チャリンコでいこう

 

作・ヒロポンさま

 


 

「ごめん龍之介。今日、お弁当作ってくるの忘れちゃったんだ」

いずみがそう言って龍之介に謝ったのは、ホームルームの前−正確に言うと午前8時

34分のことであった。

龍之介が、すまなそうに謝るいずみに背を向けて、かつての食料供給者である唯にもの欲

しそうな視線を投げかけたのが、その2秒後。

いずみの持っていた鞄で後頭部を張り倒されたのが、その0.5秒後のことであった。

いつものようで、いつものようでない光景。

少しずつ変わっていく平凡な日常の風景。

三学期にはいってから、つまり、いずみと龍之介が付き合い出してから十日目の今日も、

彼らの幸せの相似形は、遅滞することなく形作られていた。

 

 

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チャリンコで行こう!

 

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−昼休み−

 

「ラーメンを食いに行こう」

「えっ?」

「ラーメンを食いに行こう」

「えっ?」

教室で一回。下駄箱の前でもう一回。

二回の間抜けなやり取りの間に、いずみと龍之介は、手を繋ぎ、教室を出て、階段を降り

て、階段の下でパンチラ写真を撮ろうとしていた芳樹を踏んづけて、靴を履きかえるとい

う一連の行動を消化していた。

昼休みにはいってから、三分三十秒が経過している。二人の胃袋は、可及的速やかに昼食

を摂ることを要求していた。

ということで

「ラーメンを食いに行こう」

「なに言ってんだよ、行けるわけないだろ。私たち今学校にいるんだぞ!」

龍之介と手をつないで教室を出ようとした瞬間に、友美がシャーペンをへし折るのを眼の

隅に捕らえていたいずみは、バクバクと鳴っていた心臓をようやく落ち着かせて、そう口に

した。

「あれっ?へー、そう。俺様の弁当を忘れたのは、いったいどこのどちら様でしたっけ?」

「わっ、悪かったと思ってる」

「じゃあ、食べに行こう」

勝ち誇ったように言い放つ龍之介。いずみは、ちょっと太目の眉毛をクッと真ん中に寄せ

て、じーと考え込んでいたが、ついに屈したのかこう答えた。

「うぅーーーー、わかったよ、もう!」

恨みがましそうに龍之介を上目遣いに見る。

「じゃあ決定」

その視線を受けながら、龍之介はいずみの頭をくりくりと撫でまわした。

以前は、こういう風にされることを不愉快に感じていたいずみであったが、現在では、「龍

之介は、なんだかんだと理由を付けては私に触りたいのだ」と好意的に感謝している。実

際その通りであったし…

「でも、出られるのか」

校門に向かって歩きだしながら、しごく尤もな疑問を口にする。

「あん?」

「校門前には天道がいるだろう?」

「知らないのか?」

「なにを?」

「最近天道は、番犬の真似を止めているらしい」

笑いが止まらんといったような龍之介の表情。ある程度の事情を知っている彼からすれば、

天道の今の状態ほど面白いものはなかった。

いずみは、その悪趣味な笑顔を見てピンと思い当たる事があった。

「あっ、例の恋煩いってやつか」

いずみに関わらず、この信じられない噂話は、八十八学園の隅からすみまで行き渡って

いる。それを聞いた誰もが、はじめは驚愕し、とても信じようとしないのだが、実際に生気な

くやせ細った天道を見て、ことの真実を悟るのであった。

「ああ。まったくけしからん奴だ、たかだか恋煩いぐらいで、神聖なる職務を放棄するなんて」

一人、うんうんと肯きながらそう口にする龍之介。

「本気で言ってるのか」

いずみは、自分の彼氏の顔を胡散くさげに見上げてそういった。

「当然だ。あぁー嘆かわしい。おかげで簡単に学校を抜け出せるし、困ったもんだなぁいずみ」

いずみがジト目で見上げるその先には、もっともらしい表情を作りながらも目だけは笑って

いる龍之介の顔があった。

「まったくだ」

いずみは、ちょっと苦笑してそう言うと、背後にある校舎からこの光景を眺めている生徒達

に、これは私のものと主張するため、龍之介の腕にギュッとしがみつくのだった。

 

 

 

校門から出て数十メートル。未だ腕を組んだまま、二人は見慣れた道をテケテケと歩いて

いた。龍之介はいずみの歩調に合わせて、ゆっくりと歩いている。いずみは別段歩くのは、

遅くないのだが、龍之介と比べてコンパスが狭いので、あんまり急ぐとせかせかとしたみ

っともない歩きになってしまうのである。

いずみはこういう風に気をつかってくれる龍之介が嬉しかった。当たり前だが、単なる友達

であった時にはなかった事だ。野生味にあふれた彼の顔を見上げて、一人ニマニマと笑

いながら幸せに浸るいずみ。

そんないずみに龍之介が声をかけたのは、二人がとある歩道橋の下に差し掛かった時だった。

「なぁ、いずみ」

「なに」

「あそこに自転車が落ちている」

視線は歩道橋の真下に向けられていた。階段部分の裏側に立てかけられるようにして、

1台の古ぼけた自転車が止められていた。

「…置いてあるんじゃないのか」

龍之介の考えていることが、なんとなくわかってしまったいずみは、機先をせいするように

そう口にする。

「あれに乗って行こう」

−やっぱり

いずみは小さい頭の中で、そう独白した。

「…だからぁ、置いてあるんじゃないのか」

いずみが再びそう口にして、横にいるやんちゃ坊主を見上げた時には、もうその姿は彼女

の横にはなかった。絡んでいた腕も外されている。

−いつのまに

邪険に扱われたような気がして、一寸不機嫌になったいずみは、素早く頭を巡らせて龍之

介の姿を探した。短い髪がフルフルと揺れている。最近いずみは、ほんの少しだが髪を伸

ばしている。少しでも女の子っぽく見せようと言う涙ぐましい努力の一端である。彼女は、

今の期間を、『女らしさ強化月間』と勝手に呼んでいた。

案の定、龍之介は歩道橋の下から自転車を勝手に引っ張り出して、そのサドルにまたが

っていた。

ペダルを二三回蹴って、チェーンがちゃんとはまっているか確認している。

いずみは、くりくりした目に精一杯の不満の色を浮かべて、龍之介の事をキッとにらんだ。

「乗るの、乗らないの?」

自転車の確認を済ました後、いずみとじっと目を合わせていた龍之介が、焦れたようにそ

う口にする。そのあまりにも邪気のない視線に、いずみはこう答えるより他なかった。

「あぁ!もう、乗るよ、乗ればいいんだろ」

テケテケと歩いて行くと、サドルの後ろ−荷台の部分に横向きに腰掛けて、龍之介の腰に

手を回す。

頬が熱くなるのを彼女は感じていた。

「まったく、強引な男」

好きな男に密着してどきどきしている自分を悟られないように、わざっとぶっきらぼうにそ

う口にする。

「そこに惚れたんだろ」

いやらしい笑いとからかうような口調に、いずみの頬は更に赤くなった。

「ばっ、ばか」

言い返す口調にも力がない。

くすぐったい感覚に首を竦めると、龍之介の服を握り締める手にぎゅっと力を込める。

龍之介は、自分の制服によっていくしわを見つめながら、恋人の初々しい様子に改めて愛

おしさをかみ締めていた。

暖まっていく気持ちが自然にいずみにも伝染して行く。二人は、最近になってはじめて、人

と人の心が本当に通じ合うのだと言う事を悟った。

そのじわっとした温かさに最初に耐え切れなくなったのは、やはり龍之介であった。

「いずみ」

「なに?」

ちょっと震えた小さい声。

「肋骨があたって痛い」

………ムードぶち壊し

「……」

いずみは、恋人の背中に剣呑な視線を向けると、おもむろに、背後からその首を締め上げ

た。

「ぐっぐるじぃー」

龍之介は、あごを突き出すようにしてうめき声をあげながら、ペダルをこぎはじめる。

ヘコヘコヘコヘコ

ボロッちい音を立てて、二人を乗せた自転車はゆっくりと走り始めた。

 

 

シャー(自転車の疾走する音)、ヘコヘコ、シャー、ヘコヘコ、シャー、ヘコヘコ

軽快に駆け抜ける自転車は、龍之介がペダルを踏む毎に間抜けな音を立てていた。

ヘコヘコ

最初のうち、その音を聞くたびに吹き出していたいずみだったが、今ではすっかりおとなし

くしている。

スピードが見慣れた町の風景を異質なものに変えていた。

ヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコ

シャーシャーシャーシャーシャーシャーシャーシャーシャー

いつのまにか、交互に聞こえていた音が、同時に耳の中に響き渡るようになっていた。

−恐い

ずんずんと響いてくる振動とビュンビュンと通り過ぎる光景が、いずみに恐怖の念を抱かせる。

「りゅ龍之介、スピードだし過ぎじゃないか?」

「そうか?」

「そうだよ」

いずみは、あったりまえだという風に精一杯強がって、そう口にする。

「もしかして、恐いの?」

「べっ、別に………でも、ちょ、ちょっと恐いかな」

声は震えている。龍之介は、今までよりも強く押しつけられるいずみの左胸を背中に感じていた。

「そうか(ニヤリ)」

その感触に一人ほくそえんでそう答えると、ペダルを踏みしめる脚に更に力を加えた。

頬を打つ風が強くなる。幸い周りは住宅街。人通りも車の通りも少ない。二人を乗せた

自転車は、その力の限界までを引き出され、古ぼけて所々に亀裂の入っていたタイヤが

みしみしと不穏当な音を響かせながらアスファルトを噛んでいく。

「りゅ龍之介〜」

今までにないほどの女の子っぽいかわいらしい声で彼氏の名を呼ぶいずみ。眉根がきゅ

っと寄せられて、なにかを堪え忍ぶように細められた目元が、何時にない色気を漂わせて

いる。

残念ながら龍之介は、その表情を見る事はできなかった。

彼は、スピードと可愛い恋人に意地悪をする快感にすっかり酔っていた。別にサドっ気が

あるわけではないのだけども、小犬のように震えてすがり付いてくるいずみの態度が、彼の

悪戯心に拍車をかけているのであった。

「はっはっはっはっはっはっスピードこそ我が人生!」

「あーん、ばかばかばかばかばか」

いっこうに言う事を聞いてくれない恋人の背中を、ぽかぽかと殴るいずみ。ちっとも痛くな

いその感覚が、龍之介の歪んだ幸福感を更に高揚させる。

風が当たって、いずみの瞳に涙が滲んでくる。

通り過ぎていく景色が、まるでターナーの風景画のようにぼやぼやと滲んで見えていた。

−ひ〜ん、龍之介の意地悪ぅ

べそをかくいずみをよそに、自転車のスピードは相変わらずの絶好調を維持していた。

 

 

 

 

「よし、こうしよう」

しばらくして、はぁはぁと息をしながら、いかにも今思い付きましたといわんばかりの発言を

する龍之介。ながい間必死にこいでいた為に、彼は大変疲れていた。できればスピードを

ゆるめたいのだが、調子に乗って飛ばしてしまった体面上、素直にスピードを落とすのは

面白くない。ゆえに、彼は口実を外部に求めていた。なんというか……ややこしくも間抜け

な男である。

「どうするの?」

いずみは、そういう恋人の屈折した心の内を知ってか知らずか、すっかり憔悴しきった声

でそうたずねた。

「いやーん、愛しの龍之介様!いずみ恐―い。お願いだからスピード落としてぇー、と言っ

たらスピードを落としてやる」

台詞の途中までは、見事な裏声だった。通りすがりのセールスマンらしき男が、怪訝な表情で

二人ことを見送った。

この龍之介のお茶目な提案を受けて、いずみの肩がプルプルと震えている。

もちろん笑っているわけではない。

当然、感動しているわけでもない。

「……」

沈黙

「ほれほれ、早く言わないと坂道になっちゃうぞ」

急かす龍之介。彼が、悪戯っぽく見つめる視線の先には、確かに坂道があった。それもか

なりの急勾配だ。坂の向こうから自転車で上ってくるおばちゃんが、こむらがえりを起こ

しそうなほどふくらはぎに力をいれてペダルをこいでいる姿が、目に入る。

「……」

その光景を見てもいずみは相変わらず沈黙を保っていた。

−もしかして…やりすぎたかな……やばいかも?

今更ながらの反省と今後の展望

からかう為に開けた口を、ぽかんと開けたまま、龍之介は嫌な予感に背筋を震わせていた。

あまりにも静かすぎるいずみ。

彼が、様子を探るために首だけで振り返ろうとしたその瞬間。

がぶっ

「痛てーーーーーー」

いずみが彼の肩口をぱっくりと噛んでいた。チャームポイントの八重歯が刺さってとっても

痛い。

「ふひいどおほふか?(スピード落とか?)」

モゴモゴとしたしゃべり。

「おっ落とす落とすから、噛むの止めろ」

龍之介は、ぶんぶんと首を縦に振りながら、敗北宣言を口にした。

 

ガチョガチョガチョ

男らしく骨張った手で、しばらくブレーキを握ったり離したりしている龍之介。

「あれ?」

「どうしたの?」

不安そうないずみの声。

「いずみ」

感情のない平板な声音が、いずみの不安を更にかきたてていく。

「なに?」

「この自転車やっぱり落ちてたんだ」

「どっ、どうして、そんな事がわかるんだよ」

「うん、どうしてかって言うとだなぁ……ブレーキが」

ゆっくりと確認するように話す龍之介。その間にも自転車はシャーシャーと疾駆して行く。

「ブレーキが?」

思わず聞き返すいずみ。

「利かん」

「えっ?」

「全然まったく、すっきり、きかっり、さっぱり利かん」

龍之介の背中を見つめながら、しばらく言葉の意味を咀嚼するいずみ。

「ええっ!」

ようやくすべてを理解した。

「あっ、坂道だ」

龍之介は、まるで道端で百円を見つけたような何気ない感じで、そう口にした。

カクン

シャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

別に、誰かがちびったわけではない。自転車がものすごい勢いで、疾走していく音である。

「いやだぁーー」

龍之介の背中に顔を埋めながら、いずみは思いっきり絶叫した。

龍之介は、事態の展開に

焦りながらも、とりあえず、いずみをなだめる為に口を開いた。

「安心しろ!いずみ」

力強いその声。いずみの心にじわっと信頼感が広がっていく。

続けて口を開く龍之介

「頬を切るこの風は俺様の友達だぁ!」

なんじゃそりゃ!

「訳の分からない事を口走るなー!」

−このバカ男

龍之介への憤りが、いずみの心に平静を取り戻させた。

−ほんとに、このバカ男

龍之介の背中の温かさを頬に感じながら、いずみはバランスを崩させないようにじっとし

ている事に決め込んだ。

 

 

坂道は果てしなく続いている。

その間どんどん自転車のスピードは上がり続けた。何とかバランスを取って障害物をよけ

る事ができたのは、龍之介の運動神経の賜物だろう。

しばらく疾走していると、前方に海が見えてきた。

真っ直ぐ続いてきた坂道は、その青い広がりの直前でトラックの疾駆する道路と直角

に交差している。その道路の向こう側には、雑草の生えたなだらかな土手があり、その

土手に続くようにして奇麗な砂浜が広がっていた。当然その向こうは海だ。冬場の波は高

い。いつもは、物好きなおっさんが二三人、寒いさなかにカレイなぞを釣っているのだが、

今日に限ってはその人影もなかった。

「このまま突っ切るぞ。真っ直ぐ行けば砂浜だ。そこで多少はスピードが落ちるはずだから

、頃合いを見て飛び降りろ」

瞬時に判断して、指示を出す龍之介。

「あっ後で覚えてろよ龍之介!」

いずみは、そう口にするのがやっとだった。

どう考えても、笑い話にしかならないシュチエーションであったが、その実態はなんとも

危険極まりのないものである。

嫌な想像が次から次ぎへと沸いてきて、いずみの心に焦燥感を呼び起こす。

−私って、こんなに想像力豊かだったっけ?

「なぁ、ここで車が突っ込んできたら俺達死んじまうのかなぁ」

いずみの嫌な想像を裏書

きするように、龍之介がそう口にする。

「……」

あほみたいにシリアスな台詞にいずみは言葉を失っていた。

と同時に確信する。

心配する自分をよそに、彼女の彼氏は明らかにこの状況を楽しんでいた。

本来、こんなぐずぐすした事を言うような男ではない。それがわざわざつまらない不安をこ

とさらに口にして見せる。導き出せる結論は一つ。つまり、このバカ男は、スピードを上げ

ていずみを怖がらせていた時と同じように、事ここにいたっても、いずみを怖がらせて喜ん

でいるのである。

絶対に自分の事を守れるとの確信があって言っている事だと、容易に信じる事のできたい

ずみだったが、そうでなければ、まったくもってとんでもない最低男だと即座に切って捨て

た事であろう。

「こんな事ならいずみと、あーんな事やこーんな事をしとけばよかったぁー!」

わざとらしく叫ぶその声に

「あーんばかばかばかばかばか、スケベ変態おたんこなすぅ、一人で死んじゃえこのバカ

ァ!」

可愛く罵倒してみる以外、なすことを知らないいずみであった。

 

 

 

 

自転車が、道路に直角に突っ込む瞬間、龍之介は少しばかり身を硬くして、不測の事態

に備えた。一瞬、直角に曲がって歩道を走りつづける事を考えたが、このスピードではそ

れは難しいとすぐさま思い直して覚悟を決める。

瞬時に安全を確かめる。まったくもって運の良い事に、車の姿はどこにもなかった。

 

ガタン−歩道と車道の段差。

 

シャー―車道を駆け抜ける自転車。

 

ガタン−再び歩道に乗り上げる音。

 

がくがくと車体を軋ませながら、疾走をしている自転車は、そのままの勢いで歩道横の土手

に突っ込んだ。

車輪から伝わってくる振動が、二人の頭をシェイクする。

柔らかい砂浜の感触を感じた瞬間。いずみは自転車を飛び降りていた。

どてぇ!

横座りだったため、案外簡単に飛び降りる事の出来たいずみだったが、いかんせん勢いが

つきすぎていた。派手に一回転した後に、見事に腰を打ちつけてしまった。

−イテテテ

「たっ助かったぁ」

吐き出すようにそう言うと、腰を押さえながらゆっくりと立ち上がる。

辺りを見渡す目線に入った光景。

前方に広がる海。波打ち際に倒れている自転車、そして、自分の前に佇む男の広い背中。

なんとなくシュールなその構図。しかし、いずみには何の感銘も与えられなかった。

「見ろよ、いずみ、海はいいなぁー」

その背中の持ち主は、ダメージを感じさせない声で、のーてんきにそう言ってのけた。

制服の背中は砂塗れ。よくよく見ると後頭部にも白い砂がついている。

「なにとってつけたような白々しいことを言ってんだよ龍之介!死にかけたんだぞ!すっご

く恐かったんだからな!聞いてんのかこのおたんこなす!ほんとに、まったくこの男は…

…………なにが、海はいいよなーだよ!そんな事で、ごまかされるとでも思ってるのか!」

龍之介の横に並ぶように立つと、噛み付くようにそう口にするいずみ。

龍之介は、ぱくぱくと動く口元を眺めながら、よく息が続くものだと感心していた。

−あっ!のどちんこが見えた。

「すまん」

上記のようなつまらない事を考えながら、龍之介は素直に謝ってみせる。

こういうすっとぼけた態度が、不誠実に見えないのが彼の人徳であろう。

そのなんとも母性本能をくすぐる表情に、いずみはすっかりトーンダウンしてしまった。

「そんな簡単に謝ったって、ごまかされないぞ…………だっ、だいたい、一月の海なんて寒

々しいだけじゃないか」

ぶつぶつと悪態を吐きながらも、背伸びするようにして、龍之介についた砂を払い取ってやる。

「それは違うないずみ。この海を寒々しく思うのは、いずみの心が寒々しいからだ」

乱暴に後髪を払ういずみの手に、ぐらぐらと頭を揺らされながら、龍之介がそう口にした。

「喧嘩売ってるのか?」

薄い唇を少しとんがらかせて、横に立つ男を睨み付けるいずみ。

龍之介はその視線に気づ

いているのかいないのか、じっと視線を海に固定したまま動かずにいた。無造作に伸ばされ

た髪が、海風にさらされてバサバサと波打っている。その口元にはなんともさっぱりした笑

みが浮かんでいた。

いずみは、何か気の利いた文句をいってやろうと、しばらくその横顔に厳しい視線を送ってい

たのたが、あまりにも太平楽なその様子にすっかり毒気を抜かれてしまった。彼女は、処置

無しとでも言いたげに首を二三回振った後、なぜだか込み上げてきた笑いをかみ殺しながら

、みずからも海を眺めやった。

 

 

「さて、海も見たことだし、ラーメン屋にでも行くか」

しばらく二人で海を見詰めた後に、龍之介が思い付いたように言った。

その言葉に、いずみも初期の目的を思い出す。

気がつくと、かなりお腹が空いていた。

「そのラーメン屋って、どこにあるんだよ」

湯気の出ているどんぶりを脳裏に浮かべながらそう口にする。龍之介がその質問に答えるの

に、たいした時間が掛からなかったにもかかわらず、その光景には即座に餃子のイメージも

付け加えられていた。

「駅前だ」

 

……………………思えば遠くに来たもんだ。

 

「全然方角が違うじゃないか!」

「………すまん」

さすがにばつが悪そうに、ボソッと答える龍之介。

「まぁ、いいけどさ」

いずみは、そっぽを向いてそう言った。

 

 

龍之介は波打ち際に歩みを進めると、転がっていた自転車をよっこらしょっと立て直し

て、からからと押しながら道路の方に向かって行った。

いずみもすぐにその後ろについて行く。

二人が、土手に足をかけた所で、不意に龍之介が立ち止まった。

「あっ、忘れてた!」

その言葉に、怪訝そうに龍之介の顔を見詰めるいずみ。

龍之介も黙っていずみを見つめる。

その視線は、じっといずみの唇に注がれていた。

「いずみ」

低い声。

−こいつ、なんだってキスする時に、いつも私の唇をじっと見るんだろう。……ほんと、

ものほしそうな目をしてる

龍之介のばればれの目線に、これからおこる事を正確に理解したいずみは、心持ち顎を

上に向けてから、それでも一つの手順として、龍之介の呼びかけに答えを返してやった。

「なんだよ、りゅうのす…ぁっ……うん……」

寒々とした海をバックに二人の唇が重なった。

かがみ込むようにする龍之介と、精一杯つま先立っているいずみ。

決して短くはない時間が、二人の間に過ぎていく。

 

離れたのは、二人同時だった。

しばらく見詰め合う二人。

沈黙を破ったのは、龍之介であった。

「恋人同士で海を見に来たからには、これぐらいの事はしないとな」

いずみは黙って、龍之介の左腕にしがみついた。

「ところで、この自転車どうするんだ?」

キスの余韻を残したあまやいだ声でそう口にする。

「そうだな、親愛なる西御寺くんの家の前にでも置いておこう」

その答えに肯くとは無しに肯いていたいずみが、なにかを思い出したようにビクッと顔を上げた。

「あっ」

抱え込んでいた龍之介の左腕を持ち上げて、手首に巻かれた腕時計をのぞき込む。

「どうしたいずみ」

「午後の授業始まっちゃってる」

上目遣いに睨むようにしてそう言った。

「よいよい、サボってしまおう」

その答えに、はぁーと一つため息を吐くいずみ。

「ああ、まったく、どうしてこんな男と付き合ってるんだろう」

「さぁ?」

真顔で首をかしげてみせる龍之介。

いずみは苦笑すると、改めてその腕にすがりいた。

「……まっ、いいか!」

引っ張るようにして、ずんずんと歩き出すいずみ。

後方からその髪をなぶるように海風が吹いてくる。

いずみは、うるさそうに一寸伸びてきた髪に手をやって押さえつけた。その時、横にいるバ

カ男の為に伸ばしているのだという事実を思い出して、なんとなくむかむかとした気分が沸

いてくる。

彼女は、何の疑問もなくその気分を恋人に叩き付けた。

「ラーメン、龍之介のおごりだからな」

張りのある声。

−この男の横にいる限り、自分は自分らしくいられる。

いずみはこの瞬間、そんな事を思っていた。

「いいだろう。そのかわりチャーシューは俺によこせ」

たっぷりと十秒ばかり考えた後で、龍之介はそう言い放った。そのなんとも生真面目な言

いようが、いずみの心に優しい気持ちを呼び起こす。

くりくりとした目に柔らかい感情がこもって見える。きびきびと動く両の脚が、いずみの心を

如実に表していた。

「……せこい男」

いかにも楽しそうなリズムで、そう口にする。

龍之介は、その言葉に片眉をクイッと上げると、自転車を押していた右手をハンドルから離

して、いずみの左胸をさりげなくつかんだ。

ムニッ

「きゃ!なっ、なにするんだよ」

まったくもって信じられないという視線を向けるいずみ。

「スキンシップ」

龍之介は、真剣な表情でそう答えた。

「もう、龍之介のドスケベ」

いずみの頬が赤い。

再び、片手で器用に自転車を転がしていく龍之介。相変わらず左手には、いずみがぎゅっ

としがみついている。

こうやって密着しているのは、寒さのためだからな!と言わんばかりに首を竦めて寒そう

にしてみせるいずみ。龍之介は、その姿を見ながら、味噌バターラーメンにするか、コー

ンラーメンにするかを、じっと考え込んでいた。

 

 

 

 

おしまい


 

50000HIT記念なんですが・・・・・・・・

…………内容がない。しかも、ヘボイ。

同級生ものを書くのは、これがはじめてなものですから………うーん、どうだろう?

なんか変な所ありません?

ここまで読んでくださった心の広い方、本当にありがとうございました。

ご意見・アドバイス・苦情など、お待ちしております。

 

ヒロポン


 

みゃあの感想らしきもの。

 

 コメントはもうしばらくお待ちください。(^^ゞ