ラブひな

■浦島、抜け!■

-Skin to Skin(1)-

作・大場愁一郎さま


 

 物干し台は聖域と化していた。

 板敷きの隅々にまで満ちた緊迫した雰囲気は空気までをも見えざる壁とし、当事者である二人以外の何者をも寄せ付けまいとしている。

 ようやく春の兆しを感じ取れるようになってきた、ある日曜の午後。

 空はこんなに青く、風も爽やかに吹き抜けているというのに…物干し台にはハンカチ一枚の洗い物もなく、ただ二人の男女が一定の距離を置いたまま対峙していた。

「抜け!浦島景太郎、貴様も男だろう…?いつまでそうやって佇んでいるつもりだっ!」

 当事者の一人である少女が毅然として叫ぶ。

 凛々しさを秘めた、化粧っ気の無い素顔。

 背中に届く、手入れの行き届いた美しい黒髪。

 スラリとしてスタイル良く、立ち姿も端正な長身。

 それでいて…着衣は木綿の筒袖に赤袴。

 極めつけは…腰に吊された一振りの日本刀。

 大和撫子然とした容姿にもかかわらず、彼女の風体はおおよそ似つかわしくないものである。悠然と腰を落とすと両脚を踏ん張り、慎重に居合い抜きの構えをとって眼前の青年…浦島景太郎を睨み据えた。

「モトコちゃん!頼むから勘弁してよっ!俺だってわざと開けたわけじゃないんだから…」

「四の五のぬかすなっ!!今度ばかりは問答無用だっ!!」

 一方で景太郎は日本刀の少女、青山素子に許しを乞うよう、渡された日本刀を胸の前で握りしめて情けない声で哀願する。二十歳という年齢を感じさせない童顔は眼鏡の奥ですっかり半ベソ状態だ。それでも素子には容赦するつもりが一切無いらしく、その半ベソ状態を全ベソ状態にしてしまわん厳しい口調で言い放つのみである。

「…ヤケに静かだと思ったら、みんなここにいたのね。」

「おおう、なる。遅かったやんか〜!」

 屋上への上がり口を登ってきた鳴瀬川なるは、物干し台への階段の前に集合していた住人の姿を見つけて安堵の息を吐いた。というのも彼女は受験勉強の気分転換を兼ね、妙にひっそりしているひなた荘内部を住人の姿を探してあちこち歩き回っていたのだ。その証拠に髪も二つに束ねていて、おまけにどてら姿のままだ。

 一階から探してきたため、この物干し台が最後になったわけだが…その上がり口の階段ではビールやジュースなどの飲み物、それにポテトチップスやあたりめなど豊富なつまみが用意され、ちょっとした酒席の用意が調えられている。恐らく物干し台で対峙している景太郎と素子を見物するためのものだろう。

「ねえキツネ…景太郎のヤツ、またなにかやらかしたの?」

「いつものことや。また素子が着替えとるとこ目撃してもうたらしいで?」

 その用意の指揮を執ったと思しき紺野みつねがキリンラガーとマルボロを手に、すっかりほろ酔い気分と言った様子で事の経緯を教えてくれた。美味そうに缶を傾げ、紫煙をくゆらせては物干し台の二人を見つめて愉快そうに目を細める。彼女はこういった騒動を常日頃待ち侘びているため、ここぞとばかりに気分が高揚しているらしい。

「しかも素子もサラシ巻き始めた矢先やったって話やさかい…こいつぁもしかしたら確信犯かもしれんなぁ?」

「キツネさん!センパイはそんな人じゃありませんっ!」

 みつねがショートカットの茶髪をかき上げながらニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべると、側にいて事の成り行きを心配そうに見守っていた前原しのぶが景太郎を弁護してきた。彼女はひなた荘の住人の中でも特に景太郎に好意的であるため、その口調は年上のみつねを相手にしていながら頑なだ。

 しのぶはエプロン姿であり、どうやら家事の真っ最中…しかもこの物干し台に洗い物を持ってきた矢先に現場に出くわしたようで、彼女の横には洗い物がどっさり入った洗濯かごが所在なさげに置いてある。そのわりにしのぶもCCレモンのペットボトルを手にしていたりするが、これはみつねに無理矢理持たされたものだ。本当はすぐさま物干し台に駆け上がって素子をなだめようとしたのだが、みつねがそれを許さなかったのである。実力行使では中学二年生であるしのぶに勝ち目はない。

「おんや〜?てことはしのぶは愛しいけーたろを応援するわけやなぁ?よぉし、ほんならウチも必死で素子を応援するで〜!勝った方に夏目さん一枚ってことでどないや?」

「いっ、愛しいって…なっ、夏目さん…!?そっ、そっ、そんな〜!!」

「ちょっとキツネ、あんたしのぶちゃん相手になにやってんのよっ!!」

「ハグハグハグ…どーでもいーけど、けーたろーもモトコも頑張れーっ!!」

 しのぶの揚げ足を取りながら、みつねはさらに悪のりして状況を楽しんでゆく。なるのあきれた視線もどこ吹く風といった様子だ。

 また、カオラ・スゥという健康優良児はみつねに負けないだけ状況を楽しんでいるらしく、用意された酒のつまみやお菓子を片っ端からパクつきながらのんびり声援を送っている。彼女はただ単に食べ物が用意されているからご機嫌といった様子だ。

 それにしても、この季節にノースリーブのパーカーシャツというのはまったくもって季節感が無い。もっとも、年がら年中元気いっぱいであるこの天然褐色娘に限っては、風邪をひいてはいけない、と気を使う必要も無いのであるが。

「…ったく、景太郎もねー。もう少ししっかりしてくれればいいんだけど…。」

「お?なるもけーたろ応援派か?それに…しっかりしてくれれば、なにがええんや〜?けーたろに恋心を抱いとる自分にとってめっちゃ都合がええってことか〜?」

「もうっ、そんなんじゃないわよっ!しっかりさえすればもう少しモテるんじゃないかと思って…」

「ふう〜ん?なるは景太郎がモテモテになってもええのんか〜?ほぉかほぉか、しのぶからカオラから素子から、みーんな景太郎に夢中になってもええってことやなぁ?ほんならウチもけーたろのこと狙ってみてもええんやなぁ?」

「き、キツネさんっ!なるセンパイも押さえて…!」

 なるがどてらの襟を合わせ、なんとなく景太郎を眺めながらつぶやくとみつねは一層目を細めて彼女をからかいの的にした。思わず赤くなって反論するなるに、しのぶはひたすら困惑しながら二人をなだめにかかる。ただでさえも景太郎と素子の対決で苦悩しているのに、ここでまたなるとみつねがもめたりしたら困惑で目が回ってしまいそうだ。

「あっ!みんな、しーっ!!いよいよ始まるで…!」

 そんなカオラの一声で、三人は一斉に静まり返る。物干し台では、素子が愛刀『止水』の柄を握りなおしたところであった。

「さあ浦島、ここいらでハッキリさせようじゃないか…。心配するな、貴様に渡した刀には細工などしていない。刃も毎日手入れしてある大業物だ。」

「せっ、せめて切れないように細工してよーっ!こんなの危ないよっ!!」

「これは文字通り真剣勝負だっ!!浦島、貴様の腑抜けた性根を叩き直すためにも…私はここで鬼になっておく!否、鬼を喰らう羅刹にもなってやろう!!さあ抜け!!」

 すっかり狼狽えて景太郎は声を震わせているが、素子はあくまで果たし合いを押し進めるつもりのようだ。足袋を穿いた指先では親指が足元を確かめるよう、きゅっ、きゅっ、と板敷きの床をなぞっている。ひとたび景太郎がその気になっても即座に踏み込めるよう、あくまで油断を見せない。獅子は一匹の兎を捕まえる時にも全力を尽くすのである。

 ショーツ一枚きりの姿を、男子に…よりによって景太郎に見られてしまった…。

 この恥辱は素子にとって絶対に耐え難いものであった。そもそも女子の部屋をノックも無しに開けるなど、非常識もいいところである。今回は間違いなく景太郎に罪があるのだ。

 そんな景太郎を、せめてもう少ししっかりした男にしてやりたい…。

 日本男児のイメージに泥を塗る目の前の破廉恥青年を、素子はどうにか失望しないだけの男に鍛え直してやるつもりであった。決して景太郎を忌み嫌っているために果たし合いを申し込んだのではない。わざわざ真剣まで用意したのは、あくまで双方に気合いを入れるための演出だ。

「貴様と私では力量の差がありすぎるしな…。私から抜いたとあっては、貴様には万に一つの勝ち目もないだろう。さあ、抜け!抜くんだ!!いつでも好きなように来いっ!!」

 物干し台に素子の艶やかな声が響く。袖と黒髪を風になびかせつつも、居合い抜きの構えは微動だにしない。恐ろしいまでの彼女の気迫は遠巻きに見守っているなる達にも陽炎のように映って見える。

すっ…。

 そして…とうとう景太郎は動いた。わずかに眼鏡をずらして涙を拭うと、怯えて抱き締めていた日本刀をゆっくり左手に下げる。んく、と生唾を飲み込んでから上げた顔は、もはや先程までの景太郎とは別人のように真剣な面持ちであった。

「…モトコちゃん、いいんだね…?」

「ほう…ようやくその気になったか。いい顔だ。」

 景太郎の思い詰めた声に、素子も意外そうにまばたきをひとつ、不敵に口許をほころばせる。景太郎はそのままトレーナーを脱ぎ捨てると、その下に着込んでいたデニムのシャツを露わにした。少しでも動きを良くするためらしい。

「みんなも見てるし、それに…こんな寒い中で抜くことになるとは思ってなかったけど…」

「ちょ…景太郎っ!本気で素子ちゃんとやりあうつもりなのっ!?」

「ええい、なるっ!あんた、ちっと静かにしいな!いっや〜…こら予想外の展開や!おもろなるでえ〜…!!」

 景太郎は白い息を吐きながら、さらに靴下も脱ぎ取って無下に放る。裸足となったつま先は先程の素子同様、親指できゅんきゅん板敷きをなぞった。上がり口で見守っていたなるが思わず身を乗り出して景太郎を気遣うも、みつねは口許に人差し指を立ててピシャリとたしなめる。

「ふん、準備運動が要るとでも言うのか?それは言い逃れにならんぞ?さきほどひなた荘を走りに走って逃げまどっていたではないか。」

 それでも素子は動揺を見せることなく泰然自若としており、見据える瞳の色はいささかも翳ることなく、むしろ爛々として輝きを増している。景太郎の男気が奮うのを期待して、心地よい胸騒ぎが興奮をかき立てるのだ。刀を握る手の平もほどよく汗ばんでくる。

そっ…。

 やがて景太郎は…なにを思ったか、その場に片膝を立てるようにしてしゃがみ込んでしまった。そのまま刀を脇に置いてしまうが、それでも眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐに素子を見つめたままだ。

ふわり…。

 景太郎の柔らかな前髪が風に揺れる。それで素子は微笑をかき消し、全身の筋肉に緊張を走らせた。

「…浦島、それはなんだ?見たこともない抜刀術だが…?」

「モトコちゃん…抜くよ?俺、ホントに抜くからねっ!?」

「い、いいだろう…。いつでも抜けっ。貴様の抜きがいかようなものか、しかと見届けてくれようぞっ!」

 今度は景太郎の思い詰めた声が物干し台に響く。

 その予想外の声量に若干気圧されると、素子は気の迷いだとばかり心中に渇を入れ直し、右手の親指を鞘に当てた。これでいつでも抜刀可能だ。全身は景太郎から感じる熱い気迫に武者震いが来そうなほど高揚してきている。

 次の瞬間、景太郎は予告もなく立ち上がった。それに合わせて素子も一歩踏み込み、刀を引き抜きにかかる。

「センパイッ…!?」

 しのぶの悲鳴は、景太郎が素子の刃の前に切り伏せられたためのものではなかった。

 立ち上がった景太郎は…何を思ったか、ジーンズとトランクスをまとめてずり下ろしたのだ。しかも彼の腰から突き出たペニスは隆々たる勢いで勃起しているではないか。

 デニムシャツの裾から伸び上がっている男性器は、彼のなよやかな容姿にそぐわずたくましさに満ちており、長さは二十センチ近くありそうだ。太々とした幹も威圧感に満ちていて、しかも先端はすこぶる立派に膨張してツヤめいている。くびれもメリハリが効いており、それはそれは男らしい陽物であった。

 想像もしなかった展開に目を白黒させている素子はもちろん、物干し台の上がり口で成り行きを見守っていた四人もこれには茫然自失となってしまう。

「や…センパイ…そんな、小っちゃかったのに…お、大っきい…?」

 しのぶなどは紅潮しきりで耳まで真っ赤になり、瞳いっぱいに狼狽の涙を浮かべている始末だ。CCレモンも足元に手落とし、両手で口許を押さえて錯乱するものの…純真な瞳は景太郎のペニスに釘付けとなり、そらすことができない。

「…こいつぁすごいわ。普段ちっこくても、あれだけ大きくできるんやなぁ…。余っとるって話やのに、皮もすっかり置いてけぼりやんか…。」

 みつねも思わず景太郎のペニスに見惚れてしまい、何を思ったか場違いな感想を漏らしてしまう。弟みたいな存在と見なし、ずっとからかいの対象にしてきた景太郎の意外な姿に思わず顔まで熱くなってきた。

「わ、わたし…あんな大っきいの、押し当てられたり…握ったりしたの…?」

 呆然とはしているものの、景太郎とは比較的親密にしているなるは冷静な方であり…いつかの名残を回想するよう、そっと右手を握ってみたりする。真ん丸となっている両目はしのぶやみつねと同じく彼のペニスを見つめたままであり、ふいにこみ上げた胸の焦燥に思わず生唾を飲み込んだ。

「うひょー!けーたろーのちんちん、でっけー!!ソーセージやったらめっちゃ食べ応えありそーやぁ…五つも食べたら、もう満腹になるんとちゃうかなぁ?」

 これは言うまでもなくカオラの感想である。三人とは別の意味で景太郎のペニスに心を奪われており、やはり違う意味で唾を飲み込む。

 頬は心持ち桃色に染まっているが、やはりその理由も三人と異なっているようで…先程までお菓子をパクついていたにもかかわらず、パーカーシャツから覗いているかわいいお腹もグウ〜ッ…と鳴った。百年の恋も冷めるとまでは言わないが、色気も素っ気もない。

 当の景太郎はと言えば、さすがに尻も性器も丸出しにしたことが照れくさいらしく、寒さに加えて頬を染めていた。それでも真っ直ぐに素子を見つめると、やおら目を伏せる。

「はあっ…あっ…ひっ、久しぶりだからっ…」

なで、なでっ、なでっ…さわさわ…さわさわっ…

 ささやきかけるようなか細い声でつぶやくと、景太郎は勃起したペニスの裏側を右手で押さえ、へそに密着させるよう広げた手の平でゆっくりと上下に撫でさすり始めた。クッキリとしている裏筋から中央で隆起している太いパイプにかけてを丁寧に往復し、指先はくんにゃりと垂れているふくろをすくい上げるようにして揉む。

ふにゃっ…もみゅっ、もみゅっ、もみゅっ…

 みっしり重くなっている睾丸を二ついっぺんに揉んでは、ふにふに指の上で転がして慰めた。自分自身をいじめるように強く摘むと、言いようもない刺激が下腹部いっぱいに拡がってくる。

「んああっ…!」

 鼻にかかった頼りない声が白い息となって春空に舞うと、景太郎はまぶたの裏側へ生々しく妄想の世界を描いていった。その悩ましい幻想に実感を追随させるよう、ペニスの全長に添って撫で上げる右手も次第に動きが速まってゆく…。

 

 

 

ちゃぷんっ…

 もうもうと立ちこめる湯煙の中、景太郎はゆっくりとその身を露天の湯に沈めていった。淡い濁り湯は冷えた身体に痛いくらいであるが、ふくらはぎから太もも、脇腹から胸板、そして二の腕にかけて薬効を擦り込みながらゆっくり肩まで浸かると、たちまち湯の安息効果が現れて気分を和ませてくれる。景太郎は惚けた表情で星空のパノラマを見上げてから深く深く嘆息した。

「はあ…気持ちいい…。露天風呂って最高だよなあ…。」

 飾り気ひとつもない、純粋な感動が独語となって湯気に混じる。

 別に露天風呂が初めてというわけでもないのだが、露天風呂に入ったことのある人であれば、景太郎の気持ちは容易く察していただけることだろう。オープンエアの開放感がもたらす安息効果はバスタブでのそれとは比較にならない。しかもここ、ひなた荘の露天風呂は天然温泉であるため保温効果や疲労回復効果、さらには美容効果など、そんじょそこらの入浴剤では真似できない効能が盛りだくさんだ。

 そのおかげというわけでもないのだろうが、景太郎の肌は女の子のようにつるつるすべすべである。二十歳という年齢のわりに顔立ちが幼いぶん若々しさも維持できているらしい。しかしもしかしたら、この温泉は不老長寿の効果まで秘めているのかもしれない。

 時刻は夜の十時過ぎ。就寝前の入浴と言えば聞こえがいいが、女子寮でもあるひなた荘では、景太郎はこの時刻でないと露天風呂を使用することが許されていないのだ。おまけに風呂掃除は管理人でもある景太郎の仕事である。心ゆくまで温泉を満喫したあとは岩造りの浴槽から洗い場、桧の腰掛けに桶、鏡はもちろん脱衣場に至るまで徹底的に掃除しなければならない。これも住人の快適な生活を保障するためだ。管理人は決して楽な商売ではない。

「掃除が終わればまた受験勉強だし…でもまあ、今はゆっくり温泉に浸るとしよう!こんなに立派な露天風呂が独り占めできるんだもんな、管理人特権ってヤツだよね!」

 女子寮の管理人とはいえ、景太郎は東大入学を目指している浪人生である。管理人としての雑務に明け暮れた一日が終わっても、受験勉強の夜はまだまだこれからだ。

 それでもあくまで前向きに考えることにすると、景太郎は湯の中でゆったり手足を伸ばし、身体の隅々まで湯を浸透させていった。温泉に入ってウジウジ悩むのは温泉に対して失礼というものだ。せっかくの露天風呂なのだから思いきり満喫したい。

ちゃぷ…ちゃぷ、ちゃぷんっ…

 片手で湯をすくって頬に擦り込むと、その温もりで思わず微笑が浮かぶ。そのまま湯の中で二の腕からふくらはぎ、太ももと丹念に揉み込んでストレスを融解させてゆく。

 そのまま頭上を仰ぎ見ると、夜空は満天の星空だ。夜の空気ははるか上空まで清涼としており、どこまでも澄み切っているのだろう。市街地から離れているのはなにかと不便だが、それを考えたとしても星空標準装備というひなた荘のロケーションは絶好だ。

「いいなぁ…すっごいリラックスしちゃう…」

 景太郎はうっとりと目を細めてつぶやいた。立ちこめる湯煙があらゆる音を吸収し、辺りを静寂で包み込んでしまう。このままだと仕事も勉強も忘れて本当に眠ってしまいそうだ。それくらい心身ともに安らげる。

 しかし、そんな景太郎のリラックスタイムは一転にわかに叩き壊されることとなった。

たったったったったっ…どかっ!!

「あぶっ…!?」

「やほーっ!!けーたろー!!」

「えほっ!えほっ…す、スゥちゃん!?」

 まったく予想もしていなかった跳び蹴り攻撃をもろに後頭部にくらい、景太郎はくの字…というよりもUの字になるよう、頭から湯の中に突っ伏してしまった。

 熱湯が気管に侵入しそうになり、慌てて立ち上がってかぶりを振ると…目の前には褐色肌の少女、カオラ・スゥがニコニコ顔で待ちかまえていた。跳び蹴りが決まったことに満足してか、ぐっとガッツポーズを取ったりしているが…そのしなやかな裸身は惜しげもなくさらされたままだ。

「へっへ〜ん!混浴混浴!けーたろー、混浴やで〜!!」

「混浴…って、今は男湯のはずだろっ!!入り口にも入浴中ってフダが…」

「そんなんけーたろーさえよければかめへんやん?なあなあ、ウチも一緒に入ってええやろぉ?独りぼっちで風呂入るの、おもろないやんかぁ!」

「ちょ、ちょっと、スゥちゃんっ!!」

「えへへ〜!けーたろーのほっぺた、ホンマにスベスベで気持ちええな〜!」

 純真さに満ちていて色気のかけらもないカオラではあるが、異性であることには変わりない。景太郎はタオルで前を隠しながら、突然闖入してきたカオラに狼狽えて顔面を紅潮させた。真っ正面から人なつっこく抱きつき、頬摺りまでしてこられるとたちまち照れくささで身体中が熱くなってしまう。これでは温泉の立場がない。

「す、スゥちゃん、まずいって!誰かに見られたらまた殴られるし、からかわれるし、斬り付けられるし、傷つけちゃうよっ!!」

「平気やって、みんなもう寝てるはずや。なあなあなあ、ええやろ〜?けーたろーと一緒に風呂入りたい〜!!」

「だめだめっ!だめだってば〜!!」

 こんな場面を他の住人に目撃されたら、まず間違いなく誤解されて激しく非難されることだろう。景太郎は困惑しきりとなり、甘えるようにすがりついてくるカオラをぐいぐい突っぱねた。頬から肩から胸元から、とにかくこの少女を遠ざけようとあがく。

 それにしても、カオラの身体は驚くほどに柔らかい。各関節が柔軟であるというだけでなく、肌が文字取りの柔肌なのだ。肉付きも薄く、ヘタに乱暴な力を込めるとあっさり骨折させてしまいそうな気がする。そんなはずはないと思いつつも、景太郎の両手はどうしても手加減せずにはいられない。もし彼女が痛い!と一言叫ぼうものなら慌てて抵抗を止めて謝りもするだろう。

 そんな景太郎の杞憂をよそに、カオラは俄然張り切りだした。むしろ景太郎に抵抗されることが嬉しいらしく、あちこち触れられながらも明るい笑顔を耐やさない。発育途中の乳房や、わずかに性毛を湛え始めた恥丘すら押しつけるよう両手両脚で景太郎にしがみつき、ニコニコしたまま頬摺りを続ける。頬どうしがたわむたび、ふにゅうん、などと子猫みたいによがったりもした。

「スゥちゃん!ええい、このインド娘め〜っ、いい加減にしろよっ…!!」

「へっへ〜ん!ウチ、インド出身とちゃうさかい絶対離れへんで〜!けーたろーやって気持ちえーんとちゃうか?こぉやってくっついとったら…」

「きっ、気持ちいいけど…じゃなくって!!だからもう…わっ、わわわっ!?」

「うわっ!わわ〜っ!!」

どぼーんっ!!

 決して景太郎の筋力が貧弱であったわけではない。カオラ自身が重かったわけでもない。

 しかし、突き放そうとする景太郎の力としがみつこうとするカオラとの力のバランスがわずかに崩れただけで、二人の身体は力を失った独楽のように傾き…倒れた。結果として景太郎がカオラにのしかかる形となり、水しぶきを上げて湯中へと沈み込んでゆく。

 再びがぼがぼ鼻から口から湯が侵入してきて、景太郎はまたしてもおぼれそうになってしまった。必死にもがいてどうにかよつんばいに身を起こすと、ぜはぜは忙しなく酸素を取り込みながら片手で顔を拭う。

「はあっ、はあっ、はあっ…す、スゥちゃん?あれぇ…どこに行ったんだ?」

「けー、たろっ…!」

「え…?」

 先程まで力任せに抱きついてきていたオリエンタル少女を見失い、景太郎は髪をかき上げてきょろきょろ辺りを見回していたが…突然頭上から彼女の呼びかけが聞こえてきた。かと思うとスプリングのよく効いたベッドにでも飛び乗るような気軽さで、なんの容赦もなく尻からダイブしてくるではないか。

だばーんっ!!

「ぎゃふっ…がぼがぼがぼっ!!」

「きゃははははっ!!」

 振り向いた姿勢のまま回避することもできず、景太郎は無様に潰されて再び熱湯漬けにされてしまった。溺れる寸前で激しく身をよじり、どうにかこうにか起きあがることができたものの…今度はしたたかに湯を飲んでしまい、痛ましいほどにむせ返る。これではリラックスどころか拷問だ。

「げほっ!げほっ!!うううっ…スゥちゃん、ひどいよ…」

「へへへ〜!でも楽しーやろ?ウチ、けーたろーと一緒に風呂入るの初めてやからめっちゃ楽しいわぁ!」

「まったくもう…」

 涙声になり、恨みがましい目で見上げてみてもカオラは頭の後ろで手を組み、無防備極まりない姿で天真爛漫ぶりを見せつけるのみである。これにはさすがに景太郎も憤慨している自分が馬鹿らしく思えてきた。

ちゃぷんっ…

 溜息ひとつ、観念したように湯中へ身を沈めるとカオラもあごの辺りまで湯に浸かり、甘えるようにぴっとりと寄り添ってきた。二人仲良く岩に背中を預けると、カオラの右手がまさぐるように動き、景太郎の左手を取って指を絡めるようにつないでくる。

 俗に言うエッチつなぎであるが、景太郎にしてみれば異性とこれだけ固い手のつなぎ方をしたのは初めてということもあり、先程まですねていたにもかかわらず思わず胸が騒いでしまった。裸の少女と寄り添い合っている事実を努めて意識の外に追いやろうとしていた矢先であったため、その驚きによる反動は景太郎により強くカオラを実感させることとなってしまう。

「ついさっきまで寝とったんやけどな、なんか寝汗で目が覚めてもぉてなぁ。まだええかな、思て来てみたら脱衣場にけーたろーの服があったさかい、入ってきたんやけど…めーわくやった?やっぱ怒ってる?」

「ううん、騒いだりしなきゃ迷惑でもないし…その、怒んないから…。」

「あはは、モトコと一緒なことゆうてる!おーきにな、けーたろー!ホンマ、優しいからウチ大好き!」

「へへへ、ありがとう。」

 さんざん大暴れしておきながらもカオラなりに後ろめたさはあるらしく、覗き込んできた表情はなんとも不安げだ。

 もちろん彼女とて景太郎を困らせようとして騒いだわけではない。景太郎と一緒に入浴できるかも知れない、という希望的観測に心が躍り過ぎてしまっただけなのだ。キックもダイブも、決して悪意あってのことではないのである。

 景太郎にしてみてもカオラの心情くらいはすでに読みとれている。他の住人にばれるのは怖いが、それでも無邪気な彼女を無下に追い出すのはかわいそうだ。

 景太郎はつながれた手に力を込め、カオラの右手をそっと握り返してあげた。少女の細い指一本一本を確かめるようにつなぎ直すと、カオラはたちまち普段通りの笑顔を取り戻し、景太郎の肩口にすりすり頬摺りしてきた。よっぽど嬉しいのだろう、頬にある楕円形の火照りも普段より赤みが増して際立っている。

 甘えてくるスゥちゃんってのも、けっこうかわいいな…。

 景太郎はカオラのしぐさや態度でそう感じていた。不思議とそれだけであり、先程までちらついていたやましい気持ちは理性になんらの干渉も示してこない。

 実際、カオラは年齢に反してなかなか見事なプロポーションを備えている。もちろん発育途上という感は否めないが、それでも性的魅力が皆無であるとは断言できない。バストやヒップは小さいながらも形よく、黄金比たる女らしさは十分だ。

 それでいながら、今こうしてぴったり肌と肌を重ねて寄り添われているというのに不埒な欲望は湧いてこない。誘惑的な情欲に苛まれるどころか、かえって安息効果が増してきているようにも感じられる。まるで親友や近親者と穏やかな時間を過ごしているようで気が張らない。

 もしかしたら…妹って、こんな感じなのかな…。

 景太郎がつないだ手の感触から何気なくそう考えたとき、カオラは彼の肩にことんと頭をもたげてきた。寝入ったのかと視線を落としてみたが、鼻先を胸元に押しつけてきたりするのでそうでもないらしい。すんすん鼻を鳴らして匂いを確かめる様子はそのまま野生の小動物だ。

「…どうしたの?」

「うん…やっぱり同じにおい…。」

「え?」

「けーたろーと…兄さまのにおい…。」

 景太郎に故郷の兄の面影を重ねたようで、カオラはポツリとつぶやいた。郷愁を覚えたのか、にいさま…と繰り返しささやきつつ景太郎の胸にすりすり頬を擦り付けてくる。

 普段から元気いっぱいなカオラであれど、やはりノスタルジーを感じる瞬間はあるものらしい。遠く親兄弟の元を離れ、単身留学に来ているのだからその寂しさは計り知れないものがあるだろう。祖国と日本では文化も習慣も異なっているはずだし、不安もまた大きいに違いない。

「前にも聞いたけど…やっぱり寂しくなるときってあるの?」

「ううん、今はみんなと一緒におるさかい寂しいことあらへんよ?でもな、たまぁに…赤い月の夜なんかは特に国を思い出してまう。それに…けーたろーとくっついてると、どうしても兄さまの面影が浮かんでくんねん…。」

「俺とスゥちゃんのお兄さん、そんなに似てるの?」

「においとか雰囲気もあるねんけど、優しいとこなんかそっくりや…ついつい甘えとぉなってまう…。ウチには姉さまもおんねんけど、そっちはモトコがよぉ似てんねん。」

「なるほど、そうだったんだ…。」

 言われてみれば、ひなた荘の住人の中でもカオラがベッタリなついてくるのは素子と景太郎だけである。その理由が兄や姉の面影であったようだ。

 だったら…もっと優しく接してもいいのかな…?

 兄になることはできないが、兄として慕ってもらえるような存在にはなれるような気がする。否、これだけなつかれているのだからそれに応えたいと景太郎は思った。むやみやたらに跳び蹴りを喰らわしたり、ベタベタくっついてきたりするのもすべてはカオラなりの近親感の表現なのだろう。年中無休で元気を持て余している彼女はいつだって誰かにかまってほしいに違いない。実際、その想いは先程彼女も口にしたばかりだ。

 ならばせめて、このひなた荘では兄として振る舞えるように努力したい…。

 景太郎の内でその思いは一際強くなった。

 もちろんカオラの通っている中学校でも男子の友達はたくさんいるが、それでも景太郎はカオラにとって唯一の異性の家族なのだ。この日本で兄の面影を重ねてしまうほど親しくしているのは景太郎ただ一人なのである。

 その事実を意識するだけで…景太郎は同じ湯に浸かってゆったりともたれかかってくる少女に対し、今まで抱いたこともない愛おしさを覚えてしまった。一人っ子の景太郎に突然芽生えたその感情は男の本能とも呼べるものであったろう。意味を問わず、男として女を満たしたいと思う気持ちは至極当然のものだ。

「スゥちゃん、左手。」

「んに?」

 促されるまま差し出してきたカオラの左手を、景太郎は右手でエッチつなぎにした。一本一本指を絡め合わせてしっかりつなぐと、今度は左手で彼女の頭を抱き寄せてやる。ザクザク大ざっぱに切り揃えてある金髪をくしゃくしゃすると、カオラはくすぐったそうに目を細めて景太郎の胸に寄り添ってきた。気持ちよさそうに喉を鳴らしたりすると、本当に甘えんぼな子猫のようだ。

「ふふっ…くすぐったいけどめっちゃええわぁ〜!ね、けーたろー、もっとして…」

「いいよ…かいぐりかいぐり…」

「くふふふふっ!うにゅうん、気持ちいい…ね、今度は抱っこして、抱っこ…!」

「わ、わわっ…もう、スゥちゃんってこんなに甘えんぼだったんだ?」

「ちゃうって…けーたろーがウチを甘えんぼにしよんねんで…?」

 景太郎からの抱擁がたまらなく嬉しい。

 カオラは歓喜の気持ちを愛くるしい笑顔にすると、景太郎に抱かれたままひょい、と身体を浮かせ、彼のあぐらの中に小さなヒップを納めた。一瞬まろやかな柔肌がペニスの根本につっかえたが、それでも景太郎の胸に邪な気持ちは募ってこない。湯に浸かったまま甘えんぼな異国の少女を抱きかかえるのみである。

ちゃぷ…ちゃぷ…

 左手で背中を、右手で両脚を抱え持ってゆったり左右に揺さぶると、カオラはそっと目を伏せて景太郎に身を任せてきた。湯と景太郎の温もりに包まれているだけで胸の奥はすこぶる安らいでくる。そっと顔をもたげて景太郎の鼓動を感じ、自らのそれが、とくん、とくん、とくん…とゆっくり同期してゆくと、まるで溶け合ったような一体感で穏やかな気持ちはいっそう強まった。

「…けーたろー、ウチ、重くしてへんか…?」

「ううん。スゥちゃん、すっごい軽いよ。あれだけご飯食べてるのに、なんでこんなに軽いのか不思議なくらいだ。」

「あはは、ほぉか?ほんならもう少しこのまま…ああ、揺りかごみたいで最高やぁ…」

「俺もなんでかな、こうやってスゥちゃんを抱っこしてるだけでもすっごい気持ちいいんだ。どこもかしこもぷにゃぷにゃ柔らかくって、肌もすべすべしてるし…それに…」

 それに温もりや鼓動、息づかい、匂い…それら普段は直接感じ取れないカオラのエッセンスで胸が暖まってくる。愛おしい気持ちでワクワクしてしまうのだ。

 像が踏んでも壊れないような天然元気印のカオラではあるが、こうして腕の中で甘えかかっていると…その小さな身体は驚くほど儚げに感じられる。まさかとは思うが、このまま強く抱き締めたらひどく痛がるのではないだろうか。そんな頼りなさが景太郎の男としての本能を熱く奮わせてやまない。

 裸の少女を抱き上げている…。たったこれだけのことではあるが、この事実だけでも男は愛欲を募らせずにはいられない生き物なのだ。無防備を極めた小さな女の子を、男はいついかなる状況であれど無下に扱うことなどできない。お節介と言われようとも守ってあげたくなるように意識が作用するのである。

ぎゅうっ…

「けーたろ…?」

「あっ…ご、ごめん…」

 景太郎は愛しさのあまり、いつしかカオラの身体を引き寄せるように抱え込んでいた。きょとんと見上げてきたカオラの声で我に返り、たちまち恥じ入って力を抜く。

 しかしカオラは微塵の不満もならすことなく、逆に左手を伸ばして景太郎の頬を撫で回してきた。小さな手の平いっぱいに肌の滑らかさを確かめるよう、円を描くように撫でられるとたまらなくくすぐったい。自然と顔がほころんでしまう。

「スゥちゃん、ちょ、くすぐったいよ…!」

「なあけーたろー…ウチの身体、もっと強く抱いてくれへんか?」

「え?えっ?ええっ!?」

「なに赤ぉなってんねん、スキンシップやスキンシップ!ほらほら!」

 言うが早いか、カオラは乗っかったときと同様スルリと景太郎の腕から降り、ざばーっと湯の中から立ち上がった。露天風呂の淡い照明の下、健康そのものである褐色の身体が赤裸々映し出される。

 カオラの肢体は紛れもなく少女のものではあったが…野生の動物を想起させるしなやかさに満ちていて、不釣り合いなところがひとつもない。

 ぷよん、とせり出したバストは未成熟でありながらも形の整ったお椀型だ。桃色の乳首も褐色の柔肌の中央でちょこんとかしこまっていたりする。

 ウエストは柔軟な腹筋で引き締まり、ともすればあばらが確認できそうなくらい細い。

 腰もするんとしていて肉感不足であり、ウエストとのくびれはまだまだ未形成だ。それでながらヒップはツンと上向き加減で形良く、普段の活発さが窺える。

 湯滴に濡れた裸身を開けっぴろげにしている二の腕や太ももはぽってりしていて、外見からでも手触りが良さそうだ。それでもその柔らかみは脂肪によるものではなく、極めて柔軟性に富んだ筋肉である。とはいえ無骨な印象はどこにもない。

 それでもカオラは意識的にダイエットやシェイプアップに励んでいるわけではない。食べたいだけ食べ、動きたいだけ動き、眠りたいだけ眠る。そんな規則正しい生活パターンで育くまれた天然のプロポーションなのだ。並みのグラビア雑誌よりも大胆なオールヌードではあったが、景太郎はその洗練されたスタイルに魅入ってしまって取り乱す余裕すらない。少女の美しさに息を飲むばかりだ。

ざばざばーっ…

「まいったよ…俺、スゥちゃんのこと誤解してた…。小っちゃくてちんちくりんだと思ってたけど…まさか、こんなにスタイルいいなんて…。そ、そりゃあ胸とかは小さいけど、なんてゆうか…きれいってゆうか…」

「へへへ…なんか照れるやんか…」

 カオラが差し伸べてきた右手に引かれ、景太郎も倣って湯中から立ち上がった。真正面から見つめ合うと、思わず感動が口をついて出る。愛しさの結晶たる愛欲がすっかり胸を占拠してしまったのだ。このまま思いきり抱き締めたいような誘惑まで感じてしまう。カオラが先程から頬摺りばかりしてくる理由がなんとなくわかったような気がした。

「スゥちゃん、あの…俺からも、頬摺り…していい?」

「ええよ?でも、ちゃあんと抱き合ってからやで?」

「う、うん…」

 初々しく頬を染めている景太郎を促すと、カオラから歩み寄って彼の胸に頬を寄せてきた。彼女自身、よほど裸で交わす抱擁が待ち遠しいらしい。

ぎゅっ…。

 景太郎は少女の双子の柔らかみが腹筋の上辺りでたわむのを感じながら、カオラを強く抱き締めた。右手で背中を、左手で後頭部を押し抱くとカオラも背中に両手を回し、肌と肌の重なる面積が増すようぴっちり抱きついてくる。身を寄せ合って互いの鼓動を感じていると、深夜の冷気も忘れてしまいそうだ。

すりすり…すりすり…

「スゥちゃん…ふふっ、スゥちゃんっ…」

「へへへぇ…けーたろぉ…んんん、あ、ええやろ、スキンシップって…」

「うん…うんっ…」

 うつむいた景太郎から、そして上向いたカオラからも積極的に頬どうしを摺り合わせる。衝動のままに互いを確かめると、間近で感じる息づかいとぬくもり、滑らかな肌触りがたまらなく心地良い。自然に微笑が浮かんでくると、たちまち胸は暖かな高揚感で満たされてきた。

ちゅっ…ちゅっ、ちゅっ…

 頬摺りの振幅が大きくなってくると、カオラはさりげなく景太郎の頬に唇を押し当ててきた。行ったり来たりしながら何度もキスを撃つたび、戯れるように微笑む。

 景太郎も負けじとばかり、カオラの柔肌をついばむように返礼した。唇がたわむだけでも背筋がゾクゾクするくらいに興奮してしまう。カオラの濡れた髪をしきりに撫でながら、すっかり頬摺りを忘れてキスにふけった。

 特に目元にある楕円形の火照りに唇を押し当てると、カオラは猫なで声まであげて深々と嘆息した。男女のスキンシップには免疫のあるカオラでさえ、その小さな身体をぶるぶるさざめかせるくらい頬の火照りは敏感であるようだ。

「ふにゃあ…ね、けーたろ…ウチのカラダ、わきの下から持ち上げられる?」

「え…こ、こう?」

「せやせや…たかいたかーいって、してくれへんか…?」

「高い高いねえ…できるかなあ…?」

 ささやかな抱擁に飽き足りなくなったのか、カオラは熱っぽい目で見上げながら景太郎にそうねだった。子供をあやすときのなにげない行動ではあるが、それでも彼女は期待に満ちた表情で景太郎の肩に両手を置き、わきをぺちぺち開閉して急かす。

 腕力にさほど自信のない景太郎は不安で表情を曇らせながらも、カオラの願いを叶えてやろうと両手をわきにしのばせた。ふにゅ、と二の腕で挟み込まれてしまうと、その温もり、柔らかみ、湿っぽさがなんとも言えず気持ちいい。わきフェチなる性欲者がいるらしいが、その心情もわかるような気がした。

 とはいえそのささやかな心地に浸ってばかりもいられない。景太郎は幾分腰を落として体勢を整えると、全身の筋力にぐっと緊張を走らせた。

「せえ、のっ…!!」

「ひゃっ!きゃははははっ!!わー、高い高い〜!!もっともっと〜!!」

「あ、あれ…?」

 気合いを入れてはみたものの、カオラの身体はあっけないほど簡単に持ち上げることができた。体重の軽さと、タイミングを計ってジャンプしてくれていることが幸いしているらしい。それに真上まで捧げ上げてしまうとけっこう楽になるものなのだ。視線の斜め上くらいでキープしろと言われる方がはるかにつらいのである。

 きょとんとしている景太郎の上で、カオラは手足をバタバタさせて喜びながら続きをねだった。景太郎はねだられるまま引力に任せて着地させると、再び二度目の上昇を試みる。

「じゃあもう一回…高い高ーい!」

「あははっ!あははっ!!高い高い〜!!」

「へえ、なかなかいけるもんだな…じゃあもう一回、高い高ーい!!」

「はははっ!ええでええで〜!!」

「よぉし、じゃあ今度は急旋回ーっ、それっ…!!」

「きゃっ!きゃははははっ!!すごいすごい〜っ!!」

 カオラのはしゃぎように気をよくすると、景太郎は彼女の足をわずかに浮かせ、そのまま振り回す遠心力を利用して湯の中から持ち上げた。自転車のペダル同様一旦弾みがつくと後は楽であり、二周、三周、四周、五周…グルグルグルとブン回す。カオラはすっかりご機嫌でレモン色の笑い声が途切れない。

 しかしこれでは温泉をプール代わりに遊んでいる仲の良い兄妹そのものだ。騒ぎ声に目が覚めた住人が目撃したとしても、二人を叱責するどころかあきれて苦笑を漏らすのではなかろうか。

 それでも体力には限界があるし、なにより目が回ってくる。

 景太郎は放り投げてしまわないよう最後まで気を使いつつ、ゆっくりと回転速度を落としてカオラの身体を湯の中に沈めた。そのまま自分もへたりこんでしまう。のぼせ気味であった上に目が回ってしまい、やけに頭がくらくらした。

「はあ、はあ、はあ…慣れないことはするもんじゃないなぁ…」

「あはっ!あははははっ!けーたろっ、めっちゃおもろかったで〜!おおきにな〜!!」

「いやいや…どういたしまして…」

 背中を預けた岩の上に頭をもたげていると、カオラが横から抱きついて頬にキスしてきた。歓喜と感謝の気持ちでいっぱいらしく、人なつっこい頬摺りも勢いが別格だ。

 かわいらしい抱擁で、カオラへの愛おしさはますます景太郎を奮わせてくるが…今は体力を使い果たしているためにかいぐりひとつもしてあげられない。ぐったりと星空を見上げたまま、ただただ深呼吸を繰り返してしまう。

「…兄さまにもようしてもろたんや。高い高いとか、ぐるぐるとか。」

「そうなんだ…。でもそんなに俺とお兄さん、似てるの?」

「兄さまはもっと背ぇ高いしハンサムやったけどな…。モトコは姉さまに似てるけど、今度は逆にモトコのほうが姉さまより背ぇ高いねん…。」

「…ま、まあ見た目はともかく雰囲気は似てるわけだね。」

「うん…兄さまも姉さまも…けーたろーやモトコみたいにめっちゃ優しくて…。ああ、やっぱあかんな…けーたろーと一緒におったら…国が懐かしなってまう…。」

 景太郎の肩口に小首を乗せたまま、カオラはそうつぶやいた。兄の面影を懐かしむよう、景太郎の胸板から首筋からを左手の指先でクルクルなぞる。

 やはり景太郎の側にいればいるだけ郷愁は募るのだ。どれだけひなた荘に溶け込み、住人に近親感を覚えてもここは日本。祖国からははるか離れた小さな島だ。どれだけヒッチハイクを繰り返しても帰ることはできない遠い遠い国である。

 今の暮らしに不満があるわけではない。住人と仲良くできないわけでもない。

 それでも…素子と話すたび、紅い月を見るたび、なにより景太郎と触れ合うたびに故郷を思い出してしまうのだ。家族の写真一枚きりではいてもたってもいられなくなってしまうのである。

はふう…

 肩口にやるせない溜息が落ちてくる。景太郎はその溜息の意味を察すると、おいで、とだけ耳元にささやきかけた。カオラはコクンとうなづくなり、ちょこんと景太郎の脚の間に腰を下ろす。足を投げ出した姿勢を交差させるよう、互いに向き合ったのだが…これでは合意を得た途端に座位で交わることができる、大変きわどい格好だ。

「えへへ、なんかウチらしくないやんなぁ…急にしゅんとなったりして…。」

「そんなことないよ、日本人の俺だって寂しくなるときはあるんだから。スゥちゃんならなおさらだろ?それに…寂しくなったらいつでも相手になるからさ。も、もちろん俺でよければ、だけど…。」

「うん…おおきにな、けーたろー…。せやな…日本ではけーたろーが…ウチにとっての兄さまやさかい…」

「兄さまかぁ…。ははは、だったら俺もかわいい妹にもっともっと優しくしなきゃね!」

「うにゃ…んう…んっ…ううん…」

 うつむき加減で沈み気分に陥っていたカオラであったが、景太郎のおどけ混じりの励ましは功を奏したらしく、すぐさま瞳に暖かい輝きが蘇ってきた。心の中の整理整頓が済み、郷愁と現実の割り切りが付いたらしい。

 景太郎は胸を撫で下ろしてカオラをかいぐりしたが…先程までは嬉しそうに微笑んでくれたのに、今度は小さくイヤイヤしながら小声でむずがった。景太郎のことを本格的に兄と見なしてしまったことが自分ながらに照れくさいらしい。普段から何事にも動じないカオラであるだけに、この恥じらいに揺らいだ表情は景太郎の目に初々しい。

 ふいにカオラは景太郎の腰をまたぎながら湯を滴らせつつ膝立ちとなった。視線の高さが逆転すると、景太郎は一瞬胸にせつない痛みを覚えて動揺する。思わず声まで震えた。

「す…スゥちゃん…?」

「けーたろー、ウチと…キスせえへん?」

 

 

 

つづく。

 

 

 


(update 00/03/12)