前回の引き 土屋先生に『開封』の許可を求めた原征は、亀井先生の約定に従い試練を受 けることとなった。 その内容は、亀井の使徒三人との試合をすること。 果たして、その結果は? 『開封』とは、何の封印を解くことなのか? それではぁぁぁぁ皆さんご一緒に! 原征ファイトォ! レディーィィィィィィゴォォォォォォォォ!
怨霊怪奇原征伝 祇園精舎の鐘の鳴るとき 第二章 Bパート
と、言う訳で。唐突に始まる第一試合。貴美Vs原征の闘い。 互いに正眼に構えて、剣先が触れ合うより10cmくらい遠い間合で立ち会 う。 中学校剣道では、剣先が触れ合う触刃の間合(剣先が触れ合う間合)で 立ち会うことが決まっているが、高校剣道では一足一刀の間合(一歩踏み出 したら打って行ける間合)で立ち会うのが規則で決まっている。 原征はごく自然体で青眼の構えをとり、さながら無為自然というタイトルの 彫刻のよう。 対する貴美は幾分前に体重をかけ、いつでも飛び出せるよう備える。 例えるならば、大型の猫科の肉食獣を思わせる、しなやかな構えと言えた。 そして、お互いに気を高め合う。静かに、静かに。 亀井先生曰く「勝負は、お互いに立ち会うことが決まった瞬間始まる」と。 故に、二人の勝負はもうすでに始まっている。 静かに、静かに。 お互いの気が高まり、弓を引き絞るように収束してゆき、やがて臨界点に達 する。 「はじめぇいぃぃ!」 土屋先生の掛け声のもと、引き絞られた片方の矢が光の速度を越える。 飛び出したのは貴美。迎え撃つは原征。 「メェェェェェェェェェン」 カシィィィィィィィィィィ 面は、しかし原征の剣先に押さえられた。しかし、速い。 通常であれば、立会の安易な面「「「特に原征あたりたいしては「「「死を 招く。原征は相手の気や筋肉の動きなどで、9割方その動きが読める。 その原征が払うのが精一杯の面である。もはや人間の領域を越えている。 「ヤァァァァァァァァ」 貴美は神速の面が外れるやいなや、次々と技を仕掛けてゆく。 原征に息をつかせないように、小手が、面が、矢つぎばやに飛んでくる。 これが貴美の剣道の「攻め」である。 「攻め」とは、相手の構えを切り崩し、一本取るまでの、いわばプログラム である。 亀井先生はその弟子達に、それぞれに合った「攻め」を伝授した。貴美には 神速の速さを中心とした「攻め」を伝授されたようである。 「コテェ、メェン」 貴美が小手からの面の連続技で攻めてくる。 そのことごとくを剣先であしらいながら、原征は今更のように貴美の速さと 体力に辟易していた。常識をはるかに越えた体力だ。 貴美に一方的に打ち込まれる状態が2分以上続いている。 これが貴美にとってどのような状態かというと、大声で叫びながらグラウン ドを走り回っている状態を想像してほしい。 しかも、走る速さは一定ではなく、ダッシュとクールダウンを混ぜながらと いった具合だ。 いい加減、原征ならずとも焦りが沸いてくる。 その気配が表に伝わったのだろう。瞬間的に貴美に加わる気が緩んだ。 その好機を逃す貴美ではない。わざと弛めの、さがりながらの面を打つ。 原征はこれも最小限の動きで払う。そして、そのまま追い込みの技を起こし かける。 その瞬間が貴美の狙いだった。 一旦さがって、それから体勢を建て直すだろうと思わせておいて、追ってく るものに強力な面をしかける。 その動作が一度は引いて、大きく返ってくる波に似ていることから、人呼ん で『津波』。 相手が踏み込んでくるスピードに、自分が前にでるスピードを上乗せするこ のカウンター技は、去年の県大会決勝戦で優勝を決めた必殺技であった。 「なっ、なにや!」 たしかに、原征にも油断があった。 相手の動きが『観える』原征である。そうそう裏をかかれるはずがない。 それは偏(ひとえ)に貴美のスピードが人並み外れていたのと、原征が『頭 で考えて』行動してしまったことに原因がある。 あの瞬間、確かに原征は貴美の動きが予測できた。しかし、貴美にスピード がその反応速度を上回ったのである。 さらに原征は行動を『頭で考え』てしまった。 予測を上回る攻撃がきたらどうするか。その対処法は亀井先生から習ってい た。 頭で考えずに脊髄で反応するのである。そのための条件反射は日々の稽古で 培ってある。 しかし、繰り返し言うが原征は頭で考えてしまった。 一旦情報が大脳に伝わり、大脳がそれを判断、司令を脊髄に伝達されるま での時間。普通の人間にとってみたら、ないのと同じ時間であったろう。 しかし、真剣勝負の世界では、時として0.01秒の世界が生死を分ける。 スパァァァァァァァァン 小気味良い音が道場中に響いた。 主審と副審「「「つまりは土屋先生と周「「「の手がゆっくりと上が り………………そして途中で止った。 『頭で考え』たことと、貴美のスピードと原征の反応速度の差。その差はた しかに結果にでた。 ただし、致命的には至らなかったようである。 原征はとっさにあたまを傾けることで、面の横の肩当てで貴美の面を受けた のであった。 そして、大技をだして隙だらけの貴美に、 ツキィィィィィィィ と、カウンターの一本を繰り出した。 「突きあり。二本目!」 剣道は三本勝負の二本先取で勝利となる。その二本目。 今度は原征から前にでる。 正眼のまま、まっすぐ前へ。ただまっすぐ。 この時、貴美は凄まじいプレッシャーを感じた。 それは原征の気迫。怒りでも、殺気でもない、純粋な熱い魂の叫びが貴美に 衝撃を与えた。 貴美は動けなかった。ただ原征がまっすぐこちらに向かってくるのを見つめ ていた。 そして、原征が間合いに入っても動けなかった。 メェェェン 「面あり! 勝負あり」 こうして、第一試合、貴美−原征は0−2の原征の勝利で幕を閉じた。 さらに続いては第二試合。土屋先生Vs周の闘い。 変則的な技と、型にとらわれない剣道をする土屋先生と、防御主体で相手の 技を引き出そうとする周の勝負は、当然のことながらながびいた。 確実な防御で相手のわざを引き出す周だが、土屋先生の変則的な技の前にな かなか、タイミングが合わない。土屋先生は土屋先生で、周の堅実な防御の攻 めを打ち崩せない。 結局、試合時間4分をフルに使っても勝負がつかずに延長戦。 その終わりになって、ようやく土屋先生が周のわずかの隙を突いた面を決め て勝利した。 第三試合。周Vs原征の闘い。 周も原征も試合開始と同時に正眼に構えたまま、一歩も動かない。 いや素人目に動いてないように見えるだけで、実際は互いを攻めるために小 刻みに動き回っている。 目立った動きのないまま試合開始より30秒たった時点で、審判より止めが かかり、双方に注意が与えられた。 注意2回で反則1回、反則2回で1本が与えられる。 この場合の30秒という時間は規則に全く関係なく、ただ審判が、お互いに 積極的に試合を進める気配なしと判断したために注意が与えられたものである。 ここら辺、柔道などとちがって剣道の曖昧な点で、有効打突の有無にしろ、 審判3人それぞれが、選手の気合いは十分に乗っているか、声はでているか、 残身(技を出したあと油断なく構えをとり、次の事態に備えること)は取れて いるか、などを己の主観で判断して1本か否かを決めるのである。 このいい加減さが、剣道がオリンピック正式種目にならない原因ではないか 私などは思うわけだが………………閑話休題。 それはともかく、双方に注意があたえられ、改めてしきり直しとなった。 そして、再度「始め」がかかった瞬間、道場の空気が変わった。 それは、水面に落とした油滴のように道場中に広がり全てを覆い尽くした。 原征の発する『氣』。 それが、その正体である。 『氣』とはレーダーの役目をし、相手も動きを阻害する。 さっき、貴美が動けなかったのもこの『気』のせいだった。 通常、何らかの知能をもつ存在が行動を起こすとき、そこには意志というも のが介在する。 その知的存在が行動する場合、その意志が何らかの形で表に出てくる物であ る。 これは普通、気配と呼ばれることが多い。 『氣』を張るとは、己の一部である『氣』を周囲に張り巡らせ、気配を通常 よりも敏感に察知すると言うものである。 さらに原征は、周囲にただ漠然と張り巡らしただけの『氣』を、収束させて ゆく。明らかに攻撃用の練りかただ。 そのことを素早く悟った周も、防御用の『氣』を練ってゆく。あたりに漂う 『氣』を薄く引き伸ばし、自分の周囲に展開させるようにして。 お互いの『氣』が高まり、練り込まれ、どんどん増大してゆく。それが臨界 点に達する「「「即ち、互いに接触するとき「「「変化が急速に訪れた。 原征が疾(はし)った。 周が飛んだ。 原征が全てを貫き通す槍となった。 周が何者も通さぬ盾となった。 土屋先生と貴美にはそれがはっきり見えた。 矛盾の激突。 ある故事では、その結果は見られなかった。しかし、現在この場所で勝敗が 決められた「「「強いものが勝つという結果で。 時間の差は0.01秒程度のものだった。しかし、この二人にとって、それ は十分すぎる時間だった。 周が繰り出した出小手(あいての出鼻を制して小手を打つ)は一歩及ばず、 原征の必殺の面が炸裂していた。 「面あり!。二本目」 それからの試合は、さしたる変化もなく、結局は原征の一本勝ちで終わった。 第四試合。土屋先生Vs原征の闘い。 変幻自在の土屋先生の竹刀が、原征を襲う。そしてまた、原征の練りあげら れた『氣』が土屋先生の動きを制する。 この試合は、まさに『技術 対 気迫』の闘いであった。 結果からいけば3分58秒、つまり試合終了2秒前に原征の満を侍した出小 手が入って、原征の一本勝ちとなった。 第五試合。貴美Vs土屋先生の闘い。 『スピード 対 技術』の闘い。 お互いに一瞬たりとも留まることなく、流れるような動作に始終した闘い。 つかず離れず、くんずほぐれつした混戦を制したのは貴美であった。 先ほどとかわらぬ、凄まじいスピードで技を打ち込んでゆく貴美に対し、 次々と変化の技で攻める土屋先生。 右狙いの面かと思えば、途中で軌道がかわり、左狙いの面になる。 そのような面が来ると思えば、貴美程ではないが十分にスピードの乗った突 きが来る。 それらの猛攻に対し、貴美は真正面から突っ込んでき、技を潰す。 技のでかかりに打ち込むことにより、技の発動を未然に防ぐ作戦である。 こうなるといくら達人でも技のだしようがない。 こうして手が出なくなった土屋先生に対し、貴美の『飛燕』が炸裂した。 ちなみに『飛燕』とは、原征命名の貴美の超必殺技で、なんのことはない、 真正面から十分に攻めきって、凄まじいスピードの面を打つというものである が、そのスピードたるや、素人の目では追いかけることなど到底不可能。玄人 目にも、だした技が面と判別するので精一杯というものだ。 結果として、4分フルに使い切ったこの闘いは貴美の一本勝ちとなった。 そして第六試合。貴美Vs周の闘い。 『攻撃 対 防御』、言い代えるならば『動 対 静』の闘いとなるであろう。 序盤、これまでの3試合の疲れなど微塵も感じさせない貴美の攻撃の前に、 周は後退を余儀されなくなる。とにかく攻めて攻めて攻めまくって、短期決戦で勝負をつけたい貴美。 そんことは百も承知の周は、無理をせずにじりじりと後退してゆき、貴美の 勝負に応じない。 そんな周の意図がわかるだけに貴美も慌てざるを得ない。攻撃のピッチをあ げてゆく。 相手が罠を張り、なおかつそれに飛び込んでゆく以外に勝ち目がなくなった ときどうすればよいのか? 答えは簡単。 相手の予想を遥かに越えた攻撃を繰り出せばよい。ただ、相手がどの程度の 攻撃を予想しているかにもよるが。 この場合、貴美にとって分が悪すぎた。 なにせ、相手はいつも一緒に稽古している周であるから、力量はもとより攻 撃パターンまで知られていると考えたほうがよい。 もっとも、それは貴美にも言えたことなのだが、こと相手が周となればそれ を知っていたからといって、どうこうなる相手ではない。 周の攻めというのは、剣先で相手を追い詰めて、相手に追い詰められた状況 で技を起こさせ、その不完全な状態で出るわざを迎撃討ち取るというものだか らである。 わざと追い詰められたふりをしたって、人一倍冷静な周のことだから、一発 で見破られるに決まっている。 そもそも貴美の場合、その攻めを見ればわかるように、小細工などという ものには、あまり向いてない性格をしている。 ゆえに貴美に残された攻撃とは、先ほどの土屋先生との試合の如く、相手が 迎撃、ないしは防御不可能なほどの、強力な技をしかけてゆくしかない。 だから貴美は仕掛けていった。 周の予想を越えるであろう攻撃を。 周は焦っていた。 彼は冷静沈着な男である。そして理性を重視するタイプでもあった。ゆえ に、すでに3試合こなしている貴美は、体力の残量も少ないであろうと推理し ていた。 そして、その推理に基づき試合の内容を組み立てた。 しかし、現実には、貴美は体力の限界であろうと予測していた時点になって も、攻撃力が落ちるどころか増してきている。信じられないことであった。 周は、貴美の実力はよく把握していたし、己の実力についても然りであった から、貴美と打ち合いをしても勝てないことは承知していた。 試合が進むにつれ、周はどんどん後退を余儀されなくされ試合場のコーナー においこまれていった。もうほかに逃げ道はない。 周は一瞬のうちに計画を考え実行に移した。即ち、攻撃を受けたときに自ら 場外にでたのである。 「やめ」 主審である土屋先生が両者にやめをかけた。そして、二人ともコートの中央 によびもどされる。 「場外、反則1回」 主審が周を指差し、反則を1回取られたことを宣言する。 貴美は内心ほぞを噛んでいた。周をコーナーにおいつめて、出てきたところ をカウンターぎみに討ち取るつもりだったのである。 しかし、周はそれに乗ってこなかった。自ら場外に出ることで貴美の意図を 妨害した。 反則は2回取られないと一本とならない。しかも剣道は判定などなく、4分 間(高校剣道は)たっても決着がつかない場合は、団体戦なら引き分け、個人 戦、ないしは団体の大将戦で両チームの勝ち星、取得本数が同点の場合は延長 戦が決着がつくまで延々と行なわれる。(延長戦は2分を1試合単位とする。 決着がつくまで行なうのだから、延長2〜5回などザラで、なかには18回、 つまりは36分間、試合の時間も含めて40分闘った選手も実際いる) ともかく、貴美の作戦は失敗した。これは、とりもなおさず周に絶対有利な 状況となったことを表す。 そして、案の定。試合終了間際、体力切れで足に来た貴美に周はお得意の2 段小手(小手を打ち、相手に小手面と思わせておいてその手元をあげさせ、上 がったところにもう一段小手を見舞う)で討ち取って、試合をきめた。 「あー。結果発表だな」 土屋先生から順位の発表があった。 「1位は3−0で原征だな。2位は2−1で貴美。3位は1−2で俺と周 か………………」 その他の部員から拍手が沸き起こる。ちなみに、他の部員は見取り稽古をし ていた。 見取り稽古とは、他の選手の試合や稽古を見て、自分と比較して自分を高め る稽古である。早い話が、邪魔になるから見学させていたのであるが。 「原征。おめでとう。お前の勝ちだ」 土屋先生から、改めて原征の勝利宣言が告げられた。 原征は試練を終えたのである。 『開封』許可の降りた瞬間だった・・・・・・・。 7 貴美は原征を待っていた。自分達の教室、2−6で。ちなみに、周も同じ教 室である。 あのあと、簡単な基本の稽古をして、今日の稽古は終了となった。 原征に話がある旨を伝えられた貴美は、あとからこう言われた。 《ちょっと話したいことがあるけん、教室で待っちょっちくりい(ちょっと 話したいことがあるから、教室で待っていてくれ)》 そうして、貴美はただ原征を待っていた。 (話って………なんだろう) 思い当たるふしは色々とある。今日の久美の一件にしたってそうだ。 試合中は考えないようにしていた。 しかし、一人になって、しかも当の原征に呼び出されてこうやって冷静に なってみると、悪いほうへ悪いほうへ考えがいってしまう。 これまで、一度たりとも貴美、周、原征のなかで秘密などなかった。 少なくとも自分はそう思ってきたし、原征と周もそれに応えてきた。 原征が遠く、鎌倉から引っ越してきて、周と知り合った小学校1年生のとき からずっと………………。 あのころからずっと変わったことなどなかった。貴美が先頭きって突っ走 り、原征がそれに続き、周がバックアップする………………。 いや、あった。 あのときから変わったもの、一つだけ。 この胸の高鳴り。原征を見つめる目………………。 そう気付いた瞬間、貴美は、自分かすっかり変わってしまったことを悟った。 そう気付いた瞬間、自分の中で、何かが壊れる音を聞いた。楽しかった、少 年少女の日々。互いに、何も考えることなく笑いあえた日々。 そう気付いた瞬間、心の中で、何か暖かいものが沸き起こってくるものを感 じた。考えるがけで、胸が締め付けられるようにせつなくて、苦しくて、悲し くて、でも、幸せな感じ。 それを恋だと認めてしまうには、貴美はまだ大人になり切れていなかった。 まだ弱すぎた。 自分がどうにかなってしましそうで。 優しすぎた。 周を裏切っているようで。 ゆえに悶々とした日々を送らざるを得なかった。 でも、貴美の強いところは、そんな感じを表に見せないところだった。悩 み、苦しんでいても、それをおくびにも出さないところ。それが貴美の同級生 にはない『強さ』だった。 (でも、でも、もしここで原征が私に………、いや、もしかして………) ガラガラガラ……… その思索は、唐突に破られた。 「あー、待たせたな」 原征がやってきたのは、貴美がこの教室に入ってきて15分はたってから だった。 「待たせてすまんかったの。まあ、座ろうや」 二人で差し向かいで、貴美の机を挟んで座った。 「いくつか話しておかなきゃならんことがあるな」 貴美は返事をせずに、じっと原征をみつめていた。 「まず………………………。これを渡しておこうと思ってな」 そうしてとりだしたのは、朱色の布地に金糸、金ちらしの飾りがついた20 cmくらいの細長い布袋であった。 「なか、見てみな」 袋の口には、組み紐が巻かれ中身が出てこないようになっていた。その紐を だまって解く。 「これは………」 中から出てきたのは、全体が朱色の漆塗の鞘におさまった、見事なこしらえ の懐剣だった。今朝がた、原征が眺めていた代物である。 「御守りや。やる。肌身はなさず持って歩け。絶対、体からはなすな」 目が真剣であった。 この目には覚えがある………そう貴美は思った。 そう………………………あれは中学校3年生の時。隣街の高校生不良グ ループに呼び出されて喧嘩しに行ったとき。あのときの目だ。 あとから河崎 秀恥から聞いた話だが、武器をもった不良30人に囲まれて 喧嘩したそうである。でも、翌朝傷一つなく登校してきたから、話の元が秀恥 でなかったら嘘だと思って取り合わなかっただろう。しかし、秀恥は嘘をつく ような人間ではない。そもそも、口をきくことすらまれなのだ。 原征が、あの時の目をしている。 だから、素直に受け取った。 「でも………なんでこんな………………こんなのくれるの? 」 「ただの懸念だといいけんど………(ただの懸念だといいのだが………)」 「答えになってないよ、原征」 「漠然としたことしかわからん。今はなにもはっきりしたことは言えん」 「………………………………」 「でも、はっきりしたことがわかったら、全部はなすけん(話すから)。第 一、儂が貴美に隠し事なんぞしたことなかったろ」 あのことを除いて………………………と心の中で付けたしといた。 「じゃあ、さっきの久美の………………」 みなまでいえなかった。 心がズキンと痛んだ。 怖かった。不安だった。 原征は、目で《言わなきゃだめ?》と聞いた。 「………………………《全部はなして》」 そう、目で返された。 「ふう………。そうやな(そうだな)。だれにでん(だれにでも)、べらべ ら喋るやつやないわな」 そう前置きして、こう切り出した。 「たしかに、久美の告白は受けた。しかし、OKはせんかった(しなかっ た)」 そして、先ほどの一件を始めから最後まで包み隠さず話して聞かせた。 話を続けるにしたがい、貴美は顔色がくるくると変わっていくのがわかった。 そして、話をすべて聞き終わった時、貴美は自分が安堵しているのを自覚し た。 ただ、一点のことを除いて。 「………そういうわけや。これで話したいことは全部。他に質問は?」 貴美は黙って首を横にふった。本当は、まだたくさん話したいことがあった のだが………。 「さて、帰ろうか。今日は、儂の誕生パーティーしてくれるんじゃろ? 」 「うん………………」 「それなら、さっさと帰っち、周でんむかえにいこうや(さっさと帰って、 周でもむかえにいこうよ)」 「そうね。今晩は私がゴチソウ作るから(ゴチソウ作るから)」 そう聞いた瞬間、原征の胃のあたりがキリリと痛んだ。 このことは、前もって予想していたことだし、そのため今朝貴美に内緒で材 料の仕込みまでしといた。にも関わらず、胃のあたりがキリリと痛んだのは、 繰り広げられるであろう台所の惨状が脳裏に浮かんだからだった。 「っ………まあ、そこらへんのことはおいおい………」 なにがおいおいなのだろう。 「さあ、はよ帰ろう」(注:かいろう、と発音するのが正しい大分方言) 「うん」 最近なかった特上の笑顔で貴美は応えて、原征とふたり歩き始めた。 空は、そろそろ夕闇に染まろうか・・・そんな時間だった。 燃えるような赤が、東の空から昇ってきている。 「あ、しもた。忘れもんしたわ」 そう原征が言いだしたのは、二人して校門をくぐろうかと言うときだった。 「悪いけんど、先に帰っといてくれる。そいでもって、周も迎えにいっとい てくれんかなぁ」 「えーーー」 「いやー、すまんすまん」 ぺこぺこと、米つきバッタのように頭を下げる原征。本当にすまなそうだ。 面白くないのは取り残された貴美である。 だけども、ここでふくれっ面をしかめていても埒が明かない。 しょうがないので一人帰り始めた………………。 一方、貴美を放り出して来た原征であるが、これは屋上にきていた。 そこには先客が一名いた。 それは、目も醒めるような、美女であった。 久美は可愛らしい美少女、貴美は奇麗な少女といった感じだが、目の前にい る女性は、まさに妖艶な美女であった。 目鼻立ちはすっきり整い、濃くもなく、薄くもない眉が涼しげであった。お とがいから口にかけてはあくまで細く、口は小さく顔のあるべき位置にすっき りおさまっていた。 この学校の制服を着ているからには、高校生だろう。 しかし、言い換えれば、制服を着ているから高校生だとわかるのであって、 着ていなければ、決して未成年だとは思われないだろう。 それほど、目の前の美女は妖艶でセクシーであった。 「頼んでおいたものは、できたかいな」 しかし原征は、その美女へこともなげに話かける。 「ええ」 90cm台は確実にあるであろう胸が、スカーフを押し上げているのを誇ら しげに見せながら、その女は答えた。 ルージュを引いているわけでもない唇は、しかしどんな口紅よりも真紅の輝 きで、常に濡れているようだった。 それを意識して舐めながら、美女は原征を睨め付けた。 途方もない淫靡な光景だった。 だが、原征は動ずることなくこういうのであった。 「そいつはどうも、ごうくろうさん。亜魅呼、髪伸びたんちゃうか(髪が伸 びたんじゃないか)」 「そうね………このごろ、意図して『伸ばして』いるからね………」 そういって、少し頭を振る。すると、腰のあたりまで伸びた髪が『さらり』 と音を立てるかのようにしなった。 これまた、妖艶だった。それしかいい様もなかった。 『烏の濡れ羽根』という言葉をご存じだろうか。漆黒の髪が、きらきら と………いやぬらぬらと濡れて光るのである。 「じゃあ、できたものいただこうか」 「そうね………………どもその前に、少し聞きたいことがあるわ」 そういって、原征のほうにあるきだす。 「昨日の夕方、『やった』わね」 「おまえが言うとなにやら、しゃれにならんな」 「いいわよ、今度また相手をしても」 「いや、遠慮しておこう」 「で、『やった』の? 」 「ああ。間違いない。奴だ」 そして、昨日のヤンキーとの闘いを報告した。 とくに、茶髪男の異変のあたりから詳しく。 「そう、奴がね………。ちょかいをかけてきた、というところかしら」 「ああ。今から考えると、まず間違いなく奴の力があのアホに流れ込んで起 きたものだ。ありゃあ(あれは)」 「それで、これが17年前からの投資というわけね」 「別に考え始めたのは17年前から、と言うわけではないんやけど、今と なっちゃあこのためという気持ちは否めんな」 「役に立つの、これ」 そういって、西洋の鎧の小手らしき、人の腕に似たものを渡す。ごちゃご ちゃとコードらしきものが露出したり、なにかオプションと取付けるのであろ うインターフェイスと思われるものが見え隠れしたりと、どことなく物騒な雰囲 気である。 「役に立つさ。立ってもらわにゃ困る。そうでなけりゃ………………」 おそらく人類にとってプラスになるようなことにはなりはしまい。 いや人類なんて、だいそれたものはどうだっていいことだ。 問題なのは、一部の友達と、大切な人。もし、彼らが苦しむようなことがあ れば、自分は命をかけて闘うつもりだ。 「それで、ほかになにか手は打ったの」 「開封の許可をもらった」 「これで100%の能力(ちから)が出る、と言うわけね」 「100%かどうかは知らんがな。とにかく、今までとはくらべものになら ん」 「そう………………」 そう言うと、原征にしなだかれる亜魅呼。 背中を原征に預け、右腕を前から首に回し、左手の人差し指をその顎にかけ て、艶然と微笑む。 なにやら、よい香がたちのぼる。それはとてつもなく淫靡な香。ケシの花が 人を惑わす香。 内に破滅の香を内包したもの。骨も身もグズグズにして、とろかしてしまう ような香であった。 このまま、身を任せてしまえば天上の極楽が得られるであろう。しかし、そ の後に待つものは確実な破滅。 麻薬のようなものであった。 普通の人間であれば、この時点でしたたかに『精』を放ってしまいかねない のだが、原征はこれにも平然としていた。 「そんなことをするき(するから)、久美に余計なこと勘繰られるんじゃ」 「別になにもしてないわよ」 「嘘付け。なんか言ったんじゃろう?」 「べつになにも言ってないわ」 「なら、あんおとなしい娘が・・・」 「おとなしい娘が・・・なに?」 「・・・・・・・・・・・・ほいほい人に言う事じゃないわな」 「ふ・・・面白い人。私の前で隠し事?」 「あのなぁ・・・そう簡単に人の脳味噌覗くもんじゃねぇぞ」 原征は、そのぶっとい眉毛をしかめて言った。 「むかーし、昔のことじゃ」 「あら、そんなに昔のことじゃないわ。ほんの200年くらい前までは・・・ ね。私たちは確かに愛し合っていた。そうじゃなくて?」 「儂にとってはずいぶんと昔や」 「つれないのね」 「………………………」 そこで初めて、亜魅呼に人間らしい表情が浮かんだ。 おかしなものだ。人でないモノが、人の表情をうかべる・・・・・・。 とっくに人間など超越した存在が、人の心について話し合う・・・・・・。 「あの娘、なんて? 」 「おまえとの関係について聞かれたわい」 「なんて答えたの? 友人? 恋人? 愛人? 」 「久美の思っているまま、そう答えた」 「あら、じゃあ恋人宣言? 」 「そう。昔のな」 「昔、昔か………………」 「おまえん後輩なんじゃき(おまえの後輩なんだから)、しっかりしちくり いや(しっかりしてくれよ)」 「そうね………」 亜魅呼と久美とは、同じ中学校の出身ということもあって、かなり親交のあ つい先輩、後輩ということになる。現在、久美は高校1年生、原征は2年生、 亜魅呼は3年生で、また彼女は2年次に生徒会役員(生活委員長)をやってい た。 八咫鴉 亜魅呼「「「。 容姿………………はさっきから言っている通り、かなりの美女。 スーパーモデルもかくや、といった感じ。 身長は、170cmの前半から中頃といったところ。 体重は不明。なにせ、自分の『質量』を自由に変えられる存在に、そんなモ ノは無意味だ。 成績は上位クラスをつねにキープしている。 私生活は謎に包まれており、唯一判明しているのは、大分市を包括する巨大 なファンクラブが存在することくらいだ。 表向きは。 しかし、彼女には原征と同様裏がある。 その正体は八咫鴉。 陰陽術の式神の一種で、体が中型犬ほどある大鴉である。 その特徴は足が三本、眼はらんらんと燃える石炭のごとく赤く光ることであ る。 彼女の産まれはかなり古く、原征すら知らない。 が、原征よりは、おそらく長生きしているだろう。一説によれば、かの奇代 の陰陽士、安部 晴明の使い魔だった八咫鴉が独立したものだと言うことだ が、本当かどうかは定かではない。 しかし、彼女の使う陰陽術はたしかで、さきほど受け取った鎧のパーツも 彼女の術がかけられたものだ。どのような効果があるかは………そのうちわか る。 話をもどそう。 「久美の件は………あまりよくはないが、よしとしよう。奴の件はおまえも 気を付けておいてくれ。いつ、なにがおこるか予想がつかん」 「わかったわ………」 そう言って、亜魅呼はさらに原征にしなだかれ、指を顎からはずして腕ごと 後頭部に回す。そして顔をおもいきり原征の顔に近付ける。そう、あと3cm も近づけばキスできるくらいに。 「やめろっちゅうに(やめろと言うに)。だれか見ちょっったらどげいする (だれかが見ていたらどうする)」 「だれも、私達のすがたを見ることはできないわ」 「結界を張ったな」 「そうよ。この周囲の空間をいじって、他の人間の認識を狂わしたの。いま の私達は普通の人間にとって、道端の小石と変わらないわ」 「ったく………………」 そうして、コツンと額と額をあわせる。 「とにかく、それとなく久美を護(まも)っちやっちくりい(護ってやって くれ)。それと、おまえの身にも気を付けいよ(気を付けろよ)」 そして、顔をはなそうとする・・・が。 「む!!」 クチョクチョ、ピチャピチャ 「むむむ!!」 むりやり、その唇を奪われた。 とっさに抵抗しようとする原征だが、一向に体に力が入らない。 続いて、亜魅乎の手がジャージに包まれた胸板を這い回る。 「むむーーー!」 さらに抗議の声を上げるが、亜魅乎は無視ぶっちぎりで聞いてはいない。 「はぁ・・・」 「ぶはぁ」 ぜいぜいと、荒い息をついで原征は亜魅乎に怒鳴る。 「ええい、勝手に人の体を金縛りにするな!」 「ふふふ・・・抵抗してもいいのよ」 「できるかい! お前の術が破れるか!」 こと術と言った点で、原征は亜魅乎の足の爪の先にも及ばない。 亜魅乎は希代の術師・・・おそらく、正解でも3本の指に入る。 そして、原征は先天的に術というものが苦手だ。 1000年ほど生き続けても、使える術は5つに満たない。 「まあいいわ。今日はここまでにしてあげる。あとは貸よ。いいわね」 「なんし(なんで)………………」 「か・し・よ・いいわね! 」 「はいはい。わかりました。で、なにをすりゃあいいんじゃ? 」 「それはもう、ね………」 つつ〜と、亜魅乎ははだけた原征の胸元につめを這わせる。 それと軌道を同じくして、うっすらと浮かんでくる赤の道筋。 亜魅乎は、原征のその鮮血よりもなお赤い舌でそれを舐め取り、媚を含んだ 目で原征の眼を覗き込む。 「それは勘弁してほしいがな・・・」 「ふふふふふふふふふ」 「お手柔らかに」 「じゃあ、結界解くわよ」 「ああ、いいぞ」 ふっと、亜魅乎は気軽な様子で腕を振るう。 それだけなのに、原征には周囲の空気が変ったのがわかった。 ふぅ・・・。 かなり色っぽいため息を吐いて、ひとつ気分を一新した亜魅乎は原征に向き 直る。 「そうだ。どう、これから? たまには色事ぬきでもいいわよ。ちょっと付き合わない? 」 「やめとく。これから大事な用事がある」 「そう………そういえば、今日は『あの日』ね。『やつ』と闘って辛くも勝 利した『あの日』。そうして、あなたが今の家族を手に入れた日でもあるわね」 「今おもや(おもえば)、よう(よく)首なしで血まみれに儂を受け入れて くれたもんじゃ」 「そうね。感謝しなきゃ」 じゃ、さようなら。 もう一回。原征に軽く唇を合わせて、亜魅乎は忽然と姿を消した。 あとに残ったのは黒い鳥の羽根だけ。 その羽根はつやつやと光ってはいたが。 そして、あとに残った原征は・・・。 「ちくしょ〜。金縛り解いてけや〜」 前身を襲う気だるい疲労感と闘いながら、そうぼやいていた。 最後の亜魅乎のキス。 それは原征の『精力』をかなりの量奪っていったものだった。 そう、若い男が完全にミイラとなるくらいの・・・。 原征にとってみたら可愛いものだが。 ・・・・・・・・・・・・さらに続く。