中島川とその周辺のお話
1.中島川は何処に? 長崎惣町の原風景は?
2.長崎市の時代 (1200年頃 鎌倉時代~1571年長崎開港)
周辺の豪族と構想する戦国時代が続く
1567年 イエズス会修道士アルメイダ
長崎甚左衛門屋敷(現桜馬場中)前で布教スタート
1568年 日見峠開通
1569年 長崎甚左衛門、菩提寺の仏殿1棟(現春徳寺の場所)を寄附
(後にコレジオ、セミナリオ、活字印刷所、修道院も併設)
1571年 長崎開港 (1573年 武田信玄死亡)
諏訪神社下が波打ち際
3.キリシタン時代(1571年~1614年 禁教令)
1571年 長崎開港、6ヵ町の町建て
住人はキリシタン、商人は周辺の新町に
1574年 山のサンタ・マリア教会 建設
1580年 長崎・茂木をイエズス会に譲渡、神社仏閣は破壊
1592年 一の堀、二の堀(1596年)、三の堀(1601年)
4.江戸時代(1614年~1853年ペリー来航)
中島川(1882年・明治15年頃に命名)の形成と石橋の建設
↙堂門川←――西山川←――
大川←――本川←――二股川
↖一の瀬川←――銭屋川←――
長崎惣町の町建て
6ヵ町から66ヵ町、更に分割して80ヵ町へ
分割した町の名前の付け方例
大工町――→本大工町/今大工町――→新大工町――→出来大工町
紺屋町――→本紺屋町/中紺屋町――→今紺屋町
神社仏閣を再興
5.幕末/明治/大正時代(1853年~1925年)
1854年~ 戸町方面に外国人居留地の造成開始
(森田長崎村庄屋が責任者)
1882年(明15) 日見峠に明治新道開通
(人力車、馬車の通行可能)
1889年(明22) 中島川の流れを変える
長崎市の誕生
(出島の北側一帯18m削る)
1891年(明24) 本河内高部水源地(日本初の近代水道ダム)
本河内低部水源地(1908年・明36)
1891年(明24) 第1回国勢調査
(長崎市の人口は全国7位、九州1位)
6.昭和時代
1926年(昭1) 日見トンネル開通
(2001年に日見バイパス完成)
1935年(昭10) 諏訪神社下~蛍茶屋 路面電車延長
(巾23m道路、中川方面の発展)
1945年(昭20) 原爆投下
(死者・不明者 7.4万人。負傷者7.5万人)
(沖縄 : 死者・不明者 19万人。 内民間人9.4万人)
1982年(昭57) 長崎大水害
死者・不明者 299名
中島川の11石橋 : 6橋流失、3橋半壊、2橋改築
長崎中心部の3時間雨量 313mm
長与の1時間雨量 187mm 日本記録