【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

17−暗き淵−6

作・三月さま


 破滅の王。

 

 聖王宮内にある大聖堂。民衆の心のよりどころとして、神がいないことを知りつつも、アルディスが立てさせた場所だ。

 不確かな『神』と言う存在。だが、それが居るか居ないかは問題ではない。それが、人々にとって、どれだけの価値があるかが問題なのだ。その『神』と言うものが、人に与える安心感。そして、逃げ場。これらのもつ力を、アルディスは十分理解していた。

 だが、今この場には、神とは相反する存在が降臨していた。

『魔王』

 各大陸での魔族が原因の騒乱。その、中心たる人物。

 目下のところ、人類の最大の敵とも言える人物だった。人々の、魔王に対する怨嗟の声は、どこに言っても聞くことが出来る。

 この魔王が、『魔神』だと言うことを知るものは少ないだろう。皆、魔王はその何の冠するごとく、魔族の王だと思っているのだ。

 玲瓏たる王。魔族を率い、大陸を血に染めている張本人。その魔王が、今、聖王の居城たる聖王宮にいた。一人で。伴も、魔物の下僕も連れることなく。大胆不敵とも言える行動だった。だが、彼の面は、どこまでも澄んで見える。

「・・・よくも来たものだ」

 アルディスは、大聖堂の中央に立つ人物を認めて、舌打ちした。嫌な予感がして、ここに来てみれば、案の定、魔族の親玉がいたと言う訳だ。いや、むしろ魔王がアルディスに呼びかけ、ここまで来させたと言ったほうが近い。魔王の前身たる人物が、精神に作用する魔法に長けていることは、彼を知る者の間では有名なことだった。

 聖王の二人いる腹心の内の一人、大武聖ルドラが、アルディスに下がるように怒鳴り付ける。だが、聖王は首を振ってそれを否定する。彼の視線は、魔王から反らされることはない。

「レイナード、なんのつもりだ!」

 魔王たる者、レイナードは、アルディスの声にゆっくりと彼に視線を向けた。

 聖王の背後で、ヒュッと息を飲む音が聞こえた。

「レイ!」

 アルディスの背後から飛びだし、必死にレイナードの名前を呼んだ少女。リースは、冷たい表情で自分を見返してくるレイナードを見て、信じられないと言った表情で、首を振った。あんな瞳で、彼に見られたことなどないのだろう。驚愕と傷心が入り交じった顔つきだ。

「レイ・・・レイ!」

「リース・・・か」

「貴方、本当に・・・」

 今このときまで、リースは信じていなかったのだ。自分の恋人である男が、世界を恐慌の渦に叩き落とした張本人であると言うことは。自分の目で見るまでは信じない。あの人が魔王であるなどと、何かの間違いだ。そう、自分に言い続けていた。

「リース、下がっていろ」

 アルディスは、レイナードの無表情な面を見て、リースにそう言った。

「主!」

「下がっていろ!」

 強く怒鳴りつけ、アルディスは心中で後悔していた。

 自分の心の中で、どんな思いが渦巻いているのか、彼は理解していた。

 嫉妬と歓喜。

 魔王だと判ったはずなのに、それでも、リースの思いに変った様子はみられない。それに対する嫉妬。

 魔王だと言う理由で、レイナードを追いやることが出来るかもしれない。それに対する歓喜。

「・・・嫌になる」

 アルディスは、自嘲気味につぶやいた。

 そんな、アルディスの心を見透かすように、レイナードはまっすぐに聖王だけを見ている。

 アルディスは、その視線を受け止めた。そこには、自分の心を恥じる様子はない。

 どれだけ薄汚い心を持っていても、それが自分だと、すでに悟ってしまっている。いや、受け入れていた。

 だからと言って、その薄汚い自分を、そのまま受け止めるつもりはなかった。それ以上、汚れてしまうような真似は出来ない。

「ルーエル・・・」

 アルディスは、ルドラの名を、固い声で呼んだ。表情にはまだ余裕はあるが、実際、魔王であり顔見知りでもあったレイナードと対峙していると言うことに、緊張しているのだろう。

 それに対して、ルドラはずいぶんと余裕があるように見える。ただもう、あきれきった表情で『魔王』を眺めている。こんな状況でなお、余裕があるのは、流石と言った所だろう。アルディスでさえ、軽口が叩けない心情だが、ルドラならば、冗談の一つも言ってのけそうだ。

 友人の状態に、アルディスは満足した。

「頼みがある」

「なんだぁ?」

「しばらくでいい、レイナードを止めてくれ」

 沈黙。すぐに返ってこない答えに、アルディスは苛ついたが、ルドラを急かすような真似はしなかった。大武聖はアルディスの言葉を受けて、何かを思案しているようだった。彼は、あからさまな文句を言おうとして、それを止める。小さくため息をつき、肩をすくめた。

「なぁ、アルディス」

「判ってる。だが、俺は・・・」

「・・・馬鹿だな、お前」

 アルディスが皆まで言わないうちに、ルドラはそう言った。だが、表情はどこか優しい。

「ま、俺、お前のそういう馬鹿優しいとこが、気に入ってるんだけどな」

 ルドラはそう言うとともに、愛用の大剣を抜き払った。それに続いて、バルスがアルディスの前に立つ。

「カバーします」

 当然のように、聖王の守りに入ろうとしたバルスだったが、それを、リースがさえぎった。

「主を守る役は、私がやります。バルス様は、ルドラ様の援護を・・・」

「リース殿・・・」

「やります」

 グッと、リースが目元を拭った。

 そんな彼女の肩を、アルディスが優しく叩く。

「大丈夫、悪いようにはしない」

「・・・主?」

「俺を信じてくれ。レイナードは死なせない。だから、リースはここで待っていればいい」

 何かの自信と意思をもって、そう断言するアルディス。リースは、不安な面持ちのまま、頷いた。

 最愛の女性の同意に、アルディスは複雑そうな笑みを浮かべた。

 

「封じるのは・・・『魔王』そのもの」

 

 そうして、アルディスは魔王を封じた。

 『魔王の魂』のみを、自らの体を媒介として封印した。魔王として存在していたレイナードでなく、レイナードに巣くっていた魔王の本性を。

 だが、それでも、罰と言うものは与えられる物なのだろうか。レイナードの体は蝕まれていた。『魔王』の圧倒的な力に、レイナードの肉体は耐えられなかった。

「・・・哀れむつもりはないからな」

 夜の東宮の庭。

 そこに、アルディスは、レイナードを呼びつけていた。普段は、そんな呼びつけなど、黙殺するようなレイナードだったが、今日だけはおとなしく、時間通りに現われた。

 二人、決して仲が良いとは言えない間だった。

 だが、それぞれに通じる所はある。

 どこか似ていた。だから、同じ女を愛した。そして、似ていなかったからこそ、リースはレイナードを選んだのだ。

「リースには、もう、言ったのか?」

「最初から言ってある。アレには・・・」

「・・・なるほど。いつもの倍も怒るわけだ」

 先日のなぐりあいを思い出して、アルディスは苦笑した。

 こちらも感情に任せて言葉を発してしまった所がある。どちらが悪かったのかと問われてしまえば、アルディスは言葉に詰まった後、自分が悪いと言うだろう。

「魔王を封印したときから、判っていたのか?」

「お前もだろう?」

「まぁな」

 手近にあった木の枝を、アルディスは、手持ちぶさたに折った。軽くそれを振ってみる。

「あれだけのモノを体の中に抱えてたんだ。どこか、おかしくなるとは、思っていた」

「・・・力ない親から、時々、上位の魔神が生まれるときがある。ごくまれだ。記録に残っていても、二人ほど。そういう子供は、大部分が短命だ。身に過ぎた力を使うからな。俺のも同じなのだろう。上位の魔神である俺以上の力、か・・・」

 レイナードは、ふと、空を見上げた。

 満点の星。日中の青い空も美しいと思う。だが、夜の空と言うのも、また格別だ。違った美しさがある。幻想的で、それでいて、力強い印象も与える。

 はかないとは思わない。これもまた、現実なのだから。星々は確かにそこにあり、光り輝いているのだ。不確かな幻ではない。

「レイナード・・・」

 アルディスは、闇に属する魔神をジッと見ていた。

 ある意味では、遂に勝てなかった魔神。

 ふと、レイナードが口を開いた。

「アルディス、一つ聞いてもいいか?」

「なんだ?」

 折った木の枝を、気がなくなったように、アルディスは放った。

 レイナードは、視線を合わせずらいのか、わざと辺りを見回していた。

「どうして、俺を殺さなかった?」

「どういう・・・意味だ?」

「魔王のことだ。俺を殺すこともできただろう。なのに、何故、『魔王の魂』を封印するに止めた?」

 レイナードの、ためらいのある質問に、アルディスは苦笑した。

「そんなの決まってるだろう」

 軽く背伸びをする。そこには、聖王らしさがまるで見られない。十九才の、純粋な青年のようだ。

「お前が死んだら、リースが泣くからな」

「・・・それだけか?」

 呆気にとられたレイナードの顔。

 それに、アルディスは爆笑した。

「それだけさ。悪いか?」

「・・・わからん。俺がいなくなれば、お前には、好都合だったろうに」

「一つ教えておいてやろう」

 アルディスはそう言ったかと思うと、突然、レイナードを殴っていた。殴られた方は、不意打ちだったのもあって、まともに食らっている。よろめいて、それでも、なんとか踏み止まった。

「アルディス!?」

「お前を見てると頭にくる。全然、リースを信用してないんだからな!」

「な・・・!」

「前にお前が言っただろう。『執着するのは魔神の常』。リースもそうなんだよ。たとえ、お前が目の前からいなくなったって、アイツはお前を愛する・・・から」

「・・・だから?」

 レイナードが聞き返したのに、アルディスは、プイッとそっぽを向いてしまう。

 酷く、苛立っているように見えた。それとも、ただそう言う振りをして見せているだけだろうか。

「・・・まぁ、お前がいなくなってもリースの心は変らないだろうとか、逆に恨まれるかもしれないってのは、建て前だな」

 聖王は、ぶつぶつと、文句でも言う口調で続けた。

「本当は、嫌だったんだよ。リースが泣くのが。俺じゃ、お前にとって変れないのは、判ってたし」

「アルディス・・・お前は」

「俺は馬鹿じゃない。負ける勝負は受けないんだ」

 気持ちいいくらいの、心からの笑み。

 アルディスは、ニッコリと笑って、軽くレイナードの腕を叩いた。

「さっきのは、先日の貸しの分だな」

「む・・・」

「戻ろう。そろそろ、リース達も心配する」

「・・・アルディス?」

「なんだ?」

 先に立って歩き出したアルディスは、きょとんとした顔で振り返る。

 レイナードは、時に少年のような顔を見せる聖王を、値踏みするように観察していた。そして、ため息をつく。

「・・・リース達を頼んでもいいか?」

「言っておくが、『妻』とかには、今さら出来ないぞ?」

「アルディス!」

「冗談だよ」

 クスクスと、アルディスは楽しそうに笑っている。

 そんな聖王に、魔神は悪態をつくばかりだ。

「人が真剣に頼んでいると言うのに、茶かすやつがあるか!」

「ここにいるじゃないか、ここに」

「貴様は・・・」

「ま、いいだろう。頼まれてやろう」

 わざと偉そうにそう言い、アルディスはまた歩き出した。

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