サクラ大戦

■日独伊・三国同盟■

-1-

作・大場愁一郎さま


 

 時に太正十五年、初春。

 その夜、海軍少尉大神一郎は机に向かい、帳面に向かってペンを走らせていた。

 とはいえ艶小説を書いて出版社に投稿し、雀の涙程度の小遣いを稼いでいるというわけではもちろんない。彼は業務日誌を書いているのである。

 彼が生活し、そして配属している帝国歌劇団…そして、帝国華撃団本部。

 多忙な今日一日を終えてみて、その中で主立った出来事があれば子細に記しておく義務が大神にはあった。もちろん劇団員達…華撃団隊員達の動向や様子も併記しておかなければならない。

 時刻は夜の十一時過ぎ。彼は本日最後の仕事である館内の見回り報告を記しているのであった。

 今夜は歌劇団でも美青年役で人気を馳せているマリア・タチバナと一緒に巡回したのだが、異常らしい異常は一切無し。無論見回りを手抜きしているわけではない。常日頃からこの館内で生活する人間がそれなりに気を使ってくれている賜である。

「…よし、と。終わり終わり!はあ〜、今日も大入りだったよなあ。せめてもう一人モギリがほしいよなあ。」

 書き終えた日誌をパタンと閉じると、大神はゆったりと伸びをしながら右手首を柔軟させるようにブルブル振ってみた。

 新年早々と言うこともあり、今日も帝劇は大盛況であった。その客の入り様を回想しただけでも疲労した右腕の筋肉が小刻みに笑い出すくらいだ。

 入場券にハサミを入れるモギリを任されてだいぶ経つが、やはり疲れるものは疲れる。特に大入りの日だと握力が無くなってしまうくらいにハサミを入れなければならないのだ。おまけに立ちっぱなしで足が棒になってしまう職場環境である。大和魂の持ち主であり、海軍で厳しい訓練を経験してきている大神でさえも弱音を吐くこの業務、実際にやってみなければそのつらさは理解できないだろう。

こんこん。

「誰だい?」

 大神がモギリの制服である橙色のベストを衣物かけに吊し、ネクタイを緩めようとしたそのときであった。自室の扉が軽くノックされたのを聞き、彼は気さくな口調で誰何する。

 大神の自室がある二階には歌劇団の少女達の自室があり、彼の上司達の部屋は一階にある。だからあえて大神はそのような口調で応答したのだが…はたしてドアの向こうから戻ってきた声はうら若き少女のものであった。

「少尉サーン、ちょっとお邪魔してよろしいですカー?」

「織姫くんかい?いいよ、どうぞー?」

「失礼しマース。」

 くせのある日本語を寄こしてきた少女を、大神は織姫と呼んだ。彼女は了承を得てドアを開けると、即座に入室しようとはせず背後に振り返って何やらささやきだす。

 そんな彼女に引っ張られるようなかたちで入室してきた者がいた。

「レニも一緒じゃないか。織姫くんもレニも、こんな夜中にどうしたんだ?」

 大神は意外な面持ちで彼女の名前を呼んでしまう。織姫に片手を引かれてきたレニという名の少女は大神に声をかけられ、どこか人見知りするかのように余所余所しくコクンと会釈した。

 ソレッタ・織姫、が大神に織姫くんと呼ばれている少女の名前である。彼女ははるばる伊太利亜国からその能力を買われて来日している才女であった。

 情熱的で、直情的で、思ったことをすぐ口に出す気の強い少女であるが、こうして真紅の西洋夜着…ネグリジェに身を包んでいるとたいへんに可愛らしく、また、色っぽい。

 顔立ちも凛々しく大人びており、淡褐色の柔肌、そして背中まで伸ばされた黒髪もすこぶる美しく、絶世の美少女と呼んでなんらの差し支えもないだろう。

 しかも十七という年齢のわりには身体の発育もすこぶる良好であり、ネグリジェでは身体の線がはっきりと現れているのだが…彼女はそういったことを気にしないのか、気付いていないのか、悠然とした澄まし顔には微塵の曇りもない。

 一方で、レニ・ミルヒシュトラーセは…織姫の日に焼けたような淡褐色の頬とは正反対で、真っ白で滑らかな頬をほんのりと朱に染めてうなだれていたりする。

 独逸国出身で、『ヴァックストゥーム計画』という生体実験を繰り返されていた過去を有する彼女であるが、身につけている青と白のしましまパジャマも織姫とは正反対の性質と言えよう。もっとも十五才の見た目が美少年そのものであるから、そのパジャマは赤いネグリジェよりもずっと似合っている。短めにまとめている白銀の髪とあわせてたいへん清潔な印象だ。寡黙な性格をそのままにしていれば抱き枕代わりに欲しがる女性もいるのではないか。

「わたしは少尉さんに用事は無いんですガー…ほらレニ、早く証明してくだサーイ。」

「で、でも…」

「ちょ、証明って…織姫くん、一体なんなんだよ?」

 レニの背中を押して急かす織姫に、大神は椅子ごと身体を向けながら問いかけてみた。

 ノックまでして声をかけてきた織姫は用が無いうえで、レニに何かを証明しろなどと言う。しかもそう言われたレニは背中を押されても大神の前に進み出ようとはせず、躊躇うように言葉を詰まらせているのだ。彼女達の保護者役も任されている大神としては、詳しい事情を聞き出さずにはいられない。まさかいじめでもあるまいにとは思うが、一抹の不安も胸に生じる。

「コトの始まりはですネー、わたしとレニがジァポーネ…いえ、ニポンの男について論議していたことからなんデース。」

「日本の男?」

 知らずば教えてやろうとばかり、織姫は腰に両手を当てて胸を反らしながら説明を始めた。知っているのが絶対不自然である大神はそれでもまだ事情が見えず、オウム返しのようにして続きを待つ。

「わたし、少尉さんのことはとりあえず認めましタ。頼れる上官だと信じていマース。それでもニポンの男はまだまだ軟弱で、軽薄で、狡猾で、最低だと思っていマース。」

「隊長は違うよっ!」

 日本男児をいいようにこきおろす織姫を制したのは誰あろうレニであった。幾分怯えたようにしていたうつむき顔をキッと引き締め、真っ向から織姫に食ってかかる。それでも織姫は少しも動じることなく、澄まし顔のまま小さく肩をすくめて見せた。

「とまあ、こういったやりとりがあったわけデス、少尉さん?」

「…ごめん、まだよくわかんないんだけど。」

「…少尉サーン、わたしをガッカリさせないでくださいネー?」

 申し訳なさそうに頭を掻きながら大神が言うと、織姫は眉根にしわを寄せて嘆息する。そのままレニを押して強引に大神の前に突き出すと、悪戯っぽく片目を閉じて見せた。

「レニはわたしと違ってニポンの男を尊敬してるんだそうデース。なかでも少尉さん…レニはあなたのことを特に尊敬してるんだそうですヨー。だからレニは、少尉さんが最低な男じゃないことを証明するって、今夜この部屋に来たワケデース!」

「そっ、ソレッタ!!」

 そう言われてレニは真っ赤になり、日頃冷静な彼女らしからぬ狼狽えようで織姫に振り返った。言われたくないことを言われてしまった、とばかりの動揺ぶりである。

「もー、今さら照れることないワ!ほら、早く証明してみてくだサーイ!ボクの好きな隊長は最低男なんかじゃない、んでショ?」」

「や、だめ!言わないでソレッタ!!」

「ニポンの男をバカにするのは隊長をバカにするのも同じだぞっテ…ほんのついさっきまで熱弁してたじゃナイ。普段からは想像もできない迫力デ…」

「いや、いやっ、いやだあっ!!ソレッタお願いっ!それ以上言わないでえっ…!!」

 レニはとうとう取り乱し、織姫のほうに向き直るとぽかぽか彼女の頭から肩からを叩き始めた。とはいえ殴りつけるような凶暴さはなく、軽快に太鼓を叩くようなしぐさで場をごまかしているといった雰囲気だ。現に織姫も苦痛を訴えることはなく、取り乱したレニを楽しんでいるかのようにニコニコしている。

 そんな二人を前にして、大神はぽかんと口を開けたまま思考停止していた。

…レニが、自分の事を…?

 先程も触れたがレニは日頃から寡黙であり、ソレッタと違って感情を表に出すことがない。舞台にしろ戦闘にしろ見事にこなしはするが、その動きはまるで機械のような冷たさ、無機質さに満ちているのだ。

 そんな彼女が自分を尊敬し、好意すら抱いているとは…正直言って意外であった。もちろんそう言われて悪い気がするはずもなく、大神は心なしかくすぐったさを覚えてしまう。

「レニ…そうなのかい?いやあ、本当に嬉しいよ。隊長冥利に尽きるってもんだ。」

「あ、あ、あ…ありがとうございます、隊長…」

 そう言って大神が照れくさそうに微笑むと、レニも観念したらしく…彼の前に向き直り、直立不動の姿勢をとった。幾分うつむきながらも上目遣いで大神を見つめ、どこかずれた応答をしてしまう。

 思春期前の女の子が抱く、ごくささやかな好意であろう。

 大神はそう思った。レニが今自分に対して抱いている感情は、せつなく胸を苛む恋心というものではなく、純粋な好意。

 それを言うなら大神は隊員全員のことが大好きだ。隊員だけでなく、かえでのことも…椿やユリ、かすみの三人娘だって好きである。

 レニがそういう気持ちを抱いてくれるのであれば、自分も応えなければなるまい。年頃の少女からの信頼を裏切らないよう、誠心誠意職務に専念することを大神はあらためて心に誓う。

 だから彼はうかつな返事をしてしまったのだ。

「オレもレニのことは好きだよ。大好きだ。かわいいし、頭もいいし。何事にも真面目に取り組む姿勢だって感心している。」

「えっ…!」

 大神の嘘偽りのない言葉に、レニは飛び上がらんばかりに驚き、目を真ん丸にして大神を見つめた。たちまち両目を潤ませ、顔中を真っ赤にして…あごをハクハクと微震させたりする。織姫は織姫で、片手で軽く口許を塞いで微笑を覆い隠しているといった様子だ。それでも成り行きを見守っている両目が意味深に細まっていることからも、これからの大神の反応を楽しみにしていることが明らかである。

「そ…そんなに驚かれると、なんだかなぁ…。もちろんオレは織姫くんだって…」

「隊長…。」

「え?あ、どうしたレニ?」

 織姫のことだって、日頃きついことを言ってくるけど気に入っている、と続けようとした大神であったが…倒れ込むような動きで歩み寄ってきたレニの声に思わず言葉を中断してしまう。

 椅子に腰掛けていると視線の高さがほぼ同じになるのだが、その目の前にレニの真っ赤な素顔があった。もちろん舞台に上がる前とは違い、一切の化粧っ気がない本物の素顔である。

「隊長…ボクは…ボク、ボクは…」

 忙しなく視線を彷徨わせながら、震える声でレニが言う。気をつけの姿勢のままに真っ直ぐ伸ばされていた両手は、どこか手持ちぶさた然として落ち着きがない。

 もしかして、熱でもあるのだろうか。大神は様子を探るよう、真っ赤に火照っているレニの顔を真剣な面持ちで見つめ続けた。そうして見つめている間にもレニのあごはハクハク震え、吐息も深く、熱く、不規則なものに変わってゆく。

「レニ、大丈夫か?」

「だっ…だいじょうぶ…だいじょうぶ…はっ、ああああっっ…!!」

さわっ…

 大神の気遣わしげな問いかけにも、どこか虚ろに繰り返すのみのレニ。大神は思わず右手を伸ばしてレニの頬を包み込んでいた。手の平は熱く燃えている滑らかな頬を撫で、指先は髪の奥に隠れていた耳朶に触れる。

 そうされた途端、レニは聞いたこともないような上擦った声で叫び…大神の胸の中に寄り添った。震える両手で大神の肩をつかみ、やがて首筋を撫で、包み込むようにして頭を抱く。

 わずかに見下ろしてくるレニの瞳には、いっぱいに感涙が溜まっていた。もうひとつなにがしかのきっかけがあれば、ぽろろっ…といっぺんにこぼれ落ちてしまうに違いない。

「れ、レニ…?」

「隊長…はっ、はじめて、だから…」

 大神が名前を呼び、レニが答えた…次の瞬間であった。

…ちゅっ。

 柔らかな弾力が重なり合い、わずかに濡れた音を最後に時間が止まる。織姫すらも思わず息を飲み、一様に時間を凍り付かせてしまう。

 大神とレニは…真っ直ぐに口づけを交わしていた。数秒を経てなお大神は事情が把握できず、唇に暖かな感触を覚えたまままばたきを繰り返している。

 レニはきつくまぶたを閉ざし、歓喜の涙を熱い頬に伝わせながら大神の頭を抱き締めていた。想いを募らせた果ての口づけに胸の奥は張り裂け、感動の身震いが止まらない。呼吸を止めたまま、少し身じろぎしただけで唇がたわむのがなんともいえず心地よい。

 十秒…二十秒…三十秒…。二人は長く長く口づけを維持し、思いにふける。

 大神はようやく認識できてきた現状にひどく困惑し、レニから漂う甘やかな匂いに胸を熱くさせていた。

 また、年端もいかない少年と抱擁を重ねているような不思議な感触は彼にささやかな眩暈を催させ、勇猛果敢で鳴らす日本男児の表情を腑抜けたものにしてしまう。

ぎゅっ…。

 大神は夢見心地の中、レニの小さな背中に両手を回して抱き寄せた。接吻は初めてではなかったが、無様にあごは震えていた。

 そうされたレニは怯えたように肩を跳ねさせたが、大神の…愛しい男の腕に包み込まれた暖かさで安堵し、抱き込んでいた彼の頭をいっそう強く抱き締めてしまう。募りに募った愛しさは純粋な彼女を激しく突き動かし、重ねた唇に角度を付けさせ、大神を貪るように細いあごをかみかみさせた。レニの小さな唇が大神のそれと交尾するよう悩ましくのたうち、ひどく淫猥な音を立てる。

ちょむ、ちょむ、ちょむっ…ちゅぷ、ちゅ、ちゅっ…

「あっ…あっ、あっ、あっ、あなたたちっ!!もっ、もうやめえええっ!!」

 狂おしく密着し、擦れ、たわみ合う零距離で二人の愛情が淫欲に変質しようかという頃…一分を超えて接吻を目撃してきた織姫はようやくながら我を取り戻し、行儀悪く二人を指さしながら金切り声でわめきたてた。それでもなお織姫の錯乱した気持ちは収まりを見せず、背後からレニを羽交い締めにしてしまう。

「レニ!!ちょ、レニッ!!これはいったいどういうことなんですカ!!」

「ああっ…!」

 ちゅぱっ…と唾液を弾ませて、レニは大神から引き離されてしまった。寂しげに大神を見つめてから織姫の方に振り返り、どうして、という風に表情を曇らせる。大神も大神で織姫の悲鳴を聞いてようやく忘我から立ち直り、指先で唇をなぞって余韻を確かめてからひどく狼狽えた。

 言葉を詰まらせるレニと大神を前に、織姫は両手の拳を振り上げながら憤慨の声を上げる。その顔は耳たぶに至るまで真っ赤であり、心なしか瞳も潤んでいた。

「レニ!どっ、どうしてそんな、きっ、キッ、キスなんて…!!少尉さんも少尉さんデス!なんで拒まないんデスカー!!」

「だ、だって…突然だったからわけがわかんなくて…」

「キーッ!!やっ、やっぱりニポンの男は最低デス!!少尉さんを見直したわたしがバカでシターッ!!嫌いデス!!」

 隊長としての自覚に苛まれて顔面を蒼白にした大神はしどろもどろな言い訳をしたが、そもそも織姫の質問自体もよくよく考えれば不可解なところがある。

 それでも織姫は大神の態度が気に入らないようで、ふくれっ面で腕組みしてプイッ、と顔を背けてしまう。グスン、と鼻をすすったりするところからも、接吻を目撃した衝撃はそうとう大きなものであったらしい。

「ソレッタ…どうしてそんなに怒るの…?」

 そんな織姫の両肩を真正面からつかみ、レニは悲しみを青い瞳に宿して問いかけた。織姫の憤慨する理由が、彼女の明晰な頭脳を持ってしても思いつかなかったからだ。さすがの織姫もレニの問いかけには落ち着いた口調で応じてくれる。

「だ、だって…レニは少尉さんが最低男じゃないって証明するって言ったじゃナイ…。なのに、なんで少尉さんとキスなんて…」

「…ボクが最低男に身を捧げるような人間じゃないってこと、ソレッタだってわかってるはずだろ?だから…だからっ、その…ボク、隊長に…たっ、隊長と…」

「レニ!そんな、そんな証明なんて、わたし…!!」

「いいからソレッタはそこで見てて。ボク、隊長以外のひとは考えられないから…。」

「いやっ!いやデス!!レニ…わたしそんなの証明って認めませんからネッ!?」

 真剣な面持ちと口調で織姫を圧倒すると、レニは再び大神に向き直った。置いてきぼりをくらったような織姫は両手で頬を包み込んでイヤイヤしたが、レニが心変わりしないことを悟ると唇を噛み締めながら横を向いてしまった。下ろした両手がぎゅっと拳をかため、きつく目を閉じ…これから起こるであろう事態に備える。

「レニ…」

「隊長…ボクの気持ち、ボクの素直な気持ちです…。隊長が、好きです…!」

ふわり…

 憔悴した様子の大神に凛とした声で告白すると、レニは舞うように大神の胸へと飛び込んだ。首にすがりついてこられると、大神も躊躇いがちに彼女を抱き締める。発育途上で控えめな乳房の奥からは熱い高鳴りが感じられた。

「レニ…気持ちは本当に嬉しいよ。でもオレはみんなを束ねる隊長だ。頼りないと思われてるかもしれないけど、一応保護者役だって意識もある。だからこういった関係…いや、こういったことをしてしまうと信頼を無くしてしまうような気がするんだ。」

 大神の言うことは保身に満ちたものではあるが、こういった縦の社会に組み込まれて生きる者にとっては避けて通れる道ではなかった。

 恋愛感情自体を否定するつもりはない。好意を寄せられて不快に思うこともない。

 しかしそのままひとりだけの愛情を受け入れてしまっては必ずどこかで軋轢が生ずる。

 大神は自分自身がどう思われようと関係はなかったが…隊員達が不仲になってしまうことだけは絶対に避けたいのだ。指揮統制に不都合が生ずる以前の問題である。せっかく知り合えた仲間の間で笑顔がひとつずつ消えてゆくのを思うと、それだけで不安と寂寥が胸に拡がってくる。

 その耐え難い圧迫感に苛まれるあまり、大神は狼狽え、そしてレニの気持ちに躊躇うのだ。上官、部下の関係になかったら即座に彼女を受け入れていることだろう。年の差を非難されようが、大神は少なからずレニのことを気に入っているのだ。恋心が生まれないとは断言できないのである。

 葛藤する大神に抱き締められたまま、レニはじっと彼の言葉を聞いていたが…やがてゆっくりと上体を離し、真正面から大神を見つめた。熱っぽく潤んだ瞳には冷たい炎とも呼べるような彼女なりの情熱が映って見える。

 台本通りでもなく、計算通りでもなく…ただ本能に動かされるままの愛情。

 どうしようもなく、ただこみ上げるにまかせるしかない純粋な想い。

「ボクが本当に信頼できるのは隊長だけ…。初めてボクが他人を好きになれたから…隊長になら…隊長となら、ボク…演じる必要がないんだ。やっと…楽になれるんだ…。」

「レニ…」

ぎゅっ…。

 レニは泣いた。大神に一生懸命頬摺りしながら力一杯すがりついてくる。

 愛情が暴走しそうであった。好きで好きでならない気持ちは夢中で大神の頬に口づけを捧げ、物欲しげに彼の顔を見つめては…また唇を重ねる。

ちゅっ…ちゅっ、ちゅっ…ちゅむっ…ちゅうっ…

「はあ、はあ…好き…好きです、隊長…ボクを、あっ、愛して…」

「レニ…レニッ…!」

「あっ、わあっ…!」

 情が移る、という言葉があるが…それに極めて類似したかたちで、大神はレニから繰り返し捧げられる愛情に心を染め抜かれてしまった。椅子から立ち上がると、驚くレニに首を抱かせたまま、彼女の身体を軽々と抱き上げてしまう。

 大神の両腕に乗っかり、両脚と背中を預けた格好のレニはきょとんとして彼を見つめていたが、やがて二人の波長が同期したことに気付くと静かに目を伏せ、小さくつぶやいた。

「…隊長はボクに信頼を教えてくださいました…。今度は隊長…隊長の、隊長なりの愛を…どうかボクに教えてください…。」

 独逸国での『ヴァックストゥーム計画』研究陣に無理矢理押しつけられてきた『愛』という名の行為は、帝撃での生活の間で偽物だということに気付いている。

 ならば本物を教えて欲しい。誰よりも信頼できる大神に『愛』と呼んで恥じることのない想いを教えて欲しい。

 折れた翼を生え替わらせてくれた大神なら、きっと教えてくれるはずだ。レニは頑なにそう信じていた。だからこそ身も心もあるがまま差し出し、大神からの愛をくまなく注いでもらえるよう少しずつ努力してきたのだ。

「レニ、愛は時間をかけて育んでいくものだと思うんだ。だから…その、今夜の間だけだと…その、カタチだけしか、というか…なんだ、その…」

 レニを胸元に抱え上げたまま、なおも困惑するように大神は歯切れを悪くさせる。レニはそんな大神を気遣うよう、小さな左手で彼の頬を包み込んできた。

「わかってます。ボクも…それを望んでますから…。こんな夜更けに訪れたボクにも非はあります。隊長、カタチから…愛してください…。」

「レニ…。」

ちゅっ…

 真っ直ぐに見つめ合い、穏やかな微笑を交わしてから…今度は大神から唇を重ねた。その口づけはそっと唇をたわませただけのものであったため、レニは心持ち寂しそうな目をしたが…大神からの目配せですぐに安堵を取り戻し、まどろむようにして彼の肩に甘えかかる。

「織姫くん。」

「ひっ…なっ、なんですカッ!?きっ、気にしませんからお好きなようにどうゾッ!わたしはレニの証明を見届ける義務がありますからネッ!!」

 壁際に佇んで不満そうに見つめていた織姫に大神が声をかけると、彼女は一瞬喫驚の悲鳴を上げたが…たちまち強気な口調になるとズカズカ歩み寄ってきて椅子をふんだくり、そのままドスンと腰を下ろしてしまった。またしても腕を組み、苛立たしげに鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 第三者…しかもレニと同じ隊員を目の前にして情愛を交わすことが少々躊躇われたが、織姫の性格を考えて大神はそのままレニを寝台の上に運んだ。

 織姫の場合、一度言い出すとてこでも動かない意固地なところがある。なまじっか言い聞かせようとすると、なおのことへそを曲げてしまうに違いない。

「レニは…いいのかい?」

「ボクも、ソレッタに証明してみせる義務があります。」

「やれやれ、二人とも意固地なんだから…」

ちゅっ…

 布団の上にゆっくり横たえられたレニをまたぐよう、よつんばいになった大神はおしゃべりを中断するようにして唇を塞いだ。レニは甘えるように喉を鳴らしつつ、大神の背中にそっと両手を回してくる。

 求め合う気持ちが一致したときの抱擁ほど素晴らしいものはない。今の大神とレニはまさにその心境であった。

 二人して目を閉じ、呼吸を止め…唇の感覚を研ぎ澄まして密着感に浸る。熱く沸き上がる興奮に胸は高鳴り、なんともいえない儚げな柔らかさは二人の中枢をそれぞれ燃え上がらせていった。

ちゅ、ぱっ…

 そっと大神が頭を上げると、二人の隙間に唾液が糸を引く。とろみがかっているのは二人が急性的に発情期を迎えた証だ。それぞれうっとりとして互いを見つめ、陶酔の吐息を漏らす。

「レニ…口づけするの、好きだね…。」

「だって、気持ちいいから…た、隊長…もっと…もっとして…」

「いいよ。レニが飽きるまでしてあげる…。」

 

 

 

つづく。

 

 

 


(update 00/03/12)