【神のいない大地〜FOR HUNDREDS〜

8−闇のアリア−2

作・三月さま


 泥に埋もれた宝石のように・・・

 

 くどくどと自分を叱りつけてくる女官を、灰色の瞳で睨みつける。

「なんですか、その目は?」

 『姫』の養育責任者である女官は、自分を見る少女の視線に気がつき、苛立った表

情になる。

 怪我したからって、なんだよ。

 聖王の二番目の『姫』であるエルフィナは、心の中でそう文句を言う。だが、口に

出しては決して言おうとはしない。言えば、女官の愚痴が長くなるのを知っているか

らだ。もう五年間毎日のことだ、どうすれば女官の愚痴が長引くのかくらい、判って

居る。

「まったく・・・お怪我などなされて・・・その格好もです」

 女官の口調は、さすがに聖王宮内でそれなりの地位にいる者らしく丁寧だ。だが、

言葉の端々に、エルフィナを小馬鹿にし蔑む色合いがある。

 少女も、それが判っているからこそ、女官を激しく嫌っていた。

 だが、女官の言う通り、エルフィナはずいぶんと酷い格好をしていた。朝には、ち

ゃんと侍女達に、王宮内にいても恥ずかしくないような服装にしてもらったと言うの

に、昼になった今では上着はどこかに行き、ズボンは至るところが裂け、しかも顔に

は引っ掻き傷。半袖の服から覗く肘には、すり傷もある。

 とてもではないが、『聖王の姫』とは信じられない格好だ。

(でも、僕がどうしようが、勝手じゃないか)

 エルフィナは、女官を睨みあげながら、そうつぶやく。

 だが、そんな視線も女官にとっては不満らしい。いや、エルフィナの存在自体だろ

うか。

 王宮内の女性と言わず、国内外の女性が『聖王』と言う存在に幻想を抱き、同時に

彼が『養女』を持つと言う事実に夢を持っている。少女達が、『プリンセス』と言う

存在に憧れ、夢見るようなものだ。まして、聖王は過去に少女を不意に連れてきて、

それを養女としてしまっている。そういう前例があるだけに、余計に少女達の夢はふ

くらむ。

 女官や侍女達も、少なからずそう言う夢を見るものだ。聖王が今だ一人身であるだ

けに、見初められてと、期待する者もいる。

 この女官も、昔はそういう憧れを持っていたのかもしれない。いや、持っていただ

ろう。今はもう、中年と言ってもいい年齢だが、昔はそれなりに美しかったはずだ。

しかも、こうやって姫の養育責任者となれるほどだ、能力もある。

 だと言うのに、彼女は見向きもされず、こんな山犬のような少女が姫になる。馬鹿

な嫉妬だと本人も判っているだろう。だが、苛立ちは止められない。

 彼女が自分の養育すべき姫を嫌う理由は他にもある。もう一人の『姫』の存在だ。

 女神のようだとも言われる第一の姫。彼女の同僚が仕えている、アディアナは、エ

ルフィナに比べ格段に姫らしく、また皆に愛されている。それに比べ、彼女の姫はど

うだろうか。陰口を叩かれ、姫らしくないと言われる。それはそのまま、彼女の不手

際とも言われてしまう。

 それに苛立って厳しくすれば、今のように睨み上げてくる。可愛げも何もない。い

つの間にか反感が育ち、お互いに忌み嫌いあってもなんの不思議もないだろう。

 だが、エルフィナが嫌われているのは、何も女官にだけではない。侍女はもちろ

ん、かなりの王宮の人間に彼女は馬鹿にされ、笑われている。

 エルフィナに目だった欠点があるわけではない。少年っぽいとは言え、それなりに

可愛らしい顔だちはしているし、魔法などでも長けた能力を見せている。剣もまた、

今だ小さい身だが、ルドラが直接教えたがるほどだ。

 だが彼女は何故か嫌われている。子供の反発心からくる以上のものだ、これは。も

っと違う、何か心の奥底から湧き上がってくるものが、エルフィナを人々に忌ませて

いる。

 いつの間にか生まれた悪意の悪循環。それは、エルフィナが聖王を憎んでいる所か

ら、くるのかもしれない。

「・・・いいかげんにしろ!」

 まだ文句を言ってこようとする女官に、ついにエルフィナが声を上げる。

「さっきから、うるさいんだよ!」

 エルフィナはそう叫ぶと、タッと駆け出す。部屋から走り出て、そのまま廊下を駆

けていく。

 背後で女官が声を上げたが無視する。

 バタバタと走っていく『姫』を、何人もの文官・武官が目にする。だが、大抵のも

のが『またか・・・』と言った顔だ。

 そんな者達に苛立ち、エルフィナは走る速度を上げようとする。

 だが、丁度廊下の曲がり角まで来たところで、『ドシン』と左手からやって来た人

物に思い切りぶつかってしまった。

「きゃ・・・」

 聞き慣れた声で、小さく悲鳴があがる。

 エルフィナは、後ろにひっくり返りながらも、その声を聞きつけ、ギョッとなっ

た。

「姉上!」

 床に尻餅をついたかと思うと、すぐにエルフィナは立ち上がっていた。

 向かいで、座り込んでしまっている人物を見て、顔を真っ青にさせる。

「あ・・・あ・・・姉上、ごめんなさい・・・あの、僕・・・」

 先程までの小憎らしさはどこにいったのか、大慌てだ。

 それに、共にいたらしい侍女に助け起こされていた、エルフィナの『姉』はクスリ

と笑った。

「大丈夫です、エルフィナ。貴方こそ、怪我をしているのでなくて?」

 フワリと、柔らかい笑みを浮かべる少女。

 エルフィナの以前に聖王の養女となった、アディアナだった。

 

 アディアナお気に入りの東屋。そこに、エルフィナは招かれていた。

 自分にぶつかって来たエルフィナを、寧ろ気づかってやる姫。アディアナに付き添

っていた侍女は、エルフィナに文句の一つでも言いたかったらしいが、彼女はそんな

侍女に用をいいつけ下がらせた。そうして、今、エルフィナを連れて、ここに来てい

る。

 いつものように、白い質素なドレスを着ているアディアナ。今年で十三になるはず

だが、ずいぶんと美しい少女になっていた。聖王宮内で愛されて育っているからだろ

う、見る者がホッとするくらいに幸せそうな様子だ。

 エルフィナは、自分より三つ上の姉を、憎しみをもってではなく、敬愛をもって見

上げていた。

 自分を横に座らせてくれ、笑ってくれ、そして、慈しんでくれる人。

 エルフィナにとって、アディアナは聖王宮内で数少ない『心を許せる』人物だっ

た。

「どうしたのですか、エルフィナ?」

 自分を見上げてくる妹に、アディアナはニッコリと微笑む。

 ただ、ゆっくりとした時間が流れているようだった。

 アディアナの傍に居られれば、胸に支えているもの全てが解け出し、消えていくよ

うに思う。

「姉上・・・あの、さっきはごめんなさい・・・」

 こうやって、女官には決して言えない言葉も、スラリと出てくる。

「大丈夫ですよ」

 アディアナは小さく笑ってそう言ってくれる。

 不意に、アディアナがエルフィナの頬に手を伸ばした。何かと思ってジッとしてい

ると、ポウッと、小さな明りが灯った。回復魔法だ。

 アディアナが得意な光の魔法。彼女の性質を示すように、攻撃系の魔法はまったく

と言っていいほど使えないが、こんな回復や補助となると、高い能力を見せる。

 エルフィナは、他の者が見れば信じられないほどおとなしく、アディアナのするに

任せていた。他の神官が癒そうとすれば、逆に怪我をさせるほどだと言うのに、アデ

ィアナの前ではまるで、借りてきた猫のようだ。

「ありがと、姉上」

 癒しが終わったのを見ると、エルフィナは少年のような顔をほころばせて笑った。

 アディアナにすりよると、嫌がりもせずに抱きしめてくれた。

「ね、エルフィナ?」

「なに、姉上?」

「また、クレアレットに怒られたのですって?」

 クレアレットとは、エルフィナの女官の名前だ。

 アディアナの口からは聞きたくなかった名前に、エルフィナは顔をしかめる。それ

を見て取ったアディアナは、そんな妹を戒めた。

「エルフィナ、そんな顔をしてはいけないわ」

「だって、僕あいつ嫌いだもん!」

「クレアレットはずっと貴方を養育してきてくれた方でしょう?」

「でも、あいつだって、僕のこと嫌いだよ!」

「エルフィナ・・・」

 ふと、アディアナの表情が曇った。

 それに、まだ女官の文句を言おうとしていたエルフィナは、たまらず口をつぐん

だ。姉のこの表情に、エルフィナは耐えられない。

 笑っていてほしい。

 アディアナが笑ってくれるのなら、なんだってする。

 それが、エルフィナの思いだ。

 それなのに、こんな顔をされると苦しくなる。

「姉上・・・」

「ねぇ、エルフィナ、わたくし思うの。もしエルフィナが好きになってあげれば、ク

レアレットだって、きっと、貴方を好きになってくれるわ」

「・・・あいつは、僕が馬鹿だから嫌いなんだ」

「馬鹿ではないでしょう。バルス様だってルドラ様だって、エルフィナのことを褒め

てらっしゃるわ」

「姉様と、バルスとルドラくらいだもん、僕のこと好きでいてくれるの」

「お父様は?」

「あいつは、大嫌いだ!」

 バッと、エルフィナはアディアナの傍から離れると、そのまま東屋から駆け出して

いた。

「エルフィナ!」

 アディアナが呼ぶが振り返ろうとしない。

「エルフィナ・・・」

 きゅっと、アディアナは胸の前で手を握った。まるで祈るように。

 何が妹をかたくなにさせているのか。アディアナには察することが出来ないでい

た。それが、彼女には心苦しい。

 どうして、エルフィナが他者を拒絶するのか。

 それは、数年後に判ること。

 

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