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偽りの安定。
聖王アルディス・トレムス・ゴールドバーン。
旧姓をアルディス・ディア・シルバリアと称す。
大陸ゴールドバーンに忽然として現われ、大陸北の有力諸公であったシャノン公の
養子となる。その後、『世界の安定者』として名乗り、大陸を二十年あまりで完全に
統一、打ち建てた王国の初代王となる。
だが、彼の『不老』性、そして、彼が掲げた『世界の安定』の名義のため、国内外
に大きな不満が残る。国内の不満は統一から数年で消えるが、他国からの異議申し立
て、及び、侵略などは後々まで続くことになる。ただ二国、聖王の王位を認めていた
国家があるとすれば、シルバリア王国、及びレイディア公国のみであった。
その国外からの圧迫も、『魔王』の出現後、ピタリと止むことになる。
魔王、及び魔族の大挙により、国家のバランスは崩れ、同時に、人々の魔族に対抗
する総力も激減したのである。一大陸を支配したゴールドバーンを危険視し、同盟を
結び弾圧する余裕は既になくなっていた。各国とも、自国を守る以外の余力を持たな
かったのである。
大陸シルバリアでは、帝国パール・ワイトが瓦解。ダリウス公国も国力を弱め、シ
ルバリアの南下を許す。
大陸レイディアでは、大国ラ・オースが弱体化し、多大な領地を他国に侵略される
ことになる。ティノア・ウェル公領も、領地を激減させ、旧公領にメルミーナ帝国が
建つ。
そして、最も魔族の被害が酷かったブルージェイ。ガイアス・ウェルが滅亡。後に
二つのガイアス王家血筋の王国が旧王国領に建つが、いずれも弱小の国家。変わっ
て、コズラーム王国が魔族の大挙に乗じて、領地を増やし、帝政を取る。一番被害の
酷かった、カディス大公国は王族が全て死に絶えたため、完全に滅亡。後に王国が建
つものの、ガイアス・ウェルと動揺の弱小国家となる。
各大陸とも、再びの騒乱と、それ以上の魔族の脅威にさらされていた。
どこも、聖王の正当性に対してクレームをつける余裕など完全になくなっていたの
である。
そして、ゴールドバーンへの魔族の侵略。聖王の手腕なのか、それとも、統一され
た国家と言う性質のためなのか、それまで、魔族とも対等に対してきたゴールドバー
ンだったが、それに業を煮やしたのか、『魔王』本人が、聖王宮に襲来することにな
る。
その結果、聖王自らが魔王と対することになり、同時に、勝利を収めてしまう。
この、聖王の偉業、そして、魔王を『封印』したと言う事実から、聖王の『正当
性』が国家にではなく、各国の人々に認められてしまうのである。
国民からの圧迫を受け、衰弱していた各国は、ゴールドバーンの正当性を認める。
弱小化した各国は、民の意思を尊重すると言う形で、余力を温存しているゴールドバ
ーンに頼るしかなかったのである。
同時に、『魔王』を封印した者として、『聖王』の名は名実共に真の物となったの
である。
後に『聖王戴冠』と呼ばれる、『女神ウィリスの降臨』から百年後に魔王が出現。
そして、魔王の出現から三百年近くがさらに経過した。
これは、『聖王戴冠』から、四百年も経過しようかと言う頃のこと。
「平和だなぁ・・・」
一人の青年が、ポカンと窓辺に寄りかかり、そうつぶやいた。
だが、そんな彼の『平和』もすぐに乱されてしまう。
「なぁにが平和だ。仕事しろ!」
そう怒鳴ったかと思うと、その部屋にあった、立派な机をバンバンと無遠慮に叩く
もう一人の青年。
二人とも、なかなかに対照的な青年だった。
窓辺によりかかり、クスクスと笑っている青年は、美麗で神秘的だった。やや小柄
に見える、線の細い体つき。だが、酷く落ち着いていて、それでいて、何かを隠して
いるような雰囲気を持っている。どんな種類にしろ、常に笑みを浮かべており、今
も、小馬鹿にしたように相手の青年を見ながら、小さく笑っていた。
笑われている方の青年。長身で、しっかりとした体つきの、いかにも『武官』と言
った印象を与える。それでいて、人当たりの良い感じがするのは、彼の特質だろう。
今は怒っているせいか、かなり険しい表情なのだが、平素なら子供好きされそうな顔
立ちだ。もう一人の青年ほどではないが、なかなかの美男と言ってもいい。
「平和だから、仕事もサボれるんだ。知らないのか、ルーエルは?」
窓枠に寄りかかったまま、青年はニヤリと笑っている。相手をからかっているの
が、見え見えの態度だ。
この青年が、齢四百年近いはずの『聖王』だと言って、どれだけの人間が信じるだ
ろうか。
そして、聖王を平然と睨んでいるもう一人の青年が、聖王の『右に立つ者』とされ
ている武官の最高位である大武聖。
二人とも、『齢四百』であるはずなのに、外見は二十前後だ。聖王などは、二十前
にも見えてしまう。
「何がサボれるだよ。こんなに書類溜めやがって。これだから、『文官』から大武聖
の俺んところに、管轄違うのに苦情言いに来るんだよ!!」
大武聖ルドラは、そう言って、またバンバンと机を叩く。
そんな、『親友』の態度に、彼が切れるのがもう少しだと判断した聖王は、漸く思
い腰を上げる。
「はぁ・・・ルーエルの所に、文官から苦情ねぇ。バルスはどうしたんだ?」
「・・・あの大神官にお前の苦情言ったって無駄なことは、聖王宮中の文官・武官が
知っとるわ!」「なるほど」
そう言って、楽しそうにポンと手を打つアルディス。
その頭の上から、ルドラの怒鳴り声が響いてくる。
「なぁにが、『なるほど』だぁ!!!」
先程から、ポンポンと不敬だとも言われそうな言葉を、聖王に向かって怒鳴り続け
ている大武聖。他の臣下達ならば、たちどころに不敬罪だなんだと言われ、大神官に
叱責されそうなものなのだが、大武聖に限っては、許されているのである。
大武聖ルドラ・ルーエルミス・レディアスは、聖王アルディスの親友にして最大の
貢献者。その事を知らぬものは、聖王宮内において、ほぼゼロと言っていい。聖王が
戴冠する以前よりの友人であり、また、聖王戴冠に貢献した大武聖にとって、これは
『当然』の権利なのである。
もっとも、この『権利』も、違う捕え方をすれば、大武聖がいなければ、聖王が
『脱走』を繰り返すと言う事実があるからこそ、成り立っているとも言える。
「まぁったく、お前は全然、王らしくねぇんだからよ・・・」
漸く、聖王としての責務を始めたアルディスを見て、ルドラは思いため息をつく。
本来なら、ルドラの責務はゴールドバーンの武官最高位の者として、武官達をまと
めることなのである。文官の最高位である大神官とともに、聖王を支え、彼が『世界
の安定』であり続けるため、補佐することこそが、指名なのである。
だが、この『聖王』のせいで、大武聖の最大の役目は聖王の『監視・監督・お説
教』と化してしまっているのである。笑い話しだが、事実である。
聖王の行動に、まったく文句を言わない大神官の分までも、親友として臣下とし
て、大武聖は少しも王らしくない聖王を見張っていなければならないのである。そう
でもなければ、この王は、すぐに王宮から抜け出し、町中に出てみたり、他国に出か
けて見たりする。
『聖王』としての自覚がないと言ってもいい。
「・・・しっかし、遊びに出る分だけ、仕事は早いのな、お前」
ルドラは、アルディスの仕事模様を横目で見ながら、また、ため息をつく。
文官から提出された書類に目を通し、サインすると言う、お役所仕事なのだが、こ
れがメチャクチャ早い。一週間、溜めに溜めた仕事なのだが、この分なら、一時間も
経たずに終わってしまうだろう。だが、早いと言って、書類に目を通していないわけ
ではない。ちゃんと読んでいる。その証拠に、聖王がサインせずに放った書類をルド
ラが見てみれば、案の定、アルディスが気に入らないらしい内容が書いてあったりす
る。
「はぁ・・・」
能力だけはあまるほどある聖王に、大武聖も頭痛の種が尽きない。
そんな彼のため息に、やけに冷たい声がかかってきた。
「何をため息をついているんだ、ルドラ?」
そう突きつけるように言いつつ、書類を片手に部屋に入って来た青年。外見年齢だ
けならば、聖王達よりも三つ、四つは上に見える。文官の最高位である大神官バル
ス。聖王の『左に立つ者』だ。
聖王宮の誰もが噂するとおり、滅多に感情を表わさず、常に冷たい無表情。態度も
割合冷徹で、人当たりの良い大武聖と、職務と共によく対比される。
体格で言えば、アルディスとルドラの中間ほど。氷のような冷たさを持った青年
だ。
その大神官は、せっせと職務に精を出している聖王を見て、やや表情をゆるめた。
「我が君、こちらもお願いします」
バルスはそう言うと、本来なら部下が持ってくるような書類の山を一つ、聖王の前
に置いた。
それに、アルディスはふと手をとめて、顔を上げる。
「バルス、なんだ、これは?」
「リベスタ公からの減税の要求書、クインドラ公からの王宮訪問に関する書類。そん
なものです」
「リベスタからのは破っていい。大嘘だからな」
再び書類に署名しながら、聖王はそう言ってのける。
それに渋い顔をしたのはルドラである。
「大嘘って何だよ。リベスタが今年、農作物の出来悪いのって、至るところから報告
されてるじゃんか」
「表向きわね。一地区だけのことだよ。他は豊作」
「・・・なんで知ってんだよ、そんなこと」
「予想つくだろ?」
そう言って、聖王はニッコリと笑って見せる。
「リベスタに行かれたんですか?」
「うん」
大神官の質問に、聖王は馬鹿正直に頷く。
「リベスタ関係の貴族の金遣い、領地の方が苦しいはずなのに良かったからな。気に
なって。遊びがてらで」
ご機嫌な聖王だが、その後続いた大武聖の怒鳴り声に、大神官共々耳を塞ぐ羽目と
なった。
「聖王がわざわざ、自分から出向いてんじゃねぇ!!!!!」
怒りも露な大武聖。
だが、聖王は相変わらずマイペースに笑っており、大神官も無表情のまま。
いつものことに、大武聖は怒鳴った分だけ、余計に疲れた気がした。
「あぁ、もう俺やだ」
がっくりと肩の力を落とし、うなだれるルドラ。
そんな彼に、とどめのようなアルディスの言葉。
「馬鹿だな。『やだ』なんて、もう四百年の間、ずっと言ってるだろ」
ボソっとつぶやかれた、さりげない言葉。
それに、大武聖がノイローゼと化してしまったのは、また別の話。