ザアァァァ――――……

 

 

 

 

 

ざあ、ざあと耳鳴りのように響く雨音。

 

 

雨にけぶる稜線から、その使徒が姿を現しても、発令所の面々から、さしたる驚きの声は上がらなかった。

 

それはそうかもしれない。

前回、同じ発令所のスクリーンに大写しになったのは、夕陽を背にした黒いシルエット。

 

――――エヴァンゲリオン3号機。

 

その衝撃に比べたら…。

 

衛星軌道上の巨大な目玉。

あるいは細菌サイズの目には見えない脅威。

中空に浮かんだ巨大な球体と、そして影。

 

それらと比較すると、この使徒は、人の認識からいって“普通”と分類できる形態をしている。

あるいは、そう思うこと自体、慣らされてしまっているのかもしれないが。

 

エヴァとほぼ同じサイズ。

四肢は途中からもぎ取られたようになっているが、人型に近く、浮遊しているため、移動には事欠かない。

人間ならば本来、両腕が存在するはずの場所には、薄い硬質の金属板のようなものが飾りのようにぶら下がっている。

そして、胴体にめり込んだ頭部とおぼしき部分には、“笑い顔”を模したドクロのような「仮面」がはり付いていた。

 

「撃ち方やめ!」

 

ミサトの指示で、強羅付近に展開されていた戦闘車両、ミサイル群からの一斉攻撃が、ピタリとやんだ。

 

濛々(もうもう)たる煙、そして雨のカーテンの向こうから、ゆっくりと使徒が姿を現す。

その躯には、当然のごとく、傷一つついていない。

肉眼でも確認できるほどの巨大な光の壁―――ATフィールドが役目を終え、降り注ぐ雨にかき消されるかのように消えていく。

 

 

一拍…二拍―――。

 

 

目も眩む閃光が、雨に霞む大気をなぎ払った。

 

爆発。

 

モニターに焼き付きを残し。

…尾根が一つ、削り取られてなくなっていた。

 

周囲が、思わず息をのんだ。

 

仮面の目に当たる部分から怪光線を発した使徒は、何事もなかったかのように、ゆっくりとした前進を再開する。

 

「これは…」

 

強羅付近の防衛システムの大半が、一瞬にして沈黙。

シゲルが、無意識に額の汗をぬぐった。

 

ミサトは、続いて無人戦闘機による攻撃を指示した。

 

ヒットアンドアウェイによるミサイル攻撃。

四方八方からの攻撃に、しかし使徒は興味を示さず、まとわりつくように飛ぶ戦闘機など、まるで存在しないかのように前進を続ける。

うち1機が、広範囲に展開されたATフィールドに激突し、爆発した。

 

「………」

 

口元に手を当てたまま、ミサトはスクリーンを凝視している。

 

「葛城さん。戦自研が、『P・改』の射撃許可を求めていますが」

 

マヤがヘッドセットを押さえながら、報告した。

 

さすがに反応が早い。

戦自研が開発を進め、NERVに提供を申し入れてきた改良型ポジトロンライフル、通称「P・改」は、大気圏外に現れた第十の使徒を撃退するのに、大きな戦果を上げている。

 

しかし。

 

「…さっきのを見てたでしょう。砲台として使ったんじゃ、反撃で狙い撃ちにされる。

 じきエヴァを向かわせるから、それまで待たせて」

「わ、わかりました」

 

一発で仕留められればよし。

しかし、万が一反撃を受け、動力源であるリアクターが破壊されれば、大惨事というレベルでは済まない。

威力という点においては、現有兵器の中で最大の出力を誇る反面、一発撃てばあとがない、諸刃の剣だった。

 

機動性のあるエヴァですら、神経をすり減らすような運用を強いられるのに、隠蔽もろくにできぬ固定砲台としての使用など論外だ。

 

「使徒、双子山を通過! 駒ヶ岳防衛ラインにかかります」

「…ワイヤードトラップ用意。使徒を引きつけるまで、一切の攻撃を禁じます」

 

芦ノ湖と第二芦ノ湖を結ぶ駒ヶ岳武装ロープウェイには、ミサト苦心の特殊鋼線による拘束用の仕掛けが増設されている。

新市街への侵攻を許した第十二の使徒は、何の前触れもなくその場に出現したため、用をなさなかったが、今回の使徒に対しては、十分効果を発揮しうると思われた。

 

「パイロットの3人が到着しました」

「プラグスーツに着替えたら、ケイジに直行させて」

「わかりました。 …あの、アスカちゃん、セカンドチルドレンはどうしますか?」

 

ためらいがちに、振り返るマコト。

ミサトは、一瞬だけ考え込むと、

 

「…アスカは、着替えさせなくていいわ。ここに来るように。

 今回は初号機と零号機、それに…4号機の三機で作戦を行います」

 

背後を振り仰ぐ。

 

「…よろしいですね、碇司令?」

 

「君に任せる」

 

いつもと変わらぬ口調。

ミサトは、微かに苛立ちの表情を浮かべ、すぐに消した。

 

リツコのこともあるというのに…。

 

司令は一体、どういうつもりなのだろう。

 

マコトの背後に歩み寄ると、肩越しにディスプレイをのぞき込む。

 

「…フィフスはどうしている?」

「施設内にいましたので、すでに更衣室を出るところですが」

「調子は?」

「フィフスチルドレン、4号機ともにコンディションは良好。昨日のシンクロテストでは、50%台を維持しています」

「そう…」

 

口元に手を当てて、思考をめぐらす。

フィフスの能力は未知数…というよりも、彼の経歴を含めわからないことが多すぎる。

P・改を彼に委ねるのは、ためらわれた。

この期に及んで、敵だけでなく味方にも不明要素があるというのは、頭の痛い問題だ。

やはり後方からの援護に専念させて、戦自にはレイを向かわせるべきか…。

だが、シンジのシンクロ率は40%ギリギリ。

初号機だけを前衛に立たせるのは、いささか心許ない。

 

…アスカが使えれば。

 

エヴァ3号機―――第十三使徒を事実上、一対一で倒した前回の戦いの様子は、ここにいる全員が見ている。

誰もが、彼女が紛れもないエースであることを脳裏に深く刻んだに違いない。

だからこそ、セカンドチルドレンを抹消するという選択肢は、今のNERVにはないのだ。

たとえ、現在のアスカのシンクロ率が、限りなく0%に近いとしても。

 

戦いを終えた彼女が、弐号機から降りてきたときに、自分に言った言葉を思い返す。

 

 

 

 

『…だから、弐号機は、もう動かない』

 

 

 

 

…今は、ないものねだりをしても、仕方がない。

 

ミサトは、一度閉じた目を開いて、思考を切り替えた。

 

スクリーンでは、ちょうど使徒が、無数のワイヤーロープによって、がんじがらめにされるところだった。

 

「やった!」

 

使徒の進行が一時的に止まり、職員の一部から歓声が上がる。

 

むろん、これで状況が変わるわけではない。

ATフィールドがある以上、エヴァが相対するまで現状では有効打はないが、足止めにさえなれば…。

 

前々回の影を操る(というより影そのものが本体だったのだが)使徒との戦いでは、苦い経験がある。

エヴァを接敵させる前に、可能な限り敵の性質を知りたいと、ミサトが慎重になるのも当然だった。

 

しかし次の瞬間、歓声は失望の嘆息へと変わった。

 

使徒の両肩からぶら下がった、短冊状の器官。

一枚の板に見えたそれが、バララ…と広がったかと思うと、

次の瞬間。

それ自体が意志を持っているかのように帯状に伸び、特殊鋼で編まれたワイヤーを、いともあっさりと四方に切り裂いていた。

 

「そんな…」

「まだよ。 第2陣、第3陣、時間差で発射用意…」

 

少しでも、エヴァ出撃までの時間を稼がなくては。

 

それにしても、恐るべきスピードと切れ味を持った攻撃だ。

これでは、うかつにエヴァを近寄らせるわけにはいかない。

 

「パイロット、ケイジに集合しています」

「エヴァ発進用意。

 初号機と零号機を新市街外環部に配置。…4号機は戦自研に向かわせて。

 青葉君、霧島一佐を呼び出して頂戴」

「了解!」

 

その時、再びモニターに無音の閃光が奔った。

 

ズン………ッ!

 

一瞬遅れて―――――衝撃。

 

鳴り響く警報。

明滅する非常灯。

 

「第1から10番装甲まで損壊!」

 

悲鳴のような報告。

モニターの中では、十字架のような炎が吹き上がっている。

 

「この距離で、特殊装甲を10枚も一瞬に…」

 

攻撃の見た目は、第3使徒のそれに酷似しているが、威力はその比ではない。

 

「エヴァ、発進させて!」

「りょ、了解っ」

 

何としても、地上で食い止めなければならない。

 

間に合う…か?

 

ミサトは、ぎり、と奥歯を噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

 

Episode34:2「be awkward」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザアァァァ――――……

 

 

 

 

 

そうだ、この顔だ。

 

 

 

 

降りしきる雨に濡れそぼり、不気味に白く光る、虚ろな空洞が刻まれた仮面。

第十四使徒。

初号機のモニターに映る使徒の映像に、シンジの目は釘付けになっていた。

 

どくん。

 

シェルターを突き破る、弐号機の首。

折り重なる悲鳴…。

 

どくん。

 

如雨露(じょうろ)を手にした加持。

 

どくん。

 

N2爆弾を抱え特攻・自爆する零号機。

 

どくん。

 

左腕の千切れる痛みと、大写しになる使徒の顔。

そして―――――。

 

 

さまざまな光景が、脳裏にフラッシュバックする。

 

しかし、そのどれもが断片的で、混沌としていた。

まるで目の前に、朱い紗(しゃ)が下りているように。

 

どうやって倒したのかよく覚えていないのは、十二番目の使徒のときと同じだ。

無意識に、肌が粟(あわ)立つのを感じる。

シンジは知らず、ごくりとのどを鳴らしていた。

 

『目標は強力な光線兵器と、伸縮自在の鋭利な腕状器官を攻撃手段としているわ。

 イメージとしては…そうね。第3使徒と第4使徒を合わせたような感じかしら』

『その説明では、僕には分かりかねます』

『…そうだったわね、ごめんなさい』

 

ただ一機、別ルートで地上に送り出された4号機のモニターにも、使徒の映像が映し出されているはずだった。

ミサトが説明する。

前者は目からの怪光線、後者は光の鞭のような腕状器官を攻撃手段としていた。

もっとも、威力はどちらも段違いよ、とミサトは付け加えた。

 

『うかつには近寄れないわ。

シンジ君は中距離からATフィールドを中和、そしてレイが狙撃。

幸いなことに、コアとおぼしきものは前面に露出しているわ。そこを狙って。

反撃には十分注意してね』

「…了解」

「了解」

 

使徒はすでに視界に入っている。

ミサトは早口で状況説明を終えた。

 

敵の攻撃手段と威力は、これまでの損害と引き替えに推計できるが、ATフィールドの存在がある以上、どのような攻撃が有効かは、一当たりしてみないことには分からないのがつらいところだ。

敵の射界を小さくするのが最善だが、相手が浮遊している以上、遮蔽物にも限度がある。

兵装ビルの陰に身を潜めながら、零号機はスナイパーライフルを、初号機はスマッシュホークをそれぞれ構え直した。

 

露出したエヴァの機体を、雨は容赦なく濡らしていく。

 

 

 

発令所

 

 

 

プシュ。

 

ドアが開く音がしても、ミサトは振り返らなかった。

 

マヤ、マコト、シゲルの3人は、ちらりと視線を走らせたものの、特に声をかけはしない。

戦闘中の発令所に彼女がいるというのは、これまでにはないシチュエーションだったから、誰もがどう扱っていいものか戸惑っていた。

 

アスカは、そうした周囲の空気を一向に気にしていない様子で、周囲を見渡した。

正面のスクリーンに怪異な使徒の姿が映し出されているのを目にして、わずかに眉をしかめる。

戦闘が始まるところだった。

 

アスカは、すたすたと歩いてくると、当然のようにミサトのすぐ横に立った。

 

「あたし、プラグスーツ着てなくていいの?」

 

「…乗るつもり、ないんでしょ」

 

スクリーンを見つめたまま、互いの声がようやく届くくらいの声で、二人は言葉を交わした。

 

「乗ってもいいけど、動かないわよ」

 

大まじめな顔で、アスカは腕を組む。

ミサトが、小さく吐息するのがわかった。

 

「アスカなら、どう戦う?」

 

今度は周囲にも聞こえるくらいの声で、ミサトは尋ねた。

 

「…ミサトのやり方と、大して変わらないわよ、きっと。 ただ…」

「ただ…?」

 

興味の視線が集まるのを感じたが、アスカはそれらを完全に無視して、口を閉ざした。

 

使徒の体に描かれた、前衛芸術のような模様。

その中心に光る、赤い半球体。

コア。

 

アスカは、眉根を寄せる。

 

モニターではちょうど、初号機が仕掛け、零号機がスナイパーライフルを発射するところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

初号機は、スマッシュホークを構えたまま、兵装ビルの陰から飛び出した。

一気に使徒との距離を詰めると、ATフィールドの中和を開始する。

モニター内で、使徒の怪躯がたちまち大きくなった。

 

ATフィールドを使用すれば、どのみち、こちらの位置を知らせることになる。

囮(おとり)となって、零号機の射撃の瞬間を少しでも助けようと、シンジは思い切って初号機を走らせた。

 

「綾波!」

 

シンジが合図する必要もないほど、そのタイミングはドンピシャリだった。

初号機が別のビルの陰に機体を飛び込ませたのと同時に、零号機のスナイパーライフルが火を噴いた。

狙い違わず、使徒のコアとおぼしき部分に着弾。

 

 

 

 

 

 

4号機(移動中)エントリープラグ内

 

 

「…効かないな」

 

赤い瞳が冷然と、モニターに映った使徒を見つめる。

その口元には、なぜか薄い笑みが張り付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

1発、2発。

コアの周囲に火花が散った。

 

「当たった?!」

 

…しかし、それだけだった。

使徒は、まるで何事もなかったかのように遊弋(ゆうよく)している。

薄暗い雨の背景にボディの黒が溶け込み、仮面をはじめとする白い部分だけが、幽鬼のように不気味に光を放っているように見えた。

 

「...もう一度」

 

射撃後、移動して、再び遮蔽物に身を隠していた零号機が、ライフルを手に飛び出した。

 

「くっ…!」

 

シンジは、慌てて使徒のATフィールドに集中する。

 

実を言えば、ATフィールドが中和しきれていないのだ。

相手のそれが、これまでの使徒とは比べものにならないくらい強力なこともあるが、初号機のATフィールドは、明らかに力負けしている。

シンクロ率の低さが最も直接的に表れてしまうのが、これだった。

シンジは、唇を噛んだ。

 

スナイパーライフルの射撃音。

 

しかし、今度は弾道がコアを外した。

使徒が突然、体の向きを変えたからだ。

 

仮面の両目にあたる部分が、光を帯びる。

閃光を放つ前兆―――――

 

『レイ、気をつけて!』

 

ミサトの声にかぶさるように、上がる十字架の火柱。

 

「な……」

 

絶句したのはシンジ。

言われるまでもなく、警戒していたレイは、すでに遮蔽物の陰だった。

そこから這い出して、周囲の被害状況を確かめる。

 

それは、零号機を狙った反撃ではなく。

地上とジオフロントを隔てる装甲が、再び甚大な被害を受けていた。

 

 

 

 

発令所

 

 

 

「あの程度の攻撃、相手にしてないってこと…?」

 

ミサトは爪を噛んだ。

 

「足下見られてるわね」

 

その間にも、第2、第3の火柱が上がった。

モニターに、特殊装甲の損壊を示すダメージマークが増えていく。

 

『行きます!』

「待ちなさい、シンジ君!」

 

長柄の斧を両手に、初号機が使徒に向かって駆け出した。

 

『このままじゃ、ジオフロントに侵入されます』

 

エヴァが空を飛べない以上、そうなれば後を追うことはできない。

いったん、射出口からリフトでケイジに戻り再出撃、というシーケンスを踏まねばならないのだ。

その間、使徒が待ってくれる保証はどこにもなかった。

 

さらに問題なのは、ジオフロントまで侵攻されては、威力のありすぎるP・改はもう使えない。

なんとしても、地上で決着をつける必要がある。

このまま手をこまねいているわけにはいかないのは、ミサトも同じだった。

 

「…仕方ない。レイ、援護して! 兵装ビル、一斉射撃」

 

それまで、無差別な反撃を避けるため沈黙していたすべての兵装が、初号機援護のため一斉に火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

接近戦しかない。

 

実のところ、シンジは最初からそう考えていた。

N2爆弾が至近距離で爆発しても、びくともしなかった使徒だ。

ATフィールドで強化した武装で、直接コアを狙う以外にない。

 

幸い、この使徒の動きは鈍いといっていい。

懐にさえ入ってしまえば、急激な変化に対応しきれないところがある。

実際、以前対したときは、組み合いの状態から互角の展開に持ち込めた。

あの時は頭に血が上っていたとはいえ、電源さえ切れなければ、そのまま圧倒できたかもしれない。

 

何よりも、シンジの目には、さんざんにやられた弐号機と零号機の姿が焼き付いてしまっていた。

 

…この使徒は危険すぎる。

 

4号機はこの場にいないからいいとしても、零号機のレイをあんな危険にさらすわけにはいかない。

 

接近戦を挑むのは自分しかいない。

 

カヲルにもそう言った。

だから、たとえシンクロ率が低いという不安要素があったとしても、この配置は渡りに船なのだ。

 

(いくぞ……!)

 

初号機は、使徒の左側面に回り込むように建造物の間を抜ける。

水しぶきをまき散らしながら、一気に使徒との距離を詰めた。

最小限のモーションで、両手持ちの戦斧を振りかぶる。

 

「だぁっっ!!」

 

ようやく使徒が、初号機の方に体を向ける。

遅い!

すべてを叩きつけるように、コアを目がけ、渾身の力でスマッシュホークを振り下ろした。

 

ガッッッッキキィィッ!!!

 

金属が、ガラスを擦過するような音。

 

「―――!?」

 

正六角形を連ねた輝く障壁が、いともたやすく、初号機の攻撃を受け止めていた。

斧の刃を包む輝きが、ぶつかり合って弱々しい火花を散らしている。

 

そんな馬鹿な。

 

押し込もうと、操縦把に力を込めるが、びくともしない。

 

初号機が中和していたわけじゃなかった。

 

兵装ビルからの攻撃。

零号機の援護射撃。

ATフィールドを張らずに、まともに食らっていたというのか。

この程度の攻撃では、もはや展開する必要がないと?

 

バララ…。

 

両肩からぶら下がった金属板が、無造作に広がった。

使徒の仮面が、こちらを見た気がした。

 

ぞ………っ

 

背筋に冷たい感覚が走る。

 

(やられる!…避けないとっ)

 

ゴン!

 

その瞬間、右肩口に砲弾をまともに食らった使徒が、爆風にあおられバランスを崩した。

 

「碇君、下がって...!」

 

零号機が、初号機の危地を救った。

得物をバズーカに持ち替え、すぐそばまで近づいている。

 

「綾波…!」

 

『シンジ君、P・改の準備ができるまで、足止めするだけでいいわ。無理しないで!』

 

不吉な風切り音。

いったん退く初号機にではなく、小癪な攻撃を仕掛けてきた零号機に矛先は向けられた。

 

「く.......!」

 

十分に警戒していたにもかかわらず、それは恐るべき速さで零号機に襲いかかる。

鋭利な刃物と化した使徒の刃が、右肩部ウェポンラックをすっぱりと切断し、さらに後方のビルをも切り裂いた。

沈み込むように機体を回避させていなければ、首が飛んでいたかもしれない。

 

そのまま遮蔽物の陰へ。

 

追撃が、建造物ごと破壊しながら迫ってくる。

スフレのごとく切り裂かれたビル群が積み木くずしのように崩れ落ち、土煙・水煙がもうもうと舞った。

 

しかしレイは、後ろにではなく右へ右へと避けながら、驚くことにバズーカで反撃してみせた。

今度はわずかに狙いが逸れたが、爆発の粉塵に視界をふさがれた使徒が零号機の姿を探して頭をめぐらせたときには、すでに死角へと逃れている。

 

「綾波!前衛は僕がやるから、早く退がって…っ」

「後方ではダメージを与えられない」

 

零号機は濡れた路面をけって、遮蔽物の陰から陰へ。

初号機は左手でハンドガンを撃って牽制しようとするのだが、使徒はまるで意に介しておらず、やはりATフィールドすら張らない。

先ほど使徒をよろめかせたバズーカの砲撃も、至近だったからこそだろう。

それは、確かにそうなのだが…

 

「でも、それじゃあ綾波が危険に…」

「危険なのは、碇君も同じ。むしろ、シンクロ率の点から言えば、私の方が前に出るべき」

 

2機を援護するため、ビルの一部からワイヤーが吐き出されるが、今度もやすやすと切り裂かれ、使徒に拘束を解かれてしまう。

 

「でも綾波…!」

「碇君」

 

聞き分けのない子供のように言いつのるシンジに、 

静かだが、有無を言わさぬ声。

 

零号機は、撃ち尽くしたバズーカを捨て、武器庫代わりのビルから、新たなバズーカを装備する。

 

「私は...ファーストチルドレン。エヴァのパイロットよ。

 碇君やアスカと同じ」

 

エヴァからの攻撃が来ないと見るや、使徒は再び光線を足下に向かって放つ。

衝撃が、大地を揺るがした。

 

「この敵は、初号機だけで倒せる相手じゃない。...思い上がらないで」

 

そのセリフがレイの口から出たことに、シンジはもちろん、聞いていた誰もが唖然とした。

 

大きく半円を描きながら、使徒の後方に回り込んでいた零号機は、再びバズーカを発射。

連続で光線を放とうとしていた使徒が、再びよろめいた。

 

 

 

 

発令所

 

 

 

 

スクリーンには、雨の中を疾駆する零号機の青い機体が映っている。

 

「言う言う」

 

アスカは一人、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。

そしてそれが、いかにも嬉しげなのだった。

 

「レイったら、凛々しい……

 ―――なんて言ってる場合じゃない! まだなの、4号機は」

「は、はい。戦自研の施設に到着。すぐに“装着”を開始します」

「まだ、少しかかるわね…」

 

P・改は、取り回しの必要性から、一応「携帯火器」という設計思想で作られてはいるが、その長大さと重量、さらには発射時の反動を考慮して数カ所を固定する必要があることから、「装備」というよりは、「装着」と言った方が適当なものだった。

 

「シンジ君とレイは?」

「初号機は損害なし。

 零号機の損傷は軽微。シンクロ率はむしろ上昇しています」

「まだやれるか…」

 

それは予想ではなく、願望だ。

エヴァからの攻撃が途絶えれば、使徒はジオフロントを一目散に目指すだろう。

あの使徒が目指す第一にして唯一の目標は、ネルフ本部。

ターミナルドグマに鎮座する、あの白い巨人―――。

 

スクリーン内では、バズーカを捨てた零号機が、意外な行動に移っていた。

振り向きかけた使徒の横っ面に、零号機の右ストレートが、カウンターとなってめり込む。

仮面に、ひびが走るほどの一撃。

零号機は、そのまま重心を移すと、遠心力を利用して回し蹴りを浴びせた。

 

「レイが、格闘戦…」

 

ミサトは、思いがけない攻撃に転じた零号機を、唖然と見やった。

使徒にとっても予想外の威力だったのか、その巨躯がよろめき、のけぞった。

さらに追撃に出る零号機。

 

――――しかし、使徒はその体勢から光線を発射した。

 

零号機はなりふり構わず、石畳の上を転がる。

表面がはがれ、土がむき出しになる地面。

泥まみれになりながら、零号機は瞬時に起き上がり、今度はコア目がけて拳をたたきつける。

 

使徒のATフィールド。

 

阻まれたと見るや、零号機は残った左肩のウェポンラックからプログナイフを引き出し、目にもとまらぬ速さで突き出した。

互いのATフィールドが干渉し合って、電流のような火花が散る。

弾かれるように、零号機はその場から飛び離れた。

 

 

 

「やるわね、レイ」

 

蒼い機体を無惨に泥にまみれさせながら戦うレイの姿に、アスカは素直に賞賛を送った。

 

来日して以来、こと格闘戦技に関しては、アスカはレイの師匠といえた。

レイは、決して格闘向きではない。

訓練でも、一度もアスカから有効打を奪ったことはなかった。

それでも必死に、泥臭く戦っている。

 

そこには、誰かの命令に従っていただけのかつての姿はない。

あるのは、断固たる意思。

何かを―――誰かを守ろうとするがゆえの戦い。

レイの戦いだった。

 

 

 

エヴァ初号機エントリープラグ内

 

 

 

「碇君」

 

エヴァ同士の直接回線から、静かな声が流れ出す。

サブモニターの向こうで、レイはまっすぐにシンジを見つめている。

 

「......わたしは役に立たない?」

 

シンジは、息をのんだ。

 

「っ、そんな、そんなこと…!」

 

思わず座席から身を乗り出して、シンジは声を上げた。

 

「そう......よかった」

 

レイは、ほっとしたように小さくほほえんでいた。

表情はいつもとあまり変わらないが、口にするには少なからず勇気がいったのだろう。

 

「......パイロットとしての私は、必要とされていないのかもしれないと、思っていたから」

「え……」

 

シンジは、胸に鈍い痛みを覚えた。

 

そんなことはないと否定する一方で、認めたくない心当たりがあった。

 

あの時……零号機との相互互換試験からだ。

 

そんなつもりじゃなかった。

 

そんなつもりじゃないはずだった。

 

しかし、無意識のうちに綾波を…零号機を戦闘から遠ざけようとしてはいなかったか。

 

エヴァに関わるすべてのことから遠ざけるのが、綾波の幸せだと。

 

それなのに、かえってそんな思いを抱かせていたなんて…。

 

同じ場所に、同じ戦場に立つことが、エヴァのパイロットであることが、大切な絆の1つ。

 

綾波レイの誇りだったのに。

 

「っごめん…僕は!」

「いい。......もう、大丈夫」

 

モニターの中のレイは、小さく首を振った。

 

「信頼してくれる、わたしのこと?」

 

綾波は普段、自分のことを言わない。

自分から何かを求めたこともない。

だからこそ、その言葉には、万感の思いが込められているに違いない。

紅玉のような瞳が、一途な色をたたえていた。

 

こみ上げてくるもので言葉にならず、シンジはモニター越しに何度も頷いた。

 

「なら平気。

 ...あなたは、わたしが」

 

シンジは、はっと顔を上げた。

 

「わたしが、守るから」

 

既視感(デジャヴュ)。

 

しかしそれは、以前聞いたものと、まったく異なる響きをしていた。

 

「いきましょう」

「……うん」

 

 

 

 

発令所

 

 

 

なるほど…。

 

「あの光線も、常に最大の出力で撃てるってわけじゃあないみたいね」

 

装甲板の被害状況を確かめたミサトは、口元に手を当てた。

山の尾根を削り取った一撃、装甲板10枚をいちどに貫いた一撃。

この2度の攻撃と、ほかを比べると、明らかに被害が小さい。

少なくともエヴァと接敵状態になってからは、あの威力の光線は撃っていない。

 

ある程度の“溜め”が必要なのか、それともATフィールドと関係があるのか…。

 

いずれにしても、エヴァによる足止めは今のところ有効だ。

しかも使徒は、エヴァが離れれば、装甲板の破壊を優先している。

P・改の準備ができるまで、あと少し…。

 

と、周囲でどよめきが起こった。

 

「うまい!」

 

使徒の腕が伸びた、と思った瞬間、その背後から初号機のドロップキックが決まった。

たまらず、使徒は前のめりに倒れ、零号機は虎口を脱する。

初号機は深追いせず、再び距離を取った。

 

「これは…」

 

エヴァ2機は、使徒を中心に円を描くように対角線の移動を繰り返し、片方が攻撃を受けそうになると、もう片方が背後から攻撃することで、タイトな接近戦を何とか渡り合っている。

ミサトは、目を見張った。

 

「ユニゾンね。

 …いじらしいこと、してくれちゃって」

 

アスカが、わざとぶっきらぼうな調子で言った。

 

「ユニゾン…」

 

第七使徒戦で、2体の敵を同時に倒すために、アスカとレイが取った戦法だが…。

 

確かに、1機が正面、もう1機が常に背後を取るよう使徒を中心に点対称に動けば、互いにフォローしやすい。

幸い、この使徒の動きは鈍重だ。

正面と背後の敵を同時に相手にするのは難しいのではないか。

 

シンジは、アスカとレイのユニゾンを手助けするため、同じ訓練を行っている。

それを2人はやっているのか。

第七使徒を相手に苦戦した発想の転換だ。 ミサトは、脱帽した。

 

「死角になる方向からの攻撃には、対応し切れないようですね」

 

マコトの言葉に、ミサトは頷く。

 

「敵に致命打を与える必要はないわ。あと数分稼げれば十分よ。

 2人とも、それまで頑張って…!」

 

 

 

零号機エントリープラグ内

 

 

 

ユニゾンして戦っているので動きは同じはずなのに、初号機の方が危うい場面が目立っている。

 

やはり、初号機のATフィールドは、使徒に力負けしている。

自らATフィールドを中和しながら、レイは、できる限り使徒の注意を自分に向けようと必死だった。

 

いかにこの使徒の動きが鈍いとはいっても、正面からの攻撃には堅牢だ。

直接コアを攻撃するだけの隙が、なかなか見いだせない。

仕方なく、レイは牽制を繰り返しつつ、機をうかがっていた。

 

ミサトがレイにバックアップを命じることが多いのは、取りも直さず、その射撃の精度を頼りにしているからだ。

実際、第八使徒、第九使徒戦では、彼女の射撃に助けられている。

その精度は、ひとえにレイの集中力の高さに起因する。

 

「.........」

 

昏い空の下で浮遊する使徒の動きに目をこらす。

光線か、腕による攻撃か。

どちらも、わずかな最初のモーションがある。

 

それを見極めれば、完全には回避できなくても、致命傷だけは避けられるはず......。

 

『零号機、シンクロ率上昇』

 

マヤの声を遠くに聞きながら、一瞬のタイミングを見逃すまいと、レイは意識を集中させた。

 

 

 

 

発令所

 

 

 

「すごい…。零号機のシンクロ率、80%に迫っています」

 

マヤが、思わずといった感じで声を上げた。

 

「…来ました! 葛城さん、霧島一佐から準備完了とのことです」

 

「…4号機、渚君?」

『Ja, Bereitschaft. エネルギー充填率75%』

 

抑揚のない声。

モニターに映るフィフスチルドレンの表情には、まるで感情の揺れがない。

この状況下で、まったく動じていないというのは賞賛に値するが、ミサトには妙なデジャヴュがあった。

 

この感じは…そう、かつてのレイに似ている。

ただ命令を待つ、機械のような冷徹さ。

 

確かにP・改は、ATフィールドごと使徒を殲滅すべく、リアクターを利用して出力を上げるだけ上げるという設計思想で、実際に第五使徒を倒した試作ポジトロンライフルの約2倍強の威力を誇る。

それは、第十使徒相手にも実証されている。

 

だが。

 

勘に過ぎない。

しかし、ミサトには何故だか、P・改が決定打にならない気がした。

 

「論理的じゃないわね」

 

リツコが隣にいれば、そう言ってせせら笑うかもしれない。

 

ミサトは、微かにかぶりを振って表情をあらためた。

 

「P・改、発射用意。

 待たせたわねシンジ君、レイ。 次の攻撃後、使徒から離脱して。

 マヤちゃん、カウントダウンよろしく」

「了解!」

 

離脱には、さしたる困難はないだろう。

ただし、エヴァからの攻撃が途絶えれば、使徒は再びジオフロントを目指して侵攻を開始する。

装甲板が破られるまでの、わずかな時間が勝負だ。

 

「渚君は照準に集中して。トリガーのタイミングはこちらが指示します。

 発射後、命中を確認する必要はないから、即座に回避行動に移るよう。 …万が一の反撃に備えて」

 

「発射120秒前――――」

 

マヤが、カウントダウンをスタートする。

 

スクリーンの中で、使徒がその体をゆっくり零号機に向け、虚ろな目に光が宿るところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ザアァァァ――――……

 

 

 

 

 

何かがおかしい。

 

ユニゾンによる戦法に、かすかに光明を見いだし始めたときだった。

 

使徒の様子が、変だ。

 

それは、たった今、攻撃を仕掛けたシンジだからこそ気づいた変化だった。

 

(こっちに向かってこない?)

 

それまで、直前に攻撃した相手に、馬鹿の一つ覚えのように反撃していた使徒が、初号機を無視するかのように、背を向けたまま動き出した。

 

(綾波は…まだ距離が足りない)

 

シンジは、使徒の注意を引きつけようと、牽制のつもりでスマッシュホークを背後から振り下ろした。

 

するとその攻撃は、先ほどまでの苦労がうそのように、あっけなく使徒の背に命中した。

ギン、という硬質な音とともに、火花が雨中に弾ける。

エントリープラグの中で、シンジは顔をしかめた。

 

(なんて硬いんだ、こいつ…!)

 

フィードバックで、両腕にしびれを感じながら、使徒の反撃に備えてバックステップする。

 

『待たせたわねシンジ君、レイ。 次の攻撃後、使徒から離脱して』

 

ミサトからの指示。

P・改の発射準備ができたのだ。

しかし。

 

「え…」

 

使徒は初号機に構わず、零号機に向けて光線を発射した。

レイはあわてて機体を翻したものの、その背からつながるアンビリカルケーブルが、接地している地面ごとえぐり取られて消滅した。

 

『零号機、アンビリカルケーブル切断!』

『レイ、早く離脱して! あと2ブロック移動すれば、別のソケットがある』

 

「こいつ!」

 

マヤとミサトの声を聞きながら、シンジは、立て続けにスマッシュホークをたたきつけた。

 

ガィン、ギン!

 

(止まらない…!?)

 

初号機の攻撃は命中するものの、使徒にはまるで効果がない。

しかも、その存在を無視するかのように、零号機に攻撃を繰り出した。

 

それをすんでのところでかわしたレイだったが、勢い余ってビルの一つに激突。バランスを崩した。

 

「綾波、離れて!」

 

そうすれば、使徒の意識は再びジオフロントに向くはず。

 

振り下ろす!振り下ろす!

だが、零号機を獲物と定めたように、使徒の動きは止まらない。

初号機がいくらスマッシュホークを叩きつけても、なぎ払っても、小揺るぎもしない。

 

(なぜ、どうしてだ?!) 

 

まるで空中要塞のように、傲然とそびえている。

それどころか、移動速度を速め、零号機を追い始めた。

 

不意にその背を追いきれなくなり、斧の一撃が空を切った。

 

ぞ…と、怖気が走った。

 

ATフィールドも展開せず、逃げることもかわすこともせず、ただ前進を続ける様。

それは、狭い部屋の中で四方の壁が迫ってくるような、「最後には絶対に押し潰される」という絶望感と同じものを感じさせる。

それが、零号機をなぜか唯一の標的と定めた…。

 

本能的にレイの危機を感じ取って、シンジはなりふり構わず、使徒の背後から組み付いた。

 

「綾波、逃げろ。 …逃げろっ!」

『シンジ君、何してるの?! 早く離脱して!』

 

発令所の面々には、シンジの焦りが、まだ理解できていなかった。

完全に無防備な初号機の動きに、ミサトのせっぱ詰まった注意が飛んだ。

 

『シンジ君、危ない!』

「…!」

 

金属の板にしか見えなかった使徒の腕がぞろり、とうねり、背中に組みついたままの初号機の足首に蛇のように巻きついた。

そのまま、邪魔なものを排除するかのように、信じられない力で無造作に持ち上げる。

 

あっ、と思うまもなく、初号機が宙を舞った。

 

ビルの一区画を丸ごと瓦礫の山に変えながら、無様に頭から突っ込んでいく。

 

 

 

「碇君...!」

 

初号機が視界から消えた。

思わずそちらに向かいかけたレイの肌が、ちり、と粟立つ。

 

そんなものがあるのかは分からない。

しかし、使徒の虚ろな“視線”に、執着のようなものを漠然と感じた。

この使徒は、零号機を狙っている...。

 

レイは、とっさに零号機を初号機と反対側へと走らせた。

 

 

 

発令所

 

 

 

「シンジ君は?!」

 

仰向けに、瓦礫の山に埋まった初号機は、すぐに反応を示さない。

 

「脳震盪を起こしているもよう! 

 初号機、損傷は軽微、生命維持には問題ありません」

 

投げられた瞬間、初号機はATフィールドを展開していた。

それによって、衝撃を和らげたのは、さすがシンジといったところだった。

 

戦闘続行可能、という報告を聞いてホッとするのも一瞬のこと、事態は急転していた。

 

「どういうこと?!」

「わ、わかりません…。使徒、なおも零号機を追尾」

 

間断ない攻撃を闇雲に避けるのが精一杯で、アンビリカルケーブルの切れた零号機は、どんどん初号機から遠ざかっていく。

 

「これは、まずいわね…」

「た、確かに。ソケットがあるのは逆の区画なのに…」

 

シゲルが、やや焦った声を上げる。

しかし、ミサトが懸念したのは、それだけではない。

このままでは、悠長にアンビリカルケーブルを再接続しているどころではないだろう。

 

「渚君! 使徒は捉えている? 発射は可能?」

 

『可能です。 零号機も照準に入りますが、それでよければ』

 

「いいわけないでしょうが…」

 

ミサトは、あからさまに舌打ちした。

やはり、使徒と零号機の距離が近すぎる。

 

「…零号機の内蔵電源は?」

「残り、3分を切ります!」

 

ミサトは決断を下した。

 

「カウントダウンストップ。

 初号機と零号機を急ぎ収容!」

「待て」

 

かぶさるように正反対の命令を下され、マヤは困ったように背後を振り返った。

ゲンドウの視線が、ミサトを捉えた。

 

「カウントダウンは止めるな。

 …どういうつもりだ、ここまで来て」

 

「このままでは、発射は不可能です。 零号機の電源が切れれば最悪の事態を招きます」

「まだ2分半ある」

「司令」

 

ミサトは姿勢を正し、勁(つよ)い表情で言った。

 

「槍の使用許可を」

 

 

 

 

 

4号機エントリープラグ内

 

 

「―――!」

 

 

 

 

 

 

発令所

 

 

 

視線が一斉にミサトに集まり、そして、それは次に上層の司令卓に向けられた。

 

「許可はできん」

「…なぜです」

 

いつもと変わらぬ、見下ろす視線を真っ向から受け止めて、ミサトは肩を怒らす。

 

「ロンギヌスの槍の使用には、委員会の承認が必要だ。そして委員会は、一切の槍の使用を禁じている」

「それは分かっています。しかし…」

 

前の一件以来、槍の存在は公然の秘密、そしてタブーとなっている。

だが、明らかに有効と分かっているのに、それを使うことのできぬジレンマ。

使徒という非常識な敵性体を相手にするのに、制限を設けること自体が間違っている。

ミサトとて元軍人だ。

命令の絶対性は理解している。

しかし…それでもなお、思わずにはいられない。

子どもたちが生きるか死ぬかの戦いよりも、そんなに委員会の承認とやらは重要なのか…!

 

何より歯がゆいのは、使用を禁じるその明確な理由が、明らかにされていないことだ。

…もっとも、その理由を知ったならば、ミサトの怒りは、その比ではなかったであろうが。

 

「議論の余地はない。当初の作戦を続行したまえ」

「作戦部長として最善の判断です。 ドグマに降りるタイミングは、今をおいてほかにありません。

 槍の威力は実証済みです。あれならば、必ず…」

「…葛城君。滅多なことを言うものではないよ」

 

冬月が、デスクに手をついて、ミサトを見据える。

 

「ロンギヌスの槍が使われた…そのような事実は存在しない」

 

事実ではなく記録が、でしょうに…!

ミサトは忌々しげに、泰然とした副司令の顔をにらみつける。

 

「…どのみち、すでに接敵状態に入っている。

 使徒が零号機を狙っている以上、収容は事実上不可能ではないかね」

「しかし…!」

「もういい」

 

ゲンドウは、腹が立つくらいゆっくりとサングラスの位置を直した。

 

「現時点より、作戦指揮は私が執る」

 

冬月が頷く。

 

「司令!」

「復唱はどうしたのかね」

 

ミサトの反駁に重なるように、静かだが冷徹な冬月の声。

 

『りょ、了解!』

 

オペレーターはじめ、職員から復唱の声が上がった。

ただ、マコト、シゲル、マヤの3人だけは、ミサトに気遣わしげな視線を向ける。

 

「……っ」

 

ミサトは拳を固く握りしめ、下を向いた。

 

「少し頭を冷やしたまえ、葛城君」

「……………はい」

 

「レイ。

 なんとしても使徒を振り切れ。 残り90秒だ。

 …いざとなれば、機体を捨てて逃げろ。

 フィフス、いつでも発射できるようにしておけ」

 

限りなく冷徹ではあるが、指示そのものは正しい。

零号機に、それを実行できるだけの余力があればだが。

機体を捨てるという選択肢も、ミサトとて考えないではない。

しかし、乱戦状態から無防備に飛び出すエントリープラグを、果たして使徒が見逃してくれるだろうか。

 

…自分は、シンジやレイと近しい存在になりすぎてしまったために、正しい状況判断が下せなくなってしまっているのだろうか。

だとしたら、現場指揮官としては大いに問題ありだ…。

 

いや、そうじゃない!

 

ミサトは、かぶりを振った。

 

P・改で決着がつかなかった時、そのときはどうなるのだ。

ミサトは気づいている。

ここまで、両機とも損傷がないのが不思議なほど、綱渡りを強いられていることに。

使徒の攻撃は、まさに一撃必殺の威力だ。

致命的なダメージを受けてからでは遅い。

しかも、ドグマを往復するためには、少なく見積もっても10分以上はかかる…!

地表とジオフロントを犠牲にして、ようやく間に合うかどうかというところだ。

 

通用しないとわかってからでは遅いのに。

 

ロンギヌスの槍。

できることなら、戦闘の一番最初から手元に置いておくものを…。

…それともまさか、NERVが壊滅し、サードインパクトが起きても、槍は使わないとでもいうのか。

そんな本末転倒な話が…。

 

ふと、視線を動かした先に、アスカの後ろ姿があった。

彼女には悪いが、ミサトはその存在をしばらく、すっかり忘れていた。

アスカ自身が、あまりにも周囲のやり取りに無頓着だったこともある。

 

「ずいぶん静かじゃない。大人の醜い口論には興味、ない?」

 

こんな時に大人げないな、と思いつつ、口調がつい自嘲気味になった。

まるで動じていないアスカに、筋違いな苛立ちを覚えたのかもしれない。

しかし、アスカは気にした様子もなかった。

 

「別に、そういうわけじゃないけど。

 あたしが気になるのはね、シンジのやつがどうするつもりなのかってことだけ。

 他のことは、どうでもいいわ」

 

あまりにも明快な答えに、一瞬、頭に血が上っていたことも忘れ、ミサトは、まじまじとアスカの横顔を見つめた。

 

ある意味、大胆な発言だが、のろけているとか、そういうことは一切ないようだ。

その証拠に、アスカは大まじめに、スクリーンだけを見つめている。

 

初号機が、ようやく瓦礫の間から立ち上がるところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『レイ。

 なんとしても使徒を振り切れ。 残り90秒だ』

 

指示の相手がミサトからゲンドウに代わっても、レイは動じなかった。

 

自分だけを追ってくるなら、むしろ好都合。

 

使徒に対するたび、シンジが苦悩するのを、レイは見てきた。

少年は、そのたびに1人で何とかしようと悪戦苦闘してきた。

 

力になりたい。

今度は自分が。

 

内蔵電源は警告音を鳴らし続けている。

レイは、ここを決戦場と決めた。

迫りくる使徒を見据え、腰を落として無防備に構える。

勝負は一瞬―――。

 

使徒の腕が閃いた。

 

「......!」

 

零号機は、あえて大きく避けず、上半身をひねった。

 

飛沫とともに、片腕が宙を舞った。

使徒の腕は、そのまま背後の地面に突き刺さる。

 

この使徒を相手に、無傷でどうにかしようというのが間違いだ。

 

『零号機、左腕切断!』

 

つかまえた......っ!

 

エヴァから伝わる激痛をこらえながら、レイは残る右腕で、使徒の腕を側面から掴んだ。

 

「たあっ...!」

 

珍しく、レイの口から気合いの声が漏れた。

全身全霊の力を込めて右腕を引くと同時に、足を蹴り上げる!

 

ドッ!

ブチブチ…ブチィッッッ!!!

 

瞬間、零号機に引き寄せられるように交錯した使徒の右腕が、根元からいやな音をたてて引きちぎられた。

2体は同時に、反対の方向へはじき飛ばされる。

 

「く......!」

 

思わぬ反撃に、使徒は仮面をゆがめて仰向けに倒れかかった。

片腕の零号機は、バランスを崩しながらも、その場を離脱しようと…。

 

―――視界を、黒い蜘蛛の糸が埋め尽くしたかのうように見えた。

 

それは、瞬時に幾百条にも分かれた、使徒の腕だった。

一瞬にして、零号機は上腕部から上の身動きを封じられた。

 

ようやく獲物を捕らえた歓喜に震えるように、使徒は零号機の頭部を締めつけたまま、ゆっくりと吊り上げる。

 

 

 

発令所

 

 

 

それを目にしたとき、ミサトは迷わず叫んでいた。

 

「!全神経接続解除っ」

 

そして、マヤは迷わずそれを実行した。

 

次の瞬間、零号機は脳天から地面に叩きつけられていた。

 

「頸椎に損傷!」

「レイ!…パイロットは?!」

「脳波、乱れています!」

「まずい…司令!」

 

二度目の呼びかけで、ようやくゲンドウは口を開いた。

 

「…プラグ、強制射出」

「はい!

 ………だめです!!」

 

マヤが、泣きそうな声を上げた。

 

「信号は受け付けているはずなのに、射出機構が働きません!

 先ほどの衝撃で、障害が出ているものと思われます!」

 

使徒の目が光った。

 

ドン!という音と爆発に一瞬遅れて、零号機の胸部装甲板が吹き飛んだ。

 

「零号機、大破!」

 

そして、それがあらわになる。

目の前の使徒と同じ、赤い球体。

 

『うおぉおおおおおおおおおっっ!!』

 

その瞬間、両者の間に初号機が割って入った。

狙ったのは、零号機を捕らえて伸びきった、その腕。

落下の勢いを加えた渾身のスマッシュホークの一撃が、幾重にも連なったテープのような使徒の腕を切り裂いた。

 

そのまま武器を放り出すと、初号機は後ろも見ずに、落下する零号機に突進した。

 

閃光。

 

接続部ごと、初号機のアンビリカルケーブルが吹っ飛ぶ。

背面装甲をまき散らしながら、それでも初号機は、零号機を抱きかかえるように地面を転がった。

使徒との間に、一瞬、距離が開いた。

 

『…っッカヲル君!!!』

 

血を吐くような、シンジの叫び。

 

「撃て」

 

聞く者が苛立つほど冷静なゲンドウの射撃指示。

 

芦ノ湖の対岸で、この機を狙い続けていた4号機が、無造作に引き金を引いた。

 

どっ、と風雨を切り裂いて奔る光の束。

芦ノ湖の水面を蒸発させながら、一直線に。

 

使徒が気づいた。

前面に展開される、巨大なATフィールド。

大地に長大な傷跡がまっすぐに走った。

 

巨大な壁に、太い光の帯が激突。

 

対岸からほとばしったエネルギーの束は、厚い壁をものともせずに撃ち抜いて、狙い違わず使徒を直撃した。

 

視界が漂白され、使徒は光の中にのみ込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザアァァァ――――……

 

 

 

 

 

 

ブチッ……ブチッ…

 

何かが引きちぎれるような音だった。

 

焼けこげた匂い。

 

有機物の燃える、いやな匂い。

 

P・改の射界前面にあったビル群が、すべて消滅していた。

 

被害は甚大。

 

それでもなお。

 

その使徒は、まだその場に存在していた。

 

全身から湯気や黒煙を上げながら。

 

コアは―――。

 

赤いはずのそれは、硬質の殻のようなものでくるまれている。

 

熱でねじ曲がった仮面が、今一度、閃光をはき出した。

 

山の尾根を削り取ったのと同様、なぎ払うような反撃。

 

対岸の4号機。

 

回避機動を取るその背を追うように。

 

 

 

 

 

4号機エントリープラグ内

 

 

 

「砲身と接続チューブを持っていかれました。第2射は不可能」

『すぐに戻れ。使徒は、まだ健在だ』

「…了解」

 

 

 

 

発令所

 

 

 

 

雨は、やまない。

 

 

 

 

 

発令所内は、水を打ったように静まりかえっていた。

絶望的な空気が支配する。

 

響く、警告音。

 

澱んだ空気の中、スクリーンの中のシンジが、何か叫んでいた。

その声は、音声回路がいかれたのか、聞こえてこない。

無音の中で必死に声を上げ続ける姿が、どこかシュールだった。

 

初号機は、背後に倒れ伏した零号機をかばうように、膝をついていた。

 

警告音。

活動限界まで、あと…。

 

不意に、初号機は肩のウェポンラックを開いた。

中からプログナイフを掴み出す。

 

誰もが、その光景を惚けたように見つめていた。

 

「―――――まだ、あがくのね」

 

そのアスカのつぶやきを、ミサトが聞きとがめた。

 

あんまりな言葉ではないか。

 

しかし、あきれるような言葉とは裏腹に、そこにあったのは憐憫でも蔑みでもなく、感心したような、ある意味尊敬の念。

純粋な好意、だった。

 

アスカは、シンジを理解した。

 

何か策があるわけでも、深い考えがあるわけでもなかった。

それでも必死に、なんとかしようとしていた。

 

果てしなく不器用で不細工だった。

正直、馬鹿馬鹿しいと思った。

しかし、意外に素直に受け入れられた。

 

だからといって、声を上げて、応援してやるようなことはしない。

それは、自分にふさわしくない。

だから、黙って腕を組み直し、モニターをじっと見つめ続けた。

 

付き合わされるのはごめんだと思っていたけれど。

やっぱり最後まで付き合ってあげる。 気がすむまでね

 

 

 

 

初号機は、クラウチングスタートのような体勢から、まっすぐ前。

使徒の懐――――コア目がけて。

 

走り。

 

そして、力尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「内部電源ゼロ…初号機、活動限界です」

 

重い…沈黙が流れた。

 

初号機のプログナイフは、その切っ先がコアに届く直前で止まっていた。

 

これが現実。

 

使徒はいまだ健在で、零号機と初号機は、その活動を停止している。

4号機の到着までは、まだ5分以上あった。

 

使徒の半ばちぎれた左腕が、路傍の石を払いのけるように、初号機をはじき飛ばした。

 

ミサトが迷わず叫ぶ。

 

「初号機のプラグ強制射出、急いで!」

「は、はいっ…」

「いかん!」

 

発令所の面々も、おそらくその時初めて聞いたのではないだろうか。

碇ゲンドウの怒号を。

 

「司令!」

 

掴みかからんばかりの勢いで、ミサトが反駁する。

その顔は、怒りと焦燥で真っ赤に染まっていた。

 

にらみ合うその姿は、すでに司令と作戦部長という境界を成していない。

 

パネルに指をかけたまま、マヤは泣きそうな顔で上司2人を交互に見上げた。

アスカは、腕組みしてモニターを見据えたまま、微動だにしない。

 

決定的な決裂になるかと思われた、その時、

 

 

 

 

 

ゥオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ………ン!

 

 

 

 

 

甲高く、尾を引くような咆哮が響き渡ったのは、その時だった。

 

「これは…」

 

「碇…」

「………」

 

ゲンドウの口元に、笑みが浮かんだ。

 

だが……それは次の瞬間、引き締められることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エヴァ、再起動…」

 

シンと静まりかえった発令所内に、半ば呆然としたマヤの報告の声だけが流れた。

 

「…零号機、、、、再起動しました」

 

 

 

 

 

Episode34:2 End   

 

 

 

 

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