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雨が降り続いていた、一日前夜半に降り始めた雨は止むこと無く大地を濡らし続けている。
大地を耕し糧を得る農耕の民には、程よい雨は何よりの恵みとなる。
野を山を猟の狩場とする狩人達にも、雨は気配を隠し人の匂いを消し去る味方となる。
だが、旅人にとって雨は鬱陶しい物に他ならない。
街道を行くこの男も降り続く雨に辟易していた。
目的がある旅ではなく、急ぐ訳でもない、雨が気になるならば、
街道沿いの宿ででも身を休めれば良い。
たしかにその通りだ。
男が消え入りそうな声で呟く。
「‥‥なんなんだ、この道は‥」
「宿どころか茶屋の一軒もねえとは‥」
そうゆうことらしい、この男2日前に宿を立ってから全く休みも無しで歩き続けたにもかかわらず、
次の宿場に着けないでいる様なのだ。
道は間違ってはいない、第一はっきりとした道は一本きりで、先の宿の親父からはこのまま進めば
2日以内に次の街に着くと聞いていた。
問題は街道沿いだというのに全くと言って良いほど人の生活の跡すらない事と
この男が宿の親父の言葉の馬車か何かで≠ニいう部分を聞き逃した事くらいだが。
結局この男が次の宿場に着くのはたっぷりと日が暮れた頃となる。
高い城壁に囲まれた大きな街は、夜の帷に隠れるかの様に鎮座し、
巨大な城門は堅く閉じられていた。
ここは、街中に在る酒場付きの宿屋。
どこにでも在るような典型的な場所だが、折りからの雨の所為か客足は多くない。
その客達、どれもあまり一般人ぽくない。
大体酒食らっているときに帯剣していたり、鎧着たままの奴が一般人とは思いたくない。
よくよく見回してみれば、そんな感じの連中ばかりといって良い状態。
いわゆる冒険者が集まる宿と言ったところ。
真っ当に暮らす人達から見ればゴロツキの集団ともいう‥
景気も今一つなのか大した活気も無く、空ろな目をした者も見て取れる。
元々が定職など無い連中、気が乗らない雨天の日はまともに働く訳も無い。
しかし、そんな日が2日間も続けば飽きが来るのは世の常で、彼らは刺激に飢えていた。
酔っ払いばかり故喧嘩にもなり易いはずが、仲間意識が強いのか不思議とそんな気配は無い。
そうなれば当然獲物はこの場に馴染みの無い余所者となるが‥
これも世の常という奴で、中々良い間合いで、入り口のドアを開け姿を現す影一つ。
あからさまに余所者と解る風体で暫く入り口に立ち尽くしている。
殆どの客はその格好に一瞬視線を向けたが、すぐに元の酒盛りに戻る、数名を除いて。
丁度良い異邦人に難癖を付けてからかいたがる輩と、もう一つ。
それを冷ややかに見つめる集団が店の一番奥に。
「‥彼、使えると思いますか?」
「5分5分‥かなぁ‥。」
「少なくとも剣の腕は確かだと思う‥けど。」
「けど?」
「それ以外はどうだか‥。」
「まあ、今回はそれ以外あんまり必要ないでしょう?良いんじゃないですか。」
「君がそう言うんなら、構いません。」
ややハスキーな声が二つと
「私もいい〜。文句は無ーし、実力は‥見れそうだしー。」
小気味良いメゾソプラノが一つ、だいぶ間延びした喋り方が気になるが。
「さて‥どうでしょうね。」
最初に疑問を投げかけた人物が呟く、何かを期待した様に、何も気に掛けないかの様に。
入り口に立っていた人物が漸く動き出した、雨の滴が落ちるのを待っていたらしい。
深さの無い円錐状の硬質な帽子を外し、雨を吸い重くなったマントを外す。
中の服装もこの辺りではあまり見かけない物だ、身体の前で重ねる様になっている上着に
幅広の腰帯を締めている、やや太目のズボンと脛の部分を絞るカバーを付けている。
特に目を引いたのはその背に在る大剣、ゆるりとした曲線を持ったやや細身の剣だが、
その長さだ、男の背丈も決して低くはない、どちらかといえばやや大柄と言える。
その肩口から吊るされた剣は先端が地面に触れそうな長さが有った。
これもこの近辺では余り見かけられぬ形式の物。
「‥太刀か、」
奥の連中が誰とも無しに呟く。
(‥やっと、まともに飯が食えるかと思ったのによ‥どこも一緒かよ。)
フ‥
小さな溜め息か鼻息を漏らしつつ入り口の男が中に進む、
半地下になった酒場の階段を降りカウンターに座る、懐から銀貨を出し注文を始める。
「これで食える物と酒をくれ。」
「‥お客さん随分と豪勢だねぇ、それなら10人分は楽に飲み食いできるよ。」
バーテンが答える、偽りではない。この地方ではその程度が相場なのだ。
「それじゃ、俺がもういいって言うまで食いモンを出してくれ。」
そう言って男はニヤリと口で笑う。
「‥はぁ‥。」−変わった客だねぇ、もっともウチの客は殆どが変わりモンだけど‥。
−まさか10人分本気で食う気なのかね‥。
程なく出されてきた料理を瞬く間に平らげる男、続いて二人前、三人前と食べ進める。
然したる巨躯でも無いこの身体に良く入るものだと感心する暇もあればこそ。
人影が数人、男に近づく。
先程から様子を伺っていたゴロツキ風の野郎共。
有りがちな場面どおり声を掛け始める。
「よお、兄さん景気よさそうだな。」
「ここはお近付きの印って事で俺達にも奢ってくれよ。」
‥なかなかお約束の台詞を吐いてくれる。
まあ、酔っ払いに気の利いた台詞を期待するのも酷というものだが。
一方男は聞こえていないのか、無視しているのか、ひたすらに食事を続ける。
「おい、兄さん聞いてんのか?!無視はねぇだろ!」
「おい!」
あくまでも我関せずといった相手の態度に業を煮やしたゴロツキが掴み掛かろうとした刹那、
!
派手な音を立てて折り重なるように吹き飛ばされるゴロツキ二人。
男が動いた気配は無い、相変らず無関心に食事を続けていた、
様に見える。
「こっこの野郎っ!奇妙なおかしな真似しやがって!」
「てめっ!まさか魔法使いかっ?!」
口々に叫び剣に手を掛けようとする。
「お客さん!店ウチでの抜刀は遠慮して下さいよ。」
ウエイターの一声で水を打ったように静まる。
「だっだがよぉ‥」
完全に腰折れとなった状態だが、何とか食い下がろうとする、それも男の一動作で潰えた。
ちらりと連中の方を見ただけだが。
「うく‥くそっ!」
「覚えてやがれ!」
すでに気押されたゴロツキ共は失神したままの仲間を引き摺りつつ、
苦し紛れの捨て台詞を残して酒場を後にする。
「掌打の一撃。」
ゴブレットを磨きながらバーテンが呟く。
男は食事を続ける前に一瞬その言葉に心を留めた。
フン?軽く鼻で笑う。
「…その前に一発入ってるけどぉ。」
いかにも魔導士風の格好の女が言う、先程のメゾソプラノの持ち主。
‥ずずっ
音を立てて陶製の湯飲みを傾ける姿がかなり滑稽なのだが、
逆にそう思わせるだけの美貌の持ち主でもあった。
「そうなの?」
「殺傷力を落とす為にフェイントの風圧で相手を浮かせてたのよー、‥優しいのねぇ。」
流麗な調子で銀髪の月の眼へ小声で説明を続ける、最後の言葉は自らの感想だろうが。
不意に男が奥を向いた、一瞬だけ流される視線、その端に入った一点を見つける。
「‥何してんの?‥ルナシー。」「ちょっとね〜。」
そう言いつつ軽く胸の辺りで手を振る女性、何か楽しそうだ。
ガタッ‥
カウンターの男が席を立ち奥に移動してきた。
(優しいだと?!俺が??!!冗談じゃねぇ!)
男の視線は一点を見ていた、奥に座る女。先程のふざけた台詞を吐いた奴だ。
男は奇妙に苛付いていた、
それ以上に狭くもない酒場内でいったいどうやって先程の声が聞こえるのだろうか。
既に男は目の前に来ていた、苛立った様子は隠そうともしない。
「お前‥妖術使いか?」
憮然とした口調でこれもまたいきなりな台詞だ。
視線は真っ直ぐにルナシーと呼ばれた女に向けられている。
「妖術使いなんてぇ‥魔法使いって言ってくれないかなぁ。」
「どっちでもいい!ふざけやがって、妙な術でわざわざ俺に聞かせやがったな。」
「うーん、いけなかったかなぁ‥?お話しようと思ったんだけど‥。」
「それなら普通に話し掛けろっ!まったく妖術とか魔法とか使える奴ってのは‥。」
「それに優しいだと?誰がだ?!」
男の口調は徐々に激しさを増していく。
「さっきの連中も気絶させただけだし、本気ならあの人達‥生きてないでしょう?」
「‥ふん?あんな連中でも殺しちまうと後が面倒なだけだ。」
「優しいのねぇ。」
そう言って微笑むルナシー。
「ちっ俺は…そう言われんのが一番嫌いなっ!」
男はそこまで言って口篭もる、そして何故か硬直したように見える。
視線の先では、
・・・・ルナシーが泣いていた。
いや、泣きそうな所を我慢している様に目尻に涙を滲ませていた。
(だあああっ!これだから女ってやつはあああっ!!)
「…ったく、分かった分かった!勝手にしろ。」
それだけ言うと踵を返し、カウンターへ戻ろうとす
ガクッ
歩き出そうとして再び硬直、しかし今度は片足上げたままとやけに不自然な姿勢で止まっている。 「‥こ‥ん‥のゃ‥ろぉ!」 「・・・・・フンッ!」 強力な拘束を振り解いたかの様に動き出した。 事実男は動けなかったのだ、何者かに体中を締め付けられた様に指一本動かす事が出来ぬはずだった。 それを強引に撥ね付けたのだ、驚いたのは呪縛した本人であろう。 生半可な事では解けない、怪力で有名な人食い鬼オーガーすら楽に捕縛する術だったのだ。 「なんだってんだ!貴様!」 「お話しましょ‥。」 少し持ち直した様だが、まだ際どい状態かも知れない。 「話す事なんかねえっ!」 ぐすっ‥ 再び泣きそうな顔をするルナシー。 「あああ、泣くなっ!んな事で泣くなあぁっ!」 「お前等こいつの連れだろお!なんとかしろお。」 辺りの女達に話を振ろうとする。どうやらこの男、こういった事は殊更苦手らしい。 「お話‥。」指を軽くくわえる様にして涙眼で見上げる。 蜂蜜色に輝く髪の毛と翡翠の瞳 清楚な美貌と相俟ってその破壊力はたいしたもの、 この表情を無視出来る男がいたら見てみたいものだ。 「ぐ‥‥フーッ、飯食いながらでいいな!これは譲らねえぞ。」 「は〜い。」 大きく溜め息を吐き男は折れた、対してルナシーの嬉しそうな事。 「‥なんなんだまったく‥」 「・・・・んっ・・んむ゛・・で?話ってのは・・なんだ?・・・」 喋るか食べるかどっちかにして欲しいものである。 食べ物を移動させ、食事を続けながら男が聞いてくる。 こうなった原因であるはずのルナシーはというと、男の食べっぷりを微笑みながら見ているだけだったからだ。 頗る上機嫌。 そう形容すべき状態なのだ、先程の半泣きは何処へ行ったのやら。 「あ!まだ名前聞いてないのよねぇ?私ルナシア。周りの人はルナシーって呼ぶの。」 「貴方は?」 男は箸を休め一瞬躊躇した後、話し始める。 「…九朗。」 「‥クロ?」 「九朗くろうだ!」 「クローね?」 「‥ξ‥」(なんか違うぞ‥) 「クロー、とりあえず‥初めまして。」 そう言うとルナシアは満面の笑みで挨拶した。 次回、『関係(姦計)』へ