【神のいない大地・番外編】

4−大神官−

作・三月さま


 あの時、決めたから・・・

 

 一人の青年が、正装の一揃えを両手で持ちながら困ったような表情で立っていた。

 老いてその色になったわけではない奇麗な白色の髪。そして、不可思議な雰囲気を

醸し出している紫色の瞳。一見、人当たりがよさそうな雰囲気を持っているのだが、

いかせん、そう思って近づく者は全て、彼の傍に寄った途端にひるんでしまうだろ

う。そういう、陰のある冷たさを彼は持っている。

 ここは、聖王宮内。これからまもなく、聖王戴冠から丁度150年目の祭典が行わ

れようとしているのだが、肝心要、祭りの主である聖王がいないのだ。

 また、聖王宮からの『脱走』だ。

 それを早くに感づいた大武聖が聖王を探しに行ってくれてはいるものの、その彼も

今だ帰ってこない。

「どうしようか?」

 聖王の自室で、彼が着るはずの正装を手に持ちながら、青年は軽く頭を押さえた。

 彼は、ここゴールドバーンである祭儀の責任者なのだ。その責務のあるものとし

て、聖王の毎度の脱走は頭が痛い。

 だが、彼は許してしまう。

 聖王の脱走を、纔な笑みをもって許してしまうのだ。

 彼は知っている。聖王が何を思って王宮から抜け出しているのかを。

 この世界を支えている、悲しい人。聖王は、重い責務から抜け出すためではなく、

ただ、その責務の糧となる民達の幸せを見に行っているのだ。そうやって、自分の行

動の結果を見届けて、それを支えにしている。

 それを、彼は咎めるつもりはない。

 もしも、聖王が何か間違っている事をしているのならば、彼はもちろん止めるだろ

う。それが、彼の責務の一つだ。臣下として、主の愚行は止めるべきだと思ってい

る。

 だが、今の聖王の行動は愚行だとは思っていない。

 ならば、止める必要はないではないか。

 それが、彼の考え。

 大神官としての、バルスの考えだ。

 ただ、こうも祭儀の直前だったりすると、さすがに困ってしまう。

 式典まで、あと二時間。そろそろ用意を始めないと、さすがにまずい時刻だ。

「帰ってきてくださるとは思うけど・・・」

 いつもなら、ルドラがアルディスを引きずって帰ってきてもいいころなのだが、今

日に限って、帰ってこない。

 よほど、何かあったのではないかと、心配になってくる。

「ま、殺しても死ぬような人たちじゃないけど・・・」

 バルスはそう言って、クスリと笑った。

 実際、聖王も大武聖も、馬鹿にならないほどに強い。

 聖王は、その身に封じた魔王の存在故に、いざとなれば全てを破壊することも出来

るのだ。そして、魔王の力がなくとも、彼には知恵と力がある。

 また何よりも、聖王の傍にはルドラがいる。個人戦ならば、彼は並ぶもののない強

さだ。それに、半端な強さの者が輪になってかかってきても、ルドラなら軽く一蹴で

きる。

 バルスは、以前にあった襲撃事件の事を思いだしながら、今日、特別に遅いのはま

た、聖王が子供達と遊んで時間を忘れているせいだと結論づけた。

 先の聖王襲撃事件。バルスにしてみれば、まるで愚かな行為だ。世界を支えている

聖王を害そうとすること事態、馬鹿げている。その上、襲撃者たちは、バルスとルド

ラまでそろっている場面で、アルディスを襲ったのだ。しかも、小人数。

 いや、何も小人数が悪いと言っているわけではない。少数精鋭ならば、寄せ集めの

連中よりは、よほどましだろう。

 だが、いくら強くとも、聖王の左右に座す者達がそろっている場では、あれだけで

は少なかった。大武聖と大神官がそろっていて、なおかつ聖王を害したいのならば、

魔王でも連れてこない限りとてもではないが無理だ。

 結果は、火を見るより明らか。襲撃者たちは本懐を遂げることもなく、倒され、捕

えられてしまった。

 襲撃者達のバックにいたのは、昔からゴールドバーンを収めていた貴族の一人。戦

乱だったゴールドバーンの王位を、横からさらっていった形の聖王の存在が気に入ら

なかったらしい。

 どちらにしろ、愚かなことだ。

『カタン』

 物音がして、バルスはそちらに視線を向ける。

 聖王の部屋内は案外質素だ。必要最低限の物しか置いていない。あまり豪奢だと気

がおかしくなると言って、聖王がそうさせた。もっとも、聖王宮の最初の宮が立った

ときには、これでもかと言うくらいに財政が苦しくて、豪奢にしようにも、出来なか

ったという実情はある。だが、かなり余裕の出来てきた今でも、当時のままなのは、

やはり聖王の好みのせいだろうか。

 バルスが視線を向けた先には、古い木枠の窓。そこに、どうやってそこまで上がり

こんだのか、聖王その人の姿があった。言っておくが、聖王の部屋があるのは、王宮

の四階奥だ。

「我が君!」

 バルスが驚いて声をあげると、アルディスはこれ以上はないくらいに嬉しそうな顔

で笑って見せた。

「バルスが驚くとは、以外だったな。ルーエルを巻くつもりでこちらから来たのだ

が・・・運が良かったのか?」

「我が君・・・ルドラを置いてきたのですか?」

 バルスが咎める様な視線をアルディスに向けると、彼はそんな物などへともせず

に、ニヤリと笑った。

「だってなぁ。人ごみで紛れて、ちょっと離れただけで、ルーエルのやつ、慌てたか

ら。おもしろくってな」

「ルドラも哀れな・・・」

 バルスは、軽くため息をついた後、手にしていた正装を聖王に差し出した。

「今日の祭儀の正装です」

「ありがとう」

 アルディスは、窓から降りると、正装を受け取った。そして、当然のようにバルス

に手伝わせながら、それを着始める。

「何刻からだったかな、祭典は?」

「あと二時間ほどですね」

「・・・ルドラもそろそろ、用意をしたほうがいいのかな?」

「そうですね。まぁ、彼もそつのないほうですから、大丈夫でしょう」

「だろうね」

 クスクスと、聖王が笑う。

 それに釣られて、バルスも微笑んでいた。

 この人の幸せそうな笑みが、私の幸せだ。

 この人の責務の一部でも助けられるのならば、それでいい。

 それだけでいい。

 

 バルスがアルディスに出会ったのは、今から150年ほど前だっただろうか。

 アルディスが実質聖王位につくことになった、女神ウィリスの降臨の数年前にアル

ディスたち一行と出会い、それからずっと聖王の傍にある。

 聖王に請われる形で大神官の地位についてから150年あまり。ずっと、王を支え

てきた。

「バルスさん?」

 不意に背後からかかってきた声に、バルスはビクリとなって振り返った。

 バルスの振り返った先、聖王宮の廊下の丁度曲がり角あたりに、一人の女性が小首

を傾げて立っているのが見えた。

「リース殿か・・・」

 バルスは、女性の名前をつぶやいて、ホウッとため息をつく。

 そんなバルスの仕草がおかしかったのか、少女はクスクスと笑った。

「どうしたんですか、バルスさん?」

 普通ならば誰もがひるんでしまうはずのバルスに気軽に近づき、リースはそう尋ね

る。

 こうやって、バルスに気安くできるのは、聖王と大武聖、そして、後はこのリース

だけ。

 リースは美しい女性だった。どこか幼さの残る顔だちをしているが、それもまた可

愛らしい。東洋風の、一風変った服装をしている。漆黒の美しい髪は、生憎短く切ら

れてしまっているが、それもまた、リースにはあっているようだった。ただ、一つ、

金色の瞳が彼女が人でないことを語ってはいるが。

「どうしたのかな、リース殿?」

 近ごろ見かけることのなかったリースの姿を急に見つけたことに、バルスはそうや

って切り出して見る。

「いいえ。姿をお見かけしたもので」

 リースはそう言ってクスリと笑う。

「また、アルディス様をお探しですか?」

「いや、そんなことは・・・」

「ありますよね。だって、バルスさんはいつも、主の姿を目で追っているもの」

 リースのいたずらっぽい声に、バルスは思わず赤くなる。

「いいだろう、別に」

「そう、いいですよね、別に」

 ニッコリと笑って見せるリースに、バルスはため息を付いた。

 促しバルスが歩き出すと、リースも黙ってその横についた。

 夕刻の薄ぐらい時間。

 時がゆっくりと流れている気がする。

「私、ブルーバードに行ってたんです」

 しばらく歩いた後、リースがゆったりと先の質問に答えた。

 その答えに、バルスは驚いた様子はない。

 ブルーバードの方で騒乱の兆しがあるのは彼もすでに知っている。

「で、どうだった?」

「どっこいどっこいですね。アルディス様が介入なされば、収まるかもしれませんけ

ど・・・」

「なるほど」

「進言してくれますか?」

 リースは、やや暗い表情でバルスに尋ねた。

 それに、バルスは頷く。

 リースはアルディスの『下僕』だ。だから、彼女は彼に進言できない。いや、聖王

はそれを望んでいるのだろうが、リースがそうしようとしない。

(『魔神』と言う存在もやっかいなものなんだな・・・)

 リースの整った横顔を見ながら、バルスはふとそう思う。

 人でない存在。一部の力あるものは人をはるかに凌ぎ、人の願いを叶えてくれる。

それが『魔神』と呼ばれる亜人。リースはその一族に属する娘。そして、今はアルデ

ィスに仕えている。

 リースが叶えたアルディスの願いは、今の所一つだ。彼女が、『封印』を解いてく

れた代償に『3つ』願いを叶えようと言ったのに、アルディスは長い年月が経過した

今でもたった一つの願しかリースに告げてはいない。

 その理由をバルスは知っている。

 だから、少しリースに嫉妬もする。

「バルスさん?」

 バルスがジッと自分を見つめてくることに、リースはくすぐったそうな表情をし

た。

 そんな無邪気な表情が、聖王を引き付ける。叶わないとわかっていても、アルディ

スはこの女性を思ってしまう。

「なんでもない」

 バルスは、うっすらと笑みを浮かべてそう言った。

 この女性がアルディスの思いを拒絶したのは昔のことだ。そして、彼女はもうすぐ

長く思った相手と結ばれる。アルディスもそれを祝福している。

 わだかまりを持っているのは、バルスだけだ。

「・・・幸せになってほしい。我が君のためにも」

 不意に、バルスがそう言った言葉にリースは小さく目を見開いた。

 それから、幸せそうにニッコリと笑った。

 

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