「昭和史を生きた父を語る」
今回の講師は、楽会メンバーの松田協子さんでした。
昭和の激動期を軍人として満州帝国に係わり、波乱に満ちた時代を生きられた松田協子さんのお父上
竹内正さんについて「昭和史」を生きた父竹内正を語る と題してお話をして頂きました。
内容
「満洲国建国から崩壊まで軍人として生き、終戦後長崎でビジネスマンとして奮闘した父の人生」
1.出生から満洲に赴くまで
2.満州国での経歴
3.出逢い
蒙古のラストエンペラー徳王
愛新覚羅溥傑、浩婦人
満州国皇后の弟
王克敏(中華民国の政治家、銀行家、中華民国臨時政府の首脳)
4.通州事件、ノモンハン事件
5.駐日満州国大使館付武官
6.終戦、長崎へ
?竹内正氏の略歴
明治44年(1911) 長崎市で出生 父上の代に愛知県常滑から長崎に移転
昭和4年 (1929) 長崎商業卒業 学生時代にラグビーを愛好
7年 (1932) 大日本帝国陸軍幹部候補生として歩46連隊に入隊
9年 (1934) 満州国 軍需候補者採用試験に合格 (日本陸軍省人事局)
10年 (1935) 満州国軍 第5軍管区第5教導隊に入隊 (満州国軍政部)
中央陸軍訓練処経理養成部に入処 (満州国軍政部) 【奉天在勤】
陸軍中尉に任官 (満州国国務院)
補 第5軍管区司令部附 (満州国軍政部)
11年 (1936) 関東軍作戦命令により内蒙古軍強化のための察東警備軍顧問となる
大日本帝国陸軍歩兵少尉に任官
翼東防共自治政府顧問就任 【中華民国河北省唐山】
12年 (1937) 着充 満州国治安部参謀司付 【関東軍司令部特務機関】
13年 (1938) 着充 満州国参謀司付 【関東軍司令部特務機関北支方面軍、北京特務部】 (治安部)
中華民国臨時政府顧問就任 【北京】
満州国陸軍軍需上尉に任官
14年 (1939) 補 満州国軍事部軍政司 経理課課員に配属 (軍事部)
10月15日まで臨時軍事費担当としてノモンハン事件に参加
16年 (1941) 補 駐日満州国大使館勤務 【東京】
20年 (1945) 8月 関東軍作戦命令により北支方面軍指揮下に入り、共産軍討伐に従事
終戦により部隊解散 承徳にてソ連軍に抑留される
21年 (1946) 7月 引揚げ、胡島より芦博多に上陸
?竹内氏の満州国での交流
・満州国で関与した事件 ・綏東(スイトウ)事件 (1936) ・通州事件(1937) ・ノモンハン事件(1939)
・満州国で出逢った人物 ・往 克敏(オウ コクビン) 1873〜1945
中華民国の政治家、銀行家、外交官 北京政府、国民政府の政治家
後に中華民国臨時政府の首脳
・愛新覚羅附傑(アイシンカクラ フケツ) 1907〜1994 浩夫人
学習院大学入学 同 卒業
1937 嵯峨 浩と結婚
1938〜1939 駐日満州国大使館附武官
1943〜1944 日本陸軍士官大学校に入学 家族とともに日本で暮らす
・郭布羅潤麒(カクフラ ジュンキ、ゴブロ ジュンキ) 1912〜2007
満州国皇后椀容の弟
1933〜1938 日本の陸軍士官学校騎兵科に留学
20代から30代の青年期を、単身当時の新天地満州に赴き、波乱万丈の人生を過ごされた父武内正さんの
思い出を熱く語られた松田さんのお話に感動いたしました。戦後はビジネスマンとして長崎市で過ごされ、
仕事においても大活躍をされたようです。また書にも長けておられた父上の墨書を見せて頂き、その達筆ぶりに
驚嘆しまました。