『神の運びし福音よ』



第2話:見知らぬ天井<前編>(碇シンジサイド)

writing by WIND-FOLLOW











 リフトから降ろされ、不安定に立ったままのエヴァ初号機。

 今が無風状態にあったのは幸いな事なのだろう。そよ風であっても倒れかねない、見ている者の殆どはそう思っていたに違いない。

『シンジ君。感動しているところ悪いんだけど、時間がないの。

 エヴァを早く動かしてみて』

 ミサトもそう感じていたのだろう。指示の中に、早く動いて、動いてちょうだいという気持ちがありありと感じ取れる言葉である。

「え、でもどうやって?」

 プラグの中にもどうにか慣れてきて、思考も今まで通りとまではいかないが、きちんと回転しだしたシンジが聞き返す。

 飛行機や車の様な、操縦桿やハンドルは見あたらない。あるのは、使用方法もよく分からない取っ手だけ。

 取り敢えず、これを握る位はシンジにも分かった。

『とりあえず歩く事だけ考えて』

(歩く…歩く…歩く…)

 言われた通りに、歩く事だけを思い浮かべるシンジ。

 しかし、いつも無意識に近い行動を考える事は、意外と難しいのだ。まだ、『走れ』と言われた方が思い浮かべやすい。

(歩く…歩く…歩く…)

グググッッ………ドォ…ズゥゥゥン!!!!

 待つ事暫し。

 漸くエヴァが動き出したのは、指示を出してから二十秒弱。

 ネルフの職員の中には固唾を飲んで見守っていたのか、踏み出すと同時に安堵にも似た息を吐く者もいた。

「おおぉ…!」

「動いた…!」

 見ていた者は、口々にそう漏らす。

「……歩いた」

 いつもは憎いくらいに冷静なリツコでさえ、そう漏らしたぐらいである。

 冷静とは縁の薄いミサトに至っては、小さなかけ声と共に、小さくガッツポーズを決めていたりする。

「良かったな、動いて」

「ああ…」

 そんな半分お祭り騒ぎの発令所の中で、唯一冷静さを保っていた二人はそう会話する。

 動くだけでなく、その先の事を見ているからかもしれない。

 …戦う、という事を。






『よぉしっ!』

 マイクの集音部を握っていたためか、比較的小さく籠もったミサトのかけ声がシンジの耳にも届いた。

(本当に動いたんだ…)

 言いようのない興奮に包まれるシンジ。一番興奮しているのは自分ではないかとも思えてくる。

 一度動かす事が出来れば、二度目は比較的簡単である。

 初号機は二歩、三歩と順調に足を進めていく。

『その調子よ、シンジ君』

 ミサトの励まし。

 が、その励ましの声に気を向けたシンジは、そのまま転ぶ事になる。

『なんで誉めた途端に転けるのよ!

 シンジ君、早く立ちなさい』

 今度は叱咤。

(ミサトさんのせいだよ…)

 と思いながらも言い返せないシンジ。ひとまず立ち上がる事を考える。

『もう少し練習時間をあげたいのだけど、もう時間がないの。

 気持ちの準備はいい?』

 ミサトからマイクを受けとった(奪った?)リツコが代わって説明する。

 後ろの方からミサトの声が聞こえてくる。これはまだ使徒が来ていない事も手伝い、ミサトに冷静さが戻るまでの一時的処置なのだろう。

「た、多分…」

 起きあがったシンジの目には、先ほどまで見えなかった自分と同じ大きさのモノがこっちに来ているのが映った。

「あの…あれとどうやって戦うんですか?」

 相手が今のところ一番気を遣わなくていいミサトでは無いために、シンジの口調は固めである。

『格闘するの』

 実に簡潔な一言。実際、プログレッシブナイフ以外の武器は現在使用出来ないためである。

「僕、喧嘩弱いんですけど…」

 予想通りの返答。傍目から見ても、シンジは強いとは思えないだろう。

『気力で戦うのよ!』

 いつの間に復帰したのか、ミサトがそう力強く説明した。

(そんな無茶な)

『ナイフは肩の部分に納められているわ。

 使徒はもうすぐ来るから、構えておいて!』

「わ、分かりました」

 接触するまで後三十秒もない。

 先ほどまでの緊張しているけれどどこか気の緩んだ状態ではなく、喩えるなら、今は切れる寸前まで張りつめた生糸の弦なのだろう。

 弾けばより高い、澄んだいい音が鳴りそうである。

 そしてシンジは、初めて使徒と対峙した…









『今までの情報から、胸にある赤い部分が弱点よ。

 シンジ君、あの赤い部分を狙って頂戴』

 既に使徒と対峙して一分近く経つ。喧嘩という事をしていないシンジは、格闘するのに必要となる『場数』が全く足りない。

 どこからどの様に攻めると良いか。という行動を無心得者に期待するのは無理である。それは十分承知のミサトは、分かりやすい箇所を狙えるよう教えていた。

 シンジにフェイント等を期待する事は出来ない。以前にフェイントが使徒に効くのかどうかも分からないのだ。

 初号機と使徒との睨み合いが続く。

「う…てぇぇい!」

 腰が引けているのがよく分かる掛け声で初号機は使徒に体当たりを敢行する。

 手にしたナイフは紅球に向けて構えられており、ミサトの言をよく聞いていた事が伺えた。





キイィィン…ズドォッ!





 初号機はコントよろしく、思いっきり壁の様なものにぶつかった反動で仰向けに倒れこんだ。

『A.T.フィールド!?』

『シンジ君、早く起きあがって。

 使徒を狙える兵装ビルは精密射撃。エヴァに当てないよう気を付けて。

 …戦自!何のためにここにいるのよ!』

 回線から聞こえるリツコとミサトの声。ミサトの後半の言葉は、近くを飛んでいる戦闘機に向けて言ったのだろう。

(ミサトさん、怖いなぁ)

 そう思う事で意識をそちらに向ける。ちょっとした現実逃避である。

 周りでは複数のミサイル音。

 数少ない迎撃装置と戦闘機の攻撃であるが、あまり効果がないようだ。

 いや、戦闘機の方に注意が向けられている分効果はあるのかも知れない。

 その様な中、シンジは使徒の身体にいくつかの傷を受けているのを見つけ出した。

 行動に制限が掛かるほどのダメージは負っていないようだが、今までNN機雷以外無傷であった使徒に対して、傷を負わすと言う事は大変な事である。

『こらっ!そこのパイロット!

 ぼけっとしないっ!』

 数機ある戦闘機の中で一際目立つ紅の機体。その戦闘機から声は聞こえた。

 外部スピーカーでもあるのだろうか、移動しているために若干のドップラー効果を効かせながら叱咤している。

『ほらっ早く立ち上がる!』

 また同じ声。初号機は手をついた状態から起きあがろうとしているところである。

 しかしこの状態は、立っている時よりも弱く動きも遅い。

 使徒が伸ばしてきた手を避けようとしても、体重の乗った腕では難しいのだ。





ダァン…!





 先ほどから叱咤していた戦闘機を初めとして、確認できる中で半分ぐらいの戦闘機から一斉にミサイルとも銃弾とも取れる物を使徒に向かって撃ち放つ。

 その内の二割ほどが、使徒の張っているフィールドをすり抜けて、身体の表面に食い込み、新たな傷を創る。

 そのおかげで初号機は使徒による一度目の掴みを回避できたが、早く起きなければ今度こそ捕まってしまう。

 しかし、ここで先ほどの場数の差が出てしまう事になった。

 と言うよりも、シンジ自身が至近距離で起きたそれに驚き、再度腰を落としてしまったのだ。

『シンジ君!早く避けて!左っ!』

 ミサトの指示に従おうとするが、半ばパニック状態では、上手くこなす事は出来ないだろう。肉体の操作でなく精神を介しての操作は、パニックに弱い。

 嫌なほどあっさりと、使徒に右腕を捕まれた。

 万力以上の力で締め上げられる初号機の腕。

「痛い痛い痛いっっっ!!!」




「落ち着いてシンジ君!大丈夫、それはあなたの腕じゃないわ!」

 ミサトは、必至にシンジに呼びかける。

「リツコ!どうにかならないのっ!?」

「今やってるわ」

 ミサトから来た予想通りの問いに、リツコは手短に答える。

 シンジにあの様に言っているが、落ち着いたところで痛みは変わらない。訓練も受けていない者が、あの様な締め上げる攻撃に平然と出来る事は無いだろう。

 痛々しいが、まだ叫んでいた方が気を紛らわすには丁度いい。

『痛い痛い痛いっっっ!!』

 モニターには、絶叫中のシンジの姿。

 未知なるモノとの戦闘は、初戦から不利なまま進んでいく事となった。









 使徒は空いている方の手で、初号機の頭を鷲掴みにし、そのまま吊し上げる様に高く持ち上げる。

 この使徒の唯一と言える武器は掌に当たる部分から繰り出される、光り輝くパイル。

 この攻撃をまともに食らえば、エヴァとて数撃しかもたない威力。

 戦闘機など盾にもならない。出来て使徒の目の前を飛び交うぐらいだ。

 頭を掴んだ腕のパイルがゆっくりと引かれる。まるでその行為を見せつけるかのように。

 一撃。

「わああぁっっっっ!!」

『シンジ君!』

 先ほどまでとは比べモノにならないほどの悲鳴。

 腕を締め上げる事と、頭を突き刺す二カ所同時の攻撃。

 エヴァ自体には傷らしいモノはまだ入っていない事が唯一の救いなのか。

 そして次の一撃。

「!!!!」

 エヴァと使徒を中心にして、辺り一面光に包まれた…














***
















 白。

 シンジが目を覚ました瞬間に感じた事である。

 無理もない、病院とはその様な処であるのだから。

(…あれ、本当にあったのかな?)

 使徒を倒した直後から今までの記憶がない。

 更に普段と全く違う精神状態にあった為に、その全てが夢ではないかとも思えてきた。

 視線を動かし腕を見るのではなく、視界に自分の腕を持って来る。

 あれほどの締め付けを味わされた腕も今は全く違和感がない。

 自分一人の病室。

 聞こえてくるのは外にいる蝉の鳴き声。

 孤独という言葉が頭の中をよぎった。

「…知らない天井だな…」

 声を出して言ったのは、少しでも気分を紛らわせたかったのだろうか。

「もう一度寝る…のは無理か」

 寝直すには、目が冴えて眠れないシンジであった。









第三新東京市:爆心地付近

 仮設テントが幾つか建ち並び、ネルフの面々が急いで作業を進めている。

『…本日の政府…Pi!

 …昨日未明の爆…Pi!

 …先ほど行われました会見によ…プツン』

 撮影場所が若干違えども、ほぼ同一の内容を全テレビ局が流していた。

 …それも繰り返し。

 この日のテレビ・ラジオの視聴率が段々下っていったのも無理らしからぬ事なのだろうか?

「シナリオはB−22。ね」

 暑苦しい防護服のためか左手でうちわを扇ぎ、右手でテレビのリモコンを操作していたミサトがそう言う。

「広報部は喜んでいたわよ。やっと仕事ができたって」

 それに答えたのはリツコ。ミサトと違い、だれた格好をしていない。

「うちもお気楽なものねぇ」

「そうかしら?本当はみんな、怖いんじゃなくて?」

「…あったり前でしょう」

 真剣な顔になって答えるミサト。




パタパタパタ…




 …だが、うちわを持った左手は忙しなく彼女に風を送っていた。

「…処で、戦自の動きが慌ただしいの知ってる?」

 珍しくリツコの方からミサトに問いを投げかける。声の調子もかなり真剣みを帯びているのが感じられた。

「……へ?何?

 …

 …

 …ああ、戦自の事ね」

 ミサトは真剣な表情のまま聞いているのかと思いきや、暑さで思考が鈍っていたらしい。

「政府は特殊災害に対しての専門部隊を創るそうよ」

「その特殊災害って使徒の事?」

「多分ね。それ以外に、今創らなければいけない理由が見あたらないもの」

「また、無駄な事を」

「あら?そうでもないわよ。

 この前の航空隊の積んでたミサイルが使徒に有効だったのは、MAGIで実証済みよ。

 それに、その部隊はもう出来ているのかもしれないわね」

「…あの不明機ね」

「ええ。MAGIで判断するには情報不足。普通の動きではなかったわ」

 幾分悔しさがにじみ出た声。

「でもどうせ、うち(ネルフ)が接収するんでしょ?」

 全く対照的に、楽観的な受け答えをするミサト。

「さぁ?どうかしら…

 ミサト。続き、始めるわよ」

「え〜〜〜」

「だだを捏ねないの!」

 ミサトは防護服の首元を持たれ、自分の指揮する現場へと引きずられていく。

 それでもなお、うちわで扇ぐ事を止めないのは賞賛に値するのだろうか?



















「…え〜と…綾波?」

 病院のロビー。

 その待合い用の椅子にその少女は座っていた。

 一応備え付けの大型テレビには、先ほどから政府の会見映像が流れているのだが、誰も見ている者はいないようだ。それ以前に人の数も少ないが。

 ここはネルフ専属病院なのだろう、患者と思しき者は二人だけ。シンジとレイ以外は、皆白衣を着用していた。

「…何?」

「あ、いや…怪我、大丈夫…?」

「ええ、問題ないわ」

 包帯は至る所に巻かれてはいるが、ギブスの様なモノは確認できない。

 ただ、右手は腕の付け根から指先まで肌を見る事も出来ないほど包帯で巻かれており、重度の怪我であると想像できる。

 少年からは、袖口から見える右手全てが包帯で覆われている事しか分からないが。

「そう。

 …座って良い?」

「ええ」

 シンジは、一人分間を空けて座る。小柄な人が座るとすれば二人分だろうか。

 知り合いに似ているが、赤の他人。

 彼女が気になるが、恥ずかしい。

 そのバランスが取れるのが、この距離とシンジは判断したのだろう。

………

 暫し無言の時間が過ぎる。

 聞こえてくるのはテレビの音声と外にいる蝉の合唱。

 そして、つい先ほど増えた靴音。

「碇司令」

「…父さん…」

 側まで来たその人物に、二人はそう声を掛ける。

 声を掛けられた人物、碇ゲンドウは、丁度二等辺三角形の描ける位置に立ち止まった。

「身体の方はどうだ?」

「問題ありません。予定通りに回復しています」

「そうか…」

 ゲンドウはそう言い、視線をシンジの方に向ける。

「あ…僕も大丈夫…です」

「…分かった」

 シンジはその視線に気付き答える。

 親子のような会話をしてみようかという考えがよぎったが、出たのは他人に答えるような口調。

 自分の中でのゲンドウの位置を置きかねているのだろう。

 ゲンドウの方は二人の状態を確認した後、何事もなかったかのように元来た道を引き返した。









「…今の碇司令よね。お見舞いかしら?」

 そう言いながら、ゲンドウと入れ違いに来る女性。

「あ、ミサトさん」

「迎えに来たわよ、シンジ君。

 レイ、一人で動いて大丈夫なの?」

「問題ありません、葛城一尉。

 …失礼します」

「綾波…」

 レイはシンジが来た通路を歩き去っていく。

 その後ろ姿は流石に元気良くとは言えないが、不安を覚えるような事はなかった。

 彼女の後ろ姿を見送る二人。直線通路を曲がり彼女が見えなくなるまで、その視線を離す事はなかった。

「…ミサトさん、何の迎えに来たんですか?」

「シンジ君のお部屋に案内しようかと思ってね。

 まだ聞いてないでしょ、何処にあるのか」

「…ええ、まぁ」

 曖昧に答えるシンジ。期待半分、恐怖半分と言ったところか。

「司令と一緒に住むのがホントは良いんでしょうけど、司令殆どここに詰めているから、家は持ってないらしいの」

 何とも形容しがたい表情。

 今まで離れていた父親と暮らす事が出来ない事に無念と安堵の双方が滲んでいるのだろう。

「それに、中学生を一人暮らしさせるのもちょっち問題あるし。

 だから…私と一緒に住む事になったわ」

「はい…え?」

「ま、そゆ事だから。

 私はシンジ君の退院手続きを取ってくるわ」

 そう言って、受付の方に行くミサト。その場に残されたシンジはと言うと…

「あ、あのぉ〜」

 …フリーズしていた。

 顔が先ほどより若干赤いのは、気のせいではあるまい。





























見知らぬ天井<後編>に続く......