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それは世界の安定の要。
聖王アルディス。
齢四百近くであり、その不老性は当然、他の人々にとっては不可解なものだろう。
魔王出現までは、実際に、魔族ではないのか、または、魔族とのハーフではないのか
と怪しまれもしたものだった。
だが、聖王として四百年近くも在位している今、彼の存在に危機感を持つものは限
りなく少ない。
聖王と言う存在は、現在では『神に選ばれた』者となっているからだ。
聖王宮の本宮・謁見の間。
そこに、聖王及びその重臣、そして、大陸レディアスにあるカイン公領からの使者
がいた。
使者は、片膝をつきつつ、頭を上げ、聖王の『答え』を待っている。
聖王アルディスは、両脇に腹心である大武聖・大神官の両名を控えさせ、玉座にも
たれるように座っていた。けだるげに肘をつき、使者を見下ろしている。
「断わる」
散々に焦らせた挙句に、聖王が発した言葉がそれだった。
その言葉が発っせられると同時に、使者の表にありありと見て取れる落胆が現われ
る。
そして、一部の重臣からは不満のつぶやき。
「知っての通り、我が国は絶対の『中立』を担っている。『世界の安定』の妨げとな
らない限り、軍は動かさないし、もちろん、政治的介入もしない」
「ですが、我がカイン公領の騒乱はそのまま、レディアスの騒乱となるやもしれない
のです!」
使者も、国の重要な指名を負ってきただけに必死だ。何とか、聖王に食い下がろう
とする。
そんな使者を見て、アルディスは脇にいる大武聖以外に気取られるぬほどの、薄い
笑みを浮かべる。
「自惚れるな」
静かに、だが、はっきりと通る声でそう言い渡す。
「マーゼル大公家の内乱の危機の方が、よほど、レディアスにとっては騒乱の火種だ
よ。そして、それを起こしたのは、どこの公領だったか?」
「ぐ・・・」
使者の顔色がまた一変する。
だが、顔色を変えたのは使者だけではなかった。大武聖を含む重臣の多くが、顔色
を真っ青にしている。
「おい、アルディス・・・」
「謁見の最中だ。後にしてくれ」
こっそりと話かけようとしてきた大武聖を、アルディスはアッサリと拒絶する。
そして、使者を見る。
絶対に機密であったはずの秘密が漏れている。その事に、使者は驚愕し、同時に当
惑しているようだった。さらに言えば、その『機密』ゆえに聖王がカイン公領の請願
を聞き入れぬ事を理解することから来る絶望もある。
「これまでだな」
アルディスは、それ以上、何も言おうとしない使者を見て、そう言いはなった。席
を立ち、大神官バルスに向かって、
「後を頼む」
と言い残し、謁見の間を出る。
重臣の何人かが、退席する聖王に混乱のままに奏上しようとするが、いずれもバル
スに簡単に食い留められてしまう。
「大神官!」
「我が君はお疲れの様ですから、奏上は後にしておいてくれ」
「いったい我が君は何を考えておられる!?」
詰めかける重臣達。
退出する聖王に、彼等の分まで礼を込め、大神官は軽く会釈する。謁見の間から出
る間際、聖王がこらえ切れなくなったように、笑い出したのに、彼も珍しく苦笑す
る。
だが、重臣達に再び向かい合った時には、いつもの『大神官』としてのバルスだっ
た。
冷静に、無表情に対応する。その態度は、冷たすぎるといってもいい。だが、今さ
ら誰もその態度に文句は言わない。慣れてしまったことでもあり、また、そんな態度
に文句を言わせるようなミスを、この大神官は犯さないのだ。
「大神官、貴方は何か知っておられるのですか?」
文官の一人、つまりは、バルスの部下の一人が、冷静にそう尋ねてくる。この若い
青年・ブロッホマンは、聖王にも目をかけられている優秀な人物だ。だからこそ、こ
の年齢でも重臣の一人に加えられている。
その彼らしい質問に、バルスは軽く首を振った。
「いいや。私は何も」
「では全て聖王の『独断』なのですね?」
「『独断』?」
青年の言葉に、バルスは冷たい笑みを浮かべた。
「何を言っているんだ。あの方の判断こそが全てだろう?」
躊躇も迷いもない大神官の言葉に、重臣の皆が凍り付く。
そんな彼等に、バルスが畳かけるように言葉を続けた。
「重臣の計り事が必要なのならば、すでに聖王はそうなされている。そうなされない
限りは、必要なかったと言うことだろう。実際、今の聖王の判断に不満がある者は
?」
バルスはそう言い、重臣を見回した。
誰も声さえ上げようとしない。
「貴方達の不満は、カイン公家ほどの名門の古い家からの申出を、計ることなく聖王
がとり決めてしまったこと、及び、その名門を見捨てたことだろう」
「・・・否定はしません」
重臣の言葉を代表するように、ブロッホマンがそう答える。
「だが、貴方達が協議した所で答えは同じだった。ならば、協議するだけ無駄なこと
だろう」
「・・・しかし、大神官」
「忘れるな」
さらに言いつのろうとする老齢の武官の言葉を、バルスはピシャリと抑える。
「この国の王はアルディス様。我々ではない」
改めて突きつけられた言葉に、重臣達は言葉を失う。
彼等の反応を見て、バルスは静かに謁見の間の出口へと身を向けた。
「あぁ、そうだ。ブロッホマン」
「はい」
「使者を・・・」
バルスの視線の先には、使命を果たせぬために、屈辱に振るえている使者の姿があ
った。じっと床を見据える彼の心を占めているのは、絶望だろう。これで、彼の仕え
る主家の滅亡は決まったのだ。
重苦しい正装のマントを脱ぎ捨て、上着のえりもゆるめて仕舞う。
お互い、そんな簡単な格好になった直後、アルディスは自室で爆笑し出した。
「あはははははは、あの使者のギョッとした顔。見たか、ルーエル?」
「見た・・・けどなぁ」
ルドラは、アルディスの室内の椅子に勝手に座り込みながら、首を傾げて見せる。
「俺、全然話が見えなかったんだけど?」
「あ、やっぱり?」
アルディスはそう言って、また笑い出した。
「あれだけじゃぁ、やっぱり、ルーエルには判らなかったと思ったけど」
「てめぇ、殺すぞ!」
「ま、バルスは判ってた見たいだけどな。他の重臣も」
ニコニコと微笑みつつそう言うアルディスに、ルドラは顔をしかめる。
「どうせ俺は馬鹿ですよ!」
「ま、ルーエルのそう言う、純粋な所が俺は気に入ってるんだけどな」
「お前、純粋と馬鹿って同義語だと思ってるだろ?」
「思ってないさ」
アルディスは机の上に直に座ると、意味あり気に笑ってみせた。
コツコツと、アルディスが机を指で叩く音が部屋の中に響く。どうやって、ルドラ
に説明してやろうかと、思案しているらしい。
「まず・・・そうだな。事の起こりは、カイン公領の状態にある」
「・・・ん?」
かつての自分の故郷の隣国の名に、ルドラはピクリと反応する。
「えーとぉ、大分ん前に、継承問題かなんか起こさなかったか、あそこ?」
「カイン公領って何十年か前に、水名公領の領地を摂取しただろ?」
「あぁ。なんか、水名公領の跡継ぎが死んじまって、それで血縁のカイン公が水名の
公爵位も継いだってやつだろ?」
「そうそう」
アルディスは何がおかしいのか、クスクスと笑っている。
その笑みが、何か悪だくみを企てているときの物だと知っているルドラは、反射的
に警戒してしまっている。そんな、彼の態度がまた、アルディスの失笑を買った。
「でもな、その公爵位の継承だけど、ズルがあったんだよ」
「ズル?」
「カイン公よりも、ずっと血の近い、正当な跡継ぎが水名にはいたんだよ」
「・・・で、それが十何年も経った今になってぶり返しか?」
「そ。当時のカイン公もなくなって、今のカイン公は水名を併合してからの二代目
だ。だが、あの人は、あれだけの広さを収めるには足りない人物らしくてね。特に旧
水名の領民から不満の声が上がった」
「水名領の反乱・・・か」
ルドラは、武官としての立場から記憶していた内乱を思い出す。確か、あのときも
カイン公はアルディスを頼ってきたはずだ。だが、その時にもアルディスはカイン公
の申出を蹴っている。
その変りにカイン公が頼ったのが、隣国ではないが同じ大陸内にある大国マーゼル
大公家。その結果、反乱は武力により収められた。だが、首謀者は捕えられなかった
と記憶している。国外に逃亡しただの、ルドラの血縁であるレディアス公が隠しただ
の、または、マーゼルが謀る所あって保護しているなど、色々な無責任な噂が飛び交
ったものだった。
キシリと音を立てて、ルドラは椅子を傾かせた。
「で?」
「反乱の首謀って、誰だったと思う?」
「正当な水名の後継・・・だとジジィだから、その子ってとこか?」
「当たり。聡明なお嬢さんだよ」
「・・・てめぇ」
ニコニコ顔のアルディスに、ルドラは顔をしかめる。
「会ったのか?」
「反乱に引っかかるところがあって、水名領に行ったら会っっちゃったんだな、これ
が」
「これがじゃねぇだろ!」
予想通りに怒鳴りつけてきたルドラに、アルディスは満足顔だ。
「ははは。ま、まったくの偶然だったんだ、会ったのは。別に顔見知りになったから
と言って、援助したわけでないし。援助してるのは、マーゼルの方だし」
「マーゼルも反乱を収めるのに手伝ったのになぁ・・・それで、カイン公がマーゼル
の内乱に関わってるとか言うのか?」
「はずれ」
してやったり顔のアルディス。
机から降りると、暗くなってきた窓辺までゆっくりと歩みより、カーテンを自ら閉
めた。
纔の光りも遮断され、すっかり暗くなってしまった室内だったが、アルディスが何
事かつぶやくと、天井にある照明に明りが灯った。魔法を利用した照明だ。壊されな
い限り、半永久的に働き続けるらしい。
明りを見上げ、それから、視線をルドラに戻す。
「マーゼルの大公位継承に、カイン公がちょっかい出したのに怒った新大公が、水名
のお姫様に援助している。以上」
「あぁ、なるほど」
「内乱の危機があるとは言え、マーゼルは大国だ。その援助があれば、水名のお姫様
も、継承のごたごたで潰された水名の家を復興させられるだろう。同時に、カイン公
家も潰せる。水名の継承権利がカインにあったように、カインの継承権利も水名にあ
るからな」
「で、正当性が死ぬほどほしかったカインは、『聖王』のお墨書きがほしかったんだ
なぁ。あぁ、やっと合点がいった」
ルドラは、納得したようにつぶやくと、椅子から立ち上がった。
「俺、仕事チョイッと残ってるから、戻る」
「判った」
ヒラヒラと手を振るアルディス。
だが、ルドラは部屋から出かかった所で、ふと足を止めた。
「なぁ、マーゼルの内乱ってどうなる?」
「どうもならないんじゃないか。俺も干渉する気ないし。義理もないし」
「・・・さっきは大層なセリフ吐いたくせに」
「いいじゃないか。どうせ、内乱にもならないで、分裂して終わりだろうから」
「あ、そういう意味で、干渉しないのか」
放っておいても、マーゼルは分裂する形で内乱を収める。寧ろ、下手に干渉するほ
うが、具体的な軍事での争いになる。
アルディスの笑みに隠れた答えを見て、ルドラは肩をすくめるしかなかった。