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何時の頃からだったでしょうか、あの人の事を知っていたのは。
ずいぶん昔から知っていたような気がします。主人と出会う以前からのような気が・・・。
でも、カレンダーは無慈悲に教えてくれます。
それは、一月程前だって事を。
元々、あの人は、我が家の近所のアパートに住んでた、学生さんでした。
朝、庭掃除をしてる時などに、たまに顔をあわせる程度の知り合いでしかありませんでした。
でも、庭掃除のさなか、ふと、見上げると、彼が、アパートの窓から微笑みかけてくれる、というのを、心待ちにしていたのは確かです。
思えば、私はそれまで、死んだような生活でした。
何も知らぬまま、エスカレーターの女子校を卒業し、女子大卒業と同時に親の決めた許婚と結婚。
父と母のいうまま、親子ほども年の離れた、能楽家の後添えに入ったのでございます。
挙式の時、父と母は、泣くでもなく、言いました。
「お前は今日より、真行司家の人間だ。立派に旦那様に仕えなさい。」と。
初床で、私を物の様に扱って、主人は言いました。
「お前の父との約束ゆえ、妻にしてやる。ありがたく思え。真行司の家名を汚すなよ。」と。
私は、父と母には肯き、主人には「はい、幾久しくお願いします」って、答えました。
だって、女はそうすべきだって、教育されてきたんですもの。
だから、当たり前だって、思ってました。
それからは、年に数回しか帰ってこない主人を待って、一人、家を護ってきました。
風のうわさで、主人が帰ってこないのは、余所に親しい女性、いえ、お妾さんがいる為だって聞きました。
でも、私は、騒ぐ事も、なにも、しませんでした。
余所に、お妾さんがいても、それは、男の甲斐性だって、教えられてきましたもの。
当たり前でしょう?。
むしろ、盆や暮れには、風呂敷きに心ばかりの品物を包んで、挨拶して回りましたの。
それが、妻の務めでしたから。
お妾さんは、皆さん一様に妙な眼で私をご覧になった事をお覚えています。
そして、心なしか、誇らしそうでした。
妙な眼で見られても、いっこうに私には気になりませんでしたが、一つだけ、哀しかった事はありました。
それは、お妾さんの傍らの子供達を見たときです。
主人は、お妾さんのお子さんの一人を正式に認知して、私と養子縁組みさせ、真行司家を継がせると言ってました。
ですから、「お前と、子を作る気はない。」と、はっきり明言していました。
その事は私にはショックでした。
多くの子を産み、家運を繁栄させるのが、妻の役目と思っていましたから。
でも、主人は言うのです。「つべこべ言わずに、お前は家を護っていればいいんだ。」と。
元来、子供好きな私には、とても残念でしたが、主人の言う通りにしました。
主人には絶対服従が妻の必須条件だと父母に躾られてまいりましたから。
ですから、たった一人で、広大な屋敷に住んでいました。
別に希望も夢もなく、それがない事にも気づかない哀れな人形として、暦通りの毎日を過ごしてきました。
その時、楽しかったのは、朝起きて日めくりカレンダーを破く事ぐらいだったかもしれません。
それと、自分の存在意義を確かめる為にだけにする掃除と・・・・。
ただ、家名をまもるための道具、それが、私だったんです。
そんな朝、窓から顔を出した、あの人に出会ったんです。
最初、寝癖のついた頭でボーっとしてるあの人を見たとき、思わず、笑みがもれました。
何となくユーモラスで、可愛かったんです。
挨拶を交わすと、あの人は、僅かに顔を赤らめ、挨拶が済むや否や、部屋に消えました。
それからも何度か、朝の挨拶を交わすうちに、だんだんとお互い、心安くなっていきました。
朝、さわやかな風に軽く煽られた風鈴が澄んだ音を響かせる中、あの人の笑顔が増えていったのです。
そして近所の奥様方との話のうちから、あの人の名や、学生さんである事、そして、少々問題児として、知られている事などを知ったんです。
そんなある雨の日、あれは、公園のそばを通ったときでした。
公園の片隅に仔猫がダンボールに入れられて捨てられていたんです。
あの人はしばらく仔猫の脇にしゃがんで話をしてました。
僅かに聞き取れたのは、アパートで猫が飼えない事を謝っている様でした。
そして、鞄から、パンと牛乳を取り出し、パンを二つに割って、小さくしてやり、ペンケースか何かの蓋に牛乳を注いでパンを浸して食べさせていました。
ご存知の通り、仔猫は、あまり固形物を食べず、ある程度までは、母猫の乳で育ちます。
あの人は、牛乳に浸したパンを小猫の口元に持っていき、スポンジのように吸わせたのです。
やがて、仔猫が満足したようにあくびをすると、タオルで巻いてやり、一つしかない傘をダンボールに重ねて、雨よけにすると、走っていったのです。
私は彼が去った後、その仔猫を連れ帰りました。
家に帰る途中、仔猫は私の腕の中で眠っていました。それは、それは、すやすやと。
あの日から、仔猫と傘は、私とあの人を結ぶ、よすがになりました。
あの人と会う朝の掃除の時間には、うっすらと、化粧すらし、割烹着等は、真っ白な物を選びました。
それは、心が浮き立つような幸せな気分でした。何年ぶりだったのでしょうか・・・。
そして、あの人と会った後は、決まって心が切なくなり、体の奥が疼いたのです。
結婚して数年とはいえ、年に2、3回の性交渉は主人とありました。
ですから、何も知らないわけではなく、それが、あの人を求めているって事は気づいていました。
でも、それは、罪でした。
妻として、一度嫁した以上、主人以外の男性に目を向けるのは、激しい禁忌でした。
主人に殺されても文句は言えません。
それは、妻として、最大の禁忌として、心の奥底まで叩き込まれていました。
でも、本当の私は、全身で彼を求めていたんです。いくら、理性によって封じられていても。
たとえ、殺されても、かまわないほどに。
そして、あの日が来たんです。あの運命の日が・・・。
あの日、買いすぎた荷物に苦しんでいた私を、あの人は助けてくれました。
私は、その優しさが嬉しかった。
もしかしたら、この時から理性の箍は外れ始めてたのかもしれません。
あの人を屋敷に招待して接待し、箪笥の上の物を取ろうとしてよろけて、あの人の上に転げ落ちた時、あの人の固いものを感じました。
そして、荒い息づかいも。
それが、始まりでした。大罪の・・・。
そして、本当の愛の・・・。
何があったかは、申せません。
恥ずかしゅうございますし、ただ、私は、初めて、女の喜びを、愛される歓喜を知ったとだけ、お伝えします。
それは、私にとって、たまらなく甘美であり、そして、背徳の香りに包まれていました。
そして、それは、私を変えていったのです。
その後、数日毎、あるいは毎日、あの人は、私を求めてきました。
私は、一度は抗って見せるのですが、それが、自分でも擬態に過ぎない事は、わかっていましたし、むしろ、媚態となっていたかもしれません。
そしてそこには、それまで、灰色だった人生が、にわかに原色で彩られたような感動がありました。
私は初めて幸せを手に入れたんです。
家名の重さにあえぎ、苦しんだ事も忘れました。
誰かの価値観に縛られたものでもなく、自分自身が初めて掴んだ幸せ。
それは、言葉に尽くせぬ喜びでした。生きる目的を見出したのですから。
無論、自分が、あの人につりあう女だとは思ってませんでした。
こんな7つも年上の人妻が、あの人の横に立てるなんて微塵も思えませんでしたもの。
あの人がかわいらしいお嬢さん達とデートしているのは何度か見かけましたし、それが当然でした。
ただ、あの人が私を求めてくれている時だけは、私は、彼の横にいられたのです。
たとえ身体だけのつながりでも、私は良かった。
他の人に嘲られ、罵られ、殺されて、地獄に落ちても。
どんな目にあおうとかまわないのです。
あの人の側にいられるならば。
もうすぐ、夏も終わります。
庭先の風鈴も一足先にきた、秋の風にけたたましい音をたてるようになりました。
風鈴の音が季節の変わりめを強く意識させます。
あの日、小さかった仔猫もだいぶ成長しました。
全てが、収束し、来るべき冬の幕を引く、安らぎの季節。
そして、夏という「祭り」の後の季節・・・。
秋になっても、あの人は来てくれるでしょうか。
こんな罪にまみれた女のもとにも・・・。
ただ、それだけが、今の私の心配事なんです。
ただ、それだけが・・・。
後書きめいたもの
読んでくださった方、並びに掲載してくださった、MIYA様に心から感謝を捧げます。
皆様のお口に合うとよろしいのですが・・・。
同級生の麗子さんは、人妻でありながら、高校生との恋愛に苦しむ、同級生シリーズきっての薄幸の女性だと思います。
せめて、その心情に迫りたかったのですが、果たして、どうでしょうか?。
もう少し、迫りたかったのですが、才能と作者が男性である事の2つの原因により、限界になってしまいました。
申し訳ないです。
もしかしたら、設定的におかしい点がありましたら、どんどん指摘してやって下さい。
無論、造った部分もありますが、結構、勘違いしてるもので。(笑)
まだ、書き始めて日が浅いせいか、文章が安定しておりませんが、何卒、ご賞味ください。
それでは。