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待っています。
いつまでも、いつまでも。
貴方がまた、わたくしの前に現われて下さる日まで。
それまで、眠り続けましょう。
わたくしの最も愛しい人・・・。
聖都を襲った久々の嵐。
世界の安定の『要』である聖王が常にあるためか、聖都の気候は崩れにくく、ま
た、今日のように荒れることも少ない。聖王国ゴールドバーンがある大陸自体も、他
の大陸と比べると格段に豊かだ。恵まれた土地、それが、この大陸。それも、全て聖
王が居ればこそ。
それが、いまこうやって荒れている。
「・・・アルディス、どうしたんだ?」
一人、窓の向こうの風の荒れ狂った様子を眺めながら、ルドラは軽くため息をつい
た。
廊下で唯一人たたずむ姿は、どこか寂しいものがある。だが、ルドラの場合はそれ
に苛立ちが伴っている。
この嵐が起こると同時に、アルディスがいなくなったことが判ったからだ。いや、
正確に言えば、荒しが起こる前から、アルディスは姿を消していたのだろう。ただ、
発見が送れただけのこと。
アルディスの姿は聖都にもない。それは、ルドラが『感じた』ことだから、絶対
だ。
ルドラは、アルディスを多少『感じられる』のだ。それは、聖王戴冠前に、アルデ
ィスが行使したある魔法のせい。それから、ルドラは親友であると同時に、アルディ
スの『半身』にも似た存在になっている。
そのルドラが、アルディスは聖都内にいないと断言したからには、どこを探して見
ても彼の姿はないはずだった。
それを聞いて、一番に慌てたのはもちろん、バルスだった。アルディスが聖都から
出るなど、ここ何十年となかったことなのだから。戴冠から百年ほど経ったころには
よくやっていた。が、もうすぐ四百年も経とうかと言う現在ではいたって稀なことだ
ったのだ。しかも、無断となると、百何十年ぶりだ。
ルドラもまた、バルスとは違う意味で慌てていた。苛立っていると言ってもいい。
この嵐が、アルディスのせいだと判っているからだ。めったにないことだが、アル
ディスの感情があまりに強くなると、その『魔王』を抑える力が弱くなるのか、世界
の安定を纔に崩してしまうことがある。今のようにだ。
今、アルディスは何を思っているのか。
「怒ってるんだろうなぁ・・・」
以前に嵐があった時を思い出し、ルドラはまたため息をつく。
アルディスの『永遠の女』であるリースが、長く思っていた相手と結ばれたとき
も、アルディスは感情を抑え切れずに嵐を起こしてしまった。後で本人は爆笑してた
が、あの時の心の痛みは、ルドラにも判っていた。
『感じられる』から、心の痛みも理解してしまう。
だから今も、アルディスが激怒しているのが判って居た。何に怒りを抱いているの
か、それまでは判らない。だが、この激しい感情。久しぶりだ。
「・・・特権なか、これ?」
ルドラは、ふと自分の胸を抑えてつぶやいた。バルスが纔に妬みを持ってつぶやい
た言葉。
『それは、貴方の特権だよ』
アルディスの一番近い場所に居るから、バルスにはそれが羨ましいらしい。
だが、それが永遠に続かないことは、ルドラも判って居る。
例えば、もしリースがアルディスの思いを受け入れていれば、彼女がアルディスに
とって一番近い存在になっただろう。ルドラが『親友』であることが以前変らなくと
も、そうなったはずだ。
いずれ、リースのような女がきっと、アルディスの前に現われる。
ルドラはそう信じていたし、願ってもいた。同性であるから判りあえる部分もある
が、逆に同性だからどうしようもない部分もある。
それを補える存在があればいいと思う。少しでも、アルディスの悲哀が弱まるなら
ば、その方がいい。
『ピチョン・・・』
ほんの小さな、普通ならば聞き逃してしまうくらいの音。それが、ルドラの耳に届
いた。
ルドラは、間違えることなくその音がしたほうを向き、ニヤリと笑ってみせた。
「どこいってたんだ?」
いつもなら、黙って消えてしまったことを怒鳴りつける所なのだが、今日は特別に
と、理由を聞き出すだけですませる。
その、いつもと違う態度がおかしかったのか、降って湧いたように現われたアルデ
ィスは、クスクスと笑った。
「ちょっと、エディスの方にある村まで行ってきた」
「ほう・・・って、なんだそれ?」
廊下の薄暗い明りの中、アルディスは髪の毛までグショグショなずぶ濡れな格好で
突っ立っていた。その影におずおずと隠れるようにある存在に気が付いて、ルドラは
首をひねった。
ルドラの視線に気が付き、アルディスは自分の後ろに隠れていた『少女』をソッと
押し出した。
アルディスと同じように、グショグショの格好の幼い少女。三才か、四才と言った
ところか。
けぶる様な金色の長い髪を、後ろで一つに編んでいる。顔だちは、極めて愛らしい
と言っていい。見るものを引き付ける、可愛らしい容姿。どこか、気品のようなもの
もある。成長すれば、きっと、壮麗な美少女になるだろう。聖王宮内外で人々の成長
を見てきたルドラだから、断言できる。ただ、服装は、質素なもので、地方の村の子
供が着るそれとよく似て居た。少女の持つ雰囲気とは、そぐわないような違和感があ
る。
だが、ルドラを一番引き付けたのは、少女の見事な金の髪でもなく、顔だちでもな
く、また、聖王宮内では場違いに見える服装でもなかった。
ジッと、ルドラを不安そうに見上げてくる瞳。エメラルド・グリーンの深い色合い
の瞳。それが、印象的だった。
何か、ある。
アルディスが連れていると言う事実以上に、その瞳の奥にある『何か』が、ルドラ
にそう告げていた。
「おい、この・・・お嬢さん、なんだ?」
ルドラが表情を険しくしたのを見て、少女がアルディスの足に抱きついた。そんな
少女をあやすように、アルディスは優しく笑いかけてやる。
「この子は・・・俺の隠し子って言ったら、信じるか?」
「・・・マジか?」
「嘘だよ」
アルディスは、アッサリと返すと、ポンポンと少女の頭を軽くなでた。
「それよりもさ、ほら、俺達こんなだから・・・」
ルドラの質問に、今は応えたくないのか、そうやって話を逸らした。そのアルディ
スの視線が、心配そうに少女に向けられているのを見て、ルドラもそれ以上は聞き出
そうとしない。
「判った。おっけ。侍女つかまえて、着替えろ。あと、その子だけど・・・」
「お風呂入れてあげなくちゃ。冷えてるから」
「ん・・・」
チラリと、アルディスの足に掴まったままの少女を見る。
どうして、こんな少女をアルディスが拾ってきたのか。それが不思議でならなかっ
た。
もっとも、その理由をルドラが知ったとき、彼は驚愕し同時に激怒したのだった
が。
淡い暖かい光のような少女。
それが、侍女の彼女に対する印象だった。
聖王の指示通りに、いきなり現われた幼い少女に湯をつかわせ、その後の世話もし
た侍女達だったが、全員が全員、少女に好意的な思いを抱いていた。
それが、聖王に対する信頼からくるのか、それとも、少女の持つ雰囲気のせいなの
かと問われれば、皆、後者だと言うだろう。
今も、侍女達3人が少女をアルディスの待つ部屋まで連れてきてくれたのだが、彼
女達の少女に対する行動は、どこか、母親のそれに似ていた。
か弱く、可愛らしい少女。彼女は、ほんの纔な間に侍女達の心を勝ち取ってしまっ
たらしい。
その侍女達も、アルディスの前ではおとなしく、それでも名残惜しそうに下がって
いった。
パタンと扉が閉まる。
その前で、少女は着せられた新しい服のスカート部分を握り締めながら、その部屋
にいた三人の青年達を見上げていた。
三人は言わずとしれた、聖王、大武聖、そして大神官。
ビクビクと、聖王達を見比べていた少女だったが、チョイチョイとアルディスが手
招きしてやると、途端に勢いを得たように彼のほうへと走って行った。そのまま、椅
子に座っていたアルディスの足にすがりつく。
「好かれてんな、お前の『足』・・・」
ルドラがそう言って茶化すのに、バルスが厳しい顔をした。この大神官は、どう
も、少女の存在を知ってからと言うものの機嫌が悪い。
その間にアルディスは少女を抱き上げ、自分の膝に乗せてやった。ルドラの不機嫌
を知ってか知らないでか、聖王は酷く楽しそうだ。
「で、なんなんだ、その子は?」
最初に切り出したのは、ルドラだった。バルスも何やら聞きたそうだったのだが、
言い出せないらしいのを見て、切り出してやったと言うところだろうか。
「ん、この子か?」
アルディスはそう言って、ニッコリと笑う。
「この子の名前はアディアナと言う。アディアナ・ティファレト・ディアスでフルネ
ームだ」
「アディアナ・・・お前の幼名じゃねぇか」
「そう。あげたんだ。この子の母親が名前をつけてくれって言うもんだからね」
「母親?」
「そ。知り合いだよ。その人に、この子を頼まれていたんだ」
アルディスはそう言って、クスクスと笑う。
彼の視線の先には、ホッと安心した表情のバルスがあった。
「どうしたんだ、バルス、安心しきった顔をして」
「安心しますとも」
「どうして?」
「私はてっきり、我が君の御子かと心配していたんですよ?」
「なるほど、それもありえるからな、確かに」
アルディスは、予想していたであろう応えに、苦笑する。
「大丈夫。この子は、俺の子じゃないから。ただし、俺の子になるけどな」
「はぁ?」
すっとんきょんな声を上げたのはルドラだった。バルスの方は、すでに判って居る
という感じだ。
「どういう意味だ、お前?」
「簡単。養女にするんだよ」
「なにぃぃぃぃぃぃ!!!!」
アルディス達には毎度お馴染みのルドラの絶叫だったが、少女・アディアナには突
然だったらしい。彼女はビックリしたようすで、まじまじとルドラを見ている。
「よ・・・養女って、お前!!」
「駄目か?」
「べ、別に駄目じゃないけどなぁ・・・この間、マーゼルからの申込み、断わったば
かりじゃないか?」
「それはそれ、これはこれ」
アルディスは酷く楽しそうに言うと、話が判らずにキョトキョトしている少女の頭
をなでてやった。
「だって、あっちは『養女』と言う名目で『嫁』に出す気だったんだから。そんな
の、俺はご免だね」
「まぁ、な・・・」
その話は、ルドラ自身も絶対反対だったので、彼も歯切れが悪い。
そんなルドラの様がおかしかったのだろう、アディアナは小さく笑い、その後、ギ
ュッとアルディスにしがみついたのだった。