透明な時間 partA

 

 

 

 

 

私は部屋であぐらをかいて、新聞を読んでいた。

ベランダの窓からの日差しは、レースのカーテン越しに私の首筋を焦がそうとしていたけど、エアコンはつけない。

どうもあの不自然な風は好きになれない。(足首の関節が痛くなるし)

窓を大きく開けて風を呼び込めば、それはそれで結構気持ちがいいものなのだ。

 

仕事は生理休暇ということで、今日はお休みと決めていた。

休暇届を提出したときの課長の顔は、相変わらず私を苛立たせたが、気にしない。

本当は何でもなかった。

単に休みたかっただけだ。

本当にくるときは、なかなか休めないけど(やっぱり恥ずかしいのだ)ウソを付くときには全然平気。

おかしなもんだ、と自分でも思う。

 

そんなときに“あれ”が起こった。

私はひどく、驚いた。

これまでにも何度か経験していたことだったが、今回はそれが起こるような原因が全く無かった。

少なくとも私には心当たりがなかった。

 

それは重くうねるような楽器の音。

もちろん私の頭の中だけに響き、何かを思い出させようとし、何かを伝えようとする。

それは圧倒的な存在感で、息が止まり頭がくらくらする。

 

私は混乱したまま、何がスイッチを入れたんだろう、と床に広げた新聞に目を奔らせる。

 

 

 

どこかの役人が、どこかの企業から賄賂を受け取っていた。

 (その人はやたらと小難しい名字の持ち主で、私には読めなかった。)

緩やかなカーブを曲がりきれず、ガードレールをめちゃくちゃにした車があった。

 (もちろん、スピードの出しすぎが原因だ。)

外国の大臣が『極めてデリケートな諸問題』を話し合うため来日していた。

 (私のその国についての知識は、ノート半ページを埋めることもできない。)

動物園で白熊の赤ちゃんが来週に一般公開されることになっていた。

 (できれば写真が欲しかった。)

 

 

そこには“日常”があった。

それだけしかなかった。

 

 

なんだろう?  何が今の私にあの“音”を聴かせるのだろう?

 

 

私は理由を探すのを諦めて、目を閉じた。

午後の日差しは目を閉じていても明るいとわかる。

乗用車が近くの路を走り抜けるのが聞こえる。

 

 

静かで、落ち着いていて、退屈で、平凡な、時間。

それなりに忙しい日々を送っていると、時々こうした時間がどうしても必要になる。

(その度に私は“排卵日”を向かえる)

 

 

そんな時間の真ん中で、床にぺたんと座り込む私は、その“音”にゆっくりと耳を澄ませる。

そして、いつものように浮かび上がる3人の少年少女。

 

 

 

惣流 アスカ ラングレー

綾波 レイ

碇 シンジ

 

 

 

 

 

 

それを聴いたのは、10年ほど前。

私は中学三年生だった。

 

 

 

 

 

 

 

それは放課後のこと。

私は学校の玄関先で何人かの友達と、おしゃべりに夢中になっていた。

気が付くと日が沈み始めていた。

そろそろ帰ろうか、という時になって教室にノートを忘れたことに気が付いた。

放って置いてもいいかなとも考えたが、友達の一人が明日までの宿題があることを教えてくれた。

 

しょうがない。

 

「じゃあ 私、とってくるから。 またね」

「うん それじゃあね」

「バイバイ」

「またアシタ」

 

そんな礼儀正しい(少なくとも私たちにとっては規定道理の)やりとりの後、私は一人で階段を上がっていった。

 

その時だった。

微かに弦楽器の音が聞こえたのは。

運動場でサッカーをやっているらしい男子達の歓声に混じって耳に届くそれは、奇妙に非現実的なように思えた。

ほとんど聞こえるか聞こえないかの微かな音で、どこから流れてくるのかわからなかった。

でもそれは確かに、ゆっくりと静かに辺りを漂っていた。

 

私たちの教室は3階にあったのだけれど、私はその音を確かめてみたくなり、4階へと上がった。

 

4階の階段を上がってすぐ右、廊下の突き当たりには音楽室がある。

そこ以外思いつくような場所はなかった。

なぜだか足音を忍ばせて、階段を一段ずつ上がる。

上履きのゴム底がキュッキュッと鳴るのがはっきりと聞こえ、自分の心臓が訳もなくドキドキしているのがわかった。

 

音はちっとも大きくなったようには感じられなかったけど、読みは当たっていた。

 

 

そして音楽室前には、先客がいた。

 

それが「惣流 アスカ ラングレー」と「綾波 レイ」だった。

 

 

 

 

 

 

2人は一ヶ月ほど前転校してきた私のクラスメートだった。

別に親しくはなかった。

それでも2人の噂はうんざりするほど聞いていた。

 

 

無理もない。

2人とも、もの凄く(それこそウンザリするほど)綺麗な少女だった。

 

紅いロングヘアーに蒼い瞳の惣流 アスカ ラングレー。

水色のショートカットに赤い瞳の綾波 レイ。

2人とも個性的というか、ある意味“異様”な容姿の持ち主だけど、それだけじゃない。

それぞれが持つ、空気というか臭いというか、“何か”が特別だった。

たぶんそれのせいなのだろう。

クラスメート達(もちろん私も含む)はこの2人に強く惹かれ憧れもしていたけど、彼女たちが近くにいるとどこか落ち着かなかった。

クラスに馴染んでいないと言うわけでもなかった(特に明るい惣流さんは人気者だ)けど、何かが違うと思わせるのだ。

 

彼女たちにはそう言ったタイプの綺麗さがあった。

 

 

 

 

 

 

窓から夕日が射し込んで、2人の少女を照らしていた。

その姿は本当に凄かった。

特別なことをしてたわけじゃない。

ただ、そこに、いるだけ。

綾波さんは廊下の窓にもたれて、立っていた。

そこからちょっと離れた音楽室のドアに、同じように背中を預けた惣流さんがいた。

そのドアは少しだけ開けられていて、そこからあの音が漏れていた。

 

「うわ…」

私は小さく声をあげていた。

それは信じられないぐらいロマンチックな風景だった。

うつむき加減の惣流さんの前髪がキラキラしていて。

そおっと目を閉じている綾波さんのまつげが長くて。

私が今まで何十回、何百回と歩いた廊下の突き当たりは、どこか別の世界のような気がした。

 

 

 

 

 

 

    異邦人

 

 

ここは私がいていい場所じゃないのかもしれない、と思った。

 

 

 

 

 

 

私の声に2人はちらりと視線を寄越しただけで、何も言わなかったし、動こうともしなかった。

それは歓迎的なものでもなかったけど、別に拒絶している風でもなかった。

私はそれに甘えて、そこに居続けることにした。

 

 

演奏は途切れることなく続く。

 

 

首をちょっと伸ばしてドアの隙間を覗くと、独りチェロを弾く男子がいた。

後ろ姿がちらりと見えただけだったけど、それが誰かはすぐにわかった。

 

「碇 シンジ」

 

彼女たちの姿を見たときから何となく想像は付いていた。

彼女たちと一緒に転校してきた男の子で、彼も何かと噂が多かった。

もちろん、2人の女の子と一緒にいるときが多いのが理由だ。

(「どうして同じクラスに3人も転校生が来るのか?」これもみんなでずいぶん話したものだ)

付け加えるなら、彼(と彼女たち)は私たちより一つ年上だった。

何でも事情があって、留年したということだった。

それ以外は実に平凡で、おとなしく目立たない。

彼がチェロを弾けるなど想像したこともなかった。

 

『人って見かけによらないわよね』

そんなことを考えていたが、不思議と違和感はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうも Kitaです。6度目です。このお話はもう少し続きます。たぶんあと1回か2回。

細かいコメントは後ほど、ということで。

それでは、失礼します。