平凡な休みの日の事である。
この日は何時もより一寸だけ雰囲気が違った。
そう、彼女の様子がおかしかったのである。
そして、この残酷な一言で始まる。
「浮気したわね」
その声は世界を凍り付かせるような、そんな冷たさが含まれていた。
赤い瞳が一層の怒りを帯びている様にも見える。
「そ、そんな浮気なんて…ぼ、僕はそんな事してないよ!」
明らかに動揺した声。
その声には多少の脅えも感じられる。
「嘘ばっかり、その態度でもう判るわ。貴方は浮気するような人じゃないと思っていたのにね…」
彼が言うには『してない』らしい。
とは言っても、もはや肯定しているも同然の言い様に彼女の怒りは、今、正に頂点に達しようとしている。
実際、彼は浮気などしていないのだが元来の性格のためか、若しくはトラブルを呼びやすいのか、このような言い回しになってしまうようだ。
「往生際が悪いわ…素直に認めたら?」
彼女の声は震えている。
情けなさに涙も出ないと言った感じだ。
「そうよね。やっぱり私なんかより普通の娘の方が言いわ…よね…。私みたいな、こんな気味悪い位の白い肌じゃないし、それに赤い瞳なんて気味が悪いでしょうし…」
怒りと言うより段々と卑屈になっているのか、彼女は自分自身を虐げ始めた。
「何もそんなことは言ってないだろ!どうしてそういう事、そんな風な事を言うんだよ!」
どうも彼の方も少し、抑え調子が抜けてきたようだ。
「何?開き直るの?」
彼女の方も段々と抑えてきた感情が露わに為ってきた所為か、今回の事の発端であるモノを切り出した。
「なんて言ったかしら?彼女、わざわざ家に電話してきたわ。霧島さん?可愛い声出して『碇主任はいらっしゃいますか?』なんて…」
彼女はその霧島さんの声を摸して、辛酸な皮肉を言った。
更に皮肉な事には本当にそっくりな声だ。
「そんな、仕事の事かもしれないじゃないか、会社からの電話だったんだろ?」
会社からの電話で嫉妬されたら堪らないだろう、が、彼は重大なミスを犯した。
「そう。『かもしれない』ね。ならば他の事って場合も在る訳ね。そうね…例えばデートの待ち合わせとか?そういえば何時だったかしら、私も彼女に会った事あるわ。確か…ショートカットで如何にもって感じのかわいこ瞳で、正しく貴方好みね」
彼の方も流石に頭に来たらしく、
「そう、そんなに僕に信用無いんだ!」
と言って、傍らに在ったコートを引っ手繰ると大きな足音を響かせながら、玄関を出て冬の寒空の中へと消えて行った。
バタンと閉じられた扉を睨む赤い瞳から一筋の雫が零れた。
「碇君の馬鹿…」
虚しい空間の中には、彼女の涙声だけが寂しげに残った。
「はぁ〜何やってんだろ、俺…」
シンジの呟きは何処と無く悲しみと、そして淋しさに溢れていた。
そんな時だった、後ろの方から知っている声が聞こえてきた。
「碇主任、こんにちは」
元気そうな声。
悩みも不安も吹き飛ばすような笑顔がそこにはあった。
今回の事の元凶である会社の自分の部下である霧島マナ、その人だった。
「あっ、霧島さん。どうしたの?今日は休みでしょ?」
思わず上擦った声が出そうになる。
それもそうだ、さっきの修羅場とも言えなくも無かった状況を作った影の主役だったのだから。
それでも、声を押さえながら何時も通りの挨拶。
無難で平凡、ある意味で此れが彼のアビリティー見たいなモノであろう。
「あ、なんか酷いですよ、その言い方。私だって休みの日ぐらい買い物位しますよ。尤も給料日前なんでウインドショッピングですけどね」
最後はエヘっと、普通の状況だったらくらくらっと来るような笑顔を余りに自然に作る。
彼女自信も気付かないでやっているだろう。
しかし、彼女の笑みは今の彼、シンジには余りに厳しかった。
「そう言う碇主任もどうしたんです?こんな休みの日に?奥さんはどうしたんです?」
悪気はない、とは言っても今のシンジのとっての琴線である。
少しだけ腹が立ったが、まぁ、それが彼女らしいと言ったらそれまでなのだが。
しかし相当厳しい事を聞かれどう答えて良いか判らずシンジは、
「はは、は…まぁ、もう少ししたら来るんじゃない?」
としか答えるしかなかった。
笑い声は乾いている。
ここで一つ、先述述べたが彼はトラブルを呼びやすいのか、又此処でも彼は呼び寄せてしまったらしい。
偶然に偶然を重ねた不運、若しくは最悪のトラブルと言う奴だ。
そんなこんなでマナと話を話している時だった。
シンジの世界が止まった。
瞳に映るのは、彼の妻である人、碇レイが彼女が笑っていた。
瞳だけは笑っていなかったが。
レイはどうも飛び出したシンジの事が気になって追いかけてきたのである。
彼の様子が可笑しい事に気付いたのか“霧島さん”と呼ばれた女性は彼の視線を辿って見ると、其処には会社の行事事で一度会った事の在る女性が居た。
一瞬誰かは判らなかったが、彼女が自分の上司である碇シンジの妻である事が判ったらしく、
「あ、こんにちは、何時も主任には御世話になってます」
と、社交事例的な挨拶を交わした。
一方、レイの方はチラと彼の方を睨むと、
「いいえ、こちらこそ。主人が御世話になっているそうで、これからも宜しくお願いしますね」
と、彼女に気付かれない様な、極めて読みにくい視線で彼女を見定めていた。
シンジはと言うと、この状況に焦っている中でも、
『この女、よくもまぁ、ぬけぬけと…。それにしても良く笑顔でこんな事が言えるな』
と、等と冷淡に見ていた。
レイが鋭い視線を戻した時にそんな考えは何処かへ行ったようだが。
この様な極めて危険な状況下の中でもう一つの声が混じって来た。
「お〜い、マナ〜!」
彼にとって何処か聞き覚えの在る男の声だった。
「ムサシ、遅いじゃないのよ!」
それに対するマナの一寸怒気の含まれた応答に彼は、此れはひょっとして、と思った。
「わりぃ。電車に乗り遅れちゃってさ…って、あれ?一緒に居るの碇主任じゃないですか、どうしたんです?」
この少し呆けたような声の主は彼の部下のムサシであった。
そんなムサシにレイがちょこっと頭を下げたので、ムサシも挨拶を返す。
「へー主任、今日は奥さんと一緒なんですか。ふーん、夫婦揃って、ってな所ですか。いや〜良いな〜」
と、独り合点してはいるが、普通はそう見るだろう。
「いやね、折角の休みだからって事で買い物にね。それは良いとして、そう言う君はどうしたんだい?」
彼は少しでもレイの事から避けたかったのか、不躾にムサシに質問した。
「いや、その…なんて言うかな〜?ま、霧島の買い物に付き合いに来ただけっすよ」
と、シンジに、そして意味ありげな視線をマナに向けて言った。
マナはそれに対して、
「随分な言い草ね、ムサシ。先に誘っておいて後れて来るとはね〜?どう言う了見かしら、説明してくれる?」
と、睨みを入れる。
ムサシはおーっと、と恍けたように視線をマナからずらす。
シンジはそんな二人の只ならぬ雰囲気に、また、新たな事実に驚いて、
「しかし君たちが付き合ってるとは知らなかったな、全く驚いたよ」
と、ほっとした様に、遠回しであるが傍らに居るレイに漏らす。
彼らは彼らで、
「「そんな、別に付き合ってる訳じゃ・・」」
とシンクロしながら答える。
肯定している様な言い草にシンジは苦笑して、レイを一瞥すると、
「じゃ、僕たちはそろそろ行くよ。又明日」
マナもシンジの一寸した心遣いに感謝しながら、
「はい、私達も行きますね。じゃあ、主任、又明日」
「あ、それからこの事は部の連中には内緒にしといて下さいよ」
と漏らしたのはムサシ。
シンジは又も苦笑しながらわかってるよ、と言って二人と別れた。
シンジは白だった。
そんな無難な答えと共に在る一つの疑惑は解けたわけである。
その後、ちょっとした気不味い雰囲気では在ったが、彼は何事も無かったの如く、
「これからどうしよっか」
と、少々ぎこちなく、まるで作ったような台詞を言った。
「もし良かったらさ、どっかで買い物でもして帰らない?」
と、言うとレイに笑顔を向けた。
レイはさっきまでの嫉妬に狂った自分に恥ずかしくなると同時に、シンジの事を信頼しきれなかった事で居た堪れなくなって、
「あの…今日は御免なさい」
と、彼女は下を向いてしゅん、と本当に申し訳無さそうに謝る。
「もういいよ、レイ、でもそれより何処に行く?夕飯までには時間あるから、このままデートにしない?」
シンジは言った。
「はい!」
と、レイは満点の笑顔だ。
この笑顔を見せて貰えるなら、シンジは何をも厭わないだろう、きっと。
シンジは、誤解が解けた途端、レイが嫉妬してくれている事が、少しだけ嬉しくなった。
ここまで嫉妬されるとちょっと困るのだが、それでも、悪くは無いと思った。
後書き
やっぱりレイです!
今回もレイなんです!
ALICE氏より一言『いや〜、やっぱレイちゃんは良いっすよね〜』
との事です。
以上です。