのに便利な小道具だからだろう。

けれど、どんなに手垢にまみれていても、その警句の正しさは少しも失われていない。

もちろん、彼女たちは『怪物』なんかじゃないし、私だって『戦う』つもりなんかこれっぽっちもないけれど。

私にはその正しさを否定できない。 今でも。

 

 

臆面もなくドラマのようなセリフを言ってのける彼女たちへの反発。

他の誰でもなく、この私に親しみを見せてくれる晴れがましい喜び。

あまりにも遠すぎる、あの彼女たちに近付きすぎることへの恐れ。

そんなものたちが導き出したギリギリの“妥協”。

『アスカさん』『レイさん』にはそれだけの意味が込められていたような気がする。

 

私以外の誰にとってもくだらないことだ。

 (あの時の私にそこまでちゃんとした考えがあったかどうかも疑わしい)

はっきり言って、なんの意味もないつまらないことなのだろうけれど。

私にはそれが必要だった。

 

 

私は私で、ちゃんと私自身を護ってあげなければならないのだから。

 

 

もちろん、その時には、もう手遅れだとも、知ってはいたのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

惣流さんが泣いたことは、友人たちの間では、タブーになった。

あの時、あそこにいた少女たちにとって、あれは無かったことになった。 結局のところ。

翌日の惣流さんたちがあまりにもいつも通りだったから、誰もその話をするきっかけを見つけられなかったのだと思う。

もちろん、あれだけの“事件”だ。

 

 突発的なイベント。 刺激的なスキャンダル。 魅惑的なゴシップ。

 

私の知らないところで、ひそひそと囁かれてはいたのだろうけれど、惣流さんたちにとっても、私にとっても、どうでもいいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの疑問が残された。

私にはどうしてもあの日のことを上手く説明できない。

 

ただ、どうして惣流さんがいきなり私たちに怒鳴りつけてきたのか?

その答え(もしくは答えの一部)は、碇君から聞くことができた。

それは、あの公園からの帰り道。

自転車を押しながら、私の家に向かって、いっしょに歩いている時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひどく気まずい思いで、並んで歩いていた。

碇君は「自転車、僕が押していこうか?」と言ってくれ(もちろん、遠慮した)、私の歩くスピードに完璧に合わせてくれた。

その時には気が付かなかったけれど、ごく自然に自分が車の通る側に立って歩くという、同年代の少年には考えられないようなことさえしてくれた。

けれど、平然とした優しげな横顔をちらちらと見ていると、彼には話題を見つけようと努力するつもりが全く無いことがすぐにわかった。

だから、私からその日起こったことに対して、謝罪し、感謝の言葉を言った。

幼い顔立ちには不釣合いな、ひどく大人びた微苦笑を浮かべながら、彼は言った。

 

「でも、僕はなんにもしてないよ?」

 

 

驚いたことに(そして呆れたことに)彼はなにも知らなかった。

惣流さんがどうして泣いていたのか。

私にどんな話があったのか。

いったいなにがあったのか。

なにも知らず、なにも聞かず、ただ電話をかけただけだ、と言う。

 

私は教室で起こったことを、できるだけ簡潔に、客観的に、伝えた。

言葉にしてしまうと、それは本当に短く、あっけない出来事みたいだった。

 

それでも彼は私の言葉を両手でそっと持ち上げ、慎重に眺めた後で言った。

 

「アスカも、親はいなかったから…」

 

「…え?」

 

立ち止まってしまった私を振り返る。

 

「たぶん、だからじゃないかな?」

 

「それって……?」

 

「ああ、僕も…あと、レイもなんだけど、親はいないんだ。

 ……だから、アスカはちょっと混乱しちゃったんだと思うよ?」

 

丁寧に言葉を補ってくれたけれど、彼は誤解していた。

私を立ち止まらせたのは、そういうことじゃなかった。

 (もちろん、そのことも驚きはしたけれど)

彼の言い方が、本当に普通で。

当たり前の、なんでもない言い方で。

まるで、そんなもの始めからどこにもいなかったように聴こえて。

 

だから私は、一瞬、足がすくんだのだ。

 

 

「そう、なんだ…」

 

彼に気付かれないように、ハンドルをぎゅっと握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの夜の公園でのことは誰にも言わなかった。

ただリカには、あの場所で起こった“事実”だけを伝えた。

それが私にできる精一杯の誠意だった。

リカは私の短い話を、うんうんと頷きながら聞いてくれて、最後に、

 

「よかったね」

 

とだけ、言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、私があの公園に立ち寄ることはなかった。

 

別に、意識して避けていたわけじゃない。

ただ、その機会がなんとなく無いまま、時間が経っただけだ。 (本当に?)

 

私は大学2年の時、車の免許を取った。

その冬休み、中古で小さな車を買い(お金は13だけ親から借りた)、5時間ぐらいかけて下宿先から実家に自分で運転して帰った。

ドライブと運転の練習と暇つぶしを兼ねて、近所をうろうろしていたら、あの公園に来ていた。

 

そこは、いつの間にか、もっと素敵なこざっぱりとした公園になっていた。

もたもたと3回ぐらい切り替えしを繰り返して、車をなんとか路肩に寄せると、そこで降りてみた。

遊具はどれも新しくてピカピカしていた。

滑り台なんかは、キリンが首を地面に垂らしている姿をかたどっていて、本当に素敵だった。

けれど、丸い、ぐるぐる回るジャングルジムは、やっぱり無かった。

 

入り口にあったパンダの看板を探してみたけれど、それも無くなっていた。

 

 

 

あの虚ろな瞳で入り口を守り続けていた、くすんだ色の生真面目な保安官は、どこに行ったんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、あの“蜂”にもまだ会ったことがない。

 

 もちろん、私は時々とんでもないバカで、何度も“蜂”に苦しめられるている。あの3人とは関係ないことで。

 

 それは、普通に生活していれば仕方がない。そういうものだと思う。

 

 けれど、あの日、私に“蜂”たちの秘密を話してくれた“彼女”には会っていない。

 

 あのときほどの“痛み”も感じたことはない。

 

 それでも、私はまだちゃんと憶えている。

 

 あの、気が触れそうなほどの“羽音”と“針”の“痛み”を。

 

 いつの日か、もう一度あの“痛み”を感じる日が来ることを。

 

 そのことを忘れない限り、私はあの3人を“友達”と思っていてもいいのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの夜、惣流さんは碇君に私を家まで送っていくように言ったけれど、正確には家までは送ってもらわなかった。

家の近くにまで来た時、私がここでいいと言ったのだ。

まるで『ローマの休日』みたいに。

 

「え?いいよ、ちゃんと送っていくよ」

 

と彼は言ってくれたのだけれど。

 

「ううん。ホントにすぐそこだから。

 ここでいいわ」

 

「そう?」

 

彼はなんとなく納得できていないようだった。

まったく、どこまでも礼儀正しい人だな、と思った。

 

「うん、どうもありがとう。

 …それにね、やっぱり、ほら、私も女の子でしょう?

 男の子と一緒に帰ってくると、お母さんとかが、ね……」

 

わかるでしょう?というように、わざといやらしい苦笑いを浮かべてみせた。

彼はちょっとびっくりしたようだったけれど、気が付かなくてゴメン、と苦笑してくれた。

それは私が期待し、予想した通りの反応だった。

こんな時でもこんな“小細工”ができてしまう自分に吐き気がした。

 

 

母親と彼を会わせたくなかったのは本当のことだ。

母がどんな眼で彼を見るか、簡単に予想できた。

当然だ。それが普通の、当たり前のことなのだから。

私の母親がどうこうということじゃない。誰だってそうだろう。

けれど、目の前の少年に、そういう種類の視線が注がれるのは、耐え難い。

それだけはどうしても避けたかったのだ。

たぶん、私自身のために。

 

 

「うん…でも、本当に、今日はありがとう……」

 

そう言うと、彼はとんでもない、というように手を振った。

 

「ううん、こっちこそ、ありがとう。来てくれて。

 …じゃあ、ここで」

 

おやすみ、と付け加えて、彼は私に背を向けた。

その線の細い背中を見ながら、今日はこんな風に見送ってばっかりだ、と気が付いた。

なんとなく、こういう時、ちゃんと泣けたらいいんだろうな、と思った。

 

 

   ああ、まただ。 また、なの? また、どこかにいっちゃうの?

 

   でも、きっと、たぶん、ちがう。

   『また』じゃない。 『まだ』なんだ。

   まだ、終わってなかった。

   まだ、目が覚めてなかった。

   まだ、帰って来れてなかった。

   まだ、続いていた。

   あのときから。

   彼女たちと“出会った”あのときから。

 

   でも、きっと、たぶん、ちがう。

   まだ、始まってもいない。

 

   そうでしょう?

 

 

彼は振り返らなかった。

私は黙って自転車にまたがると、これ以上迷子にならないように、慎重にペダルを踏んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽に心を揺さぶられる事がかつてあった。何度も音楽に悩まされたもの

だった。しかし、音楽ははっきりとは語らない。それが私たちの中に創り

出すのは、1つの新しい世界ではなく、むしろ、もう1つの混沌なのだ。

言葉!ただの言葉!その恐ろしさ!明瞭さ、鮮やかさと残酷さ!言葉から

逃れる事のできる者などどこにもいない。しかも、そこにはなんという精

妙な魔力が秘められているのだろう!言葉こそ無形のものに塑像的な形態

を与え、ヴィオラの、あるいは笛のように甘く美しい独特な調べを奏でる

事ができるだろう。ただの言葉!言葉ほどリアルなものがあるだろうか!

 

 

 

細かいところはあやふやだけれど、大体のところはあっているはずだ。

 

残念なことに、私の言葉じゃない。

幸せなことに、私では意味がよく理解できない。

 

タイトルは忘れた。

トルーマン・カポーティ、オスカー・ワイルド、ゴードン・スターク。

たしか、こんな作家の小説の一部だったと思う。(もしかしたら、コナン・ドイルかもしれないけれど)

 

 

私は放課後、1人で近所の本屋に行き、いつものようにぶらぶらと文庫本コーナーをうろついていた。

特に目的があったわけじゃなくて、ただなんとなく目に付いた本を何冊か拾い読みしていた。

その時見たのが、それだった。

頭の中が真っ白になって、気が付いたときにはその文章が書かれていたページを引きちぎっていた。

私には聞こえなかったけれど、かなり大きな音がしたのだろう。周りの人たちの視線が集中していた。

私は破り取ったページをスカートのポケットに突っ込むと、レジに向かって真っ直ぐ歩いた。

学生アルバイトの若い店員は、どこか卑屈な笑みで私を見つめ、なにか言いたそうにしたけれど、その眼を真っ直ぐ見返して、無言でお金と文庫本を差し出すと、目をそらしていそいそと紙袋に入れた。

ひそひそと私を見て囁く声が纏わりついてきたけれど、完全に無視することができた。

その時の私には、怖いものなど、なにも無かった。

 

ポケットに突っ込んだページだけを家に持ち帰った私は、机の上にそれを広げて、丁寧にしわを伸ばした。

それを眺めて少し考えてから、セロハンテープで机の前の壁に貼り付けてみた。

 

それは、テープがパリパリに劣化して剥がれるまで、随分長い間そこにあった。

私は毎日のように、宿題やなんかで机の前に座るたびに、その四角い紙が白から黄色に少しづつ変わっていくのを見続けた。

 

 

 

どうしてそんなことをしたのか。

  今でも、まだ、わからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうだ。 そうなんだ。 

 

 

 私は、もう、知っている。

 私は、もう、わかっている。

 

 “私の中”には“蜂”がいる。

 

 誰も知らないけれど“蜂”がいる。

 

 ただ純粋に“女王”に忠実な“蜂”たちがいる。

 

 今はもう、眼を凝らしても、その姿は見えないけれど。

 今はもう、耳を澄ませても、その羽音は聞こえないけれど。

 

 まだ、確かに感じることができる。

 

 薄暗い“私の中”のどこかで。

 

 あの茶色い六角形の巣の中で。

 

 細い脚をきちんと揃えて。

 

 透き通る羽を静かに畳んで。

 

 虹色の眼を鈍く輝かせて。

 

 “彼女”たちが、ゆっくりと触覚を揺らし続けている。

 

 静かに、油断なく、容赦なく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうも、Kitaです。お久しぶりです。

やっと完結しました。

これを読んでくれた方と掲載してくれたみゃあ様に、心からの感謝を。

それでは、失礼します。

02.08.11