「僕たちは二つ年を重ねた。」
ちょっと、今日は早過ぎたわね。
そう言って、アスカは躊躇なく土手の草の上に寝ころんだ。
制服が汚れるんじゃ…と思ったが、なんとなく言い出しあぐねて、隣に腰を下ろす。
朝早いせいか、土のひんやりとした感触をお尻の下で感じた。
「あ…だめだわ、これ。眠くなる」
手を頭の後ろで組んで、早速目を閉じたアスカが、むにゃむにゃと呟く。
「…目は開けてればいいんじゃないかな」
「んー…眩しくない?」
「平気だと思うけど」
「…。……っ」
げしっ。
「まっぶしいじゃん、バカシンジ」
「痛っ。…すぐ足出すの、やめようよ」
「うるさい。あんたもやってみなさいよ、この眩しさが分かるから」
「えー…」
内心ため息をつきながら、片手を後ろについて、背をそらす。
…っ。
川面に反射した朝陽が目を射る。
「ほら!ほら、今、眩しかったでしょ」
がばっと体を起こして、鬼の首を取ったように指を突きつけるアスカ。
「…大げさだよ」
「でも、眩しかったんじゃない。目ぇ細めてた」
「蹴られなきゃいけないほどじゃない」
「フン。あたしの瞳はね、あんたのと違って色素が薄いの。つまり、より眩しいの」
こてん、と再び両腕をまくらに寝転がる。
「………」
「………」
言の葉が途切れて、なんとなくさっきと同じように空を見上げる。
今度は照り返しに注意して。
ざあ…と草原を渡る風が、波音のようにさざめいた。
襟元が、まだ、少しひんやりする。
首をすくめると、ネクタイに手をかける。
「こうしてるとさぁ…思い出すわね」
「ん…そうだね」
ネクタイを直しながら、上の空で返事をして…
――――しまった!
思ったときには、もう遅い。
剣呑な視線が、横顔にちくちく刺さる。
「ほぉ…何を思い出したのか、言ったんさい」
…目が怖い。
生返事とか、気のない相づちといったものに、アスカはそりゃあ厳しい。
「5秒以内。5…4…」
即座にカウントダウンが始まる。
考える時間はあと3秒…!
あわてふためいて、頭をフル回転させる。
「2…1。で?」
「ええとぉ…あれだよね。…うん」
「アレ?」
ほっほー…とさらに目が細くなる。
「だからえぇと…」
「考えてんじゃないわよ。」
むぎゅぃ〜。
「い、いひゃ…やめへ」
「じゃあ思い出させてあげる」
ぐいっ。
「うわっ…んぅぐっ」
………
………
………
………
………
………
………
………
「っはぁ!…ハァハァ、あ、朝から濃厚なのはやめようよ。ま、マズイよ…」
「マズイ?な・に・を言ってるのかしらねぇ。
あたしは真面目にやってんのよ。
で?思い出せたんでしょうねぇ…」
「へ?」
「『へ』〜?」
アスカの言葉尻が上がった。
おまけに、まなじりが1.5cmほど上がった。
「なら、これならどうよ?」
がりっ。
「!〜〜〜〜」
唇の端から血が滲んで、鉄の味が広がった。
ついでに涙もにじんだ。
そして、ようやく頭にひらめいたものがあった。
「さ・あ・て、お答えを聞きましょう」
…これで間違えたら、ただじゃすまないなと、本能的な恐怖を感じた。
のしかかられているので、自然と上目遣いになる。
「お、思い出した」
「なにを?」
「そ、空の色………だよね」
「………」
うさんくさげな目で、アスカが僕の顔をなめ回す。
ハァ?何言ってんの、あんた…という目。
ここで下手なことを言ったらダメだ。
試そうとしている――――!
「………」
「………」
「………」
息を止めて、平静を装う。
「………」
「………」
「………」
に、にこっ。
「…そ」
ごろり、とアスカが再び横になって、僕は解放された。
気づかれないように、安堵の息をつく。
「やっぱり、空は青よね」
ゆっくり流れる雲を目で追いながら、アスカは言った。
さっきまでの気性はどこにいったのか。
力の抜けた、透明な横顔。
草の上に広がる金色の髪が、さらさらと。
僕より色素の薄い、蒼い瞳が、青い空を映している。
「…そうだね。
アスカの目も、き、綺麗な蒼だし」
「………」
じっとぉ〜…。
……ええと。
「碇シンジ君? 大丈夫〜?大丈夫ですかぁ?」
「いて、いたた、やめっ…ごめ」
ヘッドロックの上、頭頂をごんごん叩きながら容赦のない言葉。
……アスカは、寒いセリフにも、すごく厳しい。
「あ。」
「え?」
「あんたがバカなこと言ってるから、いつの間にかこんな時間だわ」
アスカの視線の先を追うと、同じブレザーの制服を着た彼女が、カバンを手に歩いてくるところだった。
「よっと」
パンパン。
スカートの草を払って、アスカは手を挙げた。
「おはよ!」
「おはよう」
ワンテンポ遅れて、僕もそれに倣う。
「......おはよう。アスカ、碇君」
そう言って、朝陽の中で、綾波が小さく微笑んだ。