122

 

 

 

中天に、半月がかかっていた。

 

ほのかな月明かりだけの暗闇の中に、小さな赤い灯が大きくなり…また小さくなった。

ゆっくりと、紫煙がはき出される。

安っぽい香りが、目に染みる。

 

ふと見上げた街灯には、壊れているわけでもないのに灯が入っていない。

電力の復旧が遅れているのだろう。

影響は予想以上に大きかったようだ。

まして、このような市街の外れであれば、処置を後回しにされても不思議はない。

 

「A−17の発令…。なぜ止めなかった」

 

女が言った。

 

「無茶言わないでください。その場にいない人間に、どうしてそんな芸当が?」

 

男は肩を小さくすくめた。

暗闇の中では、効果があったのかはわからないが。

 

「資産凍結の余波を考えたことはあるの」

「マーケットは取引終了後でしたし、影響は限定的では?」

「…海外市場は大変な騒ぎよ。国内市場への波及は不可避の情勢」

「そりゃあ、お困りの方も多いでしょう」

 

からかうような口調に、女のまなじりが上がる。

 

「ネルフの失敗は、世界の破滅を意味するのよ」

「あやうく、そうなるところでした。ネルフが停電のせいで動けない、なんてことになってたら」

「………」

「作戦は頓挫。おまけに派手な銃撃戦までやらかしたっていうじゃないですか」

 

男の目が一瞬、別人のように鋭くなる。

 

「とんだ失態ですな」

 

 

 

 

 

 

 

 

123

 

 

 

 

キャリアに固定された弐号機を見て、リツコは何度目かのため息をついた。

修復までにかかる時間と手間と予算と人員とスタッフの嘆きを想像して、眉間を押さえる。

 

「また、派手にやってくれたわね…」

「あら、最小限の損害よ。摂氏1000度を超えるマグマの中で使徒と格闘戦を演じたんですから」

 

右手を吊ったまま、片手で器用に缶コーヒーのプルタブを開けながら、ミサトはしれっと言う。

リツコは振り返って、嫌な顔をした。

 

「D型装備はもうだめだわ。あれ一式揃えるのに、どれだけかかったか分かっているの」

 

本来、D装備で格闘戦など想定していない。

しかし、ミサトはけろっとした顔でコーヒー缶を傾けた。

 

「はじめから殲滅が目的だったら、ほかにやりようはあったけど?」

「接触時点で、すでに使徒が羽化しているなんて、計算外だわ」

 

それにしても、ミサトはよく気が付いたものだ。そう言うと、彼女は「ま、ね」と肩をすくめた。

 

「対流で流されているにしては、接触したポイントがね。…それに、最初に観測機で見た時より、大きくなってるような気がしたのよ」

「あなたにしては、目聡いわね」

「褒められたと、思っていいのかしら?」

 

リツコは、わざとらしく目を逸らした。

 

「…シンジ君たちは?」

「メディカルチェックが終わったから、旅館の方に行かせたわ。もう遅いし」

「異常はなかったの?」

「フィードバックの影響か、皮膚に炎症がみられるそうよ。肌がひりひりするって、アスカが文句言ってたわ」

「…短時間でも、特殊装備なしでマグマに身をさらしたんですもの。 シンジ君は?」

「本人は平気だって言ってたけど。もしかしたら、今夜は寝られないかもしれないわね」

「そう…」

 

個人差なのか、シンジの方が炎症はひどかった。

 

「結局、あなたの思惑は外れたみたいね」

「何が?」

「シンジ君を弐号機に乗せたことよ」

 

シンクロ率そのものは上昇傾向にあったものの、実質的な成果があったようには見えない。

チルドレン2人をいっぺんに失うリスクを考えれば、今回の作戦はアスカ一人で行わせても問題はなかったように思える。

しかし、ミサトは穏やかに笑った。

 

「あれは、あれでいいのよ」

 

大深度での孤独な作戦を強いられるストレスとプレッシャーは、想像に余る。

シンジは自分の思惑以上の役目を果たしてくれたとミサトは信じていた。

 

「ご苦労様、レイ! あなたも上がってちょうだい」

 

手が足りないため、使徒の死骸の処理と、弐号機の回収作業を手伝っていた零号機に向かって、ミサトは手を振った。

 

 

 

124

 

 

 

ひんやりとした夜気が、火照りを帯びた肌に心地いい。

体は疲れ切っていたが、過敏になった神経は、眠ることを許してくれそうにない。

だが、それがかえって実感させてくれた。

 

なんとか、生きて帰ってこられた…。

 

予期せぬことの連続で、ほとんど何もできなかったが、とにかく今は無事にここにいる。

死は、ごく身近に存在していた。

あの時感じた恐怖は、しばらく忘れられないだろう。

 

「あ…」

「あ…」

 

シンジとアスカは、同時に小さく声を上げた。

旅館の庭先で、ばったり鉢合わせたのだ。

 

「あんた、もう寝たんじゃなかったの?」

「え、うん。…なんか、目が冴えちゃって。 アスカこそ、お風呂行くって言ってなかった?」

「温泉は雑菌が多いから…」

 

そこまで言いかけて、アスカははっと我に返って、シンジの頭を小突いた。

 

「って、何言わせんのよっ!」

「いてっ…な、なにがさ?」

「乙女の都合よ!」

「はあ…?」

「いいから!忘れなさい!今!すぐに!」

「う、うん。…?」

「………」

「………」

「…沖縄と違って、こっちはこの時間になると涼しいわね」

「…うん、そうだね」

「………」

「………」

「………」

「…じゃあ、僕は行くね」

「ちょっと!待ちなさいよ! 話はまだ終わってないでしょ…」

「え…そうだっけ」

「そうなのよ! …大体、会話が途切れたら、話題を探すのが男の役目ってもんでしょうが」

「…そうなの?」

「そうよ!」

「う…んと…」

「………」

「………」

「………」

「ごめん、何も思いつかないや」

「…いいわよ、もう」

 

アンタに期待したのが馬鹿だったわ、とか何とかぶちぶち言いつつ、アスカは脱力した。

 

 

 

ちり…り…ん……りー…ん…ちりん…

 

 

 

「あ……」

「? …何、この音」

「風鈴だね」

「フーリン?」

「あ、そっか…ドイツにはないよね。 軒下とかにかけておく鈴みたいなものなんだけど、風で音が鳴るんだ。だから、『風の鈴』って書いて、風鈴」

「風の鈴…綺麗な響きね。でも、なんでわざわざそんなことすんの?」

「ん…暑さを和らげるため、かな。ほら、この音を聞いてると、なんとなく涼しくならない?」

 

 

 

ちりり…ん……ちりん…ん…りん…

 

 

 

「そう…ね。ちょっと涼しくなったかな。 …あ、いい風」

 

アスカは、髪をかき上げながら、気持ちよさそうに目を細めた。

その横顔に、シンジはどきりとしてしまう。

シンジ相手では怒っていることが多いので、こうした自然な表情を見せられると、どうしていいかわからなくなる。

 

「…ありがと」

 

言いづらそうに、アスカの口がもごもごと動いた。

 

「一応、お礼を言っとくわ」

「え、え?」

 

横顔しか見ていなかったシンジは、何を言われたのか分からなくておたおたする。

 

「ケーブルが切れそうになったとき、掴んでくれたでしょ」

「あ…ああ、なんだ。そんなの気にしなくていいのに」

「あたしがイヤだっつってんの!あんたに貸し作ったまんまなんて、プライドが許さないわ」

「だって、掴まなきゃ2人とも危なかったし。咄嗟だったから、よく覚えてないよ」

「うるさいわね、とにかくあんたには借り1つなのよ!」

「わ、わかったよ」

「フン。初めから素直にそう言っておけばいいのよ」

 

なんで怒られてるんだろう…と、シンジは首をかしげた。

アスカは、勝手にすっきりした顔で、もう用はないとばかりに背を向ける。

そして、こわい表情をつくって、もう一度振り返る。

 

「あんたに言っとくけど。もうずうぇぇっっったい、あたしの弐号機には乗せないからね」

「………」

「さっさと寝なさい。おやすみ、バカシンジ」

 

しばらく、シンジは唖然とアスカの後ろ姿を見送っていたが、その姿が見えなくなると、肩の力を抜いて呟いた。

 

「…おやすみ、アスカ」

 

それだけで、なんだか幸せな気分になれた。

 

 

ちりり…ん……ちりん…ん…りん…

 

 

 

 

125

 

 

 

翌日。

 

 

「博士」

 

ろくに寝ないで端末に向かっていたリツコのもとを、レイが訪れた。

 

「…珍しいわね。私のところに来るなんて」

 

やや意外な顔をしているリツコをよそに、レイは小さな紙袋を手渡した。

 

「なに……これ?」

「...おみやげです」

「………え?」

 

聞き慣れない言葉を耳にしたような気がして、受け取った紙袋と、レイの顔を視線が往復する。

レイは、いつもと変わらぬ表情だ。

 

「ああ…沖縄の? ………わたしに?」

 

レイは答えず、紙袋に視線を落としている。

 

「開けていいの?」

 

レイは頷いた。

果たして、出てきたのは小さなマスコットだった。キーホルダーが付いている。

 

「………」

「イリオモテヤマネコです」

「そ、そう」

「......猫です」

 

レイは、じっとこちらを見ている。

 

「……あ、ああ。どうもありがとう」

 

反射的に口に出すと、レイは納得したように頷いて、スタスタと部屋を出ていった。

リツコは、手の中のマスコットに目を落とすと、半ばぼう然と呟いた。

 

「なんだったのかしら…」

 

特徴的な毛色の山猫が、可愛く笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

そして、発令所。

 

ずず……。

 

濃いめに入れた玉露をすすって、冬月は言った。

 

「うまいな」

「……ああ」

 

「ちんすこう」を手に、ゲンドウは答えた。

 

 

 

(つづく)

 

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