【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

14−暗き淵−3

作・三月さま


 戦の民。

 

 遠くで爆音がした。

 大気の乱れを感じ、レイナードは今まで閉じていた瞳を上げた。ゆったりと壁によりかかっていたのだが、物憂げに立ち上がった。ふと顔を上げると、玉座に物憂げに座っていたアルディスもまた、その格式ばった椅子から離れるところだった。

「俺もいこう」

 機嫌よくアルディスが言ったことばに反論したのは、もちろん、大武聖だった。

「おい、アルディス!!」

 自分が真っ先に出るつもりだったのか、大剣を片手で持ったまま、アルディスの肩を押さえる。

「おい、俺もって・・・」

「レイナードが行くからな。俺も一緒に行こうと思って」

「ちょっとまてぇい!」

 なおもズンズンと進んでいくアルディスを食い止めるために、ルドラは彼の進行方向へ立ち塞がる。かなり焦った表情で、親友であり主である青年を睨み付ける。

「お前とレイが行ったら、聖王宮全壊、間違いなしだろうが!」

「そうか?」

「ったりめぇだ!!」

 ぎゃんぎゃんと怒鳴っているルドラ。聖王は、彼から判らないように苦笑し、レイナードに意味あり気な視線を向けてよこした。

 それを、レイナードは黙殺する。

 なおも続くルドラの怒鳴り声を、アルディスは涼しい顔で聞いていた。慣れた様子で、親友のお小言を、見事に聞き流していた。それを判ってか、ルドラはなおも激高して怒鳴り付ける。

 それに終止符を打ったのは、大神官であるバルスだった。

「大丈夫だろう、ルドラ」

「なんだと!?」

 感情の篭らない声をかけてきた大神官に、ルドラは険しい表情を向ける。大分頭にきているらしい。

「こいつとレイがかかったら、『怪獣大合戦』間違いなしだぞ!」

「そうなっても大丈夫だ」

「なんでだよ!」

「結界が張ってあるから」

 ルドラの声量に比べて、バルスの声ははるかに小さい。それでも、ルドラが息つぎをする間に、自分の言うべきことをちゃんと言っている当たりは流石だ。

「は?」

 ルドラは、バルスが言った言葉に、二、三秒間、目を瞬かせていた。呆気に取られた表情で、アルディスを見る。

「アル、バルスが言ってんのは・・・」

「一人や二人なら、大した戦闘にもならずに収められるけどな。今回は五人ほどだから」

「・・・だから?」

「ウェヴとリースに頼んで、結界を張ってもらった。これで、戦闘は外界から切り離される。好きなだけ暴れられると言う寸法だ」

 得意そうに説明するアルディス。

 その彼に、ぶち切れた大武聖の怒鳴り声が響くのは、五秒も後のことであった。

 

 ご機嫌で自分の横を、大した遅れもせず走っていくアルディス。

 彼を横目で見ながら、レイナードは軽くため息をついて見せた。あからさまに非難するような視線を、アルディスに向ける。

「わざとルドラに教えなかったのか」

「そうだが?」

 息の乱れも見せず、アルディスは楽しそうに答える。

「いつものことだ、ルーエルもすぐに忘れる」

「そうか?」

「あぁ。四百年来のつきあいだからな。判る」

「・・・四百年、か」

 レイナードが、ポツリとつぶやいた言葉に、密やかな皮肉が込められている。

 それが、判らないアルディスでもあるまい。だが、あえて無視している。

 レイナードは暗に、自分とリースはそれ以上の付き合いだと言っているのだ。あるいは、アルディスが彼女と会った時点でさえ、ずいぶんと長い付き合いだと言っているのかもしれない。どちらにしろ、自分とリースの繋がりを改めてアルディスに突きつけている。

 どちらもそれ以上、何も言おうとしなかった。ただ、二人の走り抜けていく足音が、静かに響いていくだけだ。

 不意に、レイナードが立ち止まった。アルディスもほぼ同時に立ち止まる。

「結界は?」

「すでに張ってある。あっちも判ってるだろう」

「なるほど」

 頷いたレイナードの視線の先には、二人の魔神がいた。アルディス達の動きを察して、結界を張ったウェヴが、巧妙にここまで導いたのだろう。姿はあれでも、実質、魔神内で五指に余裕で入る実力者だ。

「・・・馬鹿にしてるなぁ」

 わざと大きな声で、アルディスがそう言ったのに、レイナードは無表情で答えた。

 二人の目の前に立つ魔神達は、外見そのままに若い魔神達のようだった。400近いアルディスよりも、下だろう。魔神の中では、特に若い方だと言ってもいい。血気盛んで、それを抑えられない年ごろだ。人間で言えば、20代ごろ。若く抑えのきかない魔神。それをどう思っているのか、レイナードは何の表情も浮かべないままに、彼等を見つめていた。

 アルディスは、得意の表情でニッコリと笑う。向かいにいる魔神達は、安易にアルディスの挑発に乗ってしまう。侮辱されたとばかりに、表情を強ばらせ、目的である聖王を激しい視線で睨み付けた。

「二人の程度は?」

 魔神達が各々の武器である短剣と棒を、召喚と言う形で呼んだのを見届け、アルディスは小声でレイナードに聞いた。

「中級」

 レイナードは手身近に言い、横に飛んだ。床、魔神の振るった棒がめり込む。彼の後ろで結った黒髪の先が、纔に揺れる。

「何故だ?」

 身軽に魔神の攻撃を避けながら、レイナードは相手にしか聞こえない声で尋ねていた。

「何故、聖王宮に来た。長が阻止するために魔神を送りこんでくるのは、判っていただろうに」

「貴方に何がわかる!」

「・・・!」

 相手の必死な形相。

 それを見たレイナードの面が歪む。

「魔王さえいれば、我々はもっと・・・!」

「もっと?」

「もっと、豊かな暮らしができると聞いている!」

「豊か・・・か」

 相手の言葉を復唱したレイナードの表情は妙に暗い。

 トンと、地面を蹴り、わざと相手の方に突っ込んだ。魔神の方は、レイナードが急に攻勢に回ったので、一瞬、戸惑いを見せる。

 そこに、レイナードの槍の柄が叩き込まれた。何時の間にレイナードの手にその武器が握られていたのか。判っているのは、アルディスだけだろう。

 魔神は簡単にふき飛ばされ、アルディスがヒョイヒョイと攻撃を避けていた魔神を巻き込み、壁に叩き付けられた。そして、彼等が何とか起き上がろうとする間に、彼等のうずくまっていた床に、法陣が浮かび上がった。アルディスの高らかな呪文の詠唱が、辺りに響き渡った。

「聖王か!?」

 魔神の一人がギョッとした顔で、アルディスを見る。先程まで、遊びのように、不真面目な態度で攻撃を交していたアルディスが、今は真剣な表情で呪文を唱えている。アルディスの、呪文を発動させた素早さを考えると、避けている間に呪文が用意されていたとしか思えない。

 まるで、レイナードと二人示し合わせたような行動だ。レイナードは、アルディスの望む通りに、二人の動きをとめ、そこに間髪を入れずにアルディスが呪文を解き放ったのだ。だが、二人がそんな事を打ち合わせていた様子はない。全て、一瞬の間のお互いの行動を読んだ上での判断だろう。

 朗々と、アルディスが呪文を唱えていく。

 今この場にいる魔神の誰もが聞いた事のない言葉。

 だが、未知なる言葉は、確実に効果を表わしていた。法陣から光が立ち上り、魔神達を捕えてしまう。

 仲間が聖王の手によって『封印』されるのを、レイナードは複雑な面持ちで見守っていた。ギリッと、槍の柄を持つ手に力が篭る。

 この二人の魔神だけでなく、聖王宮を襲撃した魔神達全てが何を望んでいるのか、レイナードは知っている。

 それを、レイナードははっきりと否定できた。何が豊かな生活なのかと。彼等は十分、豊かではないか。上位の魔神の力ゆえに、大地はどこよりも富み、水はどんなものよりも澄み渡り、風は優しく、火が無意味に暴れることもほとんどない。魔神の住む大地は、どこよりも富んでいる。

 それでも、一部の魔神達は人間を羨んでいるのだ。

 何故、力ある自分達が、このように狭い土地に押し込められねばならないのか、と。どうして、脆弱な人間達が、この世界の主のような顔をしてのさばっているのかと。

 彼等は、人間の豪奢な幻影の前に惑わされている。レイナードには、そうとしか思えない。

「・・・なぁ?」

 アルディスは、一時的に呪文を中断し、結界に囚われている魔神達を見下ろした。アルディスが、呪文の行使を中断していても、効果は消えない。これが並の術者ならば、呪文の詠唱を中断した時点で、『封印』は消え去っているだろう。

 アルディスの呪文の行使能力のせいなのか、それとも、彼の魔力の絶大さのせいなのか。魔神達は、明らかに実力の違う『敵』に対して、遅すぎる畏怖を抱いていた。そんな彼等を、アルディスは薄い、皮肉そうな笑みを浮かべ、見つめていた。

「お前達は、魔王を復活させて、何を望む?」

「き・・・決まりきったこと。愚かな人間達を粛正する!」

「・・・馬鹿だなぁ」

 アルディスは、やれやれと言った表情で、肩をすくめた。

「人間は確かに愚かだな。戦争をし、わざと貧困を招くようなことをしたりする。だがな・・・」

 フワリと、アルディスは優しい笑みを浮かべた。満足そうな、一点の曇りもない、まっすぐな笑みだった。

「それでも、俺は人間が好きだよ。愚かだが、賢い者もいる。そういう人間を、俺はたくさん見てきた。それは、魔神にしても、同じだろう。人間なのだから、お前達だとて」

「だが・・・我々には、神より授かった力がある!」

 魔神達は、アルディスを目の前にして、気圧されているようだった。横から見ているレイナードには良く判る。これが、アルディスの能力の一つであると。アルディスは何者にも膝を付かない。そして、その気高い孤高さに、人々は頭を垂れるのだ。

 アルディスは、スッとその場にしゃがみ込んだ。うずくまっている魔神達と、視線の高さが合うようにする。

「なぁ、お前達、世界って奇麗だと思うよな?」

「なにを・・・」

「魔王はそう思ってないんだよ。いくら大地の魔神が土を豊かにしようと、風の魔神が大気を清めようと、魔王はそれが気に食わない」

「・・・どういう意味だ?」

「魔王の望みは、魔神に支配者の地位を与えることじゃないってことさ。さらに言うと、支配者なんて、窮屈なだけだぞ」

 ニッコリと笑い、アルディスはレイナードを振り返った。

 レイナードはそれに頷く。

「魔王の望みは一切の破壊だ。心に止めておけ」

 レイナードはそれだけ言うと、そっぽを向いてしまった。まるで、もうそのことについては、話したくないとでも言うように。

 レイナードの短い言葉に、魔神二人は唖然となった。

「な・・・レイナード様?」

「魔王はな、決して『魔神』じゃないってことさ」

 憂いがちな横顔を見せるレイナードに代わって、アルディスがそう答える。

「なに・・・?」

「はい。これでおしまい。しばらく封印されて、頭を冷やしておけ」

 アルディスはそう言うと、呪文の最後の一言をつぶやいた。

 法陣がひときわ強く光る。

 その光が去ったとき、後に残っていたのは、黒と赤の玉だった。それを、アルディスは大切そうに広い上げる。

「まぁったく、魔神も頑固だからなぁ。本当なら、戦闘の前に説得したいんだけど、聞かないから・・・」

「仕方あるまい。ある程度、人間の世界に憧れている者達は皆、魔王を良いようにしか見ない。誰も、魔王が破壊を望んでいるとは、知らないのだ」

「・・・長老連中も、馬鹿な事をするな」

 ポンと、封印の結果の玉を、アルディスはレイナードに手渡した。

「何故、カディス・・・長たちは、誤った魔王の認識を改めない?」

「それは、前にも言った」

「希望だから?」

 そう言って、アルディスは皮肉った笑みを浮かべた。

「馬鹿々々しい。そんなもの、誰が信じるか」

「・・・お前はどう思っているのだ?」

「野望だな」

「野望・・・」

「『魔王』は天の神の意思を継ぐ者ゆえに、魔物を動かせる。さらに言えば、魔族も魔王に組みする。これは、魔神にとっては、至極都合がいい」

「・・・もう判った。だから、やめてくれ」

 レイナードの嘆願を、アルディスは聞き入れなかった。

「魔神は、本当は君臨したいと心の底で思っている。だが、出来ない。何故だ?」

「・・・子が生まれにくいから」

「そう。魔神は子が生まれにくい。しかも、子が生まれるようになるまで時間がかかる。人間が、ぽんぽんと代を重ねていく間に、やっと赤ん坊が次ぎの子を生める体になる程度だ。これは、圧倒的に不利な条件だな」

 アルディスはそう言って、クスクスと笑った。

 魔神は、外見的な成長は人間と変らない。成人すると、そこでピタリと変化が止まるのだ。人間のように、その後の老いがない。だが、それはあくまで外見的なこと。魔神が本当に成人するまでには、さらに三百年から四百年ほどの時がいる。それだけ年月を重ねて、ようやく、次ぎの代に血を残せるようになるのだ。

 アルディスは、それを魔神の欠点だと思っていた。

 人間の中には、アルディスやルドラのように、上位の魔神と争っても、遜色しない実力を持つものが出てくる。そんな者が、幾人も現われてしまえば、それで終わりだ。魔神は倒され、血筋を残すことなく、滅んでしまうだろう。たとえ、一人の人間を殺しても、すぐにその子供が、成長する。一人の勇者を倒せても、また、次ぎの者が闘いを挑んでくる。

 数の上でも、生殖能力の上でも、魔神は劣っている。大勢の人間を、魔神は殺せるだろう。だが、その代償を回復させるには、馬鹿にならない年月が魔神にはいるのだ。その間に、人間が爆発的に増え、新たな反乱を起こすのは容易なことだった。

 それを、長は承知していた。他の長老達も判っている。

「そんな不利を判っていて、敢えて危険を冒すのは馬鹿だけだ。そして、そんな馬鹿は幸いにして、上位の魔神にはいない」

「アルディス・・・」

 だからこそ、魔神は、魔王に頼るのだ。魔物を操ることの出来る魔王を。

 レイナードは、ため息をついて、アルディスを見つめた。いくらふざけて見せても、この男には、真実を見る目がある。だからこそ、長も聖王を軽んじられないのだ。

「魔王・・・か」

 だが、その魔王が実際に現われてみても、魔神の態度はまばらだった。ある者は、長い平安の間に、違った豊かさを見つけた。ある者は、魔王の真の意味を知った。他の魔神が知れば、希望を失い絶望するような事実を。そして、ある者は、心から魔王の到来を喜んだ。

 どちらにしろ、魔神の『王』と認められかけた存在は、現在アルディスの手によって封じられている。

「なぁ、レイナード?」

「なんだ・・・?」

「魔王の真実、いい加減、魔神の間で知らせた方がいいんじゃないか。カディスならば、それに伴う混乱くらい、簡単に収められるだろう。なのに何故、そうしない?」

「・・・決まっている。カディス自身が滅びを望んでいるからだ。あれは、自虐的だから」

 魔神の長の、どこか遠くを見ているような態度を思い出し、アルディスは舌打ちした。

「・・・他に理由は?」

「魔王が抑えだからだ」

 レイナードはそう言ったあと、小さく何かをつぶやいた。それと同時に、手にしていた槍が消える。

「これが、最大の理由だな。だからこそ、長としてカディスは無理に魔王の真実を語ろうとしない。あの人は、これを理由に、自分の望みを正当化している」

「なるほど・・・」

「魔王派はいずれも急進的な、人間に対して反発している連中だ。簡単に一族から離脱しやすい」

「・・・それは判る」

 レイナードの簡単な説明のみで、事情を飲み込んだアルディスは、ため息をついた。

「その馬鹿どもを、魔王の名前で一族に止めているって訳か。まぁ、人間と争う以上に、身内争いは恐ろしいだろうな」

「勢力的には、半々だからな。カディスもむしろ、魔王派だ。俺の父親も。そして、ウェヴは反魔王派。それぞれを支持している魔神を考慮に入れれば、勢力的には真っ二つだ。長老達も、上位の魔神達も、そして、下位の魔神達も」

「半々なぁ・・・」

 アルディスは、レイナードの言葉を復唱した。

 その彼の目の前で、レイナードが突然、身を崩した。それを慌てて支える。

「レイナード!」

「なんでもない・・・」

 その表情を見て、アルディスは何かを察したようだった。愕然となっている。

「お前・・・まさか」

「そのまさかだ・・・」

 レイナードは、何とかアルディスから離れ、自らの力で立った。

「あと一年もない」

「レイナード・・・」

 アルディスは唖然と、レイナードを見つめていた。

「何故だ・・・魔神は不老で、めったなことがない限り・・・死ぬなんて」

「仕方あるまい」

 レイナードは、他人ごとのようにつぶやく。

「俺の定めだ。かつて、お前を殺そうとした、あの時の代償。それが、多少寿命が縮まった程度で済んだんだ、上々と言ったところだろう?」

「レイナード・・・」

「つまらん感情に左右され、限界以上の力を引き出した。その代償だ」

 そう言って、レイナードはポンと、アルディスの肩を叩いた。

「いくぞ。どこかで手間取っているらしい」

「・・・あぁ」

 遠くで爆音がした。バルスかルドラが今だに、決着をつけかねているらしい。アルディス達がつく頃に、勝負が終わっているにしろ、いないにしろ、この場で封印が出来るのが聖王のみである以上、いかねばならない。

 先を走るレイナードの背を、アルディスは静かな面持ちで眺めていた。

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