「天主堂建築の先駆者 鉄川與助の業績」
鉄川與助(1879〜1976)は、長崎県南松浦郡新上五島町の出身で、大工/鉄川與四郎(生年
不詳〜1939)とフミ(生年不詳〜1909)の六男一女の七人兄弟の長男として生まれ、尋常高等
小学校を卒業(1984)後、大工の修行に入っている。
初期は長崎県南松浦郡新魚目町丸尾郷に拠点をおき、大正期には長崎市に拠点を移し、
長崎県、福岡県、佐賀県、熊本県などに活動の場所を拡げている。建築は、教会建築の他に、
寺院、一般建築など多数の実績を残し、中でも、教会建築は高い評価を受けている。そこで、
鉄川與助が書き遺した直筆の資料を基に、與助の業績を紹介する。
最初に、鉄川與助のの主な経歴と、鉄川組創業時の構成員などを説明する。
次に、鉄川與助が天主堂を建築したころの時代背景に言及する。
・幕末期、日本に天主堂を建設する場合は方針が示されて、居留地に住む外国人のために、
日本の各地に天主堂が建てられていた。
・長崎市内には、大浦天主堂や、戦災で焼失した中町天主堂があり、東京神田のニコライ堂は
現存している。
・明治期は、建築も近代化を目指して、外国人技術者を招き、日本人の建築家・辰野金吾等
を誕生させている。洋風建築である天主堂を竣工させるために、日本人の職人たちは、新しく
入ってきた建築材料(煉瓦、硝子、建築金物など) と、道具を使い、これまでの日本建築とは
違う天主堂を竣工させている。
鉄川與助の工事実績は、明治後期から、大正・昭和期の工事について概説する。
・明治期の実績は12件で、 教会関係の工事は9件で、継続的に受注している。工事は宣教師
や総代から依頼され、工事内容は宣教師から聞き取り、打合せしている。
・大正期は、教会関係の工事は24件の実績がある。日本建築学会の講習会などを聴講して
いるが、図面を描き、予算書など提案するが、工事を受注できないこともある。
・昭和期は、教会関係の工事は35件の実績があり、RC造やゴシック造も竣工させている。
長崎では、昭和20年に飛瀑を受け、與助は、戦後、二男與八郎氏を後継者にしている。
さらに、建築工事の請負について、中央と鉄川與助の請負契約関係書類の変遷について
検討し、その上で、鉄川與助の契約関係書類について述べる。
工事費の受払は、契約によって決まる。当時、広く行われていた入札や一式請負と、鉄川與助が
天主堂建築工事で行っていた工事費の受払について述べる。
結びとして、これまでの検討を通して、鉄川與助の業績を再考する。