対マーチラビッツ】 |
右前方の丘の上に、二基の砲台が出現した。
それがミサトが最初に抱いた、偽らざる感想であった。長距離ミサイルの発射筒を、両
の肩にのせた敵人型ロボットがいつの間にかそちらに登っていたのである。2体合わせて
80発のミサイルが零号機の周囲に着弾していた。
「レイっ、どうしたの、返事をなさい、レイ、レイっ」
前線の作戦本部のなかに、ミサトの怒号が響く。それと平行して、国連軍の残存部隊や、
ネルフの設置した監視カメラの映像などによって敵部隊の動向が次第に明らかとなってき
た。
敵は部隊を三つに分け、それぞれの部隊を歪んだ二等辺三角形の頂点に擬した陣形で進
撃してきていた。最後方の部隊から最前線の部隊。そして、そのやや左後方に位置する部
隊までの距離は相等しいのだ。ネルフはこの最も前方に位置する部隊を偵察部隊と考え、
まず一戦してこれを撃破する構えであった。
だが、この部隊との戦闘で予期せぬ程の苦戦を強いられることとなった。エヴァシリー
ズよりやや小型の鋼鉄の巨人たちは、ネルフ側の予想を遙かに上回る敏捷性と連携によっ
て彼らを翻弄したのだ。
その間に、二つ目の部隊の一部が予想以上に素早く援護に有利な高台を占拠。そして残
りはネルフ側から見て右前方から、左側へと回り込もうとしていた。
その行動の意味するところを悟った国連軍の士官が唸った。
「これでは、エヴァシリーズは十字砲火にさらされることになるぞ。」
目標に、九〇度前後の角度で交わるように射線を設定する十字砲火は、火器を用いた用
兵にとって基本であり、また定石であるだけにかなりな戦果を期待できる布陣である。さ
らに今回の場合、最初の部隊の狙撃手を計算に入れた動きもしている。
「しまったわ。敵の用兵を見くびっていたようね。」
悔しげに唇を噛むミサト。確かにこれまで使徒は、部隊をくんで襲来すると言うことが
なかったため集団線の戦い方を心得ているスタッフはネルフには極端に乏しい。
「これではまるで軍隊ですな。」
先程の士官がミサトに振った。
確かに、彼らの戦いぶりは軍隊と言うにふさわしく、計画性というものがあった。
初号機は、素早い動きのどこか航空機を思わせる機体に手を焼いていた。頻繁に跳躍を
繰り返し主に左腕からビームを間断無く撃ち込んでくる。その素早さに、シンジは全くつ
いていくことが出来なかった。
「うわ、うわ、うわぁぁぁ。」
目の前ではじけるビームに、シンジは悲鳴を上げた。A・Tフィールドがそれを中和し
てくれるとはいえ、恐怖感は拭いがたい。思わず後ずさる初号機。
と、その背後で盛大な爆音があがった。零号機の周囲にミサイルが着弾したのだ。この
時点ではまだシンジは、ミサトが発見した二機の敵機のことは知らず、無論十字砲火の危
険も伝わっていなかった。
だからというわけでもないのだが、思わず立ち止まり零号機の状態を気遣ってしまった。
同時にミサトがレイに呼びかける声が、エントリープラグ内に響く。
「アンビリカブルケーブル破損。」
一瞬後、帰ってきた言葉は淡々としていた。ミサイルは零号機には直撃せず周囲に着弾
したのみであった。だがそのうちの一発がエヴァに電力を供給するアンビリカブルケーブ
ルを切断していたのだ。
零号機を撤退さすべきか否か、一瞬ミサトは迷った。今ここで零号機の戦力を欠くのは、
非常に厳しいと言わざるを得ない。だが、内部電源が切れる前に決着をつけなければA・
Tフィールドを失った零号機はたわいもなく破壊されるだろう。
シンジもそのことに思い当たっていた。
瞬間、レイと初めて出会ったときのことが思い出された。あのときレイは傷つきながら
も、ゲンドウの命令のままに死地に赴こうとしていた。
それから数ヶ月、シンジは彼女と接することで心に安らぎに似たものを覚えるようにな
っていた。それは彼が父と別れて、いや母の死以来初めて感じる暖かさであった。そして
彼女もまた、次第に人間としての心の動きを戸惑いながらも受け入れ、飲み込み、変化を
もしかしたら成長をしていった。
二人の間の関係は、恋人と言ったようなものでは決してなかった。言うなれば、兄妹の
ようなもの。それも、見捨てられた孤児のそれに近いものであった。
互いに心の壁を周囲に築かずに入られなかった二人。足りないものに気付かず、自らの
壁に傷ついていた存在。
「綾波ぃぃっっ」
ミサトよりも早く叫ぶシンジ。
二人はあまりに似すぎていた。二人を保護すべき人物たちは、誰もその役割を果たそう
とせず。乗り越えるべき傷は、あまりにも深い。その傷を支え合うことによって乗り越え
ようとした二人には、互いの魂があまりにも似ていることを知ってしまっていた。
あまりに近しいが故に、逆に最終的なパートーナーにはなり得ない存在。だが、失うこ
とに耐えられるものではない。
「逃げてっ、綾波っ、逃げるんだ。うわっ」
レイに気を取られたシンジは格好の的であった。初号機に、五本の火線が集中する。特
に至近距離にいた機体からの三本のビームは、頭部に集中していた。
無論初号機の窮地はレイも把握していた。零号機は、パレット・ライフルを投げ出し、
プログレッシブナイフを取り出すと、全速で走り出した。彼女もまた、彼を失うことの痛
みに耐えることは出来そうもなかったのだ。
初号機に集中している火線の一つは既に迂回を終了した新手の機体のもので、初号機か
らはやや距離があるものの、彼女の位置からはかえって近いのではないかと思われた。
「・・・邪魔よ」
自らの進路を阻もうとする小型機をナイフで牽制するレイ。闇雲に振り回したのが偶然
その左肩の間接部に食い込んだ。その勢いのままちぎりとられた左腕が宙に舞う。
たまらず跳躍して後退を始める小型機。入れ替わるように、大型のビーム砲とミサイル
発射塔を備えた機体が前進してくる。
これで火線が分散されたわ、碇君の負担はずいぶん減ったはず。
それは、今のレイにとって最も重要なことであった。
零号機のケーブル切断から約1分。防御に徹していたシンジは、火線がふと薄くなった
のを感じた。そのおかげで周囲を見回す余裕が出来た。零号機は見あたらない。撤退した
のだろうか。そして、弐号機はまだ砲火にさらされていた。圧倒的な火力の前に、反撃の
糸口を見いだせないでいるのだ。
アスカはなれない戦いに完全に戸惑っていた。目の前の敵に集中することが出来ないの
だ。間断無く降り注ぐ遠距離からの攻撃は、直接の被害がなくとも、その音と風で彼女の
戦意を削ぐ。
「このぉっ、卑怯よ」
罵声が、プラグ内に響きわたる。それには相手を過小評価し、突出してしまった自分自
身への怒りも含まれていた。
アスカはパレット・ライフルを投げ捨てた。
「ちょこまかと、逃げるんじゃないよっ」
代わって引き抜いたプログレッシブナイフを構える。予想以上に素早い相手に射撃では
完全に分が悪いと判断したのだ。
「さあ、覚悟しなさい」
いきまいた直後だった。大気を震わす轟音がアスカの聴覚を圧した。ミサトのわめき声
が通信機を通じてわずかに伝わる。
「新手なの!?」
次の瞬間には弐号機の周囲にもぱらぱらとミサイルが降り注いだ。圧倒的な爆風が見え
ざる鎚となり弐号機の装甲を叩く。
「こんのぉぉぉぉ、負けるもんかあ。」
だがその爆炎を突っ切って、アスカは目の前の敵に接近した。
「くっらえぇぇぇぇぇ。」
罵声と共に突き出されたナイフを、敵機はとっさに右腕でブロックした。だがそのまま
の勢いで踏み出したアスカはその腕の滑空砲を削り落とした。大地に鋼が激突する音が響
きわたる。
だが、敵はそのままの位置からさらに踏み出すと、鋼鉄の拳を固めて弐号機の鳩尾をつ
いた。反動で距離が開く二機。再び大量のミサイルが弐号機の周囲を大きくえぐった。
シンジが弐号機に目をやったのはまさにこの時であった。シンジの見ている前で弐号機
は爆風によろけ、そして爆撃で出来た窪みに足を突っ込み激しく転倒した。
「アスカぁぁぁっ」
走り出すシンジ。その勢いに圧倒されたのか、敵機はその進路を妨げない。
「くうっ、ああっ」
弐号機からフィードバックした激痛がアスカの臑を襲う。爆撃孔は巨大なスネアトラッ
プとなって、弐号機の脚をくわえて離さない。至近距離で6発の短距離ミサイルが閃いた。
動けない彼女は絶好の標的となっている。
目の前の敵は、勝利を確信してか、やたらとゆっくりと全武装の照準を弐号機の頭部に
合わせた。氷塊がアスカの脊髄を伝わり落ちる。
だが、結果的にその行為が敵の命取りとなった。横合いから飛び込んできた紫色の疾風
が55トンの巨体を宙に舞わせた。
「シンジ!?」
「う、わぁぁぁっ」
その勢いで初号機は敵中型機に馬乗りになり、その頭部に拳をたたき込んだ。
「うわ、うわ、うわぁぁぁ」
まるで狂ったように拳を打ち下ろし続ける初号機。やがてその一撃がその胴にめり込ん
だ。
瞬間、アスカの視界が白く染まった。敵の上半身が吹き飛んだのである。その爆音と爆
風が一度死の恐怖で麻痺したアスカの頭脳を再び蘇らせた。
「ちょっと、バカシンジ、大丈夫なの。」
その爆発は、この日の戦いのなかでも最大のもので、地面にはクレーターが穿たれてさ
えいた。だが、その中心地で紫の巨人はふらつきながらもその身を起こした。
「アスカ?何とか無事みたいだよ。」
「もう・・」
心配させてという言葉はどうにか飲み込んだ。そこにミサトからの通信が飛び込む。
「ちょっと和んでるとこ悪いんだけど、どうやら相手は引き上げてくれるみたいよ。」
なるほど、先程の爆発を最後に付近から砲声が途絶えていた。
「多分一時的な撤退だと思うけど。とりあえず三人とも帰ってらっしゃい。」
その言葉でシンジはようやくレイが撤退していなかったことを知った。
・・・・・続く