【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

19−エルフィナ−

作・三月さま


 僕の女神・・・

 

 炎が、辺りを赤く染め上げる。人の居ない、崩れ駆けた遺跡の廊下、床、天井。全てが朱色に染まっていった。炎は、何の根源も持たず、また、特別に燃えそうな木々もないと言うのに、遺跡の石畳を嘗めるように、張っていく。その、意思を持ったような仕草と、通常のものより濃い紅の色が、その炎が普通に生み出されたものとは違うと語っていた。

 赤い炎。それを、腕に巻きつけるようにまとっている。彼女の腕にまとわり付いている炎は、服を燃やすこともなく、また、その下の肌を傷つけることもなく、存在し続けていた。魔力が源の、呪文により現われた炎だからこその芸当だ。

 濃い紫に染めた前髪も、炎の色を受け、赤紫に見えた。髪は熱を受けて舞い上がり、額とその下に位置している瞳を露にする。紫の髪の合間から見える、灰色の瞳。それが、まっすぐに相手を見ていた。

「・・・弱いからだろ?」

 エルフィナは、自分の目の前にいる男に向かって、ニッコリ微笑んで見せた。

 相手の年の頃なら、見た目で25、6と言った所だろうか。自分より、一回りは年長の大柄な男性を、エルフィナは蔑む瞳で睨み上げる。

 男の属する一族を、魔族と言った。『魔族』などと言う呼称は、人間が勝手に定めた枠だ。魔族自身も、自らを誇り、その名を自称することがある。だが、人間がつぶやくとき、その名には嫌悪と侮蔑の思いがこめられるのだ。そして、人間は彼等魔族を、これほどまでに憎めるのかと思うほどに忌み嫌う。

 彼は、そんな憎まれた一族の一人だった。容姿的には、魔族の内でも、人間に姿形が近い一族の出らしい。耳がやや尖って見える点や、暗い紫闇の瞳などの細かい点を覗けば、彼の姿は人間そのものなのだから。遠目に見るか、瞳を隠してしまえば、もう誰も、彼が魔族などとは言わないはずだ。

 彼の属する一族、魔族は、全体的に見れば、好戦的で破壊的。血と肉を好み、人間を楽しみのために利用しつくしたりもする。いわば、人にとっての天敵のような存在だった。

 だが、その『天敵』も、一部の人間にしてみれば、唯の弱者と化す。

 人の可能性なのだろうか。剣や魔法の腕に多少優れた者にとっては、闇の獣である魔物は脅威ではなくなるのだ。野性の獣と対して変りないモノになってくるのだ。人の形を取る魔族に対しても同じだ。剣聖などと言われている大武聖ルドラの手にかかれば、どんな魔族だろうと、勝つことは難しいだろう。

 もちろん、魔物にだとて、甲乙はある。下級に位置される魔物ならば、一般人でも徒党を組めば駆逐できる。それに対して、上級の魔族ともなれば、一国をも滅ぼせる者さえ出てくる。

 そういう人の規定からいけば、この魔族の青年は丁度中間あたり。侮れないと言えば侮れない。だが、エルフィナにとっては、丁度いい退屈凌ぎだった。

 エルフィナの巻き起こした炎が、青年に力の差を如実に語っていた。彼はエルフィナの呪文による炎に安易に屈指ていた。『死』と言う存在その者の様な少女に、彼は魔族らしくなく震えていた。

「くすくす、どうしたんだよ?」

 エルフィナは、からかうようにそう言い、大きく笑い声を上げた。

「あーははははははは、惨めだな!」

 青年の表が、恥辱で曇る。それを見届けて、そんな表情さえも可笑しいとばかりに、エルフィナは苦笑する。

「悔しいか?」

 エルフィナは、炎の火力を弱め、そのまま紅蓮の高熱を消し去ってしまった。その代わりのように、腰に帯びていた長剣を抜き払う。

 青年を見据えるエルフィナの瞳は冷たい。魔導の上での師にあたるバルスのように、いや、彼よりももっと闇の色の濃い冷たさだ。その灰色の瞳で、彼女は魔族を居抜くように見つめていた。

「悔しくとも、もう、終わりだ」

 エルフィナは無情にそう言い、剣を大げさに振り上げた。死を覚悟したのだろう。魔族が顔を伏せる。その潔さが勘に触ったのか、エルフィナは無情にも、何の躊躇もなく剣を振り降ろしていた。

 あっけない終わり。

 いつだとてそうだ。

「・・・魔物」

 魔物、魔物、魔物。

 人に嫌われ、殺しても何も言われない存在。

 こうやって、死ぬほどの目にあえば、苦しみもするのに、人は何も思わない。

 その終わりは、いつもあっけない。

「・・・姉上ぇ」

 エルフィナは、小さく呻くと、その場に膝を付いた。魔族から流れてくる血が、彼女の膝をジットリと濡らす。だが、そんな血に構わず、エルフィナはどこか怯えた様な目で、自分が握っている剣をジッと見つめた。

 炎とは違う、赤い色がそこにある。滴る液体。それは、紫でも、黒でもなく、真紅だった。

 魔物の血も、赤いのだ。人と同じように、彼等も赤い血をその身に抱いている。

「・・・なんでかなぁ?」

 エルフィナは、剣を見つめたまま、不思議そうに首を傾げた。

 判らないことばかりだった。

 姉のアディアナならば、きっと、この魔族も殺しはしなかっただろう。人と変らない態度で接し、あの笑みを浮かべたはずだ。それに、全ての人が屈するのだ。彼女の存在そのものに威圧され、彼女の優しさに頭を垂れる。

 それに比べて、自分がしていることはなんだろうか。別に、この、魔族はエルフィナを殺そうとしたわけではない。襲おうとしたわけでもない。ただ、エルフィナに見つかってしまっただけだった。彼は、人の住処から遠く離れた遺跡で、静かに存在していただけなのかもしれない。だが、彼女に見つかってしまったために、こんなことになってしまった。

 どうして、姉と自分はこうも違うのか。

 自分はどうして、こんなことをしているのか。

「僕の方が・・・よっぽど魔物みたいだな」

 付けていたピアスを片方はずすと、エルフィナはそれを、魔物の胸の上に置いた。

 アディアナの瞳の色と同じ、緑の貴石のピアスだ。大切な姉の瞳の色だからと、気に入っていたものだったが、何故か、魔物にやる気になった。

 謝罪ではない。

 気紛れかもしれない。

 ただ、姉との違いを思い、陰鬱とした気分になったのは確かだった。

 

 夜中にフラリと帰ってきた『姫』に、養育係りである女官のクレアレットは、やはりいい顔はしなかった。あいかわらずの女官の態度に、エルフィナはつい苦笑してしまう。

 エルフィナが成長するに従い、態度を柔和にさせていった女官達だが、このクレアレットだけは、相変わらず手厳しい。昔のように、『嫌う』わけではない。憎しみを露にもしたりはしない。だが、お互いに、昔の延長線上のような態度を続けていた。

 エルフィナにとっても、その方がよかった。コロコロと態度を変えられるよりは、クレアレットの様に、頑固にいられた方が好ましいからだ。

「ただいま」

 昔は決して言わなかった挨拶をして、上着を脱ぎ捨てた。当然とばかりにそれを床に投げ捨て、拾おうともしない。

 クレアレットは、渋顔でそれを代わりに拾い上げる。

「血がついてますね」

 中年も後半にかかった女官は、服についた赤黒い染みを見て、冷たくそう言い捨てる。

 エルフィナは、そんな女官に、得意気に笑って見せた。

「魔物、切ったから」

「また、魔物退治の真似ごとですか?」

「真似じゃないよ、魔物殺しだから」

 エルフィナはそう言うと、今度はズボンも脱いでしまう。シャツも脱ぎ捨て、下着だけの姿になると、何をするでもなく立ち尽くしていた。そうして、何か考えでもしているのかと思ったが、彼女の視線は頼りなく彷徨ったままだ。クレアレットに視線が止まると、エルフィナは、ジッと彼女の老いたが高潔な顔を見つめた。

「怒ってんの?」

「当り前です。『姫君』ともあろうお方が、魔物退治など。褒められたことではありますまい?」

「・・・僕は、女じゃないよ」

 皮肉ったエルフィナの笑い声が、部屋に響いた。

「まぁ肉体的には女性に近いかもなしれない。でも、完全な『女』でもない。判ってるんだろ、クレア?」

 そう言って、彼女は堂々と自分の体をさらす。

 女官の目の前にいる『姫』の体つきは、女性のものからは程遠いものだった。胸のふくらみもなければ、腰のあたりの丸みもない。線のやや細い、男性としか見えない。

 ただ一つ、エルフィナを『女』だと区別してしまう物があるとすれば、それは、男性器の欠如。それは、長年世話をしてきたクレアレットも承知している。

「どうあろうと、『姫君』としてお育てしたのです。あくまで、そう扱わせていただきます」

 クレアレットは、エルフィナの皮肉った笑みに、無表情にそう告げた。

「頭固いんじゃないの?」

 一言、そう文句をいい、エルフィナはクレアレットが出して置いてくれた着替えに袖を通す。自分の意思を尊重してくれているのか、服はやはり男物。だが、そのことに驚くこともなく、エルフィナは慣れた様子で、一人で手早く着替えていった。

「僕は、自分では『男』だと思ってるけどね」

「おやめなさい、叶わぬことです」

「まぁね。アンタたちから見れば、『女』の定義の方が当てはまるんだろうけどね」

 カタカタと、窓が揺れていた。風が強いせいだ。木々が突風に嬲られる音もする。

 嵐が近いのかもしれない。

 外のざわめきに耳を澄ませ、エルフィナはクスリと笑った。

「でも、僕は子供も生めない体だぞ?」

「まだ、判りますまい」

「いいや。生めないね。ないのは、男の部分だけじゃないからな。女の部分もないと思う。感じるんだ」

「姫・・・」

「『姫』は、やめてくれ。気持ち悪い」

 手をヒラヒラと振って、クレアレットを黙らせる。

「実際に試したしな。だから、判ってる」

「な・・・なんですって?」

 クレアレットが、驚愕した表情になる。

 長年苦汁を飲ませてくれた相手だけに、彼女を驚かせられたことに、エルフィナは纔に溜飲を下げた。

「南領の下町行って、酔っ払いひっかけてみた」

「エルフィナ様!!」

「嘘だよ」

 どこまでが嘘なのか、思わせぶりに、エルフィナは意地の悪い笑みを浮かべ続けている。

 怒りの余り絶句しているクレアレットの横を、エルフィナは何事もなかったかのように、通りすぎた。ただ、横をすり抜ける瞬間に、

「ま・も・の・だよ。相手」

と、囁いていったが。

 

 久しぶりに、エルフィナが後宮内に止まっていることに、年若い侍女達は、たいそう喜んでいた。彼女達は、エルフィナの子供の頃の悪行も、憎まれぶりもしらない。目の当たりにしていないからだ。いくら、年長の侍女や女官達に伝え聞いても、作り話としか聞こえないらしい。

 じっさい、エルフィナはここ数年で変った。

 あれほど、回りのものに嫌われていたのが、今は好かれるようになっている。彼女自身の魅力なのか、人と対するときに『仮面』を付ける事を覚えたせいなのか。

 どちらにしろ、彼女はほんの数人にしか、本当の自分を見せたことがない。

 いや、正確に言えば『一人』だろうか。

 大武聖や大神官にも、エルフィナはある程度は本心を見せる。二人は剣と魔導の上で師でもあり、また、彼女を子供の頃から頭ごなしに怒鳴ってくれる相手でもあったからだ。

 魔神では、リースだろうか。時に、『母親』のように慕う女性だ。だが、『母』とも呼んで慕っているように見える相手に対してでさえ、エルフィナは必要以上には深入りしようとはしない。

 もう一人の、部分的な本心を見せる相手、アルディス。嫌っているにもかかわらず、怒りを露にしてしまうために、大武聖達には見せない本心を、聖王に晒け出してしまっていた。

 そして、アディアナ。姉と呼び、誰よりも思っている相手が、エルフィナにとっては、唯一人の、自分のままで居られる相手だった。弱さも見せられる、甘える事も出来る。他の相手には意地を張って見せられない笑みも、泣き顔も、彼女になら見せられた。

 始めて聖王宮に連れてこられ、アディアナと体面した瞬間から変らぬ敬愛。始めて会ったときから、ずっと、アディアナだけを思い、見てきた。

 彼女のためならば、なんでもできる。

 なんでもする気だった。

 それが、今のエルフィナにとっての存在価値。

「僕の・・・価値・・・」

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