浦島、抜け!

Sex by Sex(6)

作者/大場愁一郎さん

 

 

「けーたろ…」
「ん…」
 みつねのささやき声に、景太郎はゆっくりとまぶたを開く。
 そこには、誰よりも愛しい女が下着のみというしどけない姿で微笑みかけていた。景太郎からの視線に気付くと、みつねは後ろ手になって背筋を伸ばし、まばゆいほどの肢体を無防備なままに差し出してくる。
 眼前に佇んでいるみつねはこの上なく悩ましく…そして素敵だった。
 背筋を伸ばしたために、心持ち胸を張るような体勢となり…ラベンダーカラーのブラジャーに包まれた乳房は先程見たとき以上の迫力を備えて佇んでいる。ふくよかさに富んだ二つの膨らみは発育の優良さを物語るよう張りに満ちていて、女性の象徴として十分誇示できるものだ。セーターの上から揉みこんだときも、片手ではそのすべてを包み込めないほど余裕たっぷりであったのだが…こうして内側からフリルを押し上げている様子を見れば、本当にみつねの乳房はふっくらと大きいことがわかる。
 女性としてのふくよかさを存分に蓄えた乳房とは対照的に、みつねのウエストは適度な脂肪を身に付けているだけで、寸胴な印象は微塵も受けない。むしろ滑らかにくびれを帯びているほどだ。腹筋も適度に引き締まっているらしく、へその穴も慎ましやかなくぼみとなっている。
 一方、腰から太ももにかけては絶妙なまろみが緩やかなカーヴを描いており、こちらもまた強く女性を印象付けさせてくる。背後から見れば一目瞭然なのだが、みつねはヒップラインも美しい逆さハート形で、すこぶる扇情的なのだ。タイトなジーンズを履いたみつねのヒップラインに、景太郎は今まで何度口に出せない興奮を覚えたか知れない。
 逆三角形で股間を包み隠しているショーツはブラジャーとペアであり、同じ淡いラベンダーカラーだ。こちらも手の込んだフリルがふんだんに使われていて、みつねの色気と愛らしさを同時に醸し出してきている。小高い隆起を包み込んでいる布地は、決してハイレグと呼ばれるほどの角度で切れ込んでいるわけではないのだが…それでもここまで魅惑的に見えるのはショーツのデザインが秀逸であることと、なによりみつね自身のスタイルと豪奢な下着がマッチしているからに他ならない。
 彼女のスタイルの良さはショーツより下に於いても不変である。ショーツの端と中央から下降してゆく両脚の線も美しく、魅入ったままに眺めていると、視線はあっという間にペディキュアで彩られたつま先へ到達してしまう。決してほっそりとした脚ではないが、肉感は過不足無く…スラリと長いぶん、脚線美という言葉を冠するに十分だ。
「…きれい…」
「う、うぅ…」
 見惚れる、という言葉は今の景太郎のような状態を言うのだろう。景太郎は下着のみの姿となったみつねを陶然と見つめたまま、熱い溜息とともに感動を声にした。何のてらいもない景太郎の態度に、かえってみつねのほうが照れてしまう。
 綺麗だった。そして、美しかった。
 それは景太郎にとって世辞などではなく、どこまでも素直な心根である。景太郎の男心が望むおおよその理想の姿が、今目の前に佇んでいるみつねだったのだからどうしようもない。他にかける言葉が無くなってしまうのも当然だ。
 感動のあまりに息を飲み、そのまま呼吸することを忘れてしまうくらい…どこまでもどこまでもみつねに見惚れてしまう。
「け、けーたろ、そんなマジマジと見んといて…さすがに照れくさいっ…」
「ご、ごめんなさい…でも、ブラもショーツもすっごい似合ってて、きれいだから…ホントに今のキツネさん、きれいだから…」
「う、ううう…」
 どれだけ見惚れられたとしても、間断なく熱い眼差しに晒されては歓喜よりも羞恥の方が勝ってしまう。みつねは左手で胸元、右手で股間を覆い隠すと、狼狽しきりといった頼りない声で景太郎に哀願した。
 それで景太郎は我に返り、うつむくようにして視線をそらしたが…言い訳半分の素直な賛辞はみつねをますます羞恥の深淵へ追いやることになってしまう。恥じらいでいっぱいといった顔は、もう耳から首筋に至るまで真っ赤だ。
 とはいえ、みつねが異性の前に下着姿を晒したのはこれが初めてではない。今までに何人もの男と付き合ってきているし、当然夜を供にしたこともあるのだから、下着姿など当たり前のように晒してきている。それこそ今の下着よりも、ずっとずっと大胆な下着姿さえ晒したことがあるくらいだ。
 そこで得られたものは簡素な賛辞と、次のステップへ進むためのささやかな高揚だけであった。相手にしてみても下着姿が最重要事項ではなかったし、みつねもそれ以上のものを期待せず、望むつもりもなかった。それが当たり前であり、それで十分だったのだ。
 しかし、景太郎は違った。興味本位といった好奇の視線ではなく、かといってまるきり興味を示してくれないわけでもなく…ひたすら自分の下着姿に感動してくれて、そのうえ陶酔しきった賛辞まで投げかけてくれるのだ。
こんなん初めてや…めっちゃドキドキするっ…
 みつねはいつしか、覆い隠していた胸元を左手で押さえていた。胸の真ん中が焦れったく疼き、それをなだめるようせつない溜息を無意識下に繰り返してしまう。
 純粋で木訥そのものの景太郎の言葉には、心の底から溢れてくる瑞々しいほどの言霊が込められていた。真心からの賛辞は直接女心に伝わって、たまらないほどに胸を熱くさせるのである。羞恥と歓喜のまばゆい心地に、涙腺も危なっかしく震えてしまうほどだ。なんとなく景太郎の方に視線を向けることができない。
 そこでみつねはクルリと身を翻し、景太郎に背を向けた。これ以上景太郎に見つめられていては、睦み合いを楽しむぶんの精神的余裕すら失いかねないからだ。
「…し、下着はそれぞれで脱ご?脱いだらウチ、合図するさかい…」
「は、はい…」
 均整の取れた背中や、まろみ十分のヒップラインを景太郎に晒したまま…みつねは独り言と聞き間違えそうな口調でつぶやく。景太郎の男心にあてられ、今やみつねの女心はすっかり舞い上がっていた。
 景太郎はみつねの言葉を聞き逃すことなく、首肯するなりそそくさと彼女に背を向けた。
 背を向けてしまってから、いよいよ自分たちが生まれたままの姿になるのだということをあらためて認識する。緊張感は耳鳴りをもたらし、胸の圧迫をもたらし、吐息の震えをもたらしてきた。軽い目眩すら覚え、目の前のふすまがゆらりと揺らぐ。
これほどまでの緊張は、大学受験の時以上かも知れない…
 景太郎はトランクスに両手をかけた体勢のまま、そんなどうでもいいことを真剣に回想していた。身体中が不思議な高揚感に包まれ、どうにも思考がまとまらない。
するっ…
 意を決してトランクスを下ろし、しりを…次いで性毛をたくわえたペニスを露わにする。
 みつねの寝室はファンヒーターのおかげで十分暖かいのだが、それでもいざ下着を下ろすと冷え冷えとした感じがするものだ。みつねの下着とは比較にならないくらい安物のトランクスではあるが、意外なほどに防寒性があるんだな…と、景太郎はまたもやどうでもいいことを真剣に考えて感心したりする。
 しかし、思考が余計な方向に働いていたのはかえってよかったのかもしれない。異性の寝室であるにもかかわらず、景太郎はさほどそれを意識することなくセックスシンボルを露わにすることができたからだ。
 まるでこれから風呂にでも入るかのような何気なさでトランクスを脱ぎ去り、ちょうど脱衣籠に放るような手つきで着衣の上に置くと…これでもう景太郎は一糸纏わぬ全裸体である。身体を包んでいるのはどうにも落ち着かない、不思議な高揚感のみとなってしまう。
わ…すっかりしおしおになっちゃって…
 裸になってしまってから気付いたのだが、あれだけ貪欲に猛り狂っていたペニスはいつの間にやら萎縮しきっていた。怒張しきってガチガチだった幹もやんわりと和らぎ、パンパンに膨らんで剥き出しになっていた亀頭も、今では怯えたように半分ほど包皮の内側に隠れてしまっている。
 これはおそらくみつねの衣服を脱がしている間に気分がそれたのと、彼女の下着姿の美しさに見惚れてしまったこと、それと拭い去れない緊張感の果てにこうなってしまったのだろう。景太郎はその変わり身の早さに心中で苦笑すると、まだ逸り水でヌルヌルとしている先端を右手の指先でつまみ、ぷにぷにと刺激してみた。ヒリッとするような鋭い感覚はあるものの、あの重苦しいような射精欲は、もうどこにも残っていない。
まさか…もうこのまま、大きくならないんじゃないだろうな…
 なんとなく頭をよぎった不安は、たちまち胸いっぱいに拡がって景太郎を苛んでくる。もしずっとこのままだったとしたらあまりに無念であるし、みつねにも思い切り笑われることだろう。半年はこれをネタにからかわれ続けるかも知れない。
 自分がからかわれるだけならまだいいが、もしかしたらみつねにも恥をかかせてしまうことになるのではないだろうか。普段絶対表に出さない本心を露わにし、恥も外聞もかなぐり捨てて自分を求めてくれた乙女心をも…。
 そんな焦燥に駆られた景太郎は少し余り気味の包皮を指先で引き下げ、脱力している亀頭を完全に露出させた。そのまま指先で包皮ごと幹をしごき、外部からの刺激で興奮の血潮を巡らせようとした…ちょうどそのとき。
そわっ…
「あわわっ!?き、きっ、キツネさんっ!?」
「けーたろ…」
 思わず状況を忘れていた景太郎に…みつねは静かに寄り添い、肩に両手をかけてすがりついてきた。我に返った景太郎はたちまち気を動転させ、声を上擦らせる。
 すっかり思い詰めていたために気付かなかったが、今しがた自分がやっていたことはどう見てもオナニーそのものではないか。
 それに思い至ったがための動転であるが…なにより、裸の背中にむんにゅりとした柔らかみが二つ押し当てられてきたものだからたまらない。景太郎はたちまち身体中に緊張を走らせ、直立姿勢のまま固まってしまう。
「あ、あっ、あのっ…き、キツネさん、胸…む、胸がっ…」
「うん…裸の胸や…。せやけど、けーたろやって胸は裸やないか…」
「そ、そうじゃなくって…あ、い、いや、そうなんですけど…その…」
 みつねの穏やかな口調を肩越しに聞きながら、緊張しきりの景太郎はもどかしい返事しか寄こせない。
 なにしろみつねはぴったりと身体を擦り寄せ、その豊満な乳房を…なだらかな腹筋を…柔らかな二の腕を…おおよそ可能な範囲での柔肌を押しつけてきているのだ。今までに感じたことのない、とびきり心地の良い柔らかみに景太郎はすっかり恍惚となり…吐息も熱く、湿り気を帯びて震える。
「緊張してんねやろ。身体、カチカチやないか…」
「い、いえ、カチカチなんてそんな、さっきから元気が…って、え?か、身体?き、緊張は、その…緊張してるけど…」
 つかまっている肩をモミモミとほぐしながら、みつねは心持ち口調を弾ませ、甘えかかるようにして笑った。景太郎はなにやら勘違いした返事を寄こしかけたものの、すぐさまみつねの指摘を認めてうなだれる。落とした視線の先にあるペニスは素っ気ないほどに脱力して、焦る景太郎の望むようになってくれない。確かに身体中は緊張しきってカチカチに硬直しているが、ペニスだけはその表現からほど遠いままだ。
「…ウチもな、緊張してる」
「キツネさんも…?」
 そっ…と景太郎のうなじに額を当て、みつねはそうささやいた。意外な言葉ではあったが、景太郎は直立の姿勢でうなだれたまま、茶化すでもなく相槌を打つ。
「あんたとは二人っきりでゲームしたり、テレビ観たり、酒も飲んだり…ずうっと親しくしてきとるんに、これからエッチするんやって思たら…なんや初めてのときみたいにドキドキしてな…。下着はそれぞれで脱ご言うたんも、照れくさなったからなんや」
「そ、そうだったんだ…」
「せやから…な、けーたろ、このまま…ウチとくっついたまま、こっち向いてんか…?そうすればウチもあんたも、いきなり裸見られんで済むやろ?もうちょっとだけ心の準備、できるさかい…あかんか?」
 みつねは少しだけ饒舌に心情を吐露し、最後にそうねだった。少しだけ思い詰めたような面持ちこそ景太郎には気付かれないが、肩にかけた両手にこもる力や、うなじにかかる火照った吐息によって、彼女の緊張はありありと景太郎に伝わってしまう。
 どれだけ経験豊富であったとしても、女としての奥ゆかしさを捨てきれる人間はそうそういない。多くの男とベッドを共にしてきたとはいえ、みつねも初めての相手にはどうしても緊張してしまう。
 ましてや性別を意識しない親友として、時にはだらしない姿も見せてきた景太郎が相手であればこそ…余計に気を使い、そのぶん恥じらってしまうのだ。そんな関係でいたにもかかわらず、男女としての時間を過ごすために生まれたままの姿を晒すとなればなおさらだった。
かわいい女として見てもらえるだろうか…だらしない女だと思われないだろうか…
 そんな当たり前の不安が、下着を脱ぎ去ってしまってからみつねの胸中を占めてきて…精神的余裕が少しずつ無くなってきている。以前、からかい半分で景太郎に下着姿を見せつけた事があるが…そんな過去のことですら悔やまれて仕方がない。今回も半ば自暴自棄の中で景太郎の優しさを求め、ぬくもりを求め、愛情を求めてしまったのだが…それすらもただの自己満足ではなかったかと疑念が湧いてきているほどだ。
 そんなみつねの想いを悟り切ることは誰にもできないが、それでも景太郎は彼女の緊張を幾ばくかでも気取ることはできる。さすがに肌を重ねていてなお気付かないほどのにぶちんではないし、みつねが嘘を言っていると思えるほどの人間不信でもない。
「いいよ…じゃあ、キツネさん…」
「ん…」
 景太郎がしっかとうなづくのに合わせ、みつねは彼の肩にかけていた両手を下ろした。ほんの少しだけ触れ合っていた肌を離し、うつむいて目を伏せる。
 景太郎もできるだけ下方を見ないように努めつつ、ゆっくりと身体ごと向き直り…みつねと正対した。うつむいた茶髪だけを見つめたまま、今度は率先してみつねの肩をつかむ。
 それでみつねは顔を上げ、二人は熱っぽい眼差しを交わした。お互い、ほんのりと上気した顔を見るのがずいぶん久しぶりのような気がして…妙に面映ゆい。
「キツネさん…」
「けーたろ…ぎゅって、抱き締めて…」
 想いのこもった景太郎の呼びかけに目を細めながら、みつねがそうねだり…
ぎゅうっ…
「んんっ…!」
「んあぅ…!」
 二人は生まれたままの姿で、きつくきつく抱き締め合った。肌と肌とが織りなす至福のぬくもりに触れた途端、どちらからともなく感動を甘ったるい鼻声にしてしまう。
 そのままお互い甘えるように頬摺りしてしまえば、たちまちその表情はとろけそうなほどに和んだ。ざぶんと肩まで温泉に浸かったかのような…そのなんとも気持ちよさそうな二人の顔は、ありったけの幸福感がそのまま表情に出ていると言って過言ではないものだ。独り身の人間が見たとすれば、ほぼ間違いなく羨望や嫉妬の念を抱いてしまうことだろう。
「キツネさん…キツネさんっ、キツネさんっ…!」
「あん、けーたろ…けーたろ、けーたろっ…!」
 二人は互いの背中を抱き寄せたまま、先を争うように頬摺りして、しきりに名前を呼びかけ…まさに無我夢中で、裸での抱擁を堪能する。
キツネさんって、こんなにちっちゃくて、柔らかくって…あったかいんだぁ…
 景太郎は二の腕の外から丸ごとみつねを抱き込み、女体の抱き心地に酔いしれていた。裸の女性を抱き締めるのが初めてということもあり、その感動は並大抵のものではない。
 まず感動したのは、みつねの身体が意外なほどに小さく感じられたことだ。
 普段見ている限りではそれなりに背丈もあり、住人の中でも抜群のプロポーションであるのに…こうして腕の中に抱き込んでしまうと、拍子外れなほどに小さく、華奢な印象を受ける。その印象は、衣服の上から抱き締めたときよりもずっと深い。
 とはいえそれは錯覚であり、みつねの身体は適度な脂肪を帯びてふっくらとしている。なおかつ適度に鍛えられた筋肉をも備えていて、儚さなどはどこにもない。あくまでそれは、男性である景太郎の身体が女性であるみつねのそれよりも大きいだけなのだ。そういった些細な錯覚ひとつも男気が奮い立つ原動力となるのである。悲しいながら、男が単純だといわれる所以のひとつであろう。
 次に感動したのは、みつねの身体の柔らかさだ。
 とはいえ、頼りなくグニャグニャしているというわけではない。抱き込んでいる二の腕も、スラリと通る背中も、二人の間でたわんでいる豊満な乳房も…どこもかしこもぽにゃぽにゃとした弾力を秘めているという意味だ。
 そのうえで、触れ合い、擦れ合う肌は汗ばんで湿り気を帯びていながら、どこまでもきめ細かで手触りがよい。スラリとした背中を抱き寄せながら、スベスベと思う様にまさぐれば…たちまちくせになりそうな快感が手の平いっぱいに生まれてくる。明らかに男性のものとは組成の違う女性の柔肌に、景太郎の男心は胸苦しさを覚えるほどに逸った。
 その身悶えが来るほどの抱き心地を身体中すべてで感じようと、景太郎はモジモジと身じろぎするようにその身を擦り寄せてみつねを抱き締める。こうして強く抱けば抱くほど、その心地良さで恍惚の溜息が漏れた。
 少しくすぐったさが過ぎるような気もしたが、それは何物にも代えがたい人肌のぬくもりの中、まるで湯に落ちた白雪のように淡く溶け去ってゆく。後に残るのはとびきりの幸福感のみだ。景太郎は安らいだ笑みを浮かべたまま、しきりに頬摺りしてはよがる。
「ああっ、すごい…すごい、すごいっ…!」
「んふふっ…けーたろあんた、さっきからすごいばっかやな…」
「だって、ホントにすごいから…裸で抱き合うのって、こんなにいい気持ちなんだぁ…」
「ええもんやろ…うん、ええもんやな、ホンマに…」
 裸での抱擁に酔いしれた景太郎はすっかり緊張を解き払い、まさに夢見心地といった上擦り声で感動を露わにする。頬摺りしているために直接見つめ合えないのも幸いしていただろう。安らぎきった様子で瞳を潤ませる姿は母に抱かれる子どもにも似ていた。
 みつねも景太郎の頬摺りに応じながら、抱擁の素晴らしさを再確認したかのように賛同する。うっとりと目を伏せて、景太郎に一切を委ねながらも、みつね自身ぬくもりを求める努力は惜しまない。
 みつねもまた、景太郎のわきから背中に伸ばした両手に精一杯の力を込めて彼にしがみついている。人恋しさの極地にあった女心は、まさに一体化すら望むほどに肌のぬくもりを求めていたのだ。
 その貪欲となった女心は、景太郎に強く抱き締めてもらうことでひとまずの充足を得ることができている。乳房を押し付けることになろうとも、性毛どうしが触れ合おうとも…たとえ呼吸がつらくなろうとも胸は満たされた。むしろそうすることで、あるいはそうなることで…寂寥感に苛まれ、人恋しさに焦がれ続けた女心はなだめられるのである。
けーたろって、ホンマにたくましなったな…
 みつねはしおらしく景太郎に抱かれたまま、彼の腕力に感心していた。
 ひなた荘に来たばかり頃は呆れるほどに軟弱で、些細な労働ひとつですぐに悲鳴をあげていたものだが…いまこうして背中を抱いてくる頼もしさはどうだろう。かといって力任せなわけではない。どこまでも甘えていけそうな安堵感をもたらしてくれる、雄大な力がそこにはあった。
 それでいて、裸でフカフカの毛布にくるまったような…そんな優しさも隅々から感じられる。不躾であったり、鬱陶しかったり…不安にさせるところがどこにもないのだ。
 だからこそみつねもまた緊張を解きほぐし、のんびりと景太郎との抱擁に浸っていけるのである。
 先程から景太郎はしきりに頬摺りしてくるのだが、彼の頬はにきびのひとつもなくすべすべとしていて大変心地が良い。面立ちは幼く、ともすれば女の子寄りの中性的なあどけなさを有しているのだが…本当に女の子であるかのようにきれいな肌なのだ。そのためみつねも嫌がることなく、いつまでも頬摺りに応じていられる。むしろみつねの方から頬摺りをせがんでいくほどだ。
 一方ですがりついてる背中や、乳房をたわませている胸板、触れては擦れ合う腹部はそれなりに筋肉質でガッシリとしており、男らしさと呼んで差し支えのない抱き心地を備えている。気が付けば踵を浮かせてまで景太郎との深い密着を計ろうとしている始末だ。
…もしかして、けーたろって…けっこうええ男になってんのとちゃうか…?
 みつねは陶然とした心地の中でそう感じ、突沸のような照れくささを覚えてパチクリとまばたきした。その頃にはもう、みつねのわきや胸元、背中や手の平、足の裏はじっとりと汗ばんできている。
 これはみつねの女としての本能が、景太郎の男心を奮わせようと作用してきたためだ。
 もはやみつねの身も心も、景太郎とじゃれ合うことに悦びを覚えるようになってきている。そのため性的興奮に活性化した身体は発汗に合わせ、発情のフェロモンをたっぷりと発散させるのだ。質素で清潔な寝室も、この蒸せるほどに濃厚な雌の匂いが満たされて…やがて二人で愛情を育む巣へと装いを改められてゆく。
 童貞である景太郎は、当然この生理的な誘惑に逆らうことはできないし…なにより気付くことができない。
はあっ、はあっ、はあっ…んくっ…
 潮が引いていったかのような愛欲が、再び潮が満ちるように募ってきて…景太郎はいつしか呼吸を荒ぶらせてきた。喉がカラカラであることに今さらながら気付き、慌てて唾を飲み込んで紛らわす。
 それに気付いたみつねは景太郎の耳元で小さく笑い、揃えた指先でぺちぺちと彼の背中を叩いた。そのままゆるりとすがりつく両腕の力を緩めたので、景太郎もそれに倣う。柔軟にたわんでいたみつねの乳房も二人の間でふんわりと落ち着き、汗とコロンの匂いをフワリと漂わせた。
「苦しくしてもぉた?」
「ううん、平気です…こっちこそごめんなさい、馴れ馴れしく頬摺りばかりして…」
「そんなん大歓迎や…それくらいわからんかったか?」
「いえ…途中で気付いたから、あ、このまましてていいんだって嬉しかったけど」
「んふふ、あほう…」
 熱っぽい眼差しで見つめ合いながら、二人は甘やかな声で互いを労り、まるで小さな花が開くように微笑んだ。望むがままに抱き締め合い、汗ばむ肌を介して想いを交わした今…何気ない戯れ言ひとつも普段以上に楽しく、そして嬉しい。
キツネさん、ホントにかわいいな…
 景太郎は胸苦しいほどの高揚の中、心中でそう独語する。
 ぴったりと寄り添ったまま、ぽおっと頬を上気させているみつねはこちらがのぼせてしまいそうなほどに愛くるしい。ささいな戯れ言に少し照れて、そっと上目遣いになっていることもそれに拍車をかけているだろう。人なつっこくて愛嬌たっぷりの素顔は、今や女の艶に満ち満ちて神々しいほどだ。
「キツネさん、俺…」
「ん…?」
 瞬間、ひたむきな想いが景太郎の口をついて出かかる。
 しかし、今ここで景太郎が想いを口にしてしまうのはタブーであった。先程もみつねに言われたとおり、みつねにはまだその気持ちに応える自信が無いのである。夢中で睦み合っているとはいえ、この一時が恋破れた女心を慰めるためのものであるということは景太郎自身承知の上なのだ。
せつない…この世に、こんなにせつない事があるなんて…
 その一言を口にしてはいけないというだけでありながら、ある意味極めて残酷なジレンマに…景太郎は深々と溜息を漏らす。それでももはや、焦れる胸が和むことはなかった。押さえ込めば押さえ込むだけ、その想いは強い愛欲となって景太郎の男心を奮わせる。
 景太郎は無言のままみつねに鼻先を近づけ、ひゅくん…と虚空をついばんでみた。みつねはその意味に気付くと、すぐにしおらしく目を伏せ、瑞々しい唇を彼に差し出す。
ちゅ、むっ…
「ん、んっ…んふ…」
「んっ、んんっ…」
 過敏となった薄膜どうしが触れ合うなり、みつねは甘ったるい鼻声を漏らした。そのままぴったりとくっついて吸い付き合うと、その鼻声は身体の芯までとろけそうな恍惚の溜息となる。
 一方で、口づけた側の景太郎はみつねの腕の中、ゾクゾクと身をさざめかせてまでよがった。裸で抱き合っての口づけが、想像を遙かに越える快感をもたらしてくれたからだ。みつねの溜息を頬に感じただけでも、みっともないほどにあごが震える。
ぎゅうっ…
 二人はキスの興奮に駆られるまま、再び情熱的な抱擁を交わし始めた。背中に指を立ててしまうくらい強く抱き締め、夢中で重ねた唇をたわませてゆく。
ちょみ、ちょむ、ちょむ…ちゅぴ、ちゅぴ、ちゅぷっ…
 しばし薄膜どうしの密着感を堪能していた二人は、やがて鼻先をツンツン触れさせながらバードキスを始めた。薄膜は触れ合わせたまま、かわりばんこで上唇、下唇をついばんで仲睦まじくじゃれ合う。
 景太郎の唇もみつねの唇も血色が良く、ぷりんぷりんとした張りに満ちているため、バードキスは本当に気持ちがいい。性感帯としての唇の相性はぴったりであった。二人がその気になれば、きっと一晩中でもキスを楽しんでいられるだろう。
 そのうちどちらからともなく唾液を滲ませ、寝室内にささやかな水音が響くようになった。キスに合わせて濡れる音は、狂おしく愛欲を燃焼させる糧となる。景太郎もみつねも頬を上気させ、身体を汗ばませて…なお一層キスに没頭してゆく。
ぬみ、ぷっ…ぬみ、ぷっ…ぬみぬみっ、ぬみぬみっ…ちろちろ、ちろちろ…
 唇の隙間から唾液を滲ませるため、繰り出していた舌先が偶然触れ合うと…今度は二人してその舌先をついばみ始めた。唇の先でそっと甘噛みして、軽く吸い付いてから舌を逃がしてやり…それを追うように舌を差し出しては、甘噛みされて、吸い付かれ…。
 そんなたわいもないじゃれ合いを繰り返すうち、やがてその舌どうしは尖らせた先端で突っつき合って威嚇したり、クルクルと追っかけ回したりと、喧嘩するほどの仲の良さを見せてきた。唾液にまみれた舌でじゃれ合うものだから、二人とも口の周りはすっかりべちょべちょであるが、そんなことは少しも気にならない。今はもう裸で交わすキスの甘美さに、どこまでもどこまでも魅入られてゆくのみである。
「はぁ、はぁ、はぁ…キツネさん…」
「ん…けーたろぉ…」
 ひとしきりじゃれ合ってから、二人はしばし息継ぎして肺腑の奥へ新鮮な酸素を送り込んだ。名前を呼び合う間も鼻先と唇は触れ合わせたままだから、生暖かい吐息が直接口内に舞い込んでくる。その淫猥さすらも今は嬉しい。
ぶ、ちゅうっ…
「んっ、んふぅ…!」
 息が続かないほどキスに没頭していたというのに、燃え盛る愛欲は身体に休むいとまを与えさせない。景太郎は息継ぎもおざなりのまま、再びみつねの唇を奪った。
 もちろんみつねも拒むことはなく…むしろすがりつく両手に力を込め、より強く景太郎からの抱擁をせがんでしまう。贅沢なくらいに深く口づけられて、性の悦びは身体中の性感帯へと鋭くリンクし…裂け目の縁にある女芯や、ぬめりきっている花筒までをもジクジクと疼かせた。たまらずにみつねは鼻の奥でうめき、内股をすりすりと摺り合わせて悶える。あまりにも急激な発情に、ぼっ…と顔中が熱くなった。
ぬみ…ぬ、みゅっ…
 景太郎はぴっちりとした口づけの中、ゆっくりと舌を差し出してみつねの唇に忍ばせる。みつねは心持ち小首を傾げて唇どうしの密着を強くしながら、同様に舌を差し出して景太郎のそれと触れ合わせた。
 初めは景太郎もみつねも遠慮して、乳飲み子のようにモジモジと舌先を甘噛みしていたのだが…やがてみつねの方から強引に景太郎の口内へと舌を送り込んでゆく。下肢に震えが来るほどの情欲に、理性がとうとう根負けしたのだ。景太郎も素直にみつねの舌を受け入れ、しばし触れ合ったまま口内のぬくもりに馴染ませる。
すふ…すふ…すふ…
 鼻で息継ぎしながら、二人は目を伏せてじっくりとディープキスの感触に浸る。裸で抱き合っていることも影響しているのか、安息感が物凄い。天にも昇るような心地良いぬくもりの中、景太郎もみつねも時間を忘れ…一分、二分、三分と甘やかな一時を過ごしてゆく。
 身動きすることすらも忘れたのか、穏やかな鼻息が聞こえる以外、二人は前髪ひとつ動かさない。かけがえのないぬくもりを手放したくないといわんばかり…二人はじっと抱き合ったまま、身体全体で男女の密着に酔いしれた。
「ん…ん、んんっ…ん…んぅ…んっ、んんぅ…」
 とはいえ童貞である景太郎には、この裸で抱き合ったまま交わすディープキスは少々刺激が強すぎた。間断なく享受する性の悦びはどうしても持て余し気味となり、そのすべてを幸福感へと昇華させることができない。景太郎は頬を火照らせながらも、しきりにまゆをしかめてだらしなくうめく。
 幸福感として昇華しきれなかった性の悦びはさらなる愛欲へと変質し、景太郎の健全な男心を強く奮い立たせていった。その雄性としての発奮はまるで、強力な催淫剤でも投与されたかのようであり…景太郎の若くて健康な身体は即座に反応を示してしまう。
むくっ…ぐん、ぐんっ、ぐんっっ…ぐっ、ぐっ、ぐっ…
あ、き、来たっ…わわわ、ちょ、ちょっと、大変なことにっ…!
 極度の緊張のために萎縮しきっていたペニスは、愛欲そのものといえるほどの血潮を熱く滾らせ…見る間に固く、太く、長く勃起した。
 萎れて縮み上がっていた状態からいっぺんに勃起してしまったため、へそを目掛けて反り返ろうとするペニスは性毛に覆われたみつねの恥丘をグイグイすくい上げる格好になってしまう。待ち焦がれていた勃起を遂げ、景太郎は歓喜に胸を高鳴らしたものの…それも束の間であり、たちまちその胸は困惑に澱んできた。
したい…したい、したいっ…エッチしたいっ…!
 窮屈な体勢のまま、びくんびくん脈動して漲りを繰り返すペニスの要求に、景太郎の理性は早くも根負けしそうになってきたのだ。もっとも、憧れの女性と口づけを交わし、身体全体で異性の柔らかみを感じ、なおかつ固く勃起したペニスが股間で挟み込まれている状況では…理性を維持できる人間の方が異常であろう。引っ込み思案な景太郎でさえ、この状況の前に若々しい性衝動を抑え付けようと必死にならざるをえないのである。
ご、くん…
「ん、ふ…ふぅ…ふぅ…」
 静まり返った室内に、やたら生々しく喉の鳴る音が響き…ほんのりと頬を染めた景太郎が照れくさそうに嘆息する。濃縮されたかのような愛欲と、困惑極まるほどの羞恥で分泌しどおしであった生唾を口内に溜めきれなくなり、やむなく嚥下したのだ。
 もしそのまま無理をしていたら、キスの隙間からだらしなくこぼしてしまうか…あるいはみつねにたっぷりと口移ししていたことだろう。いずれにしても羞恥極まりない失態である。思い切って飲み干し、喉を鳴らしたほうがまだご愛敬というものだ。もっとも、とろみがかった生ぬるい唾液を大量に飲み込むのは、いかに自分自身のものとはいえ決して爽快とは言えないが…。
 そんな景太郎のしぐさを見逃すことなく、みつねは悪戯っぽい笑みで目を細めた。彼の男としての反応にも気を使って、そっと腰を引き…やんちゃなペニスのしたいがままにさせてやる。勃起しきりのペニスはみつねの恥丘から下腹にかけてを先端でなぞりつつ、ゆっくりと反り返り…ぺちん、と景太郎のへそを打って直上を向いた。
 それを音で確認してから、みつねは柔らかな下腹をペニスに擦り付けるようにして景太郎へのすがりつきを整えた。抱き合っている隙間にペニスを挟み込んでしまうと、景太郎もすがりつきを整えるようにしながら…さりげなくみつねの腰を抱き寄せるようにする。そのうえ緩慢ではあるが、ピストン運動するように腰を前後してペニスを押し付けたりするほどだ。
けーたろも、だいぶテンション高なってきたみたいやな…こんな立派に復活もしたし…
 欲しがり具合やペニスの猛り様から、景太郎の焦燥を敏感に察知し…みつねもウズウズとした淫らな衝動を募らせてゆく。そっと景太郎の背中に指を立てて抱きつくと、みつねは混ざり合った唾液の中に漬け込んだままであった舌をゆっくりとくねらせてゆく。
ぐねっ、ぐねっ…ごねっ、ごねっ…ぐみゅ、みゅ…
 右に左に転がりながら、舌の腹どうしを擦り合わせてのたうたせたり…
ねみっ…ぬっ、ねゅみっ…ぬりゅりゅ…
 思いきり深く差し入れて、舌下の柔らかみに触れてみたり…
ちろちろちろ…つん、つん…ちゅろ、ちゅろ、ちゅろ…
 固くした舌先だけで、まるでヒソヒソ話でもするようにじゃれてみたり…
 二人は思いつく限りに舌を絡め、徹底的に情欲を燃え盛らせていった。
 やはりみつねのほうが舌の扱いに長けてはいるが、それでも圧倒的というほどではない。リードしてもらいながら、決して景太郎もひけは取らず…実に上手くみつねの舌使いに追随していた。ヒーターがフル稼働のままということもあるが、景太郎はもちろん、みつねもまたディープキスの性的興奮に身体中を汗ばませてきている。
 余談ではあるが、景太郎もみつねもさくらんぼの茎を舌で結ぶことができたりする。別に役立つ特技でもないから誰にも教えてはいないが、舌をくねらせる繊細な技量は二人とも相当な素質の持ち主なのだ。
 もっとも、舌はさほど性感帯としての素性を持ってはいないが…繊細で敏感な部位であるという点では性感帯と同じである。そのためこうしてじゃれ合っていると、身悶えしそうなほどのくすぐったさが小気味良く心を躍らせてくる。
くくきゅ…きゅっ、きゅきゅっ…ぷ…とろっ…
「んっ!んんっ…!!ん、ふ…ぅ…」
「ん…?」
「んっ!んんっ!んぅ…」
 放蕩の限りを尽くすほどにねちっこいディープキスを堪能しているうち…突然みつねは淫靡そのものの鼻声で鳴いた。そのままゾクゾク小刻みに身体を震わせ、あれだけ積極的だった舌使いをピタリと止めてしまう。
 景太郎はうっすら目を開けると、腕の中で小さく震えるみつねをなだめるため、抱き寄せている腰から背中にかけてをゆっくりと撫で回した。そんな労りひとつも、今の高揚しきったみつねには優しい愛撫となる。みつねは口づけたままそっとイヤイヤして、普段より一オクターブ以上も高い鼻声でよがった。
 みつねが鳴いたのは、女としての悦びを求めて焦れた真央…か細い華筒が強く疼いたためだ。否、今や華筒だけでなく、萌桃色の裂け目も、充血した女芯も…みつねの聖域すべてが焦れったくズキズキと疼いてきている。
 すっかり欲しがりとなった華筒は、引きつけを起こしたかのように激しく収縮し…精製したての愛液をしとどに漏出してしまった。濃密にフェロモンを含有している愛液はネットリとしていながらも、みつねの裂け目から溢れ出るなり内股を濡らし…たちまち膝の辺りまで伝い落ちてしまう。その感触がくすぐったく、そして恥ずかしく…みつねは膝頭をより一層モジモジと擦り寄せてそれに耐える。
 しかし、情欲というものは抑えれば抑えるほどにその反動を強くして燃え上がるものだ。みつねは平静を保とうと意識するものの、もはや身体中全体が性感帯のように欲しがりになってきていた。胸の真ん中が、ズキン、ズキン、ズキン…と、せつない疼きを繰り返してやまない。
 みつねの理性は、裸の抱擁とディープキスですっかり骨抜きにされていた。
 もう一秒たりとも、景太郎と離れていたくない…。
 このままずうっと、景太郎に抱かれていたい…。
 このままずうっと、景太郎のぬくもりの中で…
 そんな弱音にも似た憧憬が胸いっぱいに拡がってくるが、それを認めることが、傷ついた女心には何よりの癒しとなる。景太郎を求めれば求めるだけ、心の窓は大きく開け放たれて風通しを良くし、あらゆるモヤモヤを吹き飛ばしてくれるようであった。
 それはまるで、最愛の恋人と相対しているときのような心地であったが…この感覚が一時だけの錯覚だとしても、もうみつねは構わなかった。この一時だけは本当の恋人のように、心ゆくまで景太郎と睦み合いたかった。
ちゅ、ちゅっ…ぷぁ…
「はあっ、はあっ、はあっ…」
「すふ、すふ、すふ…」
 通電しているプラグをそのまま引き抜くよう、舌を絡めたまま強引に唇を引き離して…二人はどちらからともなく、長い長いディープキスを終えた。
 名残惜しくはあったが、キスはベッドへ行ってからでも十分できる。景太郎もみつねも、今はそれより先に進みたくてならなかった。ぽたぽたっ…と胸元に落ちた唾液も気にせず、二人は荒い呼吸を繰り返し、物欲しげな眼差しで互いを見つめる。
 思い詰めた表情になっているのは、何も小難しいことを考えているからではない。胸中がもどかしいほどの愛しさに占められ、他に適当な言葉が浮かばないのだ。いつまでもこうしてばかりいられないのはわかっているのだが、気を抜けばすぐまた再びキスを欲張ってしまいかねない。
「続きは、ベッドで…」
 媚びるように潤んだ瞳で、みつねは真っ直ぐに景太郎を見つめていたのだが…やがて振り絞るようなか細い声でそうねだると、眩しげに目を細めて微笑んだ。景太郎の背中に回していた両手もゆったりと下ろし、右手でほんわりと蒸せる性毛の辺りを…左手で汗ばんだ乳房を隠す。
 それに合わせて景太郎も抱擁を解き、両手でみつねの肩を抱いた。真摯な面持ちはそのままに、ささやき声で問いかける。
「…いいの?」
「うん…」
「…ホントに、俺でいいの?」
「うんっ…あ、あほう、なんべんも言わせんといて…恥ずかしいやんかっ…」
「ごっ、ごめんなさいっ…」
 この期に及んでなんとも無粋な景太郎の確認ではあったが、それでもみつねはひとつひとつしおらしくうなづき、想いを露わにした。が、そのうち自分が何度も何度も求愛しているような気になって、慌てて景太郎を非難する。さすがに景太郎も自身の野暮さを悔やみ、素直に詫びた。
 確かに景太郎には鈍感なところがあるが、それでもみつねの唇から、肌から、声から、息遣いから、ぬくもりから…彼女が本気で睦み合いを望んでいることくらいわかる。
 それでも景太郎はみつねの本心を言葉で確かめたくて、あえてそうしたのだ。恋人と別れたばかりであるのに、その寂しさを紛らわすために自分なんかに抱かれることが彼女にとって幸せな選択なのか…もう一度だけでも考えてみてほしかったのだ。
 すると、今度はみつねが視線を上げて景太郎に問いかけた。柔らかに揺れる前髪の向こうの瞳には、真摯な光が不安の暗雲の隙間で揺らめいている。
「ウチは…ウチは、あんたやから抱かれたいねん…これはホンマや、ウソとか適当に言うてんのとちゃう…。でも、ほんならあんたはどうなんや…ホンマにええんか?あんたの初めての相手がウチでええんか?」
 みつねがそう問いかけたのも、やはり景太郎の本心を言葉で確かめておきたかったからだ。
 男であれ女であれ、童貞や処女でなくなるというのは人生に於いて非常に大きなマイルストーンになる。それは肉体的には驚くほどあっけないものなのだが、精神的には一生記憶に残るほど鮮烈なものだ。思春期を迎えた男女なら、初めて経験するときはやはり初恋の相手が…次いで初恋ではないにしろ、現在思い焦がれている相手が理想というものだろう。好きでもなんでもない人間が初めての相手となるのは、誰しもが御免被りたいところであるはずだ。
 みつねは、自身が景太郎の初恋の相手でないことを知っていた。そして、景太郎には想いを寄せている女性がいることも知っている。ましてやその女性は同じひなた荘に住む友人なのだ。
 みつねも今まで、不器用ながらも親しくしている景太郎達を見守り、ときにはお節介を焼いたりもした。からかっては酒の肴代わりにしたりもしたが、二人のことをずっと応援してきたつもりだ。
 景太郎もまだ二十代前半の好青年である。決して悪い男ではない。このまま二人を見守れば、やがては恋という花が開き、愛という実を結ぶこともあろう。
 その可能性があるからこそ、景太郎の初めては初恋の相手に取っておくべきではないのか…。自身の身勝手で、そのチャンスを奪ってしまってもいいのか…。みつねはそう思うのである。
 そんなみつねの当惑をよそに、あくまで景太郎の想いは一途であった。
「俺だって、キツネさんとがいい…ううん、俺、キツネさんとじゃなきゃ嫌だっ!」
「で、でも…あんたには、なるが…」
「さっきも言おうとしたでしょ…?俺は、ずうっと前からキツネさんのことが…」
「ま、待ちぃ!今はまだ言わんといてっ!あかん!あ、あかんって…あ、んぅ…」
 景太郎はやおら思い詰めた表情となり、両の肩をつかんだまま抱き寄せてきたので…みつねは慌ててかぶりを振って、彼を制した。もし景太郎が想いを告白してしまっても、はっきりとそれに答えられる自信が無いからだ。
 景太郎とは、これからもずっと気の置けない友達どうしでいたい。それ以上の関係に進展したとして、それはそれで悪くはなさそうだったが…やはりまだ心の整理はついていないのだ。恋人として意識できるだけの精神的ゆとりが回復していないのである。なおも我が儘を続けているという自覚はあるが…もしここで中途半端な返事をして、現在の関係を気まずくしてしまうことだけは絶対に避けたい。
 それでも景太郎は引き下がることなく、そっと右の頬を擦り寄せてみつねにじゃれついてきた。みつねは緊張に身を強張らせていたものの、頬摺りのくすぐったさにたちまち相好を緩めてしまい、観念して景太郎に身を任せる。
「はあっ…け、けーたろ、あかん…あかん、あかん…」
 そのままゆったりと寄り添い、腰に両手を回してすがりつけば…いつしかみつねの方からすりすりと頬を擦り寄せ始めた。寂しがり屋で甘えんぼな本性が露わになっていることにも気付かず、みつねは微かにまゆをしかめて景太郎との抱擁に浸る。せつなげな吐息に混じるつぶやきからは、彼女の深い困惑が窺い知れるだろう。
 そんなみつねの頭を右手で抱き込み、丁寧に髪を撫でながら…景太郎は彼女の右の耳に唇を寄せた。熱く火照った耳たぶにキスしつつ、わざと湿った吐息を吹きかける。
「キツネさん…キツネさんっ…す…」
「ひいっ…!こ、こら、けーたろっ!み、耳はやめぇ、耳はぁ…ひっ、ううう…」
「お願い、聞いてよ…キツネさん、す…」
「あ、あかんって…あかんって、言うてるやんっ…」
「…すごく素敵ですっ。ふふふっ!」
「なっ…」
 そのささやかな一言と、してやったりといったふくみ笑いに…みつねは自分が景太郎にからかわれていたことに気付いた。唖然として絶句するなり、景太郎と頬を重ねたまま、ぼっ…と顔中を真っ赤にする。


つづく。


 

 


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(updete 2003/07/15)