【神のいない大地・番外編】

1−聖王−

作・三月さま


 時々、壊れそうになる

 

 

 聖王戴冠から二百年。

 魔王の野望が潰えてから百年。

 世界はゆっくりと、おだやかに時を刻んでいく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 けだるい平和が続き、人々は『王』への敬愛を忘れていく。

 彼が、どれだけのものを背負っているかも、記憶に留めなくなっていく。

 

 喧騒が、王宮内に充満していた。

 玉座に座り、それに耳をそば立てていた青年は、何が楽しいのか、しきりにクスクス

と笑っている。

「うーん、反乱とは、二百年以上も生きてきたけど、我が身に起こったのは始めてだな」

 略式の青い服。瞳の色と同じ色だ。青年は、気品があり、また、穏やかにも見えた。

 穏やかでないのは、その青い瞳だけ。だが、その瞳の冷たさが、彼の隣に居る者に、

彼の不機嫌さを伝えていた。笑う度に、彼の見事な銀髪が纔に揺れる。

 『王』のみに与えられた玉座の横で、もう一人の青年が、『王』を見る。

「お前なぁ、口調と表情がまるで合ってねぇんだよ」

「おや、そうかな?」

 自分よりは、立っていても頭一つ分は軽く大きい青年を見上げて、聖王たる青年はニ

コリと笑って見せた。

 聖王宮の謁見の間。戸口近くでは、衛兵4名が不安そうな表情をしている。

 『王』は、そんな彼等にも笑いかけてやった。何の不安もない、自身に満ちた表情で。

「おい、アルディス・・・」

 いよいよ大きくなってくる喧騒に、横に立つ青年が、彼に注意を促す。

 聖王アルディス。それが、彼の名前。

 そして、彼の横にいるのは、彼の右腕である大武聖ルドラ。この王宮の武官を司るも

の。

「しょうがねぇなぁ、いくかぁ」

 ルドラは、喧騒が近くなってきたのを聞きつけ、漸く重い腰を上げる。茶色の、長め

の髪を後ろで縛り直し、馬鹿に大きい大剣を抜き払う。

 アルディスは、そんなルドラの仕草を微笑みさえ浮かべて見ていた。

「お仕事熱心なんだね、ルーエルは」

 『親友』としての、彼だけが呼べる名でルドラを呼び、また、クスクスと笑う。

 ルドラはそれに、複雑そうな表情を浮かべる。

「しょうがないだろう。『今』のお前をいかせたら、連中、皆殺しだ」

「おや、判ってるんだ」

「何年、お前の傍に居ると思ってるんだ」

「今年で220年調度ですよ。おめでとう」

「めでたくなんか、ねぇよ」

 ルドラは、ケラケラ笑いながらそう言う。

 彼は、戸口を守っていた衛兵達にも付いてくるように命じた。

 別に、一人で行くのが不安な訳ではない。仮にも、聖王を守るための『剣』である彼

だ。一軍の中に放り込まれたとて、生き延びる自身がある。

 それでも、この兵達を連れていこうと思ったのは、ここに残すのが忍びなかったから

だ。

 この状態で、自分が居なくなれば、ますます聖王が狂い出すのは判って居る。

「おい、気違い!」

 衛兵に扉を開けさせながら、ルドラは不意に振り返った。

「どうでもいいけど、そこでおとなしくしてろよ。バルス見つけて、すぐにここにこさ

せるからな!」

 聖王のもう一人の片腕である大神官バルスの名を告げ、ルドラは喧騒の中へと走り去

っていく。

 大武聖に続いて、衛兵達も。

 そんな彼等の後ろ姿を、聖王はクスクスと笑いながら、見送っていた。

「おとなしくだって?」

 バサリと、彼が立ち上がった拍子に、まとっていたマントが軽い音を立てた。

「そんなこと、してるわけないだろう?」

 玉座を立ち、ゆっくりと歩いていく。途中、マントが面倒に感じたのだろう、慣れた

調子でそれを外し、床に落とした。

 

 反乱軍五千。

 聖王宮の武官を預かる身としては、それで聖王宮が十分制圧できる事はしっている。

しょせん、それだけの広さと兵の数なのだ。聖王はその領地の広さに比べて、兵をあま

り持たない。

 いや、持つ必要がないのだ。

 聖王宮など、大武聖と大神官だけで十分守れる。いや、本来ならば聖王一人だけで守

れるのだ。

 何故ならば、彼には『闇』がある。

 何よりも、暗い闇が宿っている。

「引いてるんじゃねぇよ!」

 まるで疲れを知らぬようすで、目前の兵を軽く切り裂いていく大武聖。

 戦神さながらのその様子に、反乱軍は自然、浮き足立っていく。

 ルドラもまた、どこか喜々としていた。武官をあずかるのは、何も彼がその方面に長

けていたからだけではに。

 聖王が彼を右腕としたのは、その本性のせい。

 心底、戦いを楽しんでしまう、その性。

 それを、聖王は見抜き、ここゴールドバーンの武官の最高位である『大武聖』の地位

を与えた。

 歩兵が引き、代わりに弓兵が出る。

 一人、的にされたルドラだが、表情を変えることはない。ただ、血にたぎったままに、

豪快に笑っている。

「ばぁか、そんなもん効いてて、『大武聖』なんかやってられっかよ!」

 矢が放たれ、数十本の矢が向かってくる。ある程度開けた場所だったのがまずかった

らしい。弓兵が一斉に射られる状態だ。

 だが、ルドラは相変わらず変らない。

 飛んでくる矢を、出来る限り剣で払おうとする。身長大の大剣は、矢の大半を、払っ

て落とした。さらに、余った矢も、何かに遮られたように落ちる。

 防御魔法。魔法の面ではまるで才能のない大武聖に、聖王も手は打ってある。大武聖

が受け入れる限りの防御魔法のかかった品を持たせているらしい。

 大武聖を、つまらない事で失うのは、聖王の本意ではないから。

「残念だったな!」

 嘲るように笑ったルドラ。

 だが、その表情が凍り付く。

 その『姿』を視界の端に見つけたから。

「アル!?」

 今や、彼の他には誰も呼ばなくなった聖王の愛称。

 だが、その名の意味するところは、反乱軍にも判ったららしい。動揺が走り抜ける。

 大武聖が切り開いてきた道を、アルディスは悠々と歩いてきていた。その修羅場に似

合わぬ笑みを浮かべて。

 聖王の笑みは穏やかで、見るものに安心感を与えるようなものだ。実際、彼はそれを

自覚していて、人身を抑えるのに、笑いかけたりもする。

 しかし、この争いの場での笑みはかえって不気味だった。

「どうしたんだい?」

 ルドラの横に立ち、アルディスは彼を見上げた。アルディスが特別に低い訳ではない

のだが、どうしても、ルドラを見上げる形になってしまう。

「ルーエル?」

「・・・普通、『親玉』がのこのことやって来るかぁ?」

「『親玉』だなんて、失敬だな。まるで、悪の黒幕みたいじゃないか」

「当たらずとも、遠からずだろ?」

「まぁね」

 聖王は、クスリと笑い、それを証明するかのように、右手を反乱軍に向かって差し向

けた。

 刹那、当たりに走った閃光。

 ルドラが止める間もなかった。

 聖王がもっとも得意としている、光術系魔法。それで、その魔法が向かった一直線に

いた反乱兵全てを吹き飛ばした。

「アルディス!」

 ルドラの叱責の声。

 だが、そんな声など耳に入らぬと言うかのようにアルディスは笑っている。

「あはははは。残念だったね」

 呆然としている反乱兵達に話しかけ、彼は悠然と微笑む。

「今、俺はとても機嫌が悪いんだよ。ちょっと、つきあってくれるね?」

 その言葉に続く、朗々たる彼の呪文の詠唱の声。

 もし、この場に大神官バルスが居合わせたのなら、即座に顔色を変えただろう。

 聖王が唱えていたのは、禁呪の一つだったから。

 禁呪、『抹消』。

 

「また、やりましたね?」

 まるで無表情。

 年老いた結果ではない、若々しい白い髪に、どこか憂いを含んだ薄い紫色の瞳。

 純白の司祭服に身を包んだ青年は、辺りの様子を眺めながら、ため息交じりにつぶや

いた。

「何も、我が君自身が御自らお出向きにならなくとも・・・」

 少し離れた場所からそう言ってくる大神官に、聖王はニコリと笑って見せた。

「しょうがないさ。そういう気分だったのだから」

「我が君・・・」

「悪い時期に、彼等も反乱を起こしてしまったものだよ」

 アルディス自身も、また、憂いを含んだ表情を浮かべていた。どこか悲しげで、辛そ

うな瞳。

「何故かな・・・」

 今のアルディスの傍にはいつもとなりに居てくれるルドラの姿はない。反乱の事後処

理で、彼は今、王宮中を走り回っているはずだ。

 代わりに聖王の傍にいるのが、大神官。

 物静かで、美麗な青年だ。どこか暗い印象を与えるものの、『大神官』と言う身分を

頷かせるだけの静かな落ち着きがある。

 バルスは、世に最後の痕跡さえも残さず消えてしまった者達に小さく祈りを捧げた。

自らの行動に傷ついている聖王の前まで歩むと、そこで膝を付いた。

「我が君。貴方の御手ががどれほど血で汚れようとも、貴方は我が主・・・」

「お前はいつもそうだな、バルス・・・」

「貴方様に、一生の忠誠を誓った身なれば・・・」

 スッと、静かに大神官の頭が下げられる。

 彼は知っている。大武聖と同じように知っている。

 聖王の中の『闇』に。

 聖王が自らの身に封じこんだ、この世の最大の『闇』の正体を、大神官は知っている。

 魔王。

 聖王の中にあるのは、『闇』そのものだ。

 完全に封じられているように見える、『魔王』と言う存在。だが、こうやって、時折、

聖王に影響を及ぼしてしまう。それでも、その影響をこれだけで収められるのは、さす

がは聖王と言ったところだろうか。普通の人間ならば、とっくに発狂している。いや、

その前に魔王の『魂』と言う巨大な存在に、体が持たないだろう。

 それを、聖王は20年ほどに一度の軽い衝動だけで収めている。

 そんな彼を、バルスは敬愛している。

「彼等の魂は、私が責任を持って送出します。ですから、お心安らかに・・・」

「ありがとう」

 何回目かのバルスの言葉に、アルディスはただ、薄く笑って頷くだけだった。

 衝動を漏らしてしまう度に、バルスが言ってくれる言葉。

 ルドラがわざときつく言ってくれる叱責。

 それが、こんな時にはむしろ、ありがたかった。

 

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