透明な時間
partD
*
次の日からも何も変わったことはなかった。
それは私を安心させてくれることではあったのだけれど、とても理不尽なことのように思えた。
惣流さんは華やかで、綾波さんは物静かで、碇君は目立たない。
いつものように、3人で登校してきて、授業を受けて、お昼ご飯を食べて、休み時間にトイレに行った。
もちろん、(授業を除けばということだが)音楽室には近づきもしなかった。
唯一変わったと言えるのは、惣流さんと綾波さんが朝、教室にはいるときに「あなたのこと知ってるわよ」という種類の視線を寄越すようになったと言うだけだ。
それも、私が彼女たちに注目しているせいで、目が合うようになっただけなのかもしれない。
碇君は私に気を止める様子すら見えなかった。
まあ、当然のことだ。
私は自分を納得させた。
私は、ただの通りすがりなんだから。
ちょっとした巡り合わせで迷い込んだだけなんだから。
(碇君にいたっては私が“居た”事さえ知らないのだ)
あの人達にどんなトラブルがあるのか、もしくはあったのか。
それはわからない。
きっともの凄いことなんだろう。
そうでなければあの音楽室前の廊下をあんな風に、完璧に研ぎ澄まされた不安定な場所に、できるわけがない。
だけど私は私で、それなりに「私のトラブル」を抱え込んでいる。
きちんと中学生をやってみせるというのは結構大変なのだ。
他人のトラブルにまで首を突っ込むのは面倒だし、大きなお世話というモノだ。
そう思えるまで、2週間かかった。
そして、もちろん、私は間違っていた。
*
『たとえ仮初めにだとしても、一度“そこ”に入ってしまったら、振り払えない“場所”があるんだよ』
ウイスキーグラスを片手に、そう言ったのは誰だったろう?
フィリップ・マーロウ?
ロバート・クラヴァン?
サム・スペード?
ファイロ・ヴァンス?
リュウ・アーチャー?
私はもう、そんなことさえ忘れてしまった。
*
お昼ご飯を食べた後の昼休み。
学校は嫌いだけど、これほど楽しい時間はそうは無い。
いつものメンバーでいつもの窓際に集まって、いつものようにおしゃべり。
「それでさあ、私は言ってやったのよ……」
メインはリカ(私とは小6からのつきあいだ)だった。
彼女はちょっとびっくりするぐらい髪を短くカットしていて、いつもパワフルで楽しい。
日曜日の街で、声をかけてきた高校生の男の子をどうやって追っ払ってやったか。
彼女の“武勇伝”に私たちはけらけら笑った。
『ああ、楽しいな』
バカみたいに、心の底からそう思った。
本当に、最高に、楽しかった。
突然、風が吹いた。
『え?』
空気の流れじゃなくて、もっと硬くて、冷たくて、生々しい“何か”が、何の前触れもなく私の中を吹き抜けた。
それは圧倒的だった。
泣くことも、倒れることもできやしない。
教室がどんどん大きくなって、空気がどんどん薄くなっていく。
すうっと周りの音が小さくなっていった。
『ああ どうしちゃったんだろう?
どうしてこんなふうになっちゃうんだろう!』
空気を求めて喘ぐ。
パニックになりかけていた。
打ちのめされて、ぴくりとも動けない。
視線だけが、助けを求めて、教室を必死でさまよう。
その時、後ろの方の席にいた碇君がひょいと顔を上げ、目が、合った。
それはきっと、なんでもない単なる偶然だったと思うのだけれど、ひょっとしたら私は無意識のうちに彼に向かって悲鳴を上げていたのかもしれない。
そういうタイミングだった。
良く晴れた昼下がりの教室に似合う彼の何でもなさそうな顔とまっくろな眼。
それを見た瞬間、耳の奥で疼くように木霊しているのが音楽室前のあの“音”だとわかった。
私は、理解した。
「ひとりぼっちだ」
どんな時間も終わる、と知った。
常識的に考えれば、当たり前のこと。
3年生の私たちは一年後、違う場所で、違う制服を着る。
何より、10分もしたら退屈な午後の授業が始まる。
でもそうじゃない。 それだけじゃない。
みんな変わっていくんだ。
みんないなくなっちゃうんだ。
一日ごとに、一秒ごとに。
それは「孤独感」とか「寂寥感」みたいに立派で、どこかロマンチックな香りのするものじゃない。
『だから、
みんな、“ひとりぼっち”なんだ』
そして、私も“含まれて”いると知る。
彼が泣く理由だという“みんな”に。
夕立の雷に打たれるように、湖の霧が晴れるように、確信する。
居合わせただけの私はもちろん、
そっと耳を澄ませる2人にも気付かず泣いていた。
少女達のスカートからどんなに素敵に足が伸びていたのかも
綾波さんの堅めに閉じられた唇のいさぎよさにも
惣流さんの軽く握りしめられた手のしなやかさにも
目眩を起こしそうなほど綺麗に差し込む夕日の紅い色にさえも
何も気付かず、たった一人で、泣く少年。
「私は“そこ”に含まれている」
*
机に腰掛けた男の子の甲高い話し声
ひそひそと囁き合う女の子2人組
鞄の奥から引っぱり出されたトランプ
微かに漂うお弁当の唐揚げの臭い
コンパスで机に彫られたロックグループのロゴマーク
マンガを回し読みする男の子たち
英語の文法がうっすらと残った黒板
運動場から聞こえるバレーボールの歓声
汗とシャンプーの香りを放ちながら笑う友人達
そして、立ちすくむ私。
「……ねえちょっと…」
そんな私を不審に思ったのだろう。
「ねえ、どうしたの? だいじょうぶ? ねえってば…」
リカがどこか遠くから、
私の知らないどこか遠くの場所から、
私を呼ぶのが聴こえた。
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どうも、
Kitaです。9回目の投稿になります。そして、「透明な時間」の4回目です。(今回で「透明」はおしまいのつもりです)
さて、今回のお話の目標は「マトモなやり方でやってみよう。しかも
EVAパロディで最もポピュラーなシンジのチェロネタで」です。(「これのどこがまともなんだ?」と思いの方、甘いですね。私がこれまで送らせていただいた他のシリーズを見てください。どれだけまともかお判り頂けると思います)
しかし、ストーリーというモノが事実上存在しない以上、なんにも無しでは余りにあれなので、もう一つの目標として「淡々としていて取り留めのない雰囲気を狙ってみよう」があります。
そのため今回の小細工としてあちこちに“ムダ”をちりばめてみました。
一応、私の頭にあったのはタランティーノ映画。(自分で言ってて恥ずかしいですけど)
もちろん今回のお話はパルプフィクションとは全然違うモノを狙ったつもりです。(パルプと違って最後までまとまってませんしね!)あくまでも小細工の元ネタとしてです。
パルプフィクションの“ロイヤル・ウィズ・チーズ”などの“無駄話”。(まあ、今回の場合は会話ではなく、心象風景でのことが多いですが)やたらとしつこいディテール描写。いきなり割り込む小話。
「これで、“ズレた”感じが出てると良いなあ」と思いながら書いていました。(でもちょっと、やりすぎたような気もします)
どうでしょう?
それでは、こんなにダラダラした話を読んで下さった皆様、それを掲載してくださるみゃあ様、本当にありがとうございました。
失礼します。
(99.6.10)