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君が笑っている・・・
パタパタと鳥のはばたきの音。
聖王宮内の室内から外へと続く階段。その裾に一人のアディアナは座っていた。
光のまだ淡い早朝。そんな朝早くにアディアナはガウンを羽織り、訪れてくる鳥達
と『話して』いた。
昨日のうちに侍女に用意してもらったパンクズをやりながら、鳥達の囁き声に耳を
かす。そうして、鳥達の話しに微笑んでいた。
彼女が聖王宮に来てから、九年経った。アディアナは王宮内の人々の予想通り、美
しく神々しくも成長した。今も、着飾らない質素な格好をしているが、それでも、彼
女の持つ美しさは隠しようがない。
混じり気のない、澄んだ金の髪自体が最高の飾りのように、彼女の肩から背へ、そ
して床へと流れている。鳥が彼女の差し出した手に止まり、小さく鳴いたかと思う
と、今度は肩へと移る。
幻想的な光景だった。
「そうなの・・・よかった」
鳥達の言葉に、アディアナは微笑みむ。
そのまま、そんな光景がずっと続くかと思われた。
だが、不意に現われた人物によって、それも乱される。
『パタパタパタ・・・』
人の気配を聞きつけて、鳥達が逃げていく。
アディアナは、身軽に飛んでいく鳥達を、残念そうに眺める。まるで、羨ましがる
ようにだ。それから、そんな表情を微笑みに変え、彼の方を振り向いた。
「お父様?」
パタパタと、ガウンに付いた誇りを払る。
その間、少女に『お父様』と呼ばれた青年は、苦笑しながら待っている。
「おはよ、アディ」
「おはようございます」
サラリと、前にかかっていた金の髪を後ろに払う。それから、ゆっくりと、階段を
降りて、アルディスの前に立った。
「こんな朝早くから、どうなさったんですか、お父様?」
「ひどいな、それじゃ、まるで俺がいつも寝坊してるみたいじゃないか」
「あら、ルドラ様がそう言ってらっしゃいましたけど・・・あら、たまにでしたかし
ら?」
「なるほど・・・」
アルディスが大仰に頷いて見せたのに、アディアナはしまったと言うように口を指
先で抑えた。
おずおずと、アルディスを見上げる。
「あの・・・お父様?」
「なんだ?」
「・・・ルドラ様にいじわるなさらないで下さいね」
「アディの頼みならね」
「お願いします」
アディアナが心配そうな表情を見せるので、ついに、アルディスは堪え切れなくな
ったように笑い出した。
「あははははははは、大丈夫だよ、アディ、そんなことしないから」
クスクスと笑いながら、美しく成長した『娘』を見る。
すでに、『父娘』とは言えないような外見になってしまった。ここまで何の問題も
なく成長してきたアディアナに比べ、アルディスはこれ以上成長することも老いるこ
とも出来ない。だから、外見的な年齢差は縮まっていくばかりだ。
今の二人の様子は、『父娘』と言うよりは、むしろ『恋人』とでも言ったほうが合
うくらいだ。少しばかり年の離れた恋人同士。その言い方の方がしっくりくる。
クスクスと、アルディスはまだ笑っている。
その彼のすぐ横を、一羽の小鳥が通りすぎて行った。小鳥は、始めからそこを目指
していたのか、アディアナの方にフワリと止まる。
「お帰りなさい」
帰ってきた小鳥に、アディアナは小さく笑う。
「おや、アディの友達か?」
「ええ。この子が一番仲がいいんです」
「そうか・・・アディは鳥の『声』も聞こえるのか。花とか木とかの声も聞こえた
な?」
「ええ。でも、やっぱり、動物の方がよく喋りますわ・・・」
「そう・・・」
ふとアルディスの表情が曇る。
それを見て、アディアナは自分が何か悪い事でも言ったのかと胸を抑えた。
「お父様、どうかなさいまして?」
「いや・・・俺はそういう声は聞こえないからな。精霊の声なら聞こうと思えば聞こ
えるが・・・」
「精霊は・・・わたくし、殆ど聞けませんわ」
そう言って、アディアナはシュンとなる。本当なら、自然の囁きも聞きたいのだろ
う。
アディアナが、自然の声が聞こえずに落ち込むのは、多分バルスのせいだろう。彼
がアディアナに魔法を教える際に、魔法を使うならば自然の声も聞こえたほうがいい
と何回も言ったせいだ。それも、アディアナが、一部の精霊以外の声は聞こえないと
知ってからは、止めている。
ポンと、昔からそうするように、アルディスは手をアディアナの頭に置いた。子供
のように、アディアナはアルディスの手を見上げる。
「・・・大丈夫」
得意の安心させるような笑みをアルディスは浮かべる。
「ちゃんとアディは『光』の声が聞こえるだろう。普通は、そんなものだよ」
「・・・そうですか?」
「そうだよ。バルスだって、炎や闇の精霊の声は聞こえない。それに、俺の場合は特
別だからな。『ウィリス』の力を貰っているから、全ての精霊の声を聞こうと思えば
聞こえる。それだけだ」
「でも、聞こえないとやっぱり、魔法も使えませんよね。わたくし、光の魔法ならば
いくらか使えるようになりましたけど、他の魔法は駄目ですもの」
「そうだね・・・自分の魔力も必要だけど、魔法にはやっぱり、精霊が働くから」
「だから、わたくし、もっと色々な声が聞きたい」
夜着の上に羽織っていたガウンをかき寄せながら、アディアナはうつむく。何か思
い詰めたような表情だ。
「わたくし、魔法しか役に立つようなこと、出来ませんから・・・魔法も満足に出来
なくては・・・」
「そんなに思い詰めなくても・・・」
アディアナの思いを、子供らしい思いだと感じたアルディスは、纔に笑って慰めよ
うとした。だが、それも続いたアディアナの言葉に止められていしまう。
「そうでなくては、お父様のお役に立てない・・・」
「アディ・・・?」
「わたくし・・・!」
バッと、アディアナが『父』であるアルディスを見上げる。驚いたのか、今まで彼
女の肩におとなしく止まっていた鳥が飛んでいく。
一瞬、時が止まったようだった。少なくとも、アルディスはそう感じた。
壊れやすいガラスのような瞬間。
その息詰まる空気を壊したのは、やはりアルディスだった。
「アディ?」
「はい・・・」
アディアナは、ギュッとガウンの胸元を握り締めている。
「魔法も、沢山の系統が使えればいいと言うわけじゃないよ」
これは、アディアナの求めている答えじゃない。それは判っていた。
だが、他にアルディスには答えようがなかった。
「沢山の種類の魔法が使えるより、一つを極めたほうがいいと、俺は思うけどな」
「一つ・・・」
「大体、普通は一系統の魔法ぐらいしか使えないものだよ。バルスは特別だ」
「・・・そうでしょうか?」
「そ。だから、バルスは大神官なんだよ。アディは、『光』の魔法だけでいいよ。そ
れなら・・・」
真摯に自分を見上げてくる『娘』。アルディスを尊敬して、彼の力になろうとして
いる。今だか弱い少女なのに、そう思い決めている。
切ないほどの思い。
アルディスの表に、自嘲的な笑みが浮かぶ。
「それなら、俺でも教えられるからな。『光』は俺の得意だし」
「はい」
アディアナは、その言葉に素直に頷いていた。
彼女らしい、柔らかい笑みを浮かべながら。