シーボルトの好奇心(3)悲運の絵師・川原慶賀

リポーター:堀 憲昭


1)川原慶賀は何を描いたか
・「出島図」(中央公論社刊)の中の鳥瞰図と絵巻 22点
・シーボルト「日本」と「フローラ・ヤポニカ」の日本紹介、植物画
・1980年「川原慶賀展」(ライデン国立民俗博物館展)での衝撃
・19985年「シーボルト旧蔵日本植物図譜展」(コマロフ植物研究所展)での発見
・1996年「シーボルト父子の見た日本」(ミュンヘン民俗学博物館蔵)

2)慶賀の絵はどこにあるかーーどうしてヨーロッパに渡ったか
・ライデン国立民俗博物館 約900点
・ペテルスブルグ・コマロフ植物研究所ーー1041点の植物図譜
・ミュンヘン民俗学博物館ーー人物画帳104点
・日本ーー神戸南蛮美術館(ブロンホフの家族)、長崎県立美術館、
長崎市立博物館、ほかに東京大学、水戸水府明徳会などに点在

3)出島絵師川原慶賀の栄光
・生い立ちー川原香山の子供 石崎融思の弟子(古賀十二郎の研究)
・長崎絵画の歴史に名を見せない−−傍流絵師、職人絵師
・手法と画材ーー遠近法、鳥瞰図、大和絵、図鑑形式、ボタニカルアート手法
・ブロンコフ・コレクションとフィッセル・コレクション
・シーボルトのお抱え絵師ーー江戸参府に同行、道中をスケッチ、其扇、稲の絵

4)シーボルト事件の悲運からの後半生
・長崎犯科帳に2回名前が見えるーーその罪状
・「叱りおき」と「江戸、長崎所払い」(追放)の意味
・田口姓での慶賀ーー長崎市立博物館の絵画に見える出島図
・「慶賀写真草」刊行(子息田口廬谷校訂)
・「永島刀自像」(長崎旧家の「お絵像さま」で没年推定

5)ヨーロッパと日本での慶賀絵画の運命
・シーボルト家の没落ーーコレクションの切り売り
ーーペテルブルグの植物画の宿命
・各民俗学博物館の慶賀の絵画の扱い
・日本の川原慶賀研究ーー古賀十二郎、沼田二郎、陰里鉄郎、金井 圓
・出島復元の基本図像としての資料的価値

 

戻る