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砂浜に二人の男女がいた。
女が砂浜に座り込み、男はその側に立っていた。
緩やかな風が女の髪を巻き上げ、涙に腫れた瞳を垣間見せる。
女に何があったのか、男は何もかも知っていた。
その事を女は知らなかった。
男もその事を言う気はなかった。
女が自分から言い出せるようになるまで待つか、 胸のうちに秘めるのなら、同じように自分も胸の中に秘めておくつもりだった。
沈黙に耐えきれず男が口を開く。
「・・・アレだよな。オレはさぁ自分の進む道は自分で決めたいんだよね。
だってその道を歩むのはオレ自身だし。
・・まぁ、なかなか上手く行かないけど・・・・
でもさ、自分にとって一番大事な分岐点を誰かに遠慮して間違えたら、
その誰かに失礼だと思わねぇ?」
男の言葉に女の肩が動いた。でも目は相変わらず波を見続けている。
その瞳に波が映っていないのは明らかだった。
「だってさ、例えば君の道を誤らせたのがオレだとしたら、
オレが一生後悔することになるだろぉ〜?」
男はわざとおちゃらけて言うが、その言葉がどれほど重いか想像もつかなかない。
女にとってどれほど痛い言葉か男は知っていた。それでもこういう事しか思いつかなかった。
「だからさ、自分の道を選ぶときさ、
誰の損得も考えないで自分にとって一番良い道を選べば良いと思う。
その結果が誰かを傷つけるのなら、謝ればいい。
・・・多分、許してくれるだろうし、
それで何かを失うなら、一生をかけて補えばいい。
・・・それ以上の何かを掴めばいい」
男の言葉に、女の唇が動いた。
「貴方は・・・どう?信じている人に裏切られたら?」
「・・・・う〜ん・・・・裏切った理由によるね。
正真正銘自分のためだって言うなら許す。
格好つけて誰かのためだとか、
お互いのためだとか言ったら許さない」
「自分のため?」
「そう。自分のために裏切ったって言うなら、オレは許す。
例えば命の危機とかね。
だって、誰でも自分が一番大事だろ?
そんで、その自分のために裏切ったっていうなら
・・・仕方がねぇよ。オレだってそうするもん。」
男の目は女の視線を避けるように遠くを見ていた。
その瞳を見つめ、女は視線も逸らした。
「私・・・私は・・・・貴方を裏切ったわ。
そう・・・仕方がなかった。
仕方がなかったのよ・・・」
男は女に笑顔を向ける。
「・・・・裏切ったことを後悔してる?」
「・・・・ええ」
「それじゃまだまだだね。
「オレが言ってるのは裏切っても後悔しないこと。
後悔しているなら裏切ったことにはならない・・・と思う。
まぁ、内容次第だけど」
男は爽快に笑った。そして手を差し出す。
「未来がどんな物か分からないし、
君がどんな過去を送ってきたか分からない。
どんなことを悩やんでいるかも分からないし、
心の痛みの共有もできない・・・・
だって何も言ってくれないからね」
女が男を見つめた。その瞳から涙がこぼれていた。
全部知っていることを言いたかった。その上で手を差し出していると言いたかった。
「それでも。
手を差し出した気持ちは嘘じゃない。・・・ぜひ掴んで欲しい」
男の手に女は動かない。
「・・・・まぁ、選ぶのは君だもんな」
それから一分間ほどして男の手が引っ込んだ。唇が動く。
「オレはちゃんと手を差し出したし、振り払ったのは君だ」
「・・・・裏切った自分が許せないの・・・・」
男は笑った。それはあまりにも遠い笑顔だった。
「・・・・フン、どうでもいいよ。もう。
オレは自分のすべき事は全部したしぃ〜
後は知ったこっちゃないってのぉ〜」
男はきっぱりと言い放った。
自分の本心とは違うけど、そういった方が女の気持ちが軽くなると思ったのだ。 相手が酷い奴なら、冷たい奴なら、罪悪感も軽くて済むだろうから。
女の押し殺した鳴き声は、波の音に紛れ、涙は砂浜が吸い取った。 そして男は何も言わず女の側に立ちつくしていた。ただ拳を堅く握りしめて。
それから二人は一生会うことはなかった。
ただ、男が全て知っていて、なお手を差し出したことを海だけが知っていた。