「ケンペル放浪記」

レポーター:鐘ヶ江 敏


1. ケンペルとはどういう人か

エンゲルベルト・ケンペルは、元禄3年(1690年)9月、長崎出島のオランダ商館付きのドイツ人医師として来日し役年間滞在した。
その間、商館長の江戸参府に随行して2回江戸に行き、時の将軍徳川綱吉に謁見した。
元禄5年帰国、その後わが国で調査、収集した資料をもとに「廻国奇観」=「日本誌」を刊行し、日本を広くヨーロッパに紹介した。

2. 生い立ちと日本への旅

1651年(慶安4年)、ドイツ北部のレムゴーという町で牧師の次男として生れた。
ハーメルーン大学で自然科学、医学を学んだ。
1683年、スウェーデンの「カール1世」派遣のペルシャ親善使節団の1員となり、陸路ヨーロッパ大陸を縦断してペルシャを訪問した。
務めを果たしたのち更に南下してインド洋を渡り、バタヴィアを経由して、1690年9月25日長崎に入港した。

3. 江戸参府と将軍綱吉に謁見

元禄4年、5年の2回、商館長の江戸参府に随行して江戸に行き、将軍綱吉に謁見した。
また、この時の非公式の謁見の模様などが「日本誌」によって紹介され、当時の貴重な資料として現在大英図書館などに保存されている。

4. 帰国後のケンペル

ライデン大学より医学博士の学位授与、リッペ伯爵の侍医、結婚、離婚訴訟、3人の男の子の夭折、1716年11月2日死去、享年65歳

5. 「廻国奇観」=「日本誌」の刊行

「廻国奇観」(アメニターテス・エクソティカエ=異国の珍しいもの、ラテン語)
わが国の地理、気候、風俗、習慣、その他、社会全般について調査、収集した資料に基に刊行された。
「日本誌」はケンペルの死後「廻国奇観」に残されていた資料等を追加し、英国のサー・スーロン卿によって刊行された。この書は、カント、ゲーテ、ヴォルテール等から高く評価され、ヨーロッパにおける圧倒的な日本観を形成した。

 

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