【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

3−四百年の刻−3

作・三月さま


 それは偽善。

 

 石畳の廊下に響く、高い靴音。

 折りよく向かいから来た侍女二人は、向かってくる女性の姿を認め、一瞬ギョッと

なった。だが、流石に聖王宮に仕える侍女らしく、すぐに我に返り、相手に会釈し

た。

 それに、彼女は薄く笑い答える。

 華のある、可憐な女性。中背で細み。頼りなくも見える体格だが、今はその身を簡

素なものとは言え鎧で包み込んで居る。侍女達が驚いたのは、彼女が鎧などを身につ

けていたからだろう。

 黒髪は、その夜羽の様なつややかさを惜しむほどに、短めに切られていた。ただ、

横髪の一部だけが、長く伸ばされている。瞳は、ただ一点、彼女が普通の『人』でな

いことを示すかのような、『金』の色。影にでも入れば、猫の瞳のようにも見える。

 無言のまま、彼女は急ぐように聖王宮内の廊下を歩いて行った。

 目指す場所は、聖王の自室。

 

 彼女が尋ねてきたとき、アルディスは丁度、例のごとくルドラをからかいつつ、彼

に見張られ職務を遂行しているときだった。

 コンコンと、遠慮がちに叩かれたドア。

 それに、アルディスはいつになく上機嫌な表情になった。

「いいよ、リース」

 ドアが開かれるよりも先に、相手の名を言い当て、招き入れる。

 リースは、その声にゆっくりとドアを開けた。

「おや、鎧姿か?」

 アルディスはドアの先にいる女性を見て、纔に驚いた表情を見せた。

 それに、リースは纔にはにかんで見せる。

「申し訳ありません、主。急ぎだったもので、鎧姿のまま、御前に参上つかまつりま

した」

「・・・何かあったのか?」

「少々、やっかいなことに・・・」

 リースが表情を暗くさせ、つぶやいた言葉に、アルディスは彼女に部屋の中に入る

ように示した。同時に、ルドラに大神官バルスを呼ぶように頼む。

「おっけぇ。後でちゃんと話、聞かせろよ」

 本来ならば、下級の武官か文官でも捕まえて命じればいいような使い走りを、ルド

ラは心良く承諾する。机の前に立ったリースと入れ違う様に、部屋の戸口へ向かう。

「じゃな、リース、後で」

 聖王戴冠前から見知っている女性にそう言い捨てると、少々乱暴な音を立てドアを

閉めて行った。

 残った二人は、相変わらずのルドラの行動に、一瞬顔を見合わせ、それから笑っ

た。

「相変わらずなのですね、ルドラ様は」

「そうなんだよな、ルーエルは。いっつも、ああだ。見てて飽きない」

 アルディスはそう言い、改めてリースを見上げた。

「で、何かな?」

「はい。一族の・・・魔神の事で」

「ま、そんな所だろうと思ったけど」

 やれやれと言った感じでアルディスは肩をすくめる。

 この世界に、『魔神』と呼ばれる一族がある。呼称こそ仰々しいものだが、実際に

は人である。だが『魔』の名を冠するだけあり、魔力と人並外れた力を備え付け、

『神』の名を持つだけあって、人とは一線引いた不老性を持っている。

 それが、このリース。彼女も、そんな『魔神』の一人だ。

 そして、アルディスはそのリースの元『主』だった。

「で、どうした?」

「今になって、主に頼るのは都合のいいことだと判ってます。けれど・・・」

「いいよ、言ってごらん」

 かつての『下僕』を見上げながら、アルディスは小さく笑って見せる。

 彼が、この魔神を『解放』したのは四百年も昔のこと。聖王戴冠より以前の話だ。

 魔神は、一族同士で殺し合う事を嫌うがゆえに、『封印』と言う手段を取る。一族

に反したもの、罪を犯したもの、または、力を抑えられなかった者などを、上位の魔

神がその力で封印するのだ。

 そして、人がその封印を解く。魔神も、一族の者を半端な人間などには開封された

くないらしく、封印は人を選ぶ。そして、アルディスはその封印の検定に叶った。

 その結果、このリースを封印から解き放った。

 魔神の誇り高い気質のせいだろう。彼等は、そうやって封印を解いてくれた者を放

っておきはしない。何時の間にか、封印を解いた者に『三つの願い』を叶えると言

う、掟を創り出していた。

 リースもその掟を守った。

 アルディスの願いをまさしく『三つ』叶えたのだ。

 だが、決して叶えられていない『願い』もある。

「どうした?」

 うつむいて、話し出そうとしないリースを促すように、アルディスは重ねて尋ね

る。

「主、実は・・・」

「やっかいな魔神の封印でも解けたのか?」

「いえ・・・そうではなくて。実は、とある人の国家の事なのですが・・・」

「国家?」

 てっきり、やっかいな魔神の封印でもとけ、それを封印しなおして欲しいとでも言

われると思っていたアルディスは、リースの言葉にキョトンとなる。

 アルディスはその『聖王』としての性質ゆえに、半端な上位の魔神以上にしっかり

とした封印を張る事ができる。それゆえに、何回か、リースやその姉を通して、封印

を頼まれたこともある。

 だが、リースの告げた言葉は『国家』だった。

「国家・・・とは?」

「キャル・オーラのことです」

「神聖国家キャル・オーラか・・・」

「はい」

「じゃぁ、その鎧姿は、キャル・オーラにでも間諜に行ってきた帰りのせいか?」

「ご明察の通りです」

 リースは薄く笑う。

 ためらうように、リースは視線を彷徨わせた。そして、思い切ったように、喋り出

した。

「ご存じのとおり、キャル・オーラの王家には、『魔神』の血筋が交じって居ます。

昔に、願いゆえに血を残した魔神の血脈・・・」

「それは、ウェヴに聞いてはいたが。だが、放っておいたのだろう?」

 ウェヴはリースの姉。魔神の内でも重要な地位にいる女性だ。同時に、アルディス

のもう一人の魔神でもあった。今は、リースと同じく、『三つの願い』を叶えおえ、

ただの友人として、時折アルディスの元を訪れたりしている。

「それがどうして、今ごろになって、気にかける?」

 アルディスの疑問ももっともな事だった。

 いくら魔神の血を、人間の血で汚してしまったとはいえ、元々は同じ人間。そう言

って、魔神は長の意思の元、キャル・オーラに流れる魔神の決脈を認めたはずなの

だ。アルディスはそう聞いている。

 だが、リースの表情を伺う限り、今の魔神はキャル・オーラを邪魔と見ているよう

な節がある。

「リース?」

「・・・今のキャル・オーラの血筋は、度重なる婚姻で、魔神の血が薄くなってきて

いるんです。それ自体はいいんです。やがては消えるだろうと思っていたからこそ、

長も放っておこうと決めたんですから。でも・・・」

「また、キャル・オーラが魔神と交じり合いでもしたか?」

「いえ。まだです。ですが、しようとしています」

「薄くなり『神聖』の源となっていた魔神の力がなくなる前に、魔神の血を再び取り

込もうと言うわけか」

 アルディスはそうつぶやき、一度だけ訪れたことのあるキャル・オーラの様子を思

い出した。

 キャル・オーラの王族は、『生き神』扱いされている、魔力の高い人々だ。それ

が、魔神の血筋ゆえと知ったのは、ウェヴが知らせてくれたため。

 確かに、キャル・オーラの王族は、国民に『神』と思わせられるだけの力がある。

実際の上位の魔神であるリースなどと比べれば、笑い話しのような力なのだが。皮肉

なことに、王族が自らの血を誇るのとは裏腹に、その血筋にあるのは良くて中級の魔

神の血なのだから。

「キャル・オーラは今、必死に魔神の封印を探しています。そして、他国にも手を伸

ばそうとしている」

「・・・魔神の封印があるのは、たいてい、遺跡だったり、国家の文化財になるよう

なところだったな?」

「はい」

「そんな場所を犯さないようにと、キャル・オーラに釘をさせと?」

 不機嫌なアルディスの声。

 その声に、リースは表情を暗くする。

「駄目でしょうか」

「面倒だな。ゴールドバーンはもともと、他国には干渉したくない」

「・・・これが駄目だと・・・その、キャル・オーラの王族を打つと言う声も上がっ

ているんです。長は反対していますが、あまり数が多くなると、止められません」

 しぼり出すような、リースの言葉。

 それに、アルディスはハッとしたように彼女を見た。

 思い詰めた、それでいて、美しい表情。

 それは、アルディスがかつて愛し、そして今も愛している、心優しい、一人の女性

のものだった。

 ホウッと、アルディスがため息をつく。

「それで、わざわざ俺のところに駆けこんできたのか。カディス・・・長にも無断だ

な。ウェヴはけしかけたと言ったところか」

「すみません」

「いや、いい判断だ」

 アルディスは、今だに申し訳なさそうな顔をしているリースに、ニッコリと笑っ

た。

「魔神と人との間に亀裂が出来ると、魔神と親しい俺も弾劾を食うからな。引いて

は、ゴールドバーンもだ。いいだろう。来月、キャル・オーラに行く。そのときに、

さりげなく言っておこう」

「ありがとうございます。とりあえず、上位の血が交じらなければいいんです。皆が

恐れているのは、それだけですから」

「そうなのか?」

「ええ。下位や中位の魔神とのハーフなら、結構いるんですよ」

 リースはそう言い、イタズラっぽく笑ってみせた。

 中級、下級ならば、人間の間に血が交じっても、脅威とはならない。

 だが、上位となれば話は別だ。ときに魔神の血は、一族が束になっても勝てないよ

うな、強大な魔神を生み出してしまう。そして、それは、いつも、上位の血。それが

もし、人との間の子であれば、魔神をもっとも滅ぼしかねない存在となる。

 魔神が恐れているのは、それなのだろう。

「わかった。それならば、上位の魔神の封印を厳重に見張らせよう。現在いくつある

んだ?」

「二つです。一個はマーゼル。もう一つは、ここ、ゴールドバーン」

「初耳だ」

「はい。普通は、封印の場所は秘密ですから」

 漸く、先ほどの緊張が解けたのだろう、リースはいつものように微笑んでいた。

「わかった。ならば、マーゼルに適当な噂でも流して、キャル・オーラの間諜が入り

込めないようにする」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫。そういう工作は、俺、得意だからな」

 そう言って、ニヤリと笑って見せる聖王。

 そんな元主に、リースはクスクスと笑っていた。

 

 アルディスから簡潔に話を聞かされた大武聖・大神官の両名。

 大神官は、聖王からの命を受け、キャル・オーラへの訪問への下地と準備、及び、

マーゼル大公国への諜略の手続きに入る。

 暇なのは、こういう場合、特にすることのないのが大武聖である。

 今も、バルスが部屋を出て言った後に、ポツネンと、聖王と共に部屋に残ってい

た。

「しっかし、魔神も神経質だなぁ」

「しょうがないさ。突然出て来る、強大な魔神の力は、『魔王』と言う形で、俺達も

実感しているだろう?」

「まぁな。あんなのが、人間側に出て、魔神に牙剥くとすりゃ、ま、恐いな」

 恐いと言いつつ、大武聖はどこか興奮した表情を見せる。そう言う、自分より勝る

であろう相手が、根っから好きな達なのだ。強いて言えば、そんな相手との戦闘だろ

うか。

「でも、お前も大変だなぁ。世界の安定のためとはいえ、あっちで間諜、こっちで諜

略だなんて」

 大武聖は、ジッと何か考えている聖王に、からかうようにそう言って見せる。

 だが、今回の聖王の答えは、ルドラの予想していたものとは大分違っていた。

「『世界の安定』だって?」

 どこか、突き放した言い方。

 その声に、ルドラは珍しく、ゾッとなった。今まで、からかうように笑っていた表

情を、引き締める。

「おい、アル?」

「違うんだよ、ルドラ。俺のは『偽善』だ」

 ジッと、机の表面を睨みつけるように見ているアルディス。

 いつもの、飄々とした様子はなく、ただ、何かを思い詰めている。

「今日、リースの言葉を聞いて、改めて思い知らされた。俺は偽善者だ」

「どしたんだ、急に?」

「リースは、一族のためだとか、自分のためとかではなく、ただ純粋に、キャル・オ

ーラに起こるかもしれない悲劇を止めるために、わざわざオーラに出向き、そして、

俺の所に願ってきた」

「あぁ・・・」

「でも、俺はなんだろうか?」

 そう言って、アルディスはルドラを見上げる。

「俺は、確かに『世界』を安定させてる。でも、それは、リースとは違う感情でなん

だ」

 段々と、感情を露にしてくアルディスに、ルドラは軽く頭を掻いた。

 どうやら、時折くる、アルディスの感情の爆発らしい。

 聖王として、負の感情を滅多に見せないだけに、思い詰め爆発させることがある。

 丁度、今回がそうらしい。

「俺が世界を安定させたいと思ったのは・・・嫌だったからなんだ!」

「何が?」

 慰めることもなく、ルドラはアルディスを促す。

「何が嫌だった?」

「子供が死ぬのが。人が泣くのが。父親が死んでいって、母親達が泣いて、そして、

子供達が飢えていく。そんな、戦乱と、貧しい生活が、世界が崩れていくからだって

知って・・・それなら、世界を安定させれば、そんなものがなくなると思って・・・

それで!」

「それで?」

「それで・・・それで・・・偽善なんだ。誰のためでもない。そんなものを見てた

ら、俺の気分が悪くなる。そんな気分が嫌だったんだ。皆が言う、崇高な理想なんか

じゃない。ただ、偽善なんだ。俺が感じてた罪悪感を埋めたかっただけなんだ!」

 アルディスはそう言ったかと思うと、両の拳で、机を思い切り殴りつけた。

 ルドラはそれを、ジッと見守っている。

「そんな偽善のために、リースに無理をさせて、願いを叶えさせた。あの子を苦しめ

て、女神を呼ばせた。まるでお鉢違いの、異世界の女神を!それでいて、聖王になっ

た後、ゴールドバーンを得るために、自分が戦争を起こしたんだ。ゴールドバーンを

纏めるためなんかじゃない。ただ、欲しかったから!」

 ハァ、ハァと肩で息をしているアルディス。

「・・・それでもさ、アルディス?」

 まっすぐ過ぎる親友を、ルドラは人好きのする笑みを浮かべつつ、見ていた。

「それでも、俺、お前のこと偉いと思うぜ」

「・・・ルーエル?」

「だってさ。普通の人間は、そう思っても何にもしねぇもん。偽善でもいいじゃん

か。お前はちゃんと、世界を安定させてるし、このゴールドバーンの大地から、戦い

をなくした。そして、魔王を封じることで、人々を守ってる。これは、偽善とかの問

題じゃねぇ。『事実』だ」

「・・・ルーエル」

 ふいっと、アルディスは親友から視線を外した。

 しばらくの間、沈黙が部屋を覆った。

 そして、それを破る、アルディスの自嘲気味の小さな笑い声。

「ありがとう、ルーエル」

 いつもそうなのだ。

 アルディスにとって、ルドラは絶対に必要な親友。必要なときに、必要な言葉をく

れる、かけがえのない友。

 

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