アルスラーン戦記。アルエス習作。
アニメ未鑑賞・荒川弘先生の漫画未読のため、その点はあらかじめご容赦を。
一応原作準拠。絵柄のイメージは中村地里先生の漫画^^;。

「風塵乱舞」のころをイメージしていますが、違和感は何卒お許しを。
原作13巻を読み返した直後の衝動のままに書きました。


 

「砂塵の冀望」:アルスラーン戦記

Written by みゃあ  

 

 

 

 

 

港町ギランの風は、熱い。

肌を刺すような陽光。

その苛烈さは、今が朝であることを忘れさせる。

パルスの伝説とやらにある、かの宝剣ルクナバードは、「太陽のかけらを鍛えたる…」と謳われるという。

異国人である少女には、これまで、今ひとつ想起させるものがなかったが、この陽射しを目の当たりにしては、なるほどと、首肯せざるを得ない。

それは、さぞかし切れ味鋭い魔剣に違いない。

騎士見習エトワール、本名をエステルというルシタニア人の少女は、内心、ため息をついた。
パルスという国、なかでもその厳しい気候については、これまでにも身に沁みていたつもりであった。
しかし、それがまだまだ浅薄であったことは、王都エクバターナから逃げのびる道すがらで、したたかに思い知らされた。

そして、このギランである。

砂と埃と海と、それらの間を乱反射する光の渦にのみ込まれたように、少女は立ち尽くす。

中心部からは離れた、小高い丘の上。
初めて目にする外海。
陽射しをはね返す穏やかな波頭が彼方まで連なり、光のじゅうたんのようだ。
それは幻想的な光景で、いささか現実感に欠けていた。

それにしても…。

「暑い」

体どころか、顔をも包み込む生ぬるい潮風に、半ばおぼれそうになりながら少女は、顔の前に手をかざして、天を仰いだ。

時に、パルス歴三二一年七月──────。

「エステル」

背後から、自分の名を呼ぶ声がした。
正確には、捨てた名である。
しかし、かの王太子の周囲には、エトワールと呼ぶ者こそいない。
もはや、訂正をする気も起きないほど。

夢から醒めたように振り返ると、そこには、アルスラーン王子その人が佇んでいた。

一国の王子たるものが護衛も伴わずに…。

その身軽さには、あきれるばかりだが、さすがにこの頃になると、そういう人物なのだと、心得ていた。

もっとも、侍臣であるエラムすら随伴していないのは異例なのだが、そこまでは彼女に知る由もなかった。

「私に何か用事でも」

少年は息を切らせ、肩で息をしている。
偶然、出会ったというわけでもなさそうだ。

「君に逢いたかったんだ」

正面から出し抜けに切りだされて、エステルは鼻白んだ。
探される理由としては、簡素に過ぎる答えだ。
そこを追及するのが何故だか憚られて、結局、そうか、とだけ答えた。

アルスラーンは、特に用件を告げるでもなく、まっすぐに見つめてくる。
少女は、居心地が悪そうに肩を揺すると、その視線から逃れるように、背を向けた。

「宿舎まで用意してくれたこと、感謝する」

妹御を探しに来たメルレインはともかく、自分までが、総督府の中に部屋を用意されたことには、感謝とともに、戸惑いも禁じ得ない。

そのことを口にすると、アルスラーンは小さく笑って、気にしないでと答えた。

「それと…牛車の車軸の中の金貨と銀貨。とても役に立った。食料と医薬品も。…ありがとう」

本当は、再会して一番に言いたかったのが、それだった。
深い感謝の気持ちが、口をつく言葉の響きに比例しないのを、もどかしく思う。
しかし、お人好しの王太子は、

「そうか、よかった…」

と、心から喜んでいる様子だった。
そんな彼の様子に、何かを言いかけて…、
結局、何も言葉にすることができなかった。

しばらく、沈黙が支配した。

「何を見ていたの」

アルスラーンは、そっと横に並ぶと、少女の視線の先を追うように、眼下の海を見晴かす。

「別に…」

そっけない答だったが、事実だった。
エステルがアルスラーンの許を訪れたのは、再び王都へ赴くための助力を請うためであり、その目的は、すでに果たされた。
たとえ彼女の願いが叶えられるとしても、それはずっと先の話になる。

しいて言うならば、海を見ていた。
しかしそれは、時間と逸る気持ちを持て余していただけに過ぎない。
この街に来て、アルスラーンと再会して、あらためて自らの無力さを噛みしめていたのだ。

そんな少女の葛藤を知ってか知らずか、異国の王子は、じっとその横顔に視線を向けていた。

彼の方こそ、何を見ているのだろう。
エステルは訝しんだ。

ざぁ、と相変わらず生温い風が、彼女の金色の髪をさらっていく。

アルスラーンは、珍しく逡巡しているように見えた。

…?

首を傾げると、それを追うように視線がついてくる。
私の髪が、どうかしたか。

「髪に触れては、いけないだろうか」

「なっ…」

エステルは絶句した。

確かにアルスラーンには、返しきれぬほどの恩義を受けている。
自分にできることならば、いかようにも報いる決意であったが、まさか、このような形で請われるとは思ってもみなかったのだ。

「詮なきことを言った。赦してほしい」

自らの、いかにも浅薄な言葉に恐縮したように、アルスラーンは肩を窄めた。
やや、平常心を取り戻し、それでもやはり動揺を隠し切れない声で、エステルは、質問と詰問の中間の問いを発した。

「お前が私の髪に触れることで、何か善きことがあるのか」

「善きこと、というわけではないが…」

直截な物言いに、困惑したように、アルスラーンは言葉を探した。

「私の心が穏やかになる」

なんだそれは。
言葉の意味を理解しかねて、首を傾げる。

「そうか。よくわからぬが、それはお前の都合だな?」

「うん」

素直に頷く少年に、少女はしかつめらしい顔を作って、腕を組んでみせた。

「私の心は、穏やかならざるやもしれぬぞ」

「それはすまぬ」

「謝るな。…指で触れさせればよいのか?」

それでも、王子の言葉に邪心がないことを看取して、エステルは仕方なく、自分の髪の毛を手ですくってみる。
こんなことをして、何になるというのか。

「できれば、掌で触れてみたいのだが…」

「調子にのるな」

「すまぬ」

「また詫びか」

本気で畏まるアルスラーンの様子に、気抜けしたように、エステルは嘆息した。

「潮風のせいで、べたつくかもしれぬが…」

なんとなしに断ってから、木陰に腰を下ろす。
両膝に手をつき、腹を据えて前を向く。

おずおずと、異国の硝子細工にでも触れるように、アルスラーンの指が伸びる。
肩口の辺りで、そっと触れた。

お互いに、びくりと震えたものの、その感触を確かめる好奇心に負けたように、少年の指が梳くように動き出した。

「…柔らかいな」

エステルは、不貞腐れたような顔で、少年の呟きを聞いていた。
正直、どういう反応を返していいものかわからぬ。

満足気に彼女の髪を梳きながら、アルスラーンは、優しく目を細めた。

「きれいだな、エステルの髪は」

「そ、それほどのものでもない!」

かっ、と顔に血が上るのを感じ、よくわからない謙遜が口をついた。

何が楽しいのかまったく理解できないが、それからしばらく、アルスラーンは飽きもせず、その感触を楽しんでいた。

こんなところで、自分は何をしているのだろう。
一瞬わからなくなり、そしてすぐに、エステルはそれを恥じた。
自分には、エクバターナで囚われの身となっている国王様をお救いするという使命があるというのに。

空気の熱さは、少女の焦燥感をも容易にかきたてる。

わずかな身じろぎを感じ取ったように、少年の声がそれを押し留めた。

「独りで、どこかに行かないでくれ」

先走りをたしなめられたようで、少女はむっ、と言い募ろうとしたが、そこになぜか切実なものを感じ、結局、そのまま口をつぐんだ。
それは、王子の哀訴だった。

 

 

 

 


アルスラーンは、ここへ来た本当の理由を口にしなかった。

恐ろしい夢を見た。

その内容は覚えていない。

ただ、つらい別れの場面だった気がする。


(逢いたかっただけなんだ…)


聞き覚えのある声。

聞こえるはずのない言葉。


目を覚まし、気がつくと、彼女の姿を探していた。

 

 

 


「私とて、それほど浅慮ではないぞ。今すぐ行動を起こしたりはしない」

少女は、半ば自分に言い聞かせるように言った。
国王様をお救い申し上げるという志に、いささかの曇りもないが、そのためにはパルス軍の、アルスラーンの力添えと、何よりも時間が必要なことを、今は理解している。

「どこかに行かないでくれ」

それでも、アルスラーンは繰り返した。

その目があまりに真剣で、あまりに悲愴であったので、エステルは、もはや反駁できなかった。

「…どこにも行かぬ」

「エステル」

「ここにいる」

まるで、幼子をあやすように。
しかし、そう口にすることで、少女自身も心が安らぐことに、気づかずにいた。

そうしてようやく、少年は、安堵の表情を浮かべる。
自分より二月だけ年少の彼は、そうとは思えぬ、いたいけな顔をしていた。

ファランギースに連れられ、総督府で再会した時、彼は心からの笑顔で迎えてくれた。

「また会えて、嬉しいよ」

その時は、言葉に詰まり、逡巡の末に、頷くことしかできなかった。

思い返せば、王都で彼を頼ろうと決めた時から、逃避行の間もずっと、アルスラーンに会いたいと思っていたのではなかったか。

「…私も逢いたかったぞ」

思わず口をついた呟きが、思いのほか大きく響いて、顔を赤らめる。
それは彼女の本音であった。

「うん」
「………」

会話は途切れたが、そこに言葉の継ぎ穂は無用だった。

陽射しが心持ち和らぎ、海風が頬を撫でる。

つかの間、エステルは、憂いを忘れた。

飽きもせず、自分の髪を撫で続ける少年。

晴れ渡った夜空の瞳の色をした異国の王子の横顔を盗み見て、口元が小さく綻ぶ。

その一瞬、二人は確かに幸せだった。

 

 

 


たとえ未来に、何が待ち受けていたとしても───────。

 

 


(了)

 

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