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真っ暗な森。月光すら、枝に阻まれ、僅かにしか届かない程の。
そう、深い、深い森。
深淵を覗き込むような、奥行きのある、形容し難い深みを帯びた暗黒が、夜の森を満たしている。
がさがさ、
突然、僅かに生えた羊歯類をかき分けながら、何か、が、移動して行く音。
ごつんっ、
今度は、何かがぶつかる音。
そしてまた、がさがさという音が続く。
その繰り返し。
時々、木々の僅かな隙間から差し込む光が、スポットライトの様に”それ”を暴き出す。
スポットライトの中、現われたのは、ブレザーの学生服を、泥だらけにしたショートヘアの少女。
がたっ、
またもや何かが落ちた音と共に少女の姿が周囲のやみに吸い込まれて行く。
再び少女が現われた時、その鼻の頭には、小さな、泥がついていた。
頭上は生い茂った枝により、殆どの光が遮られ、足元は、土壌より露出した根により、歩行を妨げられていた。
それでも、少女は、歩いて行く。根っこに足を取られ、幾度も転びながらも。幾度も枝に頭を打ち据えながらも。
身体が示す通りに。
ただ、前に、前にと。
墨を流したような暗闇の中を。
やがて、光がともる。
透き通る、蒼い光が。月光の如き、朧で、それでいて、全てを貫き通すような光。
光の及ぶところは明るく照らし出され、届かぬところには、より深き暗闇が、そして、その中間には黄昏がうまれいづる。
光は次々に増えていく。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、そして八つ。
八つの光はぐるぐるとまわり出す。さながら、真円の様に。車輪の環のように。言い伝えの「運命の環」の様に。
それぞれの光は、まるで、一つになろうかとするかの様に、目前の光を追いかけて行く。
やがて、その中央に、ひときわ強く輝く光が現われる。
先程までの光とは、全く、桁の違う光量。そして大きさ。
さっきまで、激しくまわっていた八つの光の速度が緩やかになり、やがて、小躍りをするかのように、揺らめきながら、中央の光のまわりをまわって行く。
弾みながらも、まわり続ける蒼い光。光の矢が周囲の空間に暗闇と黄昏を刻み込んで行く。
なおも踊り狂う様に、上下動を続ける光。
それは、さながら、光の一つ一つが生きているようでさえあった。
くるくるとまわり続ける蒼い光。
それは、見ているものを引き付けずには、おかない、何か儚げな輝きだった。
じゃららん、じゃららん、じゃららららん、じゃららららん
じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃら、じゃん
いくつもの鈴をつけた、祭具の響きが、周囲に響き渡る。その音は、先程までの無音の世界に音を与えた。はっきりと。
和すように、木々も枝葉をさやさやと鳴らし始める。
しゃらん、じゃらん、しゃらん、じゃらん
からから、まわる糸車
まわる、まわる、糸車
銀の糸を紡いで行くよ
しゃらん、じゃらん、しゃらん、じゃらん
何処からか、聞こえる歌。それは、奇妙な抑揚に満ちていた。
弔いの声のような。祭りの歌のような。
しゃりん、じゃりん、しゃりらん、じゃりらん
奥山の神様のお達しじゃ、ほうーれ、糸をつむぎなせ、
黒姫様のお達しじゃ、ほうーれ、糸をつむぎなせ、
しゃりん、じゃりん、しゃりらん、じゃりらん
歌は、ある時は、消えゆくように、ある時は、朗々と響き渡るように、その大きさを自在に変えて行く。
その音色は、どこか、哀惜をおび、ものがなしい響きが耳朶に残って行く。
そして、その響きが、郷愁を心に呼び起こす。見たことの無い、遥かな心の故郷への郷愁を。
その歌に導かれるように、近づいていく少女。
そこが、何処なのか、彼女には、わからない。
ただ、行かねばならない、そんな気持ちが彼女の歩みを進めさせる。
じゃらん、しゃらん、じゃりらん、しゃりらん
奥山の神様、御下りじゃ、黒姫様の、御下りじゃ、
巫女の衣は誰が織る、八神の織部のわしが織る、
じゃらん、しゃらん、じゃりらん、しゃりらん
だんだんと、光に近づいて行く少女。
彼女の顔は、光に照らされ、紅く染まっている。
瞳の中で光が踊っている。九つの光が。中央の光を中心として、まわり続ける、八つの光。
近づいた彼女には、その光が、蒼く燃える炎の様に揺らめいている事に気付いた。
そして、その光の中に、いくつもの影が、うごめいている事にも。
しゃらん、しゃりん、しゃらん、しゃりん
白い衣に緋の袴、織りなせ、裁ちなせ、縫いなんせ、
緋い袴は、何で染める、茜の汁か、人の血か、
しゃらん、しゃりん、しゃらん、しゃりん
とうとう、少女は、中央の光のたもとに辿り着く。
少女の目前で、蒼々と燃える光。その中には、他の光と違い、たった一人だけ人影が見える。
じっと人影を見詰める少女。
やがて、人影が、くっきりと見えてくる。
古い、巫女のような衣を纏、その上から、薄衣を纏った少女。その胸には、小さな鏡が輝いている。
それは、まだ若く美しい女性。そして、彼女の良く知った・・・愛する少女。
しかし、その顔には、何時もの優しげな表情はなく、輝いていた瞳は閉じられ、微笑みをたたえていた口元も硬かった。
そう、それはたとえるなら、まるで、能面のような無表情さに彩られていた。
やがて、うつむいていた、光の中の少女が、その瞼を開き、彼女を見つめた。冷たい、見知らぬものを見つめる視線で。
金縛りにするように、光の中の少女の視線が彼女の全身をなめていく。
やがて、にぃ、と、光の中の少女が満足げに微笑んだ。美しく。気品高く。しかし、狩猟者の如き、冷たい笑い。
魅入られたように動けぬ少女。
突然、周囲の光から、声がする。声ならぬ声が。
−−−・ミ・・コ・・・ジャ・ア・・・−−−
−−−・・・・ミ・・・コガ・・キ・・タ・・・−−−
−−−・・・・・ヒ・・・メサマ・・・・−−−
−−−・ミ・コ・・ガ・マイ・・リ・マシタ・・・ゾ・・・・−−−
−−−・・・ミコド・・・ノ・・・・−−−
−−−・・イザ・・ココ・・ヘ・・・−−−
−−−・・・・・・マイラ・・レ・・・ヨ・・・−−−
−−−・・コ・・コ・・・・・・ヘ・・ヒ・・メサ・・マ・・・・ノ・・・オ・ンマ・エ・・・ヘ・・−−−
−−−・・・・・ヨ・・ウ・・・コソ・・マ・イラ・・レ・・・タ・・・・−−−
−−−コ・・クゲ・・ン・・・・・ジャ・・・・・・ア・・・−−−
−−−・・・ソウ・ジャ・・コクゲンジャ−−−
−−−ハ・ジメ・・・・ヨ・・・・−−−
−−−・・・・”マツ・・リ”ヲ・・ハジ・・メ・・・ヨ・・・・−−−
光の中の少女が、そっと右腕を少女にかざす。
途端、周囲の声は静まり、元の静寂に戻る。
いつのまにか、消えている八つの光。
少女は、いつのまにか、泥だらけの筈だった身体が、風呂から上がりたてのように肌が輝き、自分が、白い衣に緋の袴を着ているのに気付いた。
巫女の装束。
そう、歌の文句通りの。
軽く、戸惑う少女。だが、同時に、当たり前のような気もする。
当たり前の事だと。自分が纏うべきものだと。
彼女自身のうちで、別の彼女が自分を説得していた。・・・これで良いのだと。
どこか、納得している少女。
突然蒼い光が強く瞬き始めた。
刹那。
光の中の少女が、かざした手から、銀色の光が、少女の眉間に突き刺さる。深く。強く。突き抜けるような勢いで。
光に押されるように、少女の身体は、後ろへ、倒れて行く。
きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
そして、全てが暗転する。光のうちに。少女の叫びと共に。
突然、起き上がる私。
「ゆ・・・め・・・?」
はあはあ、と、荒い息をついていると、キッチンから、初音がやってきた。
「どうしたの、大丈夫?」
心配げな顔。優しげな、さっきの夢の中に出てきた少女とは、ぜんぜん違う顔。
「ううん、悪い夢を見ただけ。」
「そう、良かった。たいしたことじゃなくって。ご飯、たべる?。」
「うん。」
私は、初音と一緒に、ちゃぶ台に座って晩御飯を食べた。
暖め直した為か、かすかに、香りがくどい。
でも、味付けは、時間が経って具に味が染みていたせいか、かえって美味しかった。
ただ、さっきの夢のせいか、どうも食が進まない。そんな私を心配げに見つめる初音。
彼女の心配を除こうと、私は、夢の話をする事にした。光の中の少女が、初音に似ていた事を除いて。
「そう、それでか。」
得心したようにうなづく初音。
「うん、心配かけてごめんね。」
「いいのよ。」
「ううん、ありがと。」心配かけたせいか、ついあやまってしまう。
「それより、お家に電話しておいたわ、今日は泊まって行くって。」
「いいの?」
「いいのよ、何時もは、寂しいぐらいだから。」苦笑しながら言う初音。
「じゃ、そうする。」
食後、後片付けを手伝おうとすると、初音が言った。
「あゆみ、シャワー浴びてきたら。」
「でも、今日は、着替え持ってきてないし・・・」私が戸惑った様にいうと、
「着替えなら、貸してあげるわ。下着だって、サイズは合うかどうか知らないけど、新しいのがあるから。」
「ありがとう」
私は彼女の申し出を受ける事にした。さっきの悪夢で、たっぷり汗をかいたせいで、実は気持ち悪かったのだ。
浴室にはいり、熱いのと冷たいのを交互に浴びる。たちまち、全身がすっきりする。
ボディソープを泡立てて、スポンジで擦っていく。スポンジの心地よい感触を感じながら、シャワーで泡を流す。
浴室を出ると、初音が用意してくれた、バスタオルで、体を拭き、新品の下着を袋から出して身につける。
・・・う、やっぱり。・・・
ショーツの方は問題はなかったが、やはり、上の方は大きな余裕が生じていた。
・・・グラマーだもんね。初音。・・・
・・・でも、あたしだって、そのうち・・・。・・・
不確実な未来に対する希望的観測を弄びながら、手早く彼女のパジャマを羽織る。石鹸の匂いがほのかにして、良い気分だった。
部屋に戻ると初音が布団を敷いていた。
「じゃ、入ってくるね。あゆみは、ベッドで寝て。」
「いいよ。ふとんで。」
「何いってんの、あゆみはお客様なんだから、いいわね。」幾分強い調子で言う初音。
「わかった。」
「よろしい。」おどける様にそう言うと、初音は浴室へ、消えていった。
しばらくは、TVを見ていたが、ふと、机の上の袱紗に気がついた。
そっと、触ってみる。
刹那。
ばちばちばちと、まるで、感電したように、痛みが走った。突き抜けるように、額にも痛みが走る。
「きゃ、いたーい」
「どうしたの。」
浴室から顔を出した初音が尋ねた。
私は勝手に触った事もあって、決まりわるげに、
「なんでもない。TVに驚いただけ。」と答えた。
初音は不審げな顔していたが、ともかく、浴室に戻っていった。
彼女が戻ったのを確認しながら、直接触れずに済む様に、キッチンから持ってきた菜箸で、そっと、袱紗を広げて行く。
袱紗の中からは、握りこぶし大より、少し大きいぐらいの古びた銅の鏡があった。
とても古いものらしく、緑青をふいていたが、特に膨らんだ個所もなく、鏡面は滑らかだった。
また、背面に見事な蜘蛛の細工が施されており、いかにも由緒有りそうだった。
「なにしてるの?」
突然、後ろから声が聞こえた。思わずびくっとする私。
振り向くと、いつのまにか、浴室から戻ってきてたらしい初音がいた。
作り笑いを浮かべながら、私は謝った。
「えへへ、ごめんね。つい、好奇心に負けちゃって」
「別に良いけど。どうしたの?」
私は、鏡を指差しながら、先程起こった電撃の事を話した。
「おかしいわね?そんな事なかったのに。」怪訝そうな、初音。
しばらく、鏡をひっくり返したりしてた初音だったが、首を傾げると、ぽつりとつぶやいた。
「変ね。鏡面って、こんなに滑らかだったかしら。緑青で、少し膨らんでたような気がするんだけど」
私は、鏡を指差して尋ねた。
「これ何?」
「わかんない。朝起きたらあったの。これと一緒に。」言いながら、彼女は制服のポケットから、小さな袋を出した。
「これ?」
「そう」
そっと、彼女から、袋を受け取り、中身を見た。
小さな銀の鈴が入っていた。
鈴を掌の上で転がしてみた。
リーーーン
掌の上の為、少し、くぐもった音が、聞こえる。
途端、
ガタッ!
後ろを振り向くと、先まで髪の水分を拭き取っていた筈の初音が、倒れていた。
「初音!」
慌てて、鈴を持ったまま、彼女を抱き起こそうとすると、その手を払いのけるようにして、彼女は立ち上がった。
ゆっくりと、こちらを向く初音。
その無表情で冷たく美しい顔は、夢の中で見た少女そっくりだった。
妖しく、そして禍禍しく、紅く輝く眼。焦点の会わない、虚ろな眼。
思わず息を呑む私。
初音は、その手を真っ直ぐ私の方へと向けた。私の首へと。
思わず、あとじさろうとする私。
しかし、金縛りに遭ったように、身体は微動だにしなかった。
恐怖が私を掴みあげる。
彼女の右手が私の首に取り付き、左手が伸びてくる。
後少しで私に彼女の左手が届こうとした時、私の手から、鈴が零れ落ちる。
リ、リーーーン・・・ン・・・・・
鈴の音が周囲に染み入るように響き渡る。
刹那、
初音の眼はまるで、周囲を照らし出しかねないほど紅く輝くと、急速に焦点を私の眼にあわせ、艶やかに、そして、慈愛深く微笑んだ。
次の瞬間、ふっと、目の輝きが消え、元の黒い眼に戻る。
「あれ?」
私の首に手をかけている自分に驚く初音。慌てて、手を離すと、私の顔を覗き込んだ。
「あゆみ?」
ふぅーー。ため息を吐くと、ずるずると座り込む、私。
「何?、私どうしたの?」
珍しく混乱する彼女を見つめながら、私は、激しい疲労感を感じていた。同時に深い虚脱感も。
みるみるうちに睡魔が迫ってくるのが、感じられた。
ボーっとする頭。ただ、ただ、眠たかった。
「明日、話してあげる。いまは、寝かせてね。」
そう言うと彼女の返事も聞かず、ベッドに潜り込んだ。
「あゆみぃ!」
焦れたような彼女の声が聞こえる中、私は睡魔に身をまかせ、旅立ったのだった。
深く、深く、深淵の眠りの中へと。
後書きめいたもの
第3話をお届けします。
読んでくださった方、並びに掲載してくださった、MIYA様に心から感謝を捧げます。
皆様のお口に合うとよろしいのですが・・・。
あいかわらず、話が進んでませんが、何卒、ご容赦の程を。
まだ、書き始めて日が浅いせいか、文章が安定しておりませんが、ご賞味ください。
それでは。