【神のいない大地・番外編】

12−狭間の夢−

作・三月さま


 この世には神も悪魔もいないのだ。

 あるのは死、

 悲しみ、

 憎しみ、

 妬み。

 ただ、そんなものだけ。

 後は何もない。

 何もないのだ。

 

 滅びゆく国々。

 人々の悲鳴が大気を覆い、

 命と言う命は刈り取られ、

 大地は崩れ落ちていく。

 

 壊れていく世界。

 気付かないほどにゆっくりと、

 だが、確実に滅んでいく。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 それは、神のいない大地。

 その定め。

 

 不意に視界が開ける。

 見えるのは、暗い天井。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 聖王アルディスは、しばらく寝たままの姿勢で荒く吐息を繰り返し、それから、大

きくため息をついた。

「夢か・・・」

 ベッドの上でおもむろに起き上がると、彼は自分の頭を抱え込んだ。

 心臓が高鳴っている。

 不安か、それとも恐怖なのか。

 体が纔に震えていた。

「どうして・・・」

 暗い人気のない部屋。

 その中で、アルディスの声はやけに良く響いた。少なくとも、彼にはそう聞こえ

た。

「昔のことなのに・・・」

 つぶやき、また吐息する。

 聖王戴冠からすでに二百年。彼が戴冠前に見知っていた人物達は、全て既に故人と

なってしまっている。

 なのに、聖王が見る悪夢は、あの頃の情景だ。

 打ち続く戦乱。

 あの夢ばかり見る。

 いや、正確に言えば、聖王の見る夢は、戦乱の様子ではない。確かに、彼は幾多の

大乱を身近で見てきた。

 だが、彼の見る夢は、その戦から少し離れた情景だ。

 戦の血塗られた情景ではない。だが、同じように赤い夢。

 それを、ずっと見ている。

「兄上・・・」

 ふと、その名を漏らし、アルディスは片手で顔を覆った。右手は、無意識のうち

に、自分の左肩へと回っていた。

 全身、寝汗でグッショリと濡れている。その体が、小刻みに震えていた。

 小さな子供がそうするように、怯えている。

 アルディスは、今確かに、夢で見た光景に怯えていた。

「もう、嫌なのに・・・」

 そう言って、枕の上に突っ伏してしまう。

『この世には神も悪魔もいないのだ』

 聞こえてくる声に、耳を塞ぐ。

 だが、その幻聴は消えてくれない。

 その声を生み出しているのが、アルディスの心自身だからだ。

『神に祈るなど無駄だ。やめておけ』

 そう、いつもそうだった。

 あの人は『自分の力』しか信じていなかった。

 孤高な支配者。

 誇り高く、いつも立ち向かっていた。全てにだ。

『俺は手に入れてやる。全てをだ。この世の全て。それの何が悪い?』

 

「兄上!」

 耳を打つような、必死な呼び声に、バディスは後ろを振り返った。

 見れば、弟が向こうから走ってくる。茶色の髪に薄緑の瞳を持った、余り似ていな

い公弟。だが、確かに血を分けあった相手。

「兄上、本気か!?」

 アルディスは、バディスに追いすがるなり、そう叫んでいた。

 城の一角の廊下。近衛兵の姿もあったが、そんなものなど、アルディスは構ってい

なかった。

 ただ、混乱仕切った表情で、兄に詰め寄っていた。

「本気で、ハイウェイド城に攻め入る気か!?」

「そうだが?」

 アルディスが感情を乱し切っているのに対して、バディスの方はあくまで冷静だっ

た。

 冷たい目で、今だ少年の弟を見下ろしている。

「それが、どうかしたか?」

「姉上がいるんだぞ、ハイウェイドには!」

 アルディスがそう叫んだ瞬間だった。

 彼の細いと言ってもいい体が、壁際へと叩き付けられた。

 その場に居合わせた近衛兵達は、一様に顔をしかめる。

 表情を変えないのは、唯一人バディスだけだった。

 握っていた拳を解き、バディスは壁際で顔を抑えているアルディスの前に膝をつい

た。ジッと、恨みがましい目で自分を見る弟を見据える。

「今攻めなければならんのだ。これを逃せば、ハイウェイドを抑える機会はなくな

る」

「姉上はどなる。人質なんだぞ、殺される!!」

「そうだろうな」

 淡々と、諭すように言うバディスの口調。

 ゾッとなるほどに冷たかった。

 それに、アルディスは怒りも露に、兄に食ってかかかろうとした。感情のままに、

兄に襲いかかり、殴ろうとする。

 だがそれも、バディスに簡単に返されてしまった。受け身もまともに取れないま

ま、今度は床に叩き付けられる。

「愚か者が」

「愚か者だって!?」

 床に這いつくばりながら、アルディスが吠える。

「兄上のように、領土を広げるために姉上さえ犠牲にするくらいなら、馬鹿の方がま

しだ!!」

「そうか。そんな馬鹿なら、死んでしまえ」

 バディスはそう言い放つと、帯剣していた長剣を抜き払った。

 兄を見上げるアルディスの表情が、真っ青になる。

「あ・・・兄上」

「馬鹿では生きてはいけない。ならば、今ここで、死んだほうがましだろう?」

 バディスは、何がおかしいのかクスリと笑った。

 長剣が、振り上げられる。

 アルディスは、その剣の穂先を馬鹿の様に眺めていた。

 

 兄上。

 

 今なら少し判る。

 あの戦乱で、非情にでもならなければ、生き抜いていけなかったこと。

 自分の身を切ってでも、自分についてきてくれる民を守らねばならなかったこと。

 でも、あの狂気は?

 俺に剣を振り降ろしたときの笑みはなんだ?

 

 枕につっぷしたまま、ぼうっとする。

 夜の闇は恐いくらいに静かだった。

 そう、恐いくらいにだ。

「バディス・・・」

 兄の名前をつぶやき、アルディスは目を閉じた。

 時は、辛い思い出を和らげもし、また、忘れさせもする。

 だが、その時の中でも、決してきえない物はある。

 そう、消えないもの・・・

 

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