新世紀エヴァンゲリオン ■約束■
Written By.みゃあ
シンジの前には、ただ暗闇だけが広がっていた。
それは虚無という名の底無しの暗闇。
それはシンジの目の前で、彼を呑み込もうと顎を広げていたが、少年は全くの無関心だった。
今の彼にとって、周りの世界などどうでも良いことだった。
それどころか、自分の命さえ何の価値も持たなかった。少なくともそう思い込んでいた。
なぜならば、彼は自らの手で愛するものを殺めてしまったからだ。
彼は先刻、自らの手でカヲルの首を飛ばした。
しかも、激情に身を任せてである。
彼は唯一自分に、掛け値なしの愛を注いでくれた人物だった。少なくとも、シンジの頑なな心の扉を、こじあけるのではなく開かせた、数少ないひとりであったのだ。
感情に任せてカヲルを殺したことで、シンジはカヲルの未来と、それに連なる全てと、そして彼自身の未来を断ち切った。
カヲルには、もっと話してもらいたいことがあった。
もっと教えて欲しいことがあったのに……。
「………!……!」
耳元で誰かが怒鳴っている。
おそらくミサトだろう。
「しっかり生きて、それから死になさい!」
彼女は誠心誠意説いていたが、シンジのこころには届いていなかった。
(生きる……?)
自分のことを「好きだ」と言ってくれたカヲル。
それを自らの手で消してしまった以上、彼にとって生きることは無価値なことであった。
「僕にとって生と死は等価値なんだ」
カヲルの言った言葉はこの時のシンジにも当てはまった。
どちらも無価値だという点においては。
………どのくらい経っただろうか。
………どうでもいいことだ。時間の経過など何の意味もないことだ。
地上では現在、アスカが白い翼を生やした、偽りの天使に最後の戦いを挑んでいたが、彼には救援に行く意志がなかった。
それ以前に関心がなかったからだ。
このまま沈んでいけばいい。
暗闇の底へ………。
その頃には、自分の命も尽きているだろう。
そんなことを漠然と考えていたシンジに、直後、自分の目を疑う出来事が起こっていた。
「………!」
そこには、表を飛び回る醜悪な偽りの天使などではない、光の翼を持った本当の天使が立っていた。
「………カヲルくん」
こくり。
シンジは目を見開いて、知らず知らずのうちに喉を鳴らしていた。喉がカラカラだった。
『シンジくん………』
光の輪郭をまとった天使―――――カヲルは、確かにそう言った。
これがどういう現象なのか。
破綻したシンジの精神が作り出した幻影であるのか。
葛藤する彼の中の人格の一つが表象として現れたものか。
あるいは、「使者」であるカヲルの特異な能力が霊的な存在となって降臨したものか。
とにかく、シンジの目の前、手を伸ばせばすぐ届く距離に、カヲルはいたのである。
その時シンジは、自分の感情を制御することがままならなかった。
本心は嬉しいはずだ。だが、自分はとうとう狂気に冒されたのだろうか?
それならそれでかまわない。
だが、シンジに恐怖の感情を思い起こさせたのは、カヲルの目が自分を責めているように感じられたことだった。
結果的に、彼の表情の前面に現れたのは、その恐怖の感情であった。
「か、カヲルくん……僕は…僕は!」
カヲルに嫌われた。
そのことに何よりも恐怖感を感じていたシンジは、必死で謝ろうとしていた。自分の犯した罪を。
だが、光の翼を広げたカヲルが責めていたのは、そんなことではなかった。
『なにをしているんだい。シンジくん?』
「え………?」
シンジはカヲルが何を言ったか分からず、何を糾弾されたのか理解できず、混乱状態でカヲルを見返した。
『君は本当に僕のことが好きだったのかい?』
突然そう問われたシンジは言葉に詰まった。
好きでなかったからではない。
むしろその逆だ。
だからこそ、彼を殺したことと矛盾するその言葉を、シンジは言うのをためらった。
だが、カヲルの目は意外なほど厳しく、シンジにYESかNO以外の回答を許さなかった。
「……好きだったさ。ホントに好きだったさ!」
その瞬間、カヲルの表情が和らいだ。文字どおり天使のような笑みをたたえてシンジを見る。
『それを聞いて安心したよ』
カヲルは続けた。
『……ならば君のいるべき場所はここじゃない』
「え?」
『僕は君に託した。良かれ悪しかれ…この星の未来をね』
シンジは答えられなかった。
『これは僕と君が交わした、最初にして唯一の約束だったはずだ』
カヲルは諭すように言葉を継いだ。
彼の表情には一片の曇りもなく、シンジに反論の余地を与えなかった。
その、あまりに悲愴なシンジの顔を見て、カヲルはわずかに憐憫を含んだ眼差しを向ける。
『……言ったろ?僕にとって生と死は等価値だって』
『生きて世界を見つめることも、死して君を見守ることもね』
『僕のことなら気に病む必要はないよ』
『なぜならあの時、僕の死と君の生はイコールだったんだから』
そう言われても、シンジにはあの記憶を拭い去ることはできそうになかった。
しかし、当のカヲルからそう言われたことで、シンジのこころを縛る枷はひとつ外れた。
『さあ、僕との約束を果たしてくれ、シンジくん』
ガラリ、と調子を変えてカヲルは言う。今は、友を励ます親友の口調だった。
『そして、それでも自分が許せないというのなら……』
『いつでもおいで』
瞬間。カヲルはシンジに動く暇を与えず、透けるように白い唇をシンジのそれに押し付けた。
シンジはおどろいたが、不思議と不快感は沸いてこなかった。むしろ……。
半分幽体のような、実体の薄く、ひんやりとしたカヲルの唇はすぐに離れた。
その不思議なくちづけは、確実にシンジの枷を取り払った。
今のシンジにとって、カヲルの言葉は衝撃的だった。
カヲルを好きだった。なのになぜその約束を守らず、何もしようとしないのか、と問われればシンジには返す言葉がない。
カヲルへの想いを考えれば、能動的になってしかるべきだったのである。
それが、自分を責めることで、カヲルとの約束から逃避していたことが、シンジは恥ずかしかった。
そして、こんな自分を見捨てず、諭しに来てくれてたカヲルに感謝したかった。
「カヲルくん。僕は………!」
しかし、カヲルはそんなシンジの表情の変化を嬉しそうに見つめ、彼の言葉を最後まで聞くことなく去った。
『僕は待っているよ、リリン。そう……いつまでもね』
ただひとつそう言い残し、カヲルは眩しい笑顔をシンジの脳裏に刻んで消えた。
「カヲルくん!」
残されたシンジは彼の名を呼び、直後、彼の意識は現実に戻ってきた。
その後、いかなる心理的葛藤が少年の中で行われたかは分からない。
とにかく、彼は動いた。
自分の意志で。
シンジはミサトを死なせなかった。
シンジはアスカを汚れた天使たちに蹂躪させなかった。
カヲルの半身ともいうべき3番目のレイは、彼に従った。
……かくて、人類は補完されなかった。
ゼーレの思惑にもよらず、ゲンドウの固執にもよらず。
こうして再び彼らの迷走が始まる。失われた破片を探す、果てることの無い旅が。
……しかし、少なくともいくつかの命は救われた。
「生と死は等価値」
カヲルの価値観からすれば、これは喜ぶべきものなのか、悲しむべきことなのか。
だが、シンジは自ら動くことによって道を選び取った。たとえ、ただひとつしか道が存在していなかったとしてもだ。
今、少年の前には、失われた破片のひとつであるかもしれない少女が横たわっていた。そして隣には、水色の髪をした少女が無言のまま付き添っている。
彼女は栗色の髪を長く伸ばした女の子で、今は安らかな寝息と共にプラグスーツの胸元をわずかに上下させていた。
やがて彼女は目覚め、少年の名を呼ぶだろう。
その時シンジは言うのだ。笑顔で。目に一杯の喜びの涙をためて。
「おはよう、アスカ」
と。
約束は果たされた。
(Fin)
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はい、みゃあです。
前の投稿以上に、今回は不評かもしれません。
なんか……最後が尻切れとんぼですね。ちょっと展開を焦ったかな?
だいたい私の作品にしては異常に暗いです。やっぱ、あの映画をまともにエンディグに持っていこうとすると、こうならざるを得ませんでした。他の結末は「希望」とか「蜩〜」でやってますし。
それでも私は大甘ちゃんです。でも、シンジには最低限これくらいは期待したかった……。唯一アスカやみんなを助けることができたのに、彼はなにもしない。そういった憤りから、この作品はできました。
さらに、なにしろ許せんことは…みゃあはカヲルの回見てません(自爆*9999)
だから知ってるのは、人づての話と映画のだけ(笑)。
はい、どうもすみません。
みなさまの厳しいご意見をお待ちしております。