■素麺とミニトマト■

-5-

作・大場愁一郎さま


 

「ふえ〜、すっかり遅くなっちまった!楓と初音、もうカレーを完成させてないだろうなぁ…だったらあたし、ホントのバカだよ…。」

 白と青のストライプTシャツにジーンズ姿、男の子のようなショートヘアにヘアバンドをあしらった彼女は柏木家の次女、梓である。

 人気の少ない夜の通りを走る彼女の右手にはコンビニエンスストアの袋。その中身はガラムマサラというスパイスの小瓶がたったひとつきり。

 結局梓はカレーの準備の最中に家を飛び出し、近所のスーパーや食料品店を回ってみたのだが、どこも閉店していたり、あるいは売っていなかったりでお目当ての品を入手することができなかったのである。

 なまじっか楓や初音の前で、

『ガラムマサラを足しもしないで、夏のカレーだなんて恥ずかしくて言えない』

などと大見得を切ってしまったばかりに、わざわざ走って隣町のコンビニまで買いに行ってきたというわけだ。これでコンビニにも在庫がなかったとしたら、いったいどうするつもりだったのだろう。もっとも、直情型で負けん気の強い梓のことだから、それこそ辺りの店舗がすべて閉店時間になるまで諦めることなく探し続けたはずだが。

 とはいえガラムマサラの入手に成功したことは事実である。急げるだけ急いで帰宅し、カレーを完成させれば苦労も報われるというものだ。きっと今夜のカレーはとびきり美味いに違いない。

 それに、そろそろ千鶴も帰宅する時間だ。姉をびっくりさせるくらいに辛く仕上げようと思うと、それだけで微笑が浮かんでくる。疲れているはずの両脚もさらに高く、早く動いてくれた。

 いくつかの交差点を通り、横断歩道を渡って何度か角を曲がる。そして坂道を上ると…大きな土塀に囲まれた屋敷が見えてきた。汗だくの梓を、ようやく安堵の表情が彩る。

 そのままスピードを緩めることなく門扉をくぐり、敷石の上を駆け抜けて玄関の前に辿り着いた。玄関からの明かりに照らされながら、梓はしばし深呼吸を繰り返して息を整える。静止した状態で吸う夜気は実に清涼で美味しい。

 どうにか動悸も落ち着かせ、手の甲で額の汗を拭ってから梓は玄関の引き戸に手をかけ、勢い良く開いた。無理をしてきたことを極力気取られないよう、元気良く帰宅を告げたりする。

「ただいまあっ…」

 しかしその溌剌とした声は…散らかされた三和土、こもった熱気と淫らな匂い、下半身を露わにしたまま口づけている二人の男女を目撃して急激に消失した。勘違いでよその家の玄関でも開けてしまったかのように呆然となり、梓は思わずコンビニの袋を足元に落としてしまう。ガラムマサラの小瓶が三和土で立てたコトンという音が、梓の耳でやけに大きく聞こえた。

「耕一…?千鶴、姉…?」

「…やぁ、梓…お帰り。」

「あ、梓っ…!」

 事情が飲み込めず、梓は普段聞けそうもないほど儚げな声で二人の男女の名を呼んだ。口づけていた耕一はゆっくり顔を上げると、懐かしむように目を細め…千鶴は下足箱にもたれかかったまま、目を真ん丸にして狼狽える。

「あ、あっ、あっ、あんた達、何やってんのよっ!!」

 つり目がちの瞳の奥に激しい怒りの炎を上げて二人を睨み付けると、梓は屋敷中に聞こえんばかりに咆哮した。とはいえ、そう聞くまでもなく耕一と千鶴が何をやっていたのかくらいは容易に想像がついている。今はとにかくそう聞かずにはいられなかったのだ。

「何って…セックスしてたんだよ…。梓だってわかるだろ?」

「それはもちろんわかるっ!!ただ、なんで玄関先で…ちっ、千鶴姉とっ…!!」

「あっ、梓っ!これには事情が…きゃ、きゃあっ!?」

 耕一のおどけるような、それでいて何の偽りもない返答に梓はなおも激昂して握り拳を固める。慌てて千鶴が事の顛末を説明するために下足箱から起きあがろうとしたが、どうやら腰が抜けたままであるらしく、ワタワタと両手で虚空を引っ掻きながら三和土の上に転がり落ちてしまった。咄嗟に梓がしゃがみ込み、その身を受け止めたがために…千鶴は揉みしだかれて赤らんだ乳房も、二人分の体液に濡れている太ももも妹の前に晒してしまうこととなってしまう。たちまち泣きベソになり、両手で胸元から前からを覆い隠した。

「やっ、みっ、見ちゃだめっ…!!」

「…千鶴姉、あんたいったいどういうつもりでこんなこと…」

「あっ、梓…だめだよ、こんな時に、帰ってくるなんて…」

「耕一っ、あんたもせめて部屋でっ…ひゃ、ひゃあっ!?」

 恥を忘れたかのような姉を糾弾しようとした矢先、耕一も合わせて三和土へと下りてきた。梓は勝ち気な瞳いっぱいに涙を浮かべつつ、耕一にも一言文句を言ってやろうと顔を上げたのだが…その文句は最後まで声になることなく、甲高い悲鳴にすり替わってしまう。

にちゅ、ぬちゅ、にちゅっ…

 顔を上げた梓の目の前にあったものは、再びたくましくそそり立った耕一のペニスであった。ヌルヌルと粘液にまみれたままのそれを耕一が右手でしごくたび、くびれの辺りからなんとも言えない淫らな音が聞こえてくる。

ぼっ…。

 そんな擬音が相応しいくらいに顔を赤らめた梓は、思わずその見慣れない光景に見入ってしまった。片手で口許を押さえつつ、我を忘れて耕一の自慰行為を見守る。真ん丸に開いた両目はまばたきするたびにパチパチ音がしそうなほどだ。

「すっ…すごい…こんな、大っきいなんて…」

「どう?オレ、さっき千鶴さんの中に出したばかりなんだぜ…?なのに梓…ずるいよ、Tシャツ着てても…おっぱい、すごい大っきいから…。オレ、またこんなになっちまって…まっ、また待てなくなりそうだよっ…!」

「わっ!!こ、こらっ!てめえ、離れろよっ!本気で殴るぞっ!!」

 突然かがみ込んで顔を近づけてきた耕一に、梓はたちまち我に返ってその顔をぐいぐい押し退けた。耕一はそれでも動じることなく、人なつっこい笑みを浮かべて梓を見つめる。

「梓ぁ…なあ梓ぁ、今すぐセックスしようよ…?梓も…やっぱ、ヴァージンなんだろ?」

「うっ、うるさいっ!!関係ないだろっ!!」

「赤くなんなよ…とすると、あと梓だけなんだぜ、えっちしてないの…。お前、四姉妹の中で置いてきぼりでもいいのかよ…?なぁ梓ぁ、梓の顔と、おっぱいだけでも…もう待てないんだからっ…!」

「…なんだって!?」

「こ、耕一さん…今、なんて…?」

 淫欲に酔いしれる耕一の言葉に、梓も千鶴もハッとなって彼を見る。耕一はユラリと立ち上がると引き戸に寄りかかり、右手でペニスをしごき、左手で袋を揉みしだきながら上擦った声で説明した。勃起しきりのペニスからは、つい今しがた大量に精を放ったばかりであるにもかかわらず、もう新たな逸り水が精製されて滲み出てきている。同性でも怖じ気づいてしまいそうなほどの絶倫ぶりだ。

「はっ、初音ちゃんも、楓ちゃんも…身体が小さいからすごくきつくってさぁ…。ああ、今思えば遠慮なく中出ししとくんだったよ…勿体ないなぁ…。でも楓ちゃん、すごく美味しそうにちんぽ、しゃぶってくれたから…ああっ、思い出しただけで、いっ、イケそうだよ…二人分まとめてイッちゃいそうだっ…!!だっ、だから梓っ、手でするの、イヤだから…お願いだよ、梓の中に出させてよっ…!!」

「耕一さん…あなた、なんてことをっ…!!」

「…てめえ、ふざけんじゃねえっ!!」

ばきぃっ!!

 両手で口許を押さえ、嗚咽を堪えて震える千鶴の眼前で、梓は耕一の横っ面を思いきりよく殴りつけた。なかなかにたくましい体つきの耕一ではあるが、惚けた目で自慰にふけっていてはかわすことも受け流すこともできない。もろに拳をくらうと唇の端から血を噴き、したたかに三和土へと卒倒する。

 それでもなお意識はあるらしく、耕一は赤く腫れ上がった頬を撫でさすりながら、なおも楽しげに微笑んで梓を見上げてきた。

「いてて…ホント、乱暴者だなぁ…。こんな調子だとさぁ、今ヴァージン終わらせとかないと…ずっとこのままヴァージンかもしんないぜ…?」

「うっ、うるさいうるさいうるさあいっ!!」

ドカッ!!

 淫らな戯れ言に耳まで真っ赤になった梓は、卒倒してなおペニスを慰め続ける耕一の顔面を勢いよく蹴飛ばすと、下の妹達を気にかけて居間の方へと駆けだしていった。それを追うように、耕一も鼻血を拭ってからゆったりと立ち上がる。

「こっ、耕一さん…」

「千鶴さん…今夜は五人で夜明かしだねっ…。」

 思い詰めた目ですがりついてくる千鶴にも、耕一は短くそう告げてにっこりと笑う。

 その天真爛漫といった愛くるしい笑顔に、千鶴はいよいよ覚悟を決めるときが来たことを悟った。

 

 

 

「楓っ!初音っ!どこだあっ!!」

「あっ、あずさおねえちゃあん…!!」

 大声で呼びかけながら居間へと駆け込んだとき、梓はテーブルの下から初音の声を聞いたような気がした。力任せに重厚なテーブルをひっくり返すと、その下数十センチの隙間に、まるで隠れるようにして初音がうつぶせていた。しかしスカートとショーツは脱がされて小さな尻が丸出しにされており、その谷間にはたっぷりと生っ白い精液がぶちまけられている。

「初音っ!大丈夫!?耕一のヤツ、いったいどうしちゃったんだよっ!!」

「わかんない…!お昼寝から起きてきたと思ったら突然…その、あの…セックスしたいって…!!」

「楓はっ!?楓はどこっ!?」

「そこ…お台所…。」

 抱え上げられた初音は外傷こそ無いものの、慕っていた耕一の豹変ぶりがあまりにショックだったのだろう、弱々しく台所を指さしてからしくしくと泣きだしてしまった。

 確かに初音が指さすその先には、台所のテーブルの上で丸裸の楓が仰向けに横たわっている。膣内には出されていないのか…その代わり身体中が精液まみれだ。ぐったりとしている顔にも、発育途上の胸にも、脂肪の少ないへそにも情欲の結晶が降り注がれて生臭く汚されている。

「楓お姉ちゃん、わたしに逃げろって…先に、耕一お兄ちゃんに…!止めてって言ったのに、楓お姉ちゃんの方から…その、お兄ちゃんのっ…しゃ、しゃぶったりっ…!!」

「もういいっ!で、初音はなんで逃げなかったんだよっ!!」

「楓お姉ちゃんを置いて逃げられるわけないよっ!!わたし、耕一お兄ちゃんを止めようとしてたのっ!でもわたし、止められなくって…慌ててテーブルの下に逃げ込んだら、お尻、押さえられて…あっ、あそこ、舐められてっ…それで、それで…うっ、うううっ、うわああああっ…!!なんで、なんで、耕一お兄ちゃん…!!」

 普段から耕一のことを実の兄のように慕っていた初音だけに、耕一に乱暴された事実がなにより悲しいのだ。後は何も言葉にできず、ただただ涙を流し続けるのみである。

 そんな末妹を胸元に抱き締めながら、梓はいつぞやの大掃除での出来事を思い出していた。千鶴が屋根裏から見つけてきた、件の家系図補足である。

 恐らく耕一にも、その忌まわしい伝説が巡ってきたのだろう。先程千鶴が言おうとしていた事情とは、十中八九このことのはずだ。

 だとすれば、千鶴はどうして耕一を止められなかったのか。

 初音が止めようとしたというのは、恐らく泣きながらTシャツの袖を引っ張ったりして、楓から引き離そうと説得してみた程度であろう。それはうすうす想像できる。

 しかし千鶴は別だ。彼女は自分同様、いつでもエルクゥとしての力を発揮することができるのである。いかに耕一に覚醒の兆しが訪れているとはいえ、あれだけ淫欲の虜になっていればいくらでも隙を突くことができるはずだ。文献にあったとおり、性器を切断するくらいは容易にできなくてはおかしいのだ。

「…いや、できるわけないよな。あたしだって…千鶴姉と一緒だもん…。」

 梓はやるせなさを溜息に変えて吐き出しながら、そう独語した。

 姉が耕一に対してどんな想いを寄せているかくらいは、とっくのとうに感づいている。そして、その想いが自分の抱いているものと質を同じくしていることも…。

 だからもし、自分が耕一を手にかけなければならないとしたら…やはり躊躇ってしまうような気がする。いかに気が触れていようとも耕一は耕一だ。梓にとっても、かけがえのない想い人であることに変わりはない。

 それでも…。

 妹達を陵辱し、姉すらも抱いておきながら今度は自分も抱いてみたいなどムシが良すぎる。女性を…ひいては自分を性欲処理の道具として見ていることがたまらなく不快であった。

 それになにより…このままでは耕一の暴走をますます助長してしまうだけだ。そのうち自分達姉妹だけでは飽きたらず、無関係の女性をも…それこそエルクゥとしての本能のままに女性を犯しまくるに違いない。そうして人間を犯すうちに狩りの悦びすらも見出してしまったなら…耕一は耕一でなくなってしまうだろう。この人間界において畏怖され、忌避されるべき存在…狩猟民族エルクゥとして本格的に覚醒してしまうことだろう。

…だから…そうなる前に、せめてあたしが…

「殺してやるよ、耕一っ…!」

「ぶっそうなことを言うなぁ…。でもまぁ、梓のおっぱいの上でなら、腹上死しても本望かもね!」

 居間の中央でしゃがみ込んだまま、低く唸りながら梓が振り返る。そこにはいつの間に来ていたものか、例によってTシャツ一枚のみを身にまとった耕一が佇んでいた。無邪気な笑顔におどけた口調でそう言うと、飽きもせずにペニスをしごきながら廊下から居間へと踏み入ってくる。

 それでも梓は狼狽えることなく、初音を抱き寄せたままで耕一を見上げ、鋭く睨み据えた。気の弱い人間ならそれだけで泣きだして意味もなく謝り、ともすれば恐怖のあまりに失禁してしまうことだろう。

「…そんな怖い顔してると、せっかくのかわいい顔が台無しじゃないか…。いや、怒ってる梓ってのも凛としてて、すごくいい感じかもな!」

「黙れっ!今のお前に言われたって、これっぽっちも嬉しくなんかないやっ!!」

 物怖じひとつせず歩み寄り、なおも軽薄なセリフを口にしてペニスを慰め続ける耕一に梓は烈火のごとく怒り、怒号した。心持ち薄めで、意外にも可憐な唇の隙間から奥歯を噛み締める音が聞こえてくる。

 それでも耕一は恐怖どころか不安も、怯えも示すことなく…あろうことかせつなげに眉をしかめ、梓に見せつけるよう激しくペニスをしごいた。真上を向かせていたペニスの先端を梓の眼前に突きつけ、上擦った声で懇願する。

「ほら、見てよ…オレのちんぽ、早く梓に入りたいって泣いてるんだぜ…?今夜だけで何回出したか覚えてないけど、オレ、梓のおっぱいやまんこを想像するだけで…まだまだ固く、太くできるんだ…。なぁ、頼むよ梓ぁ…」

「…そんな節操のないモノ、あたしが切り落としてやるよっ!!」

づぃんっ…。

 梓は耕一から目をそらすことなく、右手にエルクゥの力を解放させた。手首から先がゴツゴツとした鬼の手となり、千鶴のものよりも短いが、太く頑丈そうな爪が指先から伸びる。居間全体に強烈な殺気が漂うと、抱き上げられていた初音が慌てて顔を上げた。

「あっ、梓お姉ちゃんっ!だめ、だめだよっ!耕一お兄ちゃんを殺さないでっ…!!」

「殺しはしないよ…やりたかないけどね、せめてその汚らしいヤツだけでも、この爪でグシャグシャにしてやるっ!!」

「…ちょ、ちょっと待って梓っ!!エルクゥの力を解放したら、オレ、オレっ…!!」

 初音の制止も聞かず、梓は右手の具合を確かめるようゆっくりと握ったり開いたりしてみた。ペニスを握りしめたまま無様に焦燥する耕一を見て、梓はさらに殺意を強める。

…あたしは千鶴姉ほど甘くはないんだっ!狂った耕一なんか、絶対にいらないっ!!

「耕一っ、覚悟っ!!」

 心中で自分自身に言い聞かせてから、梓は毅然と叫び、鬼の手を振りかぶった…まさにその瞬間であった。

びびゅっ!!びゅるっ!びゅうっ!びちゃちゃっ…!

「ひっ…!?」

「あっ、あずさっ!あずさあっ…!!ああっ!!あ、あああ…うぁ、ううっ…!」

どぷっ、どくっ、どくん、どくん…ぽた、ぱたっ…

「あ…あぁ…」

「あっ、梓お姉ちゃんっ…楓お姉ちゃんみたいに…またっ…!」

「はぁ、はぁ、はぁ…んく、ふぁ、ひどいよ、あずさぁ…」

 エルクゥとしての殺気が渦を巻き、奔流と化して耕一に叩き付けられた瞬間、彼は急激に登り詰め、我慢もなにもなく射精することとなった。慌てて腰を引き、精一杯肛門を締めつけたものの、その努力は報われることなく…耕一は梓の眉間に第一撃を放ち、次いで鼻先、頬にぶちまけ…勢いを失うと、畳の上に重く滴らせた。

 千鶴の時とまったく同じである。エルクゥとしての気は、同じエルクゥの血を持つ者に対して過剰に作用するようだ。梓にはそのつもりはなくとも、殺意の裏には狩猟の興奮が込められており…そして狩猟の興奮は、第三者の気持ちをも高ぶらせてしまう。精神的絶頂の副作用として、耕一は射精してしまうのだ。もちろん、その前から十分性的興奮状態にあったことも暴発してしまった原因のひとつではあるが。

 しかしそれはそれで、マスターベーションやセックスとはまた違う感じ方をしてしまうものである。なにより肉体的絶頂が遅れて押し寄せるため、心理面から見れば立て続けてエクスタシーを覚えたのと同じ事なのだ。

 得られる恍惚の総量としては、だんぜんこちらのほうが上である。マスターベーションよりも良くて、セックスよりは心の充足感で劣るといったところであろうか。現に耕一は無駄撃ちしてしまった事実を梓への恨み言にしながらも感涙に瞳を潤ませ、余韻で吐息を燃えさせている。ペニスはいまだに興奮状態にあるようで、放ってなお勃起を強めようとしているほどだ。

 一方で梓は新鮮な精液を顔じゅうに浴びせられた事実に愕然とし、振りかぶった右手も元に戻してうなだれてしまう。凛々しい美少女の素顔いっぱいに噴出された精液は、ドロリと下降して梓の唇をも濡らした。

「うっ、うえっ!!ぺっ、ぺっ…!!うっ、うううっ…!!」

 わずかながら口中に独特の渋味が拡がると、梓は途端に我に返り、舌で拭いながら唾液と一緒に吐き出す。顔を埋める生臭さもあいまって、梓は嫌悪感で涙を流した。

…耕一のものとはいえ、精液を顔いっぱいに浴びたなんて…!!

 鳥肌が立つほどの汚らしさに、吐き気すら覚えてしまう。一刻も早く顔を拭いたいところだが、手で触れることさえも不快だ。時間をかけて顔を洗いたい。

 そんな梓の気持ちも察しようとしないで、耕一は梓の前で膝立ちになると、ぶちまけた精液を塗り込むように頬を包み込みながら顔を上げさせた。あまりの衝撃で涙を流し続ける梓を見つめ、震える声でささやきかける。

「梓…ホントは今の、梓の中で出すはずだったんだぞ…?オレの子供、妊娠してもらおうと思ってたのに…。梓なら体型もバッチリだからさ、元気な子が産まれるだろうなぁ…」

「いや…いやだよ、こういち…見ないで…」

「じゃあ目を閉じるから…梓も閉じて…。キスしよう?」

「いや…こんなの、いやだぁ…やめろ…やめて、こういち…」

「耕一お兄ちゃん、もうやめようよっ!えっちなこと、もうやめて…見たくないっ…!」

ちゅうっ…。

 梓や初音の許可もなく一人で話を進めると、耕一は角度を付けて唇を重ねた。異性とは初めてのキスに、梓はピクンと肩を震わせ…うっとりと目を細めると、そのまま諦めたかのように目を伏せた。梓を汚した精液が唇の隙間に伝い落ちてくるが、それもかまわず二人は執拗に角度を変え、長いキスを続ける。

ちゅ、ちゅちゅうっ…ぢゅ、ぢぢゅっ、ぬりゅっ…

「んんっ…!!」

「ちゅ、ん…あうは、りぃーぷきふ…きぁいか?」

 梓の唇が耕一の唇で柔らかくたわんでいるうち、ふと生暖かい舌が精液とともに忍び込んできた。梓はきゅっと目を閉じると、舌を口腔の奥に引っ込めてしまう。それを感じると耕一は残念そうにキスを中断し、濡れる音を立てて唇を引き離してやった。

ちゅ、ぱっ…。

「あんっ!」

「…ふぅ、じゃあしばらくお休み…。」

「はぁ、はぁ、はぁ…キスした…あたし、耕一と…キスしたぁ…」

 そのために、ぷるんっ、と唇を震わされてしまうと…あれだけ勝ち気だった梓はすっかり気を抜かれてしまったようになり、陶然として独り言をつぶやいた。殺意を抱きはしたものの、やはり想い人に唇を吸われては愛しさが色濃く胸を占めてくる。

もみゅっ…

「はうんっ!!」

「重てぇ〜っ!梓のおっぱい、大っきくって…揉み心地も最高っ!」

 異性とのファーストキスに酔いしれているいとまもなく、梓の迫力ある乳房は耕一の両手で下からすくい上げるように揉まれた。梓は敏感に反応し、おとがいをそらせてせつなげに鳴く。普段の彼女からはとうてい想像もできない悩ましい声だ。

もみゅっ、もみゅっ、もみゅっ…さわさわ、さわさわ…

 耕一の手の平でなお持て余す梓の乳房は、姉の千鶴とは比べものにならないほどボリューム満点であり、それでいて形の良いドーム型だ。耕一はペニスをいきり立たせながら、夢中で梓の乳房を揉みしだいた。寄せ上げては揉み、そのまろみを楽しむようTシャツの上から撫で回す。肌の柔らかさはもちろん、その奥に潜む弾力もまた格別だ。愛撫しているだけでも心地よい。

「あふっ!ふ、ふうんっ!!や、やあっ…あっ、ひ、いいっ!!」

「わあ、梓、どうしたんだよ…もう乳首、立ってきてるじゃんか…。Tシャツとブラごしにでもわかるぜ…?大っきいけど、立派に性感帯なんだな…。」

「いやっ…恥ずかしい…!!頼むから、触らないでっ…!!」

「待ってろ梓、今脱がしてやるから…すぐに楽にしてやるよ…」

「…楽になるのはあなたです、耕一さん…」

 耕一が右手をずらし、梓のTシャツをたくしあげようと裾に手をかけた…まさにその時。楓しかいないはずの台所から、永久凍土を思わせる冷たい声が響いた。その声の主は下半身裸で、鈍く光る包丁を右手に構えた美しい女性。

「ちづる、ねえ…」

「千鶴お姉ちゃん…」

「千鶴さん…」

 居間にいた三人が一斉にそちらへ視線を向け、ほぼ同時にその名を呼ぶ。台所から現れた千鶴は寂寥を極めたような痛ましい表情であり、憐れむ目で耕一を見つめていた。

 千鶴は下着も履くことなく、太ももを濡らしている体液もそのままだ。おそらく足が立つようになってすぐこちらへ向かったらしい。直接台所から現れたのは、居間のある表側の廊下を通らず、浴室などがある裏手の廊下を通ったものと思われる。

「鬼の力は耕一さん、あなたを一層高ぶらせる…。それを教えなかったばかりに、梓にまで不快な思いをさせてしまいました…。」

「千鶴さん…今度はなに?包丁なんて…オレ、そんなヤバイ趣味は無いよ?」

 梓を解放すると、耕一は矢庭に立ち上がって千鶴と相対した。まさか命まで取るまいという余裕が、彼に千鶴への歩みを踏ませる。しかも耕一は千鶴の顔を見ただけで…つい今しがたまで抱こうとしていた梓のことも忘れたように、晴れやかな笑顔を浮かべたほどなのだ。

 それこそ親友を見かけたときのような気楽さで、耕一は包丁を構えた千鶴におどけてみせるのである。警戒など少しもしていない。すっかり安心しきっている。

 しかし千鶴は…今度こそ家長としての役目を果たす決心ができていた。狂った愛を選んで家族に危害が及ぶのであれば、それはもう女としても身勝手極まりない最低な部類に属するだろう。それでは自ら愛を選んでいるのではなく、愛に翻弄されているだけなのだ。

「私は…狂気の道を選んでまで愛に殉ずることはできません。せめて耕一さん…あなたの瞳が私だけを見ていてくれたのなら…」

「千鶴さん、何を言って…」

 千鶴が目を伏せた刹那、彼女が右手にしていた包丁は迅速で閃いた。今度こそ、なんらの躊躇いも容赦も無かった。

すぱっ…。

「ぎゃあああああああっっ!!!」

 股間から血しぶきを上げると、耕一は断末魔の絶叫と共に卒倒し、激痛のあまりに畳の上をジタバタと転げ回った。柔らかな微笑は一転、目を剥きだした阿鼻叫喚の形相に取って代わられる。

「ひっ…!!」

「う、うぐうっ…!」

 惨劇の瞬間を垣間見てしまった初音の視界を、梓は慌てて両手で遮る。もちろん自分もきつく目を閉じ、顔をも背けた。

 しかし、初音も梓も…一瞬ではあったが見てしまったのだ。美しい畳が赤黒い血でベットリと汚れ…やけに長い、ちぢれた素麺のような精管や、白く塗ってから踏みつぶされたミニトマトのような睾丸が耕一の体内からこぼれ出てきた光景を。

 それはまさに昼食で食べた素麺やミニトマトを想起させ…初音より長く惨劇を見てしまった梓の肉体を激しく反応させる。

「うぶ…!うっ、うええっ…!!えくっ、けへっ!えおっ、えううっ…!」

びちゃっ、びじゃじゃあっ、びちゃびちゃびちゃ…

 顔じゅうにぶちまけられた精液の生臭さも荷担して…梓はむせかえり、涙を流しながら大量に嘔吐した。熱くて臭う胃液は口許を押さえつけた右手を越えて溢れこぼれ、そのまま抱きかかえられている初音の頭に降り注がれてゆく。連鎖的に初音も背中を震わせ、梓の胸元いっぱいに胃の中身を吐き戻してしまった。

 結果として…耕一が紙一重で回避を試みたためか、千鶴の振るった包丁は彼のペニスを切断することはなかったが、それでも幹の根本を切り裂き、そのまま陰嚢をも大きく切り開いたのである。しかもその研ぎ澄まされた刃は精管を切断し、片方の睾丸をも真っ二つに断裂させたのだ。

「こういち、さん…」

 生暖かい返り血を全身に浴びた千鶴は呆然とその場に立ち尽くし、悶絶してのたうち回る耕一をただただ見つめるのみであった。握りしめたままだった包丁をもポトリと足元に落としてしまう。

 転げ回り、居間じゅうを真紅に染め抜かんばかりに鮮血を撒き散らす耕一であったが…そのうち失血をきたしたようにぐったりとし、身動きを止めた。それでも気力を振り絞って仰向けになると…驚いたことに千鶴を見上げて微笑を浮かべたのだ。千鶴は一瞬戦慄したものの、彼の瞳から涙の雫がぽろぽろこぼれ始めたのを見て、慌てて顔の前にひざまづく。

「耕一さん…?」

「ち、づるさん…ありがとう…オレ、やっと自分の思うこと、しゃべれるようになった…苦しかったよ、死にたかった…みんなに…取り返しのつかないことしちゃって…」

「ま、まさか…正気に…?」

「オレだよ、耕一だよ、千鶴さん…!ああ、しゃべれる…思ったことがしゃべれるっ…!よかった…最期に…謝ることが、できそう…で…」

 そこまで話した耕一であったが、嬉し泣きのあまりにしゃくり上げた途端、まるで事切れるように失神してしまった。さすがに失血も度が過ぎたのだろう。千鶴はたちまち血相を変え、滂沱の涙を流しながら取り乱して叫ぶ。

「あっ、あっ、梓っ!!救急車を、救急車を呼んでっ!!耕一さんがっ…耕一さんが死んじゃうっ…!!いや、いやです耕一さあんっ!!死なないでえっ!!」

「…ったく、自分でやったんだからもう少し落ち着きなよっ!だったら初音を抱いててくれっ!!」

 そういう梓もまた錯乱を禁じ得ないようで、千鶴に初音を任せてからも立ち上がることができず、廊下を這うようにして電話まで向かった。

 

 

 

 隆山市内にある公立病院。

 今日もその建物は一身に盛夏の日差しを受けているが、各病室内にはブラインドが用意されており、直接その刺激を受けることがない。さらに空調も完備されているため、よほど異常な格好でないかぎりは暑くも寒くもなく快適だ。

 現にこの個室内にも…日焼けを気にしない半袖のブラウスを身につけた女性が面会に訪れていた。丸椅子に腰掛けた彼女はうつむいており、今日何度目になるのかわからないセリフをもう一度口にする。

「本当に申し訳ありません…。謝ったところで取り返しがつくわけでもないのですが…」

「だからいいんだってば!謝んなきゃいけないのはオレのほうなんだし。ねえ千鶴さん、オレのことは気にしないでいいから、もう頭を上げてよ!千鶴さんがいつまでも気に病んで暗くなってたら、オレだって治りが遅くなっちゃうかもしんないよ?」

 沈痛な面もちでうなだれたままの千鶴に、ベッドを操作して上体を起こしてもらっている耕一は彼女を励ますつもりでおどけてみせた。ベッドを起こしてもらっているのは、なにも耕一が起きられないほどの重傷を負ったからではなく、ただ単に楽だからだ。背もたれをリクライニングさせた座椅子でくつろいでいるのと同じである。

「…そうですか?そう言っていただけると…あ、でもやっぱり耕一さんに…」

「だーかーらーっ!千鶴さん、もう気に病まないのっ!」

 耕一に強い口調でそこまで言われて、千鶴はおずおずながらようやく頭を上げた。とはいえ、こうして頭を上げるのも先程千鶴が口にしたセリフと同じだけの回数なのだ。少し話しては沈黙を招き、うなだれては謝り、耕一が頭を上げさせ…その繰り返しである。

 結局あの夜、救急車で病院に運ばれた耕一はショック状態に陥ることもなく無事に命を取り留めた。ただし、生殖器の一部に欠損を残して…。

 切り裂かれた海綿体や陰嚢はなんなく傷を塞ぐことができたのだが…鮮血とともに噴き出た輸精管、そして断ち割られた右の睾丸は元通りにすることはできなかった。結果として耕一はエルクゥの本能による呪縛から解き放たれたものの、大切な睾丸をひとつ失うことになったのである。

「いいかい、千鶴さん?あの…なんか照れくさいなぁ…その、睾丸ってのはふたつあるんだからさ、たとえひとつ無くなったとしてもそれほどの障害にはならないんだよ。まぁなんとなく…去勢された感じってのかな、なんか性欲とかいった気持ちが前より起こりにくくはなってるみたいだけど、それが正気を取り戻すきっかけになったんだとしたら結果オーライってヤツだしね。」

 耕一は傷のうずきの奥に生じた違和感に多少戸惑いながらも、努めて千鶴に心配をかけまいとハキハキとした口調で説明した。

 確かにあの時…千鶴に睾丸を断ち割られた激痛が、理性を封じていた目に見えない枷を粉々にしてくれたのだ。その感触を耕一は鮮明に覚えている。それまではまるで、悪夢そのものといった白昼夢を見続けている心地だったのだ。

 ふとした弾みで情欲が高まり、自慰に走ってしまう…。これは健全な一青年であれば、少しも不思議なことではないし、咎められる筋合いもない話だ。

 昨日の耕一が、まさにそうであった。もっとも、従姉妹の住む屋敷というロケーションは多少問題が無いわけでもないが…昼寝から覚めた夢うつつのまま、ここがどこであるのかも忘れ、こみ上げた性欲を手っ取り早く処理しようとしたのである。

 ところが、一度が二度、二度が三度と…まるでやみつきになったかのように立て続けて果ててしまうと、ふいに意識が混濁してきたのである。

 そのまま夢遊病のように起きあがり、あてがわれている寝室を抜け出ると…台所で夕食の準備をしている楓と初音を見つけた。彼女達は耕一の違和感に気付くでもなく、いつもと変わらぬ対応で彼に接してきたのだ。そこで耕一は二人に対して身体を求め…楓、初音と順番に陵辱を重ねたのである。

 初音の処女を奪ってしまった辺りまでは、どうにか理性が一人歩きする意識を押さえ込むことができていた。現に耕一は彼女達を犯しはしたが、欲望のままに膣内射精することだけはどうにか回避しえているのである。

 それでも、楓で童貞を卒業し、初音で女性の悦ぶ姿を覚えてからは…もう理性は暴走する意識になんの歯止めも利かせられなくなってしまった。

…彼女達より女性として成熟した身体を抱いてみたい…

…煩わしい理性に阻まれることなく、本能のままに女性と交わってみたい…

…狩猟民族の血を絶やさぬよう、子を孕ませたい…

 いつのまにか枷をはめられた理性が意識の異常に気付き、止めさせようと絶叫している矢先に千鶴が帰宅した。あとはリアルタイムで悪夢を見続けるのみであったのだ。

 理性がどれだけ泣き叫ぼうとも意識は本能だけに従って身体を操り、淫らな言葉を口にさせ、千鶴の身体を楽しみ、そして躊躇いもなく膣内射精を遂げ…挙げ句の果てには梓にまで手を出そうとした。死すら望んだ理性は梓に最後の希望を託したが、それでも願いは叶うことなく…彼女の唇を奪い、胸をまさぐり…。

 そこへ、諦めかけていた希望が現れたのだ。それが包丁を手にした千鶴だったのである。

「…それでも、わたしは耕一さんを殺そうとしたんですよ?その事実は変わりません…。なのにどうして、耕一さんは救急車の中であんなことを言ったんですか?なにもかも覚えているんでしょう?」

 千鶴は耕一の説明を聞き終えると、今度は別の質問を口にした。それは千鶴にとって、もっと意味のある質問であった。

 梓に呼んでもらった救急車で搬送される途中、救急隊員が事の顛末を尋ねてきたのだ。

 同乗した千鶴が事実を説明しようとしたとき、ふいに意識を取り戻した耕一が、これは単純な事故だと説明したのである。いわく、薄着のままで西瓜を切ろうとして、その思わぬ手応えに思いきり力を込めた瞬間、滑らせた包丁を取り落としてザックリと…。

「だって、千鶴さんは悪いことをしたわけじゃないんだもの。今回の件は法律でどうこうできるような内容じゃない。エルクゥがらみならそれくらい、わかるでしょう?ましてやこれは身内の中でおこった事故だ。無関係の人間は巻き込んでいないんだから、それでいいじゃないか!」

 結局エルクゥとしての意識や記憶も内包したまま回復した耕一は、なにひとつ悩むことなくそう言ってのけた。彼の言うことはエルクゥの血を引く身内にとってたいへん都合のいい話ではあったが、しかし正論でもある。

 もし仮にエルクゥの本能に人間としての意識を乗っ取られ、殺人を犯してしまったとしたら…正気に返ったその人間に罪は問えるのだろうか。

 こればかりは当事者になってみなければ…エルクゥの疎むべき血筋を引かなければわからない苦悩であろう。当事者達は常にその本能を監視し続けなければならず、また、人間の意識がその本能に魅入られてしまってもいけないのだ。殺意を秘めながらの共存とも言えるだろう。だから耕一としては、せめてこれくらいの特権は認めて欲しいと思うのである。とうてい叶うはずもない望みであるとも思うのだが。

 それでも千鶴は罪悪感を払拭することができないようで…またしても力無くうつむいてしまった。膝の上に乗せられていた両手が、ぎゅっ…と拳を固める。

「でも…」

「…オレがすべてを知ってる警察のトップだったとしたら、千鶴さんに長官表彰してあげてるよ!!」

「きゃっ…」

 本気なのか冗談なのか、耕一は明るい声でそう言うとおもむろに左手を伸ばし、うつむいた千鶴の頭をかいぐりした。そのまま強引にベッドへ引き寄せ、片手でその頭を抱く。

「千鶴さん、よかったら…ベッドの端に腰掛けてくれないかな…?いや、その…不安だとか、イヤだとかならいいんだけど…」

「…不安でも、イヤでもありませんよ、耕一さん…」

とすんっ…。

 千鶴はうつむいたままで小さく微笑むと、丸椅子から飛び移るようにしてベッドに腰掛け…ゆったりと耕一に寄り添った。左手で肩を抱かれると、甘えるように耕一の左肩へ頭をもたげかける。

 そんな千鶴を耕一は暖かな眼差しで見つめ、慈しむように彼女の黒髪を撫でてあげた。

「ほんと、元通り…。雰囲気でわかります。優しい…わたしの好きな耕一さん…。」

「千鶴さん、本当にありがとう…。千鶴さんの決断が無ければ、オレ…どれだけ罪を重ねていたか想像もできないよ。ホント、楓ちゃんや初音ちゃん…梓にはどうやって罪を償おうか…」

「それは追々考えていきましょう…?誰も耕一さんを恨んだりはしないと思います。それこそ、耕一さんのおっしゃった通り…エルクゥの血が招いた事故なんですから…」

 千鶴は安心しきったように目を伏せると、そっと左手を耕一の右肩に乗せてすがりついた。耕一は所在なさげに視線を泳がせていたが、遠慮がちに千鶴の腰を抱き寄せる。耕一とて千鶴に負けないだけ罪の意識があるのだ。本当は触れることすら許されないはずなのに、こうして嫌悪するでもなく寄り添ってきてくれることがどうにも嬉しい。

 千鶴はしばしその体勢のまま耕一の感触を堪能していたが…やがて顔を上げると、頬を染めながら小声でつぶやいてきた。耕一の瞳が目の前にあったことに動揺し、思わず視線をそらしたりもする。

「じゃあ耕一さん、とりあえず…そのぅ…耕一さんから表彰してくださいませんか?わっ、わたしの…くちびる、に…」

「え、えっ…いいの…?」

「ちゃんとした耕一さんから…あらためて、キスしてもらいたいんです…。」

 千鶴は真っ赤になってそう言うと、きゅっと目を閉じてから唇を差し出した。照れてならないのか、その愛くるしい唇は小さく震えている。

 その悩ましい感触も、甘美な味も記憶に留めていながら…耕一は差し出された唇に口づけてよいものか逡巡した。

 ここで躊躇うことなく口づけたら罰が当たりそうで…そしてまた異常性欲に憑かれてしまいそうで、不安でもある。ファーストキスを前にして緊張を極める少年よろしく、耕一は千鶴の火照った顔を見つめたまま硬直してしまった。

「…いいんですよ?わたし、耕一さんから表彰してもらいたい…。それに、今度また狂ったら…今度こそ根本から切り取ってあげますからっ…。」

「こっ、怖いこと言う唇には、こうだっ!」

ちゅうっ…ちゅ、ちゅちゅっ、ちゅぱっ…。

 目を伏せたままでおどけてみせる千鶴に、耕一は躊躇いを振り払うように叫んでから真っ直ぐに口づけた。夕べあれだけキスして慣れているはずなのに、今はどうだろう、そのめくるめく興奮にのぼせてしまいそうなほどだ。たまらずに耕一は唇を引き離し、ぜはぜはと深呼吸したりする。

「はあ、はあ、はあっ…ううう、こんないい加減なキスしかできないよ…。ごめん、千鶴さん…今はなんだか、メチャクチャ照れくさいっ…!」

「ふふっ…夕べとは別人ですね。耕一さんの顔、もう汗だくで真っ赤になってる…。」

「えっ?えっ、ええっ…!?」

 千鶴に無様な表情を指摘され、耕一は手の平で額の汗を拭いながらあさっての方向を向く。こんなに愛しいはずの千鶴の顔が、今はどうしても直視できない。

 そんな純粋な耕一が、千鶴もまた負けないだけ愛しくて…思わず意地悪をしてみたくなった。あらためて耕一にすがりつくと、その耳元へ早口にささやきかける。

「ね、耕一さん…赤ちゃんの名前、なんて名前にしましょうか…?」

「えっ、あっ、そっ、それはっ…あっ、あのもちろん責任取るしっ…てゆうか、オレ、一生千鶴さんのこと…あ、いや、千鶴さんだけじゃなくってもちろん…その、できちゃったとしたら子供も面倒見る…というか養わせてもらいたいというか…だから…つまり…け、けっ、けっ…あ、ああ…その、ちゃんとした告白もしてないけど、オレと、その…」

 予想通り、耕一は耳朶まで真っ赤になりながらしどろもどろに言葉を紡ぎ出す。身も心も完全に狂わせ、避妊すら無視して情欲を貪り合ったことは耕一も千鶴ももちろん覚えているのだ。

 そんな耕一にほくそ笑んでいた千鶴であったが…ふいに視線を上げると、言葉を無くしてしまった耕一がなにがしかの救いを乞うような目で見つめ返していた。途端に自分の意地悪の内容がどんなものだったのかを再認識し、おまけに夕べの光景をまざまざと回想してしまい、千鶴も耕一同様耳まで真っ赤になった。つい、と視線だけそらしてつぶやく。

「…そんなに見つめちゃ、イヤですぅ…。」

 

 

 

「な…な、なっ、なぁにが、見つめちゃイヤですぅ…だっ!!千鶴姉も耕一も、まとめてギッタギタにしてやるうっ!!」

「あっ、梓お姉ちゃん落ち着いてっ!ここは病院だよっ!ほら、みんな見てるしぃ…!」

「…あ〜あ、梓姉さん、せっかくのメロンがギッタギタになっちゃった…。」

 耕一と千鶴のやり取りを、個室へのドアの隙間から覗き見ていた者達がいた。誰あろう柏木家の姉妹、梓、楓、初音である。

 梓などは、姉と耕一の間にたゆたっていた空気がほのかに温もりを帯びてきた辺りから悔しさいっぱいといった風に歯噛みし、小遣いを出し合って買ったお見舞い用のマスクメロンを怒りにまかせてつかみ潰してしまっていた。

 普段から耕一を小馬鹿にしている梓ではあるが、その本心では千鶴に負けないだけ彼のことを慕っているのである。それだけに、二人きりという場を活かしていい雰囲気を醸し出している姿を目撃してしまっては、嫉妬の炎が瞳の奥に渦を巻くのだ。その炎は実際に熱いのか、熱を冷まそうとするかのように両目いっぱいに涙が溜まっている。

 そんな梓の腰にしっかとすがりつき、初音がなだめようとするものの…血気盛んな柏木家の次女は鼻息も荒く病室内を睨み据えており、今にも末妹の両腕を振りほどいて病室に飛び込まんばかりの迫力だ。

 初音にしても、耕一のことは実の兄として接しているものの…その心中には少なからず恋心と言ったものが芽生えている。これは初音にとっての初恋ではあったが、千鶴と耕一が結ばれるのであれば、それはそれでいいのでは、と割り切れるだけの余裕があるのだ。それだけ耕一のことも千鶴のことも分け隔てなく憧れており、好意の対象としているためである。この心根は、実に純粋な初音らしいと言えるものだ。

 一方で楓は冷静に、梓の両手の中でグチャグチャに潰れ、床に果汁を滴らせているメロンを見つめて溜息をひとつついている。

 暴走した耕一の最初の餌食になり、無惨に処女を散らしてしまいはしたが…前世でも夫としたことがある耕一に奪われたのであるからさほどの心の傷も受けてはいないようだ。それに、耕一自身も自分を犯した記憶を有しており、人間としての耕一なりに反省しているところにも楓は救いと言うべき安らぎを見出している。

 それだけ柏木耕一という男を慕っているわけだから…狂気を瞳の奥に孕んだ彼を前にしたとしても、妹をかばってその小さな身体を差し出したのだ。しかしながら楓の本心を底まで探ったとすれば、もしかしたら独占欲というものもその時存在していたかも知れない。

「と、と、とにかくさぁ…梓お姉ちゃん、ここはひとつ出直そうよ!ほ、ほら!お見舞いのメロンだってダメになっちゃったしさ、なにか違うものでも買ってこよう!」

「ふーっ、ふーっ、ふーっ…千鶴姉ばっかりいっ!くそっ、くそうっ!!」

 必死になって梓の腰を引き、病室から遠ざけようとする初音。それでもなお梓は病室を睨みつけたままであり、逆上した幼子さながらに、台無しになったメロンを力一杯床に叩き付けたりする。悔しい気持ちは分からないでもないが、これでは少々大人げない。

「…梓姉さん、まさか…その、気にしてるの?ひとりだけ…」

「ちっ、ちっ、違うっ!!そんなわけないだろっ!!こ、こ、耕一もアレだっ!情けないったらありゃしない、ホント、情欲に負けちゃう男ってイヤだよなーっ!!根が普段通りで軟弱者だから、あんな風におかしくなっちまうんだよっ!!」

 楓は俊足で雑巾を借りてきて、メロンの雫を拭き取りながら大胆不敵な質問を梓に投げかけてみた。すると梓は一層顔を上気させて否定してみせると、今度は歯に絹着せることなく耕一を非難し始めた。それはまさに八つ当たりそのものであり、ここまで我を忘れて激昂し続けると、楓も初音も苦笑を禁じ得なくなってしまう。

「なっ…かっ、楓も初音もっ!!何を笑ってんだよっ!!」

「な、な、なんでもないよ、お姉ちゃん…」

「…とにかく梓姉さん、代わりのお見舞いを買ってきましょう。一階に売店があったから、そこでなにか…せめてジュースでも…」

「ふんっ!!もういいよっ!見舞いは千鶴姉がやったはずだ、もうあたし達がなにかしなくったっていいはずだろ!?耕一だって、どうせすぐに退院してくるに決まってる!あたしは帰るからね、あんた達は好きにしなっ!!」

 先程までさんざん渋っていたかと思えば…今度は梓は開き直ったかのように回れ右し、足音も高らかに病室を後にしてゆく。そして、ある程度進んだところで…堪えきれなくなったものか、梓は振り返ることもなく病院の廊下を駆けだしていった。

 回れ右した姉の両目には痛ましいほどに涙の雫が溜まっており、楓も初音もそれに気付きはしたが…決して口にはしなかった。口にしたが最後、気丈な姉がその場でくずおれ、手も着けられないほどに大泣きしてしまうであろう事が予想できたからだ。

「梓お姉ちゃん…被害にあってないとはいえ、なんだかかわいそう…。」

「でも、私達がどうにかできるわけでもないしね。千鶴姉さんが妊娠しなかったとすれば、まだチャンスはあるかもしれないけど…」

 廊下の角を曲がって見えなくなった梓を見送ると、初音は寂しげにそうつぶやいた。いつでも他人を思いやる気持ちを忘れない初音らしく、実にいじましい言葉である。

 それに対して楓はあくまでクールだ。抑揚の少ない、普段通りに淡々とした口調を残して雑巾を返しにいく。そんな姉に、初音はシュン…と肩を落としてしまった。

「…初音、とりあえず私達だけでも耕一さんをお見舞いしましょう。」

「…うん。せっかく来たんだもんね、元通りの耕一お兄ちゃんとお話したいよ!」

 雑巾を返して戻ってきた楓にそう誘われると、そこで初音はようやく天使の笑顔を取り戻すことができた。まばゆいばかりの初音の笑顔は、四姉妹の仲でもずばぬけてかわいらしい。耕一もたちどころに傷が癒えてしまいそうなくらいの美少女ぶりなのだ。

 とりあえず病室には千鶴がいるとはいえ、耕一とて無下に追い返したりはしないだろう。自分の知っている優しい声で招き入れ、開口一番、頭を下げて詫びてくるに違いない。

 初音はそう耕一の反応を想像すると、胸をワクワクさせてドアノブに手をかけた。しかしその手はドアを開く前に素早く制止されてしまう。

 初音の手を押さえてきたのは誰あろう楓であった。初音は不思議そうに姉の顔を見つめ、そっと小首を傾げる。

「どうしたの?」

「…やっぱり梓姉さん、チャンスはないみたい…。」

「え…あ。」

 楓の視線は、ドアの隙間ごしに病室内へと向けられていた。それを追って初音も病室内に目をやると…

ちゅうっ…。

 そんな吸い付く音が廊下まで聞こえてきそうなほどに、耕一と千鶴はしっかと口づけていた。千鶴はベッドに腰掛けたまま上体をひねり、耕一はそんな彼女を抱き寄せ…ささやかに唇どうしに角度をつけ、そのまま眠ってしまったように目を伏せて長い長いキスに浸っている。先程の恥じらいやはにかみはどこへ行ってしまったのだろうか。

 そして、ようやく唇が離れたかと思うと…二人は愛しげに目を細めて見つめ合い、覗き見られていることにも気付かず再び唇を重ねた。そのキスもまた長く、千鶴は身じろぎしながら耕一の背中へと両手を伸ばしていく。これで二人の結びつきはより強いものになった。見たまま、恋人どうしの熱い熱い抱擁である。

かあっ…。

「か、か、楓おねえちゃあん…!」

「は、初音…やっぱり帰りましょう…?」

 楓も初音も頬が熱くなるのを感じ、回れ右するなり急いで病室を後にした。

 だから…キスの最中に薄目を開けた千鶴が、わずかに開いたドアの隙間を横目で眺め、悪戯っぽく微笑んだことまでは気付かなかったのである。

 

 

 

おわり。

 

 

 


(update 99/09/03)