Wunderber.

 EVANGELION ; If stories ; Ryoji Kaji and Misato Katsuragi "twei" 





正午前、照り付ける太陽と蝉の騒音が更に不快度を増す。
その中を一台の運送会社のトラックが走る。
日中だと言うのに殆ど人通りのない通りを低速度で走っている。
ウィンカーを右に出し右折、それからしばらくまっすぐ走らせ、ある場所で止まった。
ハザードを焚き、ドライバーがトラックから出てくる。
ドライバーは目前のマンションを見上げ、それからマンションの入口に掲げられている、銀色の鍍金で設えたマンションのプレートを見る。
そのプレートに刻まれた名前と、手に持った、小さなケーキ箱ほどの大きさの白い箱に貼られたラベルに書かれた宛先の住所を確認する。
ラベルはローマ字で書かれ、そのスペルとプレートの名前が同じかどうかを、ドライバーは口に出して読んでみる。
確かにその荷物の届先の住所は、このマンションになっているのを確認すると、ドライバーはマンションの入口へと走った。





ノートパソコンの液晶画面がミサトの視神経をチリチリと刺激する。
ディスクドライブに差し込んでいる、不正ルートで受け取ったディスクからは、夥しい無数の「1」と「0」の数字の列が瞬時にハードディスクに読み込まれ、それらは文字となり画像となり、ノートパソコンの液晶画面に表示される。
英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、マジャール語、ロシア語……母国語が全く表示されない、ひたすら読み込まれ表示され続ける文章、それら全ては決して無意味なものではなく、むしろ、その言葉でなければ、その「先に続く謎」を解明出来ない、言わば『鍵』そのもの。
英語と独語以外は全く読めないミサトには、読めない言語に何が記されているかが理解出来ない。





夜が白々と明けようとした時刻……「全てが動き出す」直前の時間……に、第三新東京市郊外でミサトは部下の日向と落ち合った。
日向は連日連夜、危険を覚悟で、同僚の青葉と共に危険なオンライン区域へダイブし続け、その深淵でようやく見つけた「データ」をコピーしたディスクをミサトに手渡す。
その時、日向は、冷静沈着な物腰でミサトに零す。


「 ───── 僕も殆ど解読出来ませんでした。青葉もお手上げ状態です。何が一体どうなのか……ただ、これはきっと『鍵』だと思います。読めないからどうと言う問題ではなく、これは、もう一つ存在するか、あるいは、複数あるかもしれない『鍵』の一片ではないかと。読めなくても、それは大した問題ではなく……。とにかく、これはパーツです。パーツ全てが揃わないと先に進めない…そういう類のヤツです。プロテクトなら、いくらでも解けますが、きっとこれの『鍵』は、僕の知らない「言葉」、もしくは「文章」だと思います。それがどういう形で『鍵』としてこいつの力を解放するかは……謎です。ですが、『鍵』が全て揃うことで、初めて、こいつは本来の力を発揮すると思います。それだけは、確かです」


もどかしく言葉を続ける日向の言葉の端々には、ミサトの役に立てなかった悔恨が存在していた。
しかし、ミサトは日向の言葉の中に見え隠れする自分への感情を悟りながら、あえて無視をする。
………もう時間がない、構っていられない。
「寝てないんじゃないですか、葛城さん?」
冴えない顔色に日向はミサトに声を掛ける。
「それは日向君も同じでしょう?」
差し迫る時間との戦いに苛立ちが募り、つい日向への言葉が荒くなる。
「このディスクさえあればいい、後はどうにかする。ありがとう、朝早く」
いつになく、いや、いつも以上に突き放すような冷ややかな態度で、ミサトは受け取ったディスクを手元に掲げながら日向に礼を述べるや、愛車に乗り込み、日向を残しその場を後にした。





あの場を立ち去る直前、日向は、もしかすると、加持が『鍵』となるものを持っていたのでは、とミサトに呟いた時、ミサトは思わず、あの時のことを思い出した
最後の情事の後、余韻に浸るミサトに加持が渡した、「プレゼント」。
迷惑の代償として加持から渡されたそれを、加持の遺品として、ミサトは持ち歩いていた。
(全ての謎がその中に収められている)
ミサトが知りたかった、様々な謎……吹き溜まりの中に蠢く「真実」という名の怪物……の正体が収められた、チップ。
何度も開いては読み、その度に収められた膨大な情報に驚愕する。
しかし、それは情報だけ、つまりヒントばかりで、肝心の怪物は存在しない。
まるで「なぞなぞ」の解説本を網羅したテキスト、ここから、真実を辿れ、と言いたげな。
現に、渡された「プレゼント」を容れた器の底に加持が黒マジックで書き殴った言葉が、ミサトに加持の声となり、語りかけてくる ───── 《 Just the facts, Katsuragi. 》 ───── と。





この一週間、ミサトはシンジとアスカの姿を見ていない。
諜報部が二人の行方を追尾していることもあってか生命の心配をせずには済むが、いつからアスカと三人の同居生活に綻びが生まれ、それを修繕出来ないやりきれなさに「保護者」として苦悩する。
でも、今は形振り構っていられなかった。
今、シンジはエヴァンゲリオンの初号機パイロットとしての役目を、アスカはエヴァンゲリオン弐号機としての役目を担えば良いだけの存在であり、ミサトもシンジとアスカの上司でありさえすれば良かった。
それが元々のお互いの立場であり、決してそれが崩れてはいけない。
けれども、加持の遺した「謎」を解いた時には、ミサトは『真実』と共にシンジを導くことを決意していた。
(それまでは、どうかこの我侭な行動を許して欲しい)
そう思いながら、ミサトはノートパソコンを眺めていた。
膨大な文章、夥しい数の情報、意味不明な言語の数々……。
それらがミサトの視神経を圧迫する。
傍に置いている飲み掛けの缶ビールを一息に煽り、新しいビールを冷蔵庫から持って来ようとノートパソコンから目を離した時、玄関のチャイムを鳴らす音が耳に入った。





とぼとぼと玄関まで行き、玄関にいるのが誰かも確かめず、ミサトは玄関の扉を開けた。
「いつもお世話になっております〜、宅配便です〜」
玄関の前にいたのは、人懐っこい声をした、ミサトと同じくらいの身長の、グレーとカーキの作業服と同色のキャップを身につけた若い男で、男は深々と腰を折って笑顔でミサトに挨拶をする。
被られているキャップのフロントに貼られたワッペンのロゴを見て、男は運送会社の人間だと、ミサトはすぐに理解する。
「ご苦労様です」
ミサトは男に労いの声を掛けると、男はおもむろに、手にしていた箱型の荷物とボールペンを渡し、受取欄にサインをするように促される。
しばらく筆記具に触れてないこともあってか、ミサトはその感触に違和感を覚えながら、乱暴な字で「葛城」と書くと、男はミサトの手からボールペンを奪うように受け取り、人懐っこい表情で「ありがとうございました〜」と再び頭を下げ、足早にその場を後にした。





再び玄関の鍵をかけてから、ダイニングルームに向かうすがら、ミサトは受け取った荷物のラベルに目を落とす。
海外からの宅配便、てっきりアスカ宛に届いたものと思っていたが、宛名を良く見れば、「Miss. Misato Katsuragi」と、自分の名前が綴られているので、ミサトはいぶかしむが自分の名前の横に綴られた送り主の住所と名前を見た瞬間、驚愕した。
住所は「Schwarzstrasse 5267, 5020 Salzburg, Austria」、そして、名前は「Ryouji Kaji」。
 ───── 加持リョウジ。
ミサトに意味深なメッセージを残し、この世界からフェイドアウトした、加持の表情。
夢の中で何度も見続けた、笑みを浮かべながら白靄の向こうへ消えて行く、加持の背中。
ミサトの脚が、背筋が、箱を掴む腕が全て震える。
忽然と目の前から消えた男が、突然姿を変えて、目の前に現れた事実をミサトは受け入れ難かった。
震える足取りでダイニングテーブルの一番近い椅子に腰掛け、封筒をテーブルの上に置くと、その前にミサトは自分の両肘を突いて、頭を抱える。
突然の、加持の「名前」が書かれた箱を見て、動揺を隠せない。
同時に疑問がミサトの頭を駆け巡る。
……何故、今頃になって、しかも、オーストリアの、ザルツブルクから…??
特務機関ネルフの「総本山」でもある国連は、第三の国連都市をウィーンに置いており、ネルフもそれに倣うように、ネルフ・ドイツ支部オーストリア駐在事務局を持ち、一時ミサトはそこに籍を置いていた。
しかし、ネルフとザルツブルクにはとりわけ接点がない、強いて挙げるとするなら、ネルフのドイツ支部にウィーンから向かう時に必ず経由しなければならない街…それくらいである。
年に一度、大昔に存在した作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの遺した楽曲を楽しむ音楽祭が開かれ、世界中からモーツァルトファンの紳士淑女がタキシードやイブニングドレスに身を包んだ街の広場の風景をミサトは、ネルフの制服を着込んだ姿で見た記憶が残っている。
目前の華やかな世界と自分の居る世界はどことなくミスマッチで、「安い席でならヴァイオリンのカルテットコンサートが見れるからどうだ?」とミサトを誘う同僚の言葉に首を横に振り、ミサトは独り、市街地の外れにひっそりと置かれたネルフ職員専用の仮宿舎に帰った記憶がある。
余りドイツやオーストリアに居た頃の記憶を、ミサトは持っていない。
別に、嫌な出来事とか思い出したくない記憶とか、そういうものはない。
ただ、この街や国の空気が自分に馴染まなかった、それだけ。
そんな感触しか持っていない国から送られてきた、加持の名前が記された荷物。
擡げた頭を掌から起こし、空っぽのそれで箱を手元に引き寄せる。
ぼんやりとラベルを眺め、そして、ゆっくりと丁寧にミサトはラベルを引き剥がす。
加持の名前の入ったラベルは、消えてしまった加持の体の一部のようにしか思えなかった。
滑らかだった彼の手を胸元に引き寄せるように、そっと、ミサトはラベルを抱き締める。





勇気を出して、箱を封じているガムテープを剥がそうとするが、ミサトは指をテープの端に掛けたまま、躊躇う。
何が入っているのか分からない荷物をむやみに開けることは危険なことは重々承知しているが、加持の名前がミサトの判断を鈍らせる。
突然、ミサトは立ち上がり冷蔵庫の方へ向かい、そこから缶ビールを一本掴み取るや、プルトップを開き、中の冷えた液体を一気に煽った。
飲み慣れてしまっているからか、ミサトには水のようにしか感じない、麦の液体。
口の端から零れる液体と唇を殻になった缶を持つ手の甲で拭い取り、缶を傍のゴミ箱に投げ捨て、再びミサトは椅子に座った。
冷えたビールで気を静め、ミサトは冷静な面持ちで箱に手を掛けた。
剥がしかけたガムテープの端を持って、ビリビリと封を切る。
だらしなく口を少し開いた上面の蓋を開くと、真っ白のプラスティックの梱包材で中は一杯に満たされ、その上にポンと封筒が置かれていた。
オフホワイトの洋型封筒の前面の左下には、ネルフのマークがダークレッドで刷られてあるだけで、特に宛名などは書かれていない。
ミサトはそれを取り上げ、机の上に置くと、梱包材の中に手を入れた。
すぐに触れたのは、表面がスベスベしたプラスティックのケース。
取り出すとそれはCDケースだった、それも二枚。
一枚はメタルレッド、もう一枚はメタルブルーの色で覆われていた。
透明のプラスティックに入った、製造メーカーのロゴが剥き出しに印刷されただけのCD−ROM、それを手紙の横に置いた。
更に梱包材の海の中を手で探ると、布の手触りに似た物に触れた。
滑らかなベルベット地の布。
それにミサトは触れた手の五指全てを這わせる。
小さな丸みを帯びた、なだらかな丘陵を持つ、小さな箱。
それをミサトは恐る恐る白い海から引き上げる。
群青色のベルベットの布地で覆われた小箱 ───── 指輪のケース。
(………?)
箱を掴むミサトの指先が震える。
開けてみたい思いが突き上げるが、ミサトはそれを押し殺しケースをCD−ROMケースの傍に置いた。
もう一度梱包材の中に手を入れ掻き回してみたが、その他には何も入っていなかった。
ミサトは箱を隅に寄せ、箱の中にあった物を改めて自分の前に置いた。
封筒、CD−ROM、指輪のケース。
とりあえず、ミサトは封筒に手を伸ばした。
オフホワイトの封筒の中には、同色のA4サイズの便箋が三つ折りにされて入っていた。
恐る恐る、それを広げてみる。
上部に半分しか描かれていない無花果の葉の絵が入り、バート・ブラウニングの詞が綴られた「NERV」のマークがダークレッド、その下には横罫線が何本も薄い灰色に刷られた、ミサトも飽きるほど見てきたネルフの事務用箋、その上に書かれた文体は、まさに加持のものであった。
懐かしく愛しい文字が、紙一杯に綴られている。
少し左上がりのゴツゴツした筆圧の高い加持の直筆、その文字は今も生きている。
「……加持君」
まだ文章も読まないうちから、ミサトの目には涙が浮かんでいた。
便箋は、何も書かれていない便箋を含めて計三枚あった。
ミサトは視線を加持の文章に落とす。
「葛城へ」と書かれた、素っ気無い書き出しが加持らしいと、ミサトは思った。





葛城へ

きっと、突然届けられた荷物にびっくりしていると思う。
これを読んでいる頃、きっと君は俺の渡した物の中身を躍起になって調べているだろう。
もしかすると、日向君や青葉君の助力を仰いでいるかもしれない。

この荷物は、今の自分の状況下において、信頼得る数少ない協力者の手に託した。
どういう経路を辿り、君の前にこれらが運ばれたのか、それは俺には分からない。
だが、必ず君の元に届けてもらうように頼んだ。
だから、俺はこの手紙を君が読んでいると信じ、書いている。

君に渡したあのチップには、前にも言った通り、セカンドインパクトが起きた全ての謎が収められている。
しかし、何らかの事態で、君以外の誰かに万が一このチップが行き渡ってしまう可能性が無いことも無いのを想定し、俺はチップの中にいくつかのプロテクトをかけている。
恐らく、それらに君は苦戦していると思う。

最初に書いたとおり、君は恐らく、これを読んでいる今、日向君や青葉君の助力でこのチップのプロテクトを解こうと、ほとんど職務放棄の状態でノートパソコンにかじりついている姿を、俺は想像する。
真剣に液晶画面を眺めているのもいいが・・・たまには息抜きはしろよ。






思わずミサトは、「息抜きしろよ」の言葉を目にして、「バカ」と呟く。
その言葉はミサトの脳裏では加持の肉声に変換され、まるで、すぐ傍で囁いてくれそうな錯覚を覚え、涙が込み上がる。
再び、ミサトは文面に目を落とす。





……話を反らしてすまない。

もし、彼らに助力を仰いでいるならば恐らく、日向君か青葉君のどちらかが、「とある場所」に不正アクセスをして、君にあるプログラムデータを渡していると思う。それはチップのプロテクトを解くための重要なキーだ。もっとも、それは俺が彼らや君に見つけて欲しいために、わざと「わかりやすい場所」に置いている、と書けば、意地悪だと思われるだろうが。

この手紙と一緒に届いている荷物の、2枚のCD−ROMを見て欲しい。
赤色のCD−ROMには不正アクセスして入手したデータの片割とでもいうべき、もう1つのプロテクト解除キーのデータが収められている。この2つが合わさって、初めて、チップのプロテクトゲートの道筋が出来上がる。

それで、道筋を照らす「明かり」の役目になるデータが、青色のCD−ROMに収められている。
ただ、このCD−ROMに収めているものは、データじゃない。パスワードだ。

・・・葛城、覚えているか?
大学3年の冬に、リッちゃんが意地の悪い教授の手掛けている研究課題の手伝いをさせられるからとかで、「行けなくなったから代わりに観に行って」と、タダで貰ったチケットで観た舞台のことを。

君のお父さんがコール・ポーターの音楽が好きで、その影響で君もたまにコール・ポーターを聞くことがあるから、その舞台(すまない、名前を失念した)が観れると聞いて、すごく喜んだことを、俺は昨日のことのように覚えている。

舞台を観終わった帰りの道で、君は舞台中で歌われたある曲のメロディーを、ずっと口ずさんでいた。俺もその舞台の中ではその曲が好きで、君に歌詞を教えて貰った。だから、たまにどうしても付き合わなきゃならない酒の席では、その曲をカラオケで歌っていた(もっとも、1人で二役の歌を歌うのは大変なんだが・・・)。

俺は、もしものことを考え、俺と君にしか分からず、かつ誰にも知られないパスワードに、その曲の「歌詞」全てを選んだ。

もしかすると思い出せないかもしれないから、その曲をCD−ROMに入れておいた。つい少し前にも2人で居酒屋で飲んだ後、酔った勢いで歩きながら歌ったんだが、きっと君は恐らく酔ってて覚えてないだろうけども。





「………!!」
ミサトは咄嗟に青色のCD−ROMを掴み取り、自室の本棚の前に置いてある、殆ど部屋のアクセサリ状態になったままのステレオコンポの前に走った。
その前に座り、電源を入れ、CD−ROMをコンポの中に入れた。
吸い込まれるようにCDはコンポの中に入り、スタンバイOKの液晶表示が点く。
震える指でCDの再生ボタンを押す。
三秒の間。
そして、ゆっくりと流れ始めるメロディー。
もう何年も聞いていない音楽、加持と別れてからは意識的に聞かなくなった曲…。
「……………」
唇が歓喜で戦慄き嗚咽すら出せないミサトの両方の目から、大粒の涙が溢れ、零れ落ちる。


  かつて互いに互いを慕い、そして愛し合っていた役者夫婦が、ちょっとした諍いで離婚する。
  それでも二人は口喧嘩をしながらも、夫が座長を務める一座で各地を巡演興行をしていた。
  ある街での興行の前、二人は楽屋で酒を軽く飲みながら去りし日夫婦だった頃のことを振り返る。
  それは誰もが立ち入ることの出来ない、互いで満たした、至福の一時。
  神に誓って互いの命は互いのもだと信じている、情愛に溺れていた一時。
  二人の思いは天空の星々のように光り輝いている、そう信じていた一時。
  そんなことを思い返しながら、別れた今もお互い本当は好きあっていることを諮詢する。
  その内容の詞に、ワルツのような甘いメロディーに乗せて歌った……ラブソング。


ミサトは父を失ってからの二年間、失語症に掛かっていた。
看護師や医師とのコミュニケーションも困難だった頃、亡き父の遺品の中から見つけた、コール・ポーター作曲の音楽ばかりが集められたCD。
ジャケットもブックレートも全て英語で綴られているために、強いてミサトが分かるのは曲のタイトルくらいで、それらが全て舞台の為に書かれたものだとは分からない。
英語で歌われているから、当時ミサトは余り詞の内容が分からなかった。
けれども、どの曲も美しく、そして切なさが漂うメロディー。
それを病室で聞いている時は、父のことを忘れ、音の世界に身を委ねていた。
幾度も来室するケースワーカーの筆談での問い掛けに、ミサトはそれまで一度も答えたことがなかった。
きっと自分が今まで会ったのことのない遠い親戚の元に、いずれは身柄を移送されることをミサトは知っていたから、だから、恐ろしくてケースワーカーの質問に答えられなかった。
ある日、ケースワーカーから、病院内にいるミサトと同じ年頃の子供を集めて舞台を観る計画があることを知らされ、その舞台のチラシを手渡された。
舞台のタイトルが大きく刷られたチラシの隅にカタカナで書かれた文字を見て、ミサトは喜んだ。
 ≪作詞・作曲:コール・ポーター≫
ミサトは思わずCDケースの裏面をケースワーカーに見せ、初めて筆談でケースワーカーに尋ねた。
「この曲は、この舞台で歌われるのですか?」
ケースの裏面に刷られている、その曲目のタイトルを指差すミサト。
ケースワーカーはCDのブックレートを開き、確認をし、そして、紙に答えを綴る。
「その曲は、この舞台で歌われる曲ですよ。」
その答えを見て、ミサトは病院に収容されてから初めて、少女らしい笑顔を露にした。



(加持君……)
ミサトは涙を拭いながら、その曲に聞き入っていた。
その曲の詞の内容はミサトと加持の、蜜月的な生活そのものを著したものだった。
むず痒くもあり、また甘酸っぱい、言わば「青春」の曲。
加持との別れをきっかけに、ミサトは加持との思い出を封印するかのように、この曲を聴かなくなった。
聞けば必ず加持を思い出し、そして、涙に暮れてしまうだろうと思うから。
懐かしい曲がミサトの鼓膜を優しく撫でる。
幸せな日々に満ちていた二人の男女が、別れてもなお、慕う心を持ち続けている…。
セントラルドグマに眠っている巨人を見せられたあの日、加持はミサトを抱いた。
数年振りに触れた彼の肌の感触は、愛し合っていた頃のそれと、全く変わっていなかった。
その時に、加持の口から初めて聞かされたその言葉は、今でもミサトの脳裏で響いている。
ふと、ミサトは加持の手紙の存在を思い出す。
まだあの手紙には続きがあった。
ミサトは涙を拭いながらダイニングルームに引き返すと、テーブルの上に置いた手紙を取り上げ、続きを読み始めた。





最後になったが、2枚のCD−ROMと一緒に託した、青色の小箱のことなんだが・・・。
本当なら、それを俺は直接君に手渡したかった。
だが、それをすることも俺には到底叶わないだろう。
だから、人伝だが、君にそれを渡す。
君がそれを気に入ってくれるかどうか分からないが、俺が方々を探してようやく君に似合いそうだと思ったものを選んでみた。

もし、セカンドインパクトがなければ、俺達は巡り合うことはなかっただろう。
きっとお互い、違う伴侶の腕の中で幸せな時間を過ごしていただろう。

君と別れていた長い時間、俺は常に君のことを想っていた。
俺は少なからず、君を幸せにすることが出来ない人間だと思っていたが、それでも俺の思いは君以外の女性には向けられなかった。
いつも表面では誤魔化してきた俺の本当の気持ちを、君は笑うかもしれない。
だが、俺の心の中を占めるのは君だけだった。
他の男のように優しい言葉をかけることも出来なかったことを後悔はしない。
後悔をしたとて、既に手遅れなのだから。
俺は、俺の想いを全て小箱の中に託し、君にそれを渡す。


真実は君と共にある。
前を進み、曇りなき眼で俺の代わりにそれを見据えてくれ。



                                                
Ryouji Kaji





ミサトの涙は止まらない。
零れ落ちる涙が頬を伝い、便箋の上に落ち、加持の書いた文字が滲む。
涙で赤く充血した瞳は便箋の文字からゆっくりと、群青色の小箱に視線を移す。
手紙を机の上に置いたその手で、小箱を掴み、持ち上げる。
そっと小箱の蓋を開くと、パールホワイトのフェルト布で覆われた台座の上に、小さなダイヤモンドが一つ付いたプラチナの指輪が座っていた。
「嬉しい…」
明らかに婚約指輪の、それだった。
それは、指輪の存在ではなく、ミサトは加持がそこまで自分のことを想っていてくれたことに対するミサトの呟き。
ミサトはしばらくそれを見つめていると、指輪の裏面に何かが彫られているのを見つけた。
台座から指輪を外し、ミサトは裏面に彫られた文字を口に出して読んでみる。
「…Ich……lieb'…dich………Ich lieb' dich!」
今のミサトには胸に突き刺さる言葉だった。
途端にまた涙が溢れ、零れ落ちる。
「……バカっ……加持の…バカ……バカ……」
何度もミサトは呟きながら、指輪を掌に握り締める。
零れ落ち続ける涙を拭い払い、ミサトは手に握り締めた指輪を小箱に戻す。
赤色のCD−ROMに目を落とし、ミサトは傍に加持がいるかのように、呟く。

「…私、もう泣かないわ。前を向いて歩いていく。その先に何があろうとも、私は決して目を背けない。約束する。私、あなたの目となって、「真実」を見据えるわ……そして、闘うわ。「真実」の向こうに潜んでいる、本当の『使徒』達と」

そう言い終えるや、ミサトは決意を固めるかのように、赤色のCD−ROMの入ったケースを力を込めて掴んだ。



 《終》