CCさくら+らぶひな

■Melodies&Memories■

 

作・まなてぃさま


 

 

  ―しのぶ・・・しのぶ・・・

 

  だれ?

 

  ―しのぶ・・・

 

  あなた、だれ?

 

  ―しのぶ・・・、これからは、自分のことは、自分で、守らなきゃ、ダメよ・・・

 

  えっ・・・

 

 ハッ。しのぶは起き上がった。誰・・・だったのだろう・・・?しのぶはさっきまで見

ていた夢を思い返した。セミロングでソバージュ・ヘアの若くて綺麗な女性が、自分に何か

語りかけていた・・・。そんな夢だった。しかし、しのぶには、その女性が誰なのか、全

く見当が付かなかった。だが、その女性には、何処か心休まる、母のようなぬくもりがあ

った。

 しのぶはベッドから出て、制服に着替えた。そして、部屋から出ようとしたとき、ふと、

机の上にある写真立てに目がいった。机の方に歩み寄り、その写真立てを手にとった。

「李くん・・・。試合、どうだったのかな・・・?」

その写真立てには、しのぶと小狼が共に写っている写真が飾ってあった。

 

 小狼は今、サッカー・U−17香港代表のメンバーとして、世界大会が開かれているイン

グランドにいた。つい先刻、予選リーグの最終戦が終わり、香港代表は小狼の1ゴール1

アシストの活躍で、2対0で南アフリカ代表に勝ち、見事予選リーグを突破したのであっ

た。地区予選を勝ち抜いただけでも奇跡的だったのに、本大会の予選リーグをも突破でき

るとは誰もが夢にも思っておらず、スタジアムを後にしてもその興奮はおさまらなかった。

いつもはクールな小狼も例に漏れず、チームメート達と喜びを分かち合っていた。ホテル

に着き、自分の部屋に戻ろうとしたその時、少女が1人、自分のほうをじっと見つめてい

ることに、小狼は気付いた。「あっ、あれは・・・」小狼は、その少女に見覚えがあった。

その少女は、香港代表の試合を1試合も欠かさずスタンドから静かに見つめていた少女だ

った。あれほどの観衆の中からどうして彼女だけを識別できたかは分からない。ただ、ピ

ッチに立つと何故か吸い込まれるように彼女のほうに目がいってしまうのであった。

その少女は、にこっと小狼に微笑みかけた。小狼は彼女のほうに歩み寄った。

「ナイス・プレー、だったわ。予選突破、オメデトウ」少女は穏やかな口調で語りかけた。

「いつも、応援、してくれて・・・ありがとう・・・」小狼は少し照れた表情を見せた。

「また、スタジアムで、会いましょう」少女は再び笑顔を見せ、踵を返した。

「おい!」小狼は声をかけた。「君、名前は・・・?」

少女は振り返ると、「そのうち・・・、そのうち、また、会えるわ」と言い、小狼にウイン

クをしてみせると、エレベーターの中に消えていった。小狼は少女の後ろ姿をじっと眺め

ていた。ドクッ、ドクッ、ドクッ・・・。あ、あれ・・・。小狼の心臓が急に高鳴りだし

た。何だか、急に、熱く感じた。お、俺、一体、どうしたんだ・・・。小狼は、何か不思

議な「魔法」にかかったかのように、その場に立ち尽くした。

 

 3日後のベスト16。対戦相手は、地元・強豪のイングランドだった。前半23分に小狼

のコーナー・キックから先取点を挙げた香港代表だったが、すぐに追いつかれ、その後は一

進一退の攻防が続き、ついに決着はPK戦にまで持ち越された。最初のキッカーは、小狼

だった。小狼はスタンドを見回した。しかし・・・、さっきまでいたはずの、あの少女が、

見つからないのだ。小狼は再度、見回した。やはり、いなかった。そうこうしているうち

にホイッスルが鳴った。小狼は集中しようと努めた。が、ボールは枠を外れ、結局、香港

代表はベスト16で敗退した。

 

 「小狼、世界選手権、ベスト16、オメデトー!」

 久しぶりに登校してみると、小狼はクラスメートの盛大な祝福を受けた。「テメェ〜、チ

クショ〜、スゲーことやらかしやがって!」雄太が小狼の首を抱え、頭を手荒く掻き回し

た。「やっぱり、私の小狼ね!」苺鈴が小狼に抱きついた。「李くん・・・、おめでとう・・・」

しのぶが小狼に花束を渡すと、小狼は顔を真っ赤にして照れ臭そうに受け取った。

 その様子を、知世は微笑ましく見ていたが、ふと、横を見ると、みんなが騒いでいる中

で、1人、浮かない顔をしている者がいた。

 「さくらちゃん・・・。どうかなされましたか?」

さくらはいつもと違った、暗い顔をして、下をうつむいていた。知世の声に気付くと、急

に作り笑いをして、「ううん・・・、な、なんでもないよ・・・。す、すごいね、李クン」

と、たどたどしく言った。

 ガラガラガラ。教室の戸が開くと、担任の歌帆が入ってきた。すると、さっきまで騒い

でいた者たちが、一斉に席についた。

 「今日は、みんなに、新しいお友達を紹介します」

 歌帆の発言に、クラスが再度、ざわめいた。

「今時転校生なんて、珍しいわね」苺鈴が冷めた口調で言った。確かにそうだ。この時期、

転校生なんて・・・。さくらは、漠然とした不安に襲われた。そして、歌帆を見た。歌帆

の目は、力強く、何かを訴えているようだった。やっぱり・・・、これから良くないこと

が起きるのかもしれない・・・。さくらはそう確信した。

 「武者小路さん。どうぞ、入ってきて」

 クラス全員の視線が入口に注がれた。転校生がゆっくりと姿を現す。その全容が明らか

になった時、男子の間から「おおー!」というどよめきが沸き起こった。その転校生は、背

が高く、髪が長く、色白で、切れ長の、きりっとした目が特徴の、綺麗な少女であった。

いや、少女というよりかは、すでに大人の雰囲気が漂っていた。

 「武者小路、忍、です。皆さんよろしくお願いします」

少女は礼儀正しく深々とお辞儀をすると、ニコッと澄んだ笑顔を見せた。それを見た男子

生徒は、一斉に歓声を上げた。しかし、彼女のその笑顔は、実は、ある特定の人物に向け

られたものだった。

 「アイツ・・・」

 小狼はその少女に見覚えがあった。いや、はっきりと覚えていた。彼女は、イングラン

ドで出会った、あの少女だった。小狼は彼女と目が合った。ドキッ。小狼は咄嗟に視線を

はずした。何故だか分からない。ただ、彼女の目を凝視することができなかった。見つめ

ていれば、彼女の目の中に吸い込まれそうな気がしたのだった。

 

 朝のホーム・ルームが終わると、武者小路忍の周りには、何重もの男子達の輪ができた。

しばらくすると、武者小路忍は何やら思い立ったように立ち上がった。そして、人だかり

を抜けていき、ツカツカと歩を進めた。

 「また、会えたわね」

忍は小狼の前に立った。小狼はまた、目をそむけた。忍は、スッと手を差し出し、

 「私の名は、武者小路忍。よろしくね、李小狼君」

と、笑顔を浮かべながら言った。小狼は初めはひどくまごついていたが、がっちりと忍の

手を握ると、忍の瞳を見つめた。澄んだ、綺麗な目だった。

 「ああ・・・。ヨロシク・・・」

そう言うと、忍は再度微笑んだ。その笑顔は、何とも愛らしく、素敵なものだった。

 「小狼!テメェ〜、いつの間に武者小路さんと仲良くなってたんだよ〜!」雄太を初め

とする男子生徒が、小狼にカラんできた。「ちょっと、あなた!私の小狼にちょっかい出さ

ないでよね!」今度は苺鈴が忍につっかかってきた。小狼の周りが急ににぎやかになり始

めた。

 

 「李君。武者小路さんとお知り合いみたいですね」

知世は少し小さな声で話した。

 「う・・・うん・・・」

しのぶがうつむいたまま、声を漏らした。

 さくらは横目でチラッとしのぶを見た。しのぶは、暗い表情をして、うつむいていた。

しのぶちゃん、どうしてそんなに、悲しそうな顔、してるの・・・。さくらまで悲しい気

持ちになってきた。さくらは騒ぎの中心を見た。そこには、みんなに囲まれてじゃれあっ

ている小狼と、そして、あのコがいた。さくらの中に、怒りにも似た気持ちがふつふつと

湧いてきた。

「さくらちゃん!」

 さくらはツカツカと騒ぎの輪の中に入っていった。

 「李クン、ちょっと!」さくらはいきなり小狼の腕をつかんだ。「な、なんだよ・・・!」

小狼が驚いた表情を見せた。「いいから!」さくらは鋭い声を発すると、小狼の腕を引っ張

って教室を出て行った。それを見ていた者たちは、あまりの出来事に呆気に取られていた。

 

 「李クン!あのヒトとどういう関係!?」

 小狼を屋上に連れて行き、さくらが強い口調で尋ねた。

 「どういう関係って・・・お前・・・」小狼は言葉を濁した。

 「答えて!」さくらはいつになく厳しかった。鋭い目でジッと小狼のことを睨みつけてい

た。その面持ちはただならぬものがあった。小狼は、ここまで怒り狂ったさくらを見たこ

とがなかった。

 「サッカーの世界大会の時・・・、いつも応援にきてくれて・・・。それで、知り合い

になって・・・」

 「えっ・・・」小狼の言葉を聞いたさくらは、表情を曇らせた。「り・・・李クン。それ

で、なんにも、思わなかったの?」

 「え・・・、な、何を?」小狼にはさくらの質問の意味が分からなかった。

 「だっておかしいじゃない!こんなこと、偶然じゃ起こんないし・・・、きっと、あのコ、

李クンのこと付け狙ってたのよ!」

 さくらの言葉を聞いて、小狼はハッと思い出した。

   ―そのうち・・・そのうち、また、会えるわ

 確かに、彼女との再会は偶然ではないのかもしれない。だが、それがどうしたというの

だ。彼女が、自分の、ファンだったから、ということもあり得るではないか。小狼はそう

思った。いや、そう思いたかった。心の何処かで、「彼女が自分のことを好きでいてくれた

ら・・・」と思っていた。

 「それに・・・」さくらが再び口を開いた。「あのヒトの気配・・・。あれって、かなり

の『力』の持ち主だよ!気を付けた方がいいって!」

 「え・・・」小狼はさくらの言葉に一瞬、驚愕した。「李クン・・・。もしかして、気付

いてなかったの?」

 「俺は何にも感じなかったぞ」

 「あのヒト、絶対、何か企んでる!何か、すごく、不吉な予感がするの・・・。だから、

李クンもあのヒトに近づかないほうがいいよ!」

 「そんなはずはない!」小狼は、突然、大声をあげた。「あのヒトは悪い人じゃない!あ

のヒトのことを悪く言うな!」

 「李クン・・・」小狼の予想外の反応にさくらは驚いた。事実、小狼自身も、何故そんな

ことを言ったのか、正直、分からなかった。ただ、彼女のことを悪く言われたことが、無

性に腹が立ったのだ。

 「もうイイ!勝手にすれば!」さくらは小狼に愛想を尽かし、小狼を押しのけ、屋上から

出て行った。ドアのところにさしかかったとき、さくらはふと足を止め、振り返った。

 「あと・・・、しのぶちゃんの前で、あんまりデレデレ、しないでよね!」

 そう言い残すと、さくらは階段を駆け下りていった。

 「なんだ・・・、アイツ・・・」1人残された小狼は、ポカンとした表情をしていた。

 

 「ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、お肉・・・。それに、カレールー。よーし、今日もお

いしい料理、作るぞ〜!」

 夕食の材料の入った袋を両手に持ち、しのぶはルンルン気分で道を歩いていた。

「ん・・・?」しのぶの前から、バイクが1台、ものすごいスピードで走って来た。しの

ぶは初め、あんなにスピード出して、危ないよ・・・、と思った。しかし、そのバイクは、し

のぶの方にまっしぐらに走って来た。「えっ!」しのぶの顔が青ざめた。バイクは、まるで

コマ送りのように、徐々に近づいてくるように思えた。しのぶは、あまりの恐怖に、声も

出ず、その場に凍りついた。バイクはもう自分の目と鼻の先にまで迫っていた。

  ―危ない!

 バーン!しのぶは、そのバイクに跳ね飛ばされた。しのぶを跳ね飛ばすと、バイクはそ

のまま、猛スピードで走り去った。しのぶの身体は天高く舞い上がったが、何故か、ゆっ

くりと地面に着地した。「キャアー!」事故の様子を見ていた中年女性が、ものすごい悲鳴

をあげた。「ちょ、ちょっと、お嬢ちゃん、大丈夫!」その女性は声をかけたが、しのぶの

反応はなかった。「きゅ、救急車!救急車!」その女性は電話をかけるべく、近くの民家に

駆け込んだ。辺りには、ジャガイモや、ニンジン、玉ねぎが散乱していた。

 

 「そ〜れ!」

 さくらはテニス部の練習に励んでいた。中学総体の県予選がもう間近に迫っていた。練

習相手の三原千春がサーブを打つ体勢に入った。

 ピキン!

 さくらは何かを感じ取った。すると、背中の方が何かゾクゾクして、気持ち悪い気分に

なった。

 バシッ!微動だにしないさくらの横を、ボールが素早く駆け抜けていった。

 「さくらちゃ〜ん、どうしたの〜?」千春の声は、さくらには届かなかった。すると、さ

くらは、いきなりコートから走り去った。

 「木之本さん!」顧問の歌帆がさくらを呼び止めた。だが、さくらはそれを無視して、練

習場を出て行った。

 嫌な予感がする!なんか、ものすごく嫌な予感が・・・。さくらはえもいわれぬ不吉な

予感に駆られていた。それが何であるのか、初めは漠として分からなかった。それが、時

間がたつにつれ、その予感はますます強くなり、しかもはっきりしてきた。

 「しのぶちゃんが・・・、しのぶちゃんが危ない!」

 

 「ほ、本当ですか!」

 クラブの練習が終わった後、小狼は監督に呼び止められた。

 「ああ。イングランドの名門クラブが、お前に大変興味があるみたいでな。是非ともお前

をスカウトしたい、といってきた」

 監督の言葉に、小狼はガッツ・ポーズをして喜びを表した。サッカーの母国、イングラン

ドからオファーが来るなんて・・・、小狼はまるで夢でも見ているかのような思いだった。

 小狼はウキウキしながらクラブ・ハウスを出た。すると、目の前には1人の少女が立って

いた。

 「イングランドからオファーが来たそうね。オメデトウ」

 その少女は武者小路忍だった。

 「お前・・・、どうして、それを・・・」

 「父がサッカー協会に勤めているの。だから・・・」

 忍の笑顔を見ると、小狼は、何故か、幸福感に包まれた。思えば、彼女に出会って以来、

自分の「運」がよい方向へと向かっていた。彼女に出会えて、本当に良かった、と小狼は思

った。

 「ねえ。これから2人で、お祝いパーティしない?」忍が小狼を誘った。

 「いいのか・・・?」一応、小狼は尋ねた。忍は、静かに、首を縦に振った。小狼は、ゆ

っくりと、忍に近寄った。忍の差し出した手を、小狼は優しく握った。

 

 ガラガラガラ・・・。

 次の日、小狼が学校に来てみると、みんなの様子がいつもと違っていた。みんな、小狼

に対して、どこか、よそよそしかった。

 小狼が自分の席に着いてみると、後ろの席―しのぶの席が空いていた。「あれ、前原は?」

その言葉を発すると、周りの空気が、一瞬、止まった。突然、さくらが立ち上がると、も

のすごい形相で小狼を睨みつけ、そのまま教室から出て行った。さくらの瞳は、涙でにじ

んでいた。

 「しのぶちゃん・・・。昨日、交通事故に遭われまして・・・」知世がか細い声で小狼に

言った。「李君には、何度も電話を差し上げたのですが・・・、お留守だったみたいで・・・」

 「小狼!昨日、どこ行ってたのよ!あちこち探したんだからね!」苺鈴が顔を真っ赤にし

て詰め寄ってきた。苺鈴にとってしのぶは、いわば「恋敵」なのだが、この際、そんなこと

言っている状況ではなかった。苺鈴も本気でしのぶの安否を心配していたのだった。

 「テメェ〜。しのぶが生死の境目を彷徨っている時に、一体何処、ほっつきまわってたん

だ!」

雄太が小狼の胸倉をつかんだ。小狼は雄太から視線をそらした。雄太の目を見ることが

できなかった。昨日―小狼は武者小路忍の家を訪れた。そして、彼女の手料理を食べ、彼

女ととりとめのない会話をし、それから・・・、そのまま彼女の家に泊まってしまったの

だった。

 

 「前原・・・」

 小狼は、屋上のフェンスに顔をうずめた。そして、昨日の自分の行いを心底、悔いた。

 「どうしたの・・・」

 そこに現れたのは、「忍」だった。小狼は彼女の目を見ることができなかった。忍は、小

狼の両頬を、優しく、触れた。

 「小狼・・・。こんなことでくじけてはいけないわ・・・。あなたは、今、一番大切な時

期なの・・・。この『試練』を乗り越えないと、一流の選手にはなれないわ」

 小狼は忍の目を見た。その目は、優しく、自分を包み込んでくれる温かさがあった。小

狼は、忍を、力一杯、強く抱きしめた。

 「忍・・・」

 そのとき・・・、忍は、ニヤリと、笑った。

 

 「しのぶちゃ〜ん!」

 放課後、さくらは急いでしのぶの入院している病院へといった。病院の入口では、「ひな

た荘」の住人の成瀬川なると浦島景太郎に支えられたしのぶが、タクシーに乗り込もうとし

ていた。

 「しのぶちゃん、もう、退院できるの!?」さくらが驚いた表情を見せた。

「ウン!」しのぶがありったけの笑顔を見せた。

 「検査したら、しのぶちゃん、何処もケガがなかったんだって。お医者さんも、『奇跡が

起こった』って、驚いてたわ」なるが笑顔で言った。

 「よかった・・・」安堵のせいか、さくらの眼は少し潤んでいた。

 「あれ・・・。李君は?」景太郎が首をかしげた。その言葉に、さくらの顔が、曇った。

そして、「李クンは、しのぶちゃんより、サッカーのほうが、大事なのよ!」と吐き捨てる

ように言った。

 「いいの!」しのぶは低い声で言った。「いいの、さくらちゃん。李くんにとってサッカー

は、本当に大切なものだし、それに、私、李くんの足手まといになりたくないし・・・」

 さくらは、しのぶの健気さを、心からいとおしいと思った。と同時に、そんなしのぶの

気持ちに応えてやらない小狼を、恨めしく思った。そして・・・、そこまでしのぶに想わ

れている小狼に・・・、嫉妬した。

 

 しのぶたちを乗せたタクシーは、一路「ひなた荘」に向かった。山道にさしかかったとき、

なるが少し訝しがった。「ねえ、ちょっとスピード、速過ぎない?」

 「運転手さん、もっとゆっくりでいいですよ」助手席に座っていた景太郎が運転手に語り

かけた。が、運転手の反応がなかった。「運転手さん?」景太郎は運転手を覗き込んだ。運

転手は、顔を真っ青にし、額からは冷や汗が流れ、手がブルブルと震えていた。

 「ブ・・・ブレーキが・・・ブレーキが、きかねえ!」

 「えー!」車内が騒然とした。あまりのことに4人が4人、一斉に取り乱した。

 「ちょ、ちょっと、前!」なるが叫んだ。みんなが一斉に前を見た。前方には、大型トラ

ックが間近に迫っていた。

 「きゃあああ!ぶつかるううううう!」みんなが一斉に悲鳴をあげた。

 キキイイイイ!タクシーの運転手が想いっきりハンドルを切った。それにより間一髪ト

ラックを避けられた。

 「ふう・・・」みんなが安堵の息を漏らした。しかし、顔を上げると、すぐに安堵が恐怖

に変わった。

 「がががが崖ぇぇぇぇ!」目の前には、白いガードレールが迫ってきた。「もうダメー!」

なると景太郎が大声をあげた。

 さくらはポケットに手を突っ込んだ。こんなところで使えば、大騒ぎになるかもしれな

い。でもでも・・・。もう一刻の猶予はなかった。

 「『翔(フライ)』!」

 さくらは「翔」のカードを「封印解除」した。すると、ガードレールを突き破ったタクシ

ーに「羽」が生え、空中で静止した。それから、ゆっくりと道路に戻った。

 ドスン!タクシーは道路に着地した。「助かった〜」さくらはほっと胸をなでおろした。

しのぶをはじめ、なる、景太郎、タクシーの運転手は、完全に気絶していた。

 さくらは車の外に出た。そしてあたりの気配を感じた。さくらはしゃがみこみ、タクシ

ーの車体の下を覗き込んだ。「感じる・・・」さくらはそこから強い「魔力」を感じ取った。

 

 その夜、さくらは机に向かいながら、1枚のカードを見つめていた。

 「『フウ』さん・・・」

 

 

 満月の夜。桜の花びらが辺り一面に舞い散っていた。そして、東京タワーの展望台の上

に、1人の女性が、立っていた。

  ―あなた、だれ?

 その女性は、さくらに向かって、ニコッと、笑いかけた。その笑顔は、優しく、幸福感

に浸れるものだった。

  ―さくら、あの娘、しのぶのこと、頼んだわよ・・・

 

  えっ・・・

 

 

 ハッ。さくらは目が覚めた。「ゆめ・・・」さくらはそうつぶやいた。あの「夢」を見るの

は何年振りだろう・・・。

 さくらは起き上がった。そして、机の上にあったカードを手に取った。

 「『フウ』さん・・・」

 さくらは「風」のカードを、両手でぎゅっと抱きしめた。

 

 掃除の時間。しのぶはゴミを捨てに、校庭にある焼却場へと向かった。校舎からはじゃ

れあっている男子生徒たちの声が聞こえた。

 「うわあ!」

 どこからか声があがった。しのぶはふと頭上を見上げた。すると、机が1台、3階の窓

から落ちてきたのだった。しのぶはその場から逃げようとした。しかし、足が動かない!

 「しのぶちゃん、危ない!」しのぶを追ってきたさくらが叫んだ。

「『跳(ジャンプ)』!」さくらは「跳」のカードを使い、ものすごい跳躍でしのぶのもとまで

跳び、しのぶを抱え込んでその場から離れた。ドスーン!その刹那、ものすごい音を立て

ながら、机が地面に落下した。

 さくらとしのぶは互いに顔を見合わせた。「ウワァーン!」しのぶが急にさくらに抱きつ

き、大声で泣き始めた。「さくらちゃん。どうして、私だけが、こんな怖い目に遭わなきゃ

ならないの!?私が何をしたの!?ねえ、さくらちゃん!さくらちゃ〜ん!」

 さくらはしのぶの背中をさすった。そして、頭上を見上げた。3階の窓からは机を落と

したと思われる男子生徒達が、バツが悪そうに下を眺めていた。そして、さくらは、その

上、屋上に、誰かいることに気が付いた。太陽の光で、それが誰であるかは分からなかっ

た。が、ものすごく強く、邪悪な気配を感じ取った。

  ―さくら、あの娘、しのぶのこと、頼んだわよ

さくらは今朝の夢を思い出した。さくらは、ぎゅっと、しのぶを抱きしめた。

 

 「あれ、さくらちゃん。今日、部活は?」

 帰ろうとするさくらを見て、同じテニス部の千春が尋ねた。

 「ゴメン。今日も、休む!」そう言うと、さくらは昇降口から走り去っていった。

 校門は、帰りを急ぐ生徒達でいっぱいだった。さくらは校門の近くの木の陰から、その様子

をじっと見つめていた。そして、いきなり、そそくさと校門のところに歩み寄った。そこ

で、一旦、腰をかがめると、またそそくさとその場をあとにした。電柱から電柱へ、さく

らは身を隠しながら進んだ。まるで刑事にでもなった気分だった。そして、学校から少し

離れた交差点にさしかかったとき、さくらは足を止め、左右を見回した。

 「あれ・・・。いない・・・!」

 ポンポン。突然、自分の右肩を叩かれた。ビクン!さくらは身を縮こませ、ゆっくりと

振り返った。

 「人の後をつけるなんて、あんまりいい趣味とはいえないわねぇ〜」

 目の前には、腕を組んで、余裕の表情を浮かべている少女がいた。「あなた、確か、木之

本さん、だったわよね」

 さくらは一瞬まごついた。しかし、すぐに気を引き締めた。

 「た、確かに、後をつけたのは悪いことだと思う。ゴメンナサイ。だけど・・・、武者小

路さん、あなた、掃除の時間、どこにいたの?」

 武者小路忍は一瞬、表情を無くしたが、すぐに、さっきまでの余裕いっぱいの表情に戻

った。

 「どこって・・・。掃除の時間は、教室の掃除をしていたわ。小狼と一緒にね・・・」

 「ウソ!」さくらは大声を出した。「あなたは、掃除の時間、屋上にいたはずよ!」

 ワハハハハ。忍は突然笑い出した。「何を言い出すと思えば・・・。そんなに信用してい

ないのなら、小狼や、他のみんなに訊いてみればいいじゃない」

 ううううう。さくらは歯軋りをした。あの余裕。そして、少しのことでも動じない自信。

「武者小路忍」は思っていた以上の曲者であった。

 「ところで、木之本さん」忍が口を開いた。「あなた、こんなところにいてもいいの?今頃、

最愛の『彼女』はどうなっているのかしらねぇ〜」

 その言葉に、さくらははっとした。「しのぶちゃん・・・。あなた、しのぶちゃんに何か

したの!?」

 それを聞いて、忍はハハハハ、と高笑いをしてみせた。忍のその姿を見ていると、さくら

はふつふつと怒りが湧いてきた。さくらはポケットに手を突っ込み、「封印の鍵」を握った。

 「闇の力を秘めし鍵よ!真の姿を我の前に示せ!契約のもと、さくらが命じる。『封印解

除(レ・リース)』!」

 そう言うと、「契約の鍵」が大きくなった。「ええい!」さくらは振りかぶった「鍵」を忍め

がけて思いっきり振り下ろした。が・・・、忍は突然姿を消し、さくらの振り下ろした「鍵」

は空振りした。

 「ホホホホホ。『鬼』さんこちら」

 さくらは後ろを振り向いた。すると、さっきまで目の前にいたはずの忍が、今度は自分

の後ろにいたのだ。「ええい!」さくらは再び「鍵」を振り下ろした。しかし、忍はまたして

も姿を消し、自分の背後に回りこんだのであった。何度も何度もやっても同じこと、まる

で「いたちごっこ」だった。ハア〜・・・ハア〜・・・ハア〜。さくらは、ついに息上がり、

その場にうずくまった。そして、見上げてみると、目の前の光景にさくらは驚愕した。

 「ほえ〜!ど、どうなってるの〜!」

自分の周りを、何人もの「忍」が取り囲んでいたのだ。そして、それらの「忍」が一斉にさく

らのことをあざけ笑った。

 「や、やめてぇ〜」

さくらは耳をふさいだ。そのとき、幾重にも重なる嘲笑の中から、一筋の矢のような声が

さくらの耳に届いた。

  ―さくら!それらはみんな幻覚よ!

 フウさん・・・!さくらの目に再び力強さが蘇った。さくらは立ち上がり、ポケットの

中からカードを1枚、取り出した。

 「『幻(イリュージョン)』!」

 すると、1人、また1人と、「さくら」の姿が増えていった。何人もの「さくら」が、さく

らを取り囲んでいた「忍」と対峙した。「忍」の幻影は、どれが本物のさくらか、分からない

様子だった。「忍」の幻影が、「さくら」に襲いかかった。しかし、「捉えた!」と思いきや、

その「さくら」は瞬く間に姿を消し去った。今や、形勢はすっかり逆転した様子だった。

  ―今だ!

 「さくら」の幻影と「忍」の幻影が格闘しているスキを見計らって、さくらはその格闘の渦

の中から抜け出た。そして、一目散にその場を立ち去った。

 

  しのぶちゃん。どこ・・・。どこにいるの!

 

 

          前原 しのぶ 様

 

        お話したいことがありますので、

        放課後、屋上に来て下さい。

 

 

 「一体、誰からのだろう・・・?それに、話って、何なのかな・・・?」

 しのぶは、机の中に入っていた、差出人不明の手紙を手に、屋上へと向かった。屋上に

続く薄暗い階段を上りきると、外の眩しい光が目に差し込んできた。そして、目が外の光

に馴れだすと、人の姿が浮かび上がってきた。

 「李・・・くん・・・」

 そこには小狼が立っていた。そして、「おいで、おいで」と手招きをしていた。

 「な、なに?」

 しのぶは小狼に近づいた。すると、小狼は後退りをしながら、なおも手招きをしてしの

ぶを誘っていた。

 「な、なに。どうしたの?」

 しのぶが歩を進めた。しかし、小狼は立ち止まることなく、後退りをしながら、手招き

を続けた。それにつられてしのぶも足を進めた。1歩、また1歩と前へと進んだ。

 「しのぶちゃん、危ない!」

 背後から声がした。「えっ?」しのぶは立ち止まり、後ろを振り向いた。

 「しのぶちゃん、前を見て!」

 その声の主は、さくらだった。しのぶは言われるがままに前を見た。すると・・・、眼

下には校庭が広がっていた。しのぶは、いつの間にか、屋上のフェンスを抜け、建物の先

端にいた。あと1歩進めば、真っ逆さまに屋上から飛び降りていたところだった。

 「キャアアアアー!」しのぶは恐怖心から悲鳴を上げた。あまりの高さに足が震え、目ま

いが襲ってきた。

 「しのぶちゃん。フェンスにつかまって!」さくらが叫んだ。しのぶは無我夢中で、両手

でフェンスをがっちりつかんだ。それを見て、さくらがしのぶのもとに駆け寄った。

 「余計なマネを!」

 その声と共に、何かがものすごいスピードでさくらめがけて飛んできた。「キャア!」さ

くらの左肩に激痛が走り、さくらはその場にうずくまった。

 「さくらちゃん!」しのぶが声をあげた。そして、前を見ると・・・、「武者小路忍」と、

彼女に抱きつかれた、小狼がいた。

 「どうしてこんなひどいことをするの、武者小路さん!」しのぶが叫んだ。

 「我々にとってあなたは、この世にいてはならない存在なの」忍は、しのぶを睨みつけな

がら言った。

 「ど、どういうこと・・・!?」しのぶには、彼女の言ったことが飲み込めなかった。

 「あなたにはここで消えてもらうわ」忍が抑揚のない口調で言った。「あの世へのはなむけ

に、最愛の人に送ってもらいなさい」

 そう言うと、忍は小狼から離れた。「さっ、小狼、お殺(や)り!」

 小狼は、右手に剣を握り、ゆっくりとしのぶに近寄った。

 「ウソ・・・。李・・・くん・・・。そんな・・・!」

小狼は剣を振りかぶった。

 「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 そう叫ぶと、突然、しのぶのまわりから竜巻が巻き起こった。そして、さくらのポケッ

トの中から、「風」と「影」のカードがひとりでに飛び出てきた。その2枚のカードが竜巻の

中に舞い込んでいくと、いきなり竜巻から閃光が発し、白と黒の渦が螺旋状に天高く舞い

上がった。すると、今まで真っ青に晴れ上がった空が、急にどす黒い雲に覆われた。そし

て、その暗闇のような空から、蒼白い稲妻が、竜巻の中心めがけて、ものすごい勢いで落

ちてきた。

 

 竜巻がおさまると、そこには「しのぶ」がいた。しかし、さっきまでのしのぶとは、ど

こか雰囲気が違っていた。鋭い目で、じっと前方を睨みつけていた。左肩の痛みのせいで

うずくまっていたさくらは、しのぶからものすごい「力」が発せられているのを感じ取った。

 「お前、『風靡風塵之術』の化身、『フウ』か!?」忍が大声で言った。

 「いいえ」しのぶは物静かに答えた。「私は、風摩一族の正統後継者、しのぶ」

 「お前、もしかして・・・、目覚めたのか!?」忍は驚愕した表情で言った。しのぶは無言で

ヒョイっとフェンスを飛び越えた。しのぶの圧倒的な「力」を前に、忍は2、3歩、後退りを

した。そして、何を思ったか、そばでボーと突っ立っていた小狼の腕をとった。

 「う・・・、動くな!1歩でも、う、動いたら、コイツの命はないぞ!」

 しのぶはその声を無視し、歩みを進めた。

 「動くなって言っているだろう!」忍はたじろぎ、声が震えていた。

 「あなた・・・、人に術をかけるのは得意でも、自分が術にかかっていることには、気付

いてないみたいね」

 「なに〜!」忍はうめき声を上げた。そして、ふと視線を落とすと、さっきまで自分の腕

の中にいたはずの小狼が、何故か、太い丸太の切れ端に変わっていた。慌てて忍が前を見

ると、小狼は、フェンスに身体を預けて、気を失っていた。

 「おのれぇ〜!」忍は歯軋りした。そして、制服のブレザーの裏ポケットから短刀を取り

出すと、ものすごい勢いでしのぶに向かってきた。

 「死ねぇ〜!」忍は、しのぶに斬りかかった。しかし、その瞬間、しのぶの姿が消えた。

しのぶはハッとして、後ろを向いた。そこには、しのぶが、ものすごい形相をして立って

いた。

 「狙うのなら、私だけを狙えばいいじゃない!それなのに、さくらちゃんを傷つけ、李く

んまで利用して・・・。許さない!あなた、絶対、許さない!」

 しのぶの身体から空気の渦が巻き上がった。その渦は徐々に大きくなり、風圧も強くな

っていった。

 「風摩忍術最強の奥義『風靡風塵之術』!破!!」

 

 さくらは、あまりの風圧に、顔を伏せ、身を縮ませた。やがて、風がおさまったと思う

と、さくらはゆっくりと顔を上げた。

  うわぁ〜、きれ〜い!

 あたりの景色は桜色に染まり、そして、さくらの目の前では、桜吹雪が舞い散っていた。

その光景は、何とも幻想的だった。さくらは、その光景をうっとりと見とれていた。

 やがて、舞い散っていた花びらが、急にその光景の中心にいた人物―武者小路忍―めが

けて吹き付けられた。それは忍を包み込み、桜色をした1つの大きな「球」となった。大き

な「球」となった瞬間、まぶしい閃光とともに、その「球」が破裂するように飛び散った。さ

くらは、そこから発せられた風圧に耐えるべく、再度身を縮ませた。そして、風がおさま

り、顔を上げてみると、さっきまで目の前にいたはずの忍が、姿形とも消えてなくなって

いた。

 

 「勝ったんだ・・・。しのぶちゃんが、勝ったんだ!」

 さくらは勢いよく立ち上がった。あまりもの喜びに、左肩の痛みなど忘れてしまうほど

だった。

 「しのぶちゃん!」しのぶはあたりを見回した。「いた!」さくらはしのぶのもとに駆け寄

ろうとした。が、次の瞬間、さくらの足がピタッと止まった。

 しのぶは小狼のもとに歩み寄ると、そっと小狼を抱きしめた。

 「ゴメンね・・・。李くんにこんな危ない目に遭わせてしまって・・・。ホントにゴメン

ね・・・」

 しのぶは大粒の涙を流した。その涙が小狼の頬を伝わり、その感触で小狼は目を覚まし

た。

 小狼もしのぶを抱きしめた。

 「謝るのは、俺のほうだ。本当に・・・、ゴメン・・・」

 小狼の言葉を聞くと、しのぶは小狼の胸の中で、大声で泣き叫んだ。

 さくらは左肩を押さえながら、静かに屋上を立ち去ろうとした。

 「木之本さん。ケガ、大丈夫?」ドアのところに立っていた歌帆が、さくらに声をかけた。

 「ハイ・・・。大丈夫、です・・・」さくらは、歌帆に笑ってみせた。そして、力のない

足どりで、階段を下りていった。歌帆は、階段の方をじっと眺めていた。しばらくして、

階下から、大きな泣き声が、こだまして歌帆のもとに聞こえてきた。

 

 

  しのぶを襲った「武者小路忍」とは、風摩一族を抹殺し、闇の力で天下を支配しようと

した、「伊賀者」の放った「刺客」だった。

  そして、風摩忍術最強の奥義「風靡風塵之術」とは、人間の皮膚から体内に「空気」を注

入し、体内の「空気圧」を変化させることによって人間を内部から破裂させる、という術

であった。この術は、物質の中に潜む「空気」を操作する術なので、蟻んこ1匹から、果

ては地球まで破裂させることのできる、しかも、その術にかかったものは絶対に逃れら

れない、大変な「力」を秘めた術であった。それは、しのぶが自らの「力」に目覚めたがゆ

えに、使うことができたのだった。

 

 

 「うわぁ〜。雨ガッパ、忘れてきちゃったよ〜。どうしよう・・・」

 さくらは自転車置場にて、突然降り出した雨を恨めしく思いながら眺めていた。そのと

き、さくらは自分の背後に人影を感じた。

 「李クン・・・」

 さくらが小狼に視線を向けると、小狼はさくらから視線をそらした。

 「木之本・・・」小狼の声は、雨音に打ち消されてしまうほどに、小さかった。「前原のこ

と・・・、よろしく頼む!アイツを・・・幸せにしてくれ!」

 「え・・・」小狼の言葉に、さくらは戸惑いの色が隠せなかった。

 「俺は・・・。俺はアイツを、助けることができなかった。それどころか・・・、アイツ

を傷つけようとしたんだ・・・。そんな俺に・・・、アイツを好きになる、資格なんて、

ないよ・・・」

 「バカ!」

いきなり、さくらは小狼の頬をひっぱたいた。殴られた小狼は驚いた表情をして、さく

らを見た。雨音の打ち付ける音が、あたり一面に響き渡っていた。

 「李クン、しのぶちゃんの気持ち、全然分かってない!しのぶちゃんには李クンが必要な

の!しのぶちゃんを幸せにできるのは、他の誰でもない!李クン、あなただけなのよ!」

 さくらの声は、涙でかすれていた。「木之本・・・」小狼はつぶやくように言った。

 「李クンは、優しすぎるよ・・・」さくらは静かに、小狼の胸に身体を預けた。「私・・・、

李クンとしのぶちゃんなら・・・、心から祝福できるよ。だって、しのぶちゃんのことも、

李クンのことも、大好きだもん・・・」

 雨は、強く、切なく、降りつけていた。

 

 ある日の夜。イングランドに旅立つ小狼の、激励バーベキュー・パーティーが、「ひなた

荘」の庭で開かれた。さくらや知世、雄太に苺鈴、そして「ひなた荘」の住人達が、小狼の激

励なんてまるでお構いなしであるかのように、ワイワイ騒ぎまくっていた。

 「うわぁ〜。お星様がキレイ!」

 小狼としのぶは、誰もいない静かな所で、2人っきりで満天の星空を眺めていた。

 「あっ、流れ星!」しのぶは流れ星を見つけると、咄嗟に手をあわせ、目を閉じた。

 「何をお願いしたんだ?」小狼が尋ねた。

 「えっと〜・・・」しのぶは頬を赤く染めながらうつむいた。「李くんが、ケガせず、元気

で、サッカーが、続けられますように・・・、って」

 小狼は、しのぶの無垢の笑顔を、心からいとおしいと思った。

 「ゴメンな・・・。お前に、寂しい思い、させることになって・・・」

 小狼の言葉に、しのぶはポカンとした表情を見せた。そして、すぐに、首を横に、振っ

た。

 「そんなことないよ・・・。だって、李くんの、『夢』なんだもの・・・」

 小狼は、しのぶのその健気さに、本当に心打たれた。ガバッ!小狼は両手で、しのぶの

両肩を、つかんだ。

 「俺・・・、俺、絶対、ビッグになって帰ってくるから、その時まで・・・、待っててく

れる、か?」

 小狼の言葉に、しのぶは、「ウン!」と笑顔で答えた。・・・・・。お互いがお互いの顔を、

見合った。しのぶの頬が、桜色に染まりだした。小狼の胸が、高まりだした。しのぶの唇

が、濡れそぼった。小狼が、唾を飲んだ。しのぶが、ギュッと目を閉じた。しのぶの肩を

持つ小狼の手が、震えだした。小狼が、ゆっくりと、顔を、近づけた。

  ―みゅう!

 「うわぁ〜!」ビックリした2人は、咄嗟に距離をとった。

 バタバタバタ、ズッド〜ン!2人の後ろにあった植え込みが、突然、倒れた。

 「あっ、お前ら!」小狼は立ち上がり、声を出した。倒れた植え込みの上には、パーティ

ーの参加メンバーが、重なり合うように倒れていた。

 「ったく〜。せっかく、エエとこやったのに〜。タマのヤツ〜」キツネが笑いながら言っ

た。

 「何や、小僧。キスのひとつもロクにできへんのか〜?」ケルベロスが嘲りながら言った。

 「ちょっと、前原さん!今回だけですからね!小狼を貸すのは!」苺鈴がしのぶに食って

かかるように言った。

 「惜しいですわ〜。せっかく記念のために『ビデオ』を用意致しましたのに・・・」知世

が2人にビデオを見せた。

 さくらは、みんなにからかわれている2人―小狼としのぶ―を微笑ましく眺めた。2人

が、いついつまでも幸せでいられるよう、満点のお星様に、心の中でお祈りした。

 

 

 数日後。小狼は、「夢」のピッチに向けて、旅立っていった。

 

 

 

 

 


(update 99/11/07)