Episode.34:1「嵐の前」
青、紫、赤、そして銀。
四体の巨像が立ち並ぶケイジ。
黒を基調としたプラグスーツを着て、一足早く、彼はそこで待っていた。
「……カヲル、君」
出撃前の、しかし、いつもとは決定的に異なる光景。
何かを畏れるように、シンジは彼の名を呼んだ。
一見、白髪と見まがう銀色の髪が、数拍遅れて、わずかに揺れた。
「相変わらず、馴れ馴れしいな。…サードチルドレン」
「…っ」
どくん、と鼓動がはねる。
辛辣ともいえる言葉の内容より、向けられた視線に戸惑ったように、少年の方に向かいかけたシンジの足が止まった。
相変わらず無機質で、冷淡な、赤い瞳。
それが自分に向けられたものだと頭ではわかっているものの、心が現実を咀嚼するまで、まだ数秒を要した。
「ごめん…その、渚…君」
どうしても、その目を正視できず、うつむけた視界を、白いプラグスーツの背中が静かに遮った。
「.........」
「綾波…」
シンジからは後ろ姿しか見えないが、彼女の顔はカヲルに向けられているのだろう。
その証拠に、カヲルの視線は、シンジではなくレイの顔に注がれている。
「………」
ふいと、興味をなくしたように、カヲルは、声をかける前と同じように視線を自らの乗機に戻した。
使徒に乗っ取られ、NERVを脅かした3号機。
その因縁の機体にそっくりの、銀色のボディ。
エヴァンゲリオン4号機。
それが初号機の隣に鎮座している光景は、シンジに違和感しかもたらさなかった。
「カヲ…渚君?」
カヲルは反応を示さない。
もう、ある程度予測できたので、シンジは構わず続けた。
「これが初めての戦い、になるんだよね」
確かめるように、シンジはその背に語りかける。
「きっと、すごく厳しい戦いになると思うんだ。
こうして…」
シンジは、辺りを見渡した。
整備員たちが大わらわで、エヴァの発進準備に追われている。
時折、怒号が飛び交い、皆が殺気立っていた。
最初の頃、シンジは、そのたびに首をすくめていたものだ。
緊迫感に満ちた、ここが戦場の一歩手前。
「ケイジに直接呼ばれるってことは、敵が―――使徒がすぐ近くまで来てるってことだと思う。
だから…」
いつもなら、真っ先に顔を見せるミサトも、今日はまだ姿を見せていない。
おそらく、発令所で防衛ラインの指揮に追われているのだろう。
「だから今回、前衛は僕に任せてほしいんだ。
渚君には、綾波と一緒にバックアップを頼みたい」
シンジにしては珍しく、きっぱりと言い切った。
何か言いたげなレイを手で制して、カヲルの横顔を見つめる。
石膏像のように一切の動きを止めていた彼は、眼球だけを動かしてシンジを見返した。
「何か、勘違いをしているんじゃないか、キミは」
硬質な、声―――。
まるで、感情が欠落しているかのように、平坦な調子で言葉を紡ぐ。
「え?」
「僕もキミも、ただのパイロット。
NERVの司令や作戦部の命令なら従うけど、キミの指図を受けるいわれはないよ」
「………」
正論だ。
だがやはり、その答えよりも、少年の声の響きが、冷たい表情が、シンジに平静さを失わせる。
自分が思っている以上にショックを受けていることに、シンジは愕然となった。
「ずいぶん、偉そうな口を叩くわね」
4つめの声が割り込んだ。
「初陣で、ちゃんとエヴァを動かせる自信、あるのかしら?」
アスカ。
挑発的な言葉の内容とは裏腹に、その口調は意外にも普通だった。
彼女だけは、プラグスーツを着ていない。
雨に濡れてしまった服を、第壱中の制服に着替えている。
「セカンドチルドレンか」
「そうよ。
フィフスチルドレン、渚カヲル」
わざとらしく、フルネームを付け加える。
「人の名前を覚えるのが苦手みたいね、アンタ?」
「………」
顔だけを動かして、カヲルはアスカを見た。
「弐号機を動かせないのに、キミはなぜここに?
今は戦闘待機のはずだけど」
「おあいにくさま。
チルドレンを抹消された、なんて話は聞いてないのよね。
来るなっていう命令も受けてないし」
アスカは大げさに両手を広げて、肩をすくめてみせる。
なぜだろう。
緊迫したやり取りのはずなのに、彼女の声には不思議な覇気があって、そばにいるシンジの心を落ち着かせた。
「それから、一つ訂正しておくわ。
弐号機は、『動かせない』んじゃなくて、『動かない』の。
…ま。
万が一、動いたとしても、もう乗る気はないんだけど」
「えっ?」
これには、カヲルではなく、シンジの方が声を上げていた。
そんな言葉をアスカの口から聞くとは、思ってもいなかったからだ。
アスカは、探るような視線をカヲルに向けたまま動かない。
一方のカヲルは、わずかに目を細めただけで、さして反応を示さなかった。
静かなにらみ合いは、しかし長く続かなかった。
ケイジ全体に、マコトの声が響きわたる。
『零号機、初号機、および4号機パイロットは出撃準備! エントリープラグに急いでくれ。
なお、今回は初号機と零号機がメイン、4号機はバックアップに回るようにとの葛城三佐の指示だ』
図らずも、ミサトの指示は、先ほどのシンジの「お願い」と似たようなものだった。
「了解」
短く答えて、カヲルは4号機のエントリープラグに向かって走り出した。
本人が言っていた通り、命令ならば頓着はないようだ。
「…うさんくさいヤツ。
まあ、あいつのことはどうでもいいわ。
シンジ。」
黒いプラグスーツの背を見送ると、アスカは、あとに続いて走り出そうとするシンジの目の前に立ちふさがった。
「始まる前に、1つ言っておくわ」
つかつかと歩み寄ったアスカは、両手でシンジの顔をグッと挟み込んだ。
雨の中を走ったせいか、ひんやりとした手。
そんなことをされるのに免疫があるはずもなく、シンジはうろたえた。
せわしなくまばたきを繰り返し、視線をアスカの顔からそらそうとする。
しかしアスカは、ずいと顔を近づけることで、シンジの視界を独占した。
なんだってアスカは、平気でこんなに顔を近づけるんだろう。
自分の息遣いがアスカにかかってしまいそうで、シンジは思わず息を止めた。
もちろんそんなことはお構いなしに、アスカは不機嫌な顔をつくって、低い声を出した。
「いい。
あんたやレイがどんなピンチになったとしても、あたしは弐号機で駆けつけたりしない。できない。
アンダスタン?」
大人たちの中には、アスカの「復活」を待望する声が大きい。
あんたまで変な幻想は抱くなと、言いたかったのだろう。
都合のいい奇跡なんて、起きない。
シンジは二、三度まばたきをして、わかったと頷いた。
アスカは、疑わしげな眼差しでシンジの顔をなめまわしたあと、どこかふて腐れたように漏らした。
「あたし、あんたのことよくわかんない」
「え…」
「バカだってことは知ってるわよ?」
「………」
やがてアスカは、ハァ、と大きくため息をついた。
そして、あきらめたように両手を離す。
シンジも、ようやくほっと息を吐き出した。
「発令所で見てるわ」
そして今度は、律儀に2人のやり取りを待っていたレイに、何事か話しかける。
途中でシンジが見ているのに気がつくと、さっさと行けとばかり、シッシッと手を掃いた。
シンジは苦笑して、踵を返した。
ズ………ン。
鈍い振動が、ケイジを揺るがした。
来た……!
歯を食いしばり、シンジは初号機の元へと駆け出す。
「力」の名を冠された使徒との戦いが、そして始まった。
Episode34:1 End