【神のいない大地・番外編】

6−魔神の少女−

作・三月さま


 貴方の願いは何ですか?

 

 リース・トラディス。

 長い間、聖王アルディスの斜め後ろに立っていた女性。たおやかで美しく、その場

にいるだけで、不思議な雰囲気を醸し出す女性だった。

 その彼女が魔神だったということは、余り世に知られてはいない。知られていて

も、せいぜいが聖王宮内に仕える人々の間でだけ。いや、存在自体もほとんど知られ

ていないだろう。ましてや、彼女が、聖王戴冠に際し、もっとも貢献した者だという

ことになると、どれだけの者が知っているのだろうか。

 

 パタパタパタと、聖王戴冠の20年目に際して建てたばかりの王宮の宮の一つの中

を、小走りに急いでいる女性がいた。どこか幼い顔だちだが、思わずハッとするほど

の可愛らしさを持っている。短く切っている黒髪が、彼女が走って居る間中、小さく

揺れていた。体つきは小柄で華奢だ。東洋風の、裾の長い服を着て、腰には長い布を

巻き付け余った分はそのまま右横に垂らしている。顔だちもまた、どこか東洋の血が

交じっているように見えた。色白のふっくらとした面。こぼれるような笑みをよく浮

かべる。万事が、一目を引くような華のある女性だった。

 だが、彼女の一番の特徴は、そんな可愛らしい容姿ではなく、彼女が人でないこと

を示す金の瞳。

 彼女が影のある部分を通る度に、その金の瞳が異様に目立った。まるで猫の瞳の様

に、その金の目は、闇の中で光っている。

 だが、そんな瞳を持っていても、彼女を異様に思う者はいまい。彼女の明るい華や

かさが、少々の奇異な部分など多い隠してしまうのだ。

 魅力と言うべきなのだろうか。少女はそんな物に溢れている。華やかな、明るい魅

力だ。

「リース!」

 不意に、頭上から名前を呼ばれて、彼女は、はたと立ち止まった。そして、ゆっく

りと上を見上げる。

「アルディス様?」

 リースは、そこから見える二回の回廊の手すりに、笑いながら寄りかかっている青

年の姿を見つけて、笑みをこぼした。

「どうしたんですか?」

 リースは手を前で組み楽しそうな様子で、アルディスに聞いてみる。

「いつもなら、この時間、『脱走』してるのに」

「言うなぁ、リースも」

 アルディスは、リースの言葉にクスクスと笑っている。

 確かにリースの言う通り、この時間帯にアルディスは、ゆっくりと発展していって

いる城下町に出て、人々の様子を見物するのが常だった。それが、こうして城内にい

るのは、リースにとっては酷く不思議なのだろう。

「今日はな、お客が来ているから」

「お客ですか?」

「長老さんだよ」

 アルディスが事もなげにその名を告げると、リースは目をまん丸くした。彼の予想

通りの反応だ。

 『長老』と言うのは、リースの属する『魔神』という一族の長老を暗に指した言葉

だ。アルディスが戴冠してから、魔神は常にアルディスに接触しようとしてくる。

様々な思惑があってのことだろう。それを、アルディスは判って居ながらも、逆手に

取ったりしている。

 魔神には何人か長老がいて、『長』の補佐役の様な事をしている。その中で、アル

ディスが好意を持って『長老さん』などと言う名前で呼ぶのは、リースの長姉である

魔神だけだ。

「お姉様が、また、どうして?」

「遊び来たそうだ」

 アルディスはそう言って、ニッコリと笑みを浮かべる。

 彼がちょっと身をずらすと、その横に、肝心の『長老』である、女性がヒョッコリ

と顔を出した。

 魔神と言う、不老の身のせいだろうか。年齢がかなり離れているはずだと言うの

に、長姉と末妹の間がらながら、どう見ても、長姉の方がリースより幼く見えてしま

う。

「ウェヴお姉様?」

 リースは、二階からヒラヒラと手を振ってくる姉に、また、目をまるくする。

「どうしたんですか、お姉様?」

「どうもこうも。魔神が『主』に会いにきて、何が悪い?」

「いえ・・・悪くはありませんが・・・」

「そうだろう」

 魔神ウェヴは、言葉に詰まったリースに対し、してやったりと得意顔だ。子供のよ

うにコロコロと笑っている。

 ウェヴもまた、妹のリースと同じで小柄で華奢な体つきだ。リーストは対照的に長

く伸ばした黒髪を二つに分けて高く結い上げ、フワフワとしたどちらかと言えば西洋

風の子供の服のようなものを着込んで居る。

 このウェヴもまた、聖王の『下僕』となった魔神だった。ただし過去形。リースと

違い、こちらの魔神はアルディスに早々に3つの願いを言われ、それを叶えてしまっ

た。

 魔神は何かにつけ、罰として同族の長老に封印されるものだ。ウェヴもまた、長と

のいざこざで、封印されていた。それを解いたのがアルディスだ。

 ウェヴも魔神の常として、掟と称して、『3つ』の願いを叶えると、当時聖王にな

ったばかりのアルディスに申し入れている。

 そして、アルディスはウェヴに3つの願いを申し出たのだ。それも、もっと力の弱

い、下級の魔神でも叶えられそうな願いを。

「どうした?」

 ジッと自分を見上げてくるウェブの視線に気が付いたのだろう、アルディスは纔に

首を傾げて見せる。

 下にいるリースもまた、キョトンとしている。

 この聖王と魔神の二人、主と下僕で似た者同士らしい。どちらも、時々妙に鈍くな

る。

「何でもない。気にするな」

 ウェヴはそう言って、ニヤリと笑った。姿に似合わず性格はなかなかに大ざっぱな

女性だ。

 子供のような外見をしてみても、魔神と言われるだけの齢は重ねているらしい。元

『主』でもあり、また聖王でもあるアルディスに対してひるみがない。自分自身を理

解している所からくる自身がある。だからこそ、魔神の中で、『長老』などという責

任ある地位にもいられるのだろう。

「変な奴だな」

 アルディスは、ウェヴの態度を深読みもせずに受け止め、彼女の背を軽く叩いた。

リースへの接し方とは大違いだ。リースに対するものが『女性』に対するものだとす

れば、ウェヴに対するものは『子供』に対するもの。

 もっとも、ウェヴの方も、これ以上『成長』することもないだろう自分の容姿は理

解しているので、そんなアルディスの態度を甘受しているところもあった。第一、気

にする理由もない。『友人』として、アルディスの傍にあることが、彼女の『責務』

だからだ。

「お茶にでもするか」

 アルディスは、下を覗き込み、リースの是非を問う。もちろん、それにリースが否

やを言う訳がない。即座に頷いている。

 そんな主従をウェヴは、じぃっと見つめている。どこか不満顔に見えなくもない。

(珍妙な主従だなぁ・・・)

と、自分の記憶にある限りの『主従』関係を思い浮かべながら、ふと思ってしまっ

た。

 普通の人と魔神の主従なら、もっと厳格な関係なのだ。それも『三つ』の願いを叶

えるまでと言う期限つき。中には魔神を酷使するような願いを叶えたせいで、願いを

全て叶えられた後に、自らの魔神であった存在に殺されてしまった人間もいる。だ

が、そんな期間限定の関係でも、その間だけは模範のような主従になるはずだった。

 だが、この二人はどうだろうか。今だ三つの願いを叶えきらないと言うのに、砕け

きっている。

「アルディスのせいなのか、リースのせいなのか・・・」

 そうつぶやいた後、ウェヴはこらえ切れなくなったように、くつくつと忍び笑いし

ていた。

 

 リースがアルディスに封印を解かれたのは、ほんの偶然だった。

 一族の意思に反したとして、封印されていたリース。その彼女を解き放ったのがア

ルディスだったのは、運命だったかもしれない。

 もしも、封印されていたのがリースでなければ、アルディスは聖王となることは出

来なかったかもしれない。

 もしも、封印を解いたのがアルディスでなければ、この世界は今だに不安定なまま

だったろう。

 全ては、定まっていたのかもしれない。

 聖王宮に仕える人々は、よくそう言う。全ては『運命』だったのだと。だが、それ

がまるで当ての外れた幻想だと言うことを、アルディスもリースも知っている。

 この世界には、『運命』などないのだから。

 もっとも、人々の方はそれを知らない。だからこそ、アルディスの戴冠が運命に導

かれた者だと信じている。甘い夢だ。

 そんな、人々の憧れと期待を背負っている聖王。

 その当の本人の方は、まるでそんな事など気にしないという風情だったが。

 

 現に今も、それぞれの責務で忙しかった大武聖と大神官の両名を引きずってきて、

聖王宮内の一室でお茶などをしている。

「リース、食べないのか?」

 せっかく、バルスに言って、お茶の用意をして貰ったというのに、リースはちびち

びと紅茶を飲むばかりで、せっかくのお茶受けに手をつけようとしていない。

「あ、食べますよ」

「この子は、大好きな物は最後まで取っておく質なんじゃよ」

 ウェヴは、思わず実際の年齢がバレてしまうような口調でそう言う。その場にいた

もの全員が、それにわざと気が付かない振りをする。

 バルスも入れて、この四人とも、酷く楽しそうだ。

 楽しくないのは、大武聖ルドラただ一人かもしれない。

「どうした、ルーエル?」

 一人、部屋の隅でぶすっとしているルドラ。それに、理由が判って居ながら、明る

いからかう調子でアルディスは声をかける。

「どうしたじゃねぇだろうがぁ!!!!」

 持ち前の大音声で怒鳴り返すルドラ。ウェヴがそれに、わざとらしく耳を塞いでい

る。

 ルドラは座っていた椅子から立ち上がると、ダンダンと地団太を踏んだ。

「てめぇが戴冠してやっと20年だぞ!?」

「もう、そんなになるんだなぁ」

「なるんだじゃねぇ!!!」

 バルスの絶叫。本当に、下手に生真面目だから、聖王にからかわれて馬鹿正直に反

応してしまう。アルディスもまた、それが面白いからからかっているのだろう。大武

聖の胃に穴が開く日も近いかもしれない。

「まだまだ、やらなきゃならねぇことが山積みだってぇのに、お前はのんきに茶なん

ぞ飲みやがって!!」

「人間、たまには休憩も必要だと思うがな、ルーエル?」

「お前は始終遊んどるだろうがぁ!!!」

 毎度々々の二人の会話。

 リースはそんな光景にクスクスと笑っていた。

 ずっと彼等の傍にいたリースだから判るのだ。こんな光景でさえも、やっと手に入

れたものだと。

 戦乱と憎しみと。悲しみと死と。そんなものしかなかった、20年前。

 その世界も、ようやく安定してきている。

 このアルディスと言う青年に全てを背負わせる形でだ。

「こういう平和もいいものだ・・・そう思う」

 リースの横に座っていたバルスが、珍しく小さく笑みを浮かべてそうつぶやいたの

に、リースは大きく頷いた。

「ずっと、続くといいですよね」

「続くさ。続けさせる・・・必ず。私たちの手でね。私は、ずっと我が君を支えてい

く」

「はい」

 ニッコリと笑うリース。

 ウェヴもまた、それに笑っていた。

 

 その永遠に続くはずの時も、それから四百年も経たずに終わってしまう。

 リースの失踪と言う形で。

 そして、それから百年ほどで、世界の安定もなくなる。

 

 全ては、人が幾つも世代を重ねた後の話なのだが・・・

 

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