【あとらく・なくあ異聞】

第一話「紅い櫛」

作・天巡暦さま


か・・な・・・・・こ・・・・。

か・・・な・・・こ・・・・。ど・・・こ・・・。

姉様の声がする・・・・・。

あたりが、乳白色の霧に包まれた様に、ぼんやりとしてる。

「ね・・え・・さ・・ま?」

「ど・・・こに・・・い・・るの?・・・・」

「ねえさまなの・・・・?」

「か・・な・・こ・・・。わたしは・・かえっ・・て・・き・・た・・の・・・よ。」

周囲の霧に木霊するように、前からも後ろからも左からも右からも、そして、足元からも頭上からも声は聞こえた。

まるで、声の珠のなかにいるように。

「ここよ!?ここにいるわ。ねえさま!何処っ!!」

あたりを見回しながら、自分自身が惑乱しかかっているのがわかる。

それまで視界の効かなかったのに、突然、目の前に影がうかびあがる・・・。

「寝様!?」

霧中から浮かび上がるように、懐かしい姿が現われる。

最後に見た、傷だらけの姿ではなく、黒いセーラー服を纏、凛とした、かつてのあの恋しい、恋しいあの人が・・・。

「姉様っ!!姉様ぁっっ!う・・・・」

私は思わず飛びついた。

姉様はやさしく私を抱き留めてくれた。そのふくよかな胸に顔を押し当て泣いている私の頭をやさしくなでてくれる。懐かしい、あのくすぐったいような感触とともに。

「わたし・・・、わたし、う、う、姉様!ねえさまあああああああああああーっつ」

私は何にも考えられなかった。ただ、ただ、嬉しかった。もうあえないと思ってた。

姉様が消えたときにもう、涙は出尽くしたと思ってたのに、私の両目からは涙が止まらなかった。

「かなこ・・。いい子ね・・。」

泣きじゃくるあたしの頭を姉様は優しく、優しくなでてくれた。その手がやがて、そっと私の肩をつかむと私の体を姉様からひきはがし、そして、優しく口づけをしてくれた。

私はあまりの幸せにぼうっとする。

その時、私は不意に気づいた、口づけはやさしかったけど、姉様の味がしない事に。

姉様の体から、いつもしていた、あの芳しい香りがしない事に。

「ね・・え・・さ・・・ま??」

私は声の震えを隠し切れず、姉様の顔を見上げる。

「これはゆめなの・・・。」

「ゆ・・め・・?」

姉様は私にうなずくように微笑みを返すとそっと私の頭を胸に抱え、つぶやいた。

「聞こえないでしょう。鼓動が・・・」

姉様の胸に押し当てられた私の耳が捉えたのは姉様の声だけだった。

本来聞こえるはずの心臓の鼓動も、呼吸する音も、聞こえなかった。

「なんで・・」

思わずあとじさろうとする私を姉様は抱きしめる。上目遣いに見上げると姉様は悲しげな目で私を見つめた。

「かなこ・・。もうすぐ本当にあなたに会えるわ、もうすぐね・・・・・。」

「えっ?。」

突然、私を抱きしめていた両手を離すと、まるで沈んでいくように背後の霧の中に姉様は消えていく。

「いやあああ!姉様いかないでぇーっ!!」

私の叫びに、優しく一瞥を与えると、霧の中に消え去った。

後に広がる白い闇。

「い、いやあああああああーーーっ!!。ねえさまああああああああああああ!」

迸るような私の叫びが、霧の中に吸い込まれていった。

 

私は目を覚ました。

あたりはもう夕闇が迫っていて、部屋には長い影がいくつも差し込んでいた。

窓から見える山々に夕日が静かに沈もうとしていた。

ゆったりとした時間。

黄昏の、人とあやかしが交錯する時間。

手元に引っかかっていた編み棒に不意に気づく。

どうやら編み物をしていて、いつのまにか、うたた寝をしていたらしい。

足元には、寝る寸前まで編んでいた、白いカーディガンが落ちて、わだかまっていた。

安楽いすから立ち上がるとそっと編み掛けのカーディガンをとりあげ、そっとたたむといすの上に置く。

ふと視線が、カーディガンに落ちる。

このカーディガンをきてくれるものは、もう、いない。

初音は行ってしまった。

私をおいて・・・。

 

あの日、初音は目覚めた。その「ちから」に。

異形の、あやかしの「ちから」に。

私はあのころ、夢をみていた。姉様と二人で暮らす夢を。

その夢現の私を初音は守ってくれた。

小さな小さな赤子のころから、その笑顔で私を救ってくれた。

今にしてみると、私は夢現の中で、初音を通して姉様を見ていたのだろう。

それなりに幸せだった日々を終わらせたのは、私かもしれない。

 

異形の力に目覚め、その手が蜘蛛の爪に変わって驚いているあの子を見たとき、私の中で、何かがきれた。

たぶん、あの最後の日、銀の蜘蛛とたたかいしときの傷だらけの姉様の姿があたまの中をよぎったのだとおもう。

雨の降りしきる中、彼女が、兄様と呼んだモノと戦った姿を・・・。

「姉様・・・・!」

思わず飛びついて唇を重ねる私を見たとき、恐怖と驚愕の影があの子の顔にさしたのは見間違いではないような気がする。

飛び出していく、あの子をみながら、私はただ呆然とつぶやいていた。

「姉様・・・。」

 

 

数時間後、幽霊のように面やつれして帰ってきたあの子は震える声で私にたずねた。

「お母さん・・・私は何?」

「初音でしょう?。」私は朗らかにさえ答えた。

あの子はまるで勇気を奮い起こすように拳を握り締めると再度尋ねた。

「じゃあ、姉様って誰・・・?」

もう私の中ではあの子は姉様だった。だから答えた。

「あなたよ。」

あの子は何か思いつめたような顔をすると、ふうっと、ため息をついた。

そして、昔の姉様のように、悲しげな表情をみせた。

 

 

数日後、私たちは、父の家に引っ越した。そのさらに数日後、初音は私の前から姿を消した。

その日、朝のいつもの時間になっても初音は顔を見せなかった。

階下の食堂へ降りていく私。

食堂では父が新聞を広げながら、朝食をとっていた。

「父さま、初音は?」

「でかけたよ。」

まだ、引っ越したばかりで、学校への転入手続きなどは済んでいないはず、私は再度尋ねた。

「どこへ?」

父は私には答えず、読んでいた新聞を脇に置くと、沈痛な顔をして話しはじめた。

「よく、聞きなさい、奏子。初音ももう13才だ、もう、親ばなれしてもいいころだ。わかるね。だから・・・。」

「だから、どこへいったの!?」

遮るように叫んだ。頭の中でいやなことばを連想する。

<ダカラ、モウ、アノコハイナイヨ>

その連想をふりきって、じっと父の目をみすえる。

「だから・・・」

「だから!」

「あの子はいない・・・。知り合いに預けたんだ。」

「どうして。どうしてなの。」

知らず、声に恨みがこもる。

「だってお前、」

「なぜ!」

再び父の声を遮る私。

ため息を吐くと父は言った。

「あきらめなさい、奏子。」

<アキラメナサイ、カナコ>

<アキラメナサイ、カナ・>

<アキラメナサイ、カ・・>

<アキラメナサイ・・・>

父の声が幾重にも頭の中で反響する。

私の中で、なにかがはじけた。

「いやあああ、なぜ!なぜあの子をあずけたの!初音をかえして!!姉様をかえしてぇぇぇ!」

<カエシテッ!>カエシテッ!!>カエシテッ!!!>カエシテッ!!!!>

ミシリ。

思わず手をついていた、テーブルに亀裂がはしる。

ピシッ!ピシッ!ピシッ!ピシッ!バキィ!!

たちまち亀裂はテーブル中にひろがり、重厚な一枚板で造られていた筈のそれは、次の瞬間、真っ二つに割れる。

ドゴーーーーン

乗っていた食器や料理を飛び散らしながら、崩壊するテーブル。

「仕方なかったんだ・・・・。」

父は、まるで言い訳をするように、いった。

「どうして!!どうしてなの!!もう、私から姉様を取り上げないでっ!!!」

血を吐くように叫ぶ私。

いつも私の温和な姿しか見てない父は私のあまりの惑乱ぶりについに言った。

「それが、あの子の・・・・、初音の望みだったのだよ・・・・。」

姉様がまたいなくなった。それも自分の意志で。その事は私を狂気に突き落とすには十分だった。

「ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

目の前が紅く染まるような感じとともに、どんどん視野が狭められていく。立っているのか、座っているのかわからなくなって、体の中から、爆発するような力が全身を覆う。

頭を抱え、もがき出す私に父が駆け寄ってくる。

「奏子っ!、だいじょうぶかっ!!」

ダーーーーン!

私は、駆け寄ってくる父を無造作に右腕で払いのけた。

まるで毬のように弾き飛ばされた父は、食堂の壁にぶち当たるとずるずると崩れ落ち、うごかなくなった。

「ぁぁぁぁぁーーーーーーーー。」

声にならない声があたりの空気に満ち溢れ、キーンという音が鼓膜を連打する。右腕が熱くなり、その熱は見る見る体中に広がっていく。

「姉様ぁっ!」「・・・・!」「姉様ぁっ!」「・・・・!」「姉様ぁっ!」「・・・・!」

口の端から零れる声と純粋な思念が頭にひびく、ひびく、ひびく。

狭まった視界は暗黒に閉ざされるとともに、新たな視界が開けてゆく。

全身に電撃を浴びたように激しい衝撃がはしる、はしる、はしってゆく。

衝撃は何度も全身を打ちのめし、その神経をかき回す。

名状し難き激痛が私を襲う。

脇腹が火箸を当てられたかのごとく、熱くなり、瘤のように膨れ上がって、そして!、ついに弾ける!!。

グゥオゥァァァァァァァーー!!

人でないモノの咆哮があたりに響きわたり、周囲のガラス類は共鳴してみな粉々になる。

脇腹から生えたあしが見る間に成長し、見る見るうちにその肉体は変容し、一匹の巨大な銀の蜘蛛になった。

先端まで銀色に輝く剛毛に包まれ、見るものに、深甚たる恐怖を与える、恐ろしきモノに。あやかしに。

そのいくつもの眼は、狂気によって真紅に輝き、周囲を照らしてさえいる。

節くれだち、銀の剛毛をはやした巨大な8本の脚をあたるを幸い、振り回し、その衝撃はちょっとした地震にすら匹敵する。

重厚なはずの壁を崩し、扉を破壊し、外へ出ようとしたところで、その目は一本の紅い櫛をみた。

その瞬間、記憶がプレイバックする。

「姉様・・・・」

それは、かつて、初音姉様が学校の地下に潜んでいたころ、夜毎会いに行った私の髪を梳った櫛だった。

 

何時ものように、私を愛した姉様は私の髪の毛を弄びながら呟いた。

「かなこの髪はきれいね。」

「姉様の髪の方が奇麗です。」

「私のは擬態してるだけ。本当の髪ではないわ・・・・・・。」

心なしか、遠い目をする姉様。

「ぎたい・・・・?」

「かなこ、櫛を貸してごらん。」

ポケットから出した櫛を姉様に渡すと彼女は優しく私の髪を梳ってくれた。

髪先から根元へ。

上から下へ。

心地よさに眼を細める私を見て姉様は、そっと微笑んでいた・・・。

 

ねえさま・・・・・。

 

いつのまにか、巨大な銀の蜘蛛は消え、後には破壊し尽くされた食堂と、紅い櫛を握り締め、意識を失った私、そして、壁ぎわで崩れ落ちた父が残された。

 

その日から私は櫛を握り締め、眠り続けた。

まるで海老の様に体を丸めて・・・・。

 

 

 


後書きめいたもの

 

皆様、はじめまして。

新参者の天巡 暦です。

読んでくださった方、並びに掲載してくださった、みゃあ様に心から感謝を捧げます。

この作品は、「アリスの館456オフィシャルガイド」(SOFTBANK刊)に掲載されている、ゲーム原作者ふみゃ様が書かれた、「系譜 The next series of Atlach=Nacha」のさらに続編って形をとっています。

だから、知らないとつらいかもしれません。

はっきり言ってむちゃくちゃ不親切です。

申し訳ありません。

前掲のふみゃ様の作品では、初音が無事うまれ、中学生の時に、その「ちから」に目覚めるといった内容でした。

詳しくは前掲書をどうぞ。

私はこのSSらしきものが、処女作になります。

原作の雰囲気を壊したところがあれば、それは、私の責任です。

ご容赦ください。

 

 

あとらく〜1→GO