ああっ女神さまっ

■For your love■

第二夜、スクルド〜Pure Affection〜(前編)

作・大場愁一郎さま

ジャンル:X指定


 

 螢一とベルダンディーは順調にドライブを進めた。

 埃っぽく騒々しく、人工の暑さに満ち満ちた市街から抜け、木々が生い茂って夏の熱気を快適に遮っている林道を駆け抜ける。澄んだ空気が愛撫のように心地よい。

 BMWも冷涼なフレッシュエアーを思う存分吸い込み、身震いしながら二人を乗せて力強く山道を進んだ。

 クネクネした林道を登り、起伏に富んだ山間の県道を突っ走り、緑色のパノラマが拡がる森を駆け抜けると…

「わあ…!」

 側車でベルダンディーが感動の声をあげた。道路を挟んで両側にはたちまち見渡す限りの草原が拡がったのだ。

 なだらかな稜線が海のうねりのように上がり、下がり…。バイクに乗って進むと、まるで緑色の海をクルージングしているかのような錯覚に陥る。

 ここはいくつかの牧場が共同で整備している放牧地帯であった。

 遠く向こうにポツン、と牛舎やサイロが見え始め、風車小屋まで備えている所もあったりする。高原を吹く強い風を利用してのものであろう。

「螢一さん、そろそろこの辺でお昼にしませんか?」

「え、ああもうこんな時間か…。う、時計を見た途端にお腹が空いてきた!」

「うふふ…螢一さんったら…!」

 出発してから休憩も挟まずガンガン走り詰めで、時間も空腹感もすっかり忘れていた。螢一は見晴らしの良いところを適当に見繕うと、路肩に寄せて停車し、エンジンを切った。ヘルメットとゴーグルを脱ぐと、冷水のような風が蒸せた頭に心地よい。

 二人は牧草地に入って並んで歩き、適当な場所にレジャーシートを広げ、そこでランチタイムとしゃれこむことにした。

 今日のお弁当はサンドイッチである。タマゴサンドにツナサンド、サラダサンドの他に炒めたタマネギやシメジ、ベーコンエッグやソーセージなどを挟み込んだホットドッグなんかもある。もちろんすべてベルダンディーの手作りだ。

 抜けるような青空と真っ白な太陽のもと、季節を錯覚しそうなほど心地良い風に吹かれながら広々とした景色のただ中で昼食を頂く…。都会で生活する者にとってはなんとも新鮮で、爽快で、贅沢で…格別しきりだ。

「螢一さん…?どうか、しましたか…?」

「い、いや…はぐはぐ…」

 ましてや最愛の女性と一緒なら…その味は何物にも代え難いものになる。

 螢一はベルダンディーに見とれつつ、口中に放り込んだサンドイッチを舌が小躍りするくらいに咀嚼し、幸せで胸が満たされながら嚥下した。

「…くううっ、これもおいしいっ!ベルダンディー、もうひとつ!」

 破顔しきりの表情と気持ちのいい食べっぷりが螢一の言葉にウソがないことを物語っている。ベルダンディーはニコニコしながら新たなサンドイッチを螢一に差し出した。

「はい、どうぞ。あ、螢一さん、お茶もいかがですか?今日はハーブティーを用意してみたんです。」

「へえ、ハーブティー?なんのハーブだい?」

「カモミールです。このあいだスクルドとお買い物に行ったら新しくオープンしたお店がありまして、そこから買ってきたものです。」

「あ、ぜひいただくよ!って…ねえ、ベルダンディーも食べてる?」

 さっきから給仕ばかりしているのが気になり、螢一は食の手を止めてベルダンディーを見た。バスケットから水筒を取り出しながら変わらぬ様子で答えるベルダンディー。

「ええ、わたしも頂いてますよ。」

「いくつ食べた?」

「まだひとくちですけど…ほら、このタマゴサンド。」

「…ベルダンディー、バスケットこっちに置こう。ほら、お茶もオレが注ぐよ。」

 螢一は困ったように頭を掻くと、ベルダンディーの横に置いてあったバスケットを背後からひったくり、自分の横に置き直した。ハーブティーの水筒も取り上げ、爽やかな芳香で満たしたコップを差し出す。ベルダンディーは露骨にすまなそうな表情を浮かべた。

「…なんだか悪いです、螢一さんにそんなこと…」

「いいからっ!はい、お茶。どんどん食べないと後でお腹がすくよ?」

「…申し訳ありません。気をつかわせてしまって…」

「もう…。オレが気を使いたいんだよ。デートだってオレから誘ったんだ、少しぐらいエスコートさせてくれよな…。」

 自分で言っておきながら照れた様子の螢一は、そそくさと自分のぶんのカモミールティーを注いだ。

 ベルダンディーは嬉しそうに表情を和ませると、そんな螢一の肩へ静かに寄りかかってきた。カモミールの香りとベルダンディー自身の香りが絶妙に混ざり合い、螢一の鼻孔に漂う。

「ベルダンディー…」

「ありがとうございます。じゃあ今日はこれから…もっともっと螢一さんに甘えることにします…。いっぱい甘えさせてくださいね…。」

「そうそう。せめて二人きりのときぐらいはたくさん甘えてくれよ。」

 そう言葉を交わし、二人してカモミールティーを飲んだ。爽やかな香りが鼻と舌を愛撫して、気分を落ち着かせる。

 

 盛夏の陽気。心地よい風。見渡せる視界。遠く聞こえる牛の声。

 適度な満腹感。カモミールがもたらすリラックス。

 そして、側にいる安らげる人…。

 二人がまどろむ条件としては十分すぎるほどの状況であった。

 

 森里屋敷も例外に漏れず、正午のランチタイムが訪れていた。

 しかしこちらにはハーブの芳香のように落ち着けるような雰囲気はなく、さながら煎れたてのハーブティーをひっくり返しでもしたかのように、騒々しくやっている。

「スクルド、お昼はどうするの?」

 ビスチェにカットジーンズ姿で居間に現れたウルドは隣接している台所に声をかけた。

 今日もまた惜しげもなく薄褐色の肌を晒すようなスタイルだ。なんとなく腰の辺り、そして胸の辺りに充足感が漂っているように見えるのは気のせいであろうか。

 ヒップの上向き加減、剥き出された胸元の張りなんかはいつになく色っぽさを醸し出しており、顔のツヤや唇の血色なんかも普段に輪をかけて健康そうに見える。

「それがねーっ、お姉様が作っておいたポテトピザ、たしかお台所にラップして置いてあったハズなんだけど無いのよねーっ。ウルド知らない?」

 折り返して台所から、パーカーTシャツにキュロット姿のスクルドが返事を寄こす。外にまで聞こえそうな通る声だ。もう少し大人びて成熟すればさぞ美しい声になるだろう。

 スクルドは台所の土間に敷かれたすのこの上をあっちへ行きこっちへ行き…冷蔵庫を開け、戸棚を覗き、流し台の上から下までをくまなく調べ上げ、目的とするポテトピザを捜索している真っ最中であった。

 ただのポテトピザではないぶん必死である。敬愛するベルダンディーの手製の昼食なのだ。それがないとあればもう一大事で、探しまくって汗をかくことなどスクルドには少しの苦にもならない。

 そんなスクルドを一撃の元に落胆させる言葉を、ウルドはしれっと口にした。

「あぁ、あれ。さっきあたいが食べちゃったけど…?いやー、ホント爆睡するとお腹が空くものねーっ!もうあっという間だったもんな…それもキリンラガー二本付きで!それでまだお腹が空くっていうんだから…夕べの、引いてんのかしら?」

「なーにぃそーれーっ!!あれ、今日のお昼だったのよーっ!!ちょっと待ってよ、それってまさか、全部ひとりで食べちゃったのっ!?」

 ウルドの満足そうな声を聞き咎め、スクルドは台所で悲鳴をあげるとダッシュで居間に駆け上がってきた。怒りに満ちてプンプンといった顔で、真っ向に睨み付ける両目にはうっすら涙まで光っている。よほどベルダンディー手製のポテトピザを奪われたことが悔しいらしい。

 ちなみに…ウルドのセリフにあったキリンラガーは大瓶だ。しかもどんなルートで入手しているのか、生ビールに切り替わる前のキリンラガーである。

「もちろん全部食べたわよぉ、あんなちっちゃなピザ。」

「ちっちゃいって…あれでウルドとあたしの二人分だったのよっ!もう、どうしてくれるのよっ!?自分だけお姉様のポテトピザ、食べちゃって!!」

「ごめんごめん。悪気があってしたことじゃないのよ?過失よ、過失!」

 スクルドの剣幕にも動じず、ウルドはニコニコ顔で切り返す。

「…過ちを認めるのなら賠償は約束してくれるんでしょうね?」

 軽薄なウルドの態度にスクルドはますます悔しさを募らせ、背伸びして姉の顔を睨みつけた。きゅっと唇を噛み締めている。両手は拳を固め、プルプル震えていた。

 あまり怒らせて泣かしてしまったらまた面倒なことになる。ベルダンディーすらも怒らせてしまうかも知れない。

 ここは素直に自分の非を認めることにし、ウルドは腕組みして深々と溜息を吐いた。

「…しかたないわね、和解に応じて頂戴。賠償額はおいくらかしら…?」

「お金じゃダメッ!お姉様のポテトピザッ!!」

「ハーゲンダッツのバニラ、チョコ、ストロベリーのミニカップ三種セットじゃダメ…?」

「お姉様のポテトピザッ!!」

「ハーゲンダッツのマルチパックひとつじゃダメ…?」

「…お姉様のポテトピザ!」

「マルチパックふたつ。」

「う…うう…っ!やっぱりお姉様のポテトピザァッ!」

「ええい、それにフォションのロイヤルミルクティーふたつもつけてどうだあっ!?」

「…ま、無いものをねだっても仕方がないものね、あたしだって子供じゃないもの。今回はそれで妥協しておくわ。」

 すとん、と背伸びを戻し、肩をすくめて見せながら和解案をのんだスクルド。ウルドはポケットからガマグチを取り出し、中身を確認してゲンナリした。

「…お昼探しも兼ねてコンビニ行ってくる…。」

「行ってらっしゃあい☆」

 すっかり機嫌をなおしたスクルドは、肩を落としたウルドをばんぺいくんと一緒に玄関まで見送りに出た。向こうの角を曲がって姿が見えなくなっても満面の笑みを崩さず、いつまでも右手を振っていた。

 

「帰るのはいつになるかわかんないけど、ね。」

 角を曲がったところでウルドはそうつぶやき、舌を出したのであった…。

 

 ウルドがアイスクリームを買ってくるまではしばらく間があるだろう。

 スクルドはとりあえず空腹の足しにしようと、フリーザーから在庫のハーゲンダッツ・ミニカップを取り出した。お気に入りのバニラとストロベリーだ。森永のラベル袋に入った板スプーンも携えて、居間にちょこんと腰を下ろす。

「日曜のお昼ってロクな番組がないからなぁ…」

 行儀悪くビニールフィルムの裏をぺろぺろ舐めながら、スクルドはなにかおもしろい番組でもやっていないものか、とテレビのリモコンをポンポン操作した。目まぐるしくチャンネルが切り替わるが、特別目を引くような番組は放送していない。

 ランダムに操作しているうち、うっかりビデオライン切り替えのボタンを押してしまった。画面が真っ暗になり、ありゃ、と言った自分の顔が写る。

「…ビデオっていえば…ひまわりくんのモニター忘れてたぁ!!」

 叫びながら立ち上がるスクルド。

 昨日ウルドに飛ばした超小型人工衛星は…マイクロサットひまわりくんはどうなったのだろう。

 今頃になって思い出した。ほんの少しだけ盗み聞きするつもりが、夕べ一晩の映像と音声を専用ハードディスクに記録してしまっている。

「爆睡とか言ってたから…きっと後半はイビキって名前のノイズと、乱れた寝相って名前の有害映像で埋まってるんだろうなぁ。確認するのもイヤだけど、一応新開発品だからチェックはしないと…。」

 ハーゲンダッツふたつと板スプーンを手に、スクルドはゲンナリしつつ自室に戻った。

 簡素なガラステーブルにアイスクリームを置き、あらためてひまわりくん専用ハードディスクを壁に掛けてある超薄型29インチモニターにつなぐ。このモニターはプラズマを利用した自作品で、場所をとらないスクルドお気に入りの逸品だ。微細な音を逃さぬようヘッドホンも用意する。

 これで昨日の悪巧みを暴く準備はできた。モニター正面の座布団に座り、アイスクリームを一口食べる。まるでホームシアターでくつろぐような悪事の検分だ。

「さぁて…映ってるとは思うけどぉ…よし、オッケー!」

 専用コントローラーをカチカチ操作すると…モニターには昨日の螢一の部屋の様子が映し出された。しかし録画した角度がいささか悪い。ウルドの頭の一部と障子度がいっぱいに映っているだけで、なにがなんだかさっぱりわからない。

「へへ〜、心配ご無用!高速周回によってあらゆる角度、位置からモニターしてあるのよ?だからハードディスクに記録された画像情報を解析して組み直すと…ほら、バッチリ!」

 なんと記録映像は本人の好みの位置から好みの角度で再生することができるらしい。スクルドが小さな胸を反らしてコントローラーを操作すると、モニターには天井の隅から見下ろして撮影したかのような螢一とウルドが映し出された。いやはや、なんともスグレモノを発明するものだ。

「えへへ、ほめてほめて!よし、完成度はバッチリね!ではさっそく開始…!」

 そっとボリュームを開けると…二人の会話がヘッドホンから聞こえてきた。

『で…それって本当なのか?』

『ええ、これは本当よ。実例もあるみたいだし。』

「なんの話かしら?ふたりともマジメな顔して。」

 ハーゲンダッツをパクつきながらスクルドはモニター映像をズームさせた。ウルドが手にしているのは『家庭の医学』という本である。こんな本を持ち出して何をしようというのか。そもそも実例とはなんのことだろう。

『だから一応警告。明日ヘンな雰囲気になってお泊まりってコトになってもこれだけは気をつけてあげて。こういうことは男がしっかりしてあげないといけないんだからね?』

『もちろんわかってるよ。まぁ…そんな雰囲気になれたとしたら、だけどね。』

『あら、ちゃんと分をわきまえてるんじゃない。おせっかいだったかしら?逆に今夜、悶々として眠れなかったりして!ああ、ベルダンディーの胸…ベルダンディーの腰…避妊しないと、避妊しないと…ああっ!!』

「避妊…っ!?それってまさか、今日のデートの…!?」

 スクルドはここまで確認して大まかな事情を把握した。恐らくウルドは螢一のデートに備えて、人間と神の間で交配が可能である事実を警告に来たのであろう。

 スクルドとて子供の作り方くらいは知識の一つとして知っている。神聖にして侵すべからずなベルダンディーが螢一とそんなことをするのかと思うと気が気でならない。

 螢一に限って、自分からベルダンディーにアプローチをしかけることなどできるわけがない、とスクルドは確信している。

 しかし…認めたくはないが相思相愛である二人のことだ、もしベルダンディーの方から螢一に求めたとしたら…。

「そんな…いやだよ、あたしそんなのイヤッ…モグモグ…」

 不愉快さが苛立ちを呼び起こし、スクルドはその苛立ちを吐き捨てながらヤケ食いとばかりにハーゲンダッツを食べきった。もうひとつのストロベリーのフタを開け、ビニールフィルムをぺろぺろ舐めながら打算を巡らせる。

「デートを妨害するとお姉様が悲しむから今日はもうどうしようもできないとして…まぁ、今日は夕食の鰻巻きもあることだから何事もなく帰ってくるハズだわ。だからまず螢一の方からそうできないように…なにか弱みでもつかめないかしら…う〜ん?」

 意味もなく流れてゆくモニターを見つめながら頭をひねるが、そうそう弱みなど落ちているはずもない。スクルドは溜息をひとつ吐き、気持ちを切り替えてひまわりくんの動作安定度を確かめることにした。コントローラーを操作し、早送りでウルドの一日を追う。

 テレビを見てバカ笑いし、バカ笑いしたかと思えば座布団を折って昼寝。

 そのうち目を覚まし、寝ぼけ眼をシャワーで完全に醒ます。イヤに入念に身体を洗っていたりする。そして四人して夕食を囲み…

「動作チェックのためとはいえ、よりによってウルドの一日をモニターすることになるなんて…。せっかくのアイスクリームも台無し…ん…?ウルド、なにしてんの…?」

 つまらなそうにスクルドがつぶやいた時であった。夕食を済ませて自室に引き返したウルドは…後ろ手に障子戸をしめ、寝間着代わりのTシャツの上から豊満なバストをわしづかんでいた。下からぎゅっぎゅっと寄せ上げるように揉みながら…親指と人差し指で乳首を摘み、くりくりいじっている。

「ねえ、ちょっと…ウルド、どうしたの…?」

 思わず早送り映像を通常再生に戻した。そうつぶやくスクルドにはウルドがなにをしているのか思い至らない。ウルドはなんとなく頬を赤くし、つらそうに目を閉じている。なにか具合でも悪いのだろうか。

「ちょっとウルド、大丈夫なのっ!?」

 パクパクッと一息にストロベリーも食べ終えると、スクルドは身を乗り出してモニターに映るウルドを心配そうに見つめた。ヘッドホンからは微かな声、苦しげな息づかいが聞こえてくる。

『はあ…はあっ…もうだめ、一秒も待ってられない…』

「もうだめって…なにがよ、しっかりしてよっ!あ、きゃあっ!!」

 モニターの向こうのウルドに声援を贈る。しかしスクルドの声援も虚しく、ウルドは敷いてあった布団の上にゴロン、と仰向けになった。倒れたのかと思い、スクルドは短い悲鳴をあげてしまう。

 ウルドはうっすら目を開け、頼りなく口元をハクハク開閉させながらTシャツをまくった。形のいいバストがぷるん、と現れると、じかにつかんで揉みはじめる。黒いTバックショーツのみをまとった腰がくねり、膝がみるみる擦り寄ってゆく…。

「ウルド…苦しいの…?」

 スクルドはすっかり涙ぐんでモニターを見守る。そっと両手を胸の前で組み、きゅっと唇を噛み締めて年長の姉の無事を祈った。

 そんなスクルドの耳に、少し異様な声が聞こえてきた。荒い息づかいに混じり、どうにも雰囲気違いな単語が現れる。

『あ、ああっ…はっ…!き、気持ちいい…きもち、いい…』

「…気持ちいい…?」

『もっと、もっと揉んで…あ、感じる、感じる…っ!アソコも触って…』

「あ、あ、アソコ…!?」

 当惑して両目をパチクリさせるスクルドの前で、ウルドは両脚をオタオタ上げながらTバックショーツをずり下げた。小さく縮んだそれを片足にまとわりつかせたまま、大きく脚を拡げて女性の真ん中に指を滑らせる。にちゅ、ぴちゅ…と濡れる音がスクルドの耳元で展開された。

「わ…ウルド、なにしてんの…?お、おもらししちゃったとか!?」

 そう勘違いしながらも…スクルドはウルドの繰り広げる嬌態に頬を熱くしていた。

 いつもケンカばかりしている姉が…破廉恥極まりない格好で、気持ちいい、を連呼しているのだ。見ているこちらまで照れくさく…恥ずかしくなってモジモジしてしまう。

「んっ…!な、なんでだろ、あたしも…胸が苦しい…」

 きゅん、と胸が痛んだ。姉の痴態、嬌声に心が掻き乱される。

 発展途上で小さな胸をパーカーTシャツごしに片手で押さえ、ぷにゃぷにゃ揉むとその痛みは暖かく溶けるように消え…代わりに呼吸を熱くさせた。

「…きもち、いい…」

 知らずモニターの姉と同じ言葉をつぶやく。微かに開いたままのスクルドの口から漏れる熱い吐息はたちまち回数を増してゆく。衝動にまかせて胸を揉む手はやがて両手へと…。気持ちよさは倍加した。膝立ちの膝も…いつのまにかぴっちり閉ざされている。

じゅん…。

「うわ…」

 キュロットパンツの奥…パンティーにしっかり包まれている内側が不快に湿ったような気がした。ベルトを外し、キュロットパンツを脱いで…水色パンティーの上からその部分を確かめてみる。割れ目にそって指を滑らせると…中心はじんわり濡れていた。

「おもらしじゃない…?あ、やだ…こんなところまで気持ちいい…どうしよう、ウルドといっしょだぁ…恥ずかしいよぉ…あたし、なんでこんな気分に…?」

 先ほど浮かべた不安の涙もあり、すっかり瞳を潤ませたスクルドがモニターを見上げると…ウルドはさらに異常な行動に出ていた。

 濡れた恥部からつうっ…と引いた粘つく糸をウットリした表情で見つめていたのだが、おもむろに右手の人差し指を真っ直ぐ裂け目にあてがい、プチュヂュ、と音立てて挿入し始めたのだ。

『い、いっぽんめ…』

「ゆ、ゆびっ!?ここに…指なんて入るの!?ウルドの、そんなに大きいの!?」

 スクルド自身もパンティーの上からではあるが、ウルドのしているように膣口の辺りに指をやり、ぷにゅ、と押してみた。じわ、と湿り気が増す。おもらししたようなイヤな感触だが、割れ目にそって指を動かすことは不快ではなかった。むしろ快感で…。

「思い出した…これって…マスターベーションってヤツ!?」

 人間界に来る以前に、とある勉強会で習った汚らわしい単語。スクルドはあの時の嫌悪感を思い出して愕然とした。

 その単語の意味を教わったときはなんて下品で、なんて意味が無くて、なんて恥ずかしい行為なのだろうと鳥肌が立ち、吐き気がした。

 故に今の今まで自分は絶対にしない、と信じ込んでいた。情欲に翻弄されたりなどしない、と確信していた。

 なのにどうであろう。自分の性器を…布地ごしではあるが指でいじり、快感を覚えてやめられなくなっているではないか。悔しさのあまりに溢れた涙が頬をこぼれ落ちる。

「最低…あたし、最低なことしてるっ…!でも…やめらんない…やめたくないっ…!どうして!?あたし…エッチな子だったの…?」

 しゅり、しゅり、がヌル、ヌル、に変わるまでそれほどの時間は必要なかった。感じたこともない快感に全身が反応を始め、どこか頭がぼうっとしてくる。

「ウソみたい…こんな、倦怠感…」

 小さく声を漏らしながらモニターを見ると、ウルドはさらに中指をも挿入しようと試みている。指先に力がこもり、きゅっとおとがいがそらされると…中指はヌヂュブ、と人差し指と並んで内側に潜り込んだ。

『ん、く…っ!に、にほん、め…!ふ、といよぉ…!』

「すごい…ウルド、どうしてそんなこと、できるの…?」

 パーカーTシャツの上から幼い乳房をさすり、右手でパンティーの真ん中に間断なく刺激を与えながらスクルドは物欲しそうにモニターを見つめた。

 モニターの中のウルドは…ゾクゾクッと身体を震えさせると、何を思ったか膣内から二本の指を引き抜いてしまった。マスターベーションを中断してしまうらしい。

 名残惜しむような目で濡れた指を見つめ、二本まとめて口に含む。

 ぷちゅ、くちゅ…と吸い付くように舐めつつ、濡れそぼった裂け目もそのままにTバックショーツをはいた。Tシャツの前も戻し、荒い息を落ち着かせようと深呼吸する。

「…もうこれで、後戻りできない…。」

 荒い息づかいも、潤んだ声も…ヘッドホンから丸聞こえだ。しかもTシャツの胸元で二つの突起がアクセントになっている。乳首がしこったままなのだ。モニター上からもスクルドにはそれとわかった。

「飽きちゃったのかな…あれ、どこ行くの?あ、また…螢一の部屋?」

 監視を続けると、おもむろにウルドは起きあがり、なにやらショーツの具合を気にしながら不安な足取りで螢一の部屋へと向かった。

 ノックしてから入室し、二言三言、なにやら言葉を交わすうち…なんと二人は寄り添って抱き合い始めたではないか。

「け、螢一っ!?お姉様というものがありながら、ウルドと何をしようっての!?」

 モニターの螢一がとった行動に激しい憤りを覚えるスクルド。しかしその憤りのすぐ裏には…焦燥感にくるまれた期待が隠れていた。

 このまま成り行きを見守ると…二人は最後までしてしまうのではないか…。

 子作り…。セックスを。

「螢一のヤツ、許せない…!お姉様に悪いとは思わないの…!?」

 怒りが言葉となって口をつく。そのわりに息づかいはいよいよ荒く、割れ目を擦る右手は思いもしない力でまだ若いクリトリスを慰めていた。パンティーごしではあったが、そこは自ずと見つけた一番気持ちのいい場所…。もう右手が引き離せなくなっていた。

 やがて螢一とウルドはシャツを脱がしあい…裸同然の格好で抱き合ってキスを交わし始めた。恋人どうしの甘いキスにはとうてい見えず、淫楽を求め合うだけのただれたキスにしか見えない。憧れていたキスとは似ても似つかぬキスであった。

「やだっ…!」

 スクルドは羞恥と憤激を極め、涙を散らしてモニターから顔を背けた。しかしスクルドの純心を惑わす要素はまだ完全に排除されていなかった。

『う、ウルドの唇、柔らかくっておいしい…!!』

『あ、け、螢一…嬉しい…!もっと頂戴、もっと…ちゅあ、む…かはぁ、ん、ちゅ…』

 耳元すぐで唇を、舌を味わっているかのような淫らな音が聞こえる。唾液の水音、それを嚥下する喉の音、息継ぎの音、舌が擦れる音、そして二人の上擦った声…。

「もうやめて…っ!!あたし、あたしは違うもん…!ウルドなんかと違うもん!あたしはウルドみたいなインランになりたくないっ…!!」

 スクルドは身悶えしながら泣き叫ぶと、ヘッドホンを両耳から引き剥がしてめくらめっぽうに投げ捨てた。ヘッドホンは真っ直ぐにクロゼットを直撃し、コードが伸びきってアンプからプラグを引き抜く。途端に二機のメインスピーカー、五機のサラウンドスピーカーからディープキスの淫らな音が飛び出し、立体音響となってスクルドに襲いかかった。

「あ…ああ…っ!やああっっ!!もうっ、もうだめえっっ!!」

 スクルドは頭を抱えて絶叫し、畳の上にのたうつと左手をパーカーTシャツの裾の中に突っ込み、小さなカップのブラをたくし上げてじかに乳房を揉んだ。

 無遠慮な猥褻映像と猥褻音響は経験のないスクルドを容易く錯乱状態に陥らせ、マスターベーションの汚らわしさを…至上の快感とともに受け入れさせた。

「一回だけ…なにごとも経験しておかないと…。一回だけなんだから…一回だけなら、きっとだいじょうぶ…一回だけならウルドみたいなインランにはならない…」

 自分自身を安心させるように強い口調でつぶやくと、スクルドはパンティーを引きむしるような勢いで脱ぎ捨てた。べちゃあっと粘液が糸を引き、内ももを濡らす。

 中指で直接クリトリスに触れると…今まで以上に痛烈な快感が精神を解体にかかった。身体はもはやモラルや理性といった…おおよそ潔癖を尊ぶものの所有を認めなかった。

 ヘッドホンの音声に混じって耳鳴りが聞こえてくる。興奮に高鳴る鼓動で目眩までする。

 まさか…セックスの実際まで目撃してしまうことになるのだろうか。

 知識としてどういうふうにするのか、というのはだいたいわかっている。だが実際にその場面を見たことはなかった。

 習った当時は恥ずかしすぎて詳しく調べる気にもならなかったのだが、ここまで気持ちが高ぶってしまうと見たいという気持ちがなにより優先してしまう。

「は、早送り…」

 もどかしげにコントローラーをつかみ、早送りで映像を進める。幾種類もの感情が混ざった涙で、ウルウルした瞳は期待にきらめいていた。

 早くみたい…早くみせてほしい…。男女の交わる姿を、男女の交尾を…。

「わあ…螢一の、おちん…ちん…。こんなに大きいの…?やだ、ウルド…舐めてる…!く、くわえてるうっ!!」

 スクルドの声が嫌悪に震える。ノイズレスの早送りシーンでは螢一とウルドが逆さまに重なり合い、互いの性器を舐め合っていた。スピーカーからの音声は早送りによるスキップを余儀なくされていたが、途切れ途切れに舌が互いの性器をくねる音が聞こえる。

 ひどく巨大な男性器をウルドが一生懸命に舐め、しゃぶり、頬張る光景にスクルドは不快を覚えながらも…両目はしっかり開かれ、釘付けにされていた。

…てろっ。

 あんぐり口を開けたスクルドは…無意識のうちにウルドの行為をシミュレートしていた。舌を少しだけ伸ばし、螢一のペニスを舐めるように小さく動く。

 ウルドになりきってしまいたい一心に駆られ、乱暴にパーカーTシャツもブラも脱ぎ捨てる。スクルドは少女の裸身をさらけ出してしまった。

 ほわっと甘く香るようなスクルドの裸…。まだメリハリの少ないボディラインだが、白い柔肌は清潔感に満ちている。

 無駄な肉の少ない二の腕に脚。

 魅力を内包して僅かながらに隆起しはじめたバスト。

 そのまま腰へとつながる、くびれの少ないウエスト。

 女性としての丸みを帯び始めたヒップ。

 うぶ毛程度しか生えていないが、それなりに盛り上がっている恥丘…

 もう何年か経てば二人の姉をしのぐほどの美しいプロポーションを備えるのではないだろうか。そう予感させる身体をすみずみまでせつなくさせ、スクルドは独語した。

「いいなぁ…あたしもしたい…してほしい…。わぁ、今度は胸に挟んで…?ウルドはいいなぁ、おっぱいおっきくて…あたし、マネできないよぉ…。」

 シックスナインから乳房を使った疑似性交…パイズリへと、スクルドが思いつきもしなかったふしだらな行為を螢一とウルドはこともなげにこなしてゆく。

 ウルドが羨ましくてならない。スクルドは必死で胸の周りから肉を寄せ上げてみるが、とても螢一のペニスを包み込めるほどの余裕は生まれない。

 身体が焦れる。おかしくなりたかった。右手を螢一の舌に見立てて濡れそぼった割れ目を撫で、左手でイメージ上のペニスをつかみ…舌で愛撫するようにする。ベルダンディーに近寄る螢一など好きなはずがないのに…今はふたりでいけないことをしたい。ウルドにしたことを自分にもしてほしい。

「悪い子になっちゃうよ…あたしも…お姉様に叱られる…仙太郎にも嫌われる…」

 その言葉は死にかけたモラルの悪あがきであった。尊敬してやまない姉の笑顔を…淡い恋心を抱きつつある少年の笑顔を脳裏に閃かせ、淫欲の虜になった理性を必死に思いとどまらせようとする最後の抵抗であった。

 しかし…その悪あがきにも最期の瞬間が訪れた。

 螢一のペニスから噴出した白液をウルドが顔いっぱいに受けたとき…スクルドの頭の中でなにかがプツン、と切れた。

 射精した…精液をっ…か、顔じゅうに浴びてっ…。

「あああああっっ!!けいいち、けいいちっ、けいいちぃっ!!あたしにも一緒なことしてえ…!精子いっぱいかけてよぉっ!びゅっびゅって、メチャクチャに汚してえっ!」

 スクルドは涎を垂らしながら床に転がり、悶えんばかりに涕泣した。何事をも理詰めで考えるしっかり者の女神は…とうとう発情と同時に発狂した。

 右手の中指に力を込める。今まで開いたこともなかった割れ目にぬぷ、と埋め、こじ開けるようにひねると…スクルドのヴァギナはとうとう開花してしまった。

 健康な濃桃色の裂け目が外気に触れ、身じろぎするようにクニュクニュうごめく。その奥の奥に隠されていた女神の泉からは…混じりけのない愛液が湯気となってほのかに舞った。ぬめって艶めいたクリトリスも…今は大きな快感のために萎縮を始めている。

 スクルドは仰向けで大きく脚を開くと、その向こうにモニターを臨む体勢をとった。ハーゲンダッツをお供にホームシアター気分、は何処へやら、である。腰を浮かせてお尻の穴までべとべとにしてしまうなど、十分前までは想像もできなかった。十分前どころか、まさか自分がマスターベーションに夢中になってしてしまうなど…。

 軽い絶頂感が小さな身体いっぱいに拡がりはじめたとき、待ち焦がれた時は来た。

 ウルドが形の良いおしりを突き出し、螢一に挿入を求める。

『つながるよ…?』

『うん…いっしょになって…!』

「いっしょになるって…するんだ…セックス、するんだ…ウルドのあそこに…螢一のおちんちんが…入っちゃうんだ…」

 映像を通常再生に戻し、モニターに見入るスクルド。自分も小指をか細い膣口に押し当てた。切りそろえてある爪の先がわずかに埋まる。

 ウルドが螢一に突き入れられ、随喜の鳴き声をあげた瞬間、スクルドも小指を膣内に挿入していた。

「あ、あっ!!あああああっっ!!」

 異物が聖域に押し入ってくる感触。痛みはないが、身体は小指を来るべきものと錯覚し、歓喜の涙を流した。スクルドは第一関節まで小指を挿入した時点で軽く達してしまった。

 大事なところだからいじったりしてはいけない。

 そう言い聞かされてきた今までに決別するには、その行為はあまりに儚かった。いじる程度をはるかにしのいだ小指は…快感に任せてニチ、ニチュ、と抜き差しを始める。

「気持ちいいっ!気持ちいいよぉっ!!あたし、あ…あたしっ…!!」

 感じるままによがり声をあげるスクルド。狭い膣が熱く波打つように痺れる。その心地の良い痺れが下半身から上半身、指の先にまで拡がると脳髄は淫欲に焼けただれ、スクルドをやみつきにしてしまった。

 ブリッジするように腰を浮かせ、無我夢中で小指のピストン運動にふける。小指はもう第二関節まで埋まっていた。溢れるラブジュースは小指と膣口で摺り合わされ、細かなムース状になってゆく。

 揉みっぱなしの左胸は小さな手の平の中ですっかり火照り、ちっちゃな乳首も精一杯強がるようにツンツンしこった。身体じゅうの隅々にまで熱が行き渡り、浮かんでしまうようなフワフワした感触に包まれ…気持ちいい一色になってしまう。スクルドは涙を流してむせび泣いた。

「お姉様ごめんなさい…おねえさまごめんなさい…あたし、あたし、悪い子になっちゃう…き、気持ちいいのが大好きな、えっちな子になっちゃう…!!」

 モニター映像そっちのけで恍惚に浸るスクルド。とうとう小指を根本まで挿入すると、いよいよスクルドは危険な領域に飲み込まれていった。きつく目を閉じ、お腹の中が暴れ出したかのように腰をガクガクさせ、痛々しいくらいにのけぞって叫ぶ。

「きゃあああっ!!ば、バクハツッ!!バクハツしちゃうっ!!アソコ、バクハツしちゃうよおっ!!あ、あっ!!ひぃっ…!!」

きゅううう…ぶちゅっ、ちゅっ…

「ひ…!!」

 スクルドは根本まで受け入れた小指を強烈に締め付け…指と薄膜との間から絶頂の雫をわずかに飛沫かせた。

 小指を挿入したまま、脱力したようにカクンと腰が落ちる。深い呼吸を繰り返しながらスクルドは初めてのエクスタシーに呆然となった。

 横を向いた顔では唇の端から唾液があふれて畳を濡らす。畳が濡れているのは今に始まったわけではなく、すでに彼女のおしりの下はコップの水をこぼしたかのようにびちょびちょだ。背中の下だって汗でじっとり変色している。

 気持ちいい、がいつまでたっても終わらない。膣内は熱く、狭く…くすぐったい感覚を数千倍に増幅して放り込まれたような感じが続いたままだ。

 快感にとろけきった頭は何かを考えるということができず、まるで夢うつつであるかのように、意識の奥で踊る光景をぼんやりと幻覚に見せていた。

「けいい、ち…」

 快感の大海に深く沈んだまま、左手の親指を噛みつつ名前をつぶやく。螢一が頬に唇を寄せ、そっとキスしてくれたような気がしたのだ。

 思いを寄せているわけでもないのに頭から離れない。優しくしてくれた記憶がいくつもいくつも蘇ってきて、果てたスクルドは興奮しきったままの気持ちを幾分か和ませることができた。怖いくらいにせつなさが募った胸に、いくばくかの安らぎが生ずる。

 よくよく考えたら優しくしてくれるのはいつものことではないか。意地悪された覚えなどない、と断言できるほどだ。

 ただベルダンディーと仲良くしているのが気に入らないだけで…ベルダンディーを自分から取り上げられてしまうのでは、と不安なだけで…。

「…掻き乱さないでよっ…!螢一のバカ…螢一のバカ…!」

 エクスタシーの余韻に浸りながら…スクルドは膝を抱えるように身を縮こまらせてそうつぶやいた。途方もない快感と安らぎが和らいでいくにつれ、もどかしいまでの焦燥感、後味の悪い虚無感がこみ上げてくる。一人遊びの後遺症であった。

 高ぶった気持ちがどんどん憂鬱になってゆく。しなきゃよかった、と後悔までしながらスクルドはすすり泣いた。

 螢一なんかキライ。ホントは大ッキライ。だけど自分は、もしかしたら螢一が…。

「つらい…つらいよぉ…!ホントに悪い子になっちゃいそう…!」

 敬愛してならない姉を裏切ってしまいそうで…。そう感じると涙はさらにとどまることを知らず、溢れるのであった。

 

 暖かな日差しと高原の風による二重の愛撫は…心地よく照りつけ、そして労るように吹き抜ける、を繰り返して二人のまどろみを深めていた。

 しかし心地の良い瞬間に絶妙なタイミングでジャミングを入れるものはどこにでもいるもので…螢一の頬に一匹の小さなバッタがぴょん、と飛び乗った。微かな違和感に眠りから覚める螢一。

「んん…?わっ…。」

 寝ぼけ眼の真ん前。風が止めば安らかな寝息が聞こえそうな位置にベルダンディーの寝顔が迫っていた。思わぬ緊張と興奮に一瞬たじろぐ螢一。

 昼食をとり、ハーブティーを飲んでから…あらゆる好条件のもと、睡魔の大挙襲来を許してしまい…いつのまにか向かい合わせで眠ってしまったらしい。

 悪戯者のバッタはそっと近付いてきた螢一の手の平にいち早く気付き、ひょい、とベルダンディーの頬に飛び移った。それに合わせて彼女もささやかな午睡から目覚める。頬の上でバッタがモソモソしているにもかかわらず、寝ぼけ眼で少しぽおっとしているところがたまらなくかわいらしい。

「ベルダンディー、バッタが起きろってさ。」

「螢一さん…ああ、バッタさんですか…。」

 意識を取り戻し、微笑したベルダンディーが頬に手をやる。するとバッタは逃げるどころかその手に乗り、ちょいちょい、と触覚を振って愛想を振りまいた。調子のいいヤツめ、と螢一は思わず苦笑する。

 こんな些細なことでも、こんなに幸せに思えるなんて…。

 心から好きな人と一緒にいるということは、ただそれだけですべてが満たされるようであった。ましてやこんな近くでとびきりの笑顔を見ることができるとあっては…男として至福の瞬間であろう。螢一はたちまち喜びに胸が満ち、熱く…熱く溜息を吐いた。それは感動の…陶酔の溜息。

「螢一さん…?」

 そっとバッタを放し、横になったまま小さく問いかけるベルダンディー。わずかにあごを引き、上目遣いになる。寝顔を見られたことがいささか照れくさいらしい。

 螢一の引っ込み思案な理性は…午睡から覚めたばかりでいまだ本調子を取り戻していなかった。

 だからかわいらしいしぐさでこちらを見るベルダンディーを前に…少しだけ積極的になれた。

「ベルダンディー…。」

「螢一さん…。」

 螢一の右手がベルダンディーの頬に触れる。滑らかですべすべな感触を確かめるとベルダンディーはさらに照れて、軽く日焼けした頬をいっそう赤らめた。

「…ベルダンディー…好きだよ。」

「…螢一さん…わたしも…です。螢一さんの気持ち、わかってましたけど…言葉にされると言霊がこもるぶん、直接心に響きます…ああ、本当に嬉しい…!」

 螢一の偽りのない気持ちの告白にベルダンディーははにかむように微笑してうつむいてしまった。耳まで真っ赤になってしまう。

 そっと彼女の左手が伸び、螢一の右手に触れる。螢一はその手を取ると、指を組むようにして繋いだ。手の平の温もりが…微かな湿り気がわかる。螢一もベルダンディーも…歓びの汗をかいていた。

「ベルダンディー…。」

「螢一さん、好きです。わたしも螢一さんが好きです…!」

 再び顔を上げるベルダンディー。汚れたものを見たことが無いかのような澄んだ瞳は普段に増して潤み、涙がいっぱい溜まっているようにも螢一には見えた。

ついっ…。

 ベルダンディーが唇を差し出す。瞳はまぶたに閉ざされたため、螢一は女神の嬉し涙を確認することができなかった。

 でも、もう十秒もあとには…そう、二人の唇が熱く重なった時には…彼女の嬉し涙を確認することができるような気がする。嬉し涙を拭ってあげられるような気がする。

 ベルダンディーは感情の芸術家なのだ。喜怒哀楽という油絵の具を大胆に使用して、身体全体をキャンバスに色鮮やかに感情を表現する。その色鮮やかさが穏やかな心に強すぎるためかとても涙もろいことを…長い付き合いを通して螢一はわかっていた。

 倣って目を閉じ、次第に鼓動が高鳴ってゆくのを感じながら唇を寄せ…

「あのお…お二人さん?」

「は、はっ、はいっ!?」

 心地の良い瞬間に絶妙なタイミングでジャミングを入れるものは…本当、どこにでもいるもので…あと数センチで唇どうしが接触する、というときに無粋極まりない声が二人にかけられた。見事にハモり、起きあがって正座までしてしまう螢一とベルダンディー。

 姿勢を正した二人の目の前には麦わら帽子にオーバーオール姿の、見事なまでに日焼けした老人が立っていた。

「お休みのトコロを申し訳ないんじゃが…そろそろこいつらのメシの時間なんでなぁ…。本当に申し訳ないんじゃが、場所を譲ってはいただけんかのう?」

んもおおお〜。

「うわ、わっ、わあっ!?い、いつのまに!?」

「あら…牛さんのお食事の邪魔をしていたんですね、こちらこそ申し訳ありません!」

 間近で響いたサイレンのような音に螢一は露骨に狼狽えた。立ち上がって周りを見渡すと、いつのまに放牧されたのか牛達がそこかしこで草をはんでいる。自分たちの周りもすっかり牛達に囲まれてしまっていた。

 ベルダンディーも状況を悟ると慌てて立ち上がり、牧場主と思しき老人に真っ赤な顔をして何度も何度も頭を下げた。

「いやいや…すまなんだのう。お気を悪くせんで、また遊びに来てくだされ。」

 そう言ってニカッと白い歯を見せた老人にいとまの挨拶をし、二人は気まずさでいっぱいのまま牧場を後にした。

 そそくさとバイクに乗り込み、帰路に就いた後も二人は照れくさくてならず、顔を合わせることができなかった。

 

「いろいろあったけど、今日はホントに楽しかった!なんかあの時のオレ、別人みたいだったよな…。ま、あらためて告白もできたし、明日から頑張って仕事仕事っと!」

 タンクトップとトランクスだけの…いわゆる寝間着姿に着替えた螢一は布団の上に寝転がり、今日一日を振り返って満足そうに破顔した。

 あれから螢一とベルダンディーは通りすがりのスーパーマーケットに寄り、夕食の材料を調達してから帰宅したのであった。

 帰宅してからシャワーで今日一日の汗を洗い流し、夕食を済ませ、食後のお茶でしばしくつろいでから、四人それぞれにプライベートタイムへと散らばったのである。

 余談ではあるが、夕食は予定通りの鰻巻きであった。ベルダンディーは自分で鰻をさばくこともできるのである。まな板を見せてもらえば釘の穴がいくつか開いているのがわかるだろう。

 閑話休題。ご機嫌そうにニコニコしていたベルダンディーや、終始言葉少なだったスクルドは自室に戻ったようであったが…ウルドだけはなにやらシケた面持ちで居間のテレビを見つめていた。螢一は気になって声をかけたりしてみたが、ちょっとね、と苦笑で返されただけであった。

「…なんかウルドのオレを見る目…変わったような気がするな。」

 寝転んだまま腕組みし、回想してつぶやく。

 朝は顔を合わようとしない自分を問いつめたりしておきながら…いざ帰宅してからはどうも真っ直ぐに眼を見てくれないようなのだ。それどころか、視線が合ったとしても、逆にあちらから目をそらしたりするのである。

「…もしかしたらオレ、夕べのヤツを顔に出しててスケベな目でウルドを見てたのかも…。なんか不安だなぁ…」

 寝転がったまま腕組みして疑心暗鬼に陥った、ちょうどその時であった。

とんとん。

 夕べに続いて今夜も何者かが障子戸をノックした。まさかまたウルド、と螢一は思わず身構えてしまう。

「どうぞ?」

「螢一…ちょっといい?」

 そう告げて障子戸を開けたのはスクルドであった。ブカッとしたお気に入りの水玉パジャマ姿である。赤地に白の水玉で、上着の裾の左右に大きなポケットがついていたりする。

 もう寝るばかりといった彼女は螢一に促されて入室し、後ろ手で障子戸を閉めた。

「…今日はお姉様とデート、楽しかった?」

「あ、ああ…。そりゃあもう楽しかったよ。牧場へ行ったんだけど、高原の空気ってのはやっぱおいしかったなぁ。」

「そう…」

「…とりあえず座りなよ。なんか番茶でも持ってこようか…?」

 変なコトしなかったでしょうねーっ、と疑ってかかるでもなく、スクルドは夕食の時から今に至るまで気味悪いくらいに口数が少ない。螢一はとりあえず座布団を勧めたが、彼女は後ろ手のまま答えもせず、じっと佇んでいた。

「どうしたんだよ、黙ったまんまで…。メシの時からなんかヘンだぞ?」

「夕べのウルドと今日のお姉様…どっちが楽しかった…?」

 螢一の問いかけには答えず、意味深な笑みを浮かべたスクルドはハッキリした口調でそうつぶやいた。心なしか頬が赤い。

 そんなスクルドの言葉に、螢一は一瞬で顔面を蒼白にした。スクルドの言葉は夕べの事情を知っているうえでの意地の悪い問いかけに違いなかったからだ。

 息が詰まる。言葉が出せない。

 螢一は悪魔の爪で背筋をなぞられたかのような悪寒にかられていた。言いようもない寒気がして、顔面からサーッ…と血が退いていくのがわかる。冷や汗までじっとり背中に滲みはじめた。

 スクルドはどうして夕べのウルドとの関係を知っているのだろう。ウルドの法術で物音は聞かれていないはずなのだが…。

 まさか覗き見られていたのか。トイレか何かで部屋の前を通りかかったときに、何とはなしに障子の穴からでも見られてしまったのだろうか。

「う、ウルドと楽しむって…何を楽しんだっていうんだよ、あいつとデートなんてしてないぞ?」

「最低…。とぼけないでよね、カマかけてるとでも思ってるの!?昨日の昼間、ウルドと二人で話してたでしょう?あの時ウルドにマイクロサットを飛ばしてたのよ!!」

 しらを切っては見たものの、スクルドにとっては無駄な行為でしかなかった。彼女はまぎれもなく行為のすべてを、彼女自身の発明品によって目撃しているのだ。

「ま、まさか…ぜんぶ知ってるのか…?」

「ええ、ぜんぶ!!声から…してたところから、何もかも見ちゃったわっ!!」

 目に見えて狼狽える螢一を前にスクルドはキッと顔を上げ、叫んだ。憤りと羞恥で興奮しているのか、ちっちゃな耳まで真っ赤である。

 螢一はそんな彼女から視線をそらさずにはいられなかった。忘れかけていた後ろめたさが強烈に襲ってくる。とにかく事情だけでも説明したかった。

「…だって、ウルドが…してくれなきゃ外に出ていくなんていうから…ウルドにそんなマネなんてさせられないから…」

「そんなの理由になるとでも思ってるの!?そんな言い訳でお姉様が納得すると、本気で思ってたワケ!?」

「…ごめん、本当にごめん…」

「バカみたい…あたしに謝ったってしょうがないでしょ?ま、誰に謝ったってしょうがないのは変わんないけどね。」

「…っ!」

 スクルドの言葉は凍てつき、微塵の容赦もなかった。絶望に唇を噛み締めたまま、ガックリとうなだれる螢一。

 スクルドの気持ちは痛いくらいにわかる。スクルドがどれだけ真摯にベルダンディーを慕っているか、知らないわけがないのだ。

 そんな姉思いの妹に糾弾されては、螢一はただ恐れ入り、恥じ入る他になかった。誰の言葉よりも重く、心を穿ってくる。もはや螢一にはなんの言葉も浮かんではこなかった。

「あたし、お姉様にバラすからね。」

「…」

 無機質に言い捨てるスクルドにも、螢一はただ押し黙ってうなだれたままであった。

 そんな螢一をしばし無言で見下ろしていたスクルドであったが…ふいに、ふふん、と小さく笑った。むしろ笑って見せた、というのが相応しいような笑い方である。

「でもね、螢一の態度と返答によっては…黙っててあげてもいいんだけど…?」

「…交換条件を出そうってのか…?」

 スクルドの言葉に思わず顔を上げた螢一は…もうすっかり泣き出す寸前であった。目は赤く、不安に溜まった涙が揺れていた。自責の渦に呑まれて溺れかけたらしく、声まですっかり震えてしまっている。

 そんな螢一の前にスクルドはそっと膝を下ろし、膝立ちの姿勢で自らの胸に両手を当てた。なにやらつらそうに呼吸が上擦っている。

「あ…あのね?あたしにも…ウルドと同じ事、してくれれば黙っててあげてもいいよ…?」

「なんだって…?」

「だから…あ、あたしにも…その、せ、せっくす…してくれたら…」

「ば、バカなコト言うなっ!!まだオレに後ろめたさを背負わせる気かよ!?」

「そっ、そんなんじゃないのっ!!」

 螢一はスクルドが何を言ったのか、一瞬理解に苦しんだ。そして、理解できたらできたで今度はスクルドの真意を計りかねて、ついつい声を荒げてしまう。

 その声を打ち消すようにスクルドも声を高くしていた。つい先程まで見せていた嫌悪の表情、氷の瞳はいつしかかき消え…媚びて火照った表情、口に含んでそのままのキャンディーのような瞳に変わっていた。

「黙ってるって言ったでしょ!?お姉様には絶対秘密にするって誓うから…ね、螢一…あたしだってもうオトナなんだよ?生理、来てるんだよ?」

「生理って…そういう問題じゃないっ!」

「やだやだっ!してくれなきゃバラす!絶対、今すぐバラしにいくからねっ!?それでもいいの!?」

 恥ずかしくてならない、といった表情で言い寄ったスクルドであったが、あくまで条件をのもうとしない螢一に焦れたようで、立ち上がって障子戸を開けた。廊下に片足を踏み出し、振り返って螢一の返事を待つ。

 しかし螢一は慌てもせず、ましてや追いすがろうともしなかった。

 じっと押し黙ったままうつむき、何かを思案していたようであったが…そのうち何かを決心したかのように、コクンと大きくうなづいた。深く溜息を吐いてからゆっくりと立ち上がり、スクルドの肩に右手をかける。

「…して…くれるの…?」

「ううん、オレの方からベルダンディーに打ち明けてくるよ。」

「…え…?」

 ふっきれたのか諦めたのか、寂しげな微笑で螢一はそう告げた。そのままスクルドの前を通り過ぎ、廊下に出ようとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ、それって開き直り!?そんなことしてもムダだよっ!?」

「いや、そんなんじゃない…。許してもらおうなんて思ってないけど…とにかくそうしないとベルダンディーにもスクルドにも申し訳がたたないしね。悪いのはウルドに乗せられたオレなんだし。それで軽蔑されたとしても当然の報いだよ。」

「だ、だめえっ!!そんなのだめっ!!お姉様のところに行かないでっ!!」

 スクルドは取り乱すように叫ぶと、螢一のタンクトップの背中をつかんで激しく揺さぶった。イニシアチブに裏付けられた、先程までの自信に満ちた態度は焦りに包まれ、今にも壊れてしまいそうなほど儚げで頼りなくなっていた。

 こんなハズじゃない。

 スクルドはただ、そう考えて焦りを募らせていた。

 ウルドとの関係をタテに、螢一とふしだらな行為にふけりたい。

 マスターベーションよりも恥ずかしくて、淫らで、気持ちのいいことをしたい。

 脅しをかければ螢一は従わざるを得ないだろう。そして自分とも関係を持ってしまえば、ベルダンディーとも距離を置かざるを得なくなる…。

 スクルドの一挙両得を叶える打算はこうであった。

 しかし、スクルドの打算を知る由もない螢一は、ストレートな引き留めの言葉にも迷うことなく首を横に振った。

 実際開き直りなんかではなく、包み隠さずすべてを告白するためにベルダンディーの元へ行くつもりであった。一瞬でもベルダンディーを忘れ、ウルドの一身に愛情を注いでしまったことを告白するために…。

 だがそれではスクルドが困るのだ。罪を認め、ベルダンディーに事情を打ち明けられたりしたら困るのだ。それではせっかくの脅迫材料がなくなってしまうではないか。

「お願い、絶対言わないから行かないでっ!!一回だけ、一回だけでいいのっ!あたしにもウルドにしたことしてよおっ!!あたしも気持ちよくなりたいのっ!!セックスしてほしいのっ!!」

 スクルドはつかんだタンクトップの背中を乱暴に引っ張り、半ば泣きベソになって駄々をこねた。思い通りに事が運ばないことに対して苛立ちを募らせる幼子のような振る舞いである。

 すると螢一は突然身を翻し、スクルドの小さな身体を左手でひっかけながら布団の上に投げ転がした。スクルドが驚くいとまもなく螢一は彼女の上にのしかかり、両手をつかんで抗拒不能にしてしまう。

「…そんなに言うんならスクルド、オレの好きなようにするからな…」

 真上から覗き込み、押しつけるような声で螢一は唇を近づけてみせた。

 襲われる…。

 乱暴される…。

 そんな予感は多感なスクルドを怯えさせるに十分であった。

「ふぇ、ふええええ…!!あうっ、うぐっ、ううっ…!!」

 スクルドは大粒の涙をぽろぽろこぼし、声を上げて泣き出した。こうされることを望んでおきながら、いざとなると恐怖心が好奇心を上回ってしまったのだ。

 自分から望んだことであったから、泣き出しても大声を出さないよう努力した。できれば涙も流したくはなかったのだが…どれだけ堪えようとしても、欲望に駆られていた事に対する情けなさ、ベルダンディーを裏切ろうとした後悔がそうすることを認めなかった。堰を切ったように、いつまでも涙が止まらない。

「冗談だよ…泣くくらいならこんなことするんじゃない。」

「だってっ!だって怖かったんだもんっ!もっと優しくしてくれたって…」

ちゅ…。

 困惑した溜息を吐くと、螢一は泣きじゃくるスクルドの前髪を右手で退け、額の聖痕に唇を押し当てた。

 青い二重逆三角形の聖痕が熱くなる…。

 今、自分が何をされているのか気付いたスクルドはひくっと泣くのをやめたが…結局それは一瞬だけで、やはり涙は止まらなかった。

「スクルド、びっくりさせてごめん…。」

「ふぇ、ふえええっ…!ごめん、ごめんね、けいいちぃ…!ふええええっ…!!」

 幼い顔をくしゃくしゃにして…スクルドは螢一の背中に両手をまわして泣いた。螢一はささくれ立ったスクルドの感情を労るように、聖痕と唇との密着を維持し続けた。

 螢一の強い想いが聖痕を通し、スクルドの心に直接伝わってゆく。

 スクルドは冷たい涙を暖かな涙に変え、後から後から溢れさせた。

 どれだけ螢一が自分のことを大事にしてくれているのか…大切に思ってくれているのかがせつないほどにわかる。それがどうにも嬉しくてならない。

 唇を離して上体を起こすと、螢一は重くしないようにスクルドの横に並んで寝そべった。左腕で腕枕しながら、なだめるように小さな頭をゆっくりかいぐりする。ひくっ、ひくっと泣きじゃくるスクルドは螢一の撫で撫でを嫌がらず、それどころか甘えかかるように寄り添ってきた。

「ここだけの話だけど…正直、嫉妬しちゃうんだ。お姉様がうらやましいって。」

「どうして…?」

「だって…螢一のこんなに大っきな優しさを…独り占めできるんだもん…。」

 螢一の胸の上に左手を置くと、スクルドは夢見るようにそう言って目を閉じた。すっかり落ち着きを取り戻したようで、穏やかな微笑まで浮かべている。

 螢一はやれやれ、といった風に苦笑し、繰り返しスクルドの頭を撫でてあげた。

「オレはスクルドにだって優しくしてるだろ…?」

「スクルドにだって、じゃなくて、スクルドにだけ…優しくしてほしい…。」

「スクルド…そんなこと言われても…オレは…」

「ごめんね、イヤなこと言って…。」

 髪を撫でられながらスクルドはそう言うと、くすん、と鼻をすすり上げた。螢一の胸に置かれた左手が、ぎゅっとタンクトップを握りしめてくる。

 螢一はそんなスクルドの肩を右手で抱き寄せていた。

 少しの間だけなら…不安定な心の支えになってあげたい。

 今だけなら…スクルドの思うがままに甘えさせてあげたい。

 そんな気持ちに胸が満ちた。夕べウルドに対して抱いた感情にも似た、本能的に女性を労ってあげたくなる男としてのプログラムが走り始めたのであった。

「またオレ…ベルダンディーに悪いことしてる…。」

「…そんなことないよ。螢一は悪いことなんてしてない。あたしね、螢一が夕べ、ウルドにしてあげた理由が…なんとなくわかるような気がしてきた…。」

「え?」

「ほっとけない、んでしょ?あたし達も…。螢一の優しさが、ふふっ、お人好しな性格があたし達をほっとけないから…。」

 螢一に抱き寄せられても拒むことなく、スクルドは螢一の胸に左手を伸ばして抱きついてきた。

 スクルドの美しい黒髪から爽やかなシャンプーの香りがする。

 それに…間近に漂うボディーソープの匂いに混じり、ハーゲンダッツのバニラの匂いがするのがなんともかわいらしい。

 螢一の胸の中いっぱいに…目も眩むような愛しさがこみあげてきた。

「スクルド…」

「なぁに?」

ちゅっ…。

 呼びかけられて顔を上げたスクルドは…きょとんとした表情のままで唇を塞がれていた。遙か彼方まで意識が吹き飛ばされ、戻ってきたときにはもうすっかり顔面は紅潮しきっている。頬が熱くてならない。

 驚きにまぶたを何度もしばたかせるうち、恥ずかしさと照れくささによる涙がみるみる浮かんできたが…胸の奥に痛みはなかった。密着したままの螢一の唇にすっかり酔いしれると、ぽおっとした陶酔の表情でキスに応じる。

 憧れのファーストキス…。スクルドは呼吸も忘れてファーストキスを堪能した。まさか、いつも憎まれ口を叩いている螢一とキスしてしまうことになるなんて…。

 螢一を脅迫して強要する行為の予定にもキスはあったが…予想していたムードよりも遙かに穏やかなムードで、心地良い…。キスというものがここまで気持ちのいいものだったとは、あらためて自分の認識不足を痛感した。

 螢一の方からそっと唇を離しても、スクルドは薄目を開けたまま、いまだに密着が続いているような面持ちで余韻に浸っていた。金魚の口のように、僅かながら唇をひゅくひゅく開閉している。

「ごめん、あんまりかわいかったから…。イヤだった…?」

「…ううん…もういっかいして…」

「いいよ…。」

 抑揚のない、惚けたようなスクルドの求めに螢一は応えた。唇を押し当てたまま、呼吸も止めてじっと密着を維持する。スクルドの鼓動が早まるのがわかった。

 頃合いを見計らい、ちゅる、と舌を忍び込ませる。スクルドは思わず小さな悲鳴をあげたが、すぐさま舌どうしが触れあう感触に慣れると、螢一に倣って舌を入れ返した。

 唇の間で二人の舌がねばっこくもつれ、絡み合い…擦れ合う。スクルドはハーゲンダッツを食べてきたばかりのようで、彼女のキスはバニラ味であった。

 年端もいかない女の子の唇を奪っているようで…螢一はなんとも不可思議な気分に陥ったが、愛しさはまぎれもないものであった。

 精一杯かわいがってあげたい…。

 気が済むまで慰めてあげたい…。

 小さくて儚いながらも弾力を秘めたスクルドの唇は…触れあっているだけでも胸がときめいた。女の子の手を握ることにすら憧れた少年期に戻ったような気持ち…誰よりも朝早く登校し、こっそり好きな女の子の縦笛を舐めた…あの頃のような気持ちに螢一は戻っていた。スクルドとのキスで…初恋のせつない気持ちが蘇ってくる。

 だから螢一は積極的にスクルドの唇を確かめた。舌を差し入れたまま、狂おしく息継ぎして角度を変え、再び密着し…。

「ちゅ、ちゅう…ん、あ、スクルド…かわい、かわいいよ、スクルド…」

「あ、むぅ…ちゅ…ぷはぁ…あ、はぁ…んちゅ…け、いいち…」

 くみゅくみゅうごめくスクルドの舌は甘い唾液にまみれていた。螢一は執拗にスクルドの唾液を吸い、味わって嚥下する。暖めたミルクのような唾液に螢一自身の胸も高鳴り…自分からも唾液をゆっくり流し込んだ。拒むことなく、んく…んく…と細い喉を鳴らして螢一の唾液を飲み込むスクルド。そして二人して唾液を攪拌し、分け合ってすする…。

 唇を離すと二人は舌を伸ばし、突っつくようにしてじゃれあった。舌だけでなく、頬からあごからを舐め始めると、たちまち顔じゅうべとべとになってしまう。

「螢一、ちょっと待って…。」

 思い出したように起きあがると、スクルドはまず開いたままだった障子戸を閉め、パジャマの上着の右ポケットからフィルムケース大の物体を取り出した。

「それは…?」

「集音器、しずかちゃんよ。室内で作動させると、室内の音が一切このケースに吸収されて外部には漏れないってワケ。ま、夕べウルドが使った法術と同じことが起こるの。動作は実証済みよ。」

 スクルドは自信満々の笑みでそう説明すると、小さなプッシュスイッチを押し、テーブルの上に置いた。その途端に、心なしか室内の反響に違和感が生ずる。集音器が良好に物音を吸い込んでいる証拠だ。

 螢一はスクルドの手を取り、二人で膝立ちになって抱き合った。言葉を交わさず、ただただしっかと抱擁を続ける。

 互いの体温、鼓動が嬉しかった。間近で吐息を聞かれることがいささか照れくさかったが、そのぶん背中にまわした両手に力を込めれば耐えることができた。

 螢一は愛おしむように右手でスクルドの長い髪を梳いてあげた。柔らかく、指通りのいい黒髪は手入れが行き届いており、毛先に至るまで美しい。スクルドは髪を撫でられることを拒まず、丁寧な愛撫に身を任せてそっと目を閉じた。

「螢一、あたしも同罪だよ…。だから、今夜は絶対最後までしてよね…」

 

 

(つづく)

 


(98/10/21update)