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俺の魂が求める、お前はたった一人の女。
絢爛たる聖都ゴールドバーン。
聖王の御世も四百年に達し、聖都も王と伴に発展を続けてきた。都は栄え、人は集まる。そのきらびやかさは、既に、世界一を誇れるものとなっている。
始めは、大陸の辺境にあった、名もない神殿から始まった都。そのかつての姿を知る者は数少ない。業深く生きる魔族か、または、神の血を浴びた魔神。聖王とその左右の臣を覗けば、この二つの一族くらいしか、四百年もの昔を知るものはいないだろう。
その二つの一族の者でさえ、聖都の始めの姿を知るものは少ないのだ。それくらい、基盤となった神殿は寂れた場所だった。魔族で知るものがあるとすれば、よほどの酔狂な者か、または、もともとこの土地に住まっていた者。魔神で知るものがあるとすれば、それは、聖王の傍にあった魔神のみ。
聖王の傍にあり、彼の軌道を見ていたものだけだ。
左右の臣を従えての、謁見の間までの道程。正装をし、大武聖・大神官の二人を連れているからには、これから公式の謁見があるのだろう。
聖王の表情はどこか浮かない顔だ。これから会いにいく相手とは、あまり顔を合わせたくないらしい。
「なぁ、そんなに厳しく監視しなくとも、俺は逃げないから・・・」
「いけません」
素早くそう答えたのは、大神官だった。ルドラいつものように、怒鳴る気もないうちに、バルスがアルディスに釘を刺していた。
「あちらで待っておられるのは、大武聖の生家の主であられる、レイディア公ご本人。無礼は許されません」
ルドラを合えて『大武聖』と呼び、しかも、譲らない。
何時にない、大神官の固い言動に、アルディスは頭を押さえた。
「バルス・・・なにも、そこまで固くならなくてもいいんだぞ?」
「そういう訳には参りますまい」
バルスは、アルディスの横に立つを、厳しい表情で主を見据えた。いつもの冷たさに、凄みが増している。面と向かっているのが、アルディスでもなければ、完全に気圧されてしまうだろう。
「レイディア公には代々お世話になられているのです。軽んじてはなりません」
「バルス・・・」
「マーゼルでさえ、慎重にならざるおえない、古き家の方なのですよ。下手に扱えば、リベスタ公やクインドラ公がだまってはおられますまい」
「判っているさ。連中が、折あらば俺の足元を掬おうとしていることぐらい、重々承知している。だがな・・・」
「我が君。なりません」
「重ねて言わなくとも、わかっている・・・」
「いけません。いくら、ウェヴ殿の嘆願であろうと、後日に譲れるものなのです。私は譲りません」
「わかったってば・・・」
いくら言っても聞かないバルスに、アルディスは重いため息をつく。
前日、ルドラをからかうつもりで、今日の謁見をサボるような事を口にしたのが行けなかった。運悪く、今日の事で神経をすり減らしていたバルスに聞かれてしまったのだ。おかげで、アルディスに丸きりその気がないと言うのに、バルスは何回も警告してくる。
いつもならば、表情に出さずとも、アルディスの意をくみ取ってくれるバルスなのだが、今回はその余裕がないらしい。当り前だろう。その一週間前まで、ゴールドバーンの最有力の貴族である、リベスタとクインドラの両公爵相手に、論戦を繰り広げていたのだから。
議題は、王都に収める税について。これでも、アルディスは十分譲歩しているほうなのだが、両公爵は、自分達の家柄と、聖王がゴールドバーンの王となった際の、祖先の立場を盾にとり、さらなる減税を求めてきたのだ。だが、聖王の立場からすれば、これ以上の減税は、王都自体の財政難を招く恐れもあり、また、公爵達にいらぬ力をつける余裕を与えることになる。むしろ、両公爵領には増税を課したいくらいなのだ。
その論戦に、本来ならアルディスが当たるはずだった。だが、生憎と、聖王領と呼ばれるサディアム領で、ゴタゴタが起き、聖王はそのため不在。その隙をついたように、両公爵自らが王都に上ってきた。
サディアムでの事件が、公爵達が計ったものだと言うことは明白だった。そうやって、聖王が不在の間に、物議を押し進めようと言う算段だったのだろう。幸いにして、聖王不在の間、全権を任されていた大神官が収めたからいいようなものの、アルディスにしても、バルスにしても、穏やかではいられない一件だった。
証拠がないから不問。バルスはこの事がらに、無表情ながらも烈火のごとく怒っているようだが、アルディスは腹を立てるだけで、終わらせるつもりはなかった。
近ごろ、手を組んで王都に範囲を見せる、リベスタとクインドラ。逆らったからには、それだけの代償で償ってもらうつもりだ。
「はぁ、お前らって、なんかなぁ・・・」
表だった軍事行動がない限り、いたって暇なルドラは、表面上は穏やかだが、内面では怒り狂っている二人を見て、ため息をついた。
本当に頭が痛いのは、彼の方だ。
こめかみに手をやりながらも、聖王を見張りっぱなしの大神官と、そんな大神官に疲れ切っている聖王から視線を外す。そのまま、フラフラと当たりを見回していた、ルドラだったが、ふと前方にいる人物の存在に気がつき、表情を固くした。
聖王が通るために、すでにこの道は人払いしてあるはずだ。
「アルディス・・・」
注意を促すために、友の名前を呼ぶ。
ピクリと、反応よく、アルディスが視線を同じ方向へと向けた。
だが、ほぼ同時に、二人とも緊張を解いていた。バルスにしても同じだ。やや、わずらわしそうな表情をしているものの、警戒している様子はない。
「よう、レイ!」
気さくに、手を振りながらルドラが彼の名前を呼ぶ。
長身の黒髪を持った青年。彼は、壁に寄りかかりながら、顔だけこちらに向ける。
敵同士が出会ったように、アルディスと青年はしばらく睨み合うようにしていた。その緊張を最初に解いたのはアルディス。
「よく来たな、レイナード」
「来たくはなかったがな」
不遜な言葉。
それに、アルディスは小さく苦笑して見せた。
印象は、穏やかだろうか。
レイナードは、もの静かであり、あまり喋らない質だった。線も細く、時々、頼りない印象を与える。だが、紫の瞳には常に意思が強く宿り、彼の回りにある空気は、人に彼を侮らせない雰囲気を醸し出している。
不思議と言えば、不思議な青年だった。
目立たないかと思えば、よく一目を引く。
人を引き付ける魅力があるアルディスの横にいても、見劣りしないのだ。二人並ばれると、大抵のものは、どちらに視線を向ければいいのか、迷うだろう。
聖王の傍にあって、ここまで遜色しないのは、レイナードくらいだ。
それが、彼の強みだろうか。
「・・・で、何のようだ?」
謁見を問題なく終わらせ、自室にレイナードを引き込んだアルディスは、不満もあらわにレイナードを睨みつけた。
はっきり言って、アルディスはこの男が嫌いなのである。
それが判って居るルドラは、二人を見張るためにこの場に残ったと言うものの、かなり気まずい思いをしていた。アルディスがレイナードを嫌っているように、レイナードもまたアルディスを嫌っている。犬猿の仲と言うわけだ。
レイナードもまた、リース達と同じ魔神だ。それも、闇に属する者。アルディスの属性である光とは、大極にある属性だ。二人の気が合わないのは、そんな属性から来ているのかもしれない。
それにしても、二人の険悪な雰囲気は酷すぎる。
理由を知っているルドラとしては、やりきれない。理由が理由だけに、怒鳴りちらせないのだ。ばかばかしすぎて。
こうなると、さっさと退出してしまったバルスが恨めしいくらいだ。
「・・・別に」
大分長い間、沈黙していたかと思うと、ようやくレイナードが口を開いた。
それにしても、返事がただ一言とは、本当にやっていられない。
レイナードの武の才能を好んでいるルドラは、ともすれば、彼に好意を持っていた。だが、今は彼の態度に頭がくる。常から、あまり喋らない相手だとは判っていたが、今はアルディスの不機嫌を煽るように長くだまっているのだ。
いっそ、怒鳴ってやろうかと、思いついたところで、アルディスがまた沈黙を破った。
「用もなく、お前が聖王宮にくるはずがないだろう。何があった?」
「目敏いな」
「判り切ったことだ」
「・・・お前の娘を見にきた」
その言葉に、アルディスが表情を歪める。
「・・・アディ・・・アディアナを?」
「あぁ」
アルディスは、まるで仇敵でも見るかのように、レイナードを見据えた。
「で?」
「・・・あの娘は」
何かを言いかけ、レイナードは口をつぐんだ。気のないように首を振る。
「いや、なんでもない。気にするな・・・」
それだけ言って、レイナードは帰る素振りを見せた。
ルドラが、問いた気にアルディスを見るが、彼には止めようと言う様子はない。
ただ、苛立った表情をしている。
長らく沈黙し、ようやく彼の名前を呼んだ。
「レイナード」
「なんだ?」
呼び止められたレイナードは、薄く笑いながら振り返る。
「・・・それだけじゃないだろう、言いにきたのは」
「あぁ。忠告に来ただけだ」
「忠告?」
「魔神の方で、少々、仲違いじみたものがあってな、統制が乱れている。あぶれ者が、数人係りで来るかもしれん」
「・・・魔王のことでか」
アルディスは、魔神の間で起こっているらしい、いさかいの事を思い出して、思いため息をついた。魔神の長は、一応、魔王を封じている聖王に追従する意思を表明している。だが、そんな長の命に服従出来ぬ者達もいるらしい。先だって、そう言う者達が、問題を起こしたと言うことは、ウェヴを通じて、聞いてはいた。
アルディスが、問いたげにレイナードを見ると、相手ははっきりと頷いてみせた。
「お前の思う通りだ」
「魔王を取り返しに・・・か。それが普通だな」
「そうなるな。安心しろ。俺も参戦してやる。ウェヴも来るそうだ。長の許可つきでな」
「・・・何故だ?」
判らないと言った表情で、アルディスはレイナードを見据えた。
「お前は俺を恨んでいるのかと思っていた。リースに無理をさせたからな」
「あぁ。恨んでいるさ」
はっきりと言ってのけるレイナード。
「女神をアイツに呼ばせ、死の淵まで追いやった。そんなお前に、アイツを渡す気は毛頭ない」
「いらないさ、いまさら」
「そうだろうな。人間と言うのは、本当にわからん。気がコロコロ変る」
「前向きだと言って欲しいな。何時までも、一つの事に執着する魔神よりは、精神的に健全だと思うが?」
「まぁな。もっとも、好きでもないのに、そんなに思われ続けたんじゃ、アイツも迷惑だろう。お前が人間で、幸いだったな」
戸口に手をかけながら、レイナードはクスクスと笑った。
「執着するのは魔神の常。アイツは俺の女だ。死んだとて、渡す気はない。覚えておけ」
「・・・胆に命じておこう」
パタンと、アルディス達が見守る中、扉が閉じられた。
それを見届け、ルドラが立ち上がる。
「城内の警戒、厳重にさせてくっから」
「・・・相も変らず、嫌な奴だな」
「レイか?」
「だから、だいっ嫌いなんだよ!」
外見年齢の十九才の青年そのままに、アルディスは、突然叫んだ。
ルドラは、ニヤニヤと笑っているだけだ。
「でも、レイもすさまじいよなぁ。こんなときにまで、リース取られないように、釘刺しにきやがって。普通、言わないぜぇ。お前が、あんな風に言われたら、意固地になるの、判ってやがる。あぁも言われたら、お前、引っ込みつかないもんなぁ」
「リースに手を出すわけないだろ!」
「そーだよなぁ。だいたい、リースに手軽に手ぇ出したらぁ・・・とりあえず、リースだろ、ウェヴだろ、レイに、後あのガキどもと、全員にぶん殴られるからなぁ。魔神で強いやつらばっかりじゃんか」
「ルーエル!」
「あー、こわこわ」
アルディスのかんしゃくに、ルドラは肩をすくめてみせた。
そして、苦笑する。
「だけど、口で嫌いだとかいいながらも、気に入ってるだろ?」
「・・・否定はしない」
「レイもなぁ、多分そうだぜ?」
「知ってる」
「でもなきゃ、あぁもポンポンと嫌味の応酬なんて出来ないだろうし」
わざとおどけて見せるルドラに、アルディスはやっと、肩の力を抜いた。
それから笑った彼の表情は、親友の言葉を笑っているようにも、また、肯定しているようにも見えた。