<<ラブひな>>

happiness on happiness (4)

作・大場愁一郎


 

「ね、浦島くん、ほっぺただけ…ほっぺただけでいいですから…」
「ん、んぅう…」
「浦島くん…ね、浦島くん…」
「あ、う…んぅ…」
 むつみは右手でしきりに景太郎の頬を撫でながら、鼻にかかった猫撫で声でおねだりを繰り返した。唇こそまだ頬に触れていないが、興奮の汗の浮かんだ鼻先は、すでに頬にグイグイと押し付けられている。
 そんなむつみのおねだりを了承できず、かといって断固として断ることも出来ず、景太郎はそっぽを向いたまま唇を噛み締め続けた。その曖昧で煮え切らない態度は先日とまったく同じである。
 キスを了承して、なるに嫌われたくない。
 キスを拒絶して、むつみを悲しませたくもない。
 そんな八方美人の気持ちを抱いているからこその、この煮え切らない態度なのだ。
 景太郎も成人した大人であるから、自身の不甲斐なさは十分わかっている。わかっているからこそ、胸は重苦しく痛んだ。その痛みに耐えるよう、唇はなお一層強く噛み締められてゆく。
いっそのこと、問答無用で奪ってくれたら…。
 身勝手なジレンマに陥るあまり、景太郎の胸には男としての責任を放棄した思いさえよぎる始末であった。どんなに罵られようとも、もうこのまま消えて無くなってしまいたいくらいに居心地が悪い。
 そんな景太郎の狼狽とは裏腹に、むつみの胸は明るい薔薇色の愛おしさでいっぱいになってしまった。甘えんぼな微笑は、それでたちまち満面の笑みとなってまばゆくこぼれる。
「…浦島くんっ」
「ひぁ…」
 抑えきれない愛おしさをそのまま呼び声にして、むつみはあごを突き出す要領で景太郎の頬に唇を押し当てた。景太郎はそのくすぐったさに少女のような声で鳴き、緊張に身を強ばらせる。
 ひとたびキスしてしまうと、もうむつみの衝動は歯止めが利かなくなった。むつみは右手で景太郎の頬を撫でさすりつつ、何度も何度も横顔にキスを連発する。
 とはいえ、それは欲張ってがっついてのものではない。ちゅむうっ、ちゅむうっ、ちゅむうっ、とひとつひとつのキスに贅沢なほどの時間をかけたものである。むつみののんびりとした性格にぴったりのそのキスは、まるで景太郎の頬に愛おしさを擦り込んでゆく儀式のようであった。
 むつみ自身もその儀式に酔いしれてしまい、表情は母の乳房に甘える幼子のように安らぎきっている。それほどまでに、景太郎へのキスは女心が満たされた。唇どうしでのキスではないものの、むつみはキスをひとつ済ませるたびに陶酔の溜息を深々と吐き出してしまう。
 景太郎の顔は幼さが残っていて中性的ではあるが、頬は女のものに引けを取らないほどにすべらかだ。過剰な油分もないからにきびのひとつもなく、どこまでもしっとりとしていて美しい。おまけにふんわりと柔らかであり、そのうえ照れて火照っているから、手触りやキスの心地は申し分なかった。いっぱいキスを重ねたいのに、密着感がたまらなく気持ちいいから、ついついキスのひとつひとつが長くなってしまう。
 こうして接吻欲を満たしている間に、いつしかむつみは精一杯の力で景太郎に抱きついていた。むつみはもはや抱擁欲にまで憑かれてしまい、豊満な乳房の柔らかみを押し付けるのも厭わず、夢中で景太郎を求めてゆく。もうこのままひとつになってしまいたいと思えるくらい、むつみは景太郎に愛おしさを募らせていた。
「浦島くん…浦島くん、浦島くんっ…」
「んぁ…ん、う、うううっ…」
 幸せいっぱいといった声音で連呼しながら夢中でキスに浸っているむつみとは裏腹に、当の景太郎は顔中真っ赤となって困惑を極めていた。漏らす上擦り声も恍惚の鳴き声ではなく、純然たる狼狽のうめきである。
 むつみにじゃれつかれて悪い気はしないが、やはりなるの事を思うと胸が痛む。今日に限っては見咎められることもないはずだが、そう考えてしまうことすらも後ろめたかった。
 一方で、若々しくて健康な身体はむつみのじゃれつきにあからさまな反応を示している。
 生活環境の都合で数週間近く慰めてもらっていないペニスは、今やタイトなジーンズの内側で窮屈なくらいに勃起していた。不自然な位置のままで屹立しようとするものだから、景太郎も先程から痛くてどうしようもない。やむなく左手を炬燵布団の中へ送り、むつみに気取られぬよう、そっと直上を向かせたりする。
 それで楽になったのはいいが、そのぶんペニスは隆々と漲り、濃密な情欲を喚起してきた。景太郎は情欲と良心の板挟みに合い、思わず苦悶の溜息を漏らしてしまう。
 一途に想い抜いているなるを意識しながらも、やはり直接的な刺激には敵わないものだ。元来複数の雌性と性交し、多くの子孫を残す使命を帯びている雄性にあっては当然のことである。
 むつみのせつなげな息遣い。上擦った声音。ほのかに漂うコロンの匂い。
 一生懸命なまでの抱擁がもたらすぬくもり。豊満な乳房の柔らかみ。
 艶やかな唇の弾力。頬と薄膜の間で繰り返される淫靡な水音。
 この状況下で情欲を来さない男は、神の域に達するほどに意志が強いか、雄性の本能が枯れ果てているかのどちらかであろう。景太郎は一介の凡人に過ぎないし、きちんと恋愛に憧れる活力もあるから、こうして立派に反応を示してしまう。生物学的な見地からは、誰も彼を責めることなどできない。
 そんな中で景太郎が苦悩しているうちに、やがてむつみの接吻欲は頬だけに飽き足らなくなってきた。景太郎の右頬にくまなくキスしてしまうと、やがてむつみはキスを撃つ場所を少しずつ下降させてゆく。先日と同様、唇どうしでのキスが恋しくなってきたのだ。
「浦島くん…ねえ、浦島くん…」
「あ…だ、だめ、だめっ…成瀬川に怒られちゃうっ…」
 むつみは景太郎の頬に唇を触れさせたまま、とうとう求愛そのものの声音となって名前を呼びかけた。しかし景太郎は唇を奪われまいと今まで以上に顔を背け、今度ははっきりと言葉にしてむつみを拒絶する。
 わざわざ理由まで付け加えたものの、その理由は二十歳を過ぎた青年の言葉としては少々情けないものだ。ひなた荘のある住人が聞いたら、自分の意志だけで断れ、男らしくない、と厳しく叱りつけるところだろう。
 そんな景太郎の当惑を意に介する風もなく、むつみは酒に酔って上機嫌といった面持ちのまま、今度は彼の耳元に唇を寄せた。すぼめた唇の先でそっと耳たぶに触れると、それだけで景太郎はゾクゾクと身震いをきたす。
「大丈夫です、なるさんには内緒にしておきますから…ね、少しだけ…」
「な、内緒って、そんな…成瀬川に悪いですよ、隠し事なんて…」
「隠し事なんて、誰でもひとつやふたつ、あるものでしょ?なんだか浦島くん、なるさんにばかり優しいです。ずるいずるい」
「べ、別にそんなことないですよっ…そんなことは、別に…」
 むつみは声を潜めると、それでも一語一語をはっきりと紡いで景太郎の耳にささやき込んだ。内緒話するように誘惑したり、言葉尻を捕らえて理屈を述べたり、あるいは悪戯っぽくすねてみせたりと、あの手この手で景太郎を説き伏せようとする。
 それでも、景太郎の一途な想いは頑強であった。
 やはりこのまま流されては、想い人を裏切ることになるような気がする。景太郎は純粋な良心のままに、むつみから顔を背け続けた。こんないたたまれない状況にありながらも、他人事のように勃起したままでいるペニスが我が身ながらに恨めしい。
「あ…わたし、わかっちゃいました」
「え…?」
 やおらむつみはそう言うと、たちまち抱擁を解き、ちょこんと正座で座り直した。そのまま食事の挨拶よろしくぺちんと両手を合わせると、キスを拒まれているにも関わらず、にっこりと嬉しそうに相好を緩める。
 これは彼女がなにがしかの妙案を閃いたり、あるいは何かを察したときに見せるしぐさだ。先日ローニンズ三人で勉強会を開いていたときに、なるに対して見せたものとまったく同種のものである。
 わかっちゃいました、というからには何かを察したのであろう。
 景太郎は思いがけない解放感に安堵しながらも、ついつい様子を窺うような眼差しでむつみを見つめ返してしまう。むつみはのんびりとした性格ではあるものの、時折鋭い洞察力を発揮してみせるから、何を察したのか気が気でならないのだ。
「…浦島くんって、なるさんのことが好きなんでしょ」
「な…な、なっ、なあっ!?」
 揃えた左手の指先で口元を隠しながらむつみが言うと、景太郎は瞬間湯沸かし器よろしく顔面を紅潮させ、あからさまに狼狽えた。その姿はまさに、先日のなるそのままである。寸劇を舞台と配役だけ入れ替えて再演しているような状況だ。
「うふふ、隠してもダメですよ。そういえば、こないだのなるさんもそんな素振りでしたよね。ということは、二人はもしかして両想いなんじゃないですか?」
「え、りょ、両想い…!?成瀬川と、俺がっ…!?そ、そんな、あの、その…」
「なるさんには聞きそびれちゃいましたけど、今度はちゃんと聞かせてもらいますからね。ねえ浦島くん、そうなんでしょ?なるさんのこと、好きなんでしょ?」
「え、あ、う…ううう…」
 むつみは正座のままで身を乗り出し、興味津々といった表情で景太郎を追求してゆく。やや上目遣いとなった瞳には決して悪意はなく、むしろ二人の微妙な関係を承知の上での好意的な好奇心できらきらと輝いている。
 そんな眼差しに圧されるよう景太郎は少しずつ上体を逸らし、とうとう背後に両手をついて支えなければならなくなった。あどけなさを残している青年の素顔は、今や温泉にのぼせて卒倒しそうなくらいに火照りきっている。あちこちへと忙しなく向けられる瞳は居心地の悪さに潤み、このまま泣き出してしまいそうなくらいに危なっかしい。
「ねえ、浦島くん…」
「あ、うわ…」
 とうとうむつみは這い寄るように身を乗り出し、景太郎の火照り顔に頬を寄せた。右手でよつんばい気味の上体を支え、左手で彼の顔を抱き寄せると、そのまま左の頬どうしをゆったりと摺り合わせる。
 それで視線から逃れられはしたが、景太郎の動揺が落ち着くことはない。むしろ絶体絶命の窮地に立った心地となり、火照った吐息が不規則に震え始める。早鐘のような胸の鼓動も、すぐ耳元で聞こえてきた。
「ねえ浦島くん、うん…か、ううん…で教えてください…。本当はなるさんのこと、好きなんでしょ…?」
 むつみは景太郎と左の頬どうしをくっつけたまま、声を潜めてもう一度だけ問いかけた。
 その微かな声に再びゾクゾクと身震いしてから、景太郎はきつく目を閉じ、
「うん…」
と、破瓜の覚悟を決めた少女のような声で想いを告白した。
 想い人に告白したわけではないし、むしろ白状という格好ではあるが、それでも景太郎は身体の芯が燃え上がったかのような高ぶりを覚えてきた。炬燵とストーブのおかげで常夏状態になっているせいもあるが、たちまち肌着がじっとりと汗ばんでくる。顔面や手の平だけでなく、胸も、背中も、もちろん勃起しきりのペニスも熱くてならない。
 また、照れくさいやら恥ずかしいやらと動揺を極めたために、意識はすっかり朦朧としてきた。くらくらと目も回り、このまま仰向けに倒れ込んで失神しそうな気分である。
「…やっぱりそうだったんですね。浦島くんとなるさんなら、きっとお似合いのカップルになるんじゃないかなって思ってたんですよ。うんうん、よかったよかった!」
「うん…」
「じゃあ、なるさんのことが好きだから…わたしとキスしちゃうと、なるさんに悪いような気がしてたんですね」
「うん…」
「…わたしとキスするの、嫌でした?」
「…え、あ、そっ、そんなことないですけど…でもやっぱり、成瀬川のことが好きだから…他の人とキスしたら、浮気しちゃうみたいで…」
 むつみは抱き寄せている景太郎の頭を丁寧に丁寧に撫でながら、ひそひそ声のままで質問を重ねてゆく。観念しきった景太郎は押し黙ったりせず、頼りない上擦り声で、その問いかけにひとつひとつ答えていった。
 その中で思わずはっきりと告白してしまったのだが、今やこれ以上ないくらいに羞恥は極まっている。はっとその事実に気付きはしたものの、せつなげな溜息が漏れるのみで、もはや狼狽えるだけの気力も残っていなかった。
「…なるさんが羨ましいです。こんなに優しい浦島くんに慕われて」
 そうつぶやいて、むつみは景太郎から身を離し、ちょこんと元の正座に戻った。
 妬ましげな独語をつぶやきながらも、祈るように胸元で手を組み合わせた姿には、普段と変わらぬのんびりとした印象しかない。にこにことした笑顔もいつになく晴れやかであり、想いを告白した景太郎を祝福しているかのようにも見える。
「でも…それならそれで、いいと思うんですけど」
「え…?」
 しかしむつみの次の言葉を聞いて、景太郎は一瞬きょとんとなって小首を傾げた。それならそれで、という意味がどういうことなのか、まったく理解できなかったのだ。
 景太郎は姿勢を戻すと、今なお火照る頬を両手で撫でながらむつみの言葉の続きを待った。むつみは胸元で手を組み合わせたまま、嬉々とした様子で続きを切り出す。
「浦島くんがなるさんへの気持ちを変えたりしなければ、浮気したっていいんじゃないですか?だってほら、結婚してる人だってエッチな雑誌やビデオは見たいっていうでしょ?」
「う、浮気はさすがにダメでしょう?雑誌やビデオとは違いますよ…」
「違うことないですよ。他の女の人に興味を持って、エッチなことしたいって思ってしまえば、それはもう十分に浮気です」
「そ、そう言われれば…まあ、そうなのかなぁ…」
 こんなおしゃべりを交わしているうちに、景太郎の意識は再び困惑を深めてゆく。
 景太郎は素直で朴訥な性格であるから、浮気は不純な行為だと信じて疑わない。しかしむつみの言うように浮気の線引きをされたら、自分は絶対に浮気しないという自信が持てないような気もする。
 なるのことは一途に慕っているが、それでポルノ雑誌やビデオに興味がなくなったということはない。そもそもひなた荘には魅力的な異性が大勢いるため、彼女達と親密な関係になりたいと憧れることなど日常茶飯事と呼べるくらいである。
 それどころか、なるはもちろんのこと、他の住人に対しても淫らな妄想に耽り、自身を慰めたことさえあるのだ。ひなた荘の住人ではないが、目の前のむつみに対しても同様である。特にむつみとは何度もキスを交わしているし、抱きつかれる感触も覚えているから、それを回想しては毎晩のように自慰に耽っていた時期もあるくらいだ。
 こんな寂しい行為すら浮気となってしまうのであれば、自分はどうなのだろう。
「成瀬川のことが好きだって思ってるのも、単に下心があるからなのかなぁ…」
 やおら疑心暗鬼に駆られた景太郎は、思わず胸中に立ちこめてきた暗雲を独語にして吐き出していた。そのまま力無くうつむくと、たちまちやるせない溜息が漏れ出てくる。
 今まで純粋な恋心と信じていた想いも、すべては思春期がもたらす性衝動によるものだったのか。
 そう思うと、景太郎はたまらなく惨めな気持ちになってきた。どうにも胸苦しくて、再び唇を噛み締めてしまう。
 そんな景太郎の意気消沈を察するなり、むつみは慌てて首を横に振った。
「ううん、そんなことはないと思います。なるさんといるときの浦島くんって、本当に活き活きとしてますから。それはなるさんも一緒です。おしゃべりも弾むし、じゃれ合ってはにこにこと笑顔が絶えないし。見てると本当に好きどうしなんだなあって、こっちまで嬉しくなるくらいなんですから」
「そ、そうなんですか…?」
 むつみは皮肉でも揶揄でもなく、常日頃二人から受けている仲睦まじい印象をそのまま景太郎に伝えた。とはいえあまりにそのまま過ぎたから、景太郎も照れに照れてしまい、上目遣いでしかむつみを見つめられなくなってしまう。
 なるとはさほど仲良くなっている意識はなかったから、好きどうしでイチャイチャしていると思われるほどだったのかと思うと、嬉しいやら恥ずかしいやらで複雑な気持ちだ。どうせあっさりと否定されそうではあるが、今のむつみの指摘をなるにも聞かせたい気分である。
「…わたしが言いたいのは、好きって気持ちを持ち続けられるのであれば、いっぱい浮気してもいいんじゃないかってことなんです。男の人って、浮気して当たり前の生き物なんですから。生物学的にもそうでしょう?オスは多くのメスと交尾して、少しでも優れた子孫を残さなきゃいけないんですから。浮気したくなるのは自然なことなんですよ」
「えっ…そ、そんな…」
 落ち込んだり照れたりと情緒不安定な景太郎を気遣う風もなく、むつみはそう断言した。表情は相変わらずの朗らか笑顔であるから、その大胆な発言が冗談なのか本気なのか、景太郎にはまるきり見分けが付かない。
 むつみの言葉は、男にしてみれば歓喜の身震いをきたしそうなものではある。しかし純朴な景太郎には衝撃が大きすぎて、思わず言葉を失ってしまった。浮気を許せるというむつみの心情があまりに突飛すぎたのだ。
 恋人のいない景太郎でも、好きな女が他の男と浮気するなど許せないと思うし、浮気されたら悔しくなると思う。深刻な浮気でないにしても、多かれ少なかれヤキモチのひとつは妬いてしまうだろう。
「だったら…だったら、むつみさんは平気なんですかっ?」
「わたし、ですか?」
「むつみさんは…その、好きな人が浮気してもいいって言うんですかっ?」
 むつみの浮気肯定論がどうしても腑に落ちず、景太郎は顔を上げるなり、まっすぐに彼女を見つめて問いかけた。普段から温和な彼らしからぬきつめの口調は、問いかけというよりもむしろ問いつめといった方が相応しいかもしれない。
 それだけ景太郎はむつみの発言に理解を持てないのだ。言っている意味がわからないというわけではなく、素直に同意できないのである。
 むつみの発言に対しては、景太郎が持ち合わせている良心や道徳観念、あるいは正義感といった心情までもが一斉に疑問符を浮かべた。情緒不安定になっていた矢先でもあり、景太郎もついつい感情的になってしまったのである。
 しかし、むつみはなんらも動ずることはなかった。組み合わせていた両手を解き、そっと胸元を押さえると、まさに聖母のような眼差しで景太郎を見つめ返す。
「…わたしだって、浮気されたらヤキモチを妬いちゃいます。でも、浮気で済むのであれば、どれだけ浮気されてもいい。最後にはわたしのところへ戻ってきてくれるのなら、わたしは平気です」
「むつみさん…」
 むつみの言葉に、景太郎はあらためて言葉を失った。
 とはいえ、呆れ果てて言葉も出なくなったというわけではない。その穏やかな微笑と口調から、彼女が冗談半分で語っているのではないことが如実に感じられたためである。
 そもそも景太郎には、今までむつみに欺かれたという記憶がない。うっかりして物忘れや勘違いをしていたことはあれど、悪意を持って他人を騙すような人間でないことは景太郎も熟知している。お互い、他人を騙すよりは他人に騙される方を選ぶ性格であるから、その認識は間違いのないものだ。
「なるさんにわたしと同じ考え方を持ってほしいとは言えません。でも、浦島くんがなるさんのことを好きだって思い続けられるのであれば、浮気しても仲違いしちゃうとは思えません。たとえ浦島くんがわたしとキスしたり、エッチしたとしても…」
「む、むつみさんっ…!?」
 矢継ぎ早に飛び出てくるむつみの大胆な発言に、景太郎は振り回されどおしとなる。
 景太郎は毅然となっていたのも束の間、その思いがけない単語に目を見開き、左手で口元を覆った。思わず生唾を飲み込み、ごくん、と音立ててしまう。
 その音がやけに大きく聞こえたので、景太郎の顔面は再び真っ赤に火照り上がることとなった。期待していると思われはしないかと、純朴な男心が狼狽えたのである。
 もちろん、一切期待していないといえば嘘になる。景太郎の若々しい身体は、理性と裏腹にむつみへの憧れを、裏を返せばセックスに対する期待を素直に現していた。
 たとえば唇はキスの心地良さが染みついているために、今ではもう焦れったいくらいの接吻欲でウズウズと焦れている。ペニスも数週間ぶんの情欲に満ち満ちて、先程から勃起しきりの状況だ。これ以上じゃれつかれたら、生理現象として逸り水を滲ませてしまうことだろう。
 身体だけでなく、気持ちのうえでも同様である。本音をいえば、むつみが欲しい。許されるのであれば今すぐにでも抱き締めて唇を奪い、雄性としての衝動を思うがままに満たしたいと思う。もとよりむつみはそのつもりであるのだから、あとは景太郎の気持ち次第であった。
「だから…ね、浦島くん…」
「あ、わ…」
 やおらせつなげに呼びかけると、むつみはよつんばいの体勢となって景太郎の眼前に身を乗り出した。良心と情欲の板挟みで戸惑う景太郎は、それで再び背後に両手をつき、苦し紛れに顔を背ける。
「わたし、なるさんには絶対内緒にします。ですから…ね、お願い、浦島くん…」
「ひぁ、う、くっ…」
 むつみはむずがるような声音で哀願すると、顔を背けて無防備となっている景太郎の右頬に断りもなく唇を押し当てた。その場しのぎで接吻欲を慰めるなり、むつみの鼻孔からは火照った吐息が漏れ出て景太郎の頬を湿らせる。
 そんな欲しがりなキスを頬に受けた景太郎は、少女のようにか細い声を漏らしただけで、身を強ばらせたままなんらの反応も示さない。先程のようにきっぱりと拒んだりもしない。
 むつみのねちっこい誘惑に圧され、もはや景太郎は憔悴しきっていた。純朴な男心は良心と情欲のせめぎ合いの中で疲弊し、理性も雄性としての本能に飲み込まれんとしている状況である。一途な想いを抱いている胸はせつなく痛みどおしで、後から後から溜息が漏れ出るばかりであった。
「浦島くん、お願い…少しだけでいいですから…ねえお願い、浦島くん…」
 むつみは哀願を重ねながら、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、と小さなキスを景太郎の頬に連発してゆく。
 それに伴ってむつみの頬はほんのりと火照り、鼻の頭にはびっちょりと興奮の汗が浮かんできた。声がかわいく上擦り、吐息も熱く熱く湿ってくると、汗ばみ始めた身体はやがてたっぷりと発情のフェロモンを発散させてゆく。
 発情した雌性が分泌するフェロモンには、雄性に交尾の衝動を喚起させる催淫効果がある。フェロモンは汗や唾液、愛液といった体液にたっぷりと含有されているから、セックスの最中にそれらを舐め取ると、男は狂おしいほどに愛欲を燃え上がらせてしまうのだ。
 童貞の男であれば、その独特の女臭さを感じただけでも情欲を催すことだろう。理性は期待に満ちて勃起したペニスに急かされるまま、どうしようもないほどの自慰衝動に苛まれるに違いない。
 景太郎も例に漏れることはなかった。むつみからのキスと甘やかなフェロモンのために情欲は質量を増し、やがて良心は理性共々圧壊を始める。
 そんな良心の最後のひとかけらが苦悶の涙となって滲むなり、せつなげに繰り返されていた溜息はにわかに熱を帯び、興奮の吐息へと変質した。
「む、むつみさん、あのっ…」
「はい…?」
 景太郎は半ベソに潤んだ横目でむつみを見ながら、危なっかしく震える声で彼女を呼びかけた。むつみはそれに応じてキスを中断し、焦れったそうな面持ちで景太郎を見つめる。
「な、成瀬川には…成瀬川には、絶対内緒ですからね…?」
「ええ、絶対内緒にします。浦島くんとわたしだけの秘密ですっ」
「約束ですからねっ…?」
「ええ、約束します…約束しますから、ねえ…浦島くん…」
「う、うううっ…」
 そう念を押して、景太郎は想い人の面影を心の片隅へしまい込むことに決めた。浮気の決意が揺るがぬよう、背けていた顔をむつみに向け、しばしまっすぐに彼女を見つめる。
 発情期を迎えたむつみの顔は、まさに格別といえるほどのかわいらしさを備えていた。かわいらしいながらも素朴な顔立ちであるぶん、極めて親近感を持ちやすい。こうして睦み合いを前にしても舞い上がることなく、自然に彼女と見つめ合うことができる。
 女の愛嬌を引き立てている、少し太めの眉。
 普段の朗らか笑顔ではなく、情熱的な求愛の想いで細まっている目。
 こぢんまりとしていながらも形が良く、興奮の汗に濡れている鼻。
 可憐なくらいに色白であるぶん、紅潮ぶりが鮮やかな頬。
 他愛もないおしゃべりと、なによりキスが大好きな小振りの唇。
 こうして見つめれば見つめるほど、そのどれもに愛おしさがこみ上げてくる。
 フェロモンの影響もあって、血気盛んな男心は初恋さながらにときめいた。胸はせつなく詰まり、興奮の吐息が不規則に震え始める。
 そんな胸の疼痛に合わせて、景太郎の唇はうっすらと開いていった。溢れんばかりの愛おしさが思春期の薄膜に募り、接吻欲となって景太郎を急かすのである。
「むつみさん…」
 景太郎はせつなげなささやき声で名を呼ぶと、やがて静かに目を伏せた。あるがまま無防備とされた唇は、キスの期待に満ちてそっとすぼまる。
 それでむつみも幸せいっぱいといった風に笑みをこぼし、同様に目を伏せた。そのまま景太郎に唇を寄せ、静かに息を止める。
「んっ…」
「んぅ…」
 薄膜どうしがふんわりと重なるのに合わせて、景太郎もむつみも鼻にかかったよがり声でハーモニーを奏でた。止めていたはずの息はたちまち保たなくなり、お互い恥じらう余裕もなく、すふすふとそれぞれの頬にふりかけて息継ぎしてしまう。
 こうして唇を重ねたまま、五秒、十秒、二十秒、もっともっと。
 二人は身じろぎひとつせぬまま、じっくりと薄膜どうしでの密着感を堪能してゆく。先を争って欲張ったりはしない。二人とも唇に愛おしさを集中させるあまり、キスを交わしている事実と、その感動に陶酔しきってしまったのだ。
 お互い唇どうしでのキスは何度となく経験してきているが、今までのキスはいずれも戯れ半分でのものである。こうして発情期を迎えて交わすキスはやはり格別であった。心理的、肉体的快感がまったくの別物なのだ。
 ついばみ合ったりせず、汗ばんだ鼻先どうしをツンツンと触れ合わせているだけでも、意識は恍惚たる想いで桃色の霞がかかったようになってくる。胸中では幸福感と焦燥感がない交ぜになり、息継ぎにはしどけない鼻声まで混ざってきた。
 心理的な快感だけでなく、肉体的な快感も素晴らしい。
 思春期を迎えている男女の唇は、おしなべて瑞々しく、そして柔らかく、なにより繊細な性感帯としての資質を備えている。
 キス好きなむつみはもちろん、景太郎も唇が性感帯として開花しているから、二人ともキスの心地良さを存分に満喫することができた。柔らかみもぬくもりも申し分ない。まるで唇が口に含んだミルクチョコレートのようにトロトロと溶けだし、甘やかに混ざり合ってしまうような錯覚にさえ陥ってしまう。
それでもいい…。ずっと、このままでいたい…。
 そう思えるくらいの絶妙な一体感に、二人は鼻からゆったりと陶酔の溜息を漏らした。それを弾みに二人はわずかに小首を傾げ合い、より深く薄膜を密着させて悦に入る。
「…ぷぁ…はぁ、はぁ、はぁ…」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 それからたっぷり一分ほども密着キスを楽しんでから、二人はようやく唇を引き離した。お互い忙しなく呼吸を整えながら、長い長いキスの余韻に浸る。
 そのうちむつみから相好を緩め、少し照れくさそうに景太郎に微笑みかけた。景太郎への愛おしさがふくよかな胸の中でいっぱいとなり、とびきりの表情となって溢れ出たのである。
 その表情は、普段あっけらかんとしているむつみからは見違えてしまうほどに艶めかしい。いつもにこにこと朗らかな笑顔を絶やさないむつみであっても、ひとたび愛欲に憑かれれば、これほどまでの色気が滲み出てくる。彼女もまた、大人として成熟した一人の女なのだ。
 そんなむつみに微笑みかけてもらいながらも、景太郎は湯当たりしたようにぐったりとしたまま表情をうつろにしている。うっとりと目を細めて彼女に見惚れてはいるが、薄く開いた唇からは睦言のかけらも出てこない。
 今や景太郎は恍惚の境地にさしかかろうとしていた。戯れ半分のキスではなく、睦み合うためのキスに男心は熱く奮え、陶酔の溜息が後から後から漏れ出てくる。一途な想いもどこへやら、今はむつみへの愛おしさで胸が張り裂けんばかりであった。
「ねえ浦島くん…もっと、いっぱいキスしていいですか…?」
「うん…」
「ふふっ、ありがとう…嬉しい…」
「ん、んんっ…」
 むつみは再び顔を寄せると、淫靡な声音でささやきながら景太郎と唇を重ねた。瑞々しい感動をそのまま口移しされて、景太郎は鼻から甘ったるい上擦り声を漏らす。
 そんな景太郎と鼻先どうしを触れ合わせながら、むつみは甘噛みするように何度も何度も景太郎の唇を割り開いていった。吸い付いては割り開き、吸い付いては割り開きと、先程の密着キスとは打って変わったねちっこいバードキスに浸り、むつみも景太郎もたちまち鼻息を熱く震わせる。
「ね…浦島くんも…浦島くんも、お願い…」
「ん、うん…」
 むつみはバードキスを堪能しながら、今度は猫撫で声でのおねだりを景太郎に口移しした。やはり一方的なキスよりも、お互いに欲張り合うキスの方が心地良いからだ。
 もちろん景太郎も拒んだりしない。鼻にかかった上擦り声での了承を口移しで返すと、むつみとタイミングを合わせるよう丁寧に丁寧にバードキスに応じる。
 二人はそれぞれで小首を傾げたまま、まるで完熟したマンゴーを唇だけでむさぼるようにキスに没頭していった。時折鼻息混じりによがる以外は言葉もなく、室内には淫らな水音だけが繰り返し繰り返し響く。受験勉強の厳かな雰囲気はどこへやら、だ。
 蒸し暑く、汗ばむほどの熱気。
 重ね合う唇の隙間から、絶え間なく漏れ出る水音。
 熱く湿った鼻息。
 その鼻息に混じる、甘ったるい上擦り声。
 汗ばんだむつみが発散させるフェロモンの、濃密な女臭さ。
 これら淫猥な要素に満ち満ちて、むつみの居室は次第に二人の愛の巣と化しつつあった。
 もし思春期の少年が今のむつみの居室に入り込んだとしたら、たちまちその艶めかしい雰囲気にあてられ、狂おしいほどの情欲をきたすことだろう。数日間はその記憶に苛まれ、思い出してはマスターベーションに耽るに違いない。
「ん…ん、んっ…んぅう…」
「んふ…ん、んんぅ…んっ、んっ…」
 愛の巣で睦み合っている当人達はなおのことであった。リードするむつみも、リードされる景太郎も、それぞれで胸苦しいほどの愛欲に駆られてゆく。バードキスのねちっこさは増すばかりであった。
 景太郎もここまでねちっこいキスは初めてであったから、意識はその夢心地にすっかり朦朧となってきた。唇もバードキスの虜になってしまい、むつみのリードに合わせていたはずが、いつしかあごを突き出すようにして積極的に求めてしまう始末である。まるでむつみのキス好きがうつってしまったような心境であった。
 実際、むつみと交わすバードキスは身震いするほどに心地良い。甘噛みし合う唇がふんわりふんわりとたわむごとに、過敏となった薄膜からは持て余しそうなほどの快感が身体中へと広がってゆくのだ。その身体の芯までとろけそうな心地良さは、戯れ半分でキスしていたときとはまったくの別物である。
 特にその快感は勃起しきりのペニスへと鋭く伝わってきた。バードキスでひとつついばむごとに、ペニスは焦れったいほどの疼きに見舞われて強く漲る。そのために先端の鈴口からはいよいよ逸り水が滲み始め、下着には淫らな染みが広がりつつあった。
 これはまさに、景太郎の唇が立派な性感帯として開花させられた証である。唇と性器が感覚のリンクを確立し、刺激を受けることによって、相乗的な愛欲を喚起するようになったのだ。
 これはもちろん恥ずべきことではない。人間は男女の別無く、性器や唇、乳首や背中、あるいは太ももや指といった部位に性感帯の素質を秘めている。それらの開花はセックスを存分に楽しめる身体への成長という意味であるから、むしろ喜ばしいことなのだ。
 そんな景太郎の高ぶりに負けないだけ、むつみも発情の盛りを迎えてきた。
 むつみも唇は立派な性感帯であるから、景太郎とバードキスを交わしている間に、愛欲は烈火の炎のごとく燃え盛ってきた。じゃれつくように甘噛みしてキスを楽しんでいたのが、今では鼻息も荒々しく、無我夢中で景太郎の唇に吸い付いている始末である。
「ん、んぅう…浦島くん…浦島くん…浦島くぅん…」
「んぁ…ん、んっ…む、むつみさん…ん、む…むつみさんっ…」
 二人はバードキスを介して、胸いっぱいの愛おしさとともにお互いの名前を口移しし合う。唇どうしがたわみ合う繊細な柔らかみの中で呼びかけを感じるごとに、景太郎もむつみも鼻での息継ぎを熱く熱く震わせた。もう身体の芯から身悶えが来そうなくらいに嬉し恥ずかしい。
 そのうちむつみはよつんばい状態の右手を伸ばし、まさぐるような手つきで景太郎の左腕、肩、そして首筋を撫でていった。手の平があごの線に触れたところで、ほっそりとしている指はうなじへと伸び、そのままゆったりとあごから頬からを撫で始める。
 ほこほこと火照っている景太郎の頬は、しっとりと汗ばんでいながらもスベスベとしていて実に撫で心地が良い。ひげも元々薄い上に、毎朝キチンと剃っているからチクチクすることもない。おかげでむつみはすっかりご満悦となり、しきりに景太郎の頬を撫で回して悦に入った。
「ん…浦島くん…浦島くん…んむ…」
「んふっ…む、むつみさんっ…ん、んふっ…んふふっ…」
「ん…浦島くん、くすぐったいですか?」
「ん、うん、ちょっとだけ…でも、我慢できないってことはないですから…」
「ごめんなさい、浦島くん…」
 せっかくのむつみからの愛撫であったが、景太郎はぴくんぴくん身震いしながら小さく吹き出してしまった。男女の睦み合いは生まれて初めてであるから、少々刺激が強すぎたのだ。強引にされて不快だというわけではなく、あくまで不慣れなくすぐったに悶えただけである。
 それでもバードキスの隙間で確かめ合ってからは、むつみは愛撫の手を幾分穏やかにした。軽く触れ合わせていただけの唇をあらためてぴったりと塞ぎ、景太郎の頬の柔らかみを確かめるよう、揃えた指でゆっくりゆっくり撫でる。
「ん、んぅ…」
「んぅ…ん、んっ…んぅう…」
 ひとしきり頬の感触を堪能すると、むつみは夢心地そのものといった面持ちのまま、今度は右手で景太郎の首を抱き寄せるようにした。そのまま後頭部からうなじにかけてを丁寧に丁寧に撫でると、景太郎はしおらしくキスに浸ったまま猫撫で声を漏らす。
 むつみからの慈しみに満ちた愛撫とキスは、景太郎を腑抜けにするに十分であった。まさに身も心もとろけてしまいそうな心地良さに、陶酔の溜息が漏れどおしとなってしまう。
 純朴な男心も、今ではむつみへの愛おしさでいっぱいであった。日々のしがらみも、受験勉強や片想いの懊悩もすべて忘れ去り、ただむつみへの愛欲のみが意識を占めてくる。 そんな熱い衝動に突き動かされ、景太郎もまた右手を伸ばし、恐る恐るの手つきでむつみの頬に触れた。むつみは少しも嫌がる素振りを見せないので、そのまま思い切って手の平いっぱいに撫でてみる。
「んぅう…ん…んぁ、んぅん…」
「…く、くすぐったくしちゃいました?」
「いえ、そうじゃなくって…もっと、いっぱい…」
「うん…」
 中指の先が耳の辺りを撫でたところで、むつみは思わずキスを中断し、なんとも艶めかしい声音でよがった。景太郎は狼狽えて愛撫を中止してしまうが、むつみは小さく首を横に振り、熱く湿った吐息の中で続きをねだる。言葉で説明したりはしないが、耳もまたむつみの性感帯であるのだ。
 景太郎はキスしながら承諾の返事を寄こすと、むつみのおねだりどおりにあらためて愛撫を再開した。きちんと求められたことで、少々後ろめたかった気持ちもきれいに晴れ渡り、右手は素直な愛欲のままに動きを大胆にしてゆく。
 まずはむつみの顔の輪郭を確かめるよう、景太郎は揃えた指の中であごの線を撫でてみた。こうして異性の顔を撫でるのは生まれて初めてであるから、そのすっきりとまとまっている感触だけでも実に新鮮だ。男と女では骨格からして違うことが如実に分かる。
 つぎに景太郎は揃えていた指を自然なままに開き、むつみの頬を右手の中に包み込んだ。その撫で心地を手の平いっぱいに味わうよう、ゆったりゆったりと撫で回してみる。
 むつみの頬はどこまでもすべらかで、なおかつぷにゃぷにゃと柔らかい。そもそも女の肌は男の肌よりもはるかにきめが細かいから、撫で心地はまさに格別であった。
 こうして大きく大きく撫で回しながら、景太郎はむつみのおねだりどおり、耳にも指先を忍ばせた。耳の付け根を裏から表からなぞったり、柔らかな耳朶をぷにぷにと弄んだり、悪戯半分で耳孔に指先を滑り込ませたりと、思い付くままに愛撫に励んでみる。
「んぅう…んふ、んぅ…ん…」
 その努力は功を奏し、むつみはキスしたまま鼻息を震わせ、かわいい声でよがった。キスと愛撫による快感で頬を紅潮させながらも、際限なく胸を焦がしてくる愛欲のために、眉は困惑するようにしかめられてゆく。
 このむつみの複雑な表情は、まさに性の悦びを享受している女の顔であった。景太郎は夢中でキスに浸っている最中であり、残念ながらその淫靡な顔は目の当たりにできない。「ん、んんっ…浦島くん…んっ…ん、浦島くぅん…」
「むつみさん…ん…む、むつみさん…」
 二人はキスと愛撫を重ねながら、愛おしさのままに意味もなく名前を呼び合う。
 もはや互いを求める気持ちに歯止めはかけられなかった。景太郎は愛撫の右手で抱き寄せるように、むつみはさらなるキスを求めて身を乗り出すように、それぞれで愛欲を剥き出しにしてゆく。
 そんな二人の気持ちがひとつに溶け合うのに合わせて、景太郎は上体を支えていた左手から力を抜いた。そのままゆっくり仰向けに寝転がると、むつみもその後を追い、景太郎の上に覆い被さる。
「…押し倒しちゃいましたね」
 重みをかけないよう両肘で上体を支えながら、むつみは上から景太郎に微笑みかけた。剣呑な言葉とは裏腹の愛くるしい笑みにつられて、景太郎もはにかみ半分で目を細める。
「押し倒されて…これから俺、どうされちゃうんですか?」
「ふふっ、こうされちゃうんです」
「んっ…」
 ささやき声で戯れ言を交わすなり、むつみは嬉々として景太郎の唇を奪った。とはいえ、決して粗野に振る舞ったわけではない。薄膜の柔らかみが存分に伝わるよう、心持ち唇をすぼめて丁寧に丁寧にキスしたのだ。
 そのキスは不意打ちのものではあったが、少しくらいの戯れでは、もはや景太郎も無様に狼狽えたりしない。静かに目を伏せると、そのままじっとキスの夢心地を堪能し、若い身体を身に余る幸福感で熱く熱く奮わせる。
「ねえ、浦島くん…」
「…はい?」
 むつみは左手で景太郎の頭を抱き込むと、唇を触れ合わせたまま小声で呼びかけた。景太郎もまた、唇を触れ合わせたままで呼びかけに応じる。
「わたしの、身体…浦島くんの、脚の間に…入れさせて…わたし、重くしてるでしょ?」
「ん、んぅ…う、うん…」
 おねだりの間に四回ほど小さなキスを重ねて、むつみはそっと頭を上げた。景太郎はこれ以上ないくらいの甘やかなおねだりに意識をぼんやりさせながらも、今の体勢の微妙な窮屈さに小さく首肯する。
 成り行きのままで仰向けに寝転がったが、両脚はあぐらをかいたままなのだ。その上からむつみが身体を投げ出して覆い被さっているのだから、組んだままの脚にはそれなりの重みが加わっている。血行も阻害されており、ピリピリと痺れも来ているくらいだ。
 そんな景太郎の首肯を確認すると、むつみは下肢に力を込め、わずかに腰を浮かせた。景太郎はその隙間からあぐらの両脚を解放し、むつみを迎え入れるようゆったりと開く。ゆったりと投げ出すつもりの両脚は、再び寄り添ってきたむつみを歓迎するよう自ずと立て膝となった。
「…うふふっ。浦島くんの、すっかり固くなってますね」
「え、あっ…う、ううう…」
 男女の位置を入れ替えた正常位の体勢となるなり、むつみは悪戯っぽく目を細めてそうささやいた。しかもピストン運動を真似てぐいぐいと腰を押し付けたりするものだから、景太郎としては恥じ入るほかにない。
 もちろんむつみに揶揄するつもりなどないのだが、それでも景太郎は気恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう。勃起の具合を余すことなく伝えている状況が照れくさくてならず、まさに顔から火が出そうな思いだ。
「ね、浦島くん…」
「あ、は…はい…?」
 むつみは戯れのピストン運動を終えると、景太郎と左の頬どうしを触れ合わせ、耳元でそっと呼びかけた。景太郎は刺激を受けたペニスからの射精欲に苛まれながら、切羽詰まった上擦り声で呼びかけに応じる。
「もしよかったら…ぎゅって、抱き締めてくれませんか…?」
「…だ、抱き締めて、いいんですか?」
「ええ…抱き合いながらのキスって、本当に気持ちいいんですよ…?」

つづく。

 

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