3
何度も何度も繰り返される悲劇。
簡単な鎧。動きやすさだけを重視した簡素な服。一抱えもある荷物。そして、長剣に、目立たない程度の魔具。
服を変え、一人で鎧を手早くつけていく。
自室で、誰にも伝えることなく、一人で旅の用意をしていたアルディスだったが、ふと、顔を上げて破顔した。
隣室に続く扉が纔に開かれ、そこに、『娘』であるアディアナが立っていたのだ。
「どうした、アディ?」
「ごめんなさい、お父様」
「ん?」
「断わりもせずに、入ってきてしまって」
「いいよ。別に」
アルディスはそう言って、剣を手に取る。
隣室に行く素振りを見せると、アディアナはスッと身を引き、アルディスが通れるように扉から纔に離れる。
すれ違う間際、ジッと自分を見上げてくるアディアナの視線に気がついたが、あえて気にしないことにした。
「お父様?」
「なんだい」
「どちらに行かれるのですか?」
「シルバリアの方に少しな。用がある」
「そうですか・・・」
曖昧なアルディスの言葉に、アディアナはシュンとなった。
視線を下に落とし、気まずそうにしている。
「アディ・・・」
何か言った方がいいのだろうか。アルディスは、軽い焦燥に刈られ、手をアディアナに伸ばしかけた。
が、パッとアディアナが顔を上げたのに、その手を引っ込める。
「お父様」
アディアナは、先ほどのまでの落ち込んだ様子が嘘の様に笑っている。無理に作った笑顔なのだろう。だが、今までの落ち込み様さえ見ていなければ、普通に笑っているように見える。
アディアナは、先ほどから手にもっていた黒い液体の入った小ビンを、スッと、アルディスの前に差し出して見せた。
ガラスのビンに入った、サラリとした感触の黒い液体。
突然そんなものを差し出されたアルディスは、それが何なのか判らず、思わず首を捻る。
「これは?」
「バルス様からお預かりいたしました。お届けするようにと」
「バルスめ・・・」
どうして、バルスが『姫』にわざわざ使いをさせたかが判り、アルディスは苦笑する。
アルディスの笑みの意味が判らないものの、アディアナも微笑んでいた。よほどの事がないかぎり、笑みを絶やさない姫だ。
「魔法で髪の色を変えてみても、目敏い者なら見分けるだろうと・・・言付かっております」
「なるほどな。ちゃんと染めたほうが、銀髪だとバレないって訳か」
こういう細かい事に、あの大神官はよく気がつく。
ウルヴィスはゴールドバーンとはあまり仲がいいとは言えない。原因に、ゴールドバーンと血縁と目されているシルバリア皇国の存在がある。大国であるシルバリアに、ウルヴィスは常に脅かされている。その、シルバリアへの嫌悪が、そのまま、後ろ楯をしているように見えるゴールドバーンにも向けられているらしい。聖王が、極力、他国の騒乱には手を出さないようにしていると言うのにだ。
そのウルヴィスに、アルディスが向かおうとしている。特にバルスに伝えた訳ではない。だが、大神官はいつものようにそれを悟り、こうやって必要な手配をしてくれている。
「バルスは、他にも何か言っていたか?」
「はい。ご準備が終わるころに、参上いたします・・・と言うことですが」
「そうか。・・・うーん、困ったな」
「え?」
アルディスが腕を組んで、わざと思案げな表情を見せたのに、アディアナは予想以上に心配そうな表情を見せた。
優しい姫の気づかいに、笑みがこぼれる。
「いや、せっかく着替えたのに、髪を染めて行くんじゃ、また着替えだなと思って」
「あぁ、髪をお洗いになられるから・・・今から染めるのですか?」
「船に乗る前にはな。他だと面倒だから、ここでやっていきたい」
サラリと、アディアナの着ていたドレスが、着ぬずれの音を立てた。
「お手伝い、いたしましょうか?」
「いや・・・そうだな。少しなら」
「はい」
聖王の姫だ、聖女だと、大切にされてきたアディアナだが、これでバルスの教育が行き届いているのか、そこらの姫よりは、色々と出来る。バルスは、アディアナを『姫』としてよりも、『人』として育てたのだろう。突然、姫の身から放逐されようとも、何とかやっていけるかもしれない。
そんなバルスの、教育係りへの命が、どこから来ているのか、アルディスは知っている。
聖王の身分とて、不動ではないと言うことだ。
「・・・不変のものなど、ないと言うことか」
「え?」
「いや、なんでもないさ」
笑いながら否定すると、アディアナはそれ以上は追及してこなかった。
特にすることもなく、正宮側にある修練場へと、アディアナは向かってみた。この時間ならば、エルフィナはそこにいるかもしれない。伴もいないが、たまにある事なので、気にしない。仕事のある侍女をわずらわせたくはなかった。
リースが来たせいなのか、エルフィナは、今回はいつもより長く聖王宮に止まっている。それに気をよくしたルドラが、腕だめしだ、修練だのと、理由をつけて、エルフィナと剣をあわせている。どう言う訳か、ルドラは酷くエルフィナを気に入っていて、剣を稽古をよくつけてくれているのだ。
『娘』のようなものなのだろう。アルディスに噛みつくように反抗し、それでいて、剣の才がある。エルフィナのそういう所を、ルドラは武人として気に入ってくれている。
アディアナとしては、ルドラの妹に対する純粋な好意は、ありがたいと同時に、不安でもあった。
なまじ剣の才があったばかりに、ルドラに気にいられ稽古をつけて貰えるようになった。エルフィナの、聖王宮に止まらない性質を思えば、ルドラの修練はありがたい。腕が上がればそれだけ、危険も少なくなるだろう。
だが、逆に腕があればこそ、エルフィナがより大きい危険に接する機会も多くなる。彼女が聖王宮に長くいないのも、腕に自信があればこそなのだから。
「ふぅ・・・」
どうにもならない矛盾に、アディアナは軽くため息をついた。
視線の先にある修練場の建物。屋外の方に人はいないから、多分、全員室内にいるのだろう。
「姫君!」
戸口近くにいた騎士が、アディアナの姿を認めて、酷く驚いてくれた。
思わず、口元に笑みが漏れる。
「エルフィナはいます?」
聞くと、騎士は敬礼したまま、視線を修練場の隅へと向けた。
そこに、エルフィナは一人で壁によりかかり、剣を合わせている騎士達をジッと観察しているようだった。剣の一手、一手を、注意深く見ている。
アディアナの存在に気がついた騎士達が、騒然となる。その騒ぎに気がついたのだろう、ようやく、エルフィナも姉の方へと視線を向ける。
「姉上!?」
エルフィナは、馬鹿のように叫ぶと、慌ててアディアナの方へと走ってきた。
「どうしたんだ、姉上、こんな所に!?」
アディアナの目の前でピタリと立ち止まる。
そんなエルフィナに答えたのは、微笑んでいるアディアナではなく、不意に彼女の背後に立った男だった。
「決まってるだろう。暇だから、エルフィナ探しにきたんだよなー」
ぶっきらぼうな、からかうような口調。
突然現われた大武聖の存在は、残念ながら、アディアナの登場のときよりは、騎士達を驚かせなかったようだった。だが、アディアナ以上に歓迎されている。彼が現われた途端に、騎士達が意気込み始めた様子を見れば、彼等がどれほど大武聖を意識しているかが判る。
騎士達の興奮を横目で見ながら、エルフィナは姉の顔を覗き込む。
「姉上、ルドラの言ってること、本当?」
「ええ」
子供のようにはしゃいでいるエルフィナに、コクリと頷く。
「じゃ、待ってて。もう一回合わせたら、終わるから!」
「判りました」
エルフィナは、先に約束を取り付けていたのだろう。騎士の一人と二言、三言、言葉を交すと、空いたばかりの闘場へと上がっていった。
「わたくし、お邪魔でしょうか?」
騎士達の落ち着かない様子を見てとって、アディアナは横に移動した大武聖に尋ねた。
それに、ルドラは首をふる。
「たまにだし、いい刺激だから、いろ」
「はい。・・・ルドラ様?」
「ん?」
「お父様がシルバリアの方へ行かれるようですけど、ルドラ様もご一緒なさるのですか?」
「そうしようと思ったけど、『残ってくれないか?』だと。ウェヴと二人っきりでいくんだと」
「ウェヴ様と・・・」
わずかに憂いを秘めた声。
ルドラは、今だ年若い姫の心配事を察し、苦笑した。
「大丈夫だろ。ウェヴなんか、アルディスの事、子供としか扱ってないし、アルディスも、いい友人としか思ってないさ」
「・・・まぁ」
心内を見透かされた事に、アディアナは赤くなる。
「・・・でも、なんのご用で、二人でしかいかれないのでしょうか。バルス様もご同行したいとおっしゃられましたのに、お断わりになられましたわ、お父様」
「さぁな。だが、魔神関係だろうなぁ。前も、一回、ウェヴにひっぱられて行ったかと思ったら、魔神を封印してきやがったし」
「封印・・・ですか?」
不吉とも取れる言葉に、アディアナは表情を曇らせる。
「お父様が『封印』を?」
「あぁ。あいつ、なまじ女神の力なんて貰ってるからな。そう言うの、得意なんだよ」
「では、今回もそうなのでしょうか?」
「どうだろなぁ。それにしちゃぁ、ウェヴのやつも気ぃ立ってるみたいだし」
「そうですか?」
「あぁ。俺も殴られたし」
「あら・・・」
ルドラを殴れる女性など、この世に存在しないと思っていたのだろう。アディアナは目を見開きながら、口元に手をやる。酷く驚いた表情でルドラを見上げながら、信じられないと言ったような表情になった。
『姫』の反応に、ルドラは可笑しそうに笑みを浮かべた。
「あの女、気が悪いと、回りにあたりちらすからなぁ。あれでよく、長老なんて、やってられるもんだ」
そう言って、大笑いするルドラ。
闘場の方では、早くも勝負がついていた。熟練した騎士の剣を封じ、エルフィナの長剣が、彼の胴を取ったのだ。そこで、エルフィナも剣を止め、お互いに引く。得意顔で、下りてくるエルフィナ。最愛の姉に褒めてもらいたいのだろう、そんな表情をしている。
「どうだった、姉上!?」
「あの方・・・隊長なのでしょう。そんな方ともやり合えるなんて、本当に強くなったのですね」
「当り前じゃん。僕、姉上を守るために、強くなってんだから」
「わたくしのため?」
「そ。僕は、姉上専属の騎士なの」
機嫌良くそう言うエルフィナに、ルドラが茶々を入れる。
「それにしちゃぁ、南領だの、東領だのと、少しもアディの傍にいねぇなぁ」
「いいんだよ。腕だめしだから。実戦経験しないと、強くなれないって言ったの、ルドラだろ!」
「そうだっけか?」
ポカンとしているルドラ。エルフィナは、思い切り膨れている。
そんな二人を見ていて、アディアナは、思わず笑みがこぼれた。
「本当に、エルフィナったら・・・」
「あれ、笑われちゃった・・・でも、確かにルドラの言う通りだよなぁ。僕って、あんまり姉上の傍にいないや」
「それに、また出るんだろ?」
自分も闘場に上がるつもりなのだろう、刃のない大剣を、ルドラは騎士の一人から受け取った。
「そうだよ。アルディスに今回はついてく」
「エルフィナ!?」
よもや、エルフィナがそんな事を言い出すとは思わなかったアディアナとルドラは、ほぼ同時に叫んでいた。
エルフィナは、ただ皮肉そうに苦笑しているだけだ。
「ウェヴさんにね、やり込められちゃったんだなぁ。『アルディスを越えたければ、奴が本気を出したときを知らねばならん』ってね」
エルフィナの言葉に、ルドラが顔をしかめる。
「・・・ま、常日頃は、チャランポランとしている奴だから、アルは」
「それは、僕も感じてる」
「しっかし、それでもお前が了承するとは思わなかったなぁ。やりこめられても、『ふざけんな』の一言で終わらせそうなもんだが?」
「興味あったから。アルディスの本気なんて。ウェヴさんによれば、今回ついてければ、見られる確率が高いらしいし」
「そんなに気になるか」
「ま、大嫌いだけど、越えたい相手だから」
そう言って、エルフィナはチラリと姉を盗み見た。
酷く、心配そうな表情をしている。そんな彼女を見ていると、心が切なくなった。
「姉上・・・」
「大丈夫なのですか、エルフィナ。わたくし、心配で・・・」
「大丈夫。足手まといにはならないよ。姉上の代わりに、アルディス見張ってやるから」
「ま・・・」
エルフィナの軽口に、アディアナは微笑んだ。
このとき、アディアナはもちろん、エルフィナも、あんな事になるとは思っていなかったのだ。
あんな自体になるとは、誰も判っていなかった。
4
滅ぶ大地。
ここは、どこ?
誰か助けて・・・
「リース?」
名前を呼ばれ、慌てて我に返る。
見れば、自分の目の前に、光の魔神の長である、ウォルター・エル・ディアスがいた。肩膝と立て、敷物のある床に、ゆったりと座っている。
中背の、愛敬のある顔立ちの青年だ。金色の曇りのない髪が、彼の属性をよく表わしているように思えた。そして、その紫の瞳。特に闇の魔神が持って生まれる瞳の色なのだが、珍しく、光の魔神の血筋の内にも現われた色あいだ。
その瞳の色は、リースの愛した男のものと、よく似ている。
「なんでもないの」
長老相手でありながらも、リースはどこか、姉のような態度で、彼に微笑んだ。
それに、ウォルターも、ニッコリと笑い返す。
どこか、姉と弟と言う印象が拭えない二人だ。仕方がないと言えば、仕方がないかもしれない。ウォルターは、異例の若さで長老に上った、若すぎると言っていいほどの年齢。それに対して、リースはすでに子供もいる。ウォルターはリースよりも、彼女の子供との方が年齢が近いほどだ。それでいて、姉と弟と言ったように見えるのは、不老の魔神ならではだろう。
魔神の長の館の控えの間でリースは、長との面会を待っている、この若い長老の相手をしていた。長の館で使えるようになったのは、レイナードが闇に還った直後からだ。特に激務と言うわけでもない。むしろ、長老受けのよいリースの存在は、館内で歓迎されていた。
現に、このウォルターにしても、館に来るなり、待ち時間をリースと話して潰そうと、はなから決めて来た感じだ。そのために、約束の時間よりも遥かに早く館を訪れ、他の長老にリースが捕まらないうちに、彼女を確保してしまっている。
リースもまた、そんな長老の指名を歓迎していた。
ウォルターとリースは、遠縁ながらも血続きであり、また、姉のウェブの関係で、昔から親しくもしていた。
今も、人の目のないのを幸いに、砕けた雰囲気で喋っていたのだ。
表向きは、敬わなければならない長老と、昔のように話せるのは酷く楽しかった。
それなのに、何時の間にかボウッとしていたらしい。
ウォルターが、心配そうに自分を見ている。
「大丈夫、リース?」
「え・・・どうして?」
「だって、さっきから、ボウッとしっぱなしだよ」
「・・・声が聞こえた気がして」
「声?」
そう聞き返したウォルターには、いぶかしんだ様子も、また、リースの言動を怪しんでいる様子もなかった。ただ、リースの言葉に関心している。
「大地の?」
ウォルターの言葉に、リースはためらいがちに頷く。
「そう、どこか・・・大地の声に似てはいたのだけど」
「違う?」
「えぇ。いつもとは、違うわ」
リースはそう言って、その場から立ち上がった。そうして、開け放ってある小窓から外を覗き見る。
「もっと悲しい声だったわ。そして、遠いのよ・・・」
「気にかかる?」
若くして長老と言う身分になった青年は、クスリと笑った。いまだ、少年の印象が拭えない若者だ。
お姉様が好んでお構いになられるはずだわ。
小犬のような少年。彼に、リースはフワリと微笑んだ。
「そうね、とても気にかかるわ」
「だったら、行けば?」
座ったまま、ウォルターはニヤリと笑った。
「気にかかることがあれば、すっ飛んでいけばいいよ。ウェヴさんみたいにさ」
「あら・・・お姉様、どうかなさったの?」
ウォルターの言葉のはしに、妙な含みがあるのを聞き取って、リースは首を傾げた。
それに、クスクスと、ウォルターは笑っている。
「ウェヴさんったら、カディス様に、書状叩きつけて、出ていったきりだよ」
「何時?」
「リースと一緒に、聖王の所に行く直前」
「まぁ・・・」
今の今まで、まるで知らなかったのだろう、リースは酷く驚いている。口元に指先をやり、目を丸くしている。
「お姉様ったら・・・」
「で、後でカディス様が書状を開いてみれば、『シルバリアに行ってくるから、しばらく留守にする』って、大きく書きなぐってあったんだって。カディス様、大受けしてたよ」
そこまで言って、ウォルターは呆れた様子で肩をすくめた。
「ま、ウェヴさんらしいと言えば、らしいよね。豪快だから、あいかわらず」
「そうね・・・」
頷きつつ、リースは聖王宮に上がる直前の姉の様子を思い出してみた。
そう言えば、姉はどこか、いつもよりはしゃいだ様子はなかっただろうか。妙に明るく、それでいて、何か考えているような。
てっきり、自分が落ち込んでいるから、姉が懸命に慰めようとしているのだとばかり思っていた。だが、姉の真意は違ったらしい。むしろ、ウォルターの教えてくれた事実を考えれば、あのウェヴの妙に明るい態度は、何かをリースから隠そうとしたようにも思える。
「ねぇ、ウォルター?」
「ん?」
ピョコンと、光の魔神は顔を上げる。
「お姉様、何かおかしいこと、いってなかったかしら?」
「んー、そうだなぁ」
ウォルターはそう言いつつ、視線を中に彷徨わせる。
「あれの前は、いつものように、僕の事をこづきにきて、それから・・・ファルスさんに喧嘩を売って、ディルと言い争いやってたかなぁ」
「・・・お姉様ったら」
いつも通りの、威勢のいい姉の様子が、容易に思い浮かべられる。さぞかし、他の長老達は迷惑してたことだろう。それでいて、彼等に嫌悪を抱かせないのは、ウェヴの魅力のせいだろうか。
ウォルターは、どうしてこうも詳しく知っているのかと言うほど、事細かく、ウェヴのその日の動向を述べていった。それから、思い出したように、ポンと手を打った。
「そうそう。パティの事で、レンディスとなんか、深刻そうに話しをしてた!」
「パティ姉様のことで?」
パティは、先日封印が解けたはずの、リースの姉だ。レンディスは、ウェヴの下にあたる長兄だ。
妙な話しだ。
リースは、胸がチクチクするような感じがして、落ち着かなかった。ソワソワと、ウォルターを眺め、外に視線を向けたりする。
それに、ウォルターは苦笑しているだけだ。
「そんなに心配なら、ウェヴさんのところに行ってみればいいじゃん」
「そうは行かないのよ。勝手に行ったりしたら、きっと、お姉様、お怒りになられるわ。お姉様、『長老』として動いていらっしゃるはずだもの」
「まぁねぇ。カディス様に書状を叩きつけたところを見ると、村を留守にしているのは、『長老』としての義務のせいなんだろうけどぉ・・・」
「それなのに、ノコノコ出向くわけにはいかないわ」
「・・・リースはどう思う?」
「え・・・?」
不意に真剣な表情になったウォルターに、リースはビクリとなった。
こういうとき、どうして、この少年の面影を残す長老が、異例の若さで責任ある地位を得たのかが判る。誰よりも高い能力。それを、この青年は秘めているのだ。
日頃、それを見せないのは、ウェヴの影響なのだろう。同じように、ふざけているようにも見えるウェヴは、子分だなんだと言って、光の長老を連れ回し、かわいがってきた。いずれは、『長』となれるように、導くために。
「ウォルター・・・」
「ねぇ、リース、貴方は、実力の上では、もっともウェヴさんの後継にふさわしい人だ」
ウォルターが急に言い出した言葉に、リースは慌てて首を振った。
「そんな・・・何を言っているの、ウォルター?」
「そうだね、ウェヴさんは、そんなこと、一言も言ってないだろうね」
クスリと笑って、ウォルターは立ち上がった。
「長老同士は結婚できない。長老と長もね。それは、魔神の内の力のバランスを取るためだ。もし、君が次ぎの大地の長老と決まれば、レイナードとは結ばれなかっただろうね。彼は、いずれは闇の長老と目されていた人だから」
判っているだろう。ウォルターは、目でそう語っている。
リースは頷くしかなかった。レイナードの父親は、現闇の長老であるし、彼自身も、闇の魔神の中では、特に秀でた能力を持っていたから。
「そんな事がないようにと、ウェヴさんは貴方でなく、甥のガンラードを後継に指定した。でも、実力の上でなら・・・」
そう言って、ウォルターは、リースを指し示す。
「貴方の方が、はるかにふさわしい。ウェヴさんの真の後継足りえるのは、貴方だけだ」
「ウォルター、冗談は・・・」
「冗談なんかじゃない」
きっぱりと、ウォルターは否定する。
「だからさ、もっと自分を信じろよ・・・」
「私は・・・」
「貴方が、聞いた以上、大地は何かを言っている。何かを訴えているんだ」
「・・・ウォルター、ねぇ、もう止めましょう」
「駄目だよ。声を無視しちゃいけない」
ウォルターはそう言って、軽くリースを睨みつけた。明らかに、リースを責めている。
リースは、胸の前でギュッと手を握りしめ、迷っているようだった。視線を床に落とし、彷徨わせている。
「確かに、大地の声は聞こえたわ・・・でも、ちょっと違っていて・・・」
「嫌な予感がするんだろ?」
「・・・えぇ」
「じゃぁ、手遅れになる前に、何かするんだ」
ウォルターの口調には、明らかに命令調だ。それに、リースは眉を潜める
「貴方、何か知っているの?」
「いや、何も」
まっすぐに答える彼の口調には、淀みがない。
「ただ、キャル・オーラのことを思い出しただけ」
そう言って、舌を出してみせる。
その時になって、ようやく、リースにも判ったのだった。どうして、この青年が、こうまで自分をけしかけるのかを。
十年以上も前の話しだ。人間にはずいぶんと昔になるのだろう。だが、一部の魔神にとっては、今なお、記憶に新しい事だ。長を始めとする、ほんのわずかな魔神しか知らない事実。その彼らも、あの事は、勤めて忘れようとしているらしい。
だが、ウォルターにとっては、今なお、鮮やかに残る記憶なのだ。忘れようとしても忘れられない、いや、決して忘れてはならないと思い定めている思い出。
「やることやらないと、後悔するだろ?」
「・・・貴方は、やれることを、やろうとしたでしょう?」
「でも、結局しなかったからなぁ」
すでに処罰さえ受けてしまった過ちを、ただの間違いだけで済まさない彼を、リースは好ましく思った。
光の魔神の長老が、つい最近まで封印されていたのは、周知の事実。だが、彼の罪は明かされていない。彼が、次期長としての実力を持っているだけに、罪状を明らかに出来なかったのだ。
彼が犯したのは、魔神として許されない罪の一つだから。
「あぁ、僕って、馬鹿ぁ」
そう言って、ケラケラと笑う、少年。
彼に、リースは優しく微笑んでやるしか出来なかった。
コポ・・・
彼女の回りを、異質な水が囲んでいた。唯でさえ、彼女の属性は水でなく、心地良くないと言うのに、この水はさらに気持ち悪い感触しか与えてくれなかった。
何も見えなかった。何も感じられない。感じるのは、まとわりついてくる、水の感覚だけ。
(誰か助けて・・・)
きつい脱力感を感じながら、彼女は訴えていた。
母なる大地へと。
『大地の娘3』:5/14/98制作
『大地の娘4』:5/18/98制作
(98/10/6update)