「迫害期の韓国カトリック教会を支えた長崎」
1.はじめに
2016年9月29日、大浦天主堂境内である記念碑の除幕式が行われた。朝鮮で
殉教した殉教者4人の遺骨を長崎(大浦天主堂)で預かることになった背景として、
どのような歴史があったのだろうか。
2.丙寅迫害(1866年)までの挑戦カトリック教会史
1784年 韓国教会の始まり
1791年 典礼問題に端を発し、尹持忠ら、神主(しんしゅ)を焼却。
1795年 周文謨神父(中国人)の朝鮮入国。
1801年 辛酉迫害(最初の大々的迫害)
1827年 布教聖省長官カペラ―リ枢機卿がパリ外国宣教会に対して、朝鮮担当を要請。
1831年 「朝鮮教区」が設立され、ブルギエールが初代朝鮮教区長に任命される。
1835年 ブルギエール司教、朝鮮入国を果たせぬまま病死。
1836年 琉球が朝鮮教区に編入される。四川教区にいたアンベールが第2代朝鮮教区長
となり朝鮮入国。モーバン、シャスタンとともに活動する。
1839年 迫害により、前記3人すべて殉教(己亥迫害)。
1844年 フォルカード琉球に到着。(1846年に日本教区長になる)
1845年 第3代朝鮮教区長フェレオール司教がダブリュー神父と共に朝鮮入国。
1856年 第4代教区長ベルネー司教が朝鮮入国。
1863年 国王哲宗が崩御。高宗即位するも年少のため、生父の興宣大院君が執権。
1866年 興宣大院君による天主教弾圧(丙寅迫害)。
3.丙寅迫害後の動向 ? 長崎・釜山を結ぶ連絡経路の確立
@朝鮮入国の試み
Aリデル司教釈放をめぐる動きと長崎・釜山連絡ルートの構築
B長崎・釜山連絡ルートと長崎の拠点化
4.結びにかえて
以上の経緯から、4人の殉教者の遺骨を長崎(大浦天主堂)で預かることになった歴史的
背景が明らかになったと考える。