【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

21−黒い炎−2

作・三月さま


 次第に濃くなっていく血に狂いそうになる・・・

 

 闇の気配に、誰よりも早く気が付いたのは、他でもない、アルディスだった。

「・・・そろそろ限界なのか?」

 薄ぐらい自室で、ぽつんと立っている。その様は、酷く寂しげで、孤独に見えた。聖性とも呼ばれる、彼の銀髪が部屋の中のわずかな光を反射して、輝いても見える。金がかすれた色ではなく、本物の銀の糸とも見間違うような、美しい色合い。それは、瞳の青と共に併せ、希少な組み合わせゆえに、また、女神と同じ色ゆえに、貴色とされている。

「さて・・・」

 アルディスは、一つため息を付くとトンと、床と爪先で小さな音を立てた。それが、部屋の中の空気に波紋を投げかける。その様子を、彼は満足げに見守り薄く笑みを浮かべる。腕を抱え、スッと紺碧の瞳を閉ざしてしまう。

 銀髪だけが、闇の中で浮かび上がったように見える。アルディスの体を中心に、弱々しいが、光が発生しだした。淡い光は部屋の中を照らしだし、そこに巣くっていた闇を押し潰す。

 不意に、彼の髪が揺れた。何か、風のようなものが足元から発したように、フワリと舞い上がる。

 途端、聖王宮全てを、何かが通り抜けた。聡い者は、それを風のようなものと認知し、また、魔導に関わるものは、それを魔力の塊だと察した。それは、アルディスを中心に、聖王宮内へと、波紋のように広がっていく。

「これで、よし・・・と」

 苦笑しながら、アルディスは瞳を開いた。

 青い瞳が、夜目にも美しかった。再び、薄ぐらい普段の夜の部屋の中で、いつもより暗く見える瞳は、昼間とはまた違った輝きを見せる。

 アルディスは、気軽なようすで、部屋の明りを付ける。今までの真剣な様子が嘘のように、おかしそうに笑いながらだ。そして、いずれ駆けこんでくる人物を待つために、ポスンとベッドの上に座った。

 膝を抱え、額を乗せた。その面からは、つい先ほどまでの笑みが消えている。

 その姿は、四百年以上、世界を支え続けてきた聖王のものではなく、二十才前の青年のものだった。だが、そこには若さ故の血気盛んな様子は伺えない。ただ、思慮深い青年が、思い悩んでいるようにも見られた。

 まったく身動きしようとしないアルディスの姿は、うとうとと、居眠りをしているようにも見える。だが、瞳はしっかりと開かれ、横目に扉を見ている。誰かを待って。

 そうしている内に、心待ちにしていた喧騒が近づいてきた。

「アルディス!!」

 夜中だと言うのに、まるで遠慮のないけたたましい叫び声。

 それに、思わず笑みが漏れる。

「おい、アルディス!」

 扉を蹴り飛ばすようにして開け放ち、ルドラが必死な様子で飛び込んでくる。大武聖は、主である聖王の寝室であるにも関わらず、何の遠慮もなしに、ズカズカと部屋に入りこんできた。

 アルディスは、ルドラの形相を見て、後込みするどころか、嬉しそうに笑って見せる。

「起きてるさ、もちろん」

 得意そうに言って、アルディスは意地悪そうな表情になる。ニヤリと、含みをもった笑みを浮かべ、目の前に仁王立ちのルドラの面を見上げた。

「夜這いか、ルーエル?」

「この、馬鹿やろう!!」

 アルディスの軽口に、ルドラは間髪を入れずに怒鳴っていた。いつもこうだ。アルディスのちょっとしたからかいに、ルドラは簡単に乗ってしまう。

「てめぇ、こんな時に、遊んでんじゃねぇよ!!」

「遊んでないさ、俺はいたって真面目だぞ?」

「笑いながら言ったって、説得力ねぇんだよ!」

 ルドラの言葉通り、アルディスは何が可笑しいのかクスクスと笑っている。それでいて、心外だと言うかのように、肩をすくめてみせた。

「そうかなぁ。ルドラこそ、危機感を持って生きてるのか?」

 ペタリとベッドの上で笑っているアルディスが示すルドラの服装。

 アルディスでさえ、夜着のままだと言うのに、ルドラの方は正装でないとは言え、しっかりした服装をしていた。しかも、愛用の大剣も、忘れずに持参している。これがルドラでなければ、剣を持参で聖王の自室に駆けこむなど、謀反だなんだと、あっと言う間に、衛兵に取り押さえられている所だろう。

 ルドラは、指摘された自分の服装を見て、ばつの悪そうな顔をする。

「・・・別に、何でもないだろ。服のまま、寝たんだから」

「何故?」

「何となく、嫌な予感したからな」

 そう言って、大剣を持ち直す彼の表情は、真剣そのものだ。

 まさしく的中したルドラの予感に、アルディスは満足そうに笑みを浮かべた。

「さすが、ルーの勘はすごい」

「馬鹿いってるんじゃねぇよ」

「褒めてるんだ」

 アルディスはそう言って、ベッドから立ち上がった。

「とりあえず、聖王宮内の結界を強めた。これで、よほどの魔族でない限り、ウロチョロ出来ないだろう。半端な魔物なら、まずペチャンコだな」

「相変わらず、迅速な判断、下すのな」

「一秒でも遅れれば、臣下が魔物に食われるからな」

 アルディスが言う臣下には、官位の低い下官や、名もない下女も含まれている。そんな『聖王』の言葉に、ルドラは苦笑した。これだから、アルディスの側を離れられないのだ。

 ルドラは、アルディスに気付かれぬうちに笑みを引っ込めると、厳しい視線を窓の外へと向けた。この方向の直線上に、神を祭ると言う目的を持って建てられた聖堂がある。昼間ならば、ここからでも、屋根が見えるはずだ。

「あっちか・・・」

「多分な」

 アルディスはルドラに応答しながら、手早く着替えていく。

「強い闇を感じた。多分、あそこ辺りは俺の結界も効力がないだろう」

「ってことは、魔物が大量にいるかもしれないってことか」

「それは、どうかな。まぁ、俺の結界を無効にするほどの、濃い闇を持った魔物は、確実にいるだろうがな」

 白の上着を羽織、それを押さえるために、腰を黒の布で縛る。キュッと言う音が聞こえそうなほど、素早く巧みに、アルディスは布を結わえた。

 それから、何の迷いもない様子で、アルディスは、ベッド近くの壁に立てかけておいた長剣を手に取る。ルドラがそれを見て、先に部屋を出た。

 アルディスもそれに続こうとする。が、ルドラが戸口で立ち止まってしまう。

「どうした?」

「いやぁ・・・」

 何か重要なことでも思い出したのか、ルドラが首を傾げた。

「バルスは?」

「・・・そこだろう?」

 そう言って、クスリと笑うアルディス。ルドラの質問のタイミングがよほど可笑しかったのか、堪えきれなくなったように爆笑している。

 アルディスの言う通り、ルドラの目の前の廊下には、ゆったりと構えているバルスの姿があったからだ。

 

 一瞬にして駆け抜けた、何物よりも強い光。いや、あれは光などと言う、生易しいものではない。それ以上の、神々しいばかりの力だ。それが、闇の根源たる者が放った下僕全てを、一瞬の内に聖王宮内から排除していた。光に耐えられなかった魔物は、その力により瞬時に押し潰され絶命し、多少力のあるモノは外の闇へと弾き飛ばされていた。

「ち・・・」

 聖堂の中央に立ち、闇の根源たる者は、苛立たしげに舌打ちした。拳を力任せに握り込める。

 せっかく、この聖王宮を血の色に染められると思ったのに、邪魔されてしまった。それが腹立たしい。

 自分の存在を見抜き、それをかき消した相手。それが誰だかは、判って居た。

 聖王アルディス。この王宮の主にして、光の支配者。そして、神の力を分け与えられた、世界の安定の鍵たる者。最も高貴なる者として慕われ、愛されている人物。

 闇は、どうしたものかと、聖堂内を見回す。

「・・・無事なのは、ここだけか」

 それは、自分の回りにうごめいている魔物を眺め、うんざりしたようにつぶやいた。

 酷く、つまらなかった。

 血の匂いを嗅ぎたかったのに、それが出来ない。アルディスの結界が強まってしまった以上、魔物を聖王宮内に放つことは無理となってしまった。これで、楽しみにしていた魔物による虐殺も不可能だ。残念としか言いようがない。

「・・・『俺』が行くか?」

 フラリと、気のなさそうに足を踏み出した。どこか虚ろで、それでいて、力に満ちている。

 闇の進行方向には、それが召喚しておいた魔物がうごめいていた。闇はそれを、まるで、おもちゃを壊すように、無造作に押し潰す。

 闇が手を払っただけで、幾多の魔物の腹わたが弾けた。血が飛び散り、闇の頬にかかる。それを、闇は何気ない様子で、手の甲を使って拭った。

 魔物の血。闇に属するものだの、破壊するものだと言われ続けているが、その血の色は、人のそれを少しも変らない。匂いも、感触も、何も違わない。人や他の動物と同じ、鮮やかな赤い色だ。

 闇が押し潰した魔物は、死に面して、ヒクヒクと体を痙攣させる。それも、また、人とよく似て居た。

 グシャ・・・

 恨みがましい目で自分を見上げる魔物の頭を、それは足で潰した。新たな血が、その場に広がる。余って飛び出た残骸と目玉らしいものも、ついでのように、床の上で押し潰す。

 浅ましく、その死骸に他の魔物がたかった。その魔物達の意地汚なさに、闇は不快を露にする。それが判ったのだろう、魔物達は、それ以上の不興だけは買うまいと、少し離れた場所に、死骸の破片を引きずって行く。

「浅ましいな・・・」

 そう言いながらも、闇はどこか楽しそうだった。赤い血と、肉を食む音が、それの気分を高揚させているのだ。

 ボウッ・・・

 暗い闇に、赤い光が灯った。

 闇の根源の細い腕を包み込むように、真紅の炎が燃え上がった。だが。自分の腕が燃えていると言うのに、闇はそれを気にした気配はない。ただ、気のなさそうに、炎を眺めている。

 闇はしばらく、そうやって、炎の紅に見入っていた。虚ろな色合いの金瞳が、炎の照り返しを映している。

 そして、ふと気が付いたように、闇は顔を上げた。

 それは、金色の瞳をまばたきさせる。耳をこらし、その『気配』を捉え、面に喜色を浮かべた。嬉しそうに、聖堂のはるか向こうへと、目をこらす。

 耳に、小さな足音が聞こえた。とても小さな、忍び足の音。それは、もう『気配』ではなく、確かな足音だった。軽い足取りの、戸惑うような足の運び。

 クスリと、闇は小さく笑った。これからのことを想像し、クスクスと笑い続ける。

 その笑い声を遮るように、小さな悲鳴が上がった。思った通りの反応に、闇はほくそ笑む。その闇の名を、悲鳴を上げた少女はつぶやいた。

「エルフィナ・・・」

 声に誘われるように、闇は視線を聖堂の出入り口へと向けた。そこに、力なく扉の柱にもたれかかるように立っている、一人の少女。彼女の金の髪が、背後からの月の明りを受けて、燃えるように輝いている。それを闇は率直に美しいと思った。

「光の御子・・・と言ったところか。アディアナ、よく気が付いたな」

 闇はそう言って、冷たい笑みを浮かべた。どんなものよりも残酷で冷酷な笑みを。

 それに、アディアナは信じられないと言ったように、首を振った。表情を強ばらせ、声を震わせる。

「エルフィナ・・・?」

 そう、アディアナの目の前にいるのは、確かにエルフィナだった。黒い、うごめく魔物に囲まれて、平然と笑みを浮かべている。だが、あれは間違いなく、エルフィナだ。大切な妹。見間違うはずがない。

 だが、どこかおかしい。

 いつもと違う違和感に、アディアナは、胸が高い鼓動を打つのを感じた。不安に、胸が詰まる。

 暗い闇の中、入り口から差し込む光のみに照らし出された、エルフィナの姿。それは、アディアナが見慣れた彼女の姿とは、まるで違っていた。

 髪の色が違う。そして、瞳の色も。表情のわずかな違いよりも何よりも、その変化がアディアナを戸惑わせていた。

「・・・エル・・・フィナ?」

 日の当たった大地のような茶色の髪に、やさしい灰色の瞳を持っているはずの妹。それが、アディアナの知るエルフィナだった。

 なのに、どうだろうか。

 今のエルフィナの髪は、漆黒の闇の色へと変り、瞳も月の明りを受け、黄金に輝いている。

 その変化に、愕然となった。何がどうなったのか、判らなくなる。頭が混乱する。

「どうして・・・?」

 カタカタと、アディアナの体が小刻みに震えた。目の前に立っている少女に、彼女は恐怖していた。

「どうして・・・」

 アディアナは、また同じ言葉をつぶやく。

 何故こうまで親しんだ妹に怯えるのだろうか。体が震え続け、止まってくれない。

 だが、判って居た。どうして、こんなにまで怖がっているのか。

 身体の変化以上のものを、妹から感じていたからだ。

 エルフィナの身から感じられる、濃い闇の気配。圧迫感さえもつ闇の魔力に、アディアナは、恐怖していた。

「エルフィナ・・・どうして!?」

「可愛い、お姫様」

 クスリと、エルフィナが笑みを浮かべる。エルフィナが日頃、アディアナに見せる笑みとは、まるで違った笑みだった。これは、それよりももっと冷たく、そして、大人びている。

「どうして・・・って、言ったのか?」

 コツコツと、エルフィナの靴音が、聖堂内に響いた。

 まるで王者に道を開けるように、魔物達が退いていく。魔物の開けた道は、まっすぐに、アディアナへと向かっていた。その道を通り、エルフィナが姉の方へと、向かっていく。

 アディアナは不思議と、恐怖しているはずなのに、逃げようとは思わなかった。ただ、呆然と、自分の方へ、歩いてくるエルフィナを見つめていた。ゆっくりとした足取りで、自分の方へと歩みよってくるエルフィナ。自分に向けられる、真摯な瞳に、見入っていた。

「あぁ、やっぱり奇麗だ」

 エルフィナは、アディアナの目の前で立ち止まると、彼女の頬へと手を伸ばした。愛しそうに、だが、大切なガラス細工にでも触れるように、アディアナの頬に指先を滑らせる。

「貴方は、一番奇麗だ。誰よりも」

「何を・・・言って・・・?」

「ずっと見てた。貴方だけを見てた・・・」

「・・・エルフィナ?」

「そう。ずっと、ずっと見てた。ずっと、欲しかった」

 エルフィナの腕がアディアナの背へと回される。呆然としていたアディアナが気が付いた時には、彼女は妹の腕の中に抱きしめられていた。

 この時になって、アディアナは、妹が自分よりわずかに背が高くなっていたことに気が付いた。アディアナは、力なくもがいて、妹の束縛から逃れようとした。だが、エルフィナの腕の力は存外に強く、多少の抵抗では、アディアナを解放しようとはしない。

「俺の・・・」

 アディアナの耳もとで、満足そうなため息が漏れる。

 甘く、切ない声。

 それに、アディアナはピクンと震えた。こんな言葉、彼女は一度たりとも聞いたことがない。こんな言葉、今まで誰にも囁かれたことはなかった。

「は・・・離して」

 不意に強くなり、アディアナは身じろぎする。だが、エルフィナは決して離そうとしない。

「アディアナ・・・・」

「エルフィナ、離してください」

「どうして・・・?」

「エルフィ・・・やめて!」

 不意にアディアナが小さく悲鳴を上げた。

 彼女の首筋に、エルフィナが首をうずめたのだ。それに、アディアナは、前よりも一層強い抵抗を見せる。

「やめなさい、エルフィナ!」

「そうだな」

 不意にあっさりと、アディアナの戒めが解かれた。余りに、突然の事だったので、アディアナは妹の行動を怪しんだくらいだ。どうしたのかと、いぶかしみながら、妹の横顔を見る。そして、彼女が自分を見ていないことに気が付き、視線を手繰った。

 そして、そこに銀髪の青年の姿を見つけた。

「お父様!」

 彼の姿を認めるとともに、アディアナはほっとしたような声を出す。

 聖堂に続く道の向こうに立っている。アルディスとその腹心。

 彼等を見て、エルフィナは苛立たしげに叫んだ。

「アルディス!」

「・・・何と言うべきか」

 アルディスは、苦笑している。目の前に魔物達がうごめいているのも気が付かないはずがない。それでも、余裕をもった態度を崩そうとしない。

「なるべくして、なったと言うところか、エルフィナ?」

「何とでも、言うがいい!」

「じゃぁ、言わせて貰おう。自分の力ぐらい、自分でコントロールするんだな」

 そう言い放ち、アルディスは無謀にも、一人で向かってくる。側にいたルドラも、それを止めようとしない。そればかりか、勝手にやれと言うばかりの面持ちだ。

「くそ!」

 何を焦っているのか、切羽詰まった声で、エルフィナは呪文の詠唱を始めた。呪文の詠唱で、それが炎系の魔法だと判る。

 だが、それが半ばで弾かれる。エルフィナの手の内に、黒い炎が集まりかかっていたと言うのに、それが小さくスパークし、消えてしまったのだ。

「・・・っ!」

 弾かれた呪文のせいだろう、エルフィナの左腕が裂けた。手の甲から腕の付け根まで、一直線に傷が走った。そこから、血が吹き上がる。

「エルフィナ!」

 紅の血を認めて、アディアナが悲鳴のような叫び声を上げる。誰も構わない。

 エルフィナ自身も、余裕がないようだった。アディアナの悲鳴に眉を潜めながらも、アルディスから視線を反らせないでいる。段々と、自分に迫ってくるアルディスを見て、彼女は一歩、後ろによろめく。

「く・・・くるな・・・!」

「闇に染まった威勢のよいエルフィナもいいが、生憎、お前だとアディが泣くからな」

 余裕があるアルディスに比べて、エルフィナは彼に完全に気圧されていた。しかも、彼女は致命的なミスを侵した。

 アルディスの言葉に誘われるように、背後に隠すように庇った姉の姿を盗み見てしまったのだ。

 その泣き顔を。

「姉上・・・」

 つぶやかれる言葉。それは、本来のエルフィナの声に酷く似て居た。

 姉の頬に張り付いた涙の筋を認めて、エルフィナは呆然となる。それから、気配を感じたのか、慌てた様子で視線を、アルディスに戻す。

 一瞬だった。

 それまで、ゆったりと動いていたアルディスが、急にすばやい動きを見せたのだ。油断していたエルフィナは、姉に気を取られていたこともあって、それに対応出来ない。

「な・・・!」

 アルディスの指先が、エルフィナの額に触れる。

 アルディス得意の、高速言語で、短い呪文が紡がれる。それを聞き取れたのは、アディアナとバルスのみ。

 ポウッ。

 小さな明りが、アルディスの額に灯った。

 同時に、エルフィナの体がガクリと崩れる。一瞬で、全ての力を失ったかのように、何の支えもないまま、彼女の体が崩れた。それと同時に、大聖堂の中にうごめいていた魔物達も姿を消す。アルディスが、闇の魔力を断ち切ったからだ。彼等は、エルフィナの魔力なしでは、この聖王宮内では存在出来ない。

「エルフィナ!」

 妹の体が、力なく床に倒れたまま動かないのを見て、アディアナ悲壮な声を上げた。ガタガタと、体が震えている。エルフィナを見て感じたものより強い恐怖を、アディアナを味わっていた。

 気持ちの悪いくらいの沈黙が、辺りを支配する。誰も喋ろうとしない。アディアナもまた、何も言うことが出来なかった。

 その沈黙の中、アディアナは胸を押さえた。顔を真っ青にさせ、アルディスが抱き起こそうとしている妹を凝視する。立っていられないほどに、膝が震えていた。

「お・・・お父様、エルフィナ・・・は?」

 エルフィナの体を支えながら、アルディスは優しく微笑んでいる。アディアナを安心させるかのように。

「大丈夫だよ、アディ。気を失っただけだから」

「お父様・・・」

 ふっと、アディアナはよろけた。妹が無事だと聞かされ、安堵のあまり気力を失いかけたのだろう。それでも、意識を維持しているのは流石だ。

 アルディスは、『娘』のそんな様子に淡い笑みを浮かべる。

「たぶん、闇の属性のバランスが崩れたんだろう。気が付けば、元のエルフィナに戻っているはずだ」

「元のって・・・お父様、エルフィナはいったい・・・」

「そうだな・・・今はまだ、知らなくてもいいだろう。アディが受け止められるようになったら、話してやる」

「・・・受け止められない?」

 アルディスの言葉に、アディアナは打たれたように立ちすくんだ。彼女は、自分を静かに見つめてくるアルディスの視線に耐え切れなくなったのだろう。表情を強ばらせ、面を下げる。ただ、悲しそうに、足元を見つめていた。

「わたくし、エルフィナのために、何もしてあげられないのですね」

「アディ・・・」

「わたくし、自分が情けないですわ。結局、何も知らないのですから」

「そうだな」

 アルディスは、どこか思案気に頷いた。

 何時の間に来たのか、ルドラがアルディスから、エルフィナを受け取った。軽々と彼女を抱き上げ、うんざりした表情になる。

「で、どうすんだ?」

「ん?」

「エルフィナだよ。不始末、起こしたけど、処罰とかすんのか?」

 ルドラが何気なく聞いた言葉に、アディアナが泣きそうな顔をする。彼女は、今にも、減罰に対する懇願しそうな面持ちで、アルディスの言葉を待っている。

 だが、アルディスは軽く笑っているだけだ。

「まさか。処罰なんて、しないさ。『処罰』するつもりなら、さっきしてる」

「なるほど、な・・・」

「こうなるのが判っていたからこそ・・・殺さないために、手元に置いているんだ。それに、『何もなかった』だろう?」

 そう言って思わせぶりな表情を見せるアルディス。

 少し離れた場所から見守っていた大神官バルスは、その言葉に、人知れず、安心からくるため息をついた。

 

BACK←神の〜400_21→GO