野母崎の見どころと野母町の歴史
 
1.高浜地区
  ・黒浜海岸〜夫婦岩 (長崎県天然記念物/平成6年2月28日)
  ・黒浜からの海岸の岩礁は「野母変はんれい岩」と言われ、放射年代を測定した結果、
   約4億8千万年前という非常に古い生成年代を示すことが判明している。
  ・高浜海水浴場、高浜アイランド、うみがめの産卵 (5月〜8月)
  ・軍艦島(端島) 平成27年度には「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関東地域」
   の世界遺産登録の可否について審議が行われるが、この中には端島(軍艦島)も
   含まれており、今後長崎の重要な観光資源として熱い期待が寄せられている。
 
2.脇岬地区 (脇地区、岬地区)  江戸時代 鍋島藩
  ・みさき道 唐人町があった長崎市館内町から脇岬の観音寺までの7里の古い道を言う。
   江戸時代から盛んになった観音信仰の道だが、唐貿易の時代は「密貿易の道」だった
   とも言われている。
  ・木造千手観音立像 (国指定重要文化財 昭和63年6月6日)
   脇岬の観音寺は和銅2年(709年)行基菩薩によって開山されたものと言われており、
   本堂には2メートル半ほどある「みさきの観音様」と呼ばれる十一面千手観音立像がある。
   この観音様は、張りも豊かで藤原彫刻のふくよかさを伝える平安末期の特色を伝え
   おり、古くから地域の人々の深い信仰を集めている。
  ・観音寺天井絵 (長崎県有形文化財 昭和33年6月5日)
   本堂の格天井(ごうてんじょう)150枚の1枚毎に描かれた花卉図(かきず)。1枚の大きさ
   は一辺42cmの正方形。うち4枚は川原慶賀(シーボルトのお抱え絵師)の作品と
   言われている。
  ・脇岬のアサガオ群落 (長崎県天然記念物  昭和35年3月22日)
   樺島大橋の手前に祇園山公園があり、6月頃うす紫色のアサガオが咲く。これは
   ノアサガオと言われる南方系の植物で県の天然記念物になっている
  ・脇岬ビーチロック  (長崎県天然記念物  平成6年2月28日)
   脇岬の西海岸には、干潮時に現れる岩礁がある。この岩礁は、せんたく板のような形を
   しているので、土地の人は棚瀬と呼んでいる。
  ・弁天山樹叢 (長崎県天然記念物  昭和35年3月22日)
   長崎半島の先端、脇岬に小さな陸繋島(海抜20メートル)があり、古くから保安林として
   保護され全域は樹林に覆われている。
  ・長崎県亜熱帯植物園 昭和44年6月「長崎県亜熱帯植物園」として開園以来、県民の
   憩いの場として親しまれている。広さ32haの園内には約1300種、27000本の亜熱帯
   植物が栽培されている。大温室にある日本最大級と言われる「ジェードパイン」は別名
   ヒスイカズラとも呼ばれ、ツルの長さが8000mもあり、12月から6月にかけてヒスイ色
   の花が咲く。
 
3.樺島地区
  ・樺島港 この写真(別添)は上野彦馬が明治初期から中期の港の様子を撮影したもの。
   樺島湊のある湾奥から港内の船の繋船状況がよく分かる貴重な写真である。
  ・からすみの発祥の地
   樺島のからすみは長崎県産のボラの卵巣のみを使用している。
  ・おおうなぎ井戸
   南方産のカニクイ種のおおうなぎが生息する井戸がある。この生息地は、大正12年
   3月7日に国の天然記念物に指定されている。
 
4.野母地区
  ・権現山展望公園 長崎半島の突端には標高198mの権現山展望公園がある。1638年
   島原の乱平定後、幕府の老中松平信綱が長崎に立ち寄り、港の要害を巡視した時、
   野母の権現山を訪れ、海上遥かに見通しがきくこの場所に遠見番所を設置した。
  ・まぼろしの椿「陽の岬」(ヒノミサキ) 権現山には13000本のヤブ椿がある。その中に
   一本だけ白のヤブ椿「陽の岬」が自生しており、椿の愛好家には幻の椿として愛されている。 
  ・水仙公園 野母崎の出口地区には水仙が多く自生していたため、昭和30年後半から
   推薦栽培と販売を始め、昭和61年に大阪市場へ出荷して以来、品質日本一の評価を
   得ている。
  ・野母崎炭酸温泉 平成27年1月6日から新しい温泉の供給が始まった。この温泉は血行を
   良くする炭酸泉成分美肌効果があるメタケイサン成分が非常に高い数値を示しており、
   また湯量も豊富で今後健康増進と美肌の湯として利用客の増加が見込める施設である。
  ・野母の歴史
   江戸時代、天領であった野母では毎年1月12日から2月12日の間に踏絵が行なわれ、
   宗派、寺名、寺印、当人の年齢、続柄、氏名を記載し押印する「宗旨改絵踏帳」を作成
   していた。現在、明和3年から明治4年(1766〜1871)までの絵踏帳206冊が残っている。
   野母村絵踏帳は、明和3年から明治4年(1766〜1871)まで105年間の205冊が
   残っている。これは毎年上巻、下巻に分かれており、上巻には里浦の住民を主に、海蔵寺
   の檀徒、金徳寺(高浜)の檀徒が記載され、下巻には主に畦津の住民のうち蔵徳寺の檀徒
   が記載されている。
  ・野母盆踊 (長崎県指定無形文化財 昭和35年7月13日)
   和銅3年(710)から開始された。 旧暦7月17日に行われていたが、現在は新暦8月13日
   に開催され盆行事の一つとなっている。紀州熊野の漁師夫婦が統治に漂着し、全く無人で
   あったこの地で生活を始めた。生命が助かったのは、自国の氏神熊野明神のご加護で
   あったとして居宅の上の山に祠堂を建立した。その後、開祖の老婦を記念して和銅3年
   (710)にこの地を野母浦と名づけ、浦祭りを開始したと言われている。現在は、奉納踊りと
   海上の船行事が残っている。