透明な時間 partB

 

 

 

 

 

私はクラシック音楽が好きじゃない。

同じ事の繰り返しで、勿体ぶっていて、やたらと饒舌なクラシックは何だか退屈だ。

もっとノリの良い曲が好きだということの他に、もう一つの理由もあった。

2年生の時、クラスにクラシック鑑賞が趣味だという人がいたのだ。

その男の子(私が付き合っていたボーイフレンドの友人だった)は気障なやつだった。

喫茶店に行くと(もちろん2人きりで行ったことは一度もない)メニューも見ずに「コーヒー、ホットで」と言い、これ見よがしにブラックで飲むようなタイプ。

 

「この前の休みにチャイコフスキー買ったんだけど、あれイマイチだったな」

などと、訊かれもしないのに、よく周囲に“報告”していた。

彼を特別嫌っていたわけではないけど、そういった発言は私をげんなりとさせる。

そこには、わざとらしさの臭いがする。

 

『やれやれ、この人はクラシックを聴くのが好きなの?

  クラシックが好きだと人に聞かせるのが好きなの?』

 

そんなことを考えていた。

 

そんなこともあって、私はクラシックが嫌いと言うより

クラシックが好きだと言う人が好きになれなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

でも、夕日に照らされながら、2人の少女と一緒に立ったまま聴く演奏は素敵だった。

上手いのか下手なのか、私には聞き分けられない。

そんなゴリッパな耳は持ってない。

そもそも、流れているのが何という曲なのかわからない。(そのことを私は、ほんの少し、残念に思った)

私は聞こえてくる音ではなく、そこに漂う“空気”に酔っていたのだと思う。

 

静かな、静かな時間だった。

 

 

 

 

 

 

終演は突然訪れた。

いつ終わったのか、気が付かないほど突然だった。

私はいつの間にか目を閉じていたらしく、慌てて目を開くと、もうチェロの音は途切れていた。

変わりに聴いたことのない異様な音が聞こえた。

 

それが、押し殺した泣き声だと理解するのに、少し時間がかかった。

惣流さんの背中越し、ドアの隙間から碇君の背中が震えているのが見えた。

 

チェロを抱きしめるように、チェロにすがりつくように、震える、背中。

 

 

 

 

 

 

   許せない、と思った。

 

 

頭にかっと血が上り、私は音楽室に踏み入ろうとしていた。 

いつもの私には考えられない。

泣いている人間(それも一人で泣いている“他人”)に近付くなんて、普通なら絶対にしない。

そんな人を見かけたら見て見ぬ振りをするぐらいの臆病さとデリカシー、それに用心深さなら私だって持ち合わせている。

 

 

でも、それは特別だった。

重くて、暗くて、空っぽな声。

 

私には耐えられなかった。

 

男だろうと、女だろうと。

大人だろうと、子供だろうと。

人はそんな風に泣くべきじゃない。

絶対に、絶対にそんなことをするべきじゃない。

そう、思った。

 

 

 

 

 

 

よろめくようにドアへと足を踏み出すと、惣流さんが邪魔をした。

手をいっぱいに広げて、唇を強く強く噛みしめて、きつい視線で私の前に立ちふさがる。

 

動けなかった。

 

彼女は必死だった。

一言も言わずに、彼女が身に纏っているもの、彼女の中にあるもの、全部を使って私を止めた。

 

『どうして?! あの人はあんなことしてるのに。

         あなただってこんな顔してるのに!』

 

そう、叫びそうになった。

 

その時、綾波さんが私の腕を掴んだ。

掴むというより、そっと触れるかどうかぐらいのさわり方だったのだろう。

それでも、私には制服越しに彼女の手のひらの冷たさがはっきりと感じられた。

 

「いきましょう」

綾波さんはそのまま唇を寄せると、私の耳元で囁いた。

その抑揚のない小さな声は、私に与えられた時間が終わったことを明確に告げた。

 

惣流さんは背を向けたまま、静かにドアを閉めた。

たったそれだけで、完全防音の扉は彼の“声”を完全に遮断していた。

それはガラスの小瓶に閉じこめられた小人を思わせて、とてもかなしいことだった。

それなのに私は彼女たちとその場を去った。

 

 

 

それ以外どうすればよかったんだろう?

 

 

 

 

 

 

結局、帰り道の途中まで私たちは一緒になった。

正直なところ、教室まで一緒に行き鞄を持ったら(私の場合はノートを回収したら)そこでお別れのつもりだった。

ところが、運の悪いことに(その時の私にはそう思えた)、家までの方向が同じだった。

2人とも押し黙ったままで、何もしゃべろうとしない。

はっきり言って気まずいなんてもんじゃない。

 

何を話せと言うんだろう?

昨日テレビで見た「パラダイス・サマー」について話せとでも?

それとも、明日の宿題について? レイノルズ・ハマーとフェイ・リンの離婚について?

やれやれ、そんな話をするぐらいなら「どんぐりころころ」を歌ったほうがまだましだ。

ひょっとしたら2人とも合唱してくれるかもしれないし。

そんなことを考えていた。

 

だからといって、「あっ 私、用事があったんだ。悪いけど、先 行くね」などと、ウソにもならないウソを付くのは、なんだかどうしようもなく、くやしかった。

 

私たちは3人で横一列に並び、無言でてくてく歩いていた。

 

私は自分にやましいことはないと確信していた。

惣流さんも綾波さんもただ静かにしているだけ。

それなのに、私はサスペンスドラマの一場面を思った。

 

 

 

 

 

 

『そうですか、いやあ大変でしたねえ』

 

『ところで、昨夜の10時頃はどちらの方に?』

 

『いえいえ、何もあなたのことをどうこう思ってるわけじゃないんですよ』

 

『これも決まった手順というやつでして』

 

『私としてもこんな事を訊くのは心苦しいんですがね』

 

『ほう、なるほど』

 

『できれば署の方で詳しくお聞かせ願いたいんですが』

 

『まあ、そう言わずに』

 

『いいえ、違いますとも』

 

『あくまでも、参考人としてご協力をお願いしているだけです』

 

『簡単な書類をまとめるだけなんですから』

 

『ね、お願いしますよ』

 

 

 

 

  やれやれ。

 

 

      おいけにはまってさあたいへん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうも、Kitaです。7回目の投稿、「透明な時間」の第2回です。

後1回で完結です、たぶん。

それでは、失礼します。