長崎料理の成り立ち-日本人の文化受容の形

長崎料理とは卓袱の影響を受けた日本料理である。(『長崎料理史』和田常子)

西洋料理はオランダ(南蛮)の影響を受けた日本料理であるか

世界文化遺産に登録された「和食」=長崎料理+オランダ西洋料理=和華蘭料理?

「文明の環境史観」安田喜憲※図表があります

日本文明T期縄文・弥生・奈良時代

・中国・朝鮮文明-米、卑弥呼は何を食べていたのか

・米志向と肉食の排除天武4年(675)肉食禁止令

・箸の伝播

日本文明U期平安・鎌倉時代

・中国文明延暦 24 (805)最澄、永忠ら僧が唐から茶を持って帰る

・径山寺味噌(金山寺味噌)の製法を禅僧覚心が宗からもちかえる

・大饗料理-永久 4 (1116)藤原忠通、東山三条の藤原邸にて大饗開催

皿は偶数、箸とスプーンを利用

・栄西、宗から茶を持ち帰り、背振山に植える。その後明恵が残りを宇治などに植える

日本文明V期

・室町・安土桃山

・新しい食文化の確立-中国、南蛮の影響

・本膳料理の成立、精進料理茶の湯・懐石料理

・ポルトガル・スペインから南蛮料理の伝来

南蛮料理-ヒカド・ヒレウス・テンプラ・パンなど

南蛮菓子―カステラ・ビスカウト・金平糖・有平糖・海老糖・千代結び・カルメイラ・

花ボール・タマゴソウメン等

南蛮酒―チンタ(粗製の葡萄酒)、アラキ酒(焼酎)葡萄酒―舶載のものはみな南蛮

酒と呼ばれました

・江戸時代

・懐石料理が近世料理の出発点

・「料理物語」(寛永 20 <1643>)日本初の料理指 ??南書

・身分による食事様式料理文化の地方への伝播

・料理様式本膳料理-膳の数によって七、五、三の形式

・料理の種類鱠(膾)・坪・猪口・平・焼き物・引手等

・『豆腐百珍』天明 2 年( 1782 )料理百珍が流行(鯛、玉子、甘藷、こんにゃく、はも等)

・中国、欧米文明(南蛮、オランダ)―卓袱料理(家庭料理から料亭料理へ)

・高級料理屋の出現八百善の商法長崎料理の伝播-上方から江戸へ

・オランダ人から伝来―ビール、馬鈴薯、パイナップル、パセリ、チシャ、チョコレート、ボートル(バター)、トマトなど

・卓袱料理―家庭料理として発達、和華蘭を取り入れた東西融合の料理―本家中国とは違った日本化卓袱料理

・「出島くずねり」―奉行所から 3 人の料理人が出島に派遣された。彼等をくずねりと呼んだ。オランダ料理の中に

和華蘭を取り入れた。これも本家オランダとは違ったオランダ料理―明治以降の西洋料理のルーツとなる

日本文明W期明治・大正・昭和・平成

・欧米文明の影響―西洋料理店:オランダ料理を習得した料理人が日本で最初の西洋料理店を開く。当時の

蘭館の料理と今日の西洋料理との間には形式的には変化が見受けられない

・明治末期の料理大会で卓袱料理を「長崎料理」として出品

・和食(日本の伝統的食文化) - 2013 年世界文化遺産として登録されました

定義

1、新鮮で多様な食材とその持ち味の尊重

2、栄養バランスに優れた健康的な食生活

3、自然の美しさや季節の移ろいを表現した盛り付け

4、正月行事などの年中行事との密接な関わり