【ブルーセンチネル−for1217−

オルセナ−街へ

作・文





天の神々の涙、大地への恵みが降り注いでいる。

広大な大地の上に横たわる、鬱蒼とした森に走るか細い亀裂。

その山越えの街道で、ぬかるむ足元にゆっくりと歩を進める人影が二つ。

雨具のマントを目深に被っているため顔は窺い知れないが、

この天候を押して道を急ぐには、些か無謀に感じられる体躯に見える。


先を行くマントが立ち止まり顔を上げる、つられて後ろのマントも歩を休ませた。

何かを伺っているかの様に遠くを見詰めている。


(?)

ボタボタと音を立てフードに雨粒が落ちてくる、慣れたとは言え耳障りな音だ。

前のマントの奥を見通すように藍色の瞳が覗いている。



「‥5つ、か。 カノ、 少し急ぎましょう。」

「はい。 でも五つって?何ですか?」

「街の時計塔の鐘ですよ。 あと一つでお昼ですね。」

「え‥‥じゃ、街が近いんですね?! よかった、お昼は普通に?! ああ、やっとマントを取れそう。」

立て続けに出る声は甲高く、声の主の軽い昂揚を表していた。

それはこの雨に対する、憂鬱な思いも含まれている証拠といえる。

やや前方を歩いていたマントが振り向きながら、申し訳なさそうに答える。

「いいえ、アハディンの街に着くのはあと‥ふた時は掛かりますよ。」

「それと、お昼には間に合わないから簡易食ですねぇ。」

少々ハスキーだがこの雨の中でもよく通る声だ。


「そんなぁ‥。」

カノと呼ばれた少女は、フードの中に隠れた表情を半泣きにしながら声を漏らす。

(‥けど、歩いてふた時もかかる距離でなんで鐘の音なんか聞こえるの?)

雨の音に紛れたのか、カノの耳は鐘の音などまったく聞こえていなかった。

(やっぱり先生ってすごい!)

多少は五感の鋭さに自信を持っていたカノは改めて先生、

少し前を歩いているマントを見つめて関心していた。


「カノ? 早く来ないと置いて行っちゃいますよ。」

「は はーいっ!」

慌てて急ぎ足で前のマントに追い付こうとする。







それから4リーグ程歩きようやく街が見えてくる、今居る緩やかな丘陵の裾から続く街並み。

城壁に囲まれた街、端の方は雨に霞みよく見えない、

多分街の端から端まで2リーグ以上あるのだろう。


「うわぁ‥大きぃ‥。」

カノの口から感嘆の声が漏れる。

「ここまでの規模の“人間の街”はここくらいですからね

 ‥アハディン、この近隣諸国での人間族最大の都市ですよ。」


「あの‥先生ぇ。」

「どうしました?元気の無い声出して。」

「‥この、とーっても広い街のどの辺りまで行くんですか‥ひょっとして‥反対側とか?」

「正解です。よく解りましたね、カノ」

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!」


「‥冗談です。」

「えぇ?!」


「と言うのも冗談です。」

「もう!どっちなんですか?!」

カノがむくれる、愛くるしい少女はそんな仕草でもかわいらしかった。


「最初の目的地は街の手前側、すぐ近くですよ、安心しなさい。」

「もぅ!先生のイジワルッ!」

「まあまあ、機嫌直してください、これからカノの紹介しなきゃいけないんですから。」

「‥じゃあ九朗様とお会いできるんですか?」

「多分来ているはずですよ。」


今度は顔を赤くして俯いてしまう、なにやら訳ありのようだが連れは見て見ぬふりをしている。

「さてさて、もう約束の時間が来ちゃいますから急がないと。」

しれっと言い放ち再び歩き始める。

カノは下を向いたまま、何やら口をモゴモゴさせながら付いて行く。

「(やっと九朗さまとお会いできるんだ‥どどーしよードキドキしてきちゃった‥)」


(とは言え‥クローとルナシーがどうなってるかにもよりますよねぇ、

 ‥彼女もヤキモチ焼きですから‥)

フードの奥で難しい顔をしているのが一人。

(‥ま、いいか。後は本人たちに任せましょ。)


・・・どうにも大雑把というか、いい加減な性格なのかも知れない。


間もなく二人の目の前に街の外壁が迫ってくる。

まず近づくにつれ高く見えてくる壁をあっけに取られてカノが見上げている、

フードに雨が降り込むのもお構い無しに。

「た、高っかぁい‥」

(二十間以上ありそう…。)

不意にその高い壁を超えて鐘の音が聞こえてくる、かなり大きな音だ。

鐘の音は反響しつつもきっかり六回。

「あらら、‥暮6つが終っちゃいました。」

「鳴りましたね先生、確かに六回、でもそれがどうかしたんですか?」

不思議そうに聞き返す、聞かれた方はいたって落ち着いた調子で、

「ここの城門、暮6つが終った時点で明日の日の出まで開かないんですよね、

もちろん出入りは出来ません。」

「えーーーーーーーっ?!」


「ど、どどどーするんですか?!約束の日って今日じゃなかったんですか?!それに今日の宿どーするんですかーーー?!」

「いやあ‥」

一気に捲し立てるカノとは対照的に、ぽりぽりと頬など掻きながら飽く迄のほほんとした返事と態度。


絶望的な思いで周りを見渡せば、延々とそびえる高い城壁と雨でぬかるんだ地面。

目に付く限り人が生活していそうな場所は毛ほども無い、

城塞都市には付き物の壁外のスラムすらなさそうに見える。


今にも泣き出しそうな顔で目の前の"先生"を見る。

なまじ目前で希望が断たれては無理も無い、

さすがに気まずいのか"先生"の笑顔も心なしか引きつっていた。

「あー‥多分大丈夫だと思うんですけど‥」

「‥なにがどう大丈夫なんですかぁ‥」

半泣きになりジト目で睨む、重ね重ねマイペースな先生にはここまでの旅路、

結構苦労させられていた。


実害こそ全く無かったが、そういう事が続けば心労に繋がるもので、

几帳面な上にまだまだ世間ズレしていないカノにはこの状態で普通に話せる余裕は無かった。


「‥とにかく門の守衛所までいきましょう。」

多少怯んだ様子を見せつつもマイペースは変わらない、

果たしてこの先生どうするのやら。



程なく城門が見えてくる、堅く閉ざされた巨大な扉は重々しく、何者をも拒むかの様に黙している。

城門の周囲には広く深い空堀が作られ、跳ね橋となっている扉が開かねば近づくことすら叶わない。

堀は降り続く雨が溜まり、その底はさながら泥沼の様だ。

「…開いてませんね、先生…」

「…衛兵も詰め所の中か‥どーしましょかねー。」

多少の嫌味を込めたカノの言葉も余り気にした様子も無い、かえって開き直ったのかもしれない。

「せーんーせーいー。」

カノの表情が更に険しさを増す。

「うーん、待ってても無駄みたいですしねぇ‥。」

マントの下で腕を組み片手の人差し指で顎の辺りをテンテンと触っている、何か考えているポーズ。

その視線は城門の上に有る衛兵の詰め所を見つめて。


カノは知っていた、先生がこうして考えている時は大抵はあまり良い事は考えていない事を。

「それじゃこっちから行きましょう。」

ポンと柏手一発、言い放つ先生。

「?こっちからって‥」

カノが確かめる間もなくダッシュを始め、そのまま堀の中へ姿を消し

ズバッ!


いや、跳んでいた。一瞬で短い助走を終えて掻き消える様に遥か城壁の上まで跳ね上がっていた。

「‥嘘‥」

呆気に取られるカノ、こんな真似が出来る人間は他に一人しか知らない。


呆気に取られたままのカノの瞳が何かを見つける、

空を覆う雨雲の切れ目に一瞬鈍い光を放つ巨大な影があった。

「…何?あれ?」

一瞬しか見えなかったが途方もなく巨大な生き物に見えたのだ。

目が合った、そう感じた、いや間違いなく先程のそれは生きている物の眼だった。

カノは自分が一人になっている事を思い出す。

この場所においてそれは圧倒的な重圧となって覆い被さってくる。


寒気が走る。

(…恐い…)

思えば先生に連れ立って故郷だった場所を離れてから、一度も一人になった事は無かったのだ。

常に一定の距離を離れず先生の気配が付き添っていた、偶には五月蝿い程だったが。

今思えば、それは先生の気遣いだったのかもという気もしてくる。


去来する記憶、廻りに広がる瓦礫と化した家屋の群れ。

同じ様に雨が降りすさぶ中、濡れ鼠となり一人泣き続けるしかない小さな自分。


雨音と、加速する自らの鼓動に押し潰されそうになる。


そんなカノの前にゆっくりと扉が降りてきた。

大した時間も経ってはいないが、いったいどういう手で衛兵を納得させたのやら。

「お待たせしました。さて、行きましょうか。」

扉の跳ね橋の先端に乗っかっていた先生がカノへにこやかに告げた。


すんっ‥ぐしっ‥

「‥せんせぇ‥」

「カ、カノ?どうしました?」

やや泡を食った様子でカノに近づく。

「‥スイマセン、一人にしちゃいましたね。‥もう、大丈夫ですから。」

マントの中に招き入れ、愚図るカノをあやしながら街の奥を見る。

(ホントはクローの役目なんですけどねぇ‥)

困った表情をしつつも弟子というより愛娘をあやす様にしながらゆっくりと進む。

やがて二人は街の中へ姿を消していった。


目指すは約束の場所、宿屋竜の巣≠ヨ








次回−『修羅場?!』へと続く