【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

15−暗き淵−4

作・三月さま


 ほつれることのない絆の糸。

 

 カサカサと、薄茶色に変色した木の葉が、頭上で鳴っている。冬の到来をやんわりと伝えてくれる秋の乾いた風。それが、すでに色を変え切った葉を、冷たく鳴らしている。

 その音を聞きながら、青年はゆっくりと林の中を歩いていた。

 大地の魔神が管理している、この村周辺の森は、恐い程に豊かだ。魔神達が惜しみなく、大地に力を注ぐがゆえに、大地は富み、溢れんばかりの稔りを彼等に返してくれる。この大地では、魔神と大地がお互いに、必要な物を与えあっているのだ。

 魔神は自然に彼等の力を注ぐ事で、大地や空の恩恵に恵まれる。自然もまた、魔神を同等に愛するがゆえに、彼等の敬愛を受ける。

 愛しただけの物が、ここでは返される。少しの違いもなく、お互いの限りを尽くして思いあっている。

 その結果が、この村。

 自然に反乱されることもなく、憎まれることもなく。平安な時の流れが続いていくばかりの場所。

 惰性だと言えばそれまでだろう。だが、魔神はその性と掟ゆえに、完全な惰性の中にはいられない。常に誰かが人の争いに巻き込まれる。だからこそ、この村にある、ぬるま湯のような平和を愛してやまない。

 青年もまた、魔神の中にあって、ゆるやかな刻を愛していた。

 彼は、自分の中にある、魔神としての力を認めていた。闇に属するものとしての、強大な魔力と力。それを、認識していた。そして、それ以外の力も。

 それらを抑えるためにも、この村の平安は必要だった。戦いの場にあれば、それだけ心は高じやすい。その昂る心を抑えるためにも、彼は村の安穏とした空気の中にあることを好んでいた。

「・・・今年は冬が早いな」

 吹き付けてくる風を感じながら、彼はそうつぶやいた。闇を示す黒い瞳を空に向け、その凍った青い色を睨み付ける。

 冬が早いと言っても、魔神にとってはさしたる難はない。稔りは約束されたものであり、すでに一冬を越えるのに十分過ぎる食料も蓄えられている。いくら冬が長くなろうが、魔神には影響はないのだ。

 それでも、彼は例年より早い冬の到来を憂いずにはいられなかった。この村の外、この島の向こう。そこにある四つの大陸では、この冬は辛いものになるだろう。人々は飢え、足掻き、また争う。それらの怨嗟の声は大気に満ち、悲哀はこの島まで届くだろう。

 それが、俺の中の何かを起こす。

 青年は、胸の中にチリチリと焼けるような焦りを感じ、拳を握り締めた。それを、力も篭めずに近くにあった木の幹へと押し当てる。

『とん』

 軽い乾いた音がした。

 彼は頭を垂れると、重い生きを吐き出す。

 その、ため息に答えるように、不意に後方でガサガサと落ち葉をかき分ける音が聞こえた。

 今まで、なんの気配も感じなかったはずなのに、突然後ろでもの音がしたことに、青年は慌てて振り返った。面には、少なからず驚愕さえ浮かんでいる。魔神の中でも、彼の能力はけた外れに優れている。その彼が気配を察することの出来ない者となれば、その存在は限られている。間違いなく、その魔神は上位のはずだった。

「な・・・に・・・?」

 振り返り、そこにある存在を認めた瞬間、彼の表情はずいぶんと間の抜けたものになった。

 そこにチョコンと立っているのは、身長ならば彼の腰くらいまでしかない、幼い少女だった。魔神は、成長すればそれ以上変化がなくなるものだ。その中にあっても、こんなに幼いと言うことは、いまだ生を受けて数年と言ったところなのだろう。本当に幼い少女だ。

 その少女が、金の瞳をパチクリとさせながら、ビックリしたように彼を見上げていた。

「貴方・・・だぁれ?」

 彼女は、可愛らしく小首を傾げ、それから、ニッコリと笑った。

 青年は、少女の無邪気な笑みに、年齢相応の若い表情を見せた。今だ無表情ながらも、ずいぶんと面を和らげて、少女を見つめている。

「お前は?」

「リースよ。貴方は?」

「レイ・・・レイナードだ」

 青年は名乗りながらも、純粋な笑みを浮かべている少女を見つめ続けていた。

 確か、大地の魔神の長老の妹の名前が、『リース』だったような気がする。

 父親の友人であり、また、自分にとっても親しい長老であるウェヴの妹を、レイナードは遠目にならば何度か見た事がある。だが、今だ幼女の姿をしている魔神になど興味はなかったし、ウェヴの妹であっても、今だ力も定まっていないような魔神に払う関心など持ち合わせて居なかった。だから、今まで出会った事は何度もあっても、敢えて記憶には止めなかったのだ。

 リースは、金色の瞳をクリクリさせて、興味津々と言った様子でレイナードを見上げていた。彼女は怖がりもせずにニッコリと笑うと、幼い足で彼の傍まで小走りに寄ってくる。

「なに、してたの?」

「別に・・・」

「そう?」

 リースには、レイナードが何か目的を持ってこの林を歩いているように見えたのだろうか。不思議そうに首を傾げている。

「レイナードって・・・」

「レイでいい」

「じゃぁ、レイね。レイって、ファルスさんの息子なんでしょう?」

「・・・知っていたのか」

「うん。お姉様が言ってらしたの。レイはファルスさんの子供だって」

 リースはそう言って無邪気に笑う。

 だが、そう言った時にウェヴが思ったであろう事を思うと、レイナードには少女の言葉を笑えなかった。

 ウェヴは、長老という身分ゆえに、自分の思いを押し隠さねばならず、それゆえに、子供を持つことが出来なかったのだから。古い友人である闇の長老が、レイナードのような子供を持っていることを、少しとは言え羨まないはずはないだろう。彼女が幼い妹につぶやいた言葉には、少なからない皮肉も篭っていたはずだ。

 それを、この少女は幼いゆえに気が付けない。若いと言うならば、レイナードも魔神の中では少女と同じ範囲に括られてしまう。どちらも、今だ経験も浅い、年若い者達なのだ。それでも、レイナードには、百年余りの生があった。その差は大きい。

 リースは押し黙ったレイナードを見て何を思ったのだろうか。また意味もなくクスクスと笑っている。

「どうした?」

 レイナードがいぶかしんで尋ねて見ても、リースは笑うばかりで何も答えない。ただ、その代わりに小さな幼い手を、年上の青年へと差し出す。

「帰ろ、レイ。もうすぐお昼だから、帰らないと怒られちゃうわよ」

 もう、レイナードは『怒られる』などと言う年齢でもないのに、それが理解できないのかリースはそう言ってレイナードを引っぱる。大地の魔神らしく、幼いながらもずいぶんと力強い。彼は、自分よりずっと小さな少女に手を引かれながら、ゆっくりとした足取りで、今まで来た道を引き返していった。

 

 落ち葉の中をかけていく音が、高らかに響く。枯葉が足元で砕けていく音は小気味良く、軽快な響きだった。

「レイ!」

 リースは、走る速度を緩めながら、前方の木に半分眠ったように寄りかかっている青年へと声をかけた。

 レイナードは、声をかけられる以前から、リースの存在には気が付いていたのだろう。驚いた様子もなく、ゆっくりと顔を上げる。

「リース・・・」

「レイ、どうしたの。こんな所に呼び出したりして?」

「別に・・・」

 レイナードは言葉少なに答えて、リースから視線を反らす。

 そんな彼の態度に、リースは気分を害するわけでもなく、苦笑した。彼のすぐ横に立つを、同じように木に寄りかかって見せる。

 リースは、美しい女性へと成長していた。長姉とは対象的に、女性らしい丸みを持った体つき。大地に属する女性は、大概がふくよかな体つきをしていたが、リースの場合はその中にあって細い体型だった。それでも、やはり大地の魔神と言ったところだろうか。魅惑ありげな肉体は、慎ましやかな服装に包まれていても、隠しようがない。

 短めに切った髪を、リースは手持ちぶさたのように弄んだ。

 レイナードの端正な横顔を覗きこんでは、苦笑しながら視線を反らす。

 お互い、何を喋る訳でもなく押し黙っていた。

 風が落ち葉を鳴らしていく他には、何の音もない。それを、お互いに体で感じているようだった。触れるか触れないかの、ギリギリの距離。それを保ちながら、二人、沈黙を保っていた。

 最初に、その静けさを破ったのはリースだった。

 リースは、日に日にと冷たくなってくる空を見上げ、目を細めた。それから、何時も通りに、レイナードに、会話を促すような言葉をかける。

「今年は・・・冬が遅いのね」

「そうだな・・・」

「凍える人が少なくなって、いいわね」

 リースはそう言って、柔らかい笑みを浮かべた。

 その彼女の頬に、レイナードの指先が触れた。彼女はその手を掴み、頬に押し当てる。

「どうしたの、レイ?」

「俺は・・・お前が笑っていられれば、それでいい」

「レイ・・・」

 リースは一瞬だけ、悲しそうな表情を見せた。だが、すぐにそれを柔らかな笑みで押し隠すと、彼の腕の中に身を預けた。

 レイナードの腕の中にスッポリと入ってしまう、頼りなげな体。それを、優しく抱きながら、レイナードは目をつむる。

「リース、お前がいれば、多分・・・」

 そこで、彼は言葉をつぐんだ。

 これ以上は言えなかったから。

 

 お前がいれば、多分、俺は俺でいられる。

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