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都市の城壁がアンジェラの視界の中で次第に大きさを増していく。それにつれて、彼女
の体の中を戦いの興奮にも似た心地よい戦慄が走り抜ける。
知らない都市を訪れるときはいつもそうだ。無論、斥候隊の一員であることを忘れたわ
けではない。だが、その責任感も又スパイスとなって彼女の精神を昂揚させているのだっ
た。
振り返れば既に、本隊は遠くに見えない。玉華達は万一の時、いつでも動けるようにし
ながら、都市から死角になる砂丘の影で待機しているはずであった。斥候隊が報告を携え
戻ってくるまで。そして、その斥候隊を指揮するのは、彼女の祖父の年の離れた弟にあた
るルカスであった。故郷から遠く隔たった異境で一回りも年の離れていない大叔父と冒険
を繰り広げようというのだ。それに少女は心に使命感と冒険心をかきたてるに十分なロマ
ンの香りを感じ取っていた。
「うー、わくわくするなあ。」
その浮ついた口調に、並んで歩いていたルカスは苦笑した。斥候隊を編成する段階から、
この活発な少女は浮かれていたのだ。
「あまり、はしゃぎすぎるなよ、物見に行くわけではないのだからな。」
ルカスはアンジェラを軽くたしなめた。あまり長続きはしないだろうが、とりあえずは
静かになってくれた。
「しかし、どうも妙だな。」
「妙?妙って?どこにも変なところはないよ。」
案の定ルカスの発した疑念に真っ先に飛びついたのはアンジェラであった。
「この地方のことはよくは知らないが、妙に人通りが少ないと思わないか?先程から、我
ら以外の人影を全く見かけ無いぞ。」
それは事実であった。日は昇り始めてるというのに、都市の周辺に彼ら以外の人影は見
あたらない。
「確かに変ですね。」
その疑問に斥候隊の一人、王徳仁が答えた。彼はさらに分析を続ける。
「よく見ると、都市周辺の道がずいぶん荒れている感じがしますね。戦乱のために旅人自
体が減っているのではないでしょうか。」
「ふむ・・・そんなところかな。まあ今はまだ判断の材料が集まってないか。」
そう、まだ正確な推測を下すだけの材料は出そろってない。だが、一行の間に適度に緊
張感が走ってくれた。
しばらくして彼らは、都市の入り口へとたどり着いた。
「やはり妙ですよ。」
今度の徳仁の言葉は事実の確認であった。その段になって、誰の目にも異変は明らかと
なっていた。年を経た立派な城壁とその門が傷んでいるのも違和感があるが、何よりその
観音開きの門扉がぴたりと閉ざされ、誰の呼びかけにも開こうとしないのは明らかに異常
だ。
「この扉、開かないのかなぁ。」
アンジェラは、自らの背丈の4倍はあろうかという巨大な門扉に寄りかかりながらぼや
いた。これだけの大きさの門で、錠がかってあるならばそう簡単には開かないであろう。
この扉は、単に都市の入り口というだけではなく、戦時には防衛拠点としての役目も十分
果たしそうだ。
「どうしよっか。」
振り返った彼女を強烈な視線が射すくめた。
「大叔父様・・・?」
だが、ルカスのその視線は、彼女に対してのものではなかった。
「人の気配がない。」
「えっ、」
「人の気配が、この扉の向こうに全く感じられない。」
「それは、どういう事でしょうか。」
徳仁の問いかけに答えたのは、門が開いていく鈍い音と、少女の短い悲鳴であった。
「いっきゃあぁぁぁぁ」
斥候隊の視線がすっとアンジェラに集まる。
「いったあい。」
彼らの視線の先で、アンジェラが見事に尻餅をついていた。どうやら、彼女がよりかか
ってるときに門扉が急に開いてしまったようであった。
「大叔父様ぁ、人はいないんじゃなかったのお。」
泣き言を言う彼女を引き起こしつつ、ルカスはかぶりを振る。
「よく見て見ろ。」
「へっ?」
彼女が立ち上がってみると、他のメンバーは既に門の中に入り込んでいた。
「隊長、誰もいやしませんぜ。」
禿頭の巨漢、劉黒耶が鋭く周囲に警戒の視線を走らせながら報告する。アンジェラは、
その意味がよく分からずにきょとんとした表情で彼の顔を見つめた。その様子を見て、徳
仁が補足する。
「つまり、この扉はひとりでに開いたんですよ。」
やっと事情を飲み込めたアンジェラが目を丸くして驚きの表情をあらわにした。対して
ルカスは、冷静にその原因を調べるよう命じた。
「老朽化ですよ。」
しばしの後、黒耶がそう報告した。彼の言によると、門の閂はすっかり腐れており、つ
がい部分が錆び付いてたおかげでかろうじて閉じられていたような状態だったという。そ
こにアンジェラが寄りかかっていたために、重さで徐々につがいの錆が削られていき、つ
いに一気に開いてしまったのではないかと言うことであった。
「こぉの様子だと、何年もまともな手入れはしちゃあいませんぜ。」
最後に彼は、そう付け加えた。
「それよりも、これだけ大騒ぎしても、誰も見に来ないってぇのはかなり不自然じゃぁあ
りませんか?」
そう言って、黒耶は不振さもあらわに顔をしかめてみせた。ルカスは身振りでそれに同
意すると、斥候隊の人間を呼び寄せた。
「おそらくこの街は放棄された街なのだろうな。」
その言葉に、集まった隊員はぎくりとして、彼らの隊長の顔を見つめる。それらの視線
を全て受け止めた上で彼は続ける。
「だが、我々の任務はここで補給が可能であるかどうかを見定めることにある。そこで俺
は、この都市の内部を探ってみたいと思う。」
ここで一旦言葉を切って、部下の顔を見やる。どの顔も、一様に緊張と興奮を含んだ視
線を返してくる。
「徳仁、私とお前で二人ずつ率いて内部の探索に向かう。黒耶は残りの隊員とともに、こ
の門で待機すること。依存無いな。」
その言葉に力強い歓声がわき起こる。
「ようし、これだけは言っとく。単独行動と、むやみな戦闘は厳禁だ。」
再び歓声が上がり、隊員達は思い思いに散っていく。アンジェラは迷わずルカスの背後
にくっついた。
前を行く大叔父の力強い背中を追いながら、その部下をまとめる手際の良さに感心して
いた。いったい彼の何がみんなを引きつけ、信頼を勝ち取るのだろうか。
だが、彼女がそんなことを考えていたのは、わずかの間にすぎなかった。すぐにこの砂
漠の都市の異国情緒あふれる風景に、心を奪われ始めていた。中国式の都市計画のためか、
街路は碁盤状になっていて見晴らしがいい。
実際、大陸の様々な文化が集い、融け合って独自の雰囲気を醸し出した建造物が随所に
見られる。多感な少女の目を引きつけるものはいくらでもあった。
多くの建物は、彼女にもなじみの深い石組みのものである。だが、暑気避けのためであ
ろうか、窓も戸口も大きく開いておりひさしもかなり出っ張ったものが多い。そういった
特徴はこれまでに目にしたことがないものであった。さらに、窓にはなんとも不思議な物
体がはまっていた。
建造物だけではない。植物についても彼女の故郷はもとより、これまでの旅の中で一度
も目にしたことのない草花が生い茂っていた。
ただ、動物の姿だけがないのだ。
人間はもとより獣一匹見あたらないというのは、都市が立派なだけに何とも言えぬ不気
味さを感じさせる。
「この風化の具合からして、昨日今日放棄されたものではなさそうだな。」
民家だったらしい建物に入ったルカスが、足下の陶器の破片を拾いながらそう推測した。
中国の白磁を思わせる作りをしているが、釉薬の種類が微妙に異なるところからみて波斯
の物であろう。このことからも、この都市がかつて、東西貿易の中継点の一つであったで
あろうことが推測された。
分からないのは、ここが放棄された理由であった。
たかが3人で調査できる範囲には限りがある。だが、一つの都市の住人がそっくり姿を
消してしまうよう名出来事があったなら、街の至る所にその痕跡が残っていそうなものだ。
戦乱にせよ、疫病にせよ、これだけの都市機能を麻痺させるには相当な規模の出来事だっ
たに違いない。おそらく人々は、命からがら逃げていきあちこちに埋葬しきれない死体が
残ったであろう。
なのに、今彼らが見て回った限りでは、戦の跡もなければ病で倒れた人々の屍もない。
又、通常ならばそういった死体を食らうために、集まってくるはずの動物の姿が見あた
らないのも気になった。古来、動物達は人間よりも敏感に危機を察して難を逃れるという。
その言い伝えが真であるのならば、この都市は危機に瀕している、或いはいたということ
であろうか。
いずれにせよ、
ルカスは思った。この都市に何があったにせよ、それは彼らとは関わりなく起こったこ
とだ。放棄されたとはいえ、畑の跡に行けば何か作物は自生しているであろうし、そうで
あれば、後は水場でも探してその水に危険がないかを調べるだけである。補給さえすめば
この都市に長居する理由はない。
「戻るぞ。」
太陽が中天に達する前にルカスは決断した。
「何で?」
疑問と不満の入り交じった表情のアンジェラに説明してやりながら門へと歩を進める。
「でも、不思議よね。何でこんな大きな町の人がいなくなったりするんだろう。」
「別に謎を解くのが我々の目的ではないんだぞ。」
言いはしたものの、彼とてこの事態に興味がないかといえば、そんなことはないのだろ
う。ただ護衛隊長としての責任感が軽率な行動を戒めているだけ。
そうアンジェラは判断した。だからあえてこの話題には触れずに黙々と、歩を進めるこ
とに専念することにした。
・・・・・・続く
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遅くなってすまんですm(__)m
30万記念のオリジナルの続きですが、また続いちゃってますね(笑)
どうしようもないな、私は・・・・
でも、一応前半部は終わったので、残りは一気に仕上げ・・・・・られると思います。