【木陰】

斎藤真子2

作・天巡暦さま


土曜日の午後。

春とも、夏とも違う、独特の初夏の陽射しが、天窓のブラインドを潜り抜けて、部屋に差し込んでいた。

強すぎず、やわらか過ぎぬ、その光は縞模様のブラインドの影を、床にくっきりと映しだしており、それを凝視しながら水槽の金魚は、ゆらゆらと、泳いでいる。

窓辺では、観葉植物が、ブラインドから差し込んだ光を浴びるように大きく、葉を広げており、夏の到来を前に、青々とした葉を誇らしげにしているようであった。

さらに、太陽の移動とともに差し込んだ光は、光量を増して、薄暗かった部屋を明るく照らしだし、部屋の光景を次々に露にする。

使い込まれた、木の机と椅子。

閉じられた三面鏡。

年代ものの洋箪笥。

一匹しか住人のいない水槽。

そして、・・・・・・・・・・ベッドに横たわった女性。

この部屋の主、真子。

彼女は、しどけなく、長い足を重ね、両手で、枕を抱きしめて、半ば顔を埋めている。

それでも、枕からのぞかせる顔は、何時もの知的な表情を、夢見るようなそれに、その趣を変え、めったに見られない、愛らしさを醸し出す。

また、何時もは、奇麗に整えられた髪も、今は寝乱れて、ほつれてしまっているが、逆にそれが、彼女の整った顔立ちに、艶を与え、艶やかさと愛らしさという、二律背反する要素を上手く融合していた。

さらに、僅かに羽織った、パジャマの上がはだけ、胸の豊かな膨らみを、きわどい所まで覗かせ、めくりあがった掛け布団から伸びた、白く長い足が、美しい造形美を見せ、いつのまにか、あがった室温により汗ばんだ肌が、さらに、それに興を添える。

そして、時折打つ寝返りで、体が動くたびに、白い肌が、露にされ、同時に布団の中に隠されて行く。

それはそこに異性がいたならば、確実に劣情を催させたであろう、見事な眺めであった。

 

カチコチカチコチ

 

時計の針が正確に時を刻んでいく音だけが、部屋に木霊していく。

真子の規則正しい、幽かな寝息さえも、時計の音にかき消されていた。

ただ、けだるい午後の時間が、静かに過ぎていく。

 

 

突然、伸ばされた手が、ベッドの脇のサイドボードの上をさがしまわる。

やがて、何かのリモコンをつかみ、ボタンを押した。

 

ピッ

カチャ、ブーーーン

 

部屋の片隅に設置されたエアコンが唸りだし、冷ややかな風が、部屋中に送り込まれて行く。

「うーーん」

やや、満足げな声。

眠そうに半開きだった目が傍らの時計を見た途端、大きく見開かれる。

無情に現在時刻を告げる、卓上時計。

−12:57−

「嘘!こんな時間?」

慌てて、飛びおきると、壁にかけられたかけ時計をみる。

−12:58−

・・・大変!・・・

洋箪笥からバスタオルを取り出すと、階下の浴室へと急ぐ彼女。

熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴び、頭をすっきりさせて行く。

・・・こんなことなら、昨日の飲み会、パスするんだったわ・・・

後悔しながらも、髪をシャンプーし、リンスをする。

そして身体をスポンジで念入りに洗いながら、今日の予定を頭の中で繰り返す。

・・・着替えて、軽く昼食を摂って、1時間。・・・

・・・待ち合わせが14時半だから、移動に15分。よし、15分の余裕があるわね。・・・

浴室を出ると、玄関から妹の亜子の声がする。

「姉さん、彼から電話で、仕事が速くかたずいたから、待ち合わせは14時にしようって、言ってたわ。」

「え、今何時?」

「13時20分、大丈夫?急がないと間に合わないんじゃない。」

・・・急がなくっちゃ!・・・

飛び上るように自室へ戻ると、てきぱきと着替えて行く。

本来なら、いろいろと、迷うところなのだが、時間が無い。

バスタオル姿のまま、三面鏡の前に座ると、手早く、化粧をして行く。

ナチュラルメイクが彼女のお気に入りなので、乳液や化粧水をまるでマッサージする様に軽くすりこむと、極薄くファンデーションを施し、眉や髪をそろえる。

本来なら、その間に、化粧下地だのなんだのといった、さまざまな工程が入るのだが、彼女の珠のような肌には必要なかった。

簡単に化粧を終えると、着替えに入る。

お気に入りのインナーウェアに、淡いグリーンのブラウス。

クリーム色のスーツの上下に、ワンポイントの小さなカメオのブローチ。

襟にスカーフをまこうとして、思い直し、バッグに入れる。

最後に、もう一度髪を揃え、口紅をうっすらとひく。

着替えた姿を洋箪笥の姿見で確認する彼女。

続いて、三面鏡で髪と化粧をより細かくチェックし、僅かに手を加えると、再び、姿見の中の自分を確認する。

・・・よおし、今日も奇麗ね。真子、行くわよ!・・・

自分自身に気合いを入れると、階下に向かって、降りて行く。

今日は、久しぶりの彼とのデート。

気合いが入るのも当然だった。

やがて、玄関から、飛び出して行く、彼女。

何時もなら、決して走らない彼女が、今日ばかりは小走りだった。

「いってらっしゃい」

店の中から、見送る亜子。

小走りに駆けていく、その後ろ姿を姿をじっと見ながら、亜子は微笑みながら呟いた。

・・・ふふっ、これぐらい、いいよね。・・・

 

 

日ごろ走らない上にヒールで小走りに走ったものだから、足が少しむくんで、痛みを訴えた。

その足を引きずりながら、ようやく待ち合わせ場所、八十八駅前に辿り着く。

バスターミナルの看板の前で、ようやく一息つく真子。

ぜいぜいという荒い息が、大きく耳に木霊する。

何時もは意識する事のない、心臓の鼓動が、いやに大きく聞こえる。

が、14時になっても彼は現われなかった。

周囲の人々も美人が荒い息をしながら看板の前に立っているのをみて、ぶしつけな好奇の視線で、さすように凝視する。

あまりじろじろ見られるので、自分の格好がおかしいのかと気になり出す真子。

何度も化粧室へ駆け込もうと思っては、彼が来てからと、思い直すのを、何度も繰り返していた。

段々と、苛つきはじめる彼女。

美しい顔にも険が増えて行く。

 

ようやく、彼が来たのは、14時20分頃だった。

「おそいわよ、約束は守らなきゃだめでしょ。」

開口一番、やや強い調子で言う真子。

「え?」

怪訝な顔をする彼。

「待ち合わせは14時半の筈だろ。」

「あなた、電話で14時にするって言ったじゃない。」

「そんな、電話知らないぜ。真子さん、何か勘違いしてない。?」

「え?」

すばやく頭の中で、家を出る時の亜子の顔を思い出す。

留守番だというのに妙に晴れやかな顔をしていた事が鮮やかに思い出される。

・・・やられた!亜子の仕業ね。・・・

「いいわ、いきましょ。」

なおも怪訝な顔をする彼に、笑顔で誤魔化すと、彼の腕に右腕を絡み付かせ、引っ張るようにして、駅へと入っていった。

 

 

3つの駅をへて、ついたのは卯月町の世界一公園。

公園と名前はついているものの、中は広く、様々な草花が咲き乱れ、この地域最大のデートスポットでもある。

公園奥の築山の木陰で、くつろぐ二人。

「へぇー、真子さん、いい所知ってるんだね。」

午後の陽射しを眩しそうに見ながら、そっとささやく彼。

「昔の友達に教えてもらったの。」

彼は、やや探るように、きいた。

「もしかして、男友達?」

「違うわよ、女友達、親友なの。」

唇を尖らすように応える真子。

その様子が、とても年齢相応には見えず、思わず、見とれてしまう彼だった。

そして、

「そう、良かった。」

真子は安堵した様に、はにかみながら応える彼の肩を掴むと、そっと、耳に唇をよせ、ささやいた。

「ここは、とっておきの場所なの。だから、貴方以外と、ここには、来ないわ。」

そう言うと、衝動に駆られ、軽く、彼の耳たぶに噛み付いた。

一瞬、何をしたか自分でもわからず、顔を赤らめて、彼から離れる真子。

彼も顔を赤らめながら、

「真子さん、性格変わったんじゃない?」

「貴方のせいよ・・・、貴方の・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

言葉も無く、顔を真っ赤にしながら、見詰め合う二人。

さわやかな初夏の風が、二人の頬をなでていく。

その、静かな雰囲気とは裏腹に、激しく鼓動する二人の心臓。

勢いよく、送り出される血流が、全身を熱くする。

やがて、どちらともなく、近づいていく二人。

二人の手が、お互いの身体にまわり、そして、顔が近づいて行く。

真子の頤を右手でそっと支える彼。

段々と近づいてくる彼の瞳を見つめながら目を閉じる真子。

瞬間、真子の世界は真っ暗になる。

ただ、やわらかで、熱い感触が、唇に感じられた。

火箸の様に熱く、それでいて、優しげに全てを癒すような熱。

触れてるだけのキスなのに、唇から全身に暖かい波動がかんじられる。

・・・彼の思いね・・・、私、愛されてるんだ・・・。・・・

愛されているという、自覚が、全身を満たして行く。

軽い、浮遊感に、全身が覆われる。

 

彼も感動していた。

何時も冷静な真子のとった、幼いともいえる行動に。

そして、そんな行動をとらせた、その思いの深さに。

それまで、彼女に対して抜けきらなかった年上の女性というイメージがみるみる内に氷解して行く。

やがて残ったのは、頼れるものを欲し、愛を求めて泣く、一人の女性。

か弱くて、今にも消えてしまいそうな、まるで淡い雪のような、少女。

自分が護るべき存在。

心の奥底から、母性本能や父性本能とも違う保護欲が生まれてくる。

愛するものを守ろうとする、男としての誇り。

相手に安らぎを与え、同時に、相手に安らわせて欲しいという思い。

それらが、渾然一体となって、胸に満ち溢れ、その思いのまま、真子とキスをしていく。

触れ合わせた唇から、暖かい、彼女の思いが伝わる。

儚げで、優しい思いが。

傷ついた心の痛みが。

彼の愛を得た、歓喜が。

いつしか、手は彼女の耳の後ろに移動し、唇も、彼女の首筋に移動して行く。

「はぁぁぁ」

ついばむようなキスに、深い、夢見るようなため息で応える真子。

首筋を走る快楽に、いつしか、真子の意識は混濁しはじめる。

昨夜の疲れも抜けぬまま、ここに来た為だろうか。

疲労によって、快楽による意識の混濁が、眠りに変わるのはすぐだった。

・・・あ・・、い・・・・い・・わ・ね・・。・・・

 

ガクッ

 

急に両腕の中の真子が重くなって、戸惑う彼。

慌てて、彼女の様子を見直すと、何時の間にか、真子は彼の腕の中で眠っていた。

安心しきった、安らかな寝顔で。

規則正しい寝息をたてながら。

そう、すやすやと。

彼は、その寝顔を優しげな瞳で見つめ、そっと微笑んだ。

心のうちに、小さな芽が大樹へと成長するように、彼女への想いが成長していくのを自覚する。

それは、心のどこかにあった、”真子姉さん”との決別であった。

そして、同時に、守るべき恋人、”真子”との邂逅をも、意味していた。

再び、傍らに眠る真子へ微笑む彼。

だが、その微笑みは、先程までの優しげなものに加え、どこか、凛とした、責任感と誇りに満ちたものを感じさせた。

そして、自分の上着を彼女に、そっと、着せかけると、彼の左腕を腕枕に寝かせ、まるで守るように、彼女の横で添い寝を始めた。

やがて、眠り始める彼。

築山の木陰を、静かな二人の寝息が木霊して行く。

そんな二人を、さわかな初夏の風に枝をゆすられながら、そっと、木々が見ていた。

安らかな二人の眠りを妨げるのを避けるように。

穏やかに枝を風に揺らしながら。

静かに。

そう、ただ、静かに。

 

 

 

後書きめいたもの

 

読んでくださった方、並びに掲載してくださった、MIYA様に心から感謝を捧げます。

皆様のお口に合うとよろしいのですが・・・。

書いた本人が言うのもなんですが、それにしても、これ、らぶらぶなんでしょうか。

やはり、私には、らぶらぶは荷が重いですね。(笑)

もし、設定的におかしい点がありましたら、びしばし指摘してやって下さい。

無論、造った部分もありますが、結構、勘違いしてるもので。(笑)

それでは。