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もしも生まれてこなければ・・・
エルフィナ・ガーテ。
聖王の二番目の養女。姫として扱われていたが、十年後に王族から抹消される。
エルフィナが、アルディスに連れられて来たのは、アディアナが聖王宮に来てから
五年ほど経った後だった。
それは、折りよくアディアナがバルスに魔法を習っている途中であり、そこにルド
ラが怒鳴り込んでくるのも、いつものことだった。
バタバタと、駆けてくる音も荒々しく、この部屋を目指してくるバルス。その音を
聞きつけたアディアナとバルスの二人は、読みかけの本から目を話、お互いを見た。
そして、クスリと笑う。
いつも通りの光景だった。
「おい、バルス、こい!」
乱暴に扉が開け放たれ、ルドラはそれ同時にそう怒鳴っていた。
その声の調子に、アディアナがビックリした顔をする。ルドラの怒鳴り方が、何時
にも増して恐かったのだ。
「ルドラ様?」
チョコンと椅子に座っていたアディアナは、マジマジとルドラを見る。
何か、怒っている。
今のルドラの表情は、アディアナに接してくれるいつものルドラの表情ではなく、
『大武聖』としてのそれだった。
バルスも、目敏くルドラの微妙な表情の違いを読み取り、席を立った。
「アディ。今日はこれでおしまいだ」
「はい・・・」
バルスに否なを言えるはずもなく、アディアナは素直に頷く。
それを見て、バルスは無表情に、アディアナが片付けをするのを手伝ってやった。
彼にしては、こうやって手伝ってやるだけでも、まれな行為だろう。
その間、ルドラは苛々とした様子で、バルスを待っていた。
アディアナは、わたわたと本などを片付けている間中、ルドラの方を極力見ないよ
うにしていた。常日頃が、子供にとって親しみやすい兄の様な印象を与える青年だけ
に、今のように真剣な表情をしている彼はアディアナにとっては恐かった。
「部屋にいってなさい」
最後にそう言いつけてから、バルスは戸口で待っているルドラの方へと向かった。
先に、バルスが部屋の外に出る。その、擦れ違う瞬間に、ルドラはアディアナに聞
こえない小さな声で囁く。
「アルのやろう、ボロボロになって帰ってきやがった」
「そう・・・」
バルスの表情の冷淡とした印象が強くなる。
チラリとルドラが部屋の方を見ると、心配そうに本を抱えているアディアナの姿が
あった。だが、この場は敢えて、彼女は構わないでおく。
扉を閉め、廊下に出て、二人並んで歩き出した。どちらとも言い出さない内に、二
人とも早歩きになっている。
「で、お怪我は?」
最初に切り出したのはやはりバルス。アルディスが心配でならないと言った表情
だ。無表情であることが多い彼にしてはめずらしい。
そんなバルスに、ルドラはやや呆れる。
「特になし。ただ、派手にやってきたらしいな。せっかく新調してもらった服がボ〜
ロボロ」
「・・・そう言うのは『ボロボロ』とか言わないだろう。てっきり、お怪我でもなさ
れたのかと思ったじゃないか」
「まぁ、特にないとはいっても、裂傷なんかはいくつかあるからな。ボロボロってく
らい」
「貴方に他人の怪我の具合を聞くだけ、無駄だって事だな」
「そうか?」
やはりバルスに比べると緊張感に欠けるのか、ルドラはキョトンとなる。
そんな彼に、バルスは頭を軽く抑えた。
「はぁ・・・で、我が君はどこで何をなされてきたんだ?」
「シィル・アクアナで公共施設を一つ吹き飛ばしてきたらしい」
「アクアナで!?」
驚いた表情で、バルスが大武聖を見上げる。
「そ。アクアナでな。魔導関係の施設を一個、ドーンと」
「魔導・・・」
一瞬。そう、一瞬だけ、バルスの表情がギクリと強ばる。これが、アルディスかア
ディアナならば、その変化を見て取れただろう。だが、ルドラには、常に表情を隠し
ているバルスの心理状態など伺えるものではなかったらしい。見落としてしまってい
る。
バルスは視線を大武聖から反らし、宙に彷徨わせた。
「魔導施設・・・か」
ポツリと漏れた大神官の言葉。
暗く、陰鬱な声だった。
大武聖と大神官が、アルディスの部屋になだれ込んだとき、丁度彼は大神官配下の
文官から傷の手当を受けている所だった。
上着は脱ぎ、上半身裸の状態で、治療魔法を受けている。いたる所に走って居る裂
傷。それに、バルスが渋い顔をする。
「下がっていい。後は私がやるから」
見ているのももどかしくなったのか、治療途中の文官を下がらせてしまう。
やや不満顔の文官に、アルディスはクスクスと忍び笑いだ。
文官に代わって、バルスがアルディスの治療のため彼の後ろに立つ。ルドラは適当
な場所に椅子を見つけると、背もたれを前にしてそれに座った。
「で、アクアナで何してきたんだ?」
「拾いもの」
「あのガキ?」
そう言って、ルドラが苦笑いしながら指した先のソファには、一人の子供が寝かさ
れていた。定期的な寝息を立てている。
今まで、その子供の存在に気がつかなかったのか、バルスが思わずギョッとなる。
「またですか?」
『また』とは、以前連れられてきたアディアナの事を指しているのだろう。
アルディスは、それに笑いながら頷いて見せる。
「そう。まただよ。この子も聖王宮で養う」
「養女として?」
「ちょっと引っかかりはあるけどな。まぁ、そっちの方がいいだろう」
アルディスが、真剣な表情になる。
文官がてまどいながら癒していた傷を、バルスが既に大体治療し終わったのを見
て、彼にやめるように言う。その態度は、慣れたものだ。聖王として四百年もあれ
ば、人を使うと言うことも手足の動作と変らなくなってくるのだろうか。
おとなしくアルディスの言葉に従うバルス。だが、酷く子供の存在を気にしてい
る。
「我が君、『引っかかり』とは、やはり・・・」
「うん・・・そうなんだけどな」
バルスが、聖王の上着を彼に渡す。
服に袖を通す間も、その後も、アルディスは難しい表情を崩さなかった。
「ジャーナ・シェルと言い、アクアナと言い、ヘドが出る・・・」
いまいましげにアルディスの口から吐き出された言葉。
苛立ちと怒りが篭った、低い声だった。
「それで、アクアナの公共施設、ふっ飛ばしてきたんだなぁ?」
アルディスの様に怒るわけでもなく、また、バルスの様に何か気欝でもないルドラ
は、そう言って頭をかいた。
「お前、聖王だって気取られるようなこと、してないよな。嫌だぜ、ここにきて、ア
クアナと政治的に揉めるのは」
「そんなヘマ、俺がすると思うか?」
「けっこう、ボケボケだからな、お前って」
そう言って、ルドラはケラケラと笑って見せた。ルドラだとて、二人の様子の違い
を感じられないはずがない。それでいて、笑うのはわざとだろう。必要以上に思い詰
めた雰囲気を、なんとか崩そうとしている。
アルディスもそれが判ったのだろう。ようやく、表情を崩した。
「ふ・・・そうかな?」
クスクスと、小さく笑いながら、ふと、立ったまま子供から視線を反らそうとしな
いバルスを見る。
「バルス」
「あ・・・はい」
「悪い。嫌な事を思い出させたな」
「いえ・・・構いませんが。ただ、少し哀れで・・・」
常に表情を隠しているはずのバルス。その彼が、『哀れ』などと言う言葉を口にす
る。滅多に聞けるものではない。事実、ルドラなどは驚いてのけ反っている。
「めっずらしぃ・・・お前がそんなこと言うなんてよぉ」
「バルスがそう言うのは、確かに珍しいか・・・」
マイペースに戻っているアルディスは、小さく笑うだけだ。
「しかし、哀れか・・・。そうだな、この子がいずれ悩むだろうことは、お前にしか
判らないからな、バルス・・・」
「そうかもしれません・・・」
「この子は、どうなるのか・・・。俺でどうにかしてやれるのなら、してやりたいと
思う。この子が背負ったものは、『人の罪』だからな・・・」
アルディスは立ち上がると、今だソファの上で眠っている子供を覗き込んだ。
アディアナが貰われてきた年齢よりは、一つ、二つ上だろうか。少年っぽい顔だち
の、それでも可愛らしい少女だった。だが、服の裾から見える手足は細く、至る所に
小さな傷などが残っている。
「・・・すまない」
眠っている少女に、『聖王』として彼は謝っていた。
どうしようもない、人の業を背負った少女に対して。