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月のように神々しく。
星のように優しく。
太陽のように暖かく。
いつか見た、女神のように・・・
その二人を見た瞬間に、アディアナには判ってしまった。
リース・トラディス。聖王アルディスの魔神。大地の属性を持つ女性で、魔神の中
でも高位にある。アルディスが聖王として戴冠するのに最も功労ある人物だと聞いて
いる。
その魔神が、恒例のように聖王宮に訪れた。
アディアナが始めてリースに会ったのは、聖王宮に来てから三週間目。柔らかい印
象の魔神を、アディアナは一目見て好きになった。同時にリースの方も、この幼い
『姫』を気にいったらしい。二人とも、始終一緒にいて、アルディスの笑いを誘った
ものだ。
リースはそのころ既に二人の子供の母親だったから、子供の扱いは手慣れたものだ
った。だが、そんな『母親』であるはずなのに、リースは今だ少女のような女性だっ
た。
誇り高く、美しい魔神。それが、リースの持つ印象。
そんな魔神の女性がアディアナは大好きだった。
だから、判ってしまったのだ。アルディスを見続け、リースを見続け。そして、判
ってしまった。
どれだけ、アルディスがリースを思っているのかを。
他の男の妻となっても、なお、アルディスは純粋にリースを思っている。表面上
は、『友人』として振る舞っていても、時折リースの気が付かない時に向ける視線は
嘘を付けない。
強くしたたかな思い。
切ないくらいに、愛している。
アルディスが、リースを愛していると言う事実に気が付いたアディアナの思いは複
雑だった。
最初にその事に気が付いたのは七才ごろだっただろうか。始めは、その事になんと
も思わなかっただけだ。ただ、『父親』である人が、辛い思いをしているらしいこと
に、可愛そうに思っただけ。
それが、今は苦しい。
アルディスへの思慕や、リースへの慕う気持ちが複雑に絡み合って、自分自身でも
訳が判らなくなってきていた。
ただ、一つだけ判ったことがある。アルディスがリースを思い続けていると言う事
実が、酷く辛いと言う事。
既にリースはアルディスの思いを退けてしまっている。三百年も前にだ。
なのに、アルディスの思いは変らない。変えようがないのだ。
「・・・どうして?」
どうして、そこまで長い間、一人の人を思えるのか。異常と言ってもいい。
だが、事実アルディスはリースを思い続けている。
一度、子供のころに安直にルドラにその事を聞いたことがある。
「ルドラ様ぁ、どうしてお父様はリース様のことがずっと好きなの?」
「あ?」
大武聖としての執務と格闘していたルドラは、足元から湧いてきた質問に視線を下
げた。
見れば、いまだ小さい『姫』が、すぐ横で自分を見上げて来ている。
「なんだ、アディ、いつの間に来たんだ?」
「さっき、あそこから」
アディアナはそう言って、言われるまでもなく判るであろうドアの方を指差す。
そんな彼女の行動に、ルドラはやれやれと言った様子で肩をすくめる。
「で、なんだって?」
「だからぁ、どうしてお父様は、リース様のことずっと好きなのかって。だって、い
っぱい、いっぱい、年月たったでしょ?」
「んー、そうだなぁ」
ルドラは、ギシリと言う音を立てて、座っていた椅子の背にもたれた。
この事については、ずいぶんと考えたのだろう。アディアナは期待に満ちた目でル
ドラを見上げている。
「強いて言えば、リースが『永遠の女』だったって事かなぁ」
「え・・・女?」
「そ。人間誰でも、『これだ!』って相手と一回は会うと思うんだな、俺は。アルの
場合は、それがリースだったってこと。悪いのは、アルがこうと決めたらなかなか動
かない質な事と、後は聖王なんで不老だったって事かねぇ」
「じゃぁ、お父様ずっとリース様のこと好きなの?」
「さぁな。リース以上とは言わないものの、リース並の女が目の前に現われれば、そ
っちが好きになるってのも、ちょっとは可能性あるんじゃねぇか?」
「そぉお?」
「あれだって馬鹿じゃない。いつまでも、振ってくれた女を追っかけてばっかりじゃ
駄目だって判ってるんだろうよ」
ルドラはそう言って、何がおかしいのかゲラゲラと笑い出した。
アディアナはまだ知らなかったのだが、その十何年前まで、『聖王に妃を』と言う
のが盛んだったらしい。それも、ここに来てはすでに諦められてはいたのだ。
どんな女性と会わせて見ても、どんな姫を紹介してみても、肝心のアルディスが首
を縦に振らないのだ。
アルディスの心も、リースだけに縛られていると言ったわけではないだろう。それ
は、本人が否定している。ただ、リースに代われるような女性が現われないだけだ
と。
『だとしたら、ずいぶんと望み薄だな』
ルドラなどは、無責任にそう言っている。傍にいたからこそ、ルドラはアルディス
並にリースの価値が判って居る。その上の発言だ。
アルディスにとって、リースは『永遠の女』。
それを消すことは出来ない。
ただ、『思い出』となりうるかもしれないだけ。
白い質素なドレス。そんな物を、アディアナは好んで着ていた。今日もそんな格
好。『聖王の姫』として、もう少しましな物をと、回りには言われるのだが、どうも
豪奢なドレスなどは好きになれないのだ。公式な場などでは、さすがに回りの言う通
りにするが、普通の日に関しては譲らなかった。もっとも、譲らないと言っても、ア
ディアナだから、やんわりと回りに懇願しただけなのだが。
聖王宮内の階段をゆっくりと降りて言った所で、アディアナは久しぶりに会う顔を
見つけた。
リース。
アディアナにとっては、母親とも姉とも言える魔神だ。
「リース様」
階段の上から声をかけ、アディアナにしては早足に下に降りていく。
リースの居る階まで降りると、彼女がニッコリと笑って待っていてくれた。
「お久しぶりね、アディ」
「はい、リース様」
走ってきたせいか、アディアナは肩で軽く息をしている。そんな彼女を、リースは
優しく笑い、見つめていた。
いつも通りの一月ごとの聖王宮への訪問。三つの願いを叶え終わった後も、アルデ
ィスとリースの絆はとぎれず、リースはこうやって聖王宮に訪れてくる。ある時は
『子供達』を連れて。あるときは夫となった魔神も同伴で。
「ルシード様やアリオス様は?」
一緒に来ていれば、傍にいるはずの子供達の事を、アディアナは何時もどおりに聞
いて見る。『子供』と言っても、アディアナよりもずっと年齢が上なので、敬称付き
だ。『不老』の魔神も、成長速度は人間と変らない。違うのは、ただ『老い』がない
だけ。今だ魔神の中では子供扱いされてはいても、『ルシード』と『アリオス』の二
人は、すでに外見年齢だけならば、変らなくなってしまっている。
その二人も、リースの傍にいない以上、今回は同伴していないのだろう。だが、こ
うやって二人の事を聞くのは、儀礼のようなものだ。
リースはアディアナの質問にニコリと笑う。
「今日は、二人は連れてこなかったわ。ルシードは来たがっていたのだけどね」
リースはそう言って、思わせぶりな視線をアディアナに向ける。だが、肝心のアデ
ィアナはキョトンとしているだけだ。
「リース様?」
「なんでもないわ」
そう言って、クスクスと笑う。
二人とも、何も言わないうちに、合わせたように歩き出した。
傍から見れば、中の良い姉妹か親友が連れだって歩いているように見えるだろう。
だが、その中で、『母子』と言う印象も受けるかもしれない。
事実、アディアナにとっては、リースは母親のような女性だった。聖王宮内に仕え
る女官達と違って、敬うことなく、羨むことなく接してくれる人。大切に宝物のよう
に扱うのでなく、慈しんでくれる人だ。
本当の母親のことを、アディアナは覚えていない。記憶の続く限り、『母親』と言
う存在の記憶はないのだ。だが、リースと接していると、こういう感じのするもので
はないかと思える。
だから、好きだった。
「リース様、すぐにお帰りになられるのですか?」
『母親』の顔を覗き込んだ拍子に、アディアナの長い金の髪が、サラリと前にかか
った。
「いいえ。でも何故?」
「今晩、歌劇団の方々がいらっしゃるそうなんです。見ていかれません?」
「そうねぇ・・・アディも見るのね?」
「もちろんです。二週間も前から待っていましたから」
聖王宮内にいて、歌劇団の類のものを見る機会が少ないのだろう。アディアナは本
当に楽しそうに笑う。興奮で纔に頬を染めながら、何時にも増して、コロコロとよく
笑っていた。
「あぁ、アリオス様やルシード様も、いらっしゃればよかったのに」
「それならば、今からでも、ここに呼びましょうか。もし、主が歌劇団を見るのに、
二人も招いてくださればですけれど?」
「大丈夫です。お父様ですもの、招いてくださらないはず、ありませんわ」
二人がくると言うことに、アディアナはさらに微笑む。
本当に幸せだった。
こうやってリースの傍にいられれば、心にしこりのようにあり続けるわだかまりも
消えてくれる。
ただ、笑っていられた。