広く暗い部屋の中、巨大なコンピューターのディスプレイから放射される光のみが光源となっていた。明らかに

暗すぎる。その部屋の中には、横顔を弱々しい光に照らされながら、男が椅子に座っていた。

 コンコン、とノックの音が鳴り、一人の女がその部屋の中に入ってきた。黒ぶちの眼鏡をかけていて、もし彼女

が眼鏡をかけることによって自分を知性的に見せようとしているのだとしたら、その効果は充分過ぎるほどだろ

う。美人だが、目つきの鋭さから冷たい印象を受けさせられる。

 女は部屋のあまりの暗さに一瞬眉をひそめたが、電気を点けることはしなかった。歩み寄ると、彼女は男の隣

に座った。

「参りました」

 と、女が云った。男は頷いた。

「どうだ? その後は」

「良好です。少なくとも、私の見る限りでは」

「そうか」

「はい」

「例の件はどうだ。セカンドチルドレンはもう乗れんのか」

「結論から言いますと、無理です」

「無理か」

「無理です。私情ではありません。シンクロテストもしてみましたが、最高で27%しか出ませんでした。それに、

たとえ動かせたとしても、彼女にはもう本来の戦いかたはできません」

「どういう意味だ」

「言った通りです。使いものになりません」

「……碇シンジの存在が?」

「ええ。それもあります」

「邪魔だ、と?」

「はい。しかし、どうしようもありません」

「諦めろと言うのか」

「不可能だと言っています」

「違わん。……ファーストチルドレンはどうだ」

「無理です。あれは歳をとりすぎました」

「作ることは」

「不可能ではありませんが、賢い選択だとは思えません。……遣わないことはできないのですか?」

「私の考えられる限りでは、無理だ。……奴を呼ぶことはできるが」

「誰です」

「加持リョウジだ。あれは、私よりも頭が切れる」

「彼は食えません。確かに有能であるとは思いますが」

「遣いづらいか」

「彼は好奇心が強すぎます。それに甘すぎもします。不器用な正義感も持っていますし、遣わないにこしたこと

はないと思います」

「そうか」

「はい」

「しかし、チルドレン……即ちエヴァンゲリオンは遣えないわけだろう」

「はい」

「……考えることにしよう」

「分かりました。失礼してもよろしいですか?」

「他言はするなよ。……一大事なのだ」

「了解しております」

 彼女が席を立ち、部屋を出ようとすると、

「担任教師は楽しいかね」

 と、男の声が続いた。彼女は部屋を出ながら言い残した。

「見ての通りです」

 再び広く暗い部屋に一人になり、男は、大きく息を吐いた。

  


心同体

二個目


  

 昨日、夕方に下校してからすぐに眠ってしまったからだろう。僕は、目覚し時計無しに早起きができた。時計

はまだ午前五時をまわったところだ。念のために腕時計で日付を確認すると、火曜日となっていた。テレビを点

けると、朝のニュースをやっていた。午後五時であるというオチも回避できた様だ。僕は横たわっているソファー

から身を起こし、ストレッチをして固まった体をほぐした。

 僕はキッチンに向かうと、冷蔵庫から卵とベーコンを取りだして、フライパンに油をしいた。ベーコンエッグを作

るつもりだった。

 料理には多少なり自信がある。素人にしては上出来といったところのベーコンエッグができあがると、冷蔵庫

からオレンジジュースを取りだして、ダイニングテーブルに運んだ。トーストを焼いて、簡単だが悪くはない朝食

が完成した。

 それを食べ終えると、いつの間にかアスカが僕のそばに立っていたのに気がついた。

「気分は?」

 と、彼女が訊いた。人を小馬鹿にしたような視線が、やはり癇に障る。僕はため息を一つ吐いた。

「良いよ。もう薬は抜けた」

「そう。ならいい」

 そう言うと、彼女は、シャワールームに歩いていった。ほどなく、シャワーの音が聞こえてきた。僕はやることも

ないので、たった今使った食器を洗うことにした。重ねて流しへ持っていく最中で、ふと考えた。

 ―アスカがものを食べている姿を見たことがないな。

 どうしてだろう、と理由を考えてみようと思ったが、想像もつかなそうだったので、僕はあっさりと諦めた。好き

でもない女のことを深く考える必要なんてさらさらないのだ。僕は皿洗いをはじめた。

 途中、洗剤で滑って皿を一枚割ってしまった。

  

 学校生活は、毎日同じことの繰り返しである。

 朝になったら学校に行き、四時間授業を受けて昼食をとり、また二時間授業を受ける。そして掃除があり、家

に帰る。毎日毎日同じことの繰り返しで、日にち感覚などとうの昔に失ってしまった。

「何しに学校へ行ってるの?」

 と訊かれたら、僕はおそらくこう答えるだろう。「暇潰しに」、と。

 そして、このつまらない反復作業を終わらせるべく、というわけではないが、僕は決まって毎週土曜日に自殺

をしている。正確には、しようとしている。何故土曜日かというと、万一失敗した時に、一日中動けない状態にな

っていても大丈夫だからだ。親と一緒に住んでいないため、平日にそうなると学校への対応に苦労するのだ。

アスカに言わせると、そんな心配をする時点で死にたがってないとのことだが、実際に一度も成功していないの

だから何も言い返せないのである。とはいえ、決して死ぬ意志がないということではない。先週の鎮痛剤にして

も、ちゃんと致死量を確かめてから買ったのだ。

 しかし、死ねない。失敗する度に、体が自分の意志を裏切っている気がして、また死にたくなるものだ。

「アンタ、なんでそんなに死のうとすんの?」

 と、アスカに訊かれたことがある。僕はその時何も答えられなかった。別に彼女が嫌いだから無視をしたわけ

ではない。本当に理由が判らなかったのだ。強いて言えば、「なんとなく」、ということであろうか。たぶん僕の脳

にそういうプログラムが設置されているのだろう。

 ―今日も平凡な一日になるのだろうか。

 そんなことを考えながら学校に着くと、一人の女生徒が僕に小走りに近づいてきた。同じクラスである彼女は

昨日僕の体調を心配してくれたのと同一人物だ。席が隣で、そのせいかちょくちょく話しかけられるのだが、残

念ながら僕は彼女の名前すら正確には覚えていない。確か井中シオリという名前だったと思うのだが、確証は

ない。

 彼女は、アスカの様な派手な美しさは無いが、わりと整った顔立ちをしている。肌は陶器のように滑らかで、

凹凸が全く無い。それが染めていない黒髪と合っていて、学校の男子にもそこそこ人気があるらしい。おとなし

そうに見える外見とは裏腹に言葉遣いは少々乱雑で、それがアスカを連想させてくれるのだが、気に障るとい

うほどではない。しかし、僕は同性異性に関わらずおよそ他人というものに興味が無いので、彼女にアプローチ

するということもなかった。

 つまり、話しかけられない限りは会話をしないのだ。

「おはよ」

 と、彼女が僕と歩調を合わせながら話しかけてきた。僕は彼女の方に顔を向け、

「おはよう」

 と、挨拶を返した。彼女と言葉を交わしたのはそれだけだ。会話と言うには短すぎるやりとりである。僕たち

は黙々と歩を進め、靴を履き替えて教室に入った。

  

 人間、無意識にとる行動は、体に染みついているものである。ということを、改めて思い知らされた。

 早い話が、座る座席を間違えたのだ。

「まだ酔ってるの? あんたの席、そこじゃないよ」

 と、井中シオリさん―僕の記憶は正しかったらしい―に笑いながら云われて気づいたのだ。数瞬の間何が間

違っているのかが理解できなかったほどに素直に間違えていたので、そこの席の男はその間席に座れず困っ

ていた。

 ようやく座席を間違っていることに気がついた僕は、彼に詫びながら席を立ち、正規の座席に戻った。シオリさ

んは僕と駄弁りたがっている様子だったが、僕はそれに気づいていないふりをした。そして、思い出した。

 ―さっき僕が座った席……。

 それは、僕が以前に座っていた席だった。正確に言うと、五年前に座っていた席だ。

 当時エヴァのパイロットとして敵と戦っていた僕とアスカは、戦闘中のトラブルでエヴァに取りこまれてしまった

のだった。そして、肉体的にも精神的にも歳を取らずに五年の歳月を過ごし、最近になって『生き返った』。

 戸籍上、死亡したことになっていたのだ。

 当時の友達は、すでに中学生ではなくなっているどころか大学生である。そのため戻ってきてから2・3度逢っ

ただけで、一緒に遊んだりするということはない。双方にとって、その方が好ましいのだ。

 そして、僕たちは『転校』という形で再び第三新東京中学校二年A組に戻ってきた。マスコミに群がられること

もなく他人に騒がれることもなく平々凡々に戻ってこられたのは、偏にネルフの力のおかげであろう。リツコさん

が担任教師をやっているのも、そのせいなのかもしれない。

 ホームルームのはじまりを告げるチャイムが鳴って、僕はぼうっとしているのをやめさせられた。

 リツコさんが何か連絡事項を言っているようだったが、どうせ大したことではないだろう。僕は、暖かい日差し

の中を飛んで行く鳥を眺めていた。