【Fallin Angel】

 

作・zeroさま


【出会い】

 

「ふう・・・」

軽くため息を一つ吐く。12月に入って数日、先週までの暖冬とはうって変わ

っての真冬日・・・吐く息の白さが札幌の寒さを実感させてくれる。

冷え切った空気の中、アスファルト覆う雪の冷たさが、俺の足に直に伝わって

くるようだ。

「はぁ・・・」

貧乏フリーターが買えるジャケット程度では凌げないほどの寒さに、俺はふた

たびため息を吐く。

「もうすぐクリスマスか・・・」

ふとそんな事を口にしてみる・・・

一人暮らしを始めて半年以上経つが、家族が恋しいと思った事は一度も無かっ

た・・・

それでも、こんな寒さと空虚さが同居するような日には、嫌がうえでも人の温

もりを求めてしまうのか・・・

−愛されていなくても、家族は家族か・・・

そんならしくない思いに、俺は一人苦笑しながら家路を急いでいた・・・

 

路地裏に入り、街灯の明かりさえ届かないような、暗く静かな路の新雪を踏み

しめながら歩いていくと、俺は奇妙な光景を目にした・・・

人が寝ているのだ。それもダンボールとかにくるまってではなく、コート一枚

羽織って・・・である。浮浪者かと思えばやけに小奇麗な服を着ていて・・・しかも女

の子だった。

見た感じ酔っている様子も無く、まるでベッドの上で丸くなっているような寝

かただ。

「おい、大丈夫か?」

老婆心にも声をかけてしまう。普段は浮浪者の類を見かけても無視をしている

のだが、この女の子に限ってはそんな事は出来なかった。どうも見ても、浮浪者

には見えないのだ。

−家出少女か?

そんな事を考えていると、おもむろにその娘は起きだした。

「・・・?」

小首をかしげる少女・・・目はまだ開ききっていない。生まれたばかりの仔猫のよ

うな印象を受ける。俺はその娘の前に腰を下ろしてみる。

「おはよう」

 俺は、何の気もなく間抜けな事を口走っていた。何も、考えることが出来なく

なったみたいだった。それほどまでに、この少女は可愛らしかった。

少女・・・とはいっても、おそらく年は16かそこらだろう。だが、眠い目をこす

りながら小首をかしげる様は、どうしても少女という感じがする。

「おはよう・・ござい・・ます・・・ん」

どうやら、その少女は寝ぼけているらしく、俺の間抜けな問いにきちんと応え

てくる。

可愛らしい声だった。

「そんな所で寝ていたら風邪をひ・・・」

俺が言うか言わないかのうちに、その少女は再び目を閉じる・・・

−やれやれ・・・

俺はこの娘をどうするか迷った。家出ならば警察に行った方が良いのだろうが・・・

少女の可愛らしさに少し戸惑う。

ぽす・・・

再び意識を失ったその少女は、支えを求めるようにしてその体を俺に預けてきた。

 すうすうという可愛らしい寝息が耳に心地いい・・・はたから見れば抱き合ったい

る様に見えるかもしれない。

「しょうがない、いったん部屋に連れてかえるか・・・」

俺は誰とも無しに言い、少女を背負った。

少女は思いのほか軽く、弾みをつけた俺は少しよろめく。

−おっとっと・・・

一人ふらつきながら、少女の可愛らしい寝息を耳のそばで感じつつ、俺は家路

を急いだ。

 

 

俺だけの空間・・・一人だけの空間・・・

誰の帰りを待つわけでもなく、いつも寒々とした印象を与えていた俺の部屋。

帰ってくるたびにうんざりとしていたこの部屋に、今はいつもと違う色がした・・・「すぅ・・・すぅ・・・」

ベッドの上で少女が可愛らしい寝息を立てている。

−こんな素性も知らない娘を連れ込むなんてな・・・俺もやきが回ったかな?

少女を眺めながら、自分のとった行動の意味の大きさを感じていた。

−起きたらすぐに家に返さないとな・・・

そう思う事で自分に免罪符でも与えた気になったのか、俺もソファの上でいつ

のまにか寝息を立てていた・・・

 

−・・・ん?

ふと目が覚める、時計を確認すると・・・

−4時20分・・・いつのまにか寝ていたのか。

口を開けて寝ていたのだろうか、ひどく喉が渇く。俺は立ち上がって冷蔵庫か

らビールを取り出す。その時、ベッドの上に少女がいない事に気づく。

−!!!?いない?

一瞬焦ったが、焦ってもしょうがない事だ。中から鍵は外せるし、得体の知れ

ない男と同じ部屋で寝ていたのにはさぞかし驚いただろう。

−弁解の一つもしてみたかったが・・・

何故そんな事を思ったのかわからないまま、俺は胃にビールを流し込む。

がちゃ・・・

その時いきなりドアが開き、驚いた俺は咳き込んだ。

「ごほごほっ・・・」

ドアの前には少女が立っていた。今度はしっかりと目も開いている。俺の方を

じっと見つめる・・・

その少女は可愛らしかった。まるでグラビアを見ているかのような錯覚さえお

ぼえる。

さらさらのロングヘア。染めた形跡など見当たらず、純日本的な奇麗な黒色の髪・・・

顔は小さく、少し瞳が潤んでいるようにも見える。口元も可愛らしく、まさに

美少女といった形容がぴたりと当てはまる。

そんな少女が手を前で交差させながら俺の方を見ていた。

「・・・あなたは?」

先に口を開いたのは少女の方だった。あと数秒遅ければ、俺の方から聞いてい

ただろう。

「おれは俊也・・・一応フリーターだ。」

「・・・・・・・・・」

少女は俺の目をじっと見つめる。

「何故ここへ連れてきたの?」

立て続けに質問してくる少女に、俺は質問してみる。

「その前に名前を聞かせてもらえないか?」

「連れ込んできておいてそんなことを聞くんですか?」

少女の目は怪訝そうに俺の目を見つめる。まっすぐに・・・しっかりと俺の目を捕

らえて離さない。

「黙ってここに連れてきたのは悪かったと思っている。」

「ただ、あんな格好で外で寝ていれば、誰だって何とかしようと思うさ。」

少女はまだ警戒している。当然といえば当然だが・・・

「それなら、起こしてくれるだけでもよかったのに・・・」

「一応起こしてはみたんだが、また寝てしまっただろう?」

少女は少し考える。そのしぐさもやけに可愛く見える。

−俺はこの娘をどうしたいんだ?

自分の思いもわからないまま、少女との問答が始まる・・・

 

20分後、どうやら俺の事は信用してもらえたらしい。

少女の名前はみゆ。18才で孤児院に住んでいたと言う。施設の生活に辟易し

て、飛び出してきたという事だ。

みゆが路地裏で寝ていたのに理由はないらしく、ただ歩き疲れてあそこで倒れ

たらしい。

よく凍えなかったものだ。

「ごめんなさい・・・助けてくれたのに、失礼な事を言って・・・」

みゆは本当に申しわけなさそうに頭を下げる。

「別に気にする事はないさ、いきなり見知らぬ男と二人きりなら誰だって警戒す

る。」

「それよりも、これからどうするんだ?どこか行く宛てでもあるのか?」

俺の問いにみゆはもの寂しげな顔をする。孤児なのだから行く宛てなどあるは

ずが無いのだ。

「すまない、失言だった・・・」

「いえ・・・」

なんとなく気まずい空気が流れる。みゆは何かを言いたげだし、俺もみゆに提

案があった。

−ま、なるようになるか・・・

「なあ・・・」

「あの・・・」

「・・・」

「・・・」

さらに空気が重くなる。次に口を開いたのはみゆだった。

「あの・・・もしご迷惑でなければ、しばらくここにいてもよろしいでしょうか・・・」

みゆは終始すまなそうな顔をし、語尾はだんだんと小さくなっていく。

「いくつか条件がある」

「あ、あの・・・私、持ち合わせは・・・」

−よくそれで家出をする・・・

正確には家出ではなく、施設脱走なのだが、まぁこの際どちらでもいい。

「お金の事はかまわない。ただ、その代わりといってはなんだが、家事全般をや

ってもらえないか?」

「え、それだけでいいんですか?」

「ああ・・・君が家事全般をしてくれれば、あとの生活費は俺が何とかするから。」

「ありがとう・・・」

みゆの顔は本当に嬉しそうだった。事実、家事から開放されればかなりの時間

が出来る。バイトを一つ増やす事も、今のバイトの時間を延ばす事も出来るだろ

う。

「あ、でも・・・」

「なんだ?」

「もしそれならば、新聞配達ぐらい・・・出来ますよね?」

「ん?ああ・・・出来ないことはないと思うが。」

「私も働いてみたいです。働かせて下さい。」

彼女なりに考えがあるのだろうか、いや、単に働いてみたいだけなのかもしれ

ない。

「大変だぞ?新聞配達といっても、この時期には重労働だ。」

「それでも構いません。」

「・・・・・・」

「居候させてもらうんですから、少しでもお役に立ちたいんです。」

家事をしてくれるだけでも、役には立ってるんだが・・・

「だめ・・・ですか?」

なかなか返事をしない俺にみゆは少し不安気な声を出す。

−どう見ても18才には見えないな・・・

「あの・・・?」

「・・・ふぅ、わかった、君にも働いてもらうよ。」

「本当ですか?ありがとう・・・」

みゆの笑顔は、見ているものまで嬉しい気分にさせてくれる。八畳一間のぼろ

アパートに、一足早い春が来たかのようだ。

こうして、奇妙な縁で出会った、俺とみゆの共同生活が始まった・・・

 

【同棲】

 

ピピピピッピピピピッ

「うん・・・」

ピピピ・・ガチャ

俺は目覚し時計に手を伸ばし、時計の頭を叩く。冬の朝は起きるのが辛い。

ふとベッドの方を見るとみゆがいない。

−まだ帰ってないのか。

みゆは朝と夕の新聞配達をしている。俺はどちらか片方だけでいいと言ったの

だが、彼女は働けるだけ働きたいと言った。どうもみゆと話していると、どこか

がずれているような気がする。

−初対面の男と同棲する事に抵抗を感じないのか・・・

俺の事を信用してくれているのか、世間知らずなのか・・・だが、孤児であるとい

う事はそれなりに厳しい人生を送ってきたはずだ。

−彼女は純粋なんだよ・・・

ふとそんな思いが急速に広まり、俺の思考の大半を埋め尽くす。6時30分、

俺は再び眠りの中に落ちていった。

 

共同生活が始まって数日、バイトから帰ってくるときには、俺の部屋に明かり

がついていた。

玄関の前まで来ると、扉の向こうからいい匂いが漂ってくる。

−いいものだな、誰かが迎えてくれるというのは・・・

「ただいま・・・」

「あ、おかえりなさい俊也さん。」

「もう少し待って下さいね。あと10分くらいでお料理が出来ますから。」

「ああ・・・」

みゆは料理が上手だった。レパートリーも多く、驚かされる。聞けば、施設で

料理を作っていたのはみゆだったらしい。そのみゆが家出をしたのでは施設も大

変だろうと思ったが、どうやら料理の技術は上から下へ、受け継がれているそう

だ。

そういう孤児院での生活については、みゆあまり話したがらない。当然といえ

ば当然か・・

「出来ましたよ。特製シチューです。」

満面の笑みを浮かべるみゆの姿を見て、家族とはこういうものなのだろうかと

考えていた・・・

「いただきます。」

みゆの料理の上手さは折り紙付きだ、不味いわけがない。このシチューもただ

のシチューではなく、いろいろと隠し味が効いているらしい。

「どうですか?」

「うん、美味いよ。きょうび、ここまで料理が出来る娘はそうはいないだろうな

。」

「くす、ありがとうございます。いただきまぁす。」

みゆは俺のオヤジくさい誉め言葉にも素直に喜んでくれる。みゆと一緒の食事

は、今まで食べてきたどんなものよりもおいしく感じられた。

「そういえば、俊也さんの御家族って札幌ですか?」

「いや、函館のほうだよ。歯牙ないサラリーマン一家さ。」

へぇ・・と、妙に感心するみゆ。

「どうかしたのか?」

「え、ううん、なんでもないです。」

そう言ってみゆは口元にスプーンを運ぶ。

「年末とかはどうするんですか?やっぱり帰省するんですか?」

みゆは少し寂しげな顔で聞いてくる。気になるのだろう。

「いいや、家には帰らない・・・」

「え?」

「帰れないんだ。」

みゆはきょとんとした顔で俺のほうを見る。目がくりくりしていてどんな表情

を見せても可愛く見える。

「・・・・・・」

「・・・みゆには言っておくか・・・」

みゆは少し身構えて俺の次の言葉を待つ。

「そんなに身構えるような話じゃないさ。ただ、今年の春に勘当されたんだ。そ

れだけだよ。」

俺の言葉に何か言いたそうなみゆだが、なかなか口に出せないでいる。

「どうした?」

俺は話しやすいように促してみる。

「あの、その・・・」

「言ってみなよ。どうした?」

みゆは言いずらそうにしている。よほど聞きずらいんだろう。

「なに、理由は簡単さ。俺の上に兄がいてね。なかなか優秀な奴なんだが、いつ

も兄貴と比べられてた俺は、去年の受験期にぶち切れちまってね、どこも受験し

ないで札幌に来たのさ。」

「そうなんですか・・・」

みゆは寂しげに続けた。

「寂しく・・・無いんですか?」

俺は、ゆっくりと目線をみゆに合わせる。みゆはじっと俺の目を見つめる。

「ああ、寂しくはないね。さすがに年の瀬が迫ってきた最近はぐっときたかもし

れないが・・・」

「今は目の前にみゆがいるしな。」

「私は、俊也さんにとって必要な存在ですか?」

突然みゆはそんなことを聞いてくる。多少びっくりしたが、俺は・・・

「ああ、みゆは俺にとってかけがえのない存在だよ。」

と、がらにもないクサイ台詞を喋っていた。

その言葉に感動したのか、みゆは少し瞳を潤ませている。

「おいおい・・・」

「あ、ごめんなさい・・・でも、嬉しくて。」

「早いとこシチューを食べちまおう、冷めちまう。」

「はい。」

みゆと出会ってから一週間、俺は自分がだんだん丸くなっていくのに気づいた。

 

みゆとの生活は楽しかった。朝起きれば朝食が出来ていて、寝坊しそうになれ

ばみゆが起こしてくれる。バイトが終わって帰ってくれば、部屋には明かりがつ

いていて、みゆが夕食を作って待ってくれている。そしてまた次の朝が来る・・・

−このままの時間が続けばいいのに・・・

俺はいつしかそんな保守的な考えをしていた。まるで家族を持った者のように・・・

「俊也さん、24日は何時に帰ってこれますか?」

いきなり目の前にみゆの顔が現れてびっくりする。

「やだ、そんなに驚かないで下さい。もう・・・」

「すまない、それで、24日だけど・・・どうしようか、空けておくことも出来るが

?」

「ほんとうですか?」

みゆは嬉しそうに手を叩く。その光景が微笑ましい・・・

−オヤジくさくなっているな、俺。

「じゃぁ、俊也さん、24日は二人ででーとに行きませんか?」

「でーと・・・ああ、デートね。そうだな・・・いいな。そういえば二人で出かける事

と言ったら買い物ぐらいだったもんな。」

「そうですよぉ・・・」

ちょっとすねた顔をするみゆ。でも、次の瞬間には太陽のような笑顔を覗かせ

る。

「じゃ、決まりですよ。24日にでーとしましょう!」

俺はいつまでもこの幸せな時間が続くものだと信じて疑わなかった・・・

きっと、みゆも・・・

 

【現実】

 

12月20日、その日は記録的な大雪が降り、札幌市内の全交通網が遮断され

ていた。

無論、俺のバイトも、みゆの新聞配達も中止になり、二人でみかんを食べながら

テレビを見ていた。その時・・・

どんどんどん!!

どんどんどんどん!!

「誰か来ましたよ!?」

「こんな大雪の日に?いったい誰が?」

どんどんどん!!

どんどんどんどん!!

こんな大雪の日にNHKの集金が来るとは思えない。そして、それ以外に俺の

家を訪れる必要のある奴なんかいないはずだ

「だれだ?」

「私だ・・・ここを開けなさい。」

その声に聞き覚えはあった。

「な、何しに来たんだよ!?親父!!」

「!!?」

後ろでビックリしているみゆが容易に想像がつく。ゆっくりと振り返ると、案

の定みゆは目を丸くして俺のほうを見ていた。

「いいから開けなさい。寒いんだから。」

こんな日に連絡も無しにやって来て、寒いから開けろというのも勝手なもんだ。

しかも、勘当した息子の所なのだからなおさら・・・

「はやく開けて・・・」

「おふくろ!?」

−おいおい、なに夫婦揃ってこんな所に・・・

一種の怒りに似た感情を伴いつつも俺はドアを開けた。

ビュゥッ!!

風が吹き抜ける。親父はすぐにドアを閉める。そして、部屋を見渡し、開口一番

・・・

「この、大馬鹿者!!!」

と、俺に殴りかかる。・・・とはいっても、当たるはずもない。年も違えば、日頃

の運動量も歴然としている。親父のこぶしは虚しく空を切った。

「なにすんだよ!?いきなり。」

親父は顔を真っ赤にしていた。寒かったから・・・では無さそうだ。親父はみゆの

方を見て一言・・・

「さあ、帰りましょう、お嬢様。お父上がお待ちしております。」

−なんだって!!!?

その時、俺の横を何かがすり抜けていった。みゆだ。みゆは俺の脇をかすめて

大慌てで外へ飛び出していった。外は荒れ狂う雪でみゆの姿は既に見えなくなっ

ていた・・・

 

「みゆ!!」

俺も大急ぎでみゆを追う。みゆの行ける所といえば、近くのコンビニとスーパ

ーと公園ぐらいだ。俺は一番近くのコンビニを覗いてみる。

−客はいないか・・・

一応、中に入って店員に聞いてみるが、ここ数時間、客は来ていないそうだ。

吹雪は絶え間無く俺のからだを叩き、顔がしびれるほど痛い。俺はコートを着

ているからまだマシだが、みゆは部屋着のまま飛び出していった。下手をすると

最悪の事態になりかねない。

「みぃゆぅ!!!」

大声で叫ぶが、その声は虚しくも荒れ狂う雪に吸い込まれてしまった。やむよ

うな気配はない・・・

−みゆ・・・どこに行った!?

公園の前まで来た所で、俺は人影を見つけた。風を遮るように、巨木の下で女

の子が凍えている。

−そういえばここ・・・みゆと初めて出かけた公園だよな・・・

冬道を全力疾走してきたせいで、俺の息はかなり弾んでいる。

あれだけ吹雪いていた雪は、いつのまにか止んでいた・・・

「俊也さん・・・」

「心配したぞ・・・そんな格好で外に飛び出すなよ・・・」

そう言いながら俺は、自分の着ていたコートをみゆに羽織らせた。

「あったかい・・・」

コートの裾をつかんで、みゆは小さくつぶやいた・・・

「ごめんなさい・・・俊也さん・・・」

「いったいどうしたんだよ?どうして親父がみゆのことを知っていたんだ?」

「・・・・・・・・・」

みゆは押し黙って、静かに目をつぶる・・・

−結局・・・俺は彼女のことを何も知らなかったということか・・・

「とりあえず、このままじゃ風邪をひいちまう。いったん部屋に戻ろう。」

連れて行こうと、肩に手を回すと、みゆはどこか悲壮感の漂う声で話し出した。

「私は・・・」

捨てられた仔猫のような眼差しで俺を見つめるみゆ・・・

俺は黙ってみゆの言葉に耳を傾けた。

「私は、本当は孤児なんかじゃないんです・・・」

さっきの親父の一言で、それには気づいていた。気づいてはいたが、実際にみ

ゆの口から直接聞かされると、いくぶんショックを受ける。

「私の父は、ある大きな会社の社長で・・・私は、その父の一人娘でした。」

−社長令嬢・・・みゆにこれほど似合わない肩書きはないだろうな・・・

「その父から、先月・・・見たこともない男性との婚約を知らされてました・・・」

みゆの口から聞かされた事実のせいか、俺は軽いめまいを覚える。こんな事は

初めてだ。

「政略結婚っていうんですか?そのために、私は話をした事も、見たことさえな

い男性と結婚することになっていたんです・・・」

語尾がかすれる、みゆは目に涙を溜めていた。そんなみゆを、俺は優しく抱き

しめる。

「ぁ・・・・・・」

「・・・・・・」

みゆの震えは、寒さだけのものでは無いだろう。腕の中でか細く震えるみゆを

いとおしいと感じる・・・

「私は・・・嫌だったんです。見たこともない男性といきなり会わされて、その人と

結婚しろって言われるのが・・・」

「・・・・・・・・・」

俺は黙ってみゆを抱きしめるほかなかった。みゆはなおも話を続ける。

「そんな結婚なんて・・・それじゃぁ私は会社の道具なんですか?父の娘ということ

だけで、私には何も選択することが出来ないんですか!?私の気持ちは!?私の

想いは?」

みゆの感情が高ぶっていくのが手に取るようにわかる・・・

「その時私は、父が私の事を愛してくれていないことに気づきました・・・」

それは違うだろう・・・こんなに純粋で優しい娘を、そんなものの為だけに結婚な

んてさせないだろうと思う・・・

自分の子供を・・・娘を愛さない父親がどこにいるというのだ。

きっとみゆの親父さんは、みゆに将来なに不自由無く暮らしてもらいたかった

のではないだろうか?

ただ、やり方を間違えただけなのでは・・・

「俊也さん?」

みゆの声に俺はその考えを振り切った。

−ここでみゆの父親を理解してどうする・・・

俺は平静を装って、みゆの話しに合わせた。

「それで家を飛び出して来たのか・・・」

「はい・・・函館からここまで来るのにお金をほとんど使ってしまって・・・」

「行き倒れていた所を俺が見つけたわけか。」

「・・・俊也さん、私、父の所になんか戻りたくない!」

みゆの声は次第に大きなものになって来た。

「私は・・・見ず知らずの人と結婚なんかしたくない!!」

「・・・・・・・・・」

「私は・・・私・・・うっうぅ・・・」

感極まったのか、みゆはとうとう泣き出してしまった。

「みゆ・・・」

「いったん家に帰ろう・・・ここにいても埒が明かないよ。」

「・・・・・・式は・・・」

みゆは小さな声でぽつりとつぶやいた。

「ん?」

「式は・・・24日なんです・・・」

ビュゥゥゥッ!!!!

その時、一陣の突風がみゆを覆っていたコートを宙に飛ばした・・・

「なんだって・・・」

「・・・嫌です、私は・・・」

「・・・・・・・・・」

いきなり日取りを教えられたせいなのか、はたまた猛吹雪の中、服一枚で立っ

ていたせいか、俺はその場で気を失っていた・・・

「?」

「俊也さん?」

「俊也さん!!?敏・・・」

みゆの声が心地よかった・・・

 

−・・・・・・・・・

ゆっくりと目を開く・・・

軽い頭痛とめまいを覚えながら、俺はゆっくりと起き上がった・・・

「ここは・・・」

見覚えのある風景だ・・・

−俺の部屋・・・か?

台所のほうから、トントンと包丁の軽やかな音が聞こえてくる・・・

「みゆ!!」

俺は無意識のうちに叫んでいた。

「み・・・!!?」

「目が覚めたようね。」

そこにいたのは、みゆではなくおふくろだった・・・

「おふくろ・・・」

俺が家を出ていく時、唯一気を使ってくれたおふくろ・・・

「みゆお嬢様は、昨夜の最終の特急で帰ったわよ。」

−・・・・・・・・・

目の前の視界がぼやける・・・

部屋の景色が歪み、母親の立っている所がわからなくなって来た・・・

「俊也・・・」

おふくろのその言葉で、俺は自分が泣いている事に初めて気がついた・・・

「みゆ・・・」

俺は・・・きみに言い残した事があるのに・・・

俺は・・・きみを・・・

ふたたび俺は深い眠りについていった・・・

 

【舞い降りた天使】

 

「ふう・・・」

軽くため息を一つ吐く。もう年の瀬も近い12月24日・・・クリスマスイヴだ。

すれ違う人々は、心なしか顔がほころんでいる。恋人同士で歩いているもの。家

族を待たせているもの・・・

みゆがいなくなったあの日から、俺は初めてみゆと出会ったあの裏路地を毎日

通っていた・・・

無論、途中に行き倒れた女の子はいないし、その路から見える俺のアパートの

部屋の明かりも、ついている事は二度となかった・・・

誰の帰りを待つわけでもなく、ただ、そこにあるだけの部屋。

みゆがいなくなってからの4日間、俺は家に帰るのが嫌だった。誰もいない部

屋の扉を開けるのは、苦痛のほかなんでもなかったからだ・・・

−俺とみゆの、あの2週間はなんだったのだろう・・・

みゆ・・・俺にひとを愛することの温もりを思い出させてくれた娘・・・

 

ガチャ・・・

ドアの鍵を開ける。中は真っ暗で寒々としている。

「ふう・・・」

軽くため息を吐いて、電気のスイッチに手を伸ばす・・・

パパンパパン!!

「メリークリスマァス!!!」

「・・・・・・・・・」

そこには・・・

「お帰りなさい、俊也さん。」

そこには・・・

「もう、遅いんですから・・・待ちくたびれましたよぉ。」

そこには、まぎれも無くみゆが立っていた。あの可愛らしい笑顔を見せて・・・

がばっ

「あ・・・」

俺はみゆを抱きしめていた、靴を脱ぐのも忘れて・・・

「おかえりなさい。俊也さん・・・」

いつもの笑顔、みゆの笑顔・・・

「ただいま・・・みゆ。」

ただいま・・・

 

END

 

zero

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