私は今、玄関の前に立っている。
あ、私の名前は若林アユ。 鮎って字なんだ。
この名前の由来は魚屋である父ちゃんが、平素より飯の種である魚に最大の敬意と愛情を篭めて付けたそうな。
ちなみに私は3人兄妹の末っ子。 一番上が長男である鰊(レン)、二番目が長女で鱧子(レイコ)っていうの。
話は戻ってこの家の表札には 「久保」 と書かれている。 従って目の前にある家は私の家ではない。
ちなみに私ン家は隣にある 「魚辰」 という魚屋だ。
結構歴史があるようで常連さん達でいつも賑やかな店先になる。
私もお店の手伝いをするのでその事は身をもって経験済み。
あ、それから看板娘なんだ、私って。
このラブリーなアユちゃんにかかれば売上倍増は間違い無し...って言ってもお客さんは奥様方だから関係ないかな。
なーんて言ってる間にも時間は流れて行くのでアイツ...タツヤのヤツを早く起こさなきゃ。
ピンポーン ガチャ
「おはようございます。」
朝の挨拶と呼び鈴と同時に目の前のドアを開ける。
勝手知ったるなんとやら、という具合に靴を脱いでお邪魔する。
「おはよう、アユちゃん。」
するとキッチンの方から私を呼ぶ声がした。
「おはようございます、おばさん。」
この人はタツヤのお母さん。
おっとりとした感じの人で、とても優しい女性。
私も将来はこんな人になりたいって思ってるんだ♪
「や、アユちゃん、おはよう。」
「あ、おはようございます、おじさん。」
この人はタツヤのお父さんで、これまた優しそうな感じの人。
しっかしこんなに優しい夫婦からなんでタツヤみたいなのが産まれてきたんだろ?
いっつもボーっとしちゃって...ホント私が着いてなくっちゃ何もできないヤツなんだから。
っと、そうそう、早いトコ起こしに行かなくちゃ遅刻しちゃうよ。
「じゃあ、タツヤの事を起こしてきますネ。」
「いつもすまないわね、アユちゃん。」
「いえ、構いませんよ。
タツヤは弟みたいなモンですから。」
そう言うと私は2階にあるタツヤの部屋に向かった。
階段を登りきってすぐ近くにある部屋、それがタツヤの部屋。
ちなみに隣はおじさんの書斎になってる。
書斎というだけあって、かなりの量の本が置いてあるんだ。
小さい頃は良くタツヤとそこで寝てたっけかな...え、なんで寝てるんだって?
そ、そりゃぁ、本ばっかり見てると眠くなるからよ! 悪い!?
そんな事より早くタツヤの事を起こさなきゃ。
ガチャ
え? ノックをしろだって?
ダメダメ、そんなのしたって返事は返ってこないんだから。
それにこんな風にタツヤの部屋に入るのは今に始まった事じゃないわ。 なんたって幼馴染ってヤツだからね。
さてと...むむ、やっぱり寝てる。 ったくこのおバカは。
それにしても...コイツっていつ見ても幸せそうに寝てるわ。
ホント無防備よね、鼻摘んでやろうかしら。 ヘッヘッヘ...って、ええ? なんでよぉぉ?!
タツヤはいきなり私の頭を押さえ込んで抱き寄せた。
しかも寝ているくせに結構力入ってる。
コ、コイツ何寝ぼけてるんだよ...でも嫌じゃない...って、そうじゃなくってぇ!!
じたばたともがくが意外と力があるので抜け出せない。
こ、こうなったら実力で排除するしか...
「好きです。」
え? コイツ今、なんて言ったの?
す、す、す、好きって、それってひょっとして私に?
タツヤがわたしの事を...
多分今の私の顔は肌色から赤に変わっていると思う。
確かにタツヤの事は好きだけど、それは幼馴染として...
「他の誰よりも君の事が好きです。」
そ、そんな...わ、私だってタツヤの事が...
タツヤの声がいつになく真面目で、その言葉が本当だという事が分かった。
徐々に私の体から力が抜けてくる。
なんだか暖かいな、タツヤの胸って...それに気持ちいい。
今なら素直な気持ちになれそうな気がした。
「タツヤ...私も...」
そう言ってタツヤの顔を見上げたら、すぐそこにあった。
何故だか目が潤んでくる。 あれ、変だよ...私ってそんなに弱かったのかな...
だがタツヤはキョトンとした顔で私の事を見ている。
そして−−−
「なんだ、アユか。」
「なんだ」 って...へ? 今、コイツ...ひょっとして寝ぼけてたってやつ?
じゃ、じゃあ私ってば...
私の怒りゲージが急激に上昇し、それと共に眉が10時10分を指す。
そしてゲージが振り切れた途端に私の拳がタツヤにヒットした。
「何しやがんだ、このバカ!!」
手加減は一切無し! 私は自分の体を守るようにして自分で自分を抱きしめた。
よ・く・も・乙女の純情をぉぉぉ(怒)
よりにもよって、なんだは無いでしょなんだは!
「イテテテテ、ったく何すんだよアユ!
殴って起こすなんて、それでも女か?!」
ブチッ!っと私の中で何かが切れた。
多分タツヤにも聞こえたかもしれない。 それほど頭にきた。
「うるさい、変態タツヤ!
どーせ私は乱暴者よ!」
ドガ!
口と同時に足が出て、タツヤの意識は遠くへと旅立つ。
フン、いい気味よ!
今日という今日はホンっっっトに愛想が尽きたわ!!
私は早足でしかもドスドスと音を立ててタツヤの部屋を出て行った。
同窓会
〜 Yesterday Once More 〜
思い出にかわるまで
第一幕の裏 一番近くに居る他人
「あらアユちゃん、タツヤはどうしたの?」
「タ、タツヤですか...」
いきなりおばさんに声を掛けられた。
しかもタツヤの事だったので、つい先程の事を思い出して顔が赤くなって来るのが自分でも分かった。
ま、まずいな...さっきの事を言うわけにもいかないし...
かといってこのままだと怪しまれそう...なんか言い訳を考えなきゃ。
「あ...ちょっとアタシ、今朝は...当番。」
よし、これよこれ。
苦し紛れに出た答えがこれだった。
「そうです、当番があるんでした。
だからタツヤには先に行くって言っといて下さい!」
とにかくこの場を切り抜けたくて、それだけ言うと急いで学校へと向かった。
なんか安易な言い訳だったかな? あの時のおばさんの顔、笑っていたような...
う〜〜〜〜 それにしてもタツヤのヤツ、いきなりアレは無いだろ!
何が 「なんだ、アユか。」 だよ! 私の事をなんだと思ってるんだ!!
そりゃあ私達は幼馴染よ、けど私だって女の子なんだから...あんな事されたら...ポ
その時の事を思い出してまた顔が赤くなる。
私を抱いて...好きって言ってくれた...けどそれは多分私じゃない...
そう思うだけでなんか胸の辺りがもやもやしてきた。
じゃあ一体誰なの?
気が付くと走るスピードが落ちてきて最後には立ち尽くしていた。
タツヤが私じゃない他の女の子の事を見ていると思っただけでこんな気持ちになるなんて...
いつも一緒に居たアイツ、いつまでも傍に居てくれると思ってた。
けどそれは違う...いつかアイツは...って何考えてんのよ私は。
アイツは幼馴染、それ以上でもそれ以下でもないんだから。 さ、早いとこ学校に行こう。
再び走り始めて学校に向かう。
私の学校は 『桜第三中学校』 略して桜三中。
で、学校まで走ってだいたい10分ぐらいかな?
それを良い事にアイツはギリギリまで寝ちゃってぇ。 それに朝練ってモノもあるでしょう!
そんな事を考えていたら無性に腹が立ってきて走るスピードも上がってきた。
「あ、もうこんなトコなんだ。 あそこを曲がれば...
ってあれ? あの人なにやってんだろ?」
気が付くと女の子がうずくまっていた。
しかもここら辺では見ない制服を着ている。 これは一体?
「あのー どうしたんですか?
何か困った事でも?」
そう言って女の子の顔を見る。 でもこっちから見えるのは横顔だけだった。
...かわいい...って私は何考えてんのよ! そっちの気がある訳でもないんだから!
でもこの子、一体どうしたんだろ?
「...あ、スイマセン...ちょっとつまづいてしまって...」
その子は力無く答えた。 それになんだか具合が悪そうに見える。
チラッと彼女の顔を正面から見ると驚いた。
「ちょ、ちょっとどうしたの?
顔色すごく悪いじゃない...それに熱もある。」
私は彼女を支えるように肩を貸した。 その途端に彼女の全体重が掛かる。
...軽い、この子。 とにかくどこかに運ばなくちゃ。
そう思って辺りを見回すと他に誰も居ない。 それにここから一番近いのは...
先ず最初に思いついたところは、私の学校だった。
「ねえキミ、ここから一番近いのは私の学校なんだ。
とにかくそこの保健室に...」
「...桜、第三中学...ですね...」
力無く答えるその姿が痛々しかった。
でもこの子って一体どこの子なんだろ? 歳は私と同じぐらいだし...この制服は初めて見るし...
っと、そんな事考えてる場合じゃないわ、早くこの子を保健室に。
「すぐ着くから大丈夫よ。」
☆★☆★☆
ガラガラ
「おはようございます...あれ、誰も居ない。」
やっとの思いで保健室に入ると誰も居なかった。
急患なんだけど...とにかくこの子をベットに寝かせよう。
彼女をこのままにしていられないのでベットに運んだ。
取り敢えず靴を脱がして...それから楽な格好にして...後は布団を掛けてと。
まだ苦しそうな表情を見せていたのでまさかと思い、彼女のおでこに手を当てた。
「ウソ、熱が上がってるじゃない?!」
熱が下がるどころか上がっているようだった。
と、とにかく冷やさなきゃ...えーと...ええい、ハンカチで我慢してもらおう。
自分のハンカチを水道で濡らし、固く絞ってから彼女の額に当てる。
しばらくするとその苦しい表情も取れてきたのを見て私はホッとした。
「ふぅ〜 これで一安心ね。
でもこの子一体何処の子なんだろ?」
改めてその顔をじっと見る。
むむむ...やっぱりかわいい子ね。 タツヤもこんな子がタイプなのかな?
髪が長くておとなしそうで...ってなんでタツヤの名前がここで出てくるのよ!
慌ててその考えを消そうと頭を振る。
全くアイツの所為だ、アイツが今朝あんな事をするから...でもアイツって結構力あったんだな...ポ。
ダー そうじゃなくてぇ!
「あら、何をやってるの、若林さん。」
苦悩する中、校医の先生がやってきた。
今までの私の姿を見ていたようで呆れた顔をしている。
も〜 これというのもみんなタツヤの所為だ!
ま、そんな事よりあの子の事ね。
「あ、それよりも急患なんです!
今ベットに寝かせてるので...」
チラリと視線をあの子に向ける。
ホ、だいぶ落ち着いたみたいね、静かに眠ってる。
先生は慌ててあの子の傍に行って容態を診る。 さっすが校医の先生、手慣れてるわ。
あ、そうだあの子この学校の子じゃないんだっけ。
「それから先生、その子ウチの生徒じゃないんですけど。」
「あら、ホントね...ふむ、今は静かに寝てるだけか。
ちょっと熱があるようだけど。
ま、この子の事は任せなさい。 それよりもそろそろ始まるわよ。」
本当だった。 保健室に備え付けの時計は既に10分前を指している。
ちょっとこの子の事が気になるけど先生に任せておけば大丈夫ね。
私は先生にその子の事を任せて教室へと向かった。
どうやら保健室に入ってからだいぶ経っていたようで、校内は人で一杯だった。
「アユ!」
振り返るとそこには私の親友の緒方シズカが居た。
シズカは今来たようで上履きに履き替えているところだ。
むむむ、この子も結構キレイな子なんだよね...髪が長くてスラリとした体型で...それにタツヤとは気が合うみたいだし。
あれ、なんでまたタツヤの事を? グッ、やっぱり今朝の事が。
「? 私の顔に何か着いてるのか?」
私がじっと見ている事が気になったのか、シズカがキョトンとした表情で聞いてきた。
「なんでも無い! なんでも無いんだ、アハハハハ...」
「変なヤツだなぁ。」
「と、とにかく教室に行こうよシズカ。」
まさかタツヤの事を考えてたなんて口が裂けても言えない。
私はその事を悟られぬようにしてシズカを教室に連れてった。
む〜〜〜〜 タツヤの事ばっかり頭に浮かぶ! こうなったのもアイツの所為だ! これは何か奢らせるしかないわね。
ガラガラ
教室に入るとほとんどのクラスメイトが居た。
一通り見渡したけどタツヤの姿は無い...アイツまだ来てないのか...
「あれれ、無いぞ。 私のバッグが...」
席に着いてみてその事に気付いた。
いくら探しても無い...あれ、そう言えばあの子を連れてきた時も持ってなかったような。
けど朝ウチを出る時はちゃんとこの手に持ってたぞ。
となると...
瞬時にタツヤの顔が浮かんだ。
ア・イ・ツ〜 慌てて出ちゃったからその時に忘れてたのね!
「ようアユ、タツヤのヤツはどうしたんだ?」
「ヨウスケか、オハヨー。」
物思いにふけってると聞きなれたヨウスケの声が私を呼ぶ。
コイツは滝口ヨウスケで、タツヤの悪友なんだ。
いっつも女の子の話ばっかりしてる軟派なヤツ。 どうせ今回もご多分に漏れず...
「知ってるか、今日転校生が来るんだってさ。」
「その転校生って女だろ?」
シズカが呆れた感じで答えた。
ハハハ、シズカもヨウスケの考えはお見通しって訳ね。
「なんだ、知ってたのかよ?」
「知ってるも何も、オマエが話す事って言ったら女の事だけだろ?
な、アユ。」
「そーそー、ヨウスケってそう言う事になると鼻が利くのよね。」
あれれ、ひょっとして今朝のあの子って...
急にあの子を思い出した。
転校生−−− そう言えばあの子の制服ってここじゃあ見ないわよね。
じゃあやっぱり転校生って...
「オハヨー。」
聞き慣れた声が響く。
そう、私にとってこの声は13年間ずっと聞いていた声。
幼馴染だから当たり前か。
久保タツヤがやっと教室に現れた。
全くアイツのお陰で今朝は散々だったな。 いきなり私の事を抱きしめて...それから...好きです、か...ポ
「ど、どうしたんだ、アユ?
顔が赤いぞ。」
「ウソ!? や、やだなぁシズカ、私はタツヤの事なんか...」
あれれ? シズカの顔がにやけてる。 どったの?
「なんでタツヤの名前が出てくるんだぁ?
そっかぁ、やっぱりアユはタツヤの事を。 うんうん。」
あ、あ、やっば〜〜〜
プシューという音が似合うくらいに私の顔が赤くなった。
シズカはシズカで一人納得した顔で腕を組んで頷いている。
ちょっとぉ〜〜〜〜 そうじゃないんだからぁ!
「ほらよ、忘れ物だぜ。」
「タ、タツヤ...」
あっちゃー 今話し掛けて来ないで、タツヤ。
アーン、やっぱりシズカは面白そうに見てる...あれ、タツヤが持ってるのって。
良く見るとタツヤは私のバッグをぶら下げてた。
「忘れ物なんかすんじゃねーよ。
届けるオレの身にもなってくれ。」
やっぱりそうだったんだ。
でもまあちゃんと持ってきてくれたんだから良しとするかな。
でもおばさんになんか言われたのかな? あの状況じゃとてもじゃないけどバレバレな感じだったからな。
「ゴ、ゴメン。」
何故か口にしたのはその言葉だった。 しかもあいつの顔が見れない。
悪いのはタツヤなのになんで謝ってんだろ?
「ま、まあこれからは気を付けてくれよ。」
タツヤはそれだけ言うと自分の席に行ってしまった。
それを目で追っている事にしばらくしてから気付いた。
こんな気持ちでアイツの背中を見るなんて...なんでアイツを考えただけでこんな気持ちに...?
アイツと私は幼馴染なだけなのに...アイツは私の事なんか...
「どうしたんだ、アユ。
今日のオマエなんだか変だぞ。」
「な、なんでもないよ、シズカ...」
それだけ言うのがやっとだった。
私は初めての気持ちに戸惑っていた。
☆★☆★☆
ガラガラ
担任の先生がきたみたいね。
それを合図にみんながそれぞれの席に急いで着く。
全員が揃ったのを確認すると、先生は朝の挨拶を始める。
けどいつもとは違った。 そう、転校生が来たからだ。
「あ〜〜〜、前から話していた転校生を紹介する。
入りなさい。」
先生の声と同時にドアが開く。
あ、やっぱりあの子だ。
そこに居た転校生は予想通り今朝の女の子だった。
あらら、恥ずかしそうに俯いちゃって。
先生の横に着くと先生がみんなに向かってあの子の紹介を始める。
「今日から新しくクラスメイトになる−−−−−
おっと、自己紹介は自分で言った方がいいか。」
先生があの子を促す。
やっぱり自己紹介は自分の口から言った方が良いわよね。
カツカツカツ
あの子が黒板に名前を書き始めた。
何々、こばやかわ、みずほ...って読むのかな。
名前を書き終わるとミズホはクルリと振りかえり、恥ずかしがりながらも顔を上げて自己紹介を始める。
「小早川ミズホです。」
キレイな声だった。 でも何処と無く頼りない...
「北海道から引っ越してきました。
まだこちらの方には慣れていないのでご迷惑を掛けると思いますが、よろしくお願いします。」
でも大丈夫なのかな、あの子。 ねえ、タツ...
タツヤは転校生−−− 小早川ミズホを普段は見せない目で見詰めていた。
いつものボーっとした表情ではなく...なんていうか...見惚れている...ように見える。
ひょっとしてタツやは−−−
タツヤとは産まれた時からずっと一緒だった。 幼稚園、小学校、そして中学と...
そんな時がすっと続くといいと思っていた。
...でもいつかは来ると思っていた時が、すぐそこに迫っていたかも知れない。
いずれタツヤは私じゃない他の誰かを選んで−−−
こんなに近くに居るのに...一番近くに居るのに、アイツは私の事を...
今のタツヤを見ていたら、そんな考えが頭から離れなかった。
つづく