川路聖謨 享和元年(1801)〜慶応4年(1868)
豊後日田代官所の役人の息子に生まれながらも、まれにみる才幹を示して、幕府の勘定吟味役、佐渡奉行、
小普請奉行、大坂町奉行、勘定奉行などの要職を勤めた。そして勘定奉行在任のまま海防掛になった。
幕末きっての名官吏で、有能なだけでなく、誠実で情愛深く、ユーモアに富んでいた。
 
ゴンチャロフはロシア国の第三回遣日使節プチャーチン提督の秘書官として1853年に長崎に来航、幕府全権
川路聖謨らとの樺太国境制定、日露通商条約締結の交渉にロシア使節団の一員として出席した。
 
氏家さんの著作「これを読まずに江戸を語るな」、「旗本御家人 驚きの幕臣社会の真実」、「江戸の女子力
−大奥猛序列伝−」などから、川路の妻女で才女のさととの軽妙洒脱な手紙の遣り取りがなどが紹介された。

参考文献
ロシアの作家ゴンチャロフ著「日本渡航記」
「川路聖謨文書六」長崎日記