長崎県の城 PART2
...石田城、魚見岳台場、石原岳堡塁などを歩いて...
2012.4.19
八巻 孝夫 氏
1.城とは何か
・戦乱などに備えて人工的もしくは自然による防御施設が施された一定の土地
そのため時代的には農耕の始まった弥生時代から城は出現し、現代にも
新たな形で築城されているが、現代ではかってのような防御に大きな力を
発揮できることはなくなり、歴史的な役割は終わったと言ってよいだろう
2.長崎県の城の歴史...今回発表の城を中心に...
A) 古代城郭
・吉野ヶ里環濠集落(佐賀県・神崎町)...弥生時代の環濠集落。横矢の張り
出しの櫓台、木柵による虎口の桝形、馬出などを発掘
B) 中世城郭
・三城(さんじょう) (大村市)...戦国大名/大村氏の本拠。大村城に移る以前
の城。丘陵に占地した巨大な城。馬出が存在したか?
・勘次ヶ城(かんじがしろ) (五島市)...別名が倭寇城で、倭寇が築城したと
言われるが? → 城ではないと思う。
C) 近世城郭
・富江陣屋(五島市)...五島藩の支藩。現在は小学校となり石倉が残存。
・長崎奉行所(長崎市)...厳密には城ではないが、奉行所入口は城造り。
D) 最近世城郭
・石田城(五島市)...城持ちではなかった五島氏の悲願の城で、幕末に許可
される。文久3年(1863)に完成。松前城(北海道)、前橋
城(群馬県)と日本式の築城の最後を争う。→実際は
前橋城が最後、石田城は海城としては最後???
立派な石垣がよく残る。なお湊の常灯鼻も砲台か?
・魚見岳台場(長崎市)...フェートン号事件により、長崎港防備の強化のため
福岡藩に幕府が命じて造らせた台場。見事な石垣と
火薬庫などが良好に残る
E) 近代要塞
・石原岳堡塁(佐世保要塞の支塁)...佐世保軍港を守るための要塞の陸上
戦闘用の堡塁。巨大な空堀と突角堡が特徴。空堀内に
カポニエールが日本には珍しく存在。
3. 今回見た長崎県の城の特徴
A) 今回取り上げた長崎県の城も、その多くが対外戦用の城である。石田城、
魚見岳台場、石原岳堡塁と対外危機に際して造られた城である。いずれも
結局は、幸運にも使われることなく廃城になった。だからと言って無駄だった
訳ではない。魚見岳台場などがあるために、長崎港に侵入する敵はいなかったし
佐世保要塞があるために、佐世保港に米軍は侵入できなかった。まさに城の
根本的な目的である抑止力を発揮したと言えよう。
B) 古代の吉野ケ里環濠遺跡と近代の石原岳堡塁を見ると一見奇妙な類似に
気付く。吉野ヶ里の主要な防御は空堀、虎口の桝形であるが、石原岳も同じく
空堀と桝形(突角堡)なのである。1600年の時空を越えて、規模は異なるものの
全く同じパーツで防御しているのは、極めて興味深いことと言えよう。
※横矢の張り出し...矢の死角をなくすために塁線を出っ張らせたもの。
虎口...城の入り口で最も重視された。
桝形...虎口の工夫で、方形の広場を造り防御を二重にしたもの。
馬出...虎口の前面に小陣地を造り防御を強化したもの