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遠くから聞こえる鐘の音で、ふと目が覚めた。それまでどんな夢を見ていたのかまるでわからない。
「ラーシス様、お気づきになりましたか」
最初はナシルか、と思ったが、声からして、彼女より十は上だろう女の声だとわかった。目を開けると、三、四人、ナシルと同じような格好をした人達・・・が私を見下ろしていた。
「ここは?」
私がそう言うと、彼らは顔を見合わせて、喜びの声を上げる。私は再度言った。
「すみません。ここはどこですか」
答えてくれたのは先ほどの女の人だった。
「神殿の中です。しばらくはここで休まれるように、と大司祭様から仰せつかっております」
「大司祭様というと?」
「ナシル様の事ですが」
不思議そうな顔をしてこちらを見てきたので、私は自分がしてはいけない質問をした事を後悔した。ナシルとは親しいのだろうラーシスが、この神殿の司祭である事を知らないはずがない。
「そうでしたね」と女の人から顔を逸らす前に、未だに鳴り続けるあの鐘が気になった。
「あの音は?」
「はい、近くで火事があったので、鐘を鳴らしているのです。でも、発見が早かったので、すぐに終わります」
「そう。どこが燃えたの」
「・・・商人の住む地区の方です」
彼女は答える前に幾分ためらいがあったが、どうも、私が先程のように、聞いてはいけない事を聞いたからではないらしい。
引っかかるところを、そのまま口にしてみた。
「被害はどれくらいなの」
私の勘は、どうも当たって欲しくない時に限って当たるものらしい。見る間に彼女の顔色が変わるのを見て、そう思った。
彼女が答えないので、私は自分で言った。
「大きいのね」
ためらった末に、女の人は頷いた。
「ナシル様もラボエガ様も、作業の指揮をとっていらっしゃいます。お二人は、我々だけでもラーシス様の側にいるように、と、・・・ラーシス様!?」
私は彼女たちを押しのけて部屋を出ると、見当をつけて走りながら自分の服装を見た。たぶん、このまま外に出ても恥ずかしくない。
ラーシス様、と呼びかける声を耳にしつつ、何度か行き止まりにぶつかりはしたが、出口はどうにか見つかった。外に出て、驚きのあまり、立ち止まった。
神殿は、街を見下ろす事のできる、丘の上に建てられているようだった。
炎は街中に燃え広がっていた。正確に言うと、風上の方、こちらから見て右側手前から、左側遠方に向かって、少しずつ燃え広がっていたのがわかる。
私は丘を駆け下りようとして、靴を履いていないのに気がついた。下駄箱を探そうとして、靴を脱ぐのが日本の特殊な習慣ということを思いだし、愕然とする。
背後から、ラーシス様、という声が近づいていた。・・・この際だ。仕方がない。
私は深呼吸すると、一気に草の生える丘を駆け下りた。すぐに煉瓦で舗装された道にぶつかり、そこから駆け下りる。走ってみると、思っていたより足の裏が痛くない事に気づいた。ラーシスも、こうして裸足で駆け回ったりしたのだろうか?
降り立ってみたが、逃げまどう人でごった返していて、どこへ行けばよいのかわからなかった。とりあえず、人をかき分けながら、風下の方へと向かう。
火の粉の降りかかる中を進むと、聞き覚えのある声を耳にした。ラボエガが、建物を壊す指揮を取っているらしい。駆け寄ると、彼を囲む人達の一人が私に気づいた。
「ラーシス様・・・!」
「ラーシスだと!?」
ラボエガは周りの視線の先、つまり私の顔を見るなり、ものすごい形相で怒鳴った。
「何を考えている。病み上がりの人間が来るところじゃない、一刻も早く神殿に戻れ」
「ちゃんと体は動けます。休んでいる場合ですか、これが」
ラボエガは一つ、大きなため息をつくと、すたすたと私の所まで来た。私の顔を見上げると、
「休んでいる場合なんだよ。お前は」
腹にラボエガの重い拳が沈む。避ける間もなかった。自然と、ラボエガの方に倒れる形になる。
「この程度もかわせないようになりやがって。・・・馬鹿が」
私を抱えながら、彼がそんなことを言ったように聞こえた。
前に眠っていた時は夢を見なかったが、今度は夢を見た。
筋のある夢じゃなかった。世界中の物がホットケーキの種のように一緒に混ざり合って、のしかかってきたような夢だったと思う。楽しいのか悲しいのか苦しいのか、よくわからなかった。
最後に見たものは、巨大な鍋の中でシチューを作っていて、その中に具として人間が次々と放り込まれている光景だった。私も放り込まれる行列に並んでいて、目の前で繰り広げられている事を人事のように思いながら、私は今から何人目で放り込まれるのだろう、と考えていた。そうして、最後に鍋がひっくり返り、こちらへ熱いシチューが流れてくるところで、夢が終わった。
どうして最後にそんな夢を見たのか、起きた時にすぐに分かった。寝ていた部屋中に、シチューのような匂いが漂っていたのだ。
「ラーシス」
ベッドの横にいたのはナシルだった。前見た時とは違う(作りは一緒ではある)服を着て、椅子に座っている。
「火事は・・・?」
「夜明け前に全て終わりました。街の四分の一は焼かれましたし、怪我人も大勢出ましたが、死者は二十人以内だろうと言われています。今は夕方で、ラボエガは自分の部屋で寝ています」
この人は、私が聞きたい事を、事前に全部言ってくれた。と、その顔が曇る。
「夕べ、ラボエガの所まで行ったそうですね」
「ええ」
殴られたと思われる箇所をさする。意外と痛くなかったのは、ラボエガがうまく手加減してくれたのだろう。気を失う前の彼の言葉の方が痛い。私はやはりラーシスではないのだ。ラーシスなら、あっさりとあの一撃をかわしただろうに。
「やっぱり、みんなに名前を知られている人間が、火事の時に安全な場所にいるというのはどうか、と思って。ほとんど何も覚えていないけれど、そうしたいと思ったから」
「・・・変わりがないのですね、ラーシスは」
ナシルがそう言ったのは意外だった。
「最初、体さばきを見た時は別人かと思いました。けれど、あの石像に敢然と立ち向かい、大火の中をラボエガの所まで駆けつけたというあなたは、間違いなく私の知る、恐れと諦めに負けぬラーシスです。あなたに群がる豪傑達は、今のあなたを見て落胆するかもしれません。けれど私は、・・・おそらく兄も」
目をつむったのは、泣きたいのをこらえようとしたためだろう。肩が震えていた。
その肩を見ながら、私は言った。
「あの火事は、ブノン・ロアの仕業でしょう」
ナシルはいささか冷たくこちらを見ると、頷いた。
「ブノン・ロアが、私たちがあの像にかかっている隙をついて、火を。あれは、炎を操ることを最も得意としましたから」
「そうなんだ。・・・」
そう答えた私に、ナシルはため息をつく。
「本当に、何もかも忘れたのですね」
その彼女に、私は今こそ聞こうと思った。
一体、ラーシスに何が起こったのか。
続く
お久しぶりの「揺りかごの勇者」です。決して忘れていたわけではなく、主人公をどうやって起こすか、という問題に頭を抱えていました。
結論は「叩き起こす」でしたが、火事の下りをもう少し何とかできなかったものかね、と自分でも思います。
さて、次はナシルの口から、なぜか主人公がその肉体を操っている、一人の戦士の過去が明らかになるはずなのですが、それはいつになる事やら。
読んで下さっている皆さま、申し訳ありませんが、首を長くしてお待ち下さい。それでは。
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