かわるシアワセ

03

作者/大場愁一郎さん

 

 ネルフ本部の階層はやたらと深く、敷地面積も広大な上にやたらと入り組んでいる。これは外敵の進入を阻むため、意図的に複雑な迷宮構造となっているからだ。
 そのため、普段用事のないところへ行くときには略地図を欠かせない。
 シンジをつれた若い男性スタッフも、やはり略地図を片手にしていた。エレベーターからエスカレーター、隔壁をくぐり抜けてまたエレベーターと、子細に略地図を確認しながらシンジを導いてゆく。
「…ここだ、やっと着いたよ」
 第弐拾番会議室から、ちょっとしたウォーキング程度の距離を歩き、ようやく男性スタッフはとあるドアの前で笑みを浮かべた。シンジも小さく安堵の息を吐く。
「うわ…!?」
 自動ドアが開いたところで、シンジは驚きの声をあげた。
 自動ドアの向こうには、なんとミサトのアパートのリビングがあったのだ。シンジは思わず足を踏み入れ、不思議そうにあちこちと見回す。
「よくできてるだろう。葛城さんから、碇くんは普段ここで寝ていると聞いているからね。調度品なんかもできるだけ正確に揃えたつもりだよ」
 男性スタッフが誇らしげに言うとおり、ここはミサトのアパートのリビングを模した部屋であった。それもやたらと細かいところまで、見事なまでに再現されている。
 間取りはもちろん、壁紙の色もフロアーの色もまったく同じ。
 テレビも、テーブルも、冷蔵庫も、無造作に置かれている布団もまるで同じ。
 さすがにベランダやミサトの寝室へは行けないが、キッチンやトイレ、浴室はそっくりそのままで用意されている。汚くくすんだ流し台まで再現しなくてもよかったのだが、これも作り手のこだわりと思えば感心しきりになってしまう。
「あ、あの…今日から僕、ここで…」
「うん、話は聞いてるよ。きっと俺には碇くんの気持ちはわからないけど、つらい立場だろうとは思う」
 シンジがためらいがちに話しかけると、入り口付近で佇んでいた男性スタッフは事情を聞いているらしく、私感を付け加えてうなづいた。シンジより一回りほども年上の彼は、シンジに気を遣ってか、あまり部屋の奥にまで入ってこようとしない。
「碇くんには、今日から六日間…まあ来週からは平日だけの五日間になるけど、ここで寝泊まりしてもらう。普段通っている学校と同じだけ勉強時間があるけど、その他の時間は基本的に自由だから。まぁ、ネルフ本部内にいる間は常に監視させてもらうけどね」
「は、はあ…」
 男性スタッフの説明に相槌を打ちながら、シンジは見慣れた空間を見渡す。
 この部屋のどこに監視カメラが設置してあるのだろう。どこにもそれらしいものが見当たらない。
 きっと精巧に隠してあるのだろうが、わからないならわからないで、よけいに気になりそうだ。もっとも、ネルフ本部全域で監視されるという話だから、いちいち気にしていたらどこへも行けなくなってしまう。
「それと、なにかしたいことや欲しいものがあったらいつでも言ってくれ。そこの電話があるだろう?持ち上げればすぐに繋がるから」
「電話…あ、これはダミーじゃないんだ。すごいなあ」
「あとは…まあテレビは受信してないけど、ビデオやゲームはある。それに、俺たちでよかったら話し相手にもなる。親しい人たちに会えなくて寂しいかもしれないけど、どうか頑張ってほしい」
「あ、ありがとうございます」
 あくまでも仕事の上でであろうが、若い男性スタッフはあれこれとシンジに気を遣ってくれる。恭しく頭まで下げたのは彼の気持ちであったが、これにはシンジも恐縮し、丁寧におじぎを返して謝辞を述べた。
「寂しいといえば…碇くん」
「はい?」
 頭を上げた男性スタッフは、ふと声をひそめ、躊躇いがちな表情でシンジを見た。シンジはきょとんとまばたきをひとつ、彼の言葉を待つ。
「失礼なことを聞くけど、碇くんは付き合ってる人は…彼女はいるのかい?」
「え?い、いえ…いませんけど…」
 一瞬、脳裏にアスカのふくれっ面が浮かんだが、シンジは慌ててそれを打ち消す。
 セックスしているくらいで、そんなおこがましい妄想を持つのはアスカに失礼だ。もし今の気持ちをアスカが知ったら、きっと不快な顔をして蹴りを入れてくるだろう。
「そうか…だったらまだ幸いだったね。君の任務は聞いてるけど、もし彼女がいたら…お互い、悲しいだろうと思ってね」
「そう、ですね…」
 この若い男性スタッフは少々私感を語りすぎではあったが、シンジは別段気を悪くはしなかった。恋人のいないシンジでも、その気持ちは痛いくらいにわかるからだ。
 もしシンジに恋人がいて、彼女が誰か別の男と子どもを作らなければならないとすれば、その時は悲しいどころの騒ぎでは済まないだろう。彼女をつれて逃亡を図るか、その話自体を無くしてしまおうとあれこれ画策するに違いない。
 なにやら気まずい沈黙が辺りを包んだとき。
 男性スタッフは思い出したかのように一歩後退し、通路に立って姿勢を正した。自然な動作で敬礼し、ささやかに笑顔を見せる。
「じゃあ、ひとまずこれで失礼するよ」
「はい、またよろしくお願いします」
 礼儀正しくシンジが挨拶すると、彼は自動ドアの向こうに消えていった。次いで、微かに電子ロックのかかる音が聞こえる。
 壁面そっくりに作られた自動ドアは、恐らくこちらからは開けられないのだろう。開けられないことはないのだろうが、きっとその手段はシンジには見つけられないはずだ。
 シンジはもうひとつだけ溜息を吐くと、あらためてコピーされたリビング内を歩き回り、あれこれ物色してみた。本当になにもかもそっくりで、やがてベランダの向こうが夕焼け色に染まってくるような気さえする。
「ここまでそっくりでも、アスカはいないんだよな…」
 シンジは深い溜息混じりに、そうつぶやいた。
 会議室を出たとき、アスカは確かめるまでもなく泣いているのがわかった。
 にもかかわらず、自分は上手い励ましの言葉もかけてあげられなかった。それどころか苦し紛れよろしく、言い訳めいた詫びなんかを口にしてしまったのだ。
 寂しかった。それと同時に、不甲斐ない自分が情けなかった。
 シンジはやるせなさに圧されるよう、ごろりとフロアーに寝そべった。指を組んだ両手を枕にして目を閉じると、あの悲痛な面持ちのアスカが鮮明に思い出されてくる。
 あのとき、どんな言葉をかけてあげればよかったのだろう。
 あのとき、どんな態度で接すればよかったのだろう。
 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 シンジは瞑想するように目を閉じ、様々に思いを巡らせた。後悔にさざめき立つ心をどうにかなだめようと、あらゆる角度から事の経緯を思い返してみる。
 確かに、下された命令を忠実に遂行さえしていれば、それが碇シンジという存在理由となった。エヴァのパイロットとして頑張ってさえいれば、父は、碇指令は自分を認めてくれた。なによりそれが、シンジ自身の望みであったはずなのだ。
 それなのに、件の計画の命令が下されたとき、シンジは確かに拒絶を考えた。
 命令は絶対だ。それが嫌なら、ネルフを去らねばならない。
 今までであれば、こんな簡単な二者択一は躊躇うことなく前者を選んでいた。にもかかわらず今回は、即断ができなかった。迷うことなく前者を選び出すことが、アスカを裏切ることになるような気がしたのだ。
 アスカはあくまで同僚だ。親しくしてはいるが恋人ではないし、永遠の愛を誓い合った夫婦でもない。あくまで自分たちは、エヴァのパイロットという仲間でしかないのだ。
 そんな、同じエヴァのパイロットに、それぞれ命令が下された。今回もただそれだけであった。今までにもこうした命令は幾度となく受けている。今回は確かに極端な命令ではあったが、だとしても、今さら迷うことなど無いはずだった。
 それでも。
 それでも。それでも。それでも。
 シンジの心中には、その言葉が無限ループのように繰り返される。どれだけ自身を納得させようとあがいても、必ずその言葉とアスカの面影が現れて、思考は振り出しに戻されてしまった。
「アスカ…」
 その面影を振り切りたくて。
 だけど、その面影が恋しくて。
 シンジは置き去りにされた子犬のような声音で、小さく彼女の名を呼んだ。何をどう考えても、アスカのことばかりが頭をよぎる。
 会いたい。アスカに会いたい。
 別れてまだ一時間ほどしか経っていないが、シンジは無性にアスカの姿を求めた。あんたまだメソメソしてんの、といつもの調子で小馬鹿にしてほしかった。
 夫婦のようなセックスができなくてもいい。恋人のようなキスができなくてもいい。
 今はとにかくアスカに会いたかった。会って、おしゃべりがしたかった。くだらないことでも、何度も話したことだっていい。アスカと言葉を交わしたかった。
 それさえもだめなら、せめてアスカの側にいたかった。それだけでもかまわないから、ただアスカと一緒にいたかった。
「アスカ…アスカ…アスカッ…」
 シンジはごろりと寝返りを打ち、堪えようもなくその名を連呼する。たちまち胸はせつなさで詰まり、狂おしく溜息が漏れ出た。
 アスカと親しくなって、シンジは自分が強くなったと思っていた。
 アスカと一緒だから頑張れるし、アスカと一緒だから元気が出る。卑屈な猫背ぎみだった背中もまっすぐ伸びたし、声も大きくなった。
 それと同時に、たくさんおしゃべりができるようになった。以前の閉じこもりがちな自分を思えば、まったく信じられないことだ。
 何気なくおしゃべりができると食事も弾むし、学校も楽しい。夜眠るときも、無性に朝が待ち遠しくなる。本当に生まれ変わったような清々しい心地であった。
 しかし、それもどうやら思いこみだったようだ。シンジはくすんとすすり泣きをひとつ、胸を占める寂しさに耐えようと唇を噛む。
 アスカと親しくなって、強くなんかなっていない。むしろ弱くなっている。
 現に、アスカに会えなくなっただけで、こうして無力になっているではないか。
 以前の自分は、己の未熟さに見て見ぬ振りをし、諦観ばかりしている嫌な男だった。それでも、自分一人の力でどうにかこうにか日々を過ごしてきた。憂鬱なことは山ほどあったが、いつまでもとらわれたりせずに生きてこられたのだ。
 なのにどうだろう、今の自分は。
 アスカがいなければ、なにひとつできない惨めな人間だ。
 アスカの側にいなければ、なにひとつやる気の出せない愚かな人間だ。
 本当の本当に、バカシンジだった。バカシンジになってしまった。
「…こんな調子で、六日も耐えられるかな…あれ?」
 そう独語し、気持ちを切り替えようと身を起こしたシンジであったが、ふと涙で潤んだ視界に奇妙なものが映った。
 それはちょうど、シンジが愛用している布団の横にあった。行儀良く畳まれた布団とタオルケットは、ネルフが用意したダミーでありながらも、まるで実際に運び込んだかのようにそっくりである。しかし、その横には見慣れない雑誌が三十センチほどの高さで平積みにされていた。
「なんだろ、この本…うわ、わわわっ…」
 ミサトの読んでいるファッション雑誌かと思い、やおら這い寄ったシンジは思わずたじろぐ。それらはすべてアダルト雑誌であった。
 しりもちをついて後ずさるほど狼狽えたシンジであったが、やがて生唾をひとつ飲み込むと、恐る恐るその何冊かを手にとった。もちろん、読みたくてそうしたわけではない。どうしてこんなものがあるのかと、あくまで状況見聞するためだ。
 今は普段以上にマスターベーションできない環境である。迂闊に読んで悶々となっては、この先つらくなるのは火を見るより明らかだ。
 はたして平積みにされたそれらは、ほとんどがヌードモデルのグラビア雑誌とポルノ漫画誌であった。SM専門誌といった、シンジが見たこともないジャンルの本も何冊か混ざっていたが、こっちは怖くて中身を確かめられなかった。
 共通しているのは、これらはすべて最新号であること。つまり、昨日か今日にでも用意されたものであるということだ。
 きっとこれらは、情欲を募らせるための刺激剤として用意されたものなのだろう。
 疑心暗鬼の気持ちもあったが、ひとまずシンジはそう確信した。
「絶対…絶対読まないんだから…そんな手には乗るもんか…」
 シンジは自身に言い聞かせるようにつぶやくと、とにかくこれらの本を目の届かないところに片づけることにした。みすみす誘惑に乗るわけにはいかない。
 シンジは忙しなく辺りを見回し、ひとまず流し台の下の戸棚に目をつけた。どうせ本物そっくりであっても、中身は空っぽに等しい。これくらいの本は楽に収納できるだろう。
 下肢にも力を込めて、よいしょ、と雑誌を持ち上げたとき、シンジはその下に一通の封筒が置かれていたことに気付いた。せっかく持ち上げた雑誌の山を再び横に置き、怪訝そうにその封筒を手に取る。
 ちょうどA四サイズ用紙が入る程度のその封筒は、宛名も何も書かれておらず、封もされていなかった。かといって、誰かが開封したものでもなかった。
 明かりに透かしてみてから、何気ない手つきで封筒を逆さにすると、そこからは写真が二枚出てきた。それ以外に同封されているものは無い。
「…ひどいよ」
 その写真を見た途端、シンジは恨めしそうな涙声になってつぶやく。
 二枚の写真は、それぞれアスカとレイのスナップショットであった。
 お気に入りのワンピース姿のアスカは、愛嬌たっぷりにピースサインまでして。
 レイは制服姿ではあったが、心持ち穏やかな表情で。
 たちまち人恋しさに胸が詰まり、シンジはその写真を抱き締めて嗚咽を漏らした。

 水曜日の夜。
 アスカはこの夜を独りぼっちで過ごすことになった。
 日曜日から昨日まではミサトも毎日帰宅していたのだが、今夜からは来週の火曜日までネルフ本部に詰めっぱなしになるという。実に一週間も部屋を空けることになるのだ。
 そんなこともあり、夕べのミサトの荒れようといったらなかった。
 風呂から上がるなり、自棄酒よろしく缶ビールをがぶ飲み。なんとなくテレビを観ていたアスカも強引に誘われ、その重苦しい晩酌に付き合わされたほどである。
 実際、アスカも自棄酒をあおりたい気分であったから拒まなかった。
 鬱々とした胸苦しさを忘れたくて、缶ビールを立て続けて三本飲み干した。若い身体はアルコールで火照り、気分もいくらかは高揚したが、それでも胸苦しさが癒えることはなかった。
 もうこのまま、急性アルコール中毒を起こして倒れてしまいたい。
 憂さ晴らしのつもりが、アスカは次第に自暴自棄の泥沼へとはまりこんでいった。狂気に憑かれたようになり、半ベソになりながらビールをあおった。
 四本目、五本目、トイレ休憩を挟んで六本目。ビールだけで満腹になったが、それでも七本目のプルタブを起こし、口を付けた。
 とにかくアルコールの力を借りて、何も考えられない身体になりたかった。そうでもしなければ、シンジのことばかり考えすぎてノイローゼになりそうだったのだ。
 しかし、ここでもやはり現実は冷たい。
 気付けば、やはりいつものリビングであった。まったく記憶に残っていないが、いつの間にか布団を敷き、タオルケットをかぶって眠ったらしい。
 痛む頭を押さえて時計を見れば、もう朝の六時。ミサトはすでに出かけていた。
 そのときから、アスカの独りぼっちの生活が始まったのだ。
 独りぼっちという言い方は語弊があるかもしれない。学校へ行けばクラスメイトが話しかけてくるし、ネルフ本部へ行けばスタッフがあれこれ相手してくれる。
 正確にいえば、アスカは独りぼっちの生活を始めたのだ。心を閉ざし、できるだけ何も考えないように生活することを選んだのだ。
 何かを考えると、すぐにシンジの顔を思い出してしまう。そのつらさは、この三日間で身に染みてわかった。
 教室を見回しても、リビングを見回しても、いつも一緒にいたシンジはいない。側にいてくれるだけで幸せな気分になれたあの少年は、もうアスカの手の届く場所にはいないのだ。触れるどころか、おしゃべりすらできないのである。
「シンジ…」
 Tシャツにスパッツ姿のアスカは、ふと夕食の手を止めて彼の名を呼んだ。
 今夜のメニューは、行きつけのコンビニで買ってきたカルボナーラ。値段の割に美味しく、食事の用意が面倒なときには、よく買ってきて三人で食べているものだ。
 そんな食卓も、今夜はアスカひとり。昨日まではミサトもいたが、アスカはすでに口数が少なくなっていたから、今夜からが本格的な独りぼっち生活の始まりだった。
 とはいえ、独りぼっちの食事が美味しいはずもない。アスカは食べかけのカルボナーラにふたをすると、頼りない動きで冷蔵庫に入れた。消えることのない胸苦しさのために、食欲自体も無い。
 早々に床に就こうと、アスカは布団を敷こうとして、ふとシンジの布団を見た。
 一瞬、その布団で寝てしまおうかと思ったが、すぐに思いとどまった。思わず涙がこぼれてきたからだ。
「バカみたい…いつまでも、シンジのことばっかり…!」
 涙声で叫ぶなり、アスカは八つ当たりよろしく愛用の布団を乱暴に広げた。何の罪もないタオルケットも、勢いよくその上に叩き付ける。
 照明の壁スイッチを殴り付けるようにオフにして、ようやくアスカは布団に寝転がった。先程の無礼を詫びもせずにタオルケットを抱き寄せ、顔を埋めてすすり泣く。タオルケットも、とんだ災難だ。
「嫌な女だもん…だから、一緒に選ばれなかったんだ…」
 夜闇の中で、アスカはそんな弱音を吐いた。
 シンジに対して、バカだとか、男らしくないとか、そんな心ない言葉ばかりかけていたことが、今さらながら悔やまれる。あの日でさえも、答えられるはずもない質問をしておきながら、答えられないシンジに対してバカだと言ってしまったのだ。
 きっと、自分は浮かれていた。
 アスカは日に日に乾きゆく心の中で、そう決めつけていた。
 同年代の異性と初めて知り合い、そのどうにももどかしい行動に対して、からかい甲斐という楽しみを見いだしてしまった。
 そして、次第にやり返す術を覚えてきた彼に負けず嫌いな性格もくすぐられ、少しずつ親近感を持つようになった。
 そんな気が置けない友人を持ったこと自体初めてだったから、きっと浮かれきっていたのだろう。一緒にいて、おしゃべりして、キスして、セックスして。そんなスキンシップで幸せな気持ちになっていたのも、すべては浮かれた女心が見せた幻想だったのだ。
 単に、エヴァンゲリオンのパイロット仲間でしかなかったはずなのに。
 アスカは心中で、そうピリオドを打った。
 エヴァンゲリオンのパイロットとして考えると、ファーストチルドレンであるレイがシンジの相手に選ばれた理由もわかるような気がする。
 気の強い自分よりも、常に落ち着き払い、どんな相手でも柔軟に受け入れそうなレイの方が、少々引っ込み思案なシンジともお似合いのように思えた。
 また、レイの方がシンジとの付き合いは長いのだ。ヤシマ作戦での戦功も耳にしている。
 レイはレイで、シンジの波長と合うのだろう。また逆に、シンジがレイの波長に合うのかもしれない。シンジがユニゾンを築き上げたのは、なにも自分だけとは限らないのだ。
 それになにより、レイはシンジをなじったりしない。むしろ優しく励まし、彼を支えてあげている。もちろん、そんなやりとりに浮かれたりもしない。あくまで冷静に、エヴァンゲリオンのパイロット仲間としての役目を果たし続けている。
「それなのに、なにが大丈夫、よ…傲慢にもほどがあるわっ…」
 自分たちが選ばれると信じてシンジに告げた言葉を思い出し、アスカは自分自身をなじった。あまりに馬鹿馬鹿しくて、泣き笑いすら浮かんでしまう。
 シンジと親しくなって、アスカは心の風通しが良くなったような心地を抱いていた。
 その気持ちは今でも変わらない。その証拠に、上辺だけでない友人が少しずつ増えてきている。
 天才少女であり続けるプライドは変わることなく持ち合わせているが、そのために他人を寄せ付けまいとしていた臆病さはいつしか消えていた。シンジとユニゾンを築き上げた頃から、ずいぶんと気が楽になってきたこともはっきりと自覚している。心の視野が広くなった、といってもよかったろう。
 その新しい世界での生活も、もうこれまでだった。シンジに会えない今となっては、その風通しの良い心はあまりに寒すぎる。
 新しい世界はすっかり空虚な世界となり、日ごとにアスカから活力を奪っていった。楽しかったはずの毎日が、ただのルーチンワークになってしまった。
 だから、アスカは決めた。もうシンジのことは甘い夢だったと忘れてしまうことに。
 シンジを求めてしまうから、心はそのぬくもりを恋しがり、寒く凍えるのだ。端からシンジはいないと割り切った方が、まだ寒さはしのげるような気がする。
 そして、このままシンジがレイと結ばれたら、いつかは素直に二人を祝福できるかもしれない。そのときまで、彼を小馬鹿にするのはとっておいても悪くないと思う。
 本音をいえば、シンジに会いたかった。
 せっかくミサトのいない夜なのだから、抱き合って、キスして、夜が明けるまでセックスしたかった。今なら、どんな体位を求められても応えられそうなくらいに彼が恋しい。
 抱擁ひとつできなくてもいい。とっとと抜け出してきなさいよ、と無茶を言って困らせたかった。嫌な女のままでいいから、いつものように小馬鹿にしたかった。
 せめて、名前を呼びかけて、振り向いてくれるだけでもいい。
 とにかくシンジに会いたい。今すぐ会いたい。
 そんな想いのすべてを胸の奥に仕舞い込むため、アスカはタオルケットに顔を埋めたまま、そっと息を吸い込んだ。
「…さよなら、シンジ」
 夜闇の中でささやいた言葉は、ただの独りよがり。
 それでも、寂寥に侵し抜かれたアスカの心には、なによりの子守歌となった。

つづく。

 


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(updete 2004/03/06)