【紅茶】

片桐美鈴

作・天巡暦さま


今は冬!

街のあちこちが、間近に迫るクリスマス商戦をにらんで、賑やかに装う。

冷たい北風が町の通りを吹き抜け、歩く者に、冷気と言う名の少し早いクリスマスプレゼントを与えていた。

吹きすさぶ寒風に、舞う、枯れ葉。

寒々しい北風が、全てのものを、大地に押し付けるかのように、吹く。

そんな中、オーバーの襟を立て、マフラーを巻いて、足早に歩いていく人達を、私は、暖かな喫茶店から見ていた。

店内は、外とは違い、春のような温かさと、芳しい、紅茶の香りに満たされている。

そして、店内の一角にすえつけられた、自動ピアノが、速くも、ジングルベルを鳴らしていた。

賑やかなメロディーが、午後のティー・タイムを楽しむ人々に、笑顔を与えている。

でも、私は、そんな音楽が耳に入らないかの如く、無表情で、窓の外を見ていた。

二階の窓際の私の席からは、通りを見下ろすように眺める事ができる。

この席は、私のお気に入りの席だった。

窓から、見下ろす風景が、何処か、現実離れしているイメージがあって、リラックスできるのだ。

しかも、ここの紅茶は、絶品だった。

カップを暖める、茶葉を適量いれる、適度な時間蒸らす、等の、いわゆるゴールデンルールを守っている、数少ない店。

しかも、あっさりとしたマフィンやふんわりした、ケーキの味も良かった。

さらに、趣味の良い、落ち着いた内装、と、これだけ揃った店は、ごく稀れにしか、存在しない。

故に、この店は、私のお気に入りで、本当に大事な人しか連れてこなかった、

そう、親友や恋人のような大事な人しか。

ここで、得られる大事な人たちとの歓談、それは、私にとって、最高の楽しい時間の一つ。

そして、それを得られる、大事な場所。

私に、とって、ここは、そんな店だった。

そう、いつもならば。

 

 

目の前のテーブルには、マフィンと冷え切ったセイロン・ティーがおかれていた。

先刻まで、たゆとうていた、芳しい香りも、長時間、手もつけずに、放置されていた為、拡散し、僅かな香りしかしない。

機械的に私はそれを口に運んだ。

・・・苦い!・・・

本来、セイロン・ティーは、ミルク・ティーに向いた紅茶であり、軽くミルクを入れて、飲む事が多い。

そうすると、味がまろやかになり、その芳しい香りと共に楽しめる紅茶であるのだが、確かにミルクが入っている筈なのに、苦かった。

でも、私は、感銘を受けた様子でもなく、そのまま、カップをソーサーの上に戻す。

私にとって、何時もならこだわる紅茶の味も、今は、どうでもよかった。

お気に入りのこの場所で、こうして紅茶を飲んでいるという行為の方が、今の私にとっては重要だったのだ。

そう、私の心を整理する為には。

私は、さっきまで、考えていた事を、もう一度、頭の中で、整理する。

 

最初は、3年前の秋の事だった。

町中で見掛けた、とある画廊の新進作家競作の展示会。

たまたま興味を覚えて入った、そこに、あの人はいた。

アルフォンス・ミュシャの影響を強く受けた、ならべられた絵。

テキスト通りといった感じの絵が、多い中、その絵はあった。

粗削りで、お世辞にも傑作とは言えなかったが、何か惹かれるものを感じ、購入することにする。

幸い、新人作家の絵なので、私のポケットマネーで、買えそうだった。

そんな時、その絵の画家として、売買契約書に署名したのが彼だった。

丸いサングラスをかけ、髭もじゃの中肉中背の寡黙な男。

それが、彼の第一印象。

渡された名刺には、『画家 斎藤竜之介』の名があった。

購入した絵は、大きな絵だったので、配達してもらおうとすると、意外にも彼が、車で、絵と一緒に、私を送ってくれるという。

その言葉に甘えて、私は、彼の車に乗った。

車の中で、世間話に興じる私達。

彼は、第一印象とは違い、実に多弁な男だった。

もしかしたら、芸術家に多いという、人見知りするタイプだったのかもしれない。

いつしか、私達は意気投合し、私は、彼の次の個展に見に行く約束をしていた。

これが、彼との付き合いの始めだった。

 

そっと、マフィンを口に運ぶ。

微妙な味わいは失せ、綿を食べているような感じだった。

もう一度紅茶を啜り、喉の奥へ、飲み込む。

 

初めて出会って、1年が過ぎた頃、私達は、世間で言う所の恋人同士になっていた。

彼の仕事も順調に進み、ある展覧会で、最優秀をとった事から、彼は、一躍、マスコミの寵児となった。

かつての貧乏画家も、今や、時の人であり、彼は、母校へ助教授として、迎えられ、錦を飾った。

私の方はというと、教員採用試験にパスし、念願の教師として、八十八学園に国語教師として、採用された。

始めてたつ教壇は、高校生の頃見慣れていたよりも遥かに高く感じられたものだった。

今から、考えると、気負いすぎだったのだろう。

少なくとも教師として、3年を過ごした今なら、それが言える。

でも、あの頃は幸せだった。

教師としての仕事は楽しかったし、有名になっても、だらしない彼のみなりを、整えてやるのは、彼の妻になったようで、それなりに楽しかった。

段々、ダンディーになっていく彼と腕を組んで、夜の街の大通りや、海岸を歩いた時は、誇らしかった。

全世界の人に自慢してまわりたいほどだった。

でも、そんな幸せな時間も長くはなかった。

 

二つ目のマフィンに手を伸ばす。

相変わらず、味はしない。

機械的に咀嚼してる感じだった。

 

今年の6月のある日、場所は、灯台のたもとだった。

その日、朝からふさぎ込んだ様子の彼に対し、私は何度も理由を聞いた。

彼は、しばらく、言いにくそうに、空や海を見詰めていたが、やがて、私の眼を見据えながら、その重たい口を開いた。

「美鈴、教師の仕事も大事だろうが、少しは、私との時間を増やしてくれないか。」

当時、私は初めての担任を持ったばかりで、張り切っていた。

担任は、それまでの教科だけの時の数倍に業務が拡大し、初めての事もあって、なかなかスムーズには、行かなかった。

だから、彼の気持ちはわかっていたけど、私は答えた。

「悪いけど、今は、忙しくて大変なの、ごめんね。」

其の言葉を聞いた時、彼は、さみしそうだった。

酷く、打ちのめされたようだった。

それからだった。

それまで、言い合いすらした事のない二人が、些細な事で口論となっていった。

そして、何時の間にか、聞こえてくる、彼が、学生に手を出してるって噂。

日常の忙しさに紛れて、段々とすれ違っていく、私達。

いつしか、彼のネクタイにも、私の知らない柄が、混じる様になっていく。

 

 

そこまで考えた時、眼の前の椅子が引かれ、一人の女が座った。

肩までの緩やかなウェーブを持つセミロング。

輝く瞳。

すっきりと、とおった鼻筋。

眼の前に来た女は、美しかった。

無論、元々の造作が整っているのは、確かなのだけれど、それだけじゃない。

内面からにじみ出る、光のようなものが、彼女の美しさを格上げしていた。

彼女の名は真子。今も付き合いのある、数少ない高校時代の友人。そして無二の親友でもある。

「おまたせ。」

「遅かったじゃない。」

やや、揶揄するように言う私。

「ええ、ちょっとね。」

「デート?」

真子は応える代わりに、僅かに頬を染める。

その紅く、染まった頬を見ながら、幽かに、心臓に痛みが走るのを自覚する。

・・・何故?痛みが?・・・

注文を取りに来たウェイトレスに、アップル・ティーを注文する、真子。

「卓郎君だっけ?、貴方の彼」

「ええ、そうよ。良く、覚えてるわね。」

朗らかに応える真子。

それを見た瞬間、さっきの痛みの理由が理解できた。

・・・私は、幸せな真子を妬んでいるんだ。・・・

動揺する、私。

真子に悟られないように、慌てて、動揺を押し隠すと、

「でも、貴女も変わったわね。、高校時代には、”孤高の女王様”とまで、言われた貴女が、婚約なんて、時の経つのは早いものね。」

「な、なにいってるのよ。貴女だって、そろそろじゃないの。」

泡を食ったように慌てて、矛先を変えに来る、真子。

「そんなことないわ。」

「だって、もう3年でしょう。そろそろ、結婚してもいい頃合いじゃないの?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

真子の言葉に、返答に窮する、私。

今度こそ、動揺が、顔に出てしまう。

顔色を変えた私を見て、真子も言葉を失う。

二人の間に、降りていく、重たい沈黙の帳。

 

カチャ

 

突然、眼の前におかれる、湯気をたてるティーカップ。

「おまたせしました。お客様、注文は以上でしょうか。」

「ええ」

一礼して、下がっていく、ウェイトレス。

先程の沈黙が、奇麗さっぱり、拭われたように、なくなっている。

思わず、笑みを交わす、私達。

ティーカップの香りを楽しんでから、一口飲む、真子。

「やっぱり、ここの紅茶は、美味しいわね。」

微笑みが、零れだした真子を見つめながら、考える。

・・・今しか、話せないかも・・・

私は、意を決して、告げる。

「実は、実はね、真子・・・・」

堰を切ったように、私は、自分の中の焦燥感を、そして不安を、真子に話しはじめる。

彼の愛情の揺らぎに対する不安。

仕事に対する未練。

噂に対する疑念。

自分でも理解できない、焦り。

一時間ほども、話しただろうか。

私の話を、聞き終えた真子は、言った。

「で、どうしたいの?、美鈴。」

「えっ!?」

言いよどむ私に、突き放すように、さらに真子は告げる。

「彼と、よりを戻す為に、仕事を止めるの?、それとも、彼と別れて、今の貴女を認めてくれる、新しい人を探すの?」

・・・仕事を止める、教師の職を捨てる・・・。・・・

・・・いや!、絶対にいや!・・・

・・・竜之介さんを、あきらめる、彼との時間を失う・・・。・・・

・・・それも、いや!・・・

葛藤に苦しむ、私。

悩む私を見ながら、いたわるように、真子は言う。

「いずれにせよ、このままじゃ、貴女、だめよ。どちらかに、きめないとね。」

「そう・・・ね」

力なく、応える、私。

心なしか、両肩が重くなる。

目頭が、熱くなって、思わず、ハンカチーフを目に当てる。

「別に、男は、彼だけって訳じゃないし、貴女の気づかない所で、誰かが、貴女の事を見守ってるかも、知れないわよ。」

わざと、元気づけるように、ウインクまでしながら言う、真子。

・・・男は、彼だけじゃない、か・・・・。・・・

「そうね、そうかもね・・・。」

「そうよ。さ、今夜は美味しいものでも食べにいきましょ。私がおごるから。」

「ええ、ありがと。」

真子の優しい気持ちに心が、熱くなる。

 

 

と、その時、目の前に、プリン・アラモードが、二つおかれる。

え?

慌てて、おいた手の持ち主を見上げると、そこには、若いウェイターが、立っていた。

その顔に既視感を覚え、記憶を探る。

「貴方、もしかして・・・」

「先生が沈んでたから・・・。だから、これでも食べて、元気だして。」

はにかみながら、言う、彼。

「でも・・・」

「あ、おごりだから、安心して。その代わり、バイト、みのがして。」

私の言葉を誤解した彼は、そう、早口で告げると、厨房の方へ、戻っていった。

「知り合い?」

悪戯っ子の様な表情で、真子が聞いてくる。

「ええ、私のクラスの生徒なの。」

半ば、上の空で、答える、私。

「良かったわね」

「え?、なにが?」

「さっき、言ったでしょう、貴女の気づかない所で、誰かが、貴女の事を見守ってるかもって。」

「そうね。」

なにか、暖かいものが、私の中に生まれた感じがする。

それを確認しながら、もう一度、私は呟く。

「そうね。」

そして、心の中で、もう一度。

・・・そうね。頑張らなきゃ。・・・

親友の暖かい視線を受けながら、私は、彼のくれたプリンを食べはじめた。

それは、甘かった。

甘く、そして、わずかに、苦い。

そう、立ち直った、私の心の様に。

そして、立ち直らせてくれた、彼や親友の心の様に。

 

喫茶店を出る時、彼の名前を思い出した。

・・・竜之介くん、だっけ・・・

私に元気を与えてくれた少年は、私から、元気を奪った男と、奇しくも同じ名前だった。

・・・竜之介、くん、か・・・。・・・

”さん”を”くん”に変えただけで、元気がわいてくる。

ふと、振り返ると、”竜之介くん”が、手を振っていた。

それを見ると、思わず、微笑みが零れ、胸の内に熱いぬくもりを感じた。

軽く手を振りかえすと、真子を促し、歩きはじめる。

寒風が、強く吹きつける通りを歩きながら、ふと考えた。

この喫茶店に来る時、私は、一人で、寒さに震えながら、辿り着いたものだった。

同じ道を、帰りは教え子に見送られ、親友とともに、歩いていく。

心持ち、襟元をゆるめる、私。

寒風はますます強くなってはいたが、私には、関係なかった。

先ほど、心にともったぬくもりが、私の身体を暖めてくれていた。

強く、そして、優しげに。

そう、まるで、小さな太陽のように。


みゃあの感想らしきもの(暫定版)

 

みゃあ「うーん・・・スゴイ。二文字シリーズ(勝手に名前付けるな)も早くも6本目!」

美鈴「私を選ぶなんて・・・目の付け所が違うわね(うふふ・・・)」

みゃあ「それよりも紅茶ですよ、紅茶!私も無類の紅茶党ですぅ。お気に入りはフォートナムのクイーン・アンとかアッサムとかクラシック・アールグレイ。あ、フォートナムの普通のアールグレイだけはあのフレーバーが全くダメなんで嫌い(^-^;。フォションも好きだし・・・まぁ、なんでも好きです(笑)」

美鈴「・・・毎度のことだけど、感想じゃないわよ、それって」

みゃあ「ははは・・・(^-^;。しかし・・・うーむ美鈴さんと真子先生が同級生とは・・おいしい設定ですね。今回のお話は、前半は描写だけなんですが、そこがものすごく大人の雰囲気を感じさせました!」

美鈴「うふ・・・美しく書いてくれてありがとう、暦さん」