『怨霊怪奇 原征伝! 祇園精舎の鐘が鳴るとき』
作・みよしの元帥さま
1 ワァァァァァ キィィィィィン グワッシャン カキィィィィン 「コロシテヤル………」 やめろ……………… 「コワシテヤル」 やめてくれ……………………… 「クククククククククククク、タマラン。コノ血ノヌクモリ、ハラワタカラ 引キズリダス、コノ肉ノ歯ゴタエ」 やめるんだ! と叫んだところで終りはしない。この夢は………。 そう、夢………。それは原征にもわかっている。そして、悲しいかな。これ は現実におこったことだということも。 辺りは戦場だった。幾千もの骸が横たわり、もはやなにも言うことのできな い口で、怨嗟(えんさ)の声をあげる。 それにしても異常だった。戦場に骸が横たわっているのは、悲しいことだが しょうがないとしよう。 しかし、その死因の異常さはどうだ。 首をなくした武者、胴を真っ二つに断ち割られた兵士………そのような『ま とも』な死に方をしている者のほうが少ない。 陸にいながらにして溺死した者、手足をあらぬ方に曲げてその激痛に耐え切 れずショック死した者、獣の牙でその身を噛み裂かれた者、手足を切り取られ 耳をもがれ鼻をそがれ目をくりぬかれ出血多量で死んだ者………。 そのような者達はまだ幸運な部類だろう「「「死にきれたと言う点で。 未だ死に切れず片手片足を失い、眼球をつなぐ神経糸から眼球をぶらさげて 母の名を叫ぶ若い兵士がいるかと思えば、恐怖と苦痛に戦(おのの)きながら 必死に己の腸(はらわた)を腹に押し込もうとしている武者もいる。 唯一の神の慈悲………………そのようなものがあるとするなら、それは、死 にきれぬ不幸な者の絶対数は少なく、また見ているうちにもどんどん減少して いってることだろう………なんの慰めにもならないが。 その骸「「「すでにそうなっている者も、これからそうなる者も「「「のな かに一つだけ立つ人影がある。 人影は漆黒に朱糸威しの具足甲冑「「「もはや、元の色も判別できぬほどの 返り血に染まってはいたが「「「に身を包み、右手に血塗られた戦刀(いくさ がたな)を握ってたたずんでいた。 ………その人影の肩より上にはあるべきもの「「「即ち己の首「「「はな く、左の小脇に抱えられていたが。 その首からは尽きることのない嘲笑が、飛びださんかに見開かれた眼球 からは血の涙が溢れだしていた。いつまでも、いつまでも………………。 ここに源 頼朝の勅名を受けた精鋭3千の兵は、たった一人のために全滅したのである。 2 「ッ、クッハー……………ハアハアハア」 汗がグッショリとシーツを濡らしている。いつものことだ。 悪夢の内容も、その後の目覚めも。 800年前のあの日から、なんら変わることはない。 時計に目をやれば、2:30とあった。 平 清盛との再会のあと、帰宅した原征は家の人間とろくろく話もせず、夕 飯もとらずに布団に直行し寝込んでしまった。 あの瘴気に当てられて、全体力を使い果たしてしまったのである。 「明日………起きたら、昨日のこと話とかなきゃな………。でも、どげい言 おう(でもどお言ったら)………」 しばらくの間、横になって考えていたが、また寝てしまった。考えてもしょ うがない、との結論である。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリッッ
かなりデリカシーのない目覚まし時計のベルの音がする。これでは心臓の弱 い人なんかは、目覚めるどころか永眠してしまいそうだ。 「ムーーーーーーーーー。おお、もうこげな時間か。(こんな時間か)」 7:00。この家の朝は早い。唯一の女性、眞由香(まゆか)さんなどは5 時頃から起きだして、お弁当や朝御飯をせっせと作ってくれている。 ふとカレンダーに目をやると8月1日だった。なんとはなしに嬉しい。新鮮 な感じがする。 「今日は………………おお“あの日”か」 ………………健全なる少年少女諸君、そんな目をしないでくれ。ああっ、石 を投げるな。 これは、『月極めのお客さん』が来る日のことではなく、ただ単に原征に とって特別な日のことをさしているのである。特別な日とは………まあ、これ もおいおい話ていくことにしよう。 「さてと、さっさと顔でん洗ろうち、朝御飯にすっかの(さっさと顔でも 洗って、朝御飯にでもしようかな)」 原征は朝御飯をきちっと食べるタイプである。朝御飯を食べないと調子が出 ないタイプの人でもある。 原征が茶ぶ台(!)に着いた時には家族全員がそろっていた。家族といって も、総勢3名でしかも全員血縁関係などない。 「お早うございます」 最年少(あくまで戸籍上)で、しかも剣道部に所属している因果か、人に 会ったら必ず挨拶をするという習性が身についてしまった。 「お早う」 「お早うございはす。原征さん、昨日はどうしたんですか」 眞由香さんが心配そうな顔をしている。 「えーっと、昨日は………そう、昨日はですね、練習がきつかったもんです からね、そのアレですよアレ、あーっと、疲れて寝てしまったんですよ、はは ははははは………」 嘘がバレバレである。 しかし、眞由香さんは疑う様子を見せない。 全員がそろったところで、朝御飯がはじまった。いつもの定番メニューの目 玉焼きに味噌汁である。原征がこの家に転がり込んで、今日でちょうど17 年。特別なことがない限り、この家の朝御飯のメニューはこれできまりだ。 「今日で17年ですね………。原征さん、今日は貴美さんの家でパーティー なんでしょ」 「ええ。なんの風の吹き回しやら………」 「じゃあ、今日の夕飯はいりませんね。」 総じて、一家の『食』はこの眞由香「「「比良内 眞由香(ひらうち まゆ か)さんに握られている。 原征がこの家に居候を決め込んだときからいた人で、年齢やその他の素性 は、原征は知らないし、あえて尋ねようとも思わない。 この家の名目上の主人、司さんと血縁関係がないということも、つい最近 知ったばかりである。 が、少なくとも、ロングの黒髪を背中でまとめただけのよく似合う、きれい なお姉さんで原征は充分だと思っている。 『ついで』だから、この際紹介しておこう。 先にも述べたとうり、この家の名目上の主人にして、市内の国立とは名ばか りの豊後大学に通う森国 司さん。 この三人でこの奇妙な家庭は構成される。 互いに不干渉を不文律にしているところが原征には有り難い。 叩けばいくらでも埃のでる人生を歩んできた原征である。 ゆえにまた、人の痛みもよくわかる。 そぶりこそ見せないが、司さんも眞由香さんも、それなりに背負うものがあ ることはわかる。だからこそ、17年前、全身血まみれで転がり込んできた原 征を、すんなり受け入れてくれたのではないだろうか。 司さんも眞雍香さんも、そして今は亡き司の父、達夫さんも。 「原征、今日のスケジュールは?」 「えーっと、今日は午後から稽古が始まりますので、それまでにはパティー に必要なものを、貴美の家まで運んどこうと思います。それと、今日は泊まり になると思います」 「そか………、泊まりか………」 「ええ。ですから、頑張って下さいね。ひきだしの2番目の棚ですからね」 「なにに頑張るんだ、なにに………」 「ま、そういうことですので」 食事が終わり、片付けをするために眞由香さんが炊事場に消えると、男同士 の会話が始まる………。まあ『兄貴とよばせて下さい!』と、言った内容より はよほどいいと思うが………………。 しかし私としても、この物語を18禁にするつもりはさらさらない………。 3 所は移り原征の部屋。 足の踏み場もないほど散らかりに散らかっている。 壁一面に掛けられた刀剣類、槍、単なる鎖から髪の毛より細い針金、西洋甲 冑、鎧兜、手甲etc………。 ただし、飛び道具は一切ない。 原征曰く、「斬ったときに手ごたえがなけりゃ、闘った気がせん」だそうで ある。 さらに、床一面にぶちまれたれたガラクタの山。IC回路、トランジスタ、 古書、奇書、呪符、電気のコード、機械の部品。六畳ほどの部屋は、それだけ で埋っていた。 「あ「「「、どこだったっけ。うーんと」 やおら、部屋の右の片隅に、ガラクタをかきわけ泳いでいく(すでにそこま でガラクタで埋っている)と、強引に畳の上のガラクタを掘り返し、畳をひっ くり返す。 そして床板をはがしたその下には、地下室の入り口が暗い口を開けていた。 六畳間の下、3メートルくらいのところに、二十畳間くらいの部屋があった。 部屋の模様は上と大差はないのだが、唯一違う点といえば、ガラクタが少な いというところか。 見た目はそんなところであるが、実質的にはかなりの差がある。 たとえば、壁にかかっている刀剣類にしたって、上の階のはただの業物(わ ざもの)だが「「「それでも、六代村正の小大刀や胴太抜き(戦刀、日本刀の 斬るという目的よりは、鉈のように叩き斬るという目的で作られたもの。原征 所有は肥後国友の銘)などの、それなりに名の知れたもの。時価、数百万から 数千万はする。 その決定的の違う点は、地下室にあるのは全てが、いわく付きの代物である と言うことである。 早い話が憑いているである。アレが。 ゆえにそのほとんどが厳重に封印され、こうして眠っている。 また、とてつもなく強い力を秘めた魔導器などもここに眠っている。あと は、禁呪とよばれる外法中の外法も。 例を挙げれば「「「。 初代村正の太刀:原征所有のこの初代千字村正は、血を吸い赤く輝き、持ち 主を魅惑するという、あの伝説のもとになった村正刀である 童子切綱安:伝説の鬼、酒天呑童子を斬ったとされる、鬼切りの太刀。現在 国宝とされているのはコピーであ 御魂(みたま):亀井所有の太刀。四尺、約1.2メートルで、使いように よっては地球をも真二つにできる。真偽のほどは定かではないが、亀井仲達な らやると原征は信じている。 刀剣類だけでもこのくらいで、小物も合わせると、その妖気は凄まじい。さ らに、魔導書(ソロモンの魔導書のコピーや大平要術の書、極め付けはネクロ ノミコンのオリジナルの一部までもがある)、魔導器(各種の護符や、召喚 符、魔神を呼び出す指輪や、『一つの指輪』のコピー、とどめは将門の首塚の 破片etc………)。もちろん、これは鑑定、識別できたものだけで、正体不 明や出所不明の代物はその5倍にのぼる。よく考えてみたら、ここは大分県で も一番のゴーストハウスなんだなぁ………。 それはさておき、地下室に入った原征はなにか探している様子だった。 「おお、あった。あった。錆びてなきゃいいが………」 それは一振りの懐剣だった。それもえらく古い女物の(まあ、懐剣とは元来 女性が帯に挟んでいるもので、夫以外の男に辱めを受けるくらいなら、いっそ この懐剣で咽を突き………というものなのだが)。 「………………」 細心の注意を払い、鯉口(こいくち:さやの入り口のこと。鯉の口に似てい ることからこの名がついた)をはらう。刀身に触れることはもとより、息を吹 きかけることも許されない。 なぜなら、日本刀は大変錆びやすく、折れやすいものなのだ。また、けがれ が付くといって、不浄なものが付くと、切れ味や内に秘めたる力が落ちるとさ れる。 ましてここ地下室にあるものは、いわくつきなものばかり。扱いには大変気 を使う。 「………………………よし」 こしらえ(刀の柄や鞘の装飾のこと)は少々痛んでいたが、刀身はみごとな もので、錆び一つなかった。手入れも見事にいきとどいており、椿油の臭いが つーんと鼻にきいた。 それを確認した上で、また鞘にもどし、飾り袋にしまって己の懐に入れた。 それから、部屋の中央に据えられた台に目をやる。 そこには、人型のなにかが横たわっていた。ぱっと見た目には、西洋の甲冑 に見える。 しかし、いたるところからコードのようなものやチューブやらがはみでて、 あまつさえ、全体になにやら文字のような記号のようなものが彫り込まれてい る。 全体の色は艶消しの赤で、所々黒がまじり、その上に漆が塗られて、下地に 金紛がちりばめられている。えもいえぬ渋さと重圧感を与えつつ、それでいて 鈍重そうな感じは全然しない。 材質はおそらくは鉄と思われるが、実際のところは洋として知れない。身長 190cmから200cm、重量は謎。推定500kg(材質が鉄と仮定した 場合)。 「あとちょっとやな………。あと両腕だけ………」 たしかに、その『甲冑』には両腕はない。だが、あとの部分は全部そろって いる。これが鎧なら、全身くまなく覆うだろう。目も含めて。 これは一体なんなのか。それを知るのは原征だけである。 4 それからしばらくして、原征は家をでた。9:12のことだった。 ついでに司さんは二番目のひきだしを開けた。『赤まむしドリンク48』が 入っていた。48時間闘えるというアレだ。司さんはこけた。 9:15。原征は貴美の家についた。原征の家の二軒隣である。当然、この 二人は小さい頃から互いの家に行ったり来たりしてよく遊んでいた。(その中 には、飯坂も含まれており、よく三人で悪戯をした)さすがに、中学生に上 がってからはその回数も減ったが、それでも二人の友情には何ら変化はなかっ た。 やっかみか、周囲からは二人は付き合っていると言う噂もたった。しかし原 征は否定するふうもなく、貴美もまた構わなかったので、一時期は大変その話 題で盛り上がったが、人の噂もなんとやら。結局立ち消えしてしまった。 「お早うござんす」 普段は決してこんな挨拶をすることはないのいだが、ここは勝手知ったる他 人の家、むこう三軒両隣、自分の家も同然なのである。 「いらっしゃい、原征ちゃん。今日は頼むね」 台所(キッチンとよべるような、今風のものではない)の引戸から、貴美の 母親が顔をだす。すでに原征は居間にいる。 「ええ。でもいいんですか、貸切にしてもらっちゃって」 「いいんよ。どうせ今日は誰もおらんけんね」 「えーっと、おじさんが地区の寄り合いでそのあと徹夜で麻雀で、おばちゃ んが今日から三日間地区の婦人会の旅行でしたっけ」 「そうなんよ。あと、不良ぼんくら息子三人は一昨日から部活の合宿でおら んし(いないし)」 「あ、おらんのですか。どうりで………………」 「静かやと思った、やろ」 「はあ………」 貴美の家は父親と母親、貴美とその兄三人の6人家族で、とくに兄三人は原 征を見ると、必ず勝負を挑んでくる困った人達である。 長男の信春が柔道部、次男の信之が空手部、三男の信唯が弓道部と、武道ば りばりの家庭である。 つい最近も、三人そろって勝負を挑み、原征にぼこぼこにされたばかりであ る。しかも、どうもこのごろ一撃一撃に殺気を感じる原征である。 「で、貴美は起きちょりますか?」 「まだ寝ちょんのやろう」 「周と同じですな………それじゃあ………………」 「まあ、周ちゃんほど低血圧でもないみたいやし………………そういえば、 あん子も来るんやろ(あの子も来るんでしょ)」 「ええ。すいませんね、わざわざ僕のために誕生パーティーなんか開いても らって」 「いいんよ。息子が二人、増えただけやけん」 原征にとって、その言葉はなにものにも代えがたい喜びを与えるのであった。 あれからしばらく原征は、貴美の母と一緒に今晩のゴチソウの仕込みを手 伝った。 そして、10:30頃。ようやく起きだした貴美と一緒に少し早い昼食と なった(貴美にとっては朝食なのだが)。 今日の部活は12:00からであるが、剣道部規則第七条に30分前集合、 5分前行動が義務づけられているのから、11:30までには高校についてい ないといけないので早めに家を出なければ間に合わない。 まあ、貴美の家から高校まであるいて10分、走って5分なので、そうそう 慌てる必要もないが………。 そしてここは、おなじみ下芹台高校剣・柔道場。すでに後輩達が集まってい る。 「ねえねえ、久美。昨日のテレビ、見た?」 「えー、どの番組?」 久美と呼ばれたショートカットの、小柄な娘が小首をかしげる。可憐な仕草 のなかにもほのかな色の香。くりくりにた目がかわいい娘だ。 夏場の剣道部ジャージ………だから、白のTシャツに黒のトレパン(?)に 包まれた瑞々しい肢体が踊っている。ちょうど小人から大人になりかけの、若 さ故の特権の時期、と言おうか、まさに少女という言葉を辞書でひいた、そん な感じのする娘である。 「『魔法小女 プリティーササリンちゃん』よ」 「『ササリン』………。あーーーっ。忘れてた………………」 「んーー。サリンはいかんぞ、サリンは。あれは扱いにくいから、VXガス にしなさい」 突然、二人の背後から影が差した………………しかし、なんてこと言うんだ この男は。 もうおわかりであろう。この男は原征 原征(みもふじ はるゆき)である。 あのあと、早めに貴美の家を出た原征はその足で飯坂 周の家へむかい、低血 圧でまだ寝ぼけている周を布団からひっぺがしてここまできた、と言うわけで ある。 「原征先輩、河神先輩、飯坂先輩、こんにちは」 「こんにちは」 剣道部規則第一条一項、『目上の人に合ったら、まず挨拶』である。 久美と呼ばれた少女が嬉しそうに原征に腕をからめる。貴美の片方の眉がは ね上がる。 「久美ちゃん、咲弥佳(さやか)ちゃん、道場の掃除は終わったのかな?」 『はーーい』 二人「「「管田 久美(すがた くみ)と井上 咲弥佳(いのうえ さやか)「 「「の声がハモる。ともに、原征や貴美の後輩で、下芹台高校一年生である。 ちなみに、下芹台高校剣道部の習慣として、稽古前と後の掃除「「「雑巾が けとモップかけ「「「は一年生の仕事である。 「今、女子は何人来ているの! 」 「えーっと、8〜10人くらいです」 貴美のキャプテンらしい発言に咲弥佳が答える。 男子のキャプテンは飯坂 周だが、女子のキャプテンは実は河神 貴美であっ たりする。 しかも、総部員25名の内、二年7名、一年18名、男子6名、女子19名 で圧倒的に女子の比率が高い。しかも二年男子部員は周と原征だけという、お 寒い状況である。 それというのも、男子と女子との練習量のギャップが大きいのが主原因なの だが、その原凶(主に原征)が通常の稽古+αもこなしているので、とりあえ ず文句が出ないようである。が、極端に新入部員が少ない(特に男子部員の… ……)。 『どこからか、剣道部を陥れる噂が流れているに相違ない』と、言うのが原 征の見解なのだが、噂の源の張本人がこれでは、剣道部の慢性部員不足は解決 しそうにない。 「と言うことは、男子は俺と周と合わせても5人くらいかな………」 「いえ、まだ誰も来てませんよ」 原征の問には、久美が思いきり楽しそうに答える。 「なんし………………(なんで)」 「だって昨日あんだけしごかれたから。半分以上脱水症状おこしかけてたし ………」 きのう、土屋先生との死闘の後、原征は来ていた男子部員全員(この日は 全員来ていた)と自稽古(試合形式で稽古する。ただし、何本有効打突が決ま ろうが、エンドレスで打ち合い、お互いが納得するまで稽古する)をした。そ のことを久美は言っているらしい………………。 「かぁぁーーーーーーーっっ!!。なっちょらん。気合いが入っちょらん。 のう周」 「んーーー。ぁふぅ」 「だぁー」 どうやら、まだ目が覚めていないようだ。 「あ「「「。頭痛い。はい(はやく)着替えち(て)稽古はじめよう………」 「原征先輩。ちょっといいですか」 「なに」 ずおずと貴美の顔色を伺ながら久美が申し出る。 「………………………」 当の貴美は押し黙ったままで表情が雲っている。はっきり言って不機嫌に見え る。 「ちょっと………………」 その様子を見て、久美はさらに口篭る。 「………………………」 さらに不機嫌にみえる。中心気圧980mhPaである。 「なにかな久美ちゃん。ここで言えないようなこと?」 「うん………………………」 「(ぴくっ)………………」 中心気圧920mhPaである。超大型で非常に強い貴美台風20号であ る。近隣に大損害をもたらしそうである。 「ふーん。じゃあ、むこうで聞こうか」 と、久美の肩をそっと押し、促す。 「(ピカッ、ゴロロロロロ。)………………」 臨時ニュースをお伝えします。超大型で非常識に強い貴美台風20号は、進 路を剣道場よりにとり、なおも発達しながら進んでおります。中心気圧は90 0mhPaで、瞬間最大風速は80m/s、4km/hで剣道場にむかってお り、付近の剣道部員に対し避難勧告が出されています。 ご愁傷さま………………。 さて、所かわりここは校舎の陰。場所を移した原征と久美のツーショット。 「なあ、久美ちゃん。暑くないかい………」 「ううん。ぜんぜん」 「あっ、そう………」 久美は依然、原征の腕に巻きついたままであった。 「で、話っちゅうんはなんなんかい(話というのはなんなのかな)」 「聞きたいですか?」 「まあ、気になるから………ねぇ」 「じゃあ、久美のお願いきいてもらえますか?」 「………………まあ、できる範囲でなら。さすがに満漢全席食わせろとか、 海外旅行連れていけ、とか言うんやったら無理やで」 「そうじゃないんです。あの………………キスしてください」 「「「「「「「「「「おじさん、このごろ耳が遠くなってね。よく聞こえな いんだわ。うん。えーっと、なんて言ったのかな」 「キスしてください」 「アハ、アハハハハハハハハハハハハ」 顔の筋肉がめちゃくちゃひきつっとるぞ原征。冷汗くらい拭け。 「先輩、久美のこと嫌いですか」 「いや、そうじゃないけど。いきなりその・・・脈絡がないち(と)言おう か、こころの準備が・・・じゃない。とにかく、なんだその・・・」 なんとか、平常心を保とうとする原征だが、久美の両目に光る宝石が、その 努力を打ち砕く。 久美は本気だ。肩が小刻みに震えている。 よほど緊張しているのだろう。 愛らしい唇も真一文字に引き締められているし、頬もも上気して、ピンクに 染まっている。 「………久美ちゃん」 「久美って呼んで!」 「………久美………ちゃん。なんでまた急に」 真剣な人間には真剣に対応したい。 「俺は………ちゃらんぽらんで、いいかげんで、すぐ暴力をふるう、最低の 男やぞ。そんな俺のそこがいいんや? 」 「ちがいます。原征先輩は、優しい人です。それにすぐ暴力をふるうといい ましたね、それは違うと思います。原征先輩は、原征さんは………………久美 を救ってくれました。そして、他の大勢の友達も。 暴力を振るうのとは、違うと思います。 なぜなら、原征さんは・・・人を傷付ける苦しみを知ってるから・・・だか から・・・私は・・・原征さんを好きになりました!」 「むぅ………………………」 あれは、いまから約1年前の秋口「「「9月なかば「「「のことだった