イリーナの災難

 

作・蛍火さま

 


「さてと…、と」

レノが小さく呟いた。

その日のレノの任務は非常に簡単なものだった。

ルードやツォンと組む必要も無い。

レノ一人で事足りる程度のものだった。しかし、規則である。

どうみても足手まといにしかならないような、新米の神羅社員が

二人もレノにひっついていた。

(これならひとりの方がよっぽど楽だぞ、と)

「あ、あれイリーナさんじゃないか?」

うんざりしているレノの耳に、新米神羅Aの言葉が届いた。

「本当だ。私服って事は、今日はオフなのかな?」

新米神羅達はヒソヒソとそんな事を言っている。

(そーいやイリーナ、今日は休みだったな…、と)

レノはぼんやりそんな事を考えながら、イリーナを見ていた。

が、休日のイリーナがどうしていようと自分には関係無い。

「…いくぞ、と」

言い終らないうちにレノは歩き出していた。

慌てて後の二人がそれに続いた。

一方、休日のイリーナ。今日は一日ゴロゴロしてるつもりだった。

しかし、友人からの電話で急遽予定は変更、外出することになった。

「相談ってなんだろうな…」

待ち合わせ場所で友人を待つ間に、三人の男に声をかけられ

それらを丁重に無視しながら、イリーナは彼女の学生時代からの

友人を待っていた。

もちろん、イリーナに気づきながら声もかけずに去って行った

同僚のことなど知る由も無い。

「イリーナ!」

水色のワンピース、セミロングの栗色の髪の女性がまっすぐに

イリーナに近づいてきた。

「久しぶり、イリーナ。」

そう言ってにっこり笑う彼女は、そこに居るだけで春を連れてきて

しまうような雰囲気を持っていた。

 

とりあえず二人は近くの喫茶店に行くことにした。

しばらくは他愛の無いおしゃべりが続いたが、そのうちイリーナが

本題を持ち出した。

「で、相談って?」

とたんに彼女の顔が曇った。そして、辺りをキョロキョロとうかがうと

顔を近づけて小声で言った。

「私、つけられてるみたいなの…」

 

彼女の話によると、一ヶ月程前から身の回りにおかしな事が起こり出したという。

部屋の中が微妙に違っていたり、彼女の私物がなくなったり。

どこにいても、誰かの視線を感じる…。

そして、三日前に決定打の手紙が届いた。厚さ5cmはあろうかという

分厚い封筒には、便箋が15枚入っており、そこには切々と彼女の事が

書かれていたらしい。

「本屋で一時間も立ち読みしちゃ駄目だよ、とか書いてあるのよ。」

正体の分からない者に対する怒りと恐怖で、彼女はいっぱいだった。

「でね、イリーナっておっちょこちょいだけどさ、いざって時は

頼り甲斐あるし…。どーしたらいいと思う?」

「うーん…」

友人の話を聞きながら、イリーナは周囲をそれとなく観察していた。

新米とはいえ、イリーナも立派なタークスの一員である。

不審な者がいれば気づかないはずがない(…と思う)。

だが、見たところおかしな人間は見当たらなかった。

「それって〜…ストーカーってやつでしょ?」

「わー、イリーナのバカ。わざとその言葉避けてんのに〜」

あはは…。避けようが避けまいがストーカーには違いないのに。

こーゆう変なとこにこだわるとこ、変わってないな…、などと

思いながらも、イリーナは友人の為に何とかしてやろうという気に

なっていた。

 

その後、イリーナ達は場所を秋間近の公園に移した。プレートの

下と違って上はきれいに整備されている。公園の真ん中では

噴水がキラキラと水しぶきをあげていた。

イリーナ達が座ったベンチから少し離れたベンチ。

ここに、新聞を顔の高さまで持ち上げて読む一人の男が座っていた。

「あ、またイリーナさんだ」

新米神羅AがBに話し掛けた。

「ほんとだ。一緒に居る女の人、きれいですね」

「お友達かな?」

秋間近の気持ちのいい公園。本日の任務を無事終えた帰り道。

緊張のとけた新米神羅達は、のんきな事をいった。

しかし、レノはイリーナを見てはいなかった。

「なんだあいつは、と」

レノが見ていたのは先ほどの新聞男だった。その手に持たれた新聞には

二個所穴が開けられていた。男の顔は、新聞にピッタリひっついている。

新聞に顔をひっつけていては読めるわけが無い。

「古風な手だな。どっかの探偵か?、と」

そして、その男の視線の先にある観察物を発見してレノは苦笑した。

「イリーナか…、と」

あいつは何したんだ?あの様子じゃ尾行にも気づいてないだろうが…。

でも、ま…こんなへっぽこ探偵相手だったら何とかするだろうけどな、と。

放っておいても大丈夫だと判断したレノは、早々に立ち去る事にした。

単に関わり合いになるのが面倒なだけだったのかもしれないが……。

イリーナは結構お間抜けである。

しかしそんな彼女でも公園内のベンチに座る一人の不審人物に気がついていた。

というか、一時間も同じ新聞を同じ姿勢で読み続ける人間が怪しくないわけがない。

「あいつね……」

そろそろ夕日が傾きかけている。イリーナ達は公園を後にして歩き出した。

案の上、へっぽこ探偵…もとい、ストーカー野郎がついて来た。

やがてマンションが立ち並ぶ辺りにきたイリーナは、友人に別れを告げて

別の方向へと立ち去った。しかし、これはイリーナ達の罠だった。

必ずストーカーはイリーナの友人の後を追うはずだ、そこで別れたと見せかけて

実はストーカーの背後に回ったイリーナと友人で挟み撃ちにしようというものであった。この作戦は大成功を収めた。イリーナに取り押さえられたストーカーの正体は

なんと友人の会社の同僚だった。

「サイテーよ、あなた。」嫌悪を隠そうともせずに彼女が言うと

ストーカー同僚はすがるような眼差しで彼女を見つめた。

「ぼ…僕の事、きらいですか?」あたりまえでしょ、と彼女が言うと

首をうなだれたまま、男はブツブツ独り言をいいだした。

「…おかしくなっちゃった、かな?」イリーナ達は顔を見合わせた。

「でも…」イリーナはストーカー同僚を放して立ち上がりながら言った。

「自業自得よね…」

その後、友人のたっての願いで男を警察に突き出すのだけは勘弁してやった。

それから一週間後。

昨夜友人から電話があった。そして、あの同僚は事件の翌日に会社を辞めた事を

聞いたイリーナは、ほっと胸を撫で下ろした。

しかし、イリーナは知らなかったのだ。

ストーカーの真の恐ろしさ…陰湿で執念深く自己中心的。

この後、自分の身に考えられない災難が降りかかる事に、

イリーナは まだ気づいていない……。

その日は朝から雨だった。たいした任務もなく、デスクワークに専念していた

イリーナのPHSが鳴り出したのは午後3時をまわった頃だった。

「もしもし…」

相手の声の正体に気づいた時、イリーナは思わず立ち上がっていた。

ガタンッという椅子の音に気づいたツォンが、立っている彼女を

不審そうにみつめていた。イリーナはとりあえず部屋の外に

出る事にした。

「何の用なの!」廊下の角に移動したイリーナは相手に怒鳴った。

電話の相手は、あのストーカー野郎だった。一体どうやってPHSの

番号を知ったのだろうか。

イリーナは得体の知れない気持ち悪さを感じ、自然に攻撃態勢に

入っていた。すぐにカッとなるのは彼女の魅力でもあり欠点でも

あるのだが・・・。

「なんなのっ!さっさと言いなさいよ」

語気荒く、イリーナは怒鳴っている。廊下のイリーナには死角の所で

思いがけず通りかかったレノとルード、そして心配になってついて来た

ツォンが聞き耳を立てているとは知らないで・・・。

(あ…あの、違うんです・・。)

ストーカーの声は弱々しく、気の荒いシャム猫に睨まれたネズミの様である。

(あ…あの、実は以前彼女から盗んだ物を返したいと…思って)

そーいえば物が無くなったりするって言ってたわね。でもね…

「いらないわよ、そんなの!捨てちゃって…」

言いかけて、イリーナは留まった。確か、無くなった物の中に

彼女の死んだお母さんの形見もあった事を思い出したからである。

「ねぇ、その中にくずマテリアで作ったペンダントある?」

早くに死別した母が自分の為に作ってくれた物だといって

彼女が大切そうにしているのを見たことがある。

(は…はい!あ…あります。こんな子どものおもちゃみたいなのを

何故か大切そうに宝石箱に入れてて…可愛い人なんですね…フフフ)

…やっぱこいつ、あぶない〜。

「とにかく、それ、返しなさいよ!」

本当はこんな男に会いたくない、でも形見を取り返したかった。

友人を行かせるわけにはいかないので、結局イリーナが行くことにした。

「今、どこ?」

(あ…じゃぁ、今日の19時にチョコボ亭っていう店に来てください…)

そこならイリーナも知っていたので承諾すると、通話を切った。

しばらくPHSを見つめていたが、大きく溜息をつくと

「あ〜ぁ、行きたくない…」そう呟いて髪をかき上げた……。

ここはタークス達の溜まり場…ではなくて、オフィスである。

イリーナは浮かない顔をしてボーっとしている。今日のこれからの

事を考えて、ゲッソリしているようだ。

さて、そのイリーナの電話を立ち聞きした三人のタークス達。

偶然廊下を通りかったらツォンが怪しい体勢で一方向を覗っている。

その先にはイリーナ。「これは面白そうだぞ、と」と呆れるルードを

引き止めて自分達もリーダーのツォンに倣ったのである。

おバカな光景である。幸い(?)イリーナの声は良く聞こえた。

痴話喧嘩かと思ったが、どうやら違うらしい。でも、相手は知り合いのようだ。

ツォンとルードはそれ以上、気にしなかったらしい。

しかし、レノは何か引っかかるものを感じていた。もちろん根拠はある。

ここ2、3日 イリーナと一緒の任務が続いていたが、常に不審な男の影が

見え隠れしていた。しかし、どうみても素人なので放ってあった。

その気になればそんな男一人くらい、簡単に消せるのだが…。

とにかく、不審な男の存在と今日のイリーナのおかしな電話。

だが、不審な男とイリーナの電話相手に何かしらの関係があるという保証は

どこにもない。

う〜〜〜・・・。うだうだ考えるのが性に合わないレノは、自分の勘を

信じずに「俺には関係無いぞ、と」呟いたきり、窓の外に目をやってしまった。

イリーナは時計を見た。六時である。

「そろそろ行かなきゃね…」再び軽い溜息をついた。

席を立って帰り支度をするイリーナにレノが声をかけた。

「これからデートか?、と」

「まさかぁ!違いますよ、レノ先輩。」

からかわないで下さいよ〜、といつもらしく明るく笑うイリーナ。

そんな彼女に、いたずらっぽく笑うレノであった。

「それじゃぁルード先輩、レノ先輩、ツォンさん さよなら!」

軽い会釈をして、イリーナは出て行った。

チョコボ亭。看板には可愛らしいチョコボの絵が書いてある。

今夜のイリーナはタークスの制服は着ていなかった。いつもは

そのまま帰ったりもするのだが、寄り道する時は私服に着替える事に

していた。他のタークスにはみられないこだわりである。

店のドアを開けると男が目に入った。イリーナは大きく深呼吸をすると

まっすぐ男の方に歩いて行った。

「こ…こんばんわ」

イリーナに気がついたストーカー男は立ちあがってあいさつした。

前は暗かったし良く分からなかったが、よくみると結構背は高い

それに体格も筋肉質で、モロ体育会系である。

「あいさつなんてどーでもいいのよ!それより、早くアレを返して」

「は…はい。で…でも・・・あの・・・」

見かけはすごくても中身がこれでは、イリーナの敵ではなかった。

「あの…も、持って来てないんです…」

おどおどした口調でそう言った男を見て、イリーナは情けないやら

腹立たしいやら。とにかく一刻一秒でも早く帰りたかった。

「じゃぁ、どこにあるの?」冷たく言い放つ。

「あ、あの…僕の部屋に……」男は泣きそうな顔をして言った。

再び溜息。今日あと何回溜息をつくことになるのか、それを

考えると頭が痛くなる。

「あんたの家、どこなの?」本当なら男の家に行くなど暴挙でしかないのだが

この男は例外だとイリーナは判断した。

とにかくストーカー男の家に行くことにしたイリーナ達は店を出た。

その姿をじっと見ている一人の男。背が高く、適度に着崩された紺の服。

ルビーを溶かした水で染められたような赤毛をすそで軽く縛ってある。

彼の名誉の為に言っておくと、彼は神羅ビルからイリーナをつけてきた

わけではない。夜遊びしようと街にくりだしたところ、イリーナを見かけた

だけである。いつもの彼ならそのまま立ち去っただろう。

しかし、今夜は違った。

「あの男……、ここ数日ウロチョロしてた奴だぞ、と」

恋人か?…しかし、イリーナの態度が明らかに違うと示している。

「ほっとくぞ、と」

しかしレノは見抜いていた。イリーナの隣にいる男の瞳の奥に潜む狂気に。

「かんけいないぞ、と」

あーゆうタイプが一番ヤバイのだ。キレると何をするか分からない。

「・・・・・チッ」

軽く舌打ちをして、レノはイリーナ達の後を歩き出した。

ストーカー野郎の家はそれほど遠くはなかった。夜の繁華街を抜け

十分ほど歩いたところにある閑静なマンション群。その中の一本の

マンションがそうだった。

「何階なの?さっさと案内しなさいよ」

「は、はい…」

相変わらず強気のイリーナである。男はすっかり怯えきった様子で

ただひたすら下を向いていた。

 

男の部屋は、マンションの最上階にあった。何とかと煙は…ってのは

あながち嘘じゃないらしい。

男はカードキーでドアを開けると「どうぞ…」とイリーナを

誘導した。しかし、長居するつもりの無いイリーナは

「けっこうよ!」ときつく答え、その場で立ち止まった。

「さぁ、早くペンダント持ってきなさいよ!」

はい…と言って男は部屋の中に消えて行った。しかし、その後

5分待っても出てこない。そしてイリーナのイライラが頂点に達した頃

部屋の奥からものすごい騒音と、男の悲鳴が聞こえて来た。

「な、なに?なんなの?」

とっさにイリーナは部屋の奥へと駆け込んでいた。

しかし……部屋には何の異変も見られない。

”カチャッ” 背後で電子ロックが掛かる音がする。

「しまった…」イリーナは呟いたが、後の祭りである。

部屋の中には異様な雰囲気が漂っていた。

 

「イ、イリーナ…君が悪いんだよ…」

部屋の奥から男が出てきた。その手にはナイフが握られている。

「ぼ、僕はあんなに彼女を愛してたのに…僕らの愛を邪魔するなんて…」

ジリジリとイリーナに近づいてくる。思わず後ずさるイリーナ。

「や、やめなさいよ!」

「彼女…僕の女神様。おまえが彼女に余計な事を言ったにちがいないんだ」

狂ってる……!と、とにかく逃げなくちゃ!

イリーナも一応タークスである。それなりに訓練も受けてきた。

しかし、今日の彼女は致命的なミスをしていた。…武器を持っていないのである。

素手で挑んでもいいのだが、何しろ相手は狂人。逃げるが勝ちである。

「お…おまえさえいなけりゃ、彼女はまた僕の愛を受け入れてくれる!」

いつのまにか、イリーナは部屋の隅に追い込まれていた。

「し……死ねーー!」

ヒステリックな声が響き、イリーナめがけてナイフが振り下ろされた。

ザクッ!!…そうなるはずのナイフは虚しく空を切った。

紙一重でイリーナがナイフをかわしたのだ…いや、かわすはずだった。

よけ損ねたナイフは、イリーナの白いブラウスを切り裂いていた。

切られた胸元からは、白い清楚な下着とイリーナの柔肌が露出している。

男の動きが止まった。そして一点を凝視したまま固まっている。

「な、なに?どうしたの……きゃぁ☆」

男の視線の先に気づいたイリーナは、思わず手で胸元を隠した。

再び男がイリーナに近づいてくる。しかし、先ほどとは比べ物にならない

恐怖をイリーナは感じていた。

レノは眼下に広がるミッドガルの夜景を見ながら、煙草をふかしていた。

「ふーっ、こーして見ると案外きれいだぞ、と」

先ほど、イリーナ達の乗ったエレベーターは50階…つまりこのビルの

最上階で止まった。あれから15分。

「やっぱやめとくんだったぞ、と」 独りごちた。

イリーナは生まれてはじめて、絶体絶命の危機にあった。

「や、やめなさいよ!それ以上近づかないでっ」

しかし、イリーナの声は男には届いていなかった。今や、男は

極度の興奮状態にあった。さっきまで強気で自分など敵いそうもなかった

イリーナ、その彼女が一瞬見せた恥じらい。それが男に火をつけた。

さらに近づく。そこにイリーナの蹴りが炸裂した…が、日頃ボディービルで

鍛えている男にとって、たいしたダメージにはならなかった。

「ふー、ふー、こ、怖がらないで…」

言い終らないうちにイリーナの回し蹴りがヒットした。しかし、これも

十分な効果をあげなかった。

どーしよぉ〜。いつもなら助けてくれるはずの先輩はいない。

そこへ男の突進がイリーナを襲った。筋肉男にアタックされては

軽いイリーナなど一溜りもなかった。壁に叩き付けられる。

一瞬、呼吸が止まりそのあとゴホゴホとむせるイリーナに

男が覆い被さってきた。

「どきなさいよ…!やだっ!」

しかし、我を忘れている状態の男には何を言っても通じない。

なんとか逃げようと試みるが、なにせ相手は100キロあろうかという

巨漢の馬鹿力。イリーナにはどうしようもなかった。

男の手がイリーナの胸の辺りに動いた、と次の瞬間イリーナのお気に入りの

ブラウスは乱暴に引き裂かれていた。

「や…やだっ!ちょっと…やめなさいよ!」

命令口調だが、声には余裕のカケラも見当たらない。

「やめ……ど、どこ触ってんのよ!」

男は、イリーナのけして大きくはないが愛敬のある胸を揉んでいる。

乱暴で愛情やいたわりは全く感じられない。たぶん、男自身に女性経験が

ない性でもあるのだろうが……。

ふいに男の顔がイリーナに急接近してきた。唇がとがっている。

キスされるっ!とっさにイリーナは顔を背けたが、男はそんなイリーナに

「照れなくてもいいのに〜」と的外れな言葉を投げつけた。

そして首筋から胸へと、執拗なほどのキスの嵐。イリーナの白い肌に

赤いキスマークがいくつも浮かび上がっていった。

「離れなさいよ〜、…やめてっ!!」

最後の方は涙声になっていた。イリーナは気持ち悪さしか感じていなかった。

こんな男に好きにされている自分に腹が立った。武器を持っていなかったのも

簡単に男の罠に掛かったのも、元はといえば男をなめてかかった自分のせいだった。

男は相変わらずイリーナの肌にキスの雨を降らせていた。どうやらキスフェチのようだ。「きれいだよ……気持ちいいかい…フフフ・・」

男はすっかりイリーナの体に夢中で、周りは一切気にしていない様子だ。

……なんとかしなくちゃ。甘えてられない、私だってタークスの一員なんだもん…

だけど……。イリーナは今迄に人を殺めた事がなかった。ツォンも意図的に彼女を

そういう任務からは外しているように思える。イリーナが新米だからという理由以上に…今、イリーナの目にはさっきまで男が振り回していたナイフがうつっていた。

体は動かないが、手だけなら何とかなりそうだ。

しかし、イリーナは迷っていた。仕事なら割り切る事もできる。でも、これは違う。

もし、もしも…殺ってしまったら、一生自分の中に消えない罪が出来る事になる。

罪を償う為にどこかの地下で眠る事になるかもしれない。

 

そのときである。

男の手が、イリーナのズボンのベルトにかかった。カチャ…冷たい金属音が

部屋に響く。ジーッとジッパーを下げる音が無機質に奏でられた。

「フフー、い、今気持ちよくしてあげるからね…」

男の指が、ブラとお揃いの白いパンティーの上からイリーナに触れた。

己の欲望を満たす為だけの、乱暴で粗野な指の動き。

「……!いやっ、やめて…」

イリーナは心を決めた。そして鋭い刀身を静かに光らせているナイフを手にすると

一気に男の背中に振り下ろした。

 

「やめるんだぞ、と」

その声を聞いたイリーナは驚きと涙でグチャグチャの顔で声のした方向を向いた。

長身の男が、その場の状況を一向に意に介する様子もなく佇んでいる。

「そんな物騒な物、持ってるんじゃないぞ、と」

そういうと赤毛の男は硬直したイリーナの手から、そっとナイフを

抜き取った。ナイフは男の背中の3ミリ上空で停止していた。

「……レノ先輩ぃ〜」

イリーナが涙声で男の名を呼んだ。

「な…なんだ、おまえは…!」

突然の出来事にパニックになったストーカー・・・いや、強姦未遂男は

イリーナにまたがったままの格好でレノを睨んだ。

「おじゃまします…と、これでいいかな?」

「ふ、ふ、ふざけるなぁ…ここは僕の家だぞ!で、でてけ…」

しかし、レノは男を相手にもせずイリーナを見ていた。

「…せんぱぁい〜、あの…あのぉ」

「………合意の上か?」

「…!違います!」イリーナは大きく頭を振る。

そこにまたもや男が口を挟んできた。

「ぼ、僕とイリーナは愛し合ってるんだぞ…お、おまえなんかどっかいけ」

「な……!」しかしイリーナが抗議する間もなく、男のからだは

レノの蹴りによってイリーナの上から部屋の端へと移動していた。

「おまえ、うるさいぞ、と」

そしてイリーナをちらりと見た。その意味に気がついたイリーナは

即座に立ち上がった。

「いくぞ、と」

「は…はいっ…あ、ちょっと待ってください」

そう言うと、イリーナは部屋の中をキョロキョロと見まわした。

「…!あったぁ〜!」棚の上に目的のペンダントが光っていた。

背伸びして棚のペンダントを取ると、何気なくそこにかけてあった

鏡を見た。悲惨な格好の自分とレノ、そしてもう一人…ナイフを

手にした狂人が映っていた。

「せんぱい!」振り向いたイリーナが見た物は、自分に襲いかかる

狂人をスルリとかわし、その背後からロッドを叩き込むレノの姿だった。

「うっ、こんなことして…只ですむと・・思うな・・・」

「これも返しとくぞ、と」レノはさっきイリーナから取り上げた

ナイフを男の顔すれすれに突き刺した。

「二度とイリーナに近づくな。警告は一回きりだぞ、と」

どこかおどけたような言い方だが、レノの声に冗談の色はなかった。

その気迫と圧力に男は耐えられなかったようだ、空を見つめたまま

狂ったように笑い出してしまった・・。

 

「こいつは、もうだめだな。おい、行くぞ イリーナ」

「は…はいぃ」慌ててイリーナが寄ってきた。あらためてその姿を

見たレノは、からかいもせず、ただ無言で自分のジャケットを脱いで

イリーナに渡した。

「す、すいません。ありがとうございます、先輩!」

それを着ると、レノ愛用の煙草の匂いが微かに漂ってきた。

「でも、レノ先輩。どーしてここに……?」

イリーナにとっては当然の疑問である。

「来ない方がよかったのか、と」

「いえ…そーゆうわけじゃないんですけどぉ〜」

「じゃぁ、気にするな、と」

「で、でもぉ……」

ふと、レノを見ると空を見上げていた。だから、イリーナはそれ以上

聞く必要がないことに気がついて、口を閉じた。

「・・・・・!ったく…おい!!イリーナ!」

「えっ?は、はい!」突然レノに話し掛けられて、イリーナはビックリした。

いや、正確には先ほどからレノは話し掛けていたのだが、イリーナの耳には

届いていなかったのである。イリーナは考えていた。さっきの事…。

未遂とはいえ、あんな卑らしい男に体を触られたのである。嘘だと思いたくても

胸の赤いあざが現実だと告げている。そしてナイフ。あの瞬間、明らかに自分は

殺意を抱いていた。本気だった…。

とたんに、イリーナは自分がひどく汚れているという思いに駆られた。

わたし、最低だわ…。

「・・・・おいっ、聞いてるのか?」

「は、はい。何ですか、せんぱい。」

先ほどからイリーナは心ここに在らず…で、何より、レノの目を見ようとしない。

「だから…ここから一人で帰れるな?」本日三度目の言葉である。

「あ、はい。大丈夫です。ここならタクシーも拾えますし…」

いつものように明るく笑う。しかし、どこか無理があるように思うのはレノの

気の性ではないはずだ。

「あ、ジャケットは洗ってお返ししますね!…?…先輩?」

何も言わないレノをイリーナは不思議そうに見つめた。

レノはアイスブルーの瞳で、イリーナの大きな茶色い瞳を見つめていた。

目が合った瞬間、イリーナは全てを見抜かれているようで怖くなった。

なんとか視線を外すと、持てる力を動員して明るく振る舞う事に終始した。

と…、とても自然な動作でレノの腕があがり、一台のタクシーが滑り込んできた。

イリーナが乗り込む、するとなぜかレノも乗ってきた。

状況を理解できないイリーナを放ったまま、レノは短く行き先を告げた。

ここはレノのマンションである。かなりハイグレードな所だ。

イリーナは有無を言わさずここまで連れてこられてしまった。

なにしろ、タクシーでもこの部屋までの道でも、レノはほとんど

しゃべらず、ただイリーナについてこい、と合図するだけだったのだから。

「あ…あのぉ、せんぱい?」説明を求めるイリーナ。しかし、返事の変わりに

一枚のタオルが投げ渡された。

「シャワー浴びてこい、と」

「えっ?先輩?…あ、あのぉ〜」

「そこでて、すぐのドアだぞ、と」

「えぇぇ〜、あのぉ、レノ先輩…??」

しかし、レノはそれ以上説明する気はないらしく、奥の部屋に行ってしまった。

ひとり残されたイリーナは、どうしようか迷ったが、とりあえず先輩の

言う事を聞く事にした。

 

バスルームに入ると、すぐにシャワーの栓をひねる、勢いよく温水が飛び出し

イリーナの軽い金色の髪を濡らしていく。ボディーソープを使うと、辺り一面

石鹸のいい香りがした。そのバスルームにはちょうど上半身がうつるくらいの

鏡がかけてあった。イリーナはそれをじっと眺めた。赤い、胸の赤いあざ…

こすっても こすっても消えない。さっきの事が鮮明に頭の中に蘇ってくる。

わたし、最低だ…。

いつしか、こすりすぎた胸の辺りは赤く赤くなっていた。

 

「レノ先輩…?」

バスルームの籠には、シルクの青いパジャマが置いてあった。

他に着る物がないので、仕方なくイリーナはそれを身につけると先ほどの部屋に

戻った、しかしそこにレノの姿はなかった。

「どこ…ですかぁ?せんぱーい」

「ここだぞ、と」隣の部屋から、レノの返事が返ってきた。

パタパタとスリッパの音高らかに、イリーナはその部屋に入って行った。

「あ…あのぉ〜?」

「ここが客室だぞ、と。好きに使うといい」

「せんぱいぃ???」

「いい夢みるんだぞ、と」

そう言って手をひらひらさせると、レノは出て行ってしまった。

何がなんだか訳の分からないイリーナは、しばらくパニクっていた。

しかし、どうやらレノが今夜泊めてくれるらしいと気づき、

理由の分からない行動に唖然としながらも、とにかく何も考えずに

その好意(?)に甘える事にした。客室のベットはふかふかだった…。

一方レノ。煙草をふかしながら、窓外の夜景を見るとも無しにみていた。

……あの変な男のマンションで。そろそろ帰ろうと思った矢先、変な物音や

叫び声がきこえる部屋に気づいた。その部屋の鍵を電磁ロッドで壊して

侵入すると、案の定の展開が繰り広げられていた。ま、それはとりあえず

解決した。しかし、その後のイリーナの態度があまりにも変だった。ボーっとして

考え込む姿はひどく気弱で、いつもの明るくおばかなイリーナではなかった。

とても脆い感じがして…放っておけない・・そう、思ってしまった。

そしてそのまま自分のマンションまで連れてきてしまったのだ。

「何してるんだかな…、と」

時計を見ると、もう一時を回っていた。

「そろそろ寝るかな、と」

その時、イリーナのいる客室から小さな物音がした。

レノは自分の部屋をでると、客室のドア超しに話し掛けた。

「まだ起きてるのか、と」

一瞬驚いたような気配がして、それからイリーナの明るい声が返ってきた。

「あ、すいませ〜ん。うるさかったですかぁ?」

「いや……」

「もぉ寝ますね〜、おやすみなさーい 先輩」

しかし、その声はどこか作り物臭かった。ぎこちない…精一杯の虚勢。

レノは声もかけずに、客室のドアを開けた。

 

その時イリーナはベッドに腰掛けていた、そしてその大きくて茶色い瞳からは

大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「せ…先輩?!」もういないと思っていたレノがドアを開けて入ってきたのだから

ビックリ。はっと、自分が泣いている事を思い出したイリーナは袖で涙を拭った。

「どうしたんですか?あのぉ、先輩?」

レノは答えない。その場の気まずさに耐えられなくて、イリーナはどうでもいい事を

早口でまくしたてた。

「こ、この部屋すてきですねぇ〜…先輩のコーディネートですかぁ?……」

「あ、明日も晴れるといいですね〜…おやつは何がいいです…か……」

ちなみにおやつとは、オフィスで三時に食べる物で大抵はイリーナが用意していた。

「………イリーナ」

「は、はい!」やっとしゃべったレノの声に、弾かれるようにしてイリーナは

立ち上がった。

「…イリーナ、今日おまえはここには泊らなかったんだぞ、と」

「………?」言葉の意味がよくわからない。しかし、自分を見つめる

レノを見て、イリーナはやっと理解した。

レノは今夜の事をなかったことにしてくれたのだ。

「は、はい!ありがとうございます、先輩っ〜!」

イリーナは喜色満面である。まさかレノが言いふらすとは思っていないが、

やはり恥ずかしい。忘れてくれるなら幸いだ。

「それ…と。」レノは指で自分の首をツンツンと指差して、

「何とかするんだぞ、と」そういって、部屋を出て行こうとした。

キスマーク!!そうだ、わたし……。そのとたん再びあの忌まわしい記憶が

頭の中でフラッシュバックする。自分でも気づかない内に、イリーナは涙を

こぼしていた。

「おいおい……」レノが立ち止まってイリーナを見た。

「えっ、あ…。ご、ごめんなさい 先輩…」

「…たく、世話のやけるお嬢ちゃんだな、と」

そしてイリーナをきつく抱きしめた。

「せ、せんぱい…」

「だまってろ、と」鼻先に触れたイリーナの髪は、まだ少し湿っている。

レノは知っていた。傷心の女を落ち着かせるには、抱擁とキス、それで

十分だと。これはヒステリックに叫ぶ女にも有効だが・・・。

そのままイリーナに軽くキスをする。イリーナは驚きのあまり

目を閉じる事さえせず硬直していた。しかし、レノの唇がイリーナの

首筋に滑り落ちた瞬間、レノと強姦男がオーバーラップした。

「いやっ!!」レノが先輩だというのも忘れて、思わず突き飛ばしてしまった。

「い、いやです……」そのまま床に座り込んだイリーナはガタガタと震えていた。

「…………」さすがのレノも、レイプされかけた女を相手にした事は一度もなかった。

しかし…今のイリーナは小鳥のように小さく、今にも消えてしまいそうなほど

弱々しかった。このままでは一生イリーナの中に消えない傷が残るだろう。

「……目には目を。荒療治だぞ、と。」

レノは座り込んでいるイリーナをひょいと抱き上げると、ベッドの上に

放り投げた。

「い、いたぁい〜。もぉ〜何するんですかぁ……」

涙を浮かべたまま不満を口にするイリーナ。その口に再び口付ける。

長い長いキス。しかしイリーナの体は強張ったままで、何とかレノから

逃げようとしているのが分かる。唇を放すとイリーナの顔を見つめる。

潤んだ瞳が、放して欲しいと訴えている。

「こわいのか……、と」

もう声も出ないくらいに怯えきったイリーナを見て、レノは

先ほどの男を思い出していた。

チッ・・・もっと痛めつけとくんだったぞ、と

それから、レノは二ヤっと笑ってこう言った。

「大丈夫だ。俺様が言うんだから、ほんとだぞ、と」

そしてキス。

イリーナはどうしようもないほど怯えていた。相手がレノだと分かっていても

あの男の顔がチラツくのだ。あの時のおぞましさ。それらが、レノとの接触を

拒否していた。しかし……

『大丈夫』…レノがいたずらっぽく笑ってそう言う時は、いつだって本当だった。

そう思うと、少し落ち着いてくる。でも、レノのキスは気持ち悪……あれ?

気持ち悪くない……、どうしてだろうか。

考えて、イリーナは気がついた。

レノのキス。ぶっきらぼうでクール、だけど自分への配慮がある。

けして欲望を押し付けるものじゃない。レノは何にも言わなかったが

イリーナへの優しさが、そこにはあった。

レノの気持ちに気づいたイリーナの体からは、自然と緊張が消えて行った。

レノもそれに気づく。

「やっとわかったか。…まだ、嫌か?」

軽く頭を振るイリーナを見て、ニヤッと笑うと レノはイリーナの

パジャマのボタンをはずした。そこには生々しく赤い内出血の花が咲いていた。

咄嗟に隠そうとするイリーナを制して、レノはそっと触れた。

レノの長い指がイリーナの白い肌をなぞっていく。

ぼさぼさの赤毛がイリーナの頬をくすぐる。

レノのひんやりした唇が触れるたび、イリーナは慈しみが流れ込むを感じた。

あの男のつけた印は消えない、だけどそこを通してレノの気持ちが

伝わってくる。

傷が、ひとつ、またひとつと癒されていくのが分かる。

レノが自分をどう思っているか、そんな事はどうでもよかった。

ただ、今のレノの気持ち、優しさ…それだけで十分だった。

イリーナは幸せだった。

この上ない快楽に身を任せながら、やがて深い眠りについた…。

 

 

空が白んできた。レノは夜明けのミッドガルを見下ろしながら

煙草を煙らせていた。

ベッドを見ると、イリーナはまだ眠っているようだった。

ふーっと大きく煙を吐き出す。

「ま、いいか。さてと…、と」

レノはいたずらっぽく笑うと、イリーナを起こしにかかった。

きっと、慌てふためくおバカな、いつものイリーナが見られるに違いないと

予感しながら…。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

お読みいただいた通り、かなりつたない文章です…。

すいません……m(_ _)m

一応、投稿は初めてです。ってゆーか、こんなに長文を書いたのも

初めてです。

とりあえずお納め下さい。

このイリーナちがぁ〜う!とかってのは、内緒にしといてください(^^;)