幸福の褥“しとね”



















十六夜の月が青い光を投げかけてくる。





夜半過ぎ。





霜月も半ばを過ぎれば冷え込みは厳しい。降雪こそまだだが、文字通り霜が降る。





そのような寒さにも彼女は毅然と立っていた。むしろ身体は火照っている。これからの覚悟と行為を思えば、これほどの寒さなど微塵の苦にもならぬ。





足音を立てぬよう廊下を渡り、離れの一室へと赴く。





障子の取っ手に手を伸ばし、軽く呼吸を整える。それほどの身体を行使したわけでもないのに、吐く息は燃えるように熱い。





僅かな逡巡のあと、意を決して障子を引き、室内へと忍び込む。夜気が入り込む前に障子を閉ざす。この間、物音一つ立てないのは彼女が培った技術の賜物である。





薄暗い座敷の中央に、彼女の思い人はいた。仰向けに寝具に横たわるその姿を見て、彼女は鎮座する氷の刃を連想する。決して時候のせいだけではあるまい。





男性にしては端正な造りの睫毛が、微かに瞬く。





「・・・・操か」





「はい」





巻町操は我知らず背筋を正す。





彼女の思い人たる四乃森蒼紫は、掛け布団をのけ、痩身だが鍛え抜かれた上体を起こす。





「今時分、何のようだ?」





・・・・・この発言こそが、蒼紫の蒼紫たる所以であり、この男の救いがたいところだろう。





彼の目前に立つ操は、純白の襦袢に普段編まれている髪をほどき腰まで垂らしていた。少しばかり開いた胸襟からは、小振りだが形の良い双丘が、扇情的な陰影を形作っている。





この姿を見て、何をしに来たなどと問うのは野暮の極みであろうし、彼の男性本能すら疑いたくなる。





その言葉に臆するでもなく、操は膝を折り、蒼紫に対して三つ指をついた。





「あたしを抱いて下さい・・・」





微かな言葉は語尾を震わせながら部屋の四隅へと拡散していく。





蒼紫は表情を毛ほども動かさず、静かに口を開いた。





「まだ早かろう」





「あたしも十八です!」





思いもかけず強い言葉が口を出た。





今日は彼女の十八の誕生日であった。俗に十八女を『さかり』と読む。操にしてみれば、今更年齢云々を楯に突っぱねられるわけにはいかなかった。





蒼紫は微かに眉を顰める。





「だからといって夜這いとは感心せん。翁の入れ知恵か」





夜這いという単語に羞恥を刺激されたのか、操の顔が見る見る朱に染まる。





もっとも蒼紫の発言自体本末転倒である。本来夜這いとは男が女のところに通い詰めるのが普通であって、操にいたっては、蒼紫に微塵もその気配が感じられないのを察し、彼女なりに逆手を取った結果である。むしろ非難されるべきは男のほうであろう。





もっとも相思相愛という前提条件がつくが。





「蒼紫さまは・・・・あたしのことが好きですか?」





操は直截的に切り出す。





彼女はほとんど本能的に問うていた。





自らの想いを確信へと変えたいがために。





その答えと想いの間に差違があるかも知れないなどと微塵も考えてないところは、彼女らしいといえば彼女らしい。





「・・・・無論だ」





短い沈黙のあと、想い人の口から出た言葉は、彼女の質問を肯定するものだった。





「だったら・・・・・・・」





喜色を浮かべる操に蒼紫は言い放つ。





「だが、お前を抱くことはできん」





どうして、という言葉を操は辛うじて飲み込む。





彼女にも察するところがあった。





かつて御庭番衆の頭である蒼紫を守らんがために、みずからの命を擲った仲間たち。






今の蒼紫の命は彼らの上に成り立っている。





彼らに対して慙愧の念に駆られた蒼紫は、生涯独身を通すことを自らに課したのではないか?






彼らは誰一人として、妻を娶ることもできず逝ったのだから。





操が感じたことを蒼紫も察したらしく重々しく口を開く。





「そうではない。やつらに対する供養は済ませたのだ」





「では・・・」





操は蒼紫の瞳を真っ直ぐ見つめる。





蒼紫は普通の男なら、矜持にかけても口に出来ないようなことをさらりと操に告げた。





「俺の一物は役にたたん」





「え?」





呆気に取られ意味を図りかねている操に彼は続ける。その口元には微かに自嘲の歪みがある。





「あいつらに最強の華を供えることは出来なかったのは心残りではあるが、自責の念はない。
隠密御庭番衆最後の頭としての務めにも蟠るところは微塵もない。
にも関わらず、そう心定めた時からか、俺は勃たなくなった」





淡々と口にしてはいるが、彼には珍しい饒舌である。





「故にお前を抱くことはできんのだ」





操は俯いたままだ。





柔らかい拒絶に項垂れているのか、はたまた話の内容に羞恥を掻き立てられているのかはわからない。





「居ずまいを糺して部屋へ戻れ」





しばしの沈黙の後、蒼紫は俯いたままの操の肩に手をかけ、廊下へと促そうとした。





刹那、手に触れていた肩の温もりごと柔らかく温かい塊が、彼の懐に飛び込んできた。





蒼紫が口を開くより早く、操の両手が彼の下半身へと向かっていた。





「勃たないなら、あたしが勃てて見せます・・・・」





そう消え入るような声で宣言した操の顔は火を吹かんばかりだ。ただしその両眼は真剣そのものであった。





蒼紫は少し躊躇った後、操の肩に手をかけようとして止めた。





結局彼女に委ねることにしたらしく、だらりと両手を垂れ、その場に立ち尽くす。論より証拠と思ったのかも知れぬ。





操は蒼紫の前に膝立ちになる。そうすると丁度彼女の目前に蒼紫の股間が来る。





彼女は躊躇することなく蒼紫の下履きへと手を伸ばす。





とんでもない行動をしているのは頭のどこかで理解しているのだが、どうにも止まらない。嵐で氾濫する川に飲み込まれたかの如くただ流されていく。





高熱にうなされたような手つきで、操は蒼紫の衣服から、彼自身を取り出す。





羞恥心は極限まで募り飽和状態となる。





初めて見る想い人のそれ。幼少のころ見た翁のとも、十本刀を名乗ったあの男女のとも違う。





力無く項垂れるそれに対し、彼女のは不思議な愛おしさを感じた。





それが恋の成せる業なのかは定かではない。





確かなのは、次の瞬間には、彼女の羞恥心が弾け飛んだということだ。





やおら白く細い指を男根に絡ませると愛おしげに撫で上げる。





愛撫と呼ぶにはあまりにも稚拙な動きであったが、彼女は必死であった。




頭が一瞬真っ白になる。それでも必死に自らの記憶をまさぐる。





まだ生娘である彼女の性知識は、体験ではなく、伝聞のものばかりである。





取りあえず男女がどのような行為をするかという漠然とした知識はあるが、手管などは一切身についているわけがない。





それでも男性自身が屹立せねば、彼の人と結ばれぬということだけは分かる。





必死で股間をまさぐる操の痴態を、蒼紫は無言で見下ろしている。





その瞳に微かな温度があったのは操にとって救いかも知れぬ。





しかし彼女の必死の奉仕にもかかわらず彼の男性自身は微動だにすらしなかった。





「これで分かっただろう」





蒼紫は抑揚のない声で告げる。操は顔を上げて蒼紫の顔を見たが、すぐに視線を降ろすと愛撫を再開する。





「もうよせ」





二度に渡る蒼紫の制止にも彼女は手を止めない。





ただ無言で頭を振ると、手を動かし続ける。もはやこれが最後の機会とばかりに。






「やめろ」





蒼紫は操の手を掴み、強引に行為を中断させる。





その掴んだ手に温かいものが降りかかった。





「操・・・・・・?」





長身を屈め、俯いたままの顔をのぞきこむと、操は泣いていた。





大きな眼から止め止めもなく水晶の粒が盛り上がり、片端から零れていく。





それが、彼女の手と繋がれた想い人の手を濡らしていく。





声を漏らさず、肩を震わせながら操は泣き続ける。





その光景を目にしたとき、蒼紫の中でなにかがざわめいた。穏やかな水面がさざめくが如く、静かに波紋が心中を広がっていく。





その水面の奥底に眠る呪縛に彼自身気づいていなかった。







彼の不能の理由は、実は他者によるものではなく、彼自身の、根本的なものであった。





すなわち、自らに流れる修羅の血。それが後世へと残されることに対する懸念と恐怖。





自らの中に巣くった修羅の血を何よりも畏れているのは彼自身だったのである。





それゆえに彼の身体は呪縛された。自らの血を残さない。





それは恐ろしく直截的に彼自身の機能に作用したのであった。すなわち、男性器の不能として。





操の涙は彼の心の表面を波だてるが、けして内面まで穿つことはない。





潮時か。





蒼紫は顔を上げる。





もはやこれ以上続けても事態は変わらないと判断してのことだった。





未だ泣き続ける操の両脇に手を入れて彼女を立たせようとする。





その時、操の口から嗚咽と共に言葉が洩れた。





「般若くんたちは不幸だったかも知れない。でも・・・・」





涙で溢れた瞳は焦点すら結んでおらず、口調も独り言に近い。





「あたしまで不幸にしないで・・・・」





彼女の本心。





あまりにも純粋な我が儘。





それが蒼紫に与えた効果は絶大だった。





「・・・・・・・!」





その言葉は想いという刃を纏い、彼の内面深く切り込んでいた。





そして確かに何かを断った。





硬直している蒼紫に対し、操の瞳は焦点を取り戻す。





そして彼女は健気に泣きながらも、彼の男根への愛撫を再開した。





「きゃ!」





操の短い悲鳴で蒼紫は我に返った。





どうしたと声をかける前に、自らの身体の異変に気付き慄然とする。





いや、それは若い男性としては当然の反応。





彼の男性自身はその機能を十全に取り戻していた。





隆々と天を仰ぐそれを見て、操が悲鳴を上げたのも無理もない。





反り返った太刀を思わせる見事な一物だった。





「あ、あの」





顔を両手で覆い戦いている操に対し蒼紫はいった。





「後悔するな」





それは彼女に対して無用の詮索であった。





彼女の心は既に定まっていた。恐らく物心がついた時から。自分を見守っている視線に気づいた時から・・・・・。





「蒼紫さま・・・・」




そっと自分の胸元に寄りかかる操を受け止めながら、蒼紫は、この男にしては珍しく照れたような笑みを貼り付け訂正した。





「違った。後悔は・・・・させない」




操は頬を染めながら頷く。





寄り添った二人の唇が自然と重なる。




最初は啄むように。





次第に激しく舌を絡める。





蒼紫の手が操の細い肩を撫でるように襦袢をとき落とす。





桃色に染まった裸身が彼の前に露わになった。




見事な裸体である。





各種武芸で鍛えられているが、女性らしさを損なうことはなく、適度に脂肪がのっている。





蒼紫は心地よい弾力を伝えてくる操の裸身を抱きしめると、寝具の上へと転がした。





いささか乱暴なところがこの男の不器用さを現している。




彼も色事に長じてはいない。





隠密御庭番衆として閨房術も修めはしたが、ついぞ実戦に投入することはなかったのである。





それを今日、蒼紫は操に使うつもりだった。




彼とて朴念仁ではないから、この歳まで幾人かの女性と肌を重ねたことはある。




数えるほどの女しか知らないが、その中には生娘もいた。





破瓜の痛みは想像を絶すると聞く。





しかし充分に性感を刺激してやればその痛みも和らぐと、乏しい知識の中にはあった。




蒼紫の鍛えられた指が、操の身体に点在する愉悦の門をこじ開けていく。




乳房。首筋。脇下。脇腹。唇。耳朶。背筋。太股。





もはやそれは蹂躙とすらいって良かった。





もともと恋慕という媚薬に酔っている操は、この未知の快楽をも存分に受け止めることが出来た。





蒼紫の五指と舌が太股の付け根に到達した時には、小指を噛んで嬌声を押さえたほどである。とうてい生娘の反応とは思えぬ。





「いくぞ」





蒼紫は低い声を出すと、屹立したそれを操の股間へと押し当てる。





操が無言で頷くのを確認すると、ゆっくりと挿入を開始した。




卑猥な音を立てながら、操の汚れない花弁がそれを受け止める。





「ひ・・・・ぎっ」





噛みしめた唇から洩れた声に蒼紫は腰を止める。




大丈夫かなどとは聞かぬ。ここまで来て彼も引き返すつもりはない。




操は目だけで大丈夫と告げる。





無言でそれに頷くと蒼紫は行為を再開した。





操にとって無限とも思われるような時間をかけてゆっくりとそれは身体に分け入って来た。




その間に彼女が出来るのは、指を噛みしめ声を押さえるだけ。





それがよりいっそう蒼紫の官能を煽り立て、更に大きさを増した一物がより挿入を困難にすることも知らず。





しかし、終わりは来る。




ようやく、蒼紫のものは、彼女の最奥部へと到達した。





操の瞳からまだ涙が零れた。最愛の人と結ばれたことに対する歓喜の涙だった。





まるで身体の中心を貫かれたのような痛みが全身を駆けめぐっているが、それすら駆逐するこの幸福感は一体何にたとえればいいのだろう?





「動くぞ」





蒼紫の声に操は頷く。入れて終わりではないことぐらい彼女も知っている。





蒼紫は腰を動かす。




操の口から洩れる小さな悲鳴を自ら唇を当て閉じこめた。その唇をも操は噛む。





「・・・・・・・・・!」





数往復の行動を終え、蒼紫の精が操の中へと放たれた。





操はその瞬間破瓜の痛みをも忘れ、全身へと広がっていく幸福感に酔いしれていた。

















二人は新しい寝具にくるまっていた。





互いの温もりを感じながら寝具が暖まっていくのを待つ。





蒼紫の腕枕を享受しながら操は囁いた。





「蒼紫さま・・・・子供欲しいな」





彼女の脳裏には、今年も墓参りに来た緋村夫妻の姿がある。





息子の剣路を抱いた薫はそれは幸福そうに見えた。





蒼紫の身体は一瞬緊張した。しかしすぐにその緊張を解くと、操の肩に手を 廻し静かに答える。





「いずれできよう」





その返事に操は満面の笑みを浮かべると、蒼紫の逞しい胸へと顔を埋めた。












〜終劇〜