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人を引き付ける闇。
キャアキャアと、若い女官達が屋外修練場のを見て騒いでいる。
折りよく、そこに通りかかったアディアナは、いったい何事かと言った様子で、彼
女の達に声をかけてみた。
「どうしたのですか?」
高く澄んだ声。
それに、今まで騒いでいた侍女達は、ピタリと口をつぐみ、緊張した様子で後ろを
振り返る。
「ア・・・アディアナ様!?」
侍女達の中で、一番の年長の者が、アディアナの名を呼び、それが機会になったよ
うに、侍女達は一斉に頭を下げた。
「一体、何があったのですか?」
アディアナは、そう言うと気さくに侍女達の横に立った。
『光の姫』とも名高い、聖王の姫が傍に居ることに、侍女達は全員緊張している。
普段、アディアナは後宮にいて、そこ専属の侍女ぐらいしか接することの出来ない。
こうやって、表に彼女が出てこない限り、正宮付きの侍女達には、見る機会さえない
のだ。
その彼女が、今自分達の横に居る。
いくぶん、『姫』に関する噂が先行したりもしただろう。だが、実際こうやって目
のあたりにしてみると、先行したはずの噂でさえ、大げさどころか、不十分だと思え
てしまう。
賞賛される美しさよりも、輝いていて、称えられる神秘さよりも、まだ深い。
彼女の回りだけ、空気が違って感じられるほどだ。
先程までは、小うるさく騒いでいたはずの侍女達だったが、今はアディアナの姿に
ポーッと見ほれている。
そんな侍女達にやんわりと微笑み、アディアナは彼女達が見ていた方へと視線を向
けた。
野外の特別修練場。
この二階の吹き通しの廊下から見えるそこには、今、二人の人物が真向かってい
た。
一人は大武聖ルドラ。
そして、もう一人は侍女達の心を捕えてやまない人物。
「まぁ、ルドラ様達が・・・」
アディアナは、二人の姿を見て、少し驚いたような表情になった。
「この時間、ルドラ様、政務があられたはずなのに・・・」
ふと口にした疑問に、侍女の一人が素早く答える。
「今日は特別なんだそうです。政務が早く終わられたとかで」
「そうなの・・・」
そう言って、侍女へ微笑む。
修練場でルドラと対している人物。
茶色の髪の、背の高い少年だった。前髪だけは染めているのか、紫色。長身で、線
が細い印象を受ける。たくましい体格のルドラと比べると、かなり脆弱にも見える。
きつい表情で見つめる少年の表は、凛々しく美麗だった。侍女達が、騒ぐのも頷け
る。
ただ、この印象には一つだけ間違いがある。
ルドラと剣を合わせているのは『少年』でなく『少女』なのだから。
侍女達を今最も騒がせているのは、聖王宮内のどの男性でもなく、あの少女エルフ
ィナ。
アディアナの『妹』である姫だ。
「エルフィナ・・・」
成長するに従い、人との接し方を覚えた妹に、アディアナは表をほころばせる。
幼い頃は、これでもかと言うほどに、回りの人間達に反発し、反抗し続けてきたエ
ルフィナだった。だが、今は持ち前の容姿もあったのか、侍女や女官を中心に、騒が
れるようになっていた。
中性的な容姿を持つ華麗な姫に、憧れを持つ者も多い。
冷たい印象は拭えないが、それでも人を引き付ける。そんな存在になっていた。
だが、その侍女達が『冷たい』と言うものが、以前、人を拒絶する所から来ること
を、アディアナは知っている。
しかし、少なくとも人との摩擦はなくなった。そのことにアディアナは安心せずに
はいられなかった。
少なくとも、昔のように泣いて、アディアナだけを頼るようなことはなくなったの
だから。
今回の勝負は、大半の予想通り、ルドラの勝利だった。
エルフィナが長剣を弾かれ、ルドラの大剣を突き付けられた瞬間には、侍女達が大
きく悲鳴を上げた。ルドラがそのまま、エルフィナを切りつけるはずもないが、自分
達の『憧れの君』が負けてしまったことに、悲鳴を上げたのだろう。
侍女達の叫び声に、ルドラとエルフィナが、ほぼ同時に呆れ顔で、アディアナ達を
見た。そして、そこに『姫』の姿があるのを見つけ、かなり驚いたようだった。
回りで勝負を見物していた騎士達もそうだろうが、特にエルフィナの表情の変化は
劇的だった。
真っ青になったかと思うと、次ぎの瞬間には真っ赤になる。プイッと横を向いたか
と思うと、そのまま不貞腐れた表情で、修練場の隅へと行ってしまった。
ルドラは、そんなエルフィナに苦笑いだ。
大剣を収めると、ルドラは、エルフィナの行動に目を丸くしているアディアナへ声
をかけてきた。
「おい、アディ、降りてこいよ」
「いいのですか。お邪魔ではありません?」
「いいさ。お前が居れば、他の連中も張り合いがあるだろうよ!」
ルドラの言葉の意味がわからないのか、アディアナは小さく首を傾げて見せる。
それにまた、ルドラは苦笑した。
「とにかく降りてこい!」
重ねて言うルドラに、アディアナは頷いた。
「誰か、伴をしてくれますか?」
羨ましそうな顔をしている侍女達を見て、そう言ってやる。
我先にと、名乗り出る侍女達をなだめ、全員を連れていく形で、アディアナは階下
に降りていった。
アディアナの姿が現われると、その場に居合わせた騎士達は、全員敬礼した。いく
ら養女と言ってみても、アディアナはまさしく聖王の姫。彼等にとっては主の内の一
人だ。
エルフィナはどこかと、見回して見れば、隅の方でまだ不貞腐れていた。
「エルフィナ?」
アディアナが声をかけると、エルフィナはパッと顔を上げた。それから、悔しそう
に顔をしかめる。
「姉上がいらっしゃるだなんて、知らなかったぞ!」
「・・・見ていては、駄目だったの?」
エルフィナノ剣幕に、アディアナは纔にひるむ。
姉を怖がらせてしまったことに、エルフィナはわたわたと慌てた。
「あ・・・ち、違うんだ。ただ、見てたら・・・その・・・もっと・・・あの・・・
僕・・・頑張ったのにって・・・それだけで・・・」
「まぁ、そうなの・・・」
エルフィナが真っ赤になりながら言った言葉に、アディアナは微笑む。
二人だけを見ていれば、微笑ましい会話だろう。
だが、回りの反応は見物だった。普段では絶対に見られない、エルフィナのしおら
しい態度と表情に、騎士は絶句し、侍女達は喜んでいる。
爆笑しているのは、ルドラただ一人。
「なにやってんだよ、エルフィナ。お前ってば、アディアナの前だと、ほんとに借り
てきた猫だよなぁ」
「うるさいなぁ、ルドラは!」
「だって、本当のことだろ?」
「いいんだよ。姉上の前なんだから」
「ほ〜ぉ?」
ルドラはわざとらしく、ニヤニヤと笑っている。
エルフィナは、その態度にますます赤くなり、アディアナ一人が訳が判らず小首を
傾げていた。
暗い廊下に靴音が響く。薄汚れた、人気のない廊下だった。聖王宮の華やかな雰囲
気とは違って、ここには廃虚らしい、くすんだ空気がただよっている。
闇を切り裂くように、男性の正装をしているエルフィナがその場を歩いていく。
灰色の瞳は、意思の強さを示すように、真直ぐに前を見据えている。
何の感情も浮かばない表。冷たさだけが、研ぎ澄まされたようにそこにある。
「・・・誰だ?」
不意に気配を感じ、エルフィナは振り返った。
そこにあるのは闇。
だが、その闇に隠れた物をエルフィナは目敏く見付け出していた。
タンと、床を蹴る。
同時に、腰に帯剣していた自分の愛刀を抜く。
耳をつんざくような悲鳴が上がった。
長剣が付き刺さった闇の中からの悲鳴。黒い影の中から、剣が付き刺さったままの
魔物がズルリと現われる。
「ち・・・南領は相変わらず魔物の巣窟か」
忌ま忌ましそうにつぶやき、剣を抜き払う。
ゴールドバーン南領。四百年前の戦乱の際の廃虚が、今だに撤去されずに存在し続
けているところだ。他の領でも似た様な廃虚は点々としてはいる。だが、南領は領主
の怠惰のせいか、廃虚の数が最も多かった。
人々の呪が篭った、戦乱時の廃虚。そこには魔物が巣くいやすい。
そんな場所に、エルフィナが来ているのには、もちろん理由がある。
表向きは、廃虚の調査。実際の目的としては、魔物を得ること。
新しくバルスから習った、捕獲の魔法を試すためだ。
エルフィナは、アルディス達には無断で、ちょくちょく魔法の実験台に、廃虚など
に来ることがある。魔物ならばいくら殺しても、誰も文句は言わない。むしろ、被害
を被っていた、周辺の村人や町の人間などが、礼を言ってくるくらいだ。
影から出て来た魔物は、二、三度ビクビクとうめくと、口から赤黒い液体を吐き出
し、動かなくなった。
それを、エルフィナは冷ややかな目で見下ろしている。
アディアナに対するのとは、百八十度違う態度。
「・・・くす」
エルフィナは小さく笑うと、剣を払った。
その瞬間、闇が震えた様な気がした。