かわるシアワセ

04

作者/大場愁一郎さん

 

 土曜日。
 当初の予定通り、シンジは正午を少し過ぎた辺りでレイのアパートまで送ってもらった。
 ネルフの公用車でアパートまで送ってくれたのは、日曜日にダミーのリビングまで案内してくれた男性スタッフであった。
 彼とはあの日以来、今日まで一度も会うことはなかった。六日間とも初対面のスタッフが訪れ、日替わりで身の回りの世話をしてくれたのだ。
 それでも彼は、車内でも親しげに話しかけてきてくれた。軟禁生活の感想を中心にあれこれ談笑していると、シンジもこれから取りかかる任務を前にしながら、少しずつ気分がほぐれてきた。
 この六日間は軟禁生活であったとはいえ、けっこう贅沢な環境にあったと思う。
 確かに友達に会えなかったり、ぶらりと陽光を浴びて散歩というわけにはいかなかったが、食べたいものや飲みたいものはほとんどすべて用意してもらえたし、空調も好きなように調節できた。エアコンの不調までは、さすがに再現されていなかったのだ。
 隔離区画内に限っては自由に歩き回れたし、簡単なスポーツジムも用意してあった。
 男性スタッフも気さくな人間ばかりであり、気が向いてスタッフルームに顔を出せば、いつでも話し相手になってくれた。
 肝心の監視生活も、はじめはどうしてもカメラを意識して寝付けなかったが、やがてはのんびりと眠れるようになった。慣れとは恐ろしいものである。
 しかし、どうしても慣れないことがひとつだけあった。
 今のシンジには、もう独り寝はあまりに寂しすぎた。そのためにシンジは封筒に入っていた写真を二枚手に取り、毎晩おやすみの挨拶を欠かさなかっただ。アスカの写真だけでなく、レイの写真にもおやすみを告げていたのは、同じエヴァンゲリオンのパイロットとして気兼ねしたからだ。
 そのレイの部屋の前で、シンジは先程から立ち尽くしている。
 男性スタッフと別れて十分。部屋の前まで来て八分。辺りに人気はなく、ただ蝉の声と、遠く工事現場からの作業音が延々と聞こえるのみだ。
 今日、ここで綾波とセックスする。
 とうに童貞は卒業しているというのに、シンジはそのことばかり意識していた。とはいえ、期待と情欲に満ちているわけではない。緊張しきっているのだ。
 レイとは初対面ではないし、何度も言葉を交わしている。かわいいとも思っているし、アクシデントではあるが、裸の乳房をわしづかんだことさえある。
 にもかかわらず怖じ気づき、シンジは呼び鈴のボタンひとつ押せずにいた。命令とはいえ、本当にこのままレイとセックスしていいのかと戸惑いにくれる。
 両の手のひらは汗ばみ、喉もカラカラに乾いてきた。帰り際にクリーニングされて返された開襟シャツもスラックスも、なんだかじっとりと蒸せて暑い。
 そんな矢先、アパートの古びた扉は内側から開かれた。思わず一歩飛び退いたシンジと、中から姿を見せたレイの視線が合う。
「お、おはよう、綾波…」
「おはよう、碇くん」
 正午を過ぎているにもかかわらず、シンジはいつものくせで朝の挨拶をした。
 そのことを指摘するでもなく、なぜか制服姿のレイは、自らも朝の挨拶で返す。
「遅いから出てみたの。どうぞ」
「お、お邪魔します…」
 大きくドアを開け、レイはシンジを招き入れた。シンジは恐縮しきりとなり、そそくさと彼女の部屋へ上がり込む。
 レイの部屋は以前来たときと同様、薄暗くて何もない部屋であった。
 何もないというのは語弊がある。事務机があり、病院にあるようなパイプベッドがあり、小さな冷蔵庫があり、その上にいくつかの錠剤と包帯、水の入ったビーカーがある。
 さらにいうなら、日に焼けたカーテンもある。何もない、ということはない。
 それでも、いわゆる女の子らしい部屋ではなかった。飾り気というものがどこにもない。事務机の上にあるひび割れた眼鏡も、どうみてもお洒落のためとは思えなかった。
「ベッドにでも座って。何もないけど、どうぞ」
「あ、ありがとう…」
 シンジが不思議そうに室内を見回しているうちに、その心を読んだかのようなタイミングでレイが促した。そのまま冷蔵庫から五百ミリのペットボトルを二本取り出し、一本をシンジに差し出す。
 シンジは謝辞とともに受け取りながら、レイのパイプベッドに腰掛けた。
 受け取ったペットボトルは、コンビニで普通に売られているミネラルウォーターだ。ちょうど喉が渇いていたこともあり、シンジは遠慮無くキャップを開け、喉を潤す。レイもシンジの横に並んで座り、自らも二口ほど飲んだ。
「ふう…おいしい」
「そう。よかった」
 シンジは事務机に飲み差しのボトルを置き、安息の吐息と感想を漏らした。
 ありきたりで差し障りのない感想ではあったが、レイのくれたミネラルウォーターは冷たくて本当に美味しかった。幾分緊張感も和らぎ、表情も穏やかとなる。
 そんなシンジのしぐさに興味も示さず、レイは彼に倣って事務机にボトルを置いた。かと思うとベッドから立ち上がり、やおらシンジの目の前で制服を脱ぎ始める。
「あ、あっ、綾波っ!?」
「早速始めましょう。回数は多い方が、受胎の確率も高まるわ」
 慌てふためくシンジを余所に、レイは淡々と告げ、スカートから何からを次々と脱ぎ捨ててゆく。
 少しでも急ぎたかったから、レイは脱いだ制服をいちいち畳んだりしなかった。床は埃だらけで汚かったが、後で洗濯すれば済むことである。
 なにより、時間は今日と明日しかない。月曜日からは、またシンジはネルフ本部で禁欲生活を送ることになる。可能な限りシンジと性交しておきたかった。
 早くも下着だけの格好となったレイを前に、シンジも仕方なくシャツのボタンを外してゆく。そのままちらりとレイの下着姿を眺めてみるが、まるでこれからセックスするという感じがしてこない。
 むしろここが病院で、これから診察を受けるかのような心地であった。質素なパイプベッドや事務机といい、部屋の隅に吊してある血の付いた包帯といい、その印象は強まるばかりである。雰囲気も何もあったものではない。
 やはりセックスするとはいえ、これは仕事のひとつなのだ。
 あくまでレイと性交し、彼女を身ごもらせる。それがシンジに課せられた任務であった。
 そう実感してしまうと、ペニスは六日間も禁欲しているというのにぴくりとも反応を示さない。射精の心地良さを忘れてしまったのか、あるいは射精への期待感すら持てなくなったのか、レイの下着姿を淫らな思いで眺め回してなお、ペニスはブリーフの中でおとなしくしている。
「碇くんは…」
「えっ?」
 シンジが開襟シャツとTシャツを脱ぎ、スラックスを下ろそうとしていたところで、突然レイが声をかけてきた。
 シンジがうつむいていた顔を上げると、背中を向けたレイが、ちょうどブラジャーのホックを外したところであった。慎ましやかな乳房を覆っていた白いブラジャーは、そのまま躊躇いなく制服の上に放られる。
「碇くんは、セックスしたことあるの」
「えっ…あ、あるけど…」
「そう。わたしは経験がないから、どうすればいいか教えて」
「え、あ、う…うん…」
 肩越しに振り向いた綾波は、いかにも彼女らしく淡々とした口調でそう言った。質問にも依頼にも、気どりやてらいは微塵もない。
 シンジも気の利いた言葉が浮かばず、思わず赤くなってうつむきながら了承した。
 処女であることを告白する美少女に、セックスの手ほどきをしてくれと言われて狼狽えない男は、よほど肝の据わった男であろう。
 絶対そんな男にはなれないと、シンジはスラックスを脱ぎながら痛感した。
 そうこうしているうちに、レイは白いショーツに両手をかけ、シンジの目の前でしりを見せつけるようにあっさりと脱ぎ捨てた。
 全体的にほっそりとしているレイではあるが、それでもしりは思春期の女の子らしく優しいまろみを帯びていた。さすがにアスカのような発達した逆さハート形とまではいかないが、真っ白ですべらかな様子は清純さに満ちていて美しい。
 レイはやがて靴下も脱ぎ捨てると、一糸まとわぬ全裸体となり、先程のようにシンジと並んでベッドに腰を下ろした。何気なく二の腕どうしが触れ合い、シンジはにわかに緊張感をぶり返してしまう。女の子特有の、柔らかくてひんやりとした二の腕の感触だけでも動悸が聞こえてきそうだった。
「どうしたの」
「な、なんでもないよ…」
 一応左手で乳房、右手で股間を隠しながら、レイはシンジの横顔を見た。
 シンジに見られるのが嫌なわけではない。なんとなくではあるが、普段覆い隠している部分が人前で露わとなったために、妙に落ち着かないのだ。シンジが見たいと言うのであれば、すぐにでも見せるつもりではある。
 ある意味献身的なレイの気持ちに気付くことなく、シンジは早口で動揺をごまかし、わずかにしりを浮かせてブリーフを脱いだ。
 これでシンジもレイも、生まれたままの姿となった。そっと身を寄せれば、すぐにでも裸の肌と肌でぬくもりを分かち合える状況である。
 とはいえ、お互いまだセックスできる状況には至っていない。なにより、シンジのペニスは勃起の兆候すら見せていないのだ。
 カウパー線液の漏出どころか、亀頭と幹との境界さえも、今はまだ包皮で包み隠されている。ぐったりと脱力しきっているペニスの様子は、まるで夏バテにでもなったかのようだ。
「じゃあ…綾波…」
「うん」
 シンジは緊張に息を飲みながら、そっとレイを呼びかけた。並んで座っている彼女に左手を伸ばし、その華奢な肩をわずかに抱き寄せる。
 レイは怯えるでもなく、されるがままシンジの胸に寄り添った。寄り添うというよりは、単に引き寄せられてもたれかかっただけだ。恋人どうしのような仲睦まじい雰囲気はこれっぽっちもない。
 レイはそのまま真摯な眼差しでシンジを見つめ、彼の次なる行動をじっと待った。任務を完遂させたいというひたむきな想いが、その赤い瞳いっぱいに満ちてきらめいている。
 とはいえ、あまりマジマジ見つめられると、どうにも照れくさい。
 思わずレイから視線を逸らすと、シンジは次のステップを一瞬きれいに忘れ去ってしまった。たちまち意識は狼狽して、にわかに胸苦しさを掻き立ててくる。
「え、えっと、えっと…あ、あのさ、綾波…キスしても、いいかな…」
「キス」
「う、うん…」
 どうにかいつもの手順を思い出したシンジであったが、レイはきょとんとまばたきして、その単語をぽつりと繰り返す。
「キスって、なに」
「え…だ、だから、その…なんだっけ、せ、接吻…?」
「接吻」
「だ、だからさ…僕の唇と、綾波の唇とを…その、ちゅって、くっつけて…」
 レイは普段通りの無表情で、ただ淡々と問いかけてくる。そのささやくような声と熱心な眼差しに耐えきれず、シンジは耳まで赤くなってうつむいてしまった。
 同い年の女の子に対して、キスについて言葉で説明するのは本当に恥ずかしい。裸で相対していることよりも、はるかに恥ずかしかった。
「…あ、あのさ、綾波…もしかして、僕の言ってること…わかんない?」
「ごめんなさい。勉強不足ね」
 シンジが遠慮がちな上目遣いで問いかけると、レイはどこか寂しげな口調で詫び、申し訳なさそうにうつむいた。
 冗談でもからかっているわけでもなく、レイは本当にキスという行為を知らなかった。
 保健体育の授業でも、性交から妊娠へ至る過程は学んだ。男女がセックスすれば、それで子どもができるということくらいは十分理解している。
 しかし、キスという行為については名前すら出してもらえなかった。数少ない友人からも、ネルフのスタッフからも教わった覚えがない。今初めてシンジから、キスとは唇どうしを触れ合わせる行為だということを教えてもらったのだ。
 ただ、どうしてキスする必要があるのだろう。
 レイはうつむいたまま、やはり冷静に考えていた。
 そして、その疑念はすぐさま口をついて出る。
「…どうして碇くんはキスしようとするの」
「えっ?」
「すぐにセックスを始めればいいのに、どうしてキスする必要があるの」
「…こ、困ったな…」
「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの。ただ、わからないから」
 シンジが言葉を失うと、レイは再び寂しげな面持ちとなり、今度はしっかりと頭を下げて詫びた。自分が無知であるために、シンジを困らせていることがいたたまれないのだ。
 確かに、時間が惜しいから少しでも早く、そしてたくさんセックスしたい。
 にもかかわらず、シンジはキスという意味不明な行為に時間を割こうとする。
 その意図が、レイにはどうしても理解できなかった。
 とはいえ、別に苛立ちを覚えはしない。苛立ちを覚えるとしたら、むしろ細かいことにこだわってしまう自分自身に対してであった。
 自分はセックスを知らないのだから、黙ってシンジに任せておけばいいはずなのに。
 余計なことをあれこれ考えてしまった挙げ句、シンジを困惑させてしまう自分自身に、レイは憤りを覚えていた。不器用な性格が情けなくて、胸が詰まる。
 一方で、シンジも困惑はしていたが、それほど絶望感を覚えてもいなかった。もちろんレイをもどかしく思ったり、その素朴な疑問を煩わしく思ったりもしていない。
 ともかく普段通りに、今までミサトやアスカとしてきたようにやれば大丈夫だろう。
 シンジは深く考えるのを止め、手順通りにレイの相手を務めることにした。このままお互い黙り込んでいては、できることもできずに時間だけが過ぎるのみだ。
「綾波、目を閉じて…」
「うん」
 シンジは小声で促し、レイにまぶたを下ろさせた。
 こうでも言わないと、きっとレイはキスしている間中目を開けていることだろう。やはり見つめられながらでは照れくさくてキスできそうにない。
 シンジは両手でレイの肩を抱くと、その可憐な唇に自らの唇を寄せ、静かに重ねた。
 それでも、そのキスは極めて淡泊なものであった。微妙な罪悪感が緊張感と絡まり合い、キス本来の甘やかさを阻害してくるのである。
 確かに、レイの唇は柔らかく、そして温かい。微かな鼻息も頬に感じる。
 しかし、シンジの男心に響くものはなかった。否、響く要素はいくつもあるのだが、響いてこなかった。あれだけキス好きであったはずなのに、今は信じられないほどキスに対して無感動になっている。
 自分はここで、一体何をやっているのか。
 そんな白けたような意識を持ち始めた自分に驚き、シンジは慌ててキスを終えた。
 レイはファーストキスの余韻に惚けるでもなく、不思議そうな目でシンジを見つめるのみである。
「今のが、キス」
「う、うん…」
「次はどうするの」
「次は…次は、えっと…」
 レイの事務的な言葉に、シンジは少しずつ焦燥感を募らせてくる。
 もちろん、こんな無味乾燥なキスではペニスは反応しない。それどころか意識はますます身体を離れ、レイとの距離を広げてゆく。まるでモニタールームからレイと相対しているような心地にすらなってきた。
 とはいえ、レイにはシンジをからかったり、小馬鹿にするつもりは毛頭ない。あくまでセックスの経験が無いから、何をどうすればいいのかわからないだけなのだ。
 キスがセックスのために必要な過程であるというのなら、どれだけでもする。
 柔らかくて、温かくて、少しくすぐったい唇でのスキンシップは、シンジとならばずっとしていても嫌にはならないように思えた。
 キスの先があるというのなら、今度はそっちにも応じる。シンジがしたいようにリードさえしてくれれば、レイはどんなことであっても応じるつもりでいるのだ。
 そんなレイのひたむきな気持ちは、心が遠ざかりつつあるシンジの胸にまで届かない。
「じゃあ綾波、横になってくれる?」
「うん。仰向けでいいの」
「うん、仰向けでいいよ…」
 胸苦しい焦燥感に駆られるまま、シンジはレイの肩から両手を離し、そう頼んだ。もう少し先へ進めば、嫌でも興奮できるだろうと高をくくったのだ。
 レイは素直に応じると、薄手の掛け布団をめくり、枕に頭を預けて仰向けに寝そべった。違和感はあれど恥じらいは無いから、乳房や股間を覆い隠したりはしない。両手は自然なまま身体の横に置き、あるがままをシンジに差し出す。
 シンジもベッドに上がって膝立ちとなり、しばしレイの裸身を眺め回した。
 透けてしまいそうなほどに白い肌。
 控えめなサイズながらも、ふっくらと形の良い乳房。慎ましやかな乳首。
 ほっそりとしたウエスト。わずかに浮かぶ腰骨。
 髪と同じ色の性毛。決して太くはない太もも。
 ここでもまた、シンジは愕然とした。レイの裸身が、記号の集合にしか見えないのだ。
 ミサトやアスカの時は、その裸身を見ただけでどうしようもないほどの愛欲がこみ上げてきた。夢中で抱きつき、思うがままにじゃれついてしまいたい衝動に男心もそそのかされた。
 しかしレイの場合は、その衝動のスイッチがオンにならない。そのきれいな身体を淫らな思いで見つめ、様々な妄想を巡らしても、結果はやはり同じであった。ひたすら気まずさだけが胸に満ちてくる。
 レイに色気が足りないといえば、確かにそうであるかもしれない。ミサトほどスタイルが良いわけでもないし、アスカほど恥ずかしがったり照れくさがったりもしないから、そういった点では確かに劣りはするだろう。
 それならなぜ、いつぞやのマスターベーションの妄想ではレイを抱けたのだろう。
 もちろん妄想の中のレイも、決して過剰なイメージで再現したりはしていない。水泳の授業で見かけたスクール水着姿から、ほぼそのままの裸身を想像しつつ妄想に励んだのだ。
 にもかかわらず、今はこうして生身のレイと相対しながら、少しの情欲も湧いてこない。
 シンジは思い通りにならない不安に駆られながら、レイに並んで横臥した。とはいえ枕はひとつしかないから、左の肘を突いて上体を支える。
「綾波、色んなところ触るけど、くすぐったかったら言ってね」
「うん」
 シンジが前もって断ると、レイは枕の上で彼を見つめたまま小さくうなずいた。
 この簡素なやりとりだけでも、シンジは妙に気疲れする。冷たく拒否されたわけでもないのに、なんだかやたらと虚しい。
 ともかく気を取り直して、シンジは右手でレイの左の乳房に触れた。
 本来であれば、頬とか、首筋とか、肩とか、もっと他の部位から少しずつ撫でていって気分を高め合うところだ。その焦れったいような過程を楽しむうちに高ぶっていけるのは、ミサトやアスカとのセックスでよくわかっている。
 それでも、シンジはもっと性急な高ぶりを求めてしまった。胸苦しい焦燥を振り切りたいがために、いきなり女性固有の柔らかみを欲張ってしまったのだ。
 レイが嫌がらないのを確認して、シンジは彼女の慎ましやかな乳房をすっぽりと掌に納めた。そのまま半時計回りに揉み回し、レイの乳房の揉み心地を堪能してゆく。
 レイの乳房はアスカと比べてほんの少しだけ小さく、失礼な言い方ではあるが、地味な性格の彼女にぴったりであった。
 それでも、真っ白な肌のきめ細かさは格別であり、スベスベとした手触りは申し分ない。ぽよぽよとした柔らかさでいえばアスカを上回っており、その新鮮な揉み心地はなかなかに良かった。
 そうやってレイの乳房を揉み回しながらも、どこか退屈を覚えている自分が内側にいるような気がして、シンジは辟易とした。レイのかわいい乳房に触れていられる僥倖すらも、まるで一連の作業であるかのような気がしたのだ。
「どう?綾波…」
「ん…少しくすぐったいけど、平気」
 もちろん、そんな想いのこもっていないスキンシップが愛撫になるはずもない。
 シンジに答えたとおり、レイはさほどの刺激も受けてはいなかった。ただ乳房が押しこねられているというだけで、これといった変化は感じられない。先程のキスと同じで、ほんの少しくすぐったいと感じるだけである。
 そして、その感覚はどこまで行ってもそれだけであった。
「碇くんは…こうやってわたしの胸を揉んで、どうするの」
「え?い、いや…どうすると言われると…」
 三分ほども過ぎてから、レイは不思議そうな面持ちでシンジに尋ねた。そのあまりに素朴な質問に、シンジは返答に窮してしまう。
 確かに、レイの乳房の揉み心地は良かった。
 しかし、それでレイが気持ちよくないのであれば意味がない。愛撫とは、お互いに気持ちよくなるためのものだったはずだ。お互いに性的興奮をきたし、発情期を迎えることによって初めてセックスが可能となるのだから、このまま続けていたところで退屈を覚えるばかりであろう。
 シンジにしてみても、ペニスは相変わらず夏バテ状態が続いている。
 昨日まで六日間、充実した食事と睡眠時間と禁欲を得てきたというのにこのていたらくである。レイのかわいい素顔を間近に見て、柔らかい乳房に触れていながらも、興奮の血潮はペニスに流れ込んでこない。
 もはやそれまでであった。
 今のままでは、これ以上どうあがいてもレイとはセックスできないだろう。お互いその気分になれないことは、セックスを経験しているシンジにこそよくわかった。
 シンジは苦々しい溜息が漏れ出たのをきっかけに、右手の中からレイの乳房を解放した。きょとんとしたレイの視線もかまわず身を起こし、体育座りとなって深くうなだれる。
 惨めな気分であった。気まずさのあまりに、シンジはきつく唇を噛み締める。
 シンジはセックスが大好きだ。それ以前に、女の子が大好きだ。セックスの経験自体はミサトとアスカの二人だけであるが、クラスメイトの女の子はほぼ全員妄想の中で抱いたことがあるくらいだ。
 それなのに、好きなだけセックスしてもいいレイに対して、それができない。
 積極的にセックスしたいと願っているレイに対して、そうしてあげられない。
 情けなかった。本当に情けなかった。
 セックスには慣れていると思っていただけに、そのショックは大きい。
「碇くん…」
 やがてレイも身を起こし、シンジの側で横座りして、気遣わしげに様子を窺った。シンジはうなだれたまま、自嘲の笑みを浮かべる。
「ゴメン、綾波…僕、セックスできないよ…」
「どうして」
「…綾波が悪いわけじゃないけど、興奮しないんだ…ペニスも、大きくならないし…」
 シンジはすっかり涙声となり、そんな弱音を吐く。レイは少しかがむように背中を丸め、体育座りの隙間からシンジのペニスを眺めた。
「セックスするときに、自分で大きくできないの」
「あはは…そうできたらよかったんだけどね」
「…少しだけ、触ってみてもいい」
「えっ…う、うん…いいけど…」
 レイはいつものように無表情ながら、ペニスに対して興味津々となった。レイであっても好奇心は持ち合わせているし、それには逆らえないのである。
 レイの無邪気な申し出に、シンジはこっそり涙を拭ってから膝立ちとなり、彼女が観察しやすいようにした。レイも身体を覆い隠したりしなかったし、乳房も二つ返事で触らせてくれたから、それに対するせめてものお返しのつもりである。
 とはいえ、やはりこうして目の前にペニスを晒すのはたまらなく恥ずかしい。いかにせがまれたからとはいえ、相手が純心の持ち主であるレイだからこそ、それに乗じて卑猥なことをしているようで妙に心苦しい。
 ミサトやアスカにはパイズリやフェラチオをしてもらってはいるが、それとこれとは話が別だ。今の心理状態で、ぐったりと脱力したままのペニスを晒すなど、恥の上塗り以外の何でもない。相手がレイでなかったら、頑なに拒んでいたところだ。
 そんな幸運なレイは恐る恐る右手を伸ばし、指先でシンジのペニスに触れた。
 根本の辺りに固い性毛をたくわえたシンジのペニスは、生暖かくて、柔らかくて、まったく未体験の手触りであった。根本の辺りからぷにぷにと力を込めて摘んでもみたが、かつて見た図鑑のとおり、確かに骨はない。
 積極的な指先はやがて、粘膜質の亀頭にも触れてゆく。男性器が排泄器官を兼ねていることも知っているが、別に汚いとは思わなかった。むしろ貴重な経験を与えてくれたシンジに感謝したいくらいである。
 レイは亀頭と幹の境目辺りを親指と中指で摘み上げ、前後、左右、斜めとあらゆる方向から男性器の佇まいを眺め回した。亀頭の形といい、裏側の筋といい、レイにしてみれば本当に不思議な形であるから感心しきりとなる。
 ペニスの向こうには、ぷつぷつと性毛の生えている陰嚢があった。ふんにゃりと垂れ下がっている陰嚢には、二つの睾丸が高さを違えて内包されている。
 レイはシンジが拒まないのをいいことに、右手でペニスを摘み上げたまま、左手で陰嚢を捧げ持ってみた。陰嚢はペニスよりもわずかに生暖かく、二つの睾丸は思っていた以上に重い。
 ここに、たっぷりとシンジの精子が詰まっている。
 そう思うと、シンジの睾丸がなんとなく愛おしくなってきた。レイはわずかに目を細め、陰嚢を捧げ持った手の中で二つの睾丸をころころと転がしてみた。その感触がおもしろくて、レイはついつい夢中になる。
 汗の匂いにも似た男臭さもほのかに漂ってはきたが、レイはそれを不快と思わなかった。消毒薬臭いよりはずっといい。深呼吸すら厭わないくらいだ。
 時間を忘れて男性器にじゃれつくレイをよそに、当のシンジはくすぐったくてならなかった。細い指がペニスを摘み上げ、暖かい手のひらが睾丸を弄び、なおかつ興味津々の素顔が亀頭の目と鼻の先まで近づいてきたために、その吐息が絶えず下腹部にかかるのだ。シンジは唇を噛み締めながらも、だらしない鼻声を殺しきれなくなってしまう。
「んっ…く、んんっ…ね、ねえ綾波、そろそろいいだろっ…く、くすぐったいよっ…」
「あ、ご、ごめんなさい…ありがとう」
 シンジが照れくさそうな困惑顔で言うと、レイも慌ててペニスを解放し、上目遣いで詫びた。シンジの困惑顔が、わずかに半ベソ気味になっていたからだ。
 とはいえ、その半ベソはレイがそうしたわけではない。先程シンジが自嘲に沈んだときの、いじけた涙が残っていただけである。確かに睾丸を弄ばれて、シンジの下腹部には独特の鈍痛が広がっていたが、それでも泣いてしまうほど痛くはない。
「…ホントはね、セックスしたくなったら大きく、固くなるんだけど…肝心なときにそうならないなんて、自分が情けないよ」
 シンジはペニスを指さして自嘲しながら、再び腰を下ろした。レイの横でゆったりとあぐらをかきながらも、すっかり自信喪失となって肩が落ちる。
「…碇くん、ごめんなさい。こんなとき、どんな顔すればいいかわからないの」
 レイはシンジからわずかに視線を逸らし、寂しげにそう言った。
 シンジが元気をなくしているのだから、励ましてあげたくて。
 でも、下手に声をかければなおさら傷つけてしまいそうで。
 レイの心中で、二つの想いがせめぎ合っていた。
 もっともっとたくさんの人間と関わることが許されていたなら、こんな場面でも適切に対処できたのに。レイは自身の境遇を恨めしく思い、そっと唇を噛む。
 シンジは横目でレイを見て、以前も似たような場面があったことを思い出していた。
 確かあのとき、自分はレイに対して笑えばいいと言った。しかしここでレイに笑われたら、もっと落ち込むであろうことは容易く想像できた。
 だから、シンジはうつむいていた顔を上げ、逆に自分からレイに微笑みかけた。
「綾波、今は僕と二人きりなんだから悩まないでいいんだよ。綾波が思ったように…綾波の気持ちのまま、素直でいればいいんだ」
「わたしの、気持ち…」
 思えば、お互いに心の風通しを良くしていなかったからこそ、上手くセックスができなかったのかもしれない。
 シンジは今さらながらにそう思い、レイにそう告げた。レイも思うところがあり、シンジの言葉を復唱して黙り込む。
「綾波は…こんな僕を見て、どう思ってる?」
「…碇くんには、元気になってほしい。碇くんが元気じゃないと、わたしも元気になれない」
 シンジが子どもを諭すような口調で問いかけると、レイは普段にない早口でそう答えた。一生懸命な気持ちがレイを早口にさせ、声に張りをも持たせたのだ。
 その言葉は、飾りひとつないレイの本音であった。伝わってほしいとも願う、一途な真心からの想いであった。
 そのぶん、言葉には彼女なりの言霊がしっかりとこもり、すっかり遠くなっていたシンジの心にまで熱く届く。
 シンジは思わぬレイの語り口に一瞬唖然としたが、その言葉の意味が心に染み込むと、思わず嬉し泣きしそうになってしまった。まだまだあどけない少年の素顔には、なんとも複雑な笑顔が浮かぶ。
「はは、はははっ…だったらよかった…じゃあ綾波のためにも、元気を出すよ」
「そう…よかった」
 シンジの危なっかしく揺らぐ声に、レイはいつもの調子で答える。
 それでも、そう答えたレイの表情は本当に安らかな笑顔であった。

 シンジもレイも、今日のところは積極的にセックスしないことに決めた。
 それでも任務であるから、まるきり諦めてしまうわけにはいかない。
 そこで二人は下着だけを身につけ、ベッドで並んで寝そべって時間を過ごした。裸でいるには少々落ち着かないし、かといって制服を着るとしわになるからだ。
 時間をつぶすといっても、ただごろごろしていたわけではない。狭いベッドではあったが、シンジとレイはここを二人だけの遊び場として思いのままに過ごした。
「ネルフ。綾波、ふ」
「ふ…不眠症」
「う、かぁ…う…う…まぁいいか、うさぎ。綾波、次は、ぎ」
「ぎ…ギンヤンマ」
「ま…ま…」
「…碇くんはギンヤンマ、漢字で書ける」
「え?ぎんやんま…と、とんぼのことだよね?えっと、えっと…ぎん…銀…」
 なかでも、二人のお気に入りはしりとりだった。小さな枕を仲良く半分ずつ使い、額をくっつけて、身体もぴったりと寄り添い合って言葉遊びを楽しんだ。
 時々脱線しては、たあいもないおしゃべりも交わした。口下手な二人であるから話題に富んだ内容ではなかったが、それでも十分に楽しかった。シンジも、そしてレイも嬉しそうに目を細め、その極めていたいけな時間をだらだらと過ごした。
 それに疲れたら、仲良く寄り添ったままでうたたねした。
 日が落ちる頃になると、眠っていても二人の腹の虫が不満を鳴らし始めた。
 ひとまず交代でシャワーを浴びてから、レイがあらかじめ用意していたコンビニのサラダを二人で食べた。そのときも行儀悪く、ベッドの上。もちろん下着だけの姿だ。
 サラダは海藻サラダであったが、二人で食べると美味しかった。
「碇くん、これはわかる」
「それは簡単だよ、ワカメじゃないか」
「正解。じゃあ、これは」
「えっと…なんだろ、その赤いの…わかんないなぁ。なんて名前なの?」
「トサカ。鶏のトサカに似てるでしょ。じゃあ、これは」
「それはレタスだろっ」
 レイもシンジもおしゃべりしながら、本当に楽しく夕食のひとときを過ごせた。特にレイは普段からひとりで食事をとっているぶん、終始嬉しそうに目を細めていた。
 それから夜の九時過ぎくらいまでは、またしりとりとおしゃべりで過ごした。二人とも積極的に話題を振ることができない性格であるから、思わぬタイミングでおしゃべりのきっかけが生まれるしりとりがすっかりお気に入りとなった。
 セックスしてみようか、とシンジから誘ったのは十時過ぎであった。一旦二人とも裸になり、キスしてみたが、それまでだった。お互いにしゃべり疲れていたのだ。
「碇くん」
「ん?」
 明かりを消し、シンジがベッドに戻ってきたところで、レイはそっと呼びかけた。シンジは裸のままのレイを右手で抱き寄せ、枕の位置を整えながら応じる。二人は裸の肌を寄せ合い、掛け布団の代わりにぬくもりを分かち合って夜を過ごすことにしたのだ。
 そのぬくもりが思いがけず心地良くて、レイは言葉を続ける前に安堵の溜息を吐いた。
「…今日、碇くんがセックスできなかったのは、きっと疲れてたからだと思うの」
「そう、なのかな…。慣れない環境に置かれたからね」
 レイは本日の反省会よろしく、そう切り出した。
 確かに、言われてみればそうかもしれないとシンジは思った。
 何不自由のない生活であったとはいえ、普段会っている人に会えない状況というのはなかなかつらかったように思う。特に、会いたい人に会えないという状況は、きっと相当なストレスとなっているに違いない。
「だから…明日は部屋へ帰って、ゆっくり休んでほしいの。彼女も、相当疲れてる」
「部屋…彼女って…」
 レイの言わんとしていたことに気付き、シンジは呆然となってつぶやいた。レイはその声に、同じ枕の上で小さくうなづく。触れ合っている二人の額で、前髪どうしがさらりと擦れ合った。
「シンクロ率も相当下がってきてる。はじめはイライラしてたけど、今はもうその元気もなくなってる。碇くんがネルフ本部で生活するようになってから、ずっとこう」
「アスカ…」
 レイは普段通りの淡々とした口調で、シンジがいなくなった世界での出来事を説明した。
 シンジは懐かしさと愛おしさを込めてその名を呼び、思わずレイの身体を強く抱き寄せてしまう。慌てて気まずくなり、ゴメン、と一言詫びるのがいかにもシンジだ。
 確かに、この土曜日と日曜日は監視もされていないという話だ。休みなくセックスし続けるわけにもいかないから、基本的に自由だとは確かにミサトも言っていた。
 ということは、アスカに会える。あれだけ会いたくて、夜ごとに写真を眺めては溜息を吐いた、あのアスカに会える。明日になったら、誰の邪魔も受けないで会える。
 そう思うだけで、シンジの胸は高鳴った。皮肉なことに、すっかり目が冴えてしまう。
 ちゃんと会ってくれるだろうか。
 バカシンジ、遅いわよ、なんて憎まれ口を叩いてくれるだろうか。
 それともまさか、他に素敵な彼氏ができていたりしないだろうか。
 そんな期待と不安で、シンジの胸はたちまちいっぱいになった。逸る気持ちで呼吸も速まり、日付が変わったらすぐにでもレイの部屋を飛び出したいような、シンジにしては大胆不敵な衝動まで芽生えてくる。
「綾波…僕…」
「だめ。せめて一晩くらいはわたしと一緒にいなきゃ。命令でしょ」
 シンジの想いを悟ったわけでもないが、レイはシンジの背中に左手を伸ばし、ぐいと抱き寄せてそう言った。そのしぐさと声音にレイの女心を感じたような気がして、シンジはすっかり萎縮してしまう。
 同じ女の子の前でずいぶんと身勝手なことを考えたものだ。
 シンジは海の底より深く恥じ入り、心中で二人の少女に何度も何度も詫びた。
「…今日は楽しかった」
 そんなシンジを元気付けるよう、レイは少しだけ抑揚を付けてそう告げた。シンジはおずおずとレイを抱き寄せ、そっと背中を撫でさする。
「碇くんと、こんなに長い時間一緒にいたことは初めてね。戦闘配置のとき以外では」
「そうだね…しかも今日は僕、綾波の部屋でお泊まりだ」
「明日の朝…起きる前に、もう一度しりとりしてくれる」
「いいよ。その後で…もう一回セックス、挑戦してみよっか」
「碇くんができそうなら、わたしはいつでも」
 二人は右脚をくねくね絡めてじゃれ合いながら、ささやかに睦言を交わす。
 そのじゃれ合いも睦言も相変わらずいたいけなものであったが、スキンシップの喜びを知ったレイにはたまらなく嬉しかった。自然なままに相好が緩む。
 そのくすぐったそうな表情のために、レイは本来の美少女ぶりを存分に輝かせているのだが、夜闇に包まれているためシンジにはそれがわからない。
「…じゃあ綾波、明日の朝に備えて今日はもう寝よう。おやすみ…」
「…おやすみなさい」
 とびきりの笑顔を見逃した不幸なシンジは、最後にそっと額を擦り付けてレイに夜の挨拶をした。レイも慌てて倣い、挨拶を返す。
 夜の挨拶を交わした相手と、一緒に眠れる。
 この夢のような果報に、レイの涙腺はわずかに揺るみかけた。

つづく。

 


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(updete 2004/03/06)