ミーンミンミンミンミーン………。
ミーンミンミンミンミーン………。
ジーーーーーーーーーーーーーー……。
蝉が鳴いている。
その女の子はセミが好きだった。
セミは少女の一番好きな季節――――――夏を体で感じさせてくれるから。
ミーンミンミンミンミーン………。
高い空。
真っ白な入道雲。
鮮烈な日差し………。
その女の子は夏が大好きだ。
それは、少女の両親が、命をかけて護った季節。
女の子の白いワンピースが風に揺れる。
頭にはちょっと大き目の麦わら帽子。水色のリボンがやはり揺れている。
その下の漆黒の髪は、夏の日差しに透かした時だけ、奇麗な栗色に輝く。
母譲りの大きな目。
好奇心に満ちた瞳がくりくりと動く。
父譲りの優しい顔立ち。
夏の日差しの下で、天使のように輝く笑顔。
色白なのは、両親どちらから受け継いだのだろうか?
ミーンミンミンミンミーン………。
セミの声の元で、女の子は友達と一緒に砂場で遊ぶ。
みんなでつくる、砂のお城。
みんなの笑顔。楽しそうな笑い声。少女も一緒になって笑う。
楽しいひととき。
ジーーーーーーーーーーーーーー……。
あっという間に過ぎていく時間。
傾く日差し。
ミンミン蝉がお家に帰り、あぶら蝉もさみしそう。
やがて……ひとり、またひとりと、友達が帰って行く。
迎えに来たお母さん。
嬉しそうなみんなの顔。
大きく手を振りながら、みんなは帰って行く。
少女がとうとう一人になる頃……。
あぶら蝉もお家に帰る。
カナカナカナカナカナカナカナ…………。
夕暮れ。
涼しげな風と共に、蜩が鳴き始める。
女の子は待っている……。
…………。
…………。
僕は、蜩が嫌いだった。
蜩は、夢の終わりを告げるから………。
カナカナカナカナカナカナカナ…………。
茜色に染まる空。
迫り来る夕日。
重なり響く、蜩の声。
それは僕に、既視感を抱かせる。
幼い頃の遠い記憶。
ひとりぼっちの砂場。
つくりかけの砂の城。
誰もいなくなった砂場で、僕はがむしゃらに城をつくり続ける。
日が落ちて、完成する砂の城。
そのとたん、溢れ出す激情。沸き起こる衝動。
気がつくと……僕は出来たばかりの砂の城を蹴り壊している。
蹴って。蹴って蹴って蹴って蹴って蹴って………。
やがて、城は跡形もなく姿を消す。
揺れているブランコ。
迎えは………来ない。
……………。
……………。
「……どうしたの?」
隣を歩く妻に、僕は意識を呼び戻される。
「いや、なんでもないよ……」
「そう?」
訝しそうな彼女。
やがて微笑を浮かべて、流れる清涼な風の中にうっとりと身を委ねる。
小さく揺れる栗色の髪。
あの頃から変わらない、たおやかな肢体。
白皙の、透けるように白い肌。
いたずらっぽく見開かれる、大きな瞳。
僕を見つめている。
いつの頃からだろう……彼女はずっと僕の側にいる。
彼女の笑顔と、そして怒った顔。すねた顔。
いつの頃からか……もう、あの恐怖は感じない。
砂場。
朱に染まった視界の中で、揺れている一つの影。
きこ…きこ…きこ…きこ…。
ブランコにひとり。
いつかの僕がそこにはいる。
訪れない迎え。
待ち続けた温もり。
だけど今は………。
「あっ……!!」
女の子は公園の入り口にたたずむ二人に気付く。
最高の笑顔を浮かべ、おおはしゃぎで、こけつまろびつ駆けてくる。
「パパ!ママ!」
小さな感触が、腕の中に飛び込んできた。
隣の妻と二人で、娘を柔らかく受け止める。
かけがえのない温もり……。
「ごめんよ。少し遅くなっちゃったね」
「さみしかった?」
僕と妻の言葉に、娘はにっこりと笑う。
「ううん。だって、すぐに来てくれるって信じてたもん!」
僕は妻と思わず顔を見合わせる。
泡が弾けるように、広がる笑い。
ちょっぴりおませな天使の笑顔。
帰り道。
娘は、僕と妻の手を片方づつ握っている。
僕たちに間を挟まれた彼女は、とても嬉しそう。
「ねぇ。ママはあたしのこと好き?」
不意の質問。ちょっぴりおませな天使は、質問するのが大好きだ。
「もちろんっ。大好きよ」
「じゃあパパは?」
「もちろん…大好きよ。……ママはねぇ。あなたとパパが、世界中で一番大事なの」
妻は幸せそうな笑顔で娘に答える。
まるで夢のような光景。
でも、これは夢じゃない。右手に感じる確かな温もり。
「じゃあじゃあ、あたしとパパではどっちが好き?」
「え?」
「ねえねえ、どっち?」
「そ、それは……」
「あれぇ、ママのお顔が赤いよ。どうしたの?」
「こ、子供は知らなくていいの……」
夕日のせいだけじゃない朱色に頬を染める妻。彼女はいつまでも少女のようだ。
「ふーん……ね、パパは?パパはあたしとママとどっちが好き?」
ちょっぴりおませな天使は、今度は僕をきらきら輝く瞳で見つめる。
「……パパはね、二人とも比べられないくらいに愛してるよ」
それが僕の答え。
これは僕の本心。
微笑みながらも、妻はすこし不満そうだ。彼女は子供に対してすら嫉妬するらしい。
少しからかってみたくなって、僕は妻を見る。
「ママは?僕のこと愛してるかい?」
彼女は一瞬目を丸くして……そしていたずらっぽく微笑む。
娘と手をつないだまま、彼女は僕の前にまわり、指で銃のかたちをつくる。
そして……いつか聞いた懐かしい言葉。
「あんた、バカぁ!?」
BANG!
彼女の銃が、僕の心臓をとらえる。
最高の笑顔。
ぱちり、とウインク。
「そんなの、決まってるでしょ」
僕は笑った。
「ねぇママ?」
「なーに?」
「パパ?」
「ん?」
「だぁーい好き!」
愛らしい天使は、言ってぽーん、とひとつ跳ねた。
三人の重なった影が、長く、長く伸びていく。
カナカナカナカナカナカナカナ…………。
カナカナカナカナカナカナカナ…………。
遠くで、蜩が鳴いてる……。
……もう、蜩は嫌いじゃない。
(Fin)
(update 99/09/05)