オリジナル
■神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜■
33「残影・第一話」
作・三月さま
ジャンル:一般
1 残された者の気持ちを考えたことはありますか?
聖王宮内全てが騒がしい。侍女と言う侍女は、夜中になっての聖王の帰還に、大慌てで支度をしている。主が王宮に戻っても、何の粗相もないようにと、彼の部屋や執務室、謁見の間まで、整えていた。
正宮の他に、後宮内でも、侍女達は部屋と言う部屋、廊下と言う廊下を走り回っていた。だが、忙しそうにしていながらも、侍女達の表情はどこか明るい。安心したように笑みを浮かべながら、皆、活気づいて、動いていた。
夜になっての『父王』の帰還に、アディアナもまた、侍女達同様、安堵していた。侍女達への指示が一息ついた所で、アディアナは、一人、自分に割り当てられていた部屋へと戻ってきた。部屋の奥においてある椅子に腰かけ、ため息をつく。
幸い、彼女はこの時間になっても、床に入れなかったため、衣装を整える必要もない。それもこれも、突然に、聖王宮から飛び出していった、ルドラ達のせいだ。
夜も浅いころ、ルドラとバルスが、何を思ったのか、慌てた様子で、シルバリアの大地へと向かった。その後、聖王に加えて、二人の重臣の不在に混乱した聖王宮を収めるのに、おおわらわだったのだ。正宮の方は、バルスの部下である武官が、ある程度はまとめてくれていた。だが、それでも、突然の事態に、貴族と言う貴族が、懐疑的になり、ともすれば、聖王宮の機能事態が止まりかけたのだ。それを、アディアナは、『聖王姫』と言う名と、有名無実な権力を使って、収めるはめとなった。
数時間前のことを思い出す度に、アディアナは全身に冷水を浴びせかけられたような気分になる。ここしばらく、バルスが主だって、アディアナに正宮の政治について、少しずつだが話してくれるようになった。だが、以前、アディアナは自分がそれらのことについて、まるで疎いと言うことを理解していた。それだと言うのに、十七足らずの自分が、並み居る、父王の重臣を諌めなければならなかったのだ。ともすれば、いぶかしげに自分を睨み付けてくる、貴族達の視線を思い出し、アディアナは自分の体を抱きしめた。
アルディスは、いつもあんな貴族達の視線を受け止めているのだろうか。
いや、それはないだろう。
彼等が、自分に不快な表情を見せたのは、アディアナが『女』であり、また『少女』だからだ。いくら、聖王の娘と言っても、自分は所詮、ただの『養女』。そんな養女に、混乱のさ中、叱責された貴族達が不満に思わなくても、何の不思議もない。
むしろ、たかが自分の言葉一つで、彼等が収まってくれたことのほうが不思議だった。
アディアナが、自分の体に走る震えを無理やり抑えつけつつ、虚勢を張って告げた言葉。それを、貴族達は始めは疑わしげに聞き、最後には頷いてくれた。中には、感心したように、アディアナに敬愛の視線を向けるものもいれば、感極まって彼女を支援する言葉を発した貴族までいた。
最後こそ、ホッとし、いつも通りの穏やかさでいられた。だが、当初のことを思うと、今でも震えが蘇ってくる。
あの貴族達は、この聖王のもとで仕えてきた、政治に聡い年長の者達だ。彼等に抑えこまれることなく、逆に諌められたのは幸運だったのだろう。
「でも、よかった……」
アルディスが帰ってきて、聖王宮が混乱でもしていれば、彼は酷く悲しむだろう。それがなかったと言うだけで、あの恐ろしさも報われる気がする。
ふと、バルスがこのことを聞いて、どんな顔をするか考えてしまった。
「怒られてしまうでしょうか……?」
何にしても、自分に厳しく接してくれる大神官を思い、アディアナは困ったような表情になる。だが、バルスの厳しさを自分を思ってのことと思っているのか、彼女が沈みこむ様子はない。
「もうそろそろ……準備は終わったのでしょうか?」
アディアナは、数分の休憩を打ち切ると、勢いよく、椅子から立ち上がった。
彼女は、『聖王帰還』の知らせを、正宮にいた大神官から受けるなり、てきぱきと侍女達の手配を始めた。貴族への叱責は、その最中の事だ。養育役である、女官から、正宮で貴族達が睨みあい、一触即発の気配だと聞いて、ほとんど殴り込むような形で、その場へと向かったのだ。それも済んだ今、正宮のことは、彼等に全面的に任せた。アディアナが考慮しているのは、侍女達のことだ。
今や、正宮の侍女達もまた、彼女が支配するようになっていたのだ。十七才になったばかりの、若い姫の支持に、侍女達は何の不満も表わすことなく、動いていく。
ふと部屋から出ると、アディアナ付きの女官に出会った。姫の意思を侍女達へと伝えてくれる、大事な人物だ。彼女に支度の具合を聞き、アディアナは淡く微笑む。
正宮の具合を見に行くと行って、下がっていく女官を見送りながら、アディアはふと、不安そうな表情を見せた。
「お父様……何が……あったのかしら?」
アルディスが向かった、シルバリアの大陸で、何かあったのは確実だった。聖王が留守の間、聖王宮を任されていた、大武聖と大神官の両二名が、今晩になって急に彼の地へと向かった。しかも、めったなことでは使わない、バルスの移転魔法を持ってだ。シルバリア周辺は、かつてアルディスの生地であっただけあって、バルスも精通しているらしい。だからこそ、アルディスがいるであろうと思われる地点へ、魔法を使って真直ぐに向かった。彼等は、アルディスの元へ向かうことに、少しの時間も浪費したくなかったのだ。
こうして、聖王の部下の最高位の二人が、同時に、しかも、性急に聖王宮からいなくなってしまうのは、非常事態とも言えた。
加えて、聖王宮内に仕えている、数人の魔導士達が感じた、大地の異常。ルドラ達が、部下が止めるのも聞かずに聖王宮から消えた後、数人の高位の魔導士達が、貴族達とアディアナのいた正宮になだれ込んできた。彼等いわく、シルバリアの大地に異常があったらしい。
あの報告が、貴族達が収まった後でよかったと、アディアナは心底思った。あの混乱の最中だったのなら、貴族達はいよいよ、険悪になっただろう。中には、不届きな考えを心によぎらせてしまう人物も、現われたかもしれない。
だが、既にアディアナによって諌められて貴族達の、それに対する反応は、正常なものだった。彼等は、魔導士達に、引き続き大地の異変を探るように申し付けた。同時に、自分達は、それに付属して起きる政治的な問題に対処すべく、各自の部署へと戻っていった。
アディアナもまた、それ以上、聖王宮ですることもなかったために、後宮へと戻ったのだ。自分の支配している侍女達に命を与えるにしても、後宮から与えたほうが効率がよかったためだ。
その仕事も、一段落ついた。
アディアナは、ふわりと金の髪を払い、歩き出した。目指す場所は、正宮の移転の間。彼女の推量が正しければ、そろそろ、ルドラ達がアルディスをともなって、帰ってくるころだ。
その途中、アディアナは、バルスの部下である文官ブロッホマンとはち合わせした。彼は、その優秀さゆえに、アルディスにも目をかけられている人物。あの場にも居合わせ、アディアナを指示してくれた重臣は、姫の姿を認めると、うやうやしく礼をして見せた。
「姫君……お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
貴族達を諌めたとき、援護してくれたことも含め、アディアナは微笑んだ。
「貴方がいてくれて、助かりました。そうでもなければ、わたくし、きっと言い負かされていたでしょうね」
「そうでもありますまい」
若い貴族は、姫の言葉に苦笑する。
「あの時の姫君は、見事でした。流石は、大神官が気にかけられるだけはある。感服いたしました」
「誉めても何も出ませんわよ」
クスクスと、アディアナは小さく笑った。
姫の笑顔に、青年は目を細める。彼でなくても、この姫に憧れている者は少なくない。だが、大神官バルスが、言葉でなく態度で、若い貴族達を戒めているため、誰もそれを露には出来ないでいた。
姫に対する不敬と言う問題もある。だが、それ以上に、大神官バルスはアディアナを守っているような節があった。ルドラがエルフィナを特に可愛がっているように、バルスもまた、表にこそ出さないが、アディアナを慈しんでいるのだ。バルスにとって、自分の弟子であり、全てを教えこもうとしているこの少女は、『娘』同然だった。
その姫に近づききたいと思う貴族はいない。彼等は、バルスの恐ろしさをよく知っている。冷酷で理知的な文官のトップ。彼は、この聖王宮で、もっとも恐れられてもいる人物だ。姫に対する憧れを持っていても、大神官の不況を買ってまで、彼女に近づこうとする者は、この聖王宮にはいない。
ブロッホマンもまた、そんな貴族の一人だった。ただ、大神官の望み通りに、荘厳に美しく成長した『姫』を、誇りに思っていた。敬愛すべき王である、聖王の『娘』が、彼女だからこそ、誰も『養女』に不満を漏らさない。
「では、私はここで……お先へ」
聖王宮の、暗い廊下を過ぎたところで、ブロッホマンは立ち止まった。
彼のさりげない警護に、アディアナは微笑んで礼をする。
「感謝します、ブロッホマン」
「もったいない、お言葉」
「本当に、そう思っているのですよ」
アディアナはそう言い、畏まっている貴族に背を向けた。
彼女の軽い足音が、廊下の中に響く。
歩きながら、アディアナは進行方向にある部屋から、異質な力を感じていた。これは、バルスの持つ、風の魔力。彼が移転の魔法を使う時に発生する魔力の歪だ。
アディアナが向かう先には、すでに、何人かの貴族達が立っていた。アディアナより遅れて、ブロッホマンもここに加わるだろう。彼は、臣下として、姫への儀礼を果たすために、わざとアディアナから遅れた。
貴族達は、アディアナの姿を認めると、一様に道を開けた。
そして、アディアナの目の前に、淡い緑色の光を放つ結界が、露になった。
2 心のうちに広がっていく波紋。
光が弱まっていくと同時に、そこに四人の人間の姿が露になった。アルディスとその横に立つルドラ。バルスは、彼等の背後に立ち、重々しい表情をしている。エルフィナは、相変わらずのアルディス嫌いを発揮し、彼から最も遠い場所に立っていた。もっとも、精一杯離れてみても、転移を行うためには、限りなく、術者に近くなければならない。結果、エルフィナは酷く不満そうな表情だ。
彼女は、転移魔法が終わると見た途端に、足元に描かれていた法陣の中から飛び出てきた。そして、目前に姉の姿を見つけると、何も言わずに飛びついていく。
困惑したのは、アディアナの方だ。いつもならば、エルフィナは嬉しそうな声を上げて、アディアナの名前を呼び、それから、姉の反応を見た上で抱きついてくる。こんな急に、しかも激しく自分に向かってくることはなかった。
おかしいのは、エルフィナだけではなかった。バルスもルドラも、表情を強ばらせている。大武聖は、法陣からアルディスを押し出し、連なっている臣下達の目の前に立たせた。バルスはそれを見守り、彼等を萎縮させるような視線を向ける。
やはり何かあったのだ。
彼等の一様な異変に、アディアナは体を緊張させた。抱きついたまま、何も言わず黙している妹を労りながら、養父であるアルディスへの姿を求めた。
聖王を主としている貴族達の前で、アルディスはごく普通の様子で微笑んでいた。彼らしく、こんな夜遅くまで立ち回ってくれた臣下達に労いの言葉をかけ、もう休むように言ってやっている。
「お父様……」
ルドラ達と違い、アルディスにはまったくの異変は見られなかった。表面的には。
だが、アディアナは、彼の動作がどこかぎこちないことを、目敏く見つけてしまっていた。優しげな微笑みの隅に影を見つけ、声の端に振るえる音を聞き取る。
そんなアルディスを見ていると、どこか不安になってきた。父であるアルディスは、例えルドラ達が平常心を失っても、身を律していられる人物だと思っていたのだ。その彼が、露にしないまでも、動揺らしきものを見せている。
彼を見守るアディアナを腕に抱きながら、エルフィナがもぞもぞと動いた。妹たる姫は、わざと居心地が悪い振りをして、姉の感心を引こうとする。
「姉上……」
「なんですか、エルフィナ」
「後で、話さなくちゃいけないこと、あるんだ……」
「えぇ……」
アディアナは頷き、ふと、違和感を感じた。
そういえば、ウェヴはどうしたのだろうか。確か彼女もアルディス達と共に、ウルヴィスに行ったはずだ。彼女は、この聖王宮には来ずに、直接、魔神の住処たる場所へ帰ったのだろうか。
その疑問を口にすると、エルフィナはフッと視線を反らせた。これも、彼女にはめったにないこと。アディアナの前で、何かを言いにくそうにするなど、通常のエルフィナならば、ありえない。
「エルフィナ……?」
妹の態度が、アディアナの不安を余計に強くする。
彼女の面を見上げると、そこに、暗い闇が宿っているのを見つけた。悲しんでいるような、怒っているような。そんな表情だ。
「何か……あったのですか?」
「うん……だから、それを話したいんだ……」
エルフィナはそう言い、スッと、姉から離れた。臣下達に労いの言葉をかけ終わったアルディスが、こちらに向かってきたのだ。
おそらく、これから自室に帰るのだろう。アルディスは、ルドラに軽口一つもかけないまま、穏やかな表情だけは崩さずに、ゆっくりと歩いてくる。
「お父様……」
彼も疲れているのだろうと、アディアナは余計な言葉はかけなかった。ただ、自分にも何か言ってもらえると信じ、彼の名前を呼んだ。
その前を、アルディスは無言で通り過ぎていく。一瞬だけ、アルディスはアディアナへと視線を向けた。だが、それだけだ。いつものように、アディアナに慈しむような言葉をかけてくれるわけでもなく、また、労ってくれるわけでもない。
一瞬の視線だけを抜かせば、完全に無視した形で、アルディスは彼女の目の前を颯爽と歩み去っていく。
「あ……」
アルディスの態度に、アディアナは身を固くした。
こんなことは、今まで一度足りともなかった。アルディスに、自分の存在を無視されるなど、一回もなかった。
アディアナのすぐ横に足っていたエルフィナは、養父の態度を見て表情を険しくさせる。だが、少年の姿を持った少女は、彼に突っかかるわけでもなく、ただ、去っていくアルディスの背を、激しく睨み付けていた。
アディアナは、その妹の態度に気が付けない。どうして、エルフィナがいつものように食ってかからないのかさえ、疑問に思えなかった。それよりは、アルディスに見て貰えなかった衝撃に、頭が混乱していた。
ルドラが申し訳なげにしていたのも、バルスが一瞬顔をしかめたのも、アディアナは気が付かなかった。回りの貴族が、聖王の態度に不思議に思ったことも、侍女達が不安げに見守っていることもだ。
気が付いた時には、振るえる手で、エルフィナの腕を掴んでいた。そこに、ソッと、エルフィナの少女にしては筋ばった手が重ねられる。
エルフィナの手は、細く冷たいものだった。拾い掌が、アディアナを労るように、彼女の手を包みこむ。
「姉上……気にしない方がいいよ……今だけは」
エルフィナは、姉にだけ向ける優しい声で、アディアナの耳元に囁いた。姉の傷心を気づかいながら、そっと背を撫でてやる。
「今、アルディスも、僕も……皆、おかしいんだ」
「エルフィナ……?」
「後で、僕自身が落ち着いてから言おうと思ったけど……」
そっと、エルフィナの空いた手が、アディアナの髪を撫でた。愛しげに、姉の髪の感触を楽しみ、彼女は悲しそうに微笑する。
「母さんが……リースが……」
そこで、エルフィナは言葉を詰まらせた。
妹の異変に、アディアナは目を見張る。今だ、侍女達の目があると言うのに、エルフィナが目元を潤ませていたのだ。妹姫は、あっと言う間に、涙を溜めたかと思うと、アディアナの肩へと顔を伏せる。
「リース母さんが、死んじゃった……」
高いボーイソプラの。それが、震えながら、か細い声を出す。
アディアナは、しばらくの間、エルフィナが彼女の耳元でつぶやいた言葉を理解することは出来なかった。ただ呆然と、妹の涙に衝撃を受けていただけだった。
聖王の寝室の隣。その部屋もまた、アルディスの私室だ。その部屋は、内装も質素で、とてもではないが、最大領を有する国家の主の部屋とは思えない。簡素な机、椅子、書棚。そんなものしかない。広さも、決して広いとは言えないものだった。聖王宮をよく知らない者が紛れこめば、ここは中位の文官の執務室だと判断するだろう。
その部屋に、大武聖と大神官の両二名が詰めていた。ルドラは寝室へと続くドアを真正面に見据えることの出来る壁に寄りかかり、一心に、そのドアを睨み付けている。バルスは、そんなルドラの態度に何を言う訳でもなく、無表情に、アルディスの机の上を片付けていた。未整理の書類を重ね直し、重要な書類を、さらに分けていく。
「止めろ」
ルドラは、視線を反らさぬまま、きつい口調でそう言った。それに、バルスの手が止まる。
「何故?」
「うっとおしいんだよ」
疲れたようにルドラはつぶやく。彼は、正装の襟をさらに崩し、上着をだらしなく見せる。格式ばった礼服が嫌いな彼だったが、今日の着崩す度合はいつにも増して酷い。いつもなら、バルスはそんなルドラの服装に軽い文句を言うはずだ。だが、今日に限ってそれがない。
シンと、辺りを沈黙が支配した。今までは、バルスが片付けをする物音がしていたのだが、それもなくなってしまった。完全な静寂が、部屋に満ちる。
それを破ったのは、やはりルドラだった。彼はわずらわしげに頭をかくと、勢い良く壁から離れた。
「あぁ、もう、うざってぇ」
「何がだ?」
バルスは、机の脇に立ったまま、無表情に尋ねる。
ルドラは、こんな状況にあっても、無表情で居続けることの出来る大神官を、恨めしく思う。
「お前ってば、いっつも無表情だよなぁ」
「私は、感情の起伏が薄いのかもしれない。我が君にも言われた」
「はいはい、そうですか」
そんな相手には対応できないとばかりに、ルドラは大げさな態度で手を振って見せる。
アルディスなら、ルドラのそんな態度に苦笑でもしてくれそうなものだ。だが、やはりバルスと言ったところか。彼は笑みを浮かべもしなければ、嫌そうな顔もしない。
段々と、空気が重苦しくなってくることを、ルドラは感じていた。沈黙すれば、それだけ、その色合いは濃くなって来るような気がする。そんな陰鬱な雰囲気を払おうと、ルドラは必死に話題を探した。
ルドラも本当は、押し黙っていたい所だろう。アルディスの感情を、強弱はあれ、直接感じることの出来る彼だ。今の聖王の悲哀と絶望を、誰よりもよく判っているはずだ。出来うるならば、彼自身も、アルディス同様、欝として部屋に閉じ篭っていたいほどだろう。
だが、そうしてはならないことを、ルドラはよく理解していた。
アルディスが、ルドラに絶望を伝えるほどに悲しんでいるのならば、逆に、ルドラはその気持ちを跳ね退けなければならない。彼は親友として、また、大武聖として、アルディスがこれ以上、心を閉ざしていくのを阻止しなければならないのだ。
そのためにも、ルドラ自身が心を強くたもっていなければならない。アルディスの感情を受け、安易に悲しんでいるわけにはいかないのだ。アルディスが求めてきたときに、すぐに応えてやれるように、心の準備をしておいてやらなければ。
その上で、バルスとの間の亀裂は避けたかった。お互い、敏感になってきているのだろう。いつもならば、ルドラが勝手に軽口を叩き、それをバルスが無表情に制すると言うパターン通りにならない。ただ、陰鬱に険悪になっていく。
沈黙が、それに拍車をかけた。だから、ルドラは何でもいい、話題を欲していた。
「あの……さ……」
「何だ?」
バルスも同じように考えているのか、ルドラの声に、すぐに反応を返してくれる。
「ルドラ?」
「あのさ……アディのことだけど」
「アディか……私がしてきたことを、聞きたいのか?」
「そ」
ルドラは軽く頷く。
「うちの武官どもがさ、さっき喚いてたんだけどさ。俺らがいなくなった後、文官の連中が、やたらと食ってかかってきたんだと」
「そうだろうな。そうするように、私がブロッホマンに言い置いた」
「何でだ?」
「アディのためだよ」
サラリと、バルスが言ってのけた言葉に、ルドラは頭を抑える。
「やっぱし」
「何か、気に入らなかっただろうか?」
「気に入らないどころじゃねぇよ。文官と武官は問題起こすし、アディはそれに無意味に引っぱり出されるしで。アイツが可愛そうだろう。まだ、十七だぜ?」
「『もう』だ。もうあの子は十七になってしまったのだ」
バルスはそう言って、紫の瞳を閉じる。部屋の明りを、彼の白い髪がわずかに反射している。『神官』としての身分にふさわしく、彼の姿は神々しくも見える。
「あの子は、養女で、また、第一王女だ。エルフィナは『妹』だから、まだいい。だが、アディは『養女』ゆえに、いらぬことまで求められる……」
「だから?どうして、文官武官の騒ぎを起こしていく必要があんだよ」
「あれが、最初で最後のチャンスだと思ったからだ」
バルスは、開いた瞳を持って、ルドラを見据えた。
「私達三人が、そろってこの聖王宮からいなくなるなど、もう二度とありえないかもしれない。その、千載一遇のチャンスを使って、アディアナに、正宮に接してもらいたかったのだ」
「なんで?」
「理由は一つしかない。私が、あの子に『求めているから』だよ」
そう言って、バルスは小さく笑った。無表情な大神官の、意味深な笑み。その真意を汲み取れず、ルドラは困惑するしかなかった。
(99/2/1update)