☆
魔晄都市ミッドガル。
巨大なプレートで二分割され、星のエネルギー「魔晄」に守られたこの街
は、事実上一つの超巨大企業によって支配されていた。
その名は、神羅。
魔晄エネルギーを独占し、今やこの星を経済的に支配している企業である。
神羅本社はこのミッドガルの巨大プレートの上に、まるで下世界の人々を
見下すかのように建設されていた。
下世界。
スラムと呼ばれる、資本主義から脱落した連中の住む街。
争いと犯罪の絶えない、愚民達の街。
上世界の人々はそう下の世界を嘲っていた。
プレートの上と下では、生活はまるきり違う。
それは、魔晄エネルギーに守られた豊かな暮らしと、貧しいながらも大地
に足をつけた生活の違い。
その二つの矛盾は、このミッドガルという一つの都市の中に相反しながら
存在している。
両者は互いに嘲り、憎み、侮蔑し、時として羨んでいた。
非常にまれには、互いに接触することだってあった。
その確率はまるで奇跡並に低いが、時としては接触だってするのだ。
そして、この夜、そんな奇跡が起こったのだった。
☆
「……止めろ」
後部座席の男が運転手に言った。
運転手が横目でルームミラーをちらりと見る。
一瞬不思議不思議に思ったものの、すぐに車を減速していき、道路の端で
車を止める。
やれやれ……御曹司の気まぐれにも困ったものだ……
運転手はそんなことを思ったが、もちろんおくびにも出さない。
この街で神羅に刃向かうなど愚考そのもの。
それも相手が神羅社長の一人息子、ルーファウス神羅であってはなおさら
だった。
男、ルーファウスは窓をじっと見つめていた。
外は人々が吐く息も白く、歩き、走り、笑い、愛を語り、商売に徹してい
た。
完全防音された車内では、そんな様子は滑稽なピエロたちの舞踏に過ぎな
い。
その舞踏を、冷ややかなまなざしで見つめる男。
運転手が室内灯をつけると、窓にルーファウスの姿が写る。
金色の髪は小綺麗に整えられている。
切れ長の瞳。
クールな口元。
冷酷な、残忍な美しさを持つ顔立ちだった。
ルーファウス神羅。若き頃より帝王学を修し、その非常なまでの合理精神
は父であるプレジデント神羅を上回るともいわれている。
実際、運転手には、それがよく分かっていた。
人間性に欠けた男。
人間の優しさなどかけらもない男。
それが、運転手の男への評価だった。
たった一つのミスで自分は路頭に迷い、やがてプレートの下の世界へと転
落していくだろう。
ルーファウスが要求しているのは完璧な仕事、それだけなのだから。
「……少し、待っていろ」
相変わらず感情を出さない、冷淡な声。
「…は、はい!」
運転手の声の震えに、男の口元が一瞬ゆるんだ。
嘲りの笑い。
ピエロを見たときの笑い。
それをルームミラーで見た運転手の背中に、じっとりと汗が滲む。
「……待っていろ」
再び繰り返すと、ルーファウスは車のドアを開いた。
音が奔流となって車内に流れ込んでくる。
子供達の笑い声。
華やかな売り子の声。
車の音。バイクの音。
どこからか聞こえてくる音楽。
混ざり合った音の奔流。
……雑多の音だ。
ルーファウスは頭で思う。
ふん……私には似合わない…………
コートを取ると、男はゆっくりと音の中に踏み出した。
道をUターンすると足早に戻っていく。
道行く人々が、この街には不似合いな純白のスーツを不思議そうに見るが、
そんなことは男にとっては大した問題ではなかった。
凍りつくような北風に、男は歩きながらコートを着た。
その行為の最中も頭を占めていたのは、自分の愚行のことだった。
なぜ、自分は今ここを歩いているのだろうか?
ルーファウスは神羅にとっての命である魔晄炉の視察に来ていた。
そしてそれは本社へと戻る帰り道の出来事。
彼女に逢ったのだ。
車内の窓をなにげなく見ていたルーファウスの目に、その女性はあまりに
もまぶしく見えた。
舞い降りた、天使……
ふと、ふるくさい神話の一説を思い出す。
その瞬間、この男にしては珍しく予定を狂わせたのだ。
「……止めろ」
衝動的に言った一言。
……そう、ただの気まぐれだ。
道行く人々の笑い声。
遠くから響くなにかの音楽。
甘い、恋人達の調べ。
……男にとってそれらはは全て、ただの騒音だった。
すでに車からはかなり離れていた。テールランプの瞬きが、街のネオンと
夜の霧の中に紛れていく。
たしか……この辺りのはずだが……
そして、ふと思いとどまった。
気まぐれ?
………それだけなのか?
ちらり、と頭の中をよぎった考え。
……似ている………
遠い記憶。
忘れていた記憶。
それらにあと少しで手が届きそうだった。
そんな時、
☆
「ねえ、お花……買わない?」
後ろから聞こえた、澄んだ声に、ルーファウスは振り向いた。
………その目が、驚きに見開かれる。
意志の光の宿った瞳に直視されていた。
………その持ち主は、車の窓から見たのと同じ女性だった。
後ろで束ねられた栗色の柔毛。
神秘的な、どことなく憂いを秘めた表情。
美しいという形容を越えた、気品のようなものが全身から放たれている。
意志の光の宿った瞳。この街で、そんな瞳をしている者など珍しいことだ
った。
そして、この二人の瞳は共に意志の光を放つ瞳だった。
まるで……この世界の住人ではないような
ソウ…マイオリタ天使ノヨウナ………
そんな魅力が漂っている。
ヒトビトハテンヲアオギ星ノマタタキヲミタ
「お花……買わない?」
ルーファウスの目は初めて彼女以外の部分、彼女の持っているかごへと注
がれた。
かごの中には、赤い花、すでに名前すら絶えてしまったはずの花がたくさ
ん入っている。
……花など……無用の産物だ…………
いつものルーファウスが、頭の片隅でしゃべっていた。
しかし、実際に口に出たのは
「あ、ああ……」
口から漏れたのは吐息にも似たわずかな言葉だけ。
……花など…………
「……一本……くれ」
拒絶の言葉は喉元で霧散し、口から出たのはその一言だった。
絞り出すような声でそう言うと、怪訝だった女の顔がパッと輝いた。
そう……この笑顔だ………この笑顔は………
女性が値段を言う前に、ルーファウスは財布を開いていた。
この星で最も高額の紙幣、それを一枚取り出すと、女の目の前にかざす。
「……これで、足りるか?」
「え? ……う、うん」
あっけにとられたように頷く女に、ルーファウスは紙幣を渡そうとした。
「ちょっ、ちよっと」
驚きと困惑の声。
女は紙幣を受け取ろうとはしない。男から差し出される手を押し返すよう
にして拒んでいる。
「……どうした? これじゃ足らないか?」
苦笑したように男が言う。
「ち、違うわよ。反対!」
「反対?」
男がオウム返しに聞いた。
「そうよ。そんな大金、おつりが出せるわけ無いじゃない……」
笑みを交えながらも、毅然とした瞳で男を見上げる女性。
……美しい………
ルーファウスは、まるで魅入られたようになる。
そう、彼女は無上の美しさだった。
遠くで鳴っている音楽。
不思議と、その音楽が彼女とシンクロして脳で溶けていく。
まるで、極上のブランデーのような感覚だ………
空間が切り取られたかのように、世界が閉ざされたかのように思える。
雑踏という名の喧噪が、遠い世界のことに思える。
この感覚は、
…………そう……恋………
……恋? 一目惚れ? 世界の覇者となるはずの私が……恋だと?
一人ごち、その想いを否定しようとする。
だが、考えれば考えるほど……その想いは脳を占有していった。
……そして、その想いは懐かしい想いだった。
体に染みわたっていく感覚。暖かな奔流。
「おつり……、どうしようかしら?」
あごに手を添えて考えている女。
その様は、まるで彫像のように美しかった。
冒してはいけない禁忌。
触れれば壊れそうな、繊細な美しさだった。
そして、男にとって禁忌とはそれへの挑戦と克服とを意味していた。
だからこそ、自分自身すら予想もしなかった台詞が口をついて出た
のも自然なことなのかも知れなかった。
「……ああ………財布の中に、金の種類はこれしかない。だから…
…その……両替ついでに…………」
女の顔がこちらに向けられる。
その瞳が、真っ直ぐに男の目を見ていた。
鼓動が激しくなった。
男は瞳を逸らした。心の底まで見られるのが恐ろしかったから。
そして、言の葉を続けた。
「……一緒に……酒でも………」
言い訳だった。
それも、この上なく稚拙な言い訳。
……俺はなんということを……………
胸で、自尊心(プライド)という名の傷がキリキリと痛んだ。
そして、心持ち伏し目がちに彼女の表情を確かめる。
…………彼女は、にこ、と微笑んでいた。
「いいよ? 今日は特別な日だもんね!」
特別の日?
……二人が出会った、特別の日。
宿命付けられていた二人が出会った、特別の日。
街は再び雑踏の騒音に包まれ、本来の姿へと戻っていく。
まるでこの出来事は夢なのでは………男がそう思うのも、無理なことでは
なかった。
そしていつの間にか、どこかから聞こえてい来ていた音楽も止んでいた。
☆
大通りを男の車とは反対方向に少し行った所に、そのバーはあった。
しゃれた感じのワイン・バー。
木製のアーチ型のドアをくぐると入り口にはピアノが置かれ、まだ余り使
われていない鍵が光沢を放っている。
マホガニーで作られたカウンターは金で縁取りされ、高めの丸椅子が並ん
でいた。その奥には美しくカットされたグラスがワインジャンル別に並び、
店の淡い照明にキラキラと輝いている。
カウンターの隅には、地下へと続く階段があった。おそらくはセラーへと
続いているのだろう。
店内には、二人の他に客は居なかった。閉店間際なのか、レトロなアナロ
グプレーヤーも曲を奏でることを止めている。
「いいの? こんなとこ高いんじゃ……」
カウンターの席に着くなり、女が言った。
男はただ、薄く微笑んでいるだけ。
「……名前は?」
女の言葉を軽く無視すると、男は言った。
「え? そういえば……まだ言ってなかったっけ。……私、エアリス」
「ルーファウスだ。エアリス………きれいな名前だ」
褒められ、視線のやり場に困って俯くエアリスから視線を外すと、小綺麗
な身だしなみをしているバーのマスターへと目を向ける。
「…………なにか、飲みたいものは?」
問いかけると、エアリスは軽く肩をすくめて見せた。
分からない、という彼女の意志表示に優しく笑いかけると、男は静かな物
腰で言った。
「そうだな……シャトゥ=クリマンを一本。ヴィンテージの良いものを」
「……かしこまりました」
静かに礼をすると、セラーへと降りていくマスター。
「ワイン……詳しいの?」
エアリスがさも興味津々という風に訪ねる。
ルーファウスは、肩をすくめて応じた。
どちらともなく微笑む。
静かな夜。
静かで、そして暖かな店内。
しばらく、無言が二人を包んだ。
やがてセラーから戻ってきたマスターの手には、金色の液体の入った瓶が
握られていた。
グラスが置かれ、ワインの封印が解かれる。
トクトクトク……
静かな音と共に金色の液体が透明なグラスの中に落ちていき、カウンター
に金色の影を作った。
「きれい……」
波立つように揺れる金色の液体に、エアリスが感嘆の声を漏らした。
トクトクトク……
男のグラスにもワインが注がれ、貴腐ワインの甘い香りが漂ってきた。
「でも、こんなの高いんじゃ……」
エアリスの言葉は、最後まで続かなかった。
それは、ルーファウスが人差し指を立てると自分の唇の前に持ってきたか
ら。
その仕草は、そんな無粋なことは訊くな、と語っていた。
「………うん」
エアリスは頷くと、その代わりにグラスを手に取った。
グラスの中で、金のワインがゆるやかに揺れる。
そのまま、そっとルーファウスに微笑んだ。
女の考えを察し、男もグラスをとる。
「……二人の出会いに」
自分でも少しキザかと思ったが、臆せず口に出すルーファウス。
エアリスは再び微笑み、静かに二人グラスを合わせた。
チン……
澄んだ音は無限に室内を反響していく。
グラスを口へと持っていき、そして含む。
…………………………………………………………………………
「……美味しぃ!」
口内に広がる甘さに驚き混じりの声を上げるエアリス。
まるで、とびきりの果実を食べているような、そんな嫌みのない甘さが口
の中を満たし、喉を通って胃へと落ちていく。
蜂蜜に似た香りを鼻腔に感じながら、男は静かにグラスを置いた。
そして、エアリスに笑いかける。
「……それは、良かったです」
吸い込まれるような金色のワイン。
グラスは光を透かし、茶色のカウンターに金色の草原を創る。
まるで、天上の光のようだ………
そして、彼女は………
コノ光コソエイエンフヘンニヒルモヨルモ大地ヲテラシツヅケル
「……ねぇ………」
ドキッ!
急に話しかけられ、氷の男は激しく胸が鼓動するのを感じた。
「な、なんでしょう?」
努めて平静を装いながら、どもって男が答えた。
……愚かな(俺)…………
「……どうして、こんな事してくれたの?」
うれしさと困惑、そして疑念の相混じった声だった。
「……それは、あなたが……」
似ているから、と答えかけてルーファウスは気づいた。
似ている? 誰に? 彼女が誰に似ていると?
わき上がってくるあの記憶を封じるかのように、男が言った。
「……何となく、ですよ」
説得力のない言葉。
嘘。
「ふ〜ん。何となく、か」
悪戯めいた言葉を放つと、女はそっとグラスを摘んだ。
そのまま黄金を口元に運んでいく。
肌の白と、黄金の対比。
何か言おうとしても言葉が浮かばなかった。
いや、この女性に言葉など言う必要があるのだろうか。
天使に向かって、言葉など………
そう思った。
住んでいる場所すら聞いていない。
だが、それで良かった。
天使は……天国にいるんだ……
分かっているのは、天使が花を売っていたという事だけ。
花?
男の頭の中に一つの疑問が浮かんだ。
神羅の吸い上げている魔晄エネルギーは星の力。自然の生命力だった。
生命力を削られた星はやがて、死ぬ。
今や、このミッドガルを中心に星の生命力は減りつつあった。
その証拠に、ここ長年の間花は咲いていない。木々は立ち枯れ、プレート
の下の大地はひび割れているという。
花? 天然の花? ……どこに咲いている? この大地のどこに………?
「花、好きなの?」
ルーファウスの視線の先を見て、エアリスが言った。
「え? ああ。…珍しいな、と思って」
「でしょう」
エアリスが得意気に応じる。
無垢な笑顔。
「ええ。一体、どこで?」
「……ふふっ。ないしょ」
いたずらっ子のように笑うエアリス。
つられ、自然とルーファウスも微笑んでいた。
氷の男は、心の中に暖かいものが満ちているのを感じた。
(金で買えないものなどない!)
……親父のよく言う台詞だった。
そう、あの人が死んでからは、親父はその台詞で自分を誤魔化していた。
人が変わったかのように仕事に徹し、魔晄という名の不安定なエネルギー
の実用化を成功させた。
(金で買えないものなどない!)
そうだ……。帝王学でもそう教わった。
しかし……
頭の一部が囁いた。
金で買えないもの……一つくらいはあるんじゃないのか?
……と。
……では……俺は……神羅は何をしてきたというのだ?
次に男の口から漏れた言葉は、それを確認するためのものだった。
グラスに残ったワインを見つめながら、呟いた。
「神羅を……どう思う?」
女の動きが一瞬止まるのが感じられた。
きっと、顔からは優しい笑みが消えているだろう。
嫌いだ、そう言うに決まってるじゃないか。
……ふふ、そう言われて当然だ。
しかし、女から優しさが消えることはなかったし、女の口から出た言葉も
予想とは違っていた。
「……神羅の……やってることは良くないと思う…でも……神羅がやって
ることは……当たり前じゃないかな、っていう気もする………」
ゆっくりと、言葉を選びながら女が言う。
「だって……私だって、寒い日は冷たい水で顔を洗うより、お湯で顔洗い
たいもの。……だから……なんていうか……」
「……ありがとう」
エアリスに礼を言うと、ルーファウスはグラスのワインを飲み干した。
彼女の言いたいことは分かっていた。言葉に窮する理由も。
人の欲望は限りない。神羅はそれを手助けしてるだけ。
そう、神羅が世界を破滅させるのではない。
人々のどす黒い欲望が世界を破滅させるのだ。
神羅といえど、コストと利潤という枷にくくられていることでは変わりな
いのだ。
神羅が魔晄生産を止めれば、その瞬間にこの星の科学は消滅するだろう。
科学を享受してきた人類にとってそれは死を意味していた。
人に残された道は進むことだけなのだ。その中で新たなる可能性を探せば
よい。
それが、神羅の考え方。哲学であり、経営方針だった。
「もしかして、神羅の人?」
今度は男が言葉に窮する番だった。
自分の会社に誇りはある。だが……
「いや。知り合いが勤めていてね……。そいつがやたらとイメージを気に
するものだから……」
胸がチクリと痛んだが、なぜか本当のことは言えなかった。
「………ふ〜ん」
全てを見透かしているような返事。
当たり前だ。……なんたって彼女は………
その時、ゆっくりとマスターが言った。
「お客様……そろそろ、お時間でございます………」
「…………ああ」
ルーファウスは立ち上がると、財布をとりだし、紙幣を三枚カウンターに
置いた。
「……取っておけ」
礼をするマスターを後目に、二人は木製のドアを開けて外へと出た。
北風が身を裂く。
そして、男は天使の歌声を聴いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
後書き
いや・・まだ終わってないんですけどね(笑)
ども、お久しぶり(・・じゃない人もいるかな(笑))のひとりもの狼で
す。
あんまここで書くと、後編のネタばらしになっちゃうので、(そして、迂
闊に喋りやすい性格をしているので(笑))今回は戯れ言を言うのは自粛し
ます。
それでは、後編にてお逢いしましょう。
みゃあの感想らしきもの。