怨霊怪奇原征伝 祇園精舎の鐘の鳴るとき 第二章 Bパート
作・みよしの元帥さま
 

  「ふぅ………………」    当時、中学3年生だった久美は疲れていた。受験勉強に、習い事に、そして なにより人生に。    中学3年生で………などと言うなかれ。彼女の背中には、他人にはないよう な数奇で苛酷な運命がのしかかっていた。      彼女の家は、いわゆる『名家』であった。それも江戸時代から続く………。  むろん、その家風は誇り高く、厳格であった。  そしてそれは、彼女に関しても例外ではなかった。    それだけならば、彼女はこんなにも思いつめずにすんだであろう。  しかし、運命のなんと残酷なことよ。彼女の両親までも奪ってしまうと は………。      彼女の両親は、仕事の取引で(不動産関係の)海外に出張していた。    両親ともにである。海外では、独身者の男性は、一人前とは認められない風 潮がある。    バブルがはじけ、ただでさえ難しい不動産の取引に、単独で行っては商談を まとめるのは難しい。そう判断してのことである。  そこで、全ての悲劇は始まったのである。歓迎パーティーにむかうために 乗ったセスナ機の事故………………。       こうして彼女は、管田家の伝統と責任をその小さな「「「抱きしめれば折れ てしまいそうな「「「肩にしょいこむことになってしまったのである。    『名家』というのは、えてしえ我々一般人が考えているより、はるかに大変 なものである。    その莫大な財産は寸毫ほどもへらしてはならないだとか、高い教養を身に付 けよだとか、一流大学を出ていなければならないだとか、etc………。    そして、女子である久美は管田家を継ぐために、必ず結婚をせねばならな い。己の望む望まないにかかわらず………。    いわゆる政略結婚である。      それでも、両親をなくしてから5年間、久美はよく頑張った。3つの進学 塾、10以上の習い事(生け花、日舞、お琴は言うにおよばず、なぜか三味線 や算盤なぞも含まれていたりする)をよくこなしてきた。    それに加え、久美自身の性格も、容姿も人並をこえていた。  お嬢様にありがちなタカビーな態度をとるわけでもなし、妙に弱々しい深窓 の令嬢を気取るわけでもない。まして己の人生を呪い、悲嘆に暮れるわけでも ない。    あくまで素直でかわいい中学3年生であった。      これは、ひとえに亡くなった久美の両親の教育の賜物であろう。  生半可な愛情ではない。久美に立派な、人の道に外れぬ人間になってほしい という、深い親の愛情の。    ただ一点。悲しむべきことに、久美は人一倍感受性の強い娘であった。  普段なら美点となるこの特性も、久美には災いしたのである。  感受性が強いということは………………受ける悲しみもより深いということ である。      この日、久美は唯一の肉親である祖母と口論をしてしまった。久美の14年 間の人生で初めてのことである。    久美は、大変優しい娘だったので、滅多に他人に対して反論するということ はなかった。別に意志が弱いとかそういうことではない。他人を傷つけること が嫌だっただけである。  しかし、この日の久美は違った………………。  最初はささいな小言に始まったそれは、管田家の歴史へと続き、管田の女の 心得にまでおよんだ。      「いいですか、久美。よくお聞きなさい。管田家の女の宿命は、その血筋を 絶やさず後世まで伝えること。それだけを考えていればよいのです。そのため にも、あなたにはもっともっとお稽古事に励んでもらわなければなりません」    「でもお婆様………」    「なんです、久美! 。口答えは許しませんよ。あなたは、よりよい子孫を 残すことだけを考えていればよいのです。あなたの意志は問題ではありません」    「でも………」  「口答えは許しませんと言ったでしょう!」    「お婆様!、では、私はいったい何者なのですか。『管田』ですか、『久 美』ですか!。どちらなのですか」    「あなたは、『管田 久美』。管田家の女です」      ある意味で、この祖母は完璧な管田家の女であった。ただし、彼女が教育を うけた昭和初期の頃の感覚で考えれば、の話だが………………。    「さあ、久美。そろそろバイオリンのお稽古が始まる時間………………久 美!  どこへ行くの」    久美が家を飛び出したのは、この直後だった。    そして、冒頭のシーンにつながるのである。ここは明磧橋(あけがわらば し)。住宅地である宗方団地(むなかただんち)と大分駅のある市街地とを結 ぶちょうど境目で、一級河川である大分川をまたぐ橋である。また、下芹台高 校からも割合近く、今も学校帰りの学生の自転車が歩道を急ぐ。      対岸までおよそ30メートル。久美がたたずんでいるのは、そんな橋のちょ うど真ん中あたりである。    「はぁーーーーー」  今は夕暮れ時。もう6時を回ろうか。9月と言うのに残暑はかなり厳しく、 日の落ちるのも結構遅い。    真っ赤な夕陽が川原を照らしだし、反射した朱が久美の全身を染める。    欄干から身を乗りだしてみる。水面まで約10メートル弱。ゆったりとし て、生活排水で濁った流れが、妙に現実離れをしていた。    「人や車は、こんなに急いでいるのに」    自分一人だけ取り残されている。唐突にそう思った。    「私は………なぜ産まれてきたのだろう」    今までそんなことは一度も思ったことはなかった。    「なぜ、どうして」    自分だけがこんなに苦しまなければならないのか。なぜ自分は、管田家など に産まれてきたのか。なぜ自分だけが………………。    「………………………………………」    水面はあくまでゆったりと流れ続け、久美の問には答えようとはしなかっ た。代わりに、その非現実さが、己を招いているように思えた。    (この欄干をこえれば、お父様やお母様のいる場所に行けるんだ)     欄干をもつ手に力がこもる。この一歩を踏み出せば楽になる。                         ポン      ふいに背後から肩を叩かれた。    振り返ると、夕陽を背に男が一人立っていた。  上は白のTシャツ、下は黒のジャージ、短く刈り込まれた髪、そして片手に もった1.5m強の長細い布袋。顔は、逆光になっていてわかりにくいが、ど うやら十人前と言ったところだろう。    「嬢ちゃん、どげいかい。俺とお茶せんね(嬢ちゃん、俺と一緒にお茶でも しようぜ)」  「はい」    それはあまりにも唐突だったので、久美は、返事をしてからようやく自分が ナンパされていることに思い至った。                ここは、明磧橋(あけがわらばし)からほど近い喫茶店。店内には    ーーーーFLY ME TO THA MOON  AND LET ME PL AY AMONG STARSーーーー    と品のよい曲がながれ、秋の夕陽がその短い役目を精一杯果たした 結果「「「つまりはオレンジ色の光「「「が4つ程しかないテーブルを照らし だす。    「儂の名前は原征 原征(みもふじ はるゆき)。よく友達からは老けてみえ るち言われるけど、これでんぴちぴちの16やけん、よろしゅうの。(よろし く)」    むさ苦しい野郎が『ぴちぴち』もくそもないもんだ。    「………………私は久美………管田 久美。中学校3年生です。」    かちこちに固まりながら、それでもなんとか自己紹介をすませて改めて互い を見合う。    「………………………………」  「………………………」    なんともいえない沈黙があたりを支配する。  それでいてちっとも重苦しい感じがしないのは、原征の表情が醸し出す、独 特の笑顔「「「つまりは『気配』「「「のせいだろう。    「ご注文は?」  「あ、儂………いや俺はいつものやつ………。管田さんはなににする」  「コーヒーを………」  「じゃあそれで。あ、それと彼女にはアレつけてあげて」    こんなやりとりがあるところを見ると、原征君は常連さんなのだろう。    「え………、それは………………」  「あん?。いいけん、いいけん。(いいから、いいから)儂のオゴリ。別に 睡眠薬なんぞ入っちょらんけ(入ってないから)」  「はあ???」    それから、注文の品がくるまでは始終無言で、お互い見つめ合ってた。  原征の注文したのは、アッサムティーのストレートで、レモンや砂糖、ブラ ンデーなどの混ぜ物は一切入っていないものだ。本人いわく「紅茶は香を楽し むもので、混ぜ物をしたら、せっかくの香がわからなくなる」だそうである。    久美のほうは、注文どおりのアメリカン(この店独自のブレンド)とアップル パイ(これまたこの店の特別メニューで、常連さん以外は知らない)だった。    それらをつつきながら、    「聴かないんですね。あのこと」  「どのこと?」  「私………橋から………………飛び降りようと………していた………」  「聴いて欲しいのか?」    黙って頭を横にふる。目尻に涙が玉のようにあふれていた。  「ならいいんやねぇか。別に、興味本位で首をつっこまれたくはなかろう」    コクリ、と首を縦に。  涙が夕陽を照り返して輝き………テーブルに落ちた。      「でもな(でもね)、一人で全部抱え込んでしまうのはやめたほうがいい ぞ。重い荷物は、たくさんの人で持ったほうが楽に決まっちょる(決まってい る)。一人で抱え込んで、一人で押し潰されて………」  「………………………」  「なにも儂に相談せい、ちゅうんじゃないんや(儂にそうだんしろ、と言っ ているんじゃないんだ)。友達でもいい、親でも先生でもいい。話すだけでも いいんや。ぐっと楽になるで」  「………………………………………………」      その瞬間、張り詰めていた糸が切れた。久美の目から涙がとめどなく溢れ出 してきた。長い間溜め込んでいたものが一気に。多分に、原征の雰囲気がそれ を助長していたろう。まるで父親のような、暖かく包むような。    それから久美は10分ほど泣き続けた。その10分ほどが、久美にとって圧 縮された5年分だった。そして、心の救いだった。  もし、この一時を持たずにこのままの生活を続けていたなら、久美の心は空 気をぱんぱんに詰め込んだ風船のように破裂していただろう。    人の心とはえてしてこのようなものである。強そうにみえる人ほどなおさら。  その間10分、原征はじっと久美の傍らにあって見つめているだけだった。 それだけのことなのに、周囲の空気が柔らかいものとなっていた。    「私の家は、管田の家………………」    久美は全てを吐き出した。5年分の全てを。一人で全てを抱え込んでいくの に疲れていたものを。    「そう。それで、お婆さんにそのことを話したんやな。それで、なんち言わ れたん(なんと言われたの)」    「そんな甘いことは許されないと………」  「そん(その)言葉のままに?」  「いえ………でも、そんな感じでした」  「お婆さんのこと、嫌い?、憎んでいる?」  「いいえ。そんなことは決して………」  「そう」    いまから50年程前………終戦を境に日本は180度転換した。順応性の高 い若者や、子供ならまだ新しい社会に適用できただろう。しかし、大人達はそ うもいかなかった。天皇陛下は現人神(あらひとがみ:帝(みかど)の一族は その昔、高天原(たかまがはら)より下った八百万(やおよろず)の神々の末 裔だとされる古神道の考え方。戦時中、日本国臣民の思想統制に使われた)と 教えられ、神風が吹いて日本はアメリカに勝と本気で信じさせられてきた時代 の人間が、戦争は終わりました、あなたたちの考え方は間違っていますよ。こ れからは民主主義で行きましょう。    で、はいそうですかですんなり考え方をかえらるはずがない。まして久美の 祖母は、名家の女………………無理はない話だが。    (それにしても、自分の孫を不孝にしてまで………………………いや、自分 の孫だからこそ無理を通さにゃならんとは。つらい話だな………)      とはいえ、現実問題として、目の前にその皺寄せを食って苦悩している美少 女がいて、あまつさえ助けを求めている。これで見捨てられるのならば、男を 辞めたほうがいい。    「私はどうこれからしたら良いのでしょう………………」  「なんもせんでいい(なにもしなくていい)、ただその日を一生懸命生きれ ばいい。そして、疲れたなら足を止めて休みゃいい(休めばいい)。とりあえ ず君のお婆さんには謝っておいたほうがいいかな」    「でもそれでは………」  「さっきも言ったやろ?(さっきもいったろ?)。重い荷物を持つときは、 一人より二人、二人より三人ちゅうて」  「でも私には、そんな友達はいません。先生も進学のことなら相談にのって いただけるのですが」  「なら、これから作りゃいい(作ればいい)」    久美は握り締めたこぶしを、膝のうえで震わせているようだった。そして、 耳の裏まで真っ赤にさせて、蚊の鳴くような声でこういった。    「………………に、なっていただけますか」  原征がYESの返事をだしたのは言うまでもない。                それから、原征と久美との関係は始まった。  原征は久美に、貴美と周を紹介した。  原征としては、あの言葉どうり、悩みを聞いてやれる友達としての付き合い だった。  ときには友達として、ときには兄貴として。そして貴美と周もまた。  特に貴美と久美が並ぶと、貴美の身長のせいもあって、歳の離れた姉妹のよ うだった。    そして、いつの頃からか、久美の原征を見る目が特別のものになっていった。  原征は気づいていないが、彼自身にはとくべつなカリスマ的な、なにかがあ る。      たしかに容姿はよく言って十人前で、悪く言えば『ごっつい』顔だし、学校 内の評価もよく不良と喧嘩をしているやつとなっている。    まあ、通常は教師に対して礼儀正しくしているし、喧嘩をする理由そのもの が正当防衛だし、なにより負けた不良どもが一様にくちをつぐんで、ことの真 相をかたらないために問題にならないが。(そして、その裏には土屋先生の涙 ぐましい努力があるのだが、なにせ新米教師なので十分カバーしきれないふう がある)      とまあ、一般に女性のうけは余り芳しくないのが常なのだが、それにはそれ、 例外というものが存在する。    原征の性格は、深く付き合いを重ねてみないことにはわからないことが多い。  しかし、その性格がわかりだしてみると、原征の魅力に気付くわけである。  永い年月を重ねないと身に付かないその雰囲気。いいかえれば『気配』とい うべきか。    一緒にいると、自分がいるべきところにいるんだという安心感。守られてい るんだという安らぎ。そんな感じが漂っている。    のみならず、いざというときに見せる気合いもまた、原征そのものである。  何者にも屈しない孤高の魂。そして、絶対に退かないその気概。まさに戦 士、いや剣士と呼ぶべきであろう。    そして、なにより女性の心を引きつけて止まないのが、原征が安心した時に 見せるあのかなしげなまなざしだろう。    老人が返って来ない過去を悔やむような、置きざりにされた子供がすがるよ うな。    そのまなざしを見つめていると、なにか自分が途方もない罪を犯したような 気になってくる。                      「………原征さん、久美じゃいけませんか? 久美が子供みたいだか ら………その………………胸とかあまりないから………………いけませんか」    久美は原征の胸に飛び込み、きつく抱きしめながらいった。    (胸が小さい?………はて、そんなこと気にする娘じゃなかった筈………)    「久美………………、先輩とだったら………原征さんとだったら………その ………」    「久美ちゃん。君の気持ちはよくわかった」    原征はなぜ久美がこんなことをいきなりいいだしたか、だいたい見当がつい た。だがそのまえに、久美の気持ちを満足させてやらねばなるまい。    「久美ちゃん・・・あのな・・・」    どうも歯切れの悪い原征。  別段、久美のことは嫌いじゃない。  いや、好意を抱いていると言っても過言ではないだろう。  だが、決定的なモノが欠けているのだ。  この自分に着いて行けるのか・・・この自分に。      「やっぱり………………亜魅呼先輩ですね」  「あいつが………いや、あの人がなにか言ったんやな(言ったんだな)」  黙ってうなずく久美。また真珠の涙がこぼれる。  「そうか………。大体の見当はついた」  なんどもうなずきながら、そう独白する原征の声には、失った過去をなつか しむような響きとが含まれているようだった。    そして一部の人間「「「周や貴美のように原征と関わりの深い「「「にしか わからないことだが、その響きには苦汁の響きもあるようだった。    「ふぅーーーーーーー」    そう大きく溜息をつくと、語り始めた。己の過去の一部を。おそらく誰にも 語ったことのないであろう過去を。    「儂と彼女は………たしかに恋仲だった」    久美がいきをのむ気配がするが、そちらには目をやらずそのまま語り続ける 原征。    「けど、それはずいぶんと昔のことや。そう、ずいぶんとなぁ。なにが原因 やったのかは、いまだにわからん。でも儂は、彼女の元をはなれた。結局、時 の流れっちゅうもんはそれほど重い・・・そういうこつやなぁ(ことだなぁ)。  気持ちだけじゃどげいこげい(どうにも)ならんかった・・・」    そこで一回大きくため息をつき、続ける。    「そして彼女もまた、それは認めちょった。そのうえで俺を受け入れてくれ た。軽蔑するなら軽蔑してもかまわん。それが当然の報いやとおもう。剣道部 をでていけというなら、そうしよう。けど、これだはわかってほしい。その時 の気持ちは真剣なものやったということを。そして、それはずいぶんと昔のこ とだったということを」    「では、亜魅呼先輩のことはもう………」  「好きだよ………今でも」  「っ「「「「「「「「「」  「でもそれは、LikeであってLoveやない(ではない)。そういうこ とや」    久美は突然に原征にしがみつき、泣きじゃくり始めた。わんわんと、大声 で。     原征はショートカットの髪をなでつけながら、久美のことをたまらなく愛し いと思っていた。そして、あのときと「「「亜魅呼との関係が始まった「「「 同じだとも思っていた。    「原征さん、好き………好きなんです。自分でもどうしょうもないくらい。 好きなんです………………。好き、好き………」               ………………………………               ………………………………                ………………………                  ………………                   ………                                5            漆黒の闇………………。漆を流したような、と言う言葉があるが、そんなも のはこの闇を前にして意味を失うであろう。    真の闇、それもどこかの地下。高い湿度と空気そのものがかびたような臭い。  その中で、二体の人にあらざるものが会合を行なっていた。一般に妖怪、物 の怪、幽霊、ガイスト、ファントム、悪魔、そして神などと呼ばれるもの「「 「即ち妖(ばけもの)、である。    「………………なにを………たくらんで………いる」  僧形をした老人が、消え入りそうな、しかしその裏に含まれた怨念や憎悪、 欲望は気の弱いものを衰弱死させるに十分な声でそうたずねた。    「さあ?」    しかし、返ってきた返事はその場に似つかわしくない、陽気なものだった。  「実際、このようなことをしたって、私にはなんの得もないんですよ。ただ 面倒くさいだけで………………」  「………………………」    室(むろ)に満ちる妖気が濃度をます。普通の人間なら全身の肉を腐らして 悶死するに十分すぎるくらいの濃さに。    だが、僧形をした老人に相対する陽気な男は、眉一本動かすわけでもなく笑 みさえ浮かべている。    完全な闇はこの二人にとって、お互いの姿を隠す用を果たさない。    「私にも、なんのことだかわからないんですがねぇ。ま、これもマスターの 命令ですから、従わないわけにはいかないんですよ」  「………………」  「ですが、契約の内容は先ほど申しましたように、あれの処分。そして例の 計画の発動。よろしいですね」    「計画は………むろん………やる。………贄(にえ)は………あれ………で ………なくては………ならん………のか………」  「ええ。だめです。彼が本気になってくれませんから」  「ふん………。くだら………ん。………その………ような………小さき……… こと………捨て置け………ば………よい………ものを………」  「まあ、そう言わずに。あなたの損にはならないでしょう?」   「………………………………」  「それだけの力を得たのですから、なんらかの仕事はしていただきません と。さすがにタダと言うわけのにはねぇ………………」    僧形の老人は黙してなにも語らなかった。    「ま、いわばこれはビジネスのお話なのですよ。元人間の貴方にはわかりや すいお話でしょ?」  「・・・・・・・・・・・・」    「ふ・・・。Auf Wiederschen(ではごきげんよう)」    それを了承ととったか、陽気な相手方ウインク一つ残して、影に溶け込むよ うにして消えた。    こうして、この世ならざるもの達の会合は終わりを告げた。しかし、それは 唯の始まりでしかないことを、後に原征たちは知ることとなる。                              6              ここは下芹台高校の武道場。河神 貴美は不機嫌の極みにあった。    (きぃーーーーーーー。原征のやつ、原征のやつ、原征のやつ。うっ きぃーーー)    その怒気「「「いやここまでくると鬼気「「「を嗅ぎ付けてか、ほかの部員 は近寄りもしない。    しかし、それでは稽古は始まらないので、しかたなく、ほんとうにしかたな く周が決死の覚悟で話し掛けた。    「原ちゃん、帰ってこんけど(こないけど)、そろそろ始めるで」  (ギロッ………)    しかし返事はなく、返ってきたのは血走った目による一睨みだった。  周は、今日の稽古では血の雨が降るな、と直感で感じた。      原征が帰ってきたのは、体操と素振が終わり、そろそろ防具を付けての稽古 を始めようというところだった。  原征はまっすぐに顧問の土屋先生のもとにむかった。(ちなみに、彼は稽古 の初めからいたのだが、貴美が怖くて口だししなかったのである)    「先生、おくれてすみません」  「おう、原征。ようやくきたか………久美は一緒やなかったんか(一緒じゃ なかったのか)」  「頭が痛いとかで、帰しました。多分、日射病かなんかでしょう」  「はぁ?」    あきらかに越権行為である。すくなくとも副キャプテンとしては。  普通なら部員が登校してから体調の不調を訴えたときは顧問のもとに連れて 行き、判断を仰がなくてはならない。    しかし土屋先生は、そのことについて言及せず、じっと原征の顔を見つめ、 そして貴美に視線を巡らして    「ふぅーーー」    と大きく溜息をついた。    「で、先生。実はお願いがあるのですが」  「言ってみろ。聞くだけは聞いてやる」  「開封のことについてなんですが………」  「なにっ!」    それまで、幾分にやけぎみだった土屋先生の顔が急に引き締まった。    「昨日、『やつ』が現われました。17年前に滅ぼしたはずの『やつ』が」  「………平 清盛か………」  「はい」    原征は土屋先生を初め、周やごく一部の親しい人間に17年前の戦いのこと を話している。17年前、平 清盛がやろうとしたことの全てを。    ただし、その中には貴美は含まれていない。なぜか、と向き直って聞かれれ ば、どうしてとは答えられないであろう。ただ、教えたくはなかった。    「開封の許可をお願いします」  「わかった………………。では亀井先生との取り決めにより試練を課すぞ」    そう言って、おもむろに立ち上がる土屋先生。更衣室に向かいながら、周と 貴美に声をかける。    「周、貴美。いまから原征と試合をするぞ。準備しろ」  『はいっ』    二人の返事がみごとにハモる。返事をしたあとで顔を見合わせ、いぶかしる。    なぜゆえに、亀井先生の使徒が3人もそろって試合なのか、そして、なぜ原征 の顔がいつになく真剣なのか。どちらかといえば、ニコニコ笑っている男の あの顔が無表情で厳しい目つきをしている。    まあ、もっとも、貴美は一瞬、原征と目を合わせただけで、逸らしてしまっ たが。    それを見た原征は静かに貴美に近づいてきた。そして彼女の目をまっすぐ見 返して    「お前に話がある。部活終わったらちょっと付き合ってくれ」    そう告げた。貴美は己の鼓動が速くなり、耳元で心臓の音がガンガン鳴って いるのを意識した。    「わかった」    そうしぼりだすように言うのが精一杯だった。    そして、原征は、それ以上なにも言わずに更衣室にきえていった。  原征が振り返るとき一瞬、周と貴美にはその顔が戦地に赴く剣士にみえて、 一抹の不安を覚えた。          それから約30分後、土屋先生の着替えと体操と簡単な基本の稽古が終わっ た。    「じゃあ、そろそろ始めようか」    そう土屋先生が声をかけたとき、貴美が口をひらいた。    「この試合、なんか意味あるんですか」  「特にない。しいていえば、各自の力試しちゅうたところやな(力試しと 言ったところだな)。ねえ、土屋先生」  「ん? ああ。そうだな」    周は何かを感じたようだった。貴美はその言葉を信じた訳ではないようだ が、とりあえず、文句を言うのをやめた。    「さて試合順だが………………貴美−原征、周−俺、周−原征、原征−俺、 貴美−俺、貴美−周の順でいいな」  「えー、先生も出るんですか」  「ああ。おまえらの力試しだからな」  「そう言うことやな。貴美、始めようや        こうして、なし崩し的に、試練は始まる。  原征の封じられた力と、過去を巡る試練が・・・。