「月の綺麗な夜に」

 

 

 

 

 

それは月がとてもとても綺麗な夜のことでした。

 

 

 

若い女の人が、一人で列車の座席に座っていました。

彼女はさっきまで働いていた、研究所でのことを思っていました。

そこで彼女の上司である女性ととても難しい研究をしていたのです。

彼女はその人のために何とか役に立ちたい、と頑張っていたのですが、

『もう遅いから今日は帰りなさい』

と諭されて、仕方なく家路についたのでした。

 

『先輩、きっとまだ頑張ってるんだろうな…』

 

そう思うと、何だか悲しい気持ちにもなるのですが、

 

「ふわああ…」

 

かたたん かたたん と列車は心地よく揺れ、その人はとても疲れていたので、思わず大きなあくびをしてしまいました。

自分がちょっと恥ずかしいことをしたことに、大きくのびをした後で気がついた彼女は目をごしごし擦りました。

すると、いつの間にか、一人の少女が目の前に立っていました。

この車両に乗っていたのは自分だけだと思っていたので、彼女はびっくりしましたが、少女が自分をじっと見つめていることに気がつくと、照れ隠しのためにも少し笑って見せました。

でも少女は笑い返したりせず、ただ黙ったまま彼女を見つめるだけです。

 

「こんばんは」

 

彼女は少女に声をかけてみました。

そうせずに入られないくらい、その少女はとても綺麗な子だったのです。

 

少女は、こくんと頷きました。

たったそれだけでしたが、今度は返事が返ってきたので、嬉しくなった彼女はもっと話がしてみたくなりました。

 

「あの、私 マヤっていうの。あなたは?」

 

でも少女はそれには応えませんでした。

 

「貴女は何を望むの?」

 

「え?」

 

少女からの急な問いかけは、彼女には何の事だかわかりませんでした。

少女は続けます。

 

「今夜は特別な夜。 月祭りの夜。

 一つだけ、貴女の願いを叶えてあげる」

 

『何を言い出すんだろう?』

 

もちろん彼女は戸惑い、立ったままの少女を見上げましたが、少女はじっと見つめるだけです。

その時、初めて彼女は自分の目を見つめる瞳が、変わった色であることに気がつきました。

それはルビーのように澄んだ紅でした。

その吸い込まれそうな輝きを見ている内に、なぜだか少女の言っていることが本当のことであるような気がしてくるのでした。

 

『願い? 私の願い?

 私の欲しいものって何だろう?』

 

彼女の頭の中に色々なものが浮かびます。

 

『大きなベッド? 素敵な洋服? プール付きのお家? 

 ううん それならいっそのことお金をいっぱい貰った方が……』

 

何を言えばいいのかわからなくなった彼女が恐る恐る少女の方を窺うと、少女は相変わらずじっと紅い瞳で彼女の言葉を待っていました。

 

「でも、どうして私なの?

 どうして私なんかのお願いを聞いてくれるの?」

 

とりあえず、そんなことを訊ねてみましたが、少女の答えは短いものでした。

 

「ある人がそれを望んだの」

 

「え?! 本当に?!

 一体誰がそんな勿体ないことを……?」

 

「そのことは言えないの。

 そういう決まりになっているから」

 

そっけない言葉でしたが、彼女はとても驚きました。

そして、自分がとても浅ましい人間のような気がして顔を真っ赤にしてうつむきました。

 

『そうか、誰か、私にこんな機会をくれた人がいるんだ』

 

そう思うと何だか疲れがすうっと抜けていくような気がしました。

その時、ふと研究室で机の上に覆い被さるようにしている白衣の背中が思い浮かびました。

それは彼女がずっと追いかけていた背中でした。

 

「うん、そうだ」

 

彼女ははっきりと少女を見上げて言いました。

 

「私の先輩で、赤城博士という人がいるの。

 その人はもの凄く頭が良くて、優秀で、素敵な人なんだけど、いつもどこか寂しそうにしている人なの。

 私なんかよりあの人のところにいってあげてくれないかしら。

 きっとその方がいいと思うの」

 

彼女の言葉に、少女は小さく頷きました。

 

「わかったわ」

 

少女のそっけなさは相変わらずでしたが、その瞳は優しく煌めいたように見えました。

そして、その少女はそのまま行こうとしました。

 

「ちょっと待って。

 名前を、あなたの名前を教えてくれない?」

 

彼女は少女の瞳の紅に見とれていましたが、慌てて席を立ちました。

 

  キキキイイイ………

 

ちょうどその時、列車が駅に止まりました。

 

「きゃっ」

 

彼女はもう少しで転びそうになり、可愛い悲鳴を上げながら、とすんと座席にしりもちをついてしまいましした。

 

「あれ……?」

 

 

彼女が辺りを見渡した時には、もうそこには誰もいませんでした。

 

「私、なにしてたんだろう?

 なにかをしようとしてたような気がするんだけど……?」

 

 

かたたん かたたん と列車は再び動き出します。

彼女は自分が何かを忘れてしまっているような気がして首を傾げていましたが、それが何かをどうしても思い出せませんでした。

ふと窓を見ると、大きな大きな月が見えました。

 

「なんて綺麗なの……」

 

思わず声が漏れました。

そして自分がこんな風に夜空を見るのは、本当に久しぶりだな、と思いながら呟きました。

 

「月の光には疲れを癒す力があるって聞いたことがあるけど……

 

 それって、本当なのかもしれないわね」 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

白衣を着たその女の人は大きく息をはくと、背中を椅子の背もたれに預けました。

ぎしり と椅子が、広い部屋に大きく鳴りました。

その部屋に残っているのはもう彼女一人だけでした。

青白い電灯に照らされた机の上には、迷路のように複雑に入り組んだ数字や記号がびっしりと書かれた紙が、何枚も何枚も積み重ねられていました。

彼女はその迷路ですっかり迷子になってしまっていたのです。

 

「やれやれ、上手くいかないわね」

 

金色に染められた髪を掻き上げながら呟くと、ポケットから煙草を取り出して、火をつけました。

 

まっしろな煙がゆらゆらと漂うの眼で追いかけながら、今夜も徹夜になるな、と考えていました。

その時、ふと何かの気配を感じて振り返りました。

そこにはいつの間にか、一人の少女が立っていました。

 

「ちょっと」

 

彼女はきつい声で少女に言いました。

 

「ここは勝手に入ってはいけないのよ。

 すぐに出て行きなさい」

 

少女はじっと彼女を見つめるだけで動こうとしませんでした。

 

「なに? なにか私に用なの?」

 

少女は頷くと、静かな静かな声で言いました。

 

「貴女の願いを叶えにきたの」

 

「は? バカなことを言ってないで早く家に帰りなさい」

 

彼女はそう言ってから、あることに気がつきました。

 

「あなた、一体どうやってここに入ったの?」

 

その部屋にドアは一つしかありませんでしたし、そこには頑丈な鍵がかかっていたはずなのです。

どう考えても、少女がここに入ってくることなどできるはずがないのです。

でも、少女は淡々と別のことを言いました。

 

「ある人がここに行くように言ったの。

 今夜は月祭りの夜だから、一つだけ、願いを叶えてあげる。

 貴女は何を望むの?」

 

『いいかげんにしなさい』

 

彼女は自分に応えようとしない少女にちょっとむっとしながらそう言いそうになりましたが、思いとどまりました。

少女の言い方はとても真剣でしたし、その声は小さな銀の鈴を鳴らしたようにとても澄んだものだったからです。

たったそれだけでしたが、彼女は自分でも不思議なことに、少女の話を信じてもいいような気がしてきました。

 

「本当なの? 本当に願いを叶えてくれるっていうの?」

 

少女はこくんと頷きました。

 

「そう……」

 

彼女は今の研究に行き詰まっていて、その答えを知りたかったのですが、そのことを口にすることがどうしてもできませんでした。

 

『もちろん私は今抱えている問題の答えが知りたい…

 でもいったい何のために?

 研究者としての名声を手に入れるため? 名誉のため?

 私はそんなもののために、この道を志したんじゃないはず……』

 

それに、自分のところに行くように、と言った誰かのことを思うと、なぜだかそんな答えなんてきっと見つかるような気がしてくるのでした。

フーーッと、彼女の唇から白い煙が流れました。

それを眺めながら彼女は言いました。

 

「こんな事を言うなんて、自分でもバカみたいって思うんだけど……、私はいいわ。

 誰かに教えて貰った答えなんて無価値だし、無意味だもの。

 それよりもっと困っている人がいるはずよ。

 その人のところに行くべきよ」

 

彼女が少女の方を見ると、少女はじっと彼女を見つめていました。

その視線に何だか照れくさくなった彼女は慌てたように付け加えました。

 

「そうね、ミサトなんてどうかしら。

 彼女とは学生の頃からのつきあいなんだけど、最近何だかはしゃいでいるようだから。

 ああ、あのコはね、イヤなことがあると無理にはしゃぐのよ、昔から」

 

「わかったわ」

 

彼女の早口の言葉に、少女はただ静かに言いました。

でも、彼女にはその短い言葉がこれまで以上に美しく響いたように聴こえました。

 

その時、彼女の指に挟まれた煙草から、ぽとりと灰が書類の上に落ちました。

 

「あっ いけない」

 

彼女が慌てて煙草を揉み消し、ぱたぱたと書類をはたいてから顔を上げると、そこにはもう誰もいませんでした。

 

「え……?」

 

 

彼女は自分が何をやっていたのかわかりませんでした。

一瞬、ぼうっとしていた彼女でしたが、手に持った書類に小さく焦げ目がついているのを見ると、ため息をつきました。

 

「まったく、私ったらなにをやってるのかしら。

 今日はもう帰った方がいいのかしら」

 

そうぼやきながら、がさがさと机をかたづけていると、一枚の写真が目に留まりました。

それは可愛らしい仔ネコがちょこんと写っているものでした。

彼女はその写真を手にとって、新しい煙草に火をつけました。

 

『今度の日曜日には、久しぶりにこのコに会いに行こうかしら……』

 

そう思いながら、口からゆっくりと煙を吐き出しました。

 

ゆらり ゆらり と白い煙を昇らせる煙草をくわえたその唇は、ちょっぴり微笑んでいるようにも見えるのでした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

お世辞にもよく掃除されたとはいえない部屋で、一人の女の人が椅子の上であぐらをかいていました。

彼女の手にはビールが握られていて、テーブルの上にはそれまでに飲んだ空き缶が何本もごろごろと転がっていました。

開けっ放しにしたままの冷蔵庫から聴こえてくる、ぶうううん という音だけが彼女の耳に届いていました。

ごきゅごきゅと右手のビールを飲み干すと、彼女はそれをテーブルの上に放り出し、新しい缶を手に取ろうとしました。

のろのろと立ち上がり冷蔵庫の側に立ったとき、大きく開いた窓からふわりと風が舞い込んできました。

柔らかな夜の風が彼女の長い黒髪を揺らしました。

 

「もう」

 

鬱陶しげに自分の髪を払った彼女は、いつの間にか一人の少女が誰もいないはずの自分の部屋にいることに気がつきました。

でも彼女は驚いたり、叫んだりはしませんでした。

 

「やれやれ。 ついに私にも幻覚が見えるようになったか。

 いい加減、飲み過ぎたもんね。

 ……まあ、桃色の象よりはましか」

 

彼女は疲れたような笑顔を浮かべて言いました。

 

「それで? 次はどうなるのかしら?

 黄色いシマウマがダンスするとか?」

 

彼女は自分の言葉にくすくすと笑ってみましたが、ちっとも楽しくありませんでした。

少女はそんな彼女をじっと見つめたまま言いました。

 

「貴女の願いを叶えるわ。

 一つだけ、どんな望みも叶えてあげる」

 

少女の言葉に彼女はぱちぱちと瞬きしました。

 

「はあ。 まいったわね、まさか妖精さんとはね。

 私って結構子供っぽいのね…」

 

ぶつぶつと彼女は呟きましたが、少女は落ち着いた声で言いました。

 

「貴女は何を望むの?」

 

その時、また夜風が優しく部屋を通り抜け、少女の短い髪をそっと撫でました。

ふわりと揺れたその髪はとても不思議な水色の髪でした。

 

『どうして、今まで気がつかなかったのかしら?』

 

彼女はそんなことを思いながらも、それがとてもとても美しかったので息を飲みました。

酔いがすうっと引いていくのがわかり、目の前に立つ少女が自分の幻覚なんかではないことが、何となくわかりました。

 

「ちょっと、本気なの?

 でも、なんで……?」

 

「今夜は月祭りの夜だから。

 そして、ある人が望んだから。

 貴女を訪れるように、と」

 

少女の言葉に彼女は何も言えませんでした。

 

『私が望むのは……』

 

彼女には欲しいものがたくさんありました。

素敵な銀のネックレス、新しい車、美味しいお酒……。

でも、そんなものが本当に欲しいのかどうかわからなくなってきました。

そして、あれでもないこれでもない、と一生懸命考えているうちにある人の顔が思い浮かびました。

それは、髪をちょんと束ねて無精ひげを生やした男の人の顔でした。

その人が唇の端っこをちょっとだけ歪めて悪戯っぽく笑っているところを想像すると、彼女は何となく可笑しくなって、くすり と笑ってしまいました。

そして彼女は少女に言いました。

 

「ううん。 せっかく来てくれたのに悪いんだけど、私はパスするわ。

 こういう大切なことには、もっと相応しい人がいるような気がするの。

 私なんかのお願いじゃ、私のところにあなたを寄越してくれた人に申し訳ないような気がするから。

 ああっと、もちろん、あなたにもね。

 それより、私なんかのところに行くようにって言ったのって誰なの?」

 

少女はふるふると首を横に振って、それには答えられないことを教えました。

 

「そう。お礼の一言も言いたかったんだけど…

 まあ、しょうがないわね。

 じゃあ、私からのお願い。

 私の知り合いで、アスカっていう女の子がいるの。

 そのコは凄い才能の持ち主だし、人一倍頑張り屋さんなんだけどね。

 何だか、頑張り過ぎてて、見てて辛くなるようなコなの。

 ああいうコのところにこそ、あなたが必要なんじゃないかしら」

 

「わかったわ」

 

少女はそう言って、こくりと頷きました。

水色の髪がはらりと揺れて、きらきらと蒼銀の光の粒が零れ落ちたように見えました。

それはあまりにも綺麗な輝きで、彼女が吸い込まれそうになるくらいでした。

 

「ああ そうだ。 喉、乾かない?

 あなたもなんか飲む?」

 

彼女はちょっとうわずった声でそう言いながら、冷蔵庫を覗き込みましたが、そこにはお酒しかありませんでした。

 

「ごめーん。 なんにもないや。

 まさか、ビールってわけにもいかないわよね」

 

そう言って振り返ると、そこにはもう誰もいませんでした。

 

 

「へ?」

 

彼女は目をぱちくりさせました。

 

「ええっと、なにしてたんだっけ?」

 

彼女は右手に持った缶ビールを見ながら、左手で頭をぽりぽりと掻きました。

しばらくそうやって立っていましたが、

 

「ま、いいや」

 

そう呟くと、ビールを元の場所に戻して、ぱたんと冷蔵庫の扉を閉めました。

 

ふとした気まぐれに、ちょっとした悪戯を思いついたのです。

 

「アイツ、まだ起きてるかな?」

 

彼女は夜遅くに突然届いた自分の声に、少しだけびっくりしている男の人を想像しながら、電話を手に取りました。

 

そして、うふふ と笑いながら、もうすっかり覚えてしまっている番号を久しぶりに押したのでした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

その女の子は一人で机に向かっていました。

彼女のような女の子が起きているにはもう遅い時間でしたが、ただ一生懸命に勉強を続けていました。

その努力のかいもあって、彼女は学校で一番成績が良かったのですが、そんなものでは満足できなかったのです。

こちこちこち と時計の音だけが響いていました。

 

「貴女は何を望むの?」

 

突然の声に彼女はびっくりして、危うく椅子から転げ落ちそうになりました。

振り返ると、そこには一人の少女が立っていました。

 

「なっ なによ、アンタッ!?

 どっから入ってきたのよ!?」

 

彼女も女の子でしたから、もちろん恐かったのですが、持ち前の勇気を振り絞るとそう怒鳴って睨み付けてやりました。

彼女の蒼い眼はとても鋭いものでしたが、少女はちっとも表情を変えずに言いました。

 

「今夜は月祭りの夜。

 貴女の望みを一つだけ、どんなことでも、叶えてあげる」

 

「はあ? なに言ってんの?」

 

一瞬あっけにとられた彼女でしたが、少女の落ち着き払った様子に、かっと頭に血が上りました。

 

「ちょっと、いいかげんにしてよね!

 アタシのこと子供だと思って、バカにしないでよね!」

 

彼女とその少女は同じくらいの年のようでしたから、そんなことを言うのもおかしなことでしたが、とにかくいっそう強く少女を睨んでやりました。

ぎゅっと手を握り締めて少女を睨み付けるその顔は何だか恐いくらいでした。

 

「馬鹿になんかしてないわ。

 私は貴女の願いを叶えにきただけ」

 

それでも、少女は静かなままです。

 

『コイツ………!』

 

彼女はますます腹が立ってきました。

それでも少女を見ているうちに、その少女がとても綺麗な子だと気がつきました。

彼女は自分のことを美人だと思っていましたし、実際にたくさんの人からもそう言われていたのですが、目の前にあるのは自分とは全く違う感じの綺麗さだ、と彼女は思いました。

そんなことを考えていたことに気がつくと彼女は慌てて言いました。

 

「ふ、ふん!

 願いを叶えるですって?

 なんでアンタがそんなことしてくれるのよ?

 ワケわかんないこと言わないでよね!」

 

少女は短く、静かに答えます。

 

「ある人がそれを望んだから」

 

少女の答えに彼女は勝ち誇ったように胸を反らしました。

 

「はっ そんなこと、あるわけないじゃない。

 なんでも願いが叶うっていうのに、そんなこと言うヤツなんているはずないわ。

 もしいたとしたら、そいつはとんでもないバカよ」

 

少女はじっと彼女を見つめたまま、ぽつりと言いました。

 

「違うわ」

 

「なにが違うっていうのよ?」

 

「その人の名前は言えない。

 それが決まりだから。

 でも、その人は馬鹿じゃないわ。

 ただ、貴女の処に行くように、と望んだだけ」

 

「ウソ! ウソよ、そんなこと。

 そんなことあるわけないわ!」

 

彼女の怒鳴るような声に、少女はそれっきり何も言わず、彼女のサファイアのような瞳を見つめるだけです。

少女の細い眉も、小さな唇も、白い頬も、ぴくりとも動きませんでした。

時々、思い出したように瞬きすることさえなければ、まるで綺麗な綺麗な人形のようでした。

でも不思議なことにそうやって見つめ合っていると、彼女は自分でも気がつかないうちに、少女が本当のことを言っているのだと信じ始めていました。

 

『アタシの望みは、一番になること…

 でも、本当に……?

 本当に、そうなの?

 もし、そう望んだとして、それからどうするの?

 アタシはいったいどうなるの? どうしたいの?』

 

彼女には、もう何が何だかわからなくなってしまいました。

 

「ねえ、本当なの?

 本当に、アタシのところに行けって、言ってくれた人がいるの?」

 

そう尋ねる彼女の声はちょっぴり震えて、すがるようでした。

少女はそれに、小さく、でもはっきりと頷きました。

 

「そう…

 そうなんだ……

 アタシを見ててくれる人がいるんだ。

 アタシは、独りじゃないんだ………」

 

彼女には自分の胸が、きゅうっと熱くなってくるのがわかりました。

 

こちこちこち と時間は静かに流れます。

 

しばらくして、少女が口を開きました。

 

「もう、時間がないわ。

 もし今決められないのなら、来年また来るわ」

 

「えっ?」

 

彼女は慌てて時計を見ました。

机の上に置かれている時計の短い針と長い針は、もう少しで12時のところで重なるところでした。

 

「その必要はないわ」

 

彼女は少女の方に向き直ると、きっぱりと言いました。

 

「アタシはもういいから。

 来年はどこか別のところに行って。

 アタシより、もっとあなたを必要としている誰かのところに、行ってあげて。

 それが、アタシの願い」

 

彼女の声は、いつものように元気良く、でもいつもよりちょっぴり優しげでした。

 

「わかったわ」

 

そう答えた少女の顔は相変わらずで、良くできた人形のようでしたが、彼女にはどこかしら笑っているように見えました。

それは、とても小さなものでしたが、とてもとても素敵な微笑みでした。

目に映る辺りのものが、じんわり滲んでくるのに気がついた彼女は、そのことを隠すように顔を背けると、慌てて目をごしごしと擦りました。

 

 

「あ……?」

 

彼女がちょっと赤くなった目を開いた時には、もうそこには誰もいませんでした。

 

彼女はしばらくの間、ぼんやりと立ち竦んでいましたが、ひょい と手を自分の頬に当てました。

 

「あれ?

 アタシ…?

 なんで?」

 

彼女は自分が何をしていたのか思い出せずに、じっと自分の手を見つめました。

 

「でも……」

 

彼女はわけがわからないまま、不思議そうに呟きます。

 

「なんか…、

 

 悪くない気分ね……」

 

その白くて細い指先は暖かく、そして優しく濡れているのでした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

少女はその紅い瞳で夜空を見上げました。

大きな大きな満月は、ほとんど彼女の真上にありました。

彼女は少しの間、月の光を浴びていましたが、ゆっくりと夜の柔らかな空気を吸い込むと目の前のドアを開けました。

 

かちゃり、と小さい音が鳴りました。

 

「お帰り、綾波」

 

一人の男の子が、彼女を迎えました。

 

「ただいま、碇君」

 

二人は並んで彼女たちの小さな部屋に入りました。

 

「今夜は、どうだった?」

 

少年の問いかけに、彼女は水色の髪をゆらゆらと揺らしながら、首を小さく横に振りました。

 

「そう…。

 でも、また来年があるよね」

 

そう優しく言う少年に、今度はこくんと首を縦に振りました。

 

「待ってて、もうすぐご飯の用意ができるから」

 

そう言って少年はお鍋の前に立ちました。

そこでは、くつくつくつ とシチューが音を立てていました。

少年がゆっくりとそれをかき混ぜる度に、辺りは美味しそうな匂いでいっぱいになります。

彼女は黙って少年の横顔を眺めていましたが、窓から射し込む月の光で時間が後ほんのちょっとだけ残っていることを確かめました。

そして、彼女は他の誰のためでもなく、ただ自分のために、目の前の少年の願いを叶えてあげることにしました。

 

「あ……」

 

少年がちょっとびっくりしたような声を出しました。

 

彼女は少年の柔らかな頬に、小鳥のついばむようなキスをして、そっと微笑んだのでした。

 

 

頬を赤くした少年を見つめながら、

その黒い瞳に写る自分を見ながら、

今夜訪れた色々な人を思い出しながら、

彼女は思うのでした。

 

 

 

このとても綺麗な月の下で、一番素敵な夜を過ごしたのは私なのかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 

========

どうも、Kitaです。 10回目の投稿になります。 (話としては、7個目になります)

さて、今回先ず言っておかなければならないのは、(お気付きの方も在ろうかと思いますが)このストーリーには元ネタがあります。

私がもう何年も前に読んだ短編(もしかすると、テレビで見たものかもしれません)を元ネタとして使わせていただきました。

作者、タイトルともはっきり覚えていない(確か、星新一氏のSSだったと思うのですがはっきりしません。情報求ム)のですが、大まかなストーリーだけは「良い話だなあ」と印象に残っていました。

思いっきりの超反則なのですが、どうかご容赦を。

前回送らせていただいた「透明な時間」がモズ(トビだっけ?)が枯れ木の枝に突き刺したまま忘れ去られたカエルなみに“乾いた”話だったもので、「なにがなんでも“心温まる”ヤツをやってやるっ!」と決意したのですが、これがもの凄く難しい。

どうしてもストーリーが浮かばず、こういう“外道”なことをしてしまいました。 すみません。

 

そういうわけで、今回は(今回も)ストーリーには何の工夫もありません。(もちろんKitaとしては、です)

小細工としては今回の目標“心温まる童話”のために、言葉遣いをそれっぽくしたこと(うわっアリガチ!)と各パート毎のヒロインを“彼女”で統一してみました。

何とかこれでちょっとは“奇妙”な感じが出てればいいのですが。

 

それでは、こんな反則話を読んで下さった皆様、2年以上もの間こういう楽しい場を作り続けて下さっているみゃあ様、どうもありがとうございました。

失礼します。

(99.9.17)