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望み。
サワサワと、その一面に咲き揃っていた花が、風に揺らされる。
その中、一人の少女が楽しそうに走って居た。いまだ幼いせいか、速度はかなり遅
い。だが、彼女なりに全力で、花の中を走っていく。
そんな少女だったが、ふと思い出したように立ち止まり、後ろを振り返った。
「お父様ぁ!」
小さな手を、ブンブンと振りながら、アディアナはこぼれるような笑みを浮かべて
いた。
その彼女が手を振る先には、聖王アルディスの姿がある。
今日は久々に、隙を見つけて二人で聖王宮を抜け出してきたのだ。聖王と『姫』が
消えてしまったことに、王宮内はまた慌てふためいていることだろう。
「お父様?」
一人前に口が聞けるようになったアディアナは、アルディスをそう呼ぶ。今も、ア
ルディスの傍まで駆け戻ってきたかと思うと、彼の手をギュッと握り締めている。そ
して、緑の真摯な瞳で、『父親』を見上げる。
アルディスの若い容姿と、アディアナの幼い容姿ならば、まだ『父娘』で通るだろ
う。だが、それもあと数年で駄目になってしまうことをアルディスは判って居る。
アディアナは成長していく。それも、急ぐように。だが、アルディスは止まったま
まだ。聖王として戴冠し、神の力を得てからは、彼は年を得られなくなってしまっ
た。それは、利点でもあり、また、弊害でもあった。
笑いかけてくれるアルディスに、アディアナもまたニッコリと笑った。
「・・・アディアナ」
彼女が聖王宮に来てから一年経つ。彼女を聖王の『養女』にするに当たって、かな
りの反対も出たが、腹心である大武聖と大神官が既に承服してしまっているので、そ
んな反対も簡単に退けることが出来た。聖王が養女を向かえると言う一つの事件に、
喜んだのは侍女達だったか。バルスもまた、変に意気込んでしまい、『姫』らしくな
るようにと教育している。
アルディスの目から見れば、滑稽でもあり、また、アディアナを思うと可愛そうだ
った。
まだ子供だと言うのに、アルディスでさえ閉口しているような躾だの行儀作法だの
と言われ、さらには勉学までさせられている。これならば、信頼出来る部下にでも預
けた方がましだったかと、思わず思ってしまうほどだ。
だが、どう考えてみても、アディアナを手放す事は出来ない。
この子の抱えている『光』のために。
「お父様?」
アディアナは、ジィッとアルディスを見上げ、小首を傾げる。その様は、何とも可
愛らしくて、見ている側を微笑ませてしまう。
「なんでもないよ。行こう」
そう言って、アディアナの手を取り歩き出す。
今日抜け出してきたのは、この少女のため。あんまりにも王宮の中で窮屈そうだっ
たので、たまの息抜きと、連れ出してきたのだ。どうせ、怒られるのはアルディス
だ。王宮に連れてきてしまった代わりに、これくらいはしてやりたい。
「お花がいっぱい」
アディアナは、子供らしく一面に咲き誇っている花々を見て喜んでいる。顔が纔に
上気している所を見ると、興奮しているらしい。
そう言えば、アディアナが去年までいた村の付近には、こんな花畑のような場所は
なかったように思える。
ここは、アルディスにとっても気に入りの場所だった。
最初、ここに訪れたときには、ここは荒れ地だった。雑草さえも満足に生えられな
いような荒んだ土地。それも、聖王戴冠から始まった大地の再生にともなって、こん
な花畑になった。
二人、そんな中を歩いていく。
だが、ふとアルディスは首を傾げた。そして、その疑問を口に出して見る。
「アディ、どうして花を取らないんだい?」
「だって、可愛そうでしょ。今も、上を歩いて可愛そうなのに。でも、お花、怒らな
いね。痛いって、言わない」
「・・・そっか」
アディアナの答えにアルディスは複雑そうな顔だ。
少女は自然の声を聞ける。それが、『血』のせいだと、アルディスは判って居る。
鳥の声、森の声。水のつぶやきに、火の怒声。大気の囁きに、大地の歌声。そのど
れを、この少女は聞くことが出来るのだろうか。そんな疑問も湧いてくる。だが、ア
ルディスはあえてそうしなかった。
聞きたくないことから耳を塞ぐように。それだけは聞けない。
願うならば、少女が出来るだけそんな声を聞けなければいいと思う。そうすれば、
それだけアディアナは『人間』に近くなれるから。
「お父様?」
「ん?」
「もう、帰ろう」
野原の真ん中あたりまで来たところで、アディアナはそう言った。
フワリと、彼女の長い金の髪が風に揺れる。
「皆、困ってるよ。帰ろう」
「・・・いいのか?」
「うん。アディアナは、もう、いいよ」
そう言って、少女は小さく笑う。
本当は、もう少し長くいたいだろうに。
少女の幼い気づかいに、アルディスは目を細めた。
「じゃぁ・・・」
「なぁに?」
「じゃぁ、今度はちゃんと皆に言ってからこよう。ルーエルとかバルスとかにも一緒
に来てもらって。そうしよう」
「本当!?」
やはり名残惜しかったのだろう。少女はアルディスの言葉に、パッと表情を明るく
した。
アディアナが笑うと、回りの空気が途端に明るくなる。どんな陰鬱な空気でも、彼
女が微笑んでいるだけで、軽い居心地の良いものに変るのだ。
それを、アルディスだけでなく、ルドラもバルスも好んでいる。アディアナに対
し、一番口やかましいのはバルスだが、それも彼女が可愛いからだ。アディアナが身
元もしれない『養女』だと、陰口を叩かれないようにと、苦心してくれている。
皆の心を捕えてならない少女。
時にはアルディス以上に人々の心を捕えもする。愛され、慈しまれ、そして、いず
れは慕われるようになる。
光の少女。
聖王の姫。
それが、この少女。