【日本の天文学の夜明けと長崎】

2012.5.17
尾崎 洋二 氏

? 私と長崎

 1. 日蘭交流400年記念事業

   2000年長崎大学 「出島の科学…日本の近代科学に果たしたオランダの貢献」

   に天文学について記事を書く

2. 2004年4月 「金星太陽面通過」記念講演会で講演



? 自然科学としての天文学

 1. 天文学 自然科学の一分野

   自然科学(天文学)の研究  地域性はほとんどない(地球科学は例外)

   天文学 研究対象は天体で世界どこでも共通

 2. 現代の天文学

   西洋で発達し、明治維新に西洋の自然科学として日本に輸入された

 3. 日本天文学会 2008年に百周年

   「日本の天文学の百年」という本を出版 

   私自身はその編纂委員長 祝賀会で講演



? 「天文学の夜明けと長崎」

  長崎との関連

 1. 16世紀 南蛮文化としての天文学(地球は丸いか?)

 2. 西洋近代科学の誕生と日本への伝播

   鎖国時代(江戸時代) 日本の西洋への窓口(出島) 西洋の天文学

 3. 明治7年の金星日面通過と長崎

   科学の黒船



? 天文学の研究

  ・宇宙を調べること

・宇宙ってなんだろう 

    宇宙と聞くとどんなことを思いますか?例えば、広いとか、宇宙遊泳とか

      東京 長崎 日本 地球

・地球の外の世界 : 宇宙

     太陽、月、星、銀河   空に見える「天体」   地球も天体の一つ

・宇宙  私たちの住むこの世界のすべて



? 宇宙観の変遷 

  ・地球 : 私たちの住んでいる場所

   「地球は丸い(球形)」 地球儀

・西洋の人も東洋の人も一般の人は「地球は平ら」だと考えていた

  ・地球が丸いということ

   西洋ではギリシャ時代から知識人の間では知られていた

アリストテレス(BC220年頃)  アレキサンドリアで地球の大きさを測る



? 大航海時代

  ・15世紀から16世紀のヨーロッパ 中世から近世へ

   (1)ルネッサンス

   (2)大航海時代

   (3)宗教改革

・大航海時代

   地球球体説に基づく地図  トスカネリ(1397-1482)

1493年 コロンブスのアメリカ発見

   1497年 バスコ・ダ・ガマ 希望峰を回りインドへ

   1522年 マゼラン 世界一周

ポルトガルとスペイン



? 1.南蛮文化としての西洋宇宙観

日本人と西洋の宇宙観

   16世紀 イエズス会の神父 キリスト教とともに西洋の宇宙観を伝える

フランシスコ・ザビエル

   1552年 本国のイエズス会への報告

   「日本人は、地球が丸いことを知らないが、好奇心が強く、...」



? 日本人の宇宙観

  平らな地球

世界の中心に須弥山 仏教的宇宙観

須弥山を中心に平らな地面 天と地下

   須弥山のまわりを日と月がまわる



   月の満ち欠けの説明

   能の「羽衣」

   月宮殿 白衣と黒衣の天女が15人づつ 

        一日1人づつ交替して行く

        白衣の天女が15人揃うと満月



? 地球が丸いかどうかの論争

  1606年の論争

江戸の朱子学者 林羅山(1583-1657)イエズス会の修道士 ハビアンとの間で論争(1606年)

修道士 「地球は丸い」 西へ航海、東から帰る

   林羅山 上下がある   もし地球が丸かったら、反対側の人は空に向かって落ちてしまう



? 日本人修道士ハビアン

  (不干斎) ハビアン (1565-1621)

   京都に住む元禅僧 20歳でキリシタンに改宗  イエズス会の日本人修道士

キリシタンの論客 「妙貞問答」を著わす (仏教、儒教、神道などを比較批判)

   1606年 修道士として林羅山と論争

1608年 修道女と駆け落ち キリスト教を棄教

   1614年 長崎でキリシタン迫害に協力

   1620年 キリスト教批判書「破提字子」(は・だいうす デウスを破却する) 「地獄のペスト」

   1621年 長崎で死去

   釈徹宗著(新潮選書)  「不干斎ハビアン」(神も仏も棄てた宗教者)



? 2.西洋における近代科学

  16世紀から17世紀の天文学(自然科学) における革命

   コペルニクスの地動説からニュートンへ 天動説(地球中心説)と地動説(太陽中心説)

16世紀 当時の宇宙観

   「天動説」(アリストテレスの宇宙観) 宇宙の中心に地球 

   太陽を始め他の天体⇒地球を回っている   キリスト教の教義に合致

  

? コペルニクスと地動説

1543年 ポーランドの天文学者コペルニクス 

   「地動説」 (太陽中心説)

  宇宙の中心に太陽

   地球は自らの自転軸の回りに回転(自転)しながら、太陽の周りを回っている(公転)

  宇宙観の根本的転回 (考え方の180度の変革 「コペルニクス的転回」)

  キリスト教の教義に反したため、地動説は危険思想

   1600年 地動説を唱えたジョルダーノ・ブルーノは火あぶりの刑

   ガリレオ 宗教裁判

  1543年という年 ポルトガル人が種子島に漂着、鉄砲を伝えた年 

   「鉄砲伝来」 織田信長の鉄砲隊

  イエズス会 「天動説」 (地球は丸いが、宇宙の中心に地球)



? ガリレオ

  ガリレオ・ガリレイ (1564-1642)

   1608年 天体望遠鏡で天体観測  月のクレータ、木星の4個の衛星、

         太陽の黒点、天の川は星の集まりなどの発見

   (2008年 国際天文年 ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年)

「地動説」を支持し、協会の怒りにふれる 「それでも地球はまわっている」



? ケプラー

  ヨハネス・ケプラー (1571-1630)

   1610年前後 惑星の運動 「ケプラーの3法則」

  惑星の軌道  楕円軌道

  ケプラーの法則により太陽系の地図が完成 (縮尺の無い)



? ニュートン

  アイザック・ニュートン (1642-1727)

   1687年 「プリンピキア」を出版

  万有引力の法則を発見  惑星の運動法則を説明 

   ニュートン力学を使うと、日食、月食など天体現象を予測可能に 2012年5月21日 金環食

  近代科学のスタート

   「日本は鎖国(1641年出島にオランダ商館を移す) 世界の流れから隔離」



? 日本への西洋科学の導入

  16世紀から17世紀にかけての日本の歴史

   1600年 関ヶ原の戦い

   「地球が丸い」ことは、イエズス会の宣教師が伝えたが、キリシタンの宣教師が伝えた

   宇宙観は「天動説」   宇宙の中心は地球

   「地動説」が伝えられたのは、江戸時代のもっと後



? 江戸時代 (鎖国時代)

   江戸時代は鎖国  日本は内向き

    天文学は、暦を作るということだけに関心

   西川如見と正休の親子

    西川如見 (1648-1724) 江戸時代中期の天文学者 長崎出身

      8代将軍吉宗 天文学   多くの著作 「天文義論」「華夷通商考」   

    西川正休 如見の息子 「天文方」に任命 中国の天文書「天経或問」の訓点本を出版

   「天経或問」: 中国書であるが、西洋天文学も紹介



? 日本に地動説を紹介した長崎通詞

   本木良永 (1735-1794)

    オランダ書を多数翻訳 「天地二球用法」「太陽窮理了解説」

    コペルニクスの地動説を日本に紹介



? 日本に伝えられた天動説と地動説

   長崎の博物館にある江戸時代の天動説と地動説の図



? 長崎通詞 志筑忠雄

   志筑忠雄 (1760-1806)

    天文・物理関係の蘭書の翻訳 「歴象新書」 3巻 6冊

    ニュートンのプリンピキアについて、オックスフォード大学のケイルの

    解説した本のオランダ語訳の翻訳

    「楕円」、「重力」、「鎖国」(ケンぺルの書いた「日本誌」の一部「鎖国論」と訳す)

    「天動説」、「地動説」も志筑忠雄が作った  西洋では「地球中心説」、「太陽中心説」という



? 江戸の画家 司馬江漢

   司馬江漢 (1747-1818)

    江戸時代の才人 画家 日本初の油彩画 銅版画

    1809年に「刻白爾天文図解」を出版 (「刻白爾」はコッペルと読みコペルニクスを意味する)

    地動説を一般に知らしめたのは、司馬江漢である



? 鎖国の功罪

   志筑忠雄  ドイツ人医師ケンペルの書いた「日本誌」の一部「鎖国論」

   ケンペル自身は鎖国をある程度評価

   ポルトガル、スペインは好戦的⇒植民地化 (アフリカ、中米、南米、インド、マラッカ、マカオ)

   日本が植民地化されなかったのは鎖国のため ?

   和辻哲郎

   「鎖国−日本の悲劇」を昭和25年出版

   日本が鎖国をしていた17世紀から19世紀半ばまでの250年間、西欧は近代科学を発達させ

   科学の精神を生活の隅々まで浸透させていた

     現在も日本人は内向き志向  グローバル化は避けて通れない



? 明治7年の金星日面通過と長崎

   明治7年 (1874年)12月9日の金星日面通過現象

   長崎にアメリカとフランスの観測隊  アメリカ隊⇒大平山(星取山) フランス隊⇒金比羅山

   金星の日面通過 極めて珍しい現象 8年おいて2回起こった後、約百年の間隔

     前回 2004年6月8日  次回 2012年6月6日

   観測の目的 : 太陽系の大きさを測る



? 科学の黒船

   明治7年の金星の太陽面通過現象の日本での観測

   明治6年6月30日 アメリカ公使から日本政府に宛て「アメリカの天文家が日本国内で

   金星の太陽面通過を観測したいので、日本政府に便宜を図ってほしい」という趣旨の公文書

   明治維新からまだ日の浅い明治7年のこと、日本にはまだ西洋科学(天文学)についての

   十分な知識がない時代

   お雇いアメリカ人モーレーの助言で日本政府は受け入れ

   1.アメリカ隊 長崎/大平山(星取山)

   2.フランス隊 長崎/金比羅山  別働隊 神戸/諏訪山

   3.メキシコ隊 横浜/野毛山と山手本村



? 太陽系 (宇宙) の大きさを測る

   コペルニクスとケプラー   地動説(太陽中心説)

   太陽系の地図が完成 (但し 縮尺が入っていない)

   太陽〜地球間の距離 :  1天文単位

    例 : 太陽〜金星の距離  0.7天文単位

       太陽〜土星の距離  10天文単位

    地図にスケールを入れるには⇒どこかで絶対的な距離を測る必要がある



? 天体の距離を測る

   距離を測る基本原理 : 三角測量

   人間の両目 : 視差



? 太陽系の大きさを測る

   明治7年の金星の日面通過現象  

    地球上の南北2点を使った三角測量  南 : オーストラリア  北 : 日本(長崎など)



? 長崎での金星観測記念碑  

   長崎市の金比羅山にある



? 21世紀における金星の日面通過

   2004年と2012年に金星の日面通過  百数十年ぶり

    太陽系の実尺度の決定⇒新しいより正確な方法

     金星にレーダー電波を発射して、跳ね返ってくるまでの時間を測定

   

? 隈本有尚という人を知っていますか ?

   隈本有尚(くまもと・ありたか) (1860-1943)

   久留米藩士の子  東京帝国大学理学部の第1期生4人の学生の一人

   星学を専攻した最初の学生(私⇒尾崎の大先輩) 

   団琢磨(三井財閥の総帥、当時星科助教授)の教え子

   東大の卒業式で、卒業証書を破いたため、学位認定されなかったという

   アルバイトとして成立学校(予備校)の教師をやり夏目漱石に数学を教えた

     夏目漱石の「坊っちゃん」の数学教師「山嵐」のモデル

   1885年 旧福岡藩の藩校で、再興された「修猷館」の初代館長に任命される

   【長崎との関係】

    1905年 長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の前身)の初代校長

  

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? 番外編

  1. 5月21日の金環日食

  2. 東京での日食

  3. 観測上の注意

  4. 日食と月食の原理

  5. 皆既日食と金環日食